2017年9月16日 (土)

SAWAKAMI OPERA クラシックコンサート

2017年9月 5日 (火)

田部京子さんの演奏について~私の田部京子(小)論

田部京子さんのファンクラブ会報に私の文を掲載していただいた
ので、アップさせていただきます。
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田部さんの新譜に関する私の感想が「レコード芸術」2月号に
掲載されましたが、字数制限ゆえ短く抽象的な表現となって
います。
今回、光栄にも会報への寄稿のお誘いをいただきましたので、
他の曲も含めた田部さんの創り出す音楽について
僭越ながら書かせていただきます。


1.モーツァルトのピアノソナタ第11番と協奏曲第23番の新譜
  について

モーツァルトのピアノソナタ11番の第1楽章から既に
田部さんの「個性」は出ている。
フレーズを収めるその瞬間に、田部さんはほんの0.01秒
くらいの「溜め」を創る。これにより独特の気品と余裕が生じる。
あるいは第1テーマが繰り返されるその間合いにも、
0.05秒位の微妙な絶妙な間合いを取る(溜めを置く)のだ。

有名な第3楽章の最初の長調の主題が終り、
次の短調のフレーズに移る部分や、そこが終り、
最初のテーマが再び戻ってくる場面等々、多くの場面で
田部さんはそういう設定をして行く。

第2楽章の3小節目に入る所でも早々に溜めを創るが、
それにより「大人の気品」が生じる。

しかし、そうした「工夫」が機械的だったり、
いたずらに恣意的なものとはならず、常に「音楽的」なのだ。

「空間のアゴーギク」と勝手に名付けたいような、
無音であってもそこに音楽が在る間合いは、次の音楽を準備する
余韻として創られた間合いと呼べるかもれない。

間合いだけでなく、フレーズにおいても、協奏曲も含めて、
例えば「符点8分音符+16分音符」という跳ねるフレーズでは、
田部さんは最初の符点8分に柔らかなふくらみ(微妙なテヌート)
を置く。
これが快活感と独特のニュアンスを醸し出して素敵だ。
もちろん、こうしたフレージングの工夫、配慮に留まらず、
協奏曲での哀愁ある第2楽章から一転しての第3楽章での愉悦
は、音楽そのものとして清々しく素敵だ。
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2. これまでの録音やライブを含めた全般的な心象

1で書いた特徴は他の作曲家の作品演奏にも多く共通している。
最近ではなんと言ってもベートーヴェンの第30番から
32番の3曲が圧倒的だ。
30番における彩り、31番における変幻自在、
32番における高貴なまでの質感と構成感。

ベートーヴェンに限らず、全ての作曲家の作品において
田部さんはまず1音1音を大事にして演奏する。
1つの音そのものに厚みが在り、それを積み重ねて行く。
強靭な技術を基盤とした音には常に「コク」が在るが、
それは重いとか軽いではなく、熟成した果実のような濃厚な音
であり、それがムラなく持続して行く。

細部は全て丁寧に「練られる」が、それは合理的理知的な計算に
基づくというより、繊細でしなやかな感性で縫いあげて行く工程を
想像させるものであり、その結果、上質な絹織物だったり、
温かな毛織物のぬくもりのような温かさ、
気品を常に感じさせてくれる。

そして、どっしりとした、全体を見据えた構成感が在る。
常に絶対安定を基盤として、そこに激情や繊細や哀しみを
創って行くので、例えばベートーヴェンでは、
もっとデモーニッシュに身を委ねた「踏み外す」までの激昂を
伴う演奏もアプローチとしてはあり得るが、
それは田部さんの特質とは違うかもしれない。

田部さんは即興的な激昂や、感覚的なフレージングを
滅多に選択しない。
田部さんは次の(新しい)フレーズに移るときに決して
先を急がない。
常に足元を見据え、大地に根ざして行くが如く、歩んで行く。
「たたみ込む所」でも駆け出さず、常に一定の厚みと熱さを
内在したベクトルとして直進する。

その安定した音の粒立ちゆえ、技巧的な部分でも
決して仰々しくならないし、静謐な部分でも不透明にもならず、
常に明晰で格調高い音楽となる。
それも理知が先行するのではなく、まず感情、情感があって、
それをいかに表現するかという考察が常に在る。
そのバランスの素晴らしさ。理知と情感の絶妙な配分と交差。

田部さんは物語を音で描くというより、
1つ1つの音を積み重ねていくことで物語を紡ぎ出し創り出す。

ベートーヴェンの協奏曲第4番での内面との対話と抒情性。
ブラームスでの格調と内面の熱さ。
吉松、ラヴェル、メンデルスゾーンなどでの清楚にして
夢溢れる美観。
ショパンも「らしさ」ではなく自分の感じるままを一定の
フォルムの中で表現する。
リストでも技巧よりも詩や抒情や物語をまず感じさせてくれる。

抒情と言えば、吉松隆さんは田部さんの特質を活かした作品を
世に提供されてきたことに、あらためて感謝したい。


モーツァルトはむろんベートーヴェンでも古典という要素に配慮
した田部さんは、シューベルトにおいては、
瑞々しさ清々しさを増加することで、古典的フォルムの堅持よりも
ロマン派の息吹を節度を保ちながらも喜々として歌うことに
踏み込む。

そしてそれはシューマンにおいて決定的となり、
シューマンにおけるヴィルトゥジティと同時に熱いロマンと
パッションがほとばしる演奏に圧倒され、深い感銘を受ける。
田部さんの情感が直接的に音のドラマとして立体的に歌われる
シューマンは素晴らしい。

他方では、カッチーニの「アヴェ・マリア」のように、
徹底的に抒情性に満ちた、情感を全面に提示したかのような
祈りと愛に満ちた世界を創り出すなど、
田部さんの持つ「振り幅」の大きさに驚かされもする。


田部さんの演奏は、常に至高のレベルにおける模範的な演奏
なようでいて、誰よりも「大人な音楽」を醸し出している。
温かさと代え難いまでの気品。

しかし結局、どのような言葉をならべても所詮、田部さんの
演奏を語り尽くせはしない。
それは田部さんの演奏が過去の録音が色あせないだけでなく、
常に今在る心情の表現として演奏され、今後も深化しながら
生みだされていくに違いないからでもある。

2017年9月 2日 (土)

日野氏の中学生ビンタ事件は指導力の無さの証明

あの中学生ドラマーだけが叩き続けた理由がどうあれ、
あの中学生を責めるのはおかしい。
有名人の指導イベントであっても「主役は演奏する中学生」だ。
有名指導者じゃない。
いずれにしても、日野氏のあのような暴力は論外。
あのような行為でしか指導できないというのは、
有名無名を問わず、大人として「指導力ゼロ」ということを立証
している。

止める方法はいくらでもあったはず。
ピンタというのはある意味「誰でもできる安易な手段」だ。
要するにプロとしての指導力が欠如しているということ。

これをもしオーケストラでやったら、どうなるか?
彼はそのオケはむろん、ほとんどのオケから二度と
呼ばれなくなる。
天才なら何をしてよいという時代ではない。
「トップアーティストほど、常識があって然るべし」という時代だ。
小澤征爾さんほか、人間的にも尊敬されている人は現実に多数
いる。

日野氏の実力は知らないが、他に優秀なトランペッターなど
世界にゴマンといる時代だ。
彼に驕りがあったとしか想えない。

中学生らは
「今度はもっと優秀で素晴らしい指導者を迎えればよい」
これに尽きる。

追伸;
フェイスブックの「クラシックを寄稿!」サイトで、
「トランペットでガンガン吹き返すことで止めたら
 カッコよかっただろうに」
という主旨のことを書いていた人が、あれはステキな意見だ。
もし、そうしてたなら、大人な対応だし、
アーティストならではの対応、と、かえって称賛されたことだろう。

2017年9月 1日 (金)

青山 貴さん 独演コンサート

青山 貴さん~独演コンサート~ユニークなプログラム
9月1日の夜は、人気バリトン歌手青山 貴(たかし)さんが
日本声楽家協会主催のシリーズ企画「独演コンサート」
に初登場されたので拝聴した。
ピアノは高田絢子(あやこ)さん。
会場はいつもの日暮里サニーホール(コンサートサロン)。

プログラムを見て直ぐに気付くのは「海」をテーマ、あるいは
それに関係する歌をメインとしていることと、
言語だけだと日本語、フランス語、イタリア語、ドイツ語に加え、
なんと韓国語の歌も交えたユニークな構成によるものだった。

青山さんも(後述のとおり)プログラム曲終了後
(アンコール前)の短めなトークの中で、
「最後のワーグナー以外は、初めて歌う曲を揃えました」
とのとおり、チャレンジングな選曲が素敵だった。

第1部
1.別宮貞雄作曲「海四章」(詩=三好達治)
 (1)馬車 (2)蟬 (3)沙上 (4)わが耳は

2.フォーレ 「幻想の水平線」
 (1)海は果てしなく(2)私は乗った(3)ディアーヌよ、セレネよ
 (4)船たちよ、我々はお前たちを

3.ヒョン・ジェミョン作曲「希望の国へ」(ヒマンエ ナラロ)

4.韓国民謡「舟歌」(ベンノレ)

  (休憩)

第2部
5.チマーラ作曲 (1)海のストルネッロ (2)海辺の光景

6.ポンキエルリ作曲「歌劇ジョコンダ」より
     「漁師よ、お前の餌をう沈めるが良い」

7.ワーグナー作曲「歌劇さまよえるオランダ人」より
     「期限は切れた」~オランダ人のモノローグ

アンコール
中山晋平作曲「鉾をおさめよ」
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1曲目の別宮さんの曲は、1947年作ということも関係
してか、全体に沈鬱な孤独感、哀愁感を漂わせた曲で、
ピアノは特別変わった音(和音等)はあまりないのだが、
歌の旋律はまるでピアノの流れ、音型とは独立しているかの
ような別の音楽の世界を歩む感じがして、
「歌うのには難しい曲(集)だろうな」と想像した。
むろん青山さんは丁寧で端正な誠実な歌唱で抒情的な
世界を示した。

2曲目のフォーレも全体としては抒情的な詩的な歌で、
フランス語特有の柔らかさがそれを特に印象づけた。

そしてこの日、最初に客席を大いに沸かせたのが韓国語による
「希望の国」で、軽快なテンポによる愉快な歌で面白かったし、
続く「舟歌」は雄大な曲想で、素敵な曲だった。

「北」だけでなく、政治的には日韓はまだまだ前途多難な
問題を抱えたままだが、また、青山さんはそのような状況を
考慮して選んだわけではないだろうが、結果的に、
言葉が解らなくとも(歌詞の大意は用意されていた)
音楽だけの力で、民族や国家間の問題を越えて
心が容易に結びつくことをあらためて如実に証明する
幸福な提示だったと思う。

考えてみれば、韓国ではつい最近まで国民が
「日本語の歌を聴くことを禁じられていた」わけだし、
日本でも「冬のソナタ」放送以前は、「アリラン」他
ごくわずかの韓国(朝鮮民族)の歌しか知らないできたわけ
だから、こうした今回の青山さんの試みは、
本人の意思を越えて、とても素晴らしいことをしてくれたのだ、
とも言えると思う。
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声量の全開という点では正に後半第2部が冒頭から
そうだった。声量の豊かさだけでなく、
青山さんの声はまるで体躯のように、丸みがあって
温かな柔和さがある声だ。
鋭角的ではなく、もたれるほどの重々しさもない。
ダンディで優しい声。しかも声量も素晴らしい。

チマーラの2曲でそれを示し、ポンキエルリの曲では
愉快なドラマ性も提示して聴衆を楽しませた。

そして最後は、「オランダ人」。
あの堂々たるヴォータンを彷彿とさせる威厳ある低音
により、実力を如何なく発揮された。
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ここまで、「もう1つの期待、楽しみ?」である、
青山さんのユーモラスなMCはとうとう封印されたまま
だった。
笑顔全開のユーモラスなトークは、全プログラムが終わって
アンコールに入る前の少しだけだったことからも、
それだけ歌に集中したい、という思いが伝わってきた。

それでも、
「9月1日はまだ暑いだろうと思い、海にちなむ歌で
 涼しくなっていただけたら、と思ったら、
 今日はとても涼しく~」
と笑わせてから、アンコールの「鉾をおさめよ」では
聴衆の手拍子も交えながら、勢いの良いお祭り風の
メロディとリズムに乗って、
いわば「やんちゃ」な気取らない笑顔を歌唱という、
青山さんの持つ真骨頂(かもしれない)の面を示したし、
これは4の曲とも相通じる曲想でもあって面白かった。

アンコール曲終了後も聴衆の大きな拍手は手拍子に
変わってまで継続されたが、2回目のカーテンコールで、
「すみません、アンコールは1曲しか用意しておらず
 (会場、爆笑)」と「告白」され、楽しいコンサートが
終了した。
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ピアノの高田絢子さんは申し分ない演奏で見事。
以前も書いたが、優秀な歌手の増加に伴うかのように、
歌手たちに負けじと、いわゆるコンサートピアニストだけでなく、
優れたコレペティトゥールの資質を持つ優秀な奏者が
どんどん増えていようで、
これは日本の音楽界全体の底上げを象徴している事でもある
と思う。

2017年8月31日 (木)

コンクールの限界~最高の「賞」は聴衆からの温かい拍手だ

雑感「コンクールの限界」
~最高の「賞」は聴衆からの熱い拍手

フェイスブックの「クラシックを聴こう!」サイトに、
1つ前のブログ記事でも紹介した青柳いづみこさんの
「ピアノとスポーツ」と題した日経新聞朝刊に寄稿された文を
紹介したところ、反響が大きかった。

私が前文で、
「私自身はコンクール自体にあまり興味はありません~」
としたわけでが、その前文をもう少し自分なりに掘り下げて、
私なりの素朴な所感を以下書いてみたい。
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青柳氏自身の「日本からもショパン・コンクール優勝者を」
とする、いわば「コンクール至上主義的発想」自体が、
既に新時代とはややズレているかもしれないが、
むしろ氏は、そこ(なぜ出ていないか)から日本の音楽教育
にあると思われるある種のゆがみ、歪(いびつ)さ等を指摘
したかったのだと読むべきだろう。

あるいは結果的に、国内には「コンクール信仰」が根強く、
コンクールとは無縁の個性的才能が未だ少ない状況も
浮き彫りにしているとも言えるかもしれない。

もっとも、ご存知のとおり、チャイコフスキー以外の曲を
演奏できるチャイコフスキー国際コンクールでは
日本人1位はピアノ、ヴァオリン、声楽で既に出ている。

歴史的土壌から、これまでの日本人にとってコンクールの
重みは欧州人以上のものがあっただろうし、
言うまでもないことだが、ピアノに限らす、指揮、
ヴァイオリン、声楽等で、個々個人の考え(スタンス)として
大小各種のコンクールに挑む人(の姿勢)を、
否定する気はまったく無い。

むしろ、ラン・ランやユジャ・ワンのような大コンクール歴など
なくても個性的な世界で通用する音楽家があまり出ていない
(としたら、その)事のほうが考慮に値するのだろう。

国籍や男女を問わず(あるいは音楽家に限らず)コンクール
のような「一時的な激しい競争」に不向きな人は当然いる。
大コンクールの入賞歴が無くとも国際的な活躍をされている
音楽家の多くには、そうした面(要素)もあると推測できる。
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それらはともかく、有名な国際コンクールでも「事件」は
有りがちで、そのときの奏者のコンディションだけでなく、
青柳さんが書いているとおり、
審査員によっても評価は変わる。

第1回のショパン・コンクールでアシュケナージが2位に
なったのは「政治的」と醜聞が立ち、実際、
1位になったポーランド人のハラシェビッチの名を知る人は
今ではほとんどいないだろう。

ポゴレリッチが有名になったのは、本選に残れないことに
審査員の1人だったアルゲリッチが激怒して審査員を辞任して
帰国した、ということが話題となったことが大きかったのは
事実だ。
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総じて日本人は(コンプレックスからか?)マスメディア報道に
「弱い」。
1985年の「ブーニン・ブーム」は明らかにNHKが初めて
大々的にショパン・コンクールを放送したことがキッカケだったし、
不遇な状況にあったフジ子・ヘミングさんを一躍スターにしたのも
NHKが取り上げた放送がきっかけだった。
特に後者はご本人にとっては幸いなことだったので、
とやかく言う気はないが、逆にあの放送がなかったら、
と考えると、日本人が聴く側(の情報源や行動の元として)の
置かれた状況が、相当「TV等の大報道だより」の面もある
と言える。

昨今の事例では、反田恭平さんだが、
私も彼の個性と才能に関心があるし、応援している一人
ではあるが、TBS「情熱大陸」の放送
 ~そこでは反田さんがごく普通のサラリーマン家庭に
育っただけでなく、現在もピアニストを職業に選んだ息子に
反対している父親との生々しい葛藤も含めて放送された~
がなかったら、人気が増大するにはもう少し時間がかかった
と思う。

ブーニン氏は来日のたびに日本が気に入り、
日本人女性と結婚して日本で暮らしているのは嬉しいことでも
あるが、あの「ブーム」で期待されたほどの活躍をされているか?
と考えると、また別(の問題)となるだろう。
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指揮者で考えると、小澤征爾さんを筆頭に、日本人は
ブザンソンのコンクールで何人も1位になっている他、
コンドラシン・コンクールでの広上淳一さん、
トスカーニーニ・コンクールでの大野和士さんなど、
歌劇場でのたたき上げで育ってくる欧米とは事情が違う
のは、良し悪しでなく、歴史的土壌的な点からやむを得ない
というか、世に出る上で必然化されたコースだったと言える。

これは指揮者のコンクールなど無かった時代、というより、
歌劇場での下積みが当たり前の欧州とは決定的に異なる。

フルトヴェングラー、ワルター、ベーム、カラヤン、ショルティ、
最近でもティーレマン等々、ほとんどの指揮者は歌劇場育ちだ。

コンクールでは、どの楽器が音を間違えたとか、
新曲を短時間で読み込んで指揮する等の「器用さ、即戦力」に
比重が置かれるから、「斉藤式指揮法」の取得の有無に限らず、
器用にこなせる人が有利となる。
それまでの歌劇場での様々な現場での苦労や経験則
などからの個性あるアプローチなどは直接的には問われない。

「もし、フルトヴェングラーが現代にいて、
 どの指揮者コンクールを受けたとしても、
 予選で落とされるだろう」とか、
「画家のゴッホは東京藝大美術部には合格しないだろう」
という仮説は、「そうだろうな」と思うほど説得力を有する仮説だ。

歌劇場等、欧州の土壌で培われた個性や経験則や
アプローチの術等は、「コンクール」で求められるものとは
根本的に異なるのだろう。
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諏訪内晶子さんが1990年の
チャイコフスキー国際コンクールで優勝してから、
まだ1年か2年くらいしか経っていない時期だったと思うが、
雑誌かテレビのインタビューで、

「有名なコンクールで優勝すると、いろいろな所から
 声がかかる、すなわち仕事が入ってくるキッカケには
 なるが、いわば「大きなキッカケ、チャンス」をいただいたのに
 過ぎない。その程度。 大事なのは「その後」だ。
 それに少なくとも欧州では、ソリストとして外国のオケで客演に
 行っても、現場だけでなく聴衆の多くも、
 「ああ、そういう(有名コンクールでの優勝者という)経歴を
  持っている人なのですね」という程度に思われるだけで、
 少なくとも日本人が示すような強い反応は、
 聴衆にも音楽関係者にも無い(生じない)」

という主旨のことを述べていた。

要するに「これから(優勝後)の進化、成長等が大事」であり、
聴衆は「過去の優勝経験(の演奏)を聴くのではなく、
今のあなたの演奏を聴きたい」と来場したりCDで
聴いたりするわけだ。
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コンクールでの入賞はむろんその演奏家の名誉であり、
素晴らしいこと、賞賛されることだが、醒めて考えるなら、
その結果は、そのコンクールに関係した審査員と、
その場にいた聴衆に限定される評価の結果に過ぎない
とも言える。
そのときの1位と10位の人が、その後もずっと活躍の場や
評価において同じ比例で推移していくというようなことは
たぶんない。

コンクールで高評価を得た人も、残念ながら
そうでなかった人も、のその後の活躍は、
そのときの経験を糧に、その後をいかに精進していけるか、
ということに等しくかかっている、と言えるだろう。

もっと大事なことは、聴衆には受賞歴は関係ない
ということだ。
そのとき、良い音楽、素晴らしい音楽を聴かせてくれる
演奏家に惜しみない拍手を送る。
立派な録音に熱い賛辞を送る。

「音楽家にとって、聴衆の拍手や称賛以上の「賞」は無い」
と想像する。

青柳いづみこさん 「ピアノとスポーツ」

以下は日経新聞に青柳いづみこさんが寄稿した文。
私自身はコンクール自体にあまり興味はありません。
実際、そうしたコンペティション向きでない人もいますし、
幼少期に小さな(地域的な)コンクールに出ても、
後年はショパンやチャイコフスキーなどの
国際的コンクールには特別に関心すら持たずに
今や売れっ子、大活躍しているピアニストはたくさんいます。

ラン・ランもユジャ・ワンもエレーヌ・グリモーもそう。
今では、
「中国出身で国際的な活躍しているピアニストは?」と問うと
多くの人はショパン・コンクールの優勝者ユンディ・リよりも、
まずラン・ランやユジャの名を挙げるのではないでしょうか?
むろんユンディも素敵ですが。

それでも青柳さんがむしろ日本における従来のピアノ
 (に限らないでしょうけれど)教育現場における問題点
を指摘している点は興味深いです。
では以下、青柳さんの文、全文です。

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青柳いづみこ
「ピアノとスポーツ」8月27日の日本経済新聞朝刊 文化欄

2020年には東京オリンピックが開催される。
すでに成果を挙げているティーンエージャーたちの活躍が
楽しみだし、もっと下の世代から急成長する逸材が出るかも
しれない。
同じ年に、ピアノのオリンピックというべきショパン・コンクール
がワルシャワで開かれる。
マルタ・アルゲリッチやマウリツィオ・ポリーニが巣立ち、
一色まこと「ピアノの森」にも登場するからご存知の方も
多いに違いない。

4年に一度のオリンピックと違ってこちらは5年に一度。
16歳から30歳まで、世界中の腕達者の若者が集ってくる。
オリンピックにも参加標準記録や国内選考会があり、
出場するだけでも大変だが、ショパン・コンクールも同じだ。

書類審査とDVD審査、予備予選を経て出場を許される
のはたった80人。
第3次予選で10人のファイナリストを選び、3人の入賞者
が決まる。
コンクールの権威を守るために優勝者が空位の年もある。
それで5年に1度。嗚呼(ああ)。

日本は、内田光子の1970年第2位が最高で、
まだ優勝者を出していない。アジアでも、
ヴェトナムのダン・タイソンは1980年、
中国のユンディ・リは2000年に優勝し、
2015年の優勝は韓国のチェ・ソンジンだった。
日本だけ取り残されている。
いったいどこを改善すればよいのだろう。
指導者は思い悩む。

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参考になると思うのは水泳のケースだ。
1996年のアトランタ五輪では前評判が高く、
金1つを含む5個のメダル獲得を宣言したのにゼロで
終わった。これをきっかけに大改革が行われた。

それまでの水泳界競技は各選手が所属する
スイミング・スクールごとにトレーニングし、
対抗意識から情報交換もなかった。
1人のコーチが長期間同じ選手を指導するため、
客観的な視点をもちにくい。

シドニー・オリンピックの競泳日本代表のヘッドコーチ
に就任した上野広治は、これではいけないと思い、
コーチ、クラブ間の垣根を取り払い、他のコーチの
指導も受けられるようにした。
さらにコーチのミーティングを開き、互いの経験を語る場
を設けた。成果は確実に上がり、
最近では金を含む複数のメダルを獲得している。

日本には複数のピアノ教育団体があり、オーディションや
コンクールを実施しているが、指導そのものは
個々のレスナーに任されている。
「門下」の意識が強く、先生を変えると破門扱いされた
のは昔のことだが、今も複数の指導者に師事するのは
簡単ではないときく。
公開講座で海外の教授に指導を受ける機会もあるが、
根本的な改革はしにくいシステムだ。

奏法も解釈も日進月歩だ。
欧米に追いつき追い越せとがんばっていた昭和30年代
には指をしっかり上げて弾く奏法が主流だった。
解釈も、楽譜に書いてあるとおりに弾くように厳しく指導
された。
しかし現在では、もう少し鍵盤に力を伝えていく弾き方が奨励
されるし、個性的な演奏も認められるようになっている。

テキストの研究も進み、作品の成り立ちや作曲家の意図
について踏み込んだ解釈も可能になっている。
このあたりの対応が個別の指導体制では遅れる可能性が
ある。

ピアニストにはつきものの腱鞘炎など、身体面のトラブルも、
症状に見合った治療方法もわからないまま、
1人でかかえこみ、悪化させてしまうことも多い。
伝統的な練習に加えて、スポーツ・トレーニングなどを
通して必要な筋肉を鍛え、柔軟性を養うことによって
故障を防ぎ、よりよい演奏ができるようになるだろう。

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もちろん、ピアノ演奏はスポーツではなく芸術だから、
すべてが同じというわけではない。
審査によって優劣が決まるあたりは、採点競技である
フィギュア・スケートや体操に似ている。
しかし、両競技の場合は技の難易度によって細かくポイントが
分かれ、減点方法も定められている。

これをピアノに当てはめるなら、たとえばショパンの
最も難しい練習曲はH難度で基礎点が高く、
ひとつ音をミスするたびにそこから0.1点減点していくなど。

当然のことながら、ピアノのコンクールではこんな審査方法は
ありえない。
ミスは多少あっても音楽的内容が素晴らしければ、
当然そちらが優位になる。最高難度の作品を演奏しなくても
美しく感動的に弾けばそちらのほうが評価が高くなる。
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いっぽうで、「すばらしい」「美しい」は審査員の主観によるもの
だから、ことはややこしい。
ショパン・コンクールはショパンのピアノ曲のみで競うので、
ショパンにふさわしい演奏をする必要がある。(しかし)
この「ショパンらしい演奏」がまた曲者(くせもの)で、
筆者がコンクールの現場で取材した経験からいくと、
審査員それぞれのいだくイメージがかなり違うのだ。

年度ごとの違いもある。
従来のショパン・コンクールは比較的保守的で、
あまり逸脱した表現をすると実力があっても落ちてしまう
ケースも見受けられた。
しかし、2015年のコンクールは自由なスタイルが主流で、
オーソドックスな演奏は点数が出にくかったような気がする。

こんなふうに、演奏のコンクールでは審査員の顔ぶれ次第
で結果もがらりと変わる。
それでも飛び抜けた実力者は必ず上に行くが、
受験生としては傾向と対策も練らなければならない。
そのとき、グローバル化をめざした水泳競技方式が
モノを言うと思うのだ。

門下生や学舎にとらわれえず、すべての垣根を取り払って
自由に情報交換ができる場があればどんなによいだろう。

 (以上)

あおやぎ いづみこ
ピアニスト・文筆家。1950年生まれ。
東京芸術大学大学院博士課程修了。
著書に「翼のはえた指」「ショパン・コンクール」など。

2017年8月27日 (日)

菊地美奈さん「涙そうそうコンサート」

菊地美奈さん「涙そうそうコンサート」
 ~銀座ビアプラザライオン

27日午後からは菊地美奈さんによる毎夏恒例の
「涙そうそうコンサート」イン銀座ビアプラザライオンだ。
本来は、ソプラノ歌手の菊地美奈さんの誕生日を祝う会のはず
だが、実態は、美奈さんの細やかな企画と準備による
ファンのためのファンとの交流会、懇親会、
「美奈さんとファンとの歌う会」だ。

毎年150人前後だろうか、とにかく多数
 ~美奈さんが学生時代から応援しているという
  ご年配のファンも含めて~が集う。

最初は美奈さんのミニコンサートとしての歌唱はあるが、
あとの大半は、食事を交えての談笑、そして、
みんで歌ったり、美奈さんとデュオ、あるいはファンが単独で
歌わせていただける機会も与えていただける。

8月生まれや、古希、米寿等、おめでたい年齢の方を
祝うコーナーもある。

今回は、全員で歌った「ムーン・リバー」にグッと来た。
もちろん歌詞は用意されているが、ほとんどの来場者が
大きな声で歌ったのには、オードリー・ヘップバーンの
ファンでもある私には感涙ものだった。

また85歳の男性が美奈さんと「椿姫」の中のデュエットを
毎年したり、84歳の男性も毎年シャンソンを歌い、
92歳の男性は少人数の歌仲間といっしょに
ステージで歌った。

ファンの歌のトリは75歳の、
複数のアマチュア歌唱コンクールで優勝した経験のある男性
によるカンツォーネで閉める。
下記のとおり、私も美奈さんと「魔笛」から
 「恋を感じるほどの男には」を今年もデュエットさせて
いただいた。

アーティストなら誰もがファンを大切に思うのは同じだと思うが、
酒豪にして銀座ビアプラ活動の指導的立場ということはあるに
しても、このように毎年ファンと直接的な交流の場を持つほどに
ファンを大切にしている歌手はまだそれほど多くはいないだろう。
毎年、感謝の思いで帰途に着く。

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菊地美奈さんとデュエットさせていただきました。
 「魔笛」から「恋を感じるほどの男には」

美奈さんとの毎年恒例の「涙そうそうコンサート」では、
ファンとのデュエットやファンがソロで歌わせていただける
コーナーがあり、私は今回で同曲を3年連続歌わせて
いただいた。
3回目なので、完璧に歌えると過信したためか、
事前に酒類を結構飲んでしまい、挙句、出だしを間違えて、
冒頭をやり直させていただくという失態をやらかして
しまった。前回はそんなことは無かったので悔しく、
これはまた来年リベンジするしかない。

2017年8月24日 (木)

Chants du Japon フランスの薫り、日本の心

「Chants du Japon~フランスの薫り、日本の心」
 ~ユニークな試み、新しい才能~
24日夜、渋谷の「l’atelier」by apcで、
「Chants du Japon~フランスの薫り、日本の心」と題した
コンサートを聴いた。
ソプラノの金持亜実(かなじ あみ)さん、
メゾソプラノの長谷川忍さん、バリトンの加耒徹さん、
ピアノの星野紗月さんによる演奏で、
「日本歌曲をフランス語で歌う」というユニークな試み。
外国語の歌曲やアリアを日本語で歌うというのはよくあるが、
日本語による歌曲をフランス語でというのは滅多にないか
皆無だったか、だろう。

想いのほか違和感が無かったのは、加耒さんが言及された
ように、日本の歌曲と言っても、明治以降のものがほとんど
だから、旋律や和音は西洋のもの(外来)を基盤としている
わけで、その点で「収まり感」を感じるのはむしろ自然なこと
かもしれない。

逆に外国語の歌やアリアを日本語で歌うときこそ、
語感や旋律への収まり感の薄さ等から違和感を覚える
ことを、歌手に皆さんが普段(たぶん過去から何度も)実感
されてきていることだろう。

また、フランス語での「柔らかさ」は長谷川忍さんが言及した
日本語に似た部分の1つかもしれない。
これがドイツ語による試みだと、また違った感覚、
感想を抱くと想像する。

以下のプログラムのとおり、ソロや重唱という構成だが、
私は仕事の関係で少し到着が遅れ、
前半の6曲目からの拝聴となった。

それぞれ、全てフランス語というわけでは実はなく、
曲により冒頭のワンフレーズや途中の一節、
あるいは2番歌詞の部分は日本語を交えて、
という工夫がされた。
この点はもしかしたら意見(賛否)が分かれるかも
しれないが(特に中間部のフレーズだけ部分的に
日本語に変わると一瞬ビックリする)、
フランス語と日本語を常に対比して聴かせる、という試みは
私は面白く拝聴した。

重唱はどれも素敵だったし、ソロもそうだが、
特にソロで1人1曲を特に挙げるなら、
金持さんは「宵待草」、長谷川さんは「中国地方の子守唄」、
加耒さんは「平城山」が特に印象的だった。

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そしてもう1人、ピアノの星野さんは今回初めて知ったが、
プロフィールを見ると学習院女子高等科から東京音大を卒業
しているが、在学中に名門、パリ国立高等音楽院の
「ピアノ即興科」に「首席で合格」されている。

「即興科」というものがあること自体、さすが
パリ国立高等音楽院だが、この日も16曲目(後半の6番目)
に弾いたピアノソロは、その場で会場に、
本プログラムにはない日本歌曲名をリクエストし
 ~若い彼女が知らない曲も数曲挙がったが~
「紅葉(もみじ)」、「ふるさと(故郷)」、「月の砂漠」に
絞られ、特に「もみじ」と「故郷」の2曲の旋律を
様々なかたち(テンポ、ニュアンス等)にイメージから変化
させての即興演奏は度肝を抜かれると言っても大袈裟ではない
くらい驚く演奏だった。
冒頭開始の和音からして既に斬新で個性的で、
文字通り最初の一撃たる和音から惹き込まれ、魅せられた。

終演後、
「その入試のときも、今日のように、その場で曲(旋律)
 を与えられて(指示されて)、それをその場でアレンジ
 するやり方ですか?」と問うと、正にそう、とのこと。

「もみじ」と「故郷」の2つの旋律を絶妙に様々な要素を
盛り込んで次々とアレンジして進行させた演奏は見事。

また、長谷川忍さんが
「リハーサルのとき、曲の間奏でも、毎回違うアレンジを
 してくるので、戸惑うほど」多彩な演奏でサポートしていた
という。
実際、「夏の思い出」の数小節のエンディングには「海」
(海は広いな 大きいな)のメロディを何気に入れて
終わらせるという粋な演奏をされた。

昔ではベートーヴェンは即興でも有名だったし、戦前は
そうした演奏も交えてリサイタルを行うピアニストも
少なくなかったと想うが、戦後は、作曲家(他人)の
作品を自分なりにしっかり弾くということを主流とした演奏が
ずっと演奏歴史のトレンドとして形成(継続)され続いてきた。

しかし、最近は、ユジャ・ワンをはじめ、徐々に即興を重視して
演奏する奏者が増えつつあるように感じている。
その点からも、星野紗月さんの今後の活動は注目に値する
と思う。
今後、こうした即興演奏を主体とした演奏活動を日本でも、
どんどんされることを期待したい。

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演奏曲目
1.岡野貞一 「朧月夜」Lune voilée~全員
2.山田耕筰 「鐘が鳴ります」La cloche sonne~金持さん
3.山田耕筰「からたちの花」Les fleurs de mandarinier
                    ~金持さん
4.杉山長谷夫 「出船」Le bateau qui part~加耒さん
5.越谷達之助 「初恋」Premier amour~加耒さん
6.滝 廉太郎 「荒城の月」La lune sur les ruines de château
                    ~金持さん&加耒さん
7.中田 章 「早春賦」Prémices de printemps
    ~金持さん&長谷川さん
8.山田耕筰 「砂山」La dune~長谷川さん
9.山田耕筰 「中国地方の子守唄」Berceuse
(Chant populaire de la region de Chúgoku)~長谷川さん
10.山田耕筰 「待ちぼうけ」Attente vaine~全員

 (休憩)

11.大中寅二 「椰子の実」Noix de coco~全員
12.多 忠亮 「宵待草」Fleur d’une nuit~金持さん
13.成田為三 「浜辺の歌」Chant de rivage
                ~長谷川さん&金持さん
14.平井康三郎 「平城山」Narayama~加耒さん
15.中田喜直 「さくら横ちょう」La venelle aux cerisiers
               ~加耒さん
16.ピアノ即興 Improvisation ~星野さん
17.平井康三郎 「ゆりかご」Le berceau~長谷川さん
18.中田喜直「霧と話した」Ce que j’ai dit au brouillard
                  ~長谷川さん
19.中田喜直 「夏の思い出」Souvenir d’été
                  ~金持さん&長谷川さん
20.山田耕筰 「赤とんぼ」Libellule rouge~全員
アンコール 山田耕筰 「この道」~全員

2017年8月21日 (月)

大音絵莉さん&中本椋子さん&渡邉智美さんジョイントリサイタル

「大音絵莉さん&中本椋子さん&渡邉智美さん
 ジョイントリサイタル」
 ~知る人ぞ知るコンサートに声楽オペラ常連ファンが
  多数来場~

20日は午後3時から、日本声楽家協会の主催による
研究員リサイタルシリーズ vol.22を谷中会館初音ホールで
聴いた。
これは若い歌手によるソロ試験優秀者に与えられる
ジョイントコンサートで、今回の出演は、
ソプラノの大音絵莉さんと中本椋子さん、メゾの渡邉智美さん
の3人。
3人にはそれぞれピアニストの伊坪淑子さん、
巻島佐絵子さん、松山あさひさん(男性、作曲家)が伴奏された。

3部構成だが、感想=記述は歌手別とし、最後に参考として
実際の演目順を記載する。
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大音絵莉(おおと えり)さんはこのシリーズ2回目の出演
とのことだが、私はこの日、初めて大音さんを聴いた。
とても優秀。とても感心した。
声自体にドラマ生を宿しているという印象だが、この日、
彼女が選んだ曲は抒情的な曲が多かった。
彼女はプログラムにこう書いている。
「今日は私が愛してやまない日本歌曲やイタリア近代歌曲
 をお聴きいただきたい。耳馴染みのない曲も多くなって
 いますが」。
第2部の最初に登場して歌ったのは日本の歌曲を主とし、
イタリア歌曲も1曲。
いずれも非常に情緒的で情感溢れる歌唱で素晴らしい。

第3部の一人目として登場した2回目は、いずれもイタリアもの
だが、トスティやチマーラで優しく、あるいは切なく歌い、
レスピーギではドラマ性を出し、その流れで
「ある晴れた日に」で締めくくった。
アンコールでの有名な「ドレッタの美しい夢」も
レガートの美しさと安定感で見事。
今後が楽しみな素敵な歌手。
今後、何度でも聴きたいと思わせてくれた歌手。
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中本椋子さんは、このシリーズなんと4回目の出演と、
それだけでも優秀で高く評価されているのが判るし、
私も数年前から何度も聴かせていただいているので、
実力はよく知っていても、あらためてステージで聴くと、
その力量にあらためて驚く。以前も書いたが、
「もっと知られてよい(はずの)歌手」だ。
良い表現ではないことを承知で敢えて言えば、
「知名度のある歌手でも、中本さんほど歌えてはいない人も、
 もしやいるのでは?」と想うほど、
それほど優秀だ、と言いたい人。

この日、彼女はプログラムに、
「今回は、ザ・コロラトゥーラ、として、全曲コロラトゥーラ
 の曲に初挑戦します」としている。
もっとも、元々コロラトゥーラの歌手と言ってもよい人
だから、得意分野を集中させたと言える。

しかし、こうも彼女は書く。
「歌うことが好きで、持ち声のまま、好きなだけ歌い
 表現していた時代は卒業しました。
 息長く良い声で歌い続けていく為に必要なことを
  (自分を)一から見直し、基礎的なことから改めて
 研鑽しつつ、大好きな歌と向きあっています」、と。
そして、
「新たなステップを歩み出した(自分の)今の歌を
 お届けしたい」と書いている。

私見では基礎力は十分ある人だと想うが、その謙虚さと、
初心に帰って新鮮な気持ちで取り組んで歌う姿勢と成果は、
この日も十分に出ていたと思う。

第1部の2人目として登場した第1曲は有名な曲で、
カスタネットを使用しながらの歌唱。
もっともこれは多くの歌手もこの曲ではそうする。

2曲目の「ドン・パスクワーレ」からのアリアが秀逸で
下降する歌声が粒立ち良く美しくレガート(グリッサンド的)
に流れる技術は見事だったし、
「ハムレット」からの長いアリアも同様に立派だった。

そして、第3部の2人目=トリとして歌った3曲が申し分なく見事。
「アモール」での抒情性と、ベッリーニのドラマ性、
それらを合わせ得ての長大なアリアを歌いきる実力に
改めて感心し、感動した。

アンコールではプーランクの珍しい曲「ティレジアスの乳房」
を2つの風船を用いてユーモラスに演じ歌った。
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渡邉智美(さとみ)さんは今回がこのシリーズ初出演で、
私が拝聴するのも初めて。メゾだが、明るめのトーンで
むしろソプラノに近い印象。
それでも第1部トップバッターのその1曲目「非難」では
独特のトーンで歌わえていて、この曲では個性を出した。
「ウェルテル」ではパワーのある充実した歌声を披露し、
第2部2人目で登場した際も、「君知るや南の国」で
情緒あふれる、抒情性をたっぷりと出して歌い、
「セビリアの理髪師」からのアリアではパワー全開に
歌われたので、第1部と第2部もきっちりと曲の性格と構成を
考えたプログラミングで、彼がプログラムに書いた
「(数種の言語の)オペラの曲を中心に選曲」の
コンセプトに沿った流れが作れたという意味でも成功した
プログラミングだったと思う。
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3人のピアニストはお世辞抜きに素晴らしく、申し分ない。
いわゆるコンサートピアニストだけでなく、今の日本には
器楽奏者や歌手を見事にサポートし、あるいは対等に
奏して協和して演奏できる若いピアニストが
本当にたくさんいる。
この点も絶対に書き忘れてはいけない、
敬意を込めて書くべき重要な事実だと思う。
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~歌手の皆さんにもよく知られた声楽オペラ常連ファンが
  多数来場~

なお、お世辞にも立派なホールというわけではないホールでも、
こうした若い歌手を育成して紹介する日本声楽家協会の
主旨をよく知り、共感し、応援するファンは多く、
この日もほぼ満席だったし、私が知る限りの、
私がここ数年で知り合った声楽やオペラでの常連
(私より年長の先輩衆)がほとんど一同に会する
くらい来場されていて、それ自体も楽しかった。

姓だけをアイウエオ順で書かせていただくと、
天野様、川口様、蔵田様、鈴木様、中村様、廣瀬様、と
6人を一度に同じ会場で拝見したのは初めて。

これにもし、フランコ酒井さんや、未だ直接は
存じ上げない「ぐらっぱ亭」さんが来場されていたら、
「声楽オペラ界でよく知られたベテランファンが大集結」
というところだった。
これは凄いことだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実際の演目順

第1部
渡邉智美さん  ピアノ=松山あさひさん
1.ロッシーニ 「非難」
2.ブラームス 「君の青い瞳」
3.シューベルト 「トゥーレの王」
4.グノー 歌劇「ファウスト」より「あの人に告げて」(花の歌)
5.マスネ 歌劇「ウェルテル」より
   「ウェルテル、誰が言えましょう」(手紙の歌)

中本椋子さん  ピアノ=巻島佐絵子さん
1.ドリーブ 「カディスの娘たち」
2.ドニゼッティ 歌劇「ドン・パスクワーレ」より
   「あの眼差しに騎士は」
3.トマ 歌劇「ハムレット」より
「私も遊びの仲間に入れてください」(狂乱の場)

・・・・・・・・・・
第2部
大音絵莉さん  ピアノ=伊坪淑子さん
1.團伊玖麿 「ひぐらし」 詩=北山冬一郎
2.山田耕筰 「風に寄せてうたへる春の歌」 詩=三木露風
 (1)青き臥所をわれ飾る
 (2)君がため織る綾錦
 (3)光に顫(ふる)ひ日に舞へる
 (4)たたへよ、しらべよ、歌ひつれよ
3.プッチーニ 歌劇「エドガール」より「どんな苦しみよりも」

渡邉智美さん  ピアノ=松山あさひさん
1.トマ 歌劇「ミニョン」より「僕は彼女の部屋にいる」
2.ビゼー 歌劇「カルメン」より「セビリアの城壁近くに」
3.トマ 歌劇「ミニョン」より「君よ知るや南の国」
4.ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」より「今の声は」
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第3部
大音絵莉さん  ピアノ=伊坪淑子さん
1.トスティ「アマランタの4つの歌」より
 (1)虚しく祈り
 (2)何を語っているのか、賢者の言葉は?
2.チマーラ 「郷愁」
3.レスピーギ 「昔の歌に寄せて」
4.プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」より「ある晴れた日に」

中本椋子さん  ピアノ=巻島佐絵子さん
1.R・シュトラウス 「アモール」
2.ベッリーニ 歌劇「夢遊病の娘」より「愛しい仲間の皆さん」
3.ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」より
「あなたの優しい声が」(狂乱の場)

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アンコール~ピアノは3人による連弾
1.渡邉智美さん
ビゼー 歌劇「カルメン」より「ハバネラ」
2.大音絵莉さん
プッチーニ 歌劇「つばめ」より「ドレッタの美しい夢」
3.中本椋子さん
 プーランク 「ティレジアスの乳房」

4.3人いっしょに「埴生の宿」 編曲=真島圭
なお、この最後に3人で歌い、ピアノも3人で連弾した演奏も
楽しかったが、編曲(特に和音)がやや凝り過ぎていた感が
あった。もっとシンプルな編曲のほうが良いように想えた。

嘉目真木子さん~シャネル・ピグマリオン・デイズ コンサート

嘉目真木子さん「シャネル・ピグマリオン・デイズ」
 コンサート
19日の午後1時からは、今年4月に天国に召された
大学合唱団時代の2年先輩Aさんを偲んで、
私を含む12名の男性で~楽しいと言ったら不謹慎かも
しれないが、敢えてAさんのお導きによる再会という
意味では~楽しい会食形式による「偲ぶ会」に出席した。
卒業以来初めてお会いした岐阜在住の先輩を含め、
各人の近況報告で皆さん(苦労話も含めて)個性的な
人生を送られてこられたのを知った。

同日午後5時からは、三重県在住の熱烈な声楽ファンの
鈴木様のご厚意で、銀座にあるシャネル本社内
シャネル・ネクサス・ホールにて
「シャネル・ピグマリオン・デイズ」というコンサートに出演
された嘉目真木子さんの歌を楽しんだ。
終演後は久々にお話もし、写真も撮らせていただき、
持参したCDにもサインをいただいた。

「シャネル・ピグマリオン・デイズ」というのは、
年ごとに選ばれた器楽奏者や声楽家に、年間を通して
数回のソロリサイタルを開催する機会を提供して支援する、
というもので、今年は5名選出されており、
嘉目さんは6回のステージを与えられ、今回は5回目という。
いわゆるサロンコンサートなので、1時間程度のものだが、
嘉目さんの場合、過去4回においては日本歌曲の回としたり
等、毎回自身で内容(選曲)を企画できるという点は、
選ばれて出演する演奏者には魅力ある企画に違いない。

目算で300名位の入場者は毎回抽選で選ばれ、
無料だが、例えば「嘉目さんを6回聴きたい」という希望予約は
できない。
聴く側としては抽選に当たらないと行けない、という難点はある。
当選すると当人の他、家族や友人等ほかに1名同行できる
という点は嬉しく、今回も鈴木様にお誘いいただき、聴けた次第。
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鈴木様は、だいぶ以前から私のブログでの演奏会記述を
~私が知らないまま~ずっと読んでいてくださった方で、
直接的に初めてお声をかけていただき知り合ったのは、
鷲尾麻衣さんが今年2月に渋谷の喫茶「マメヒコ」で
2回目のミニコンサートされた際だった。
その後、フェイスブックでも繋がりこんにちに至るが、
2015年10月の麻衣さんinマメヒコ第1回目のときも、
2人とも来場し、そのときも鈴木様は私が来ていることに
気づかれていたとのことだった。
・・・・・・・・・・・・・・

さて、前置きが長くなった。嘉目さんのシリーズ第5回目は
「ドイツ語の歌曲やアリア」という設定で、
以下の全ての曲に解説(MC)を交えて演奏された。

ピアノは高田恵子さん

演目
1.シューベルト 野ばら
2.シューベルト 君こそやすらい
3.モーツァルト クローエに
4.モーツァルト ルイーゼが不実な恋人の手紙を書くとき
5.R・シュトラウス 明日には
 (休憩)
6.レハール オペレッタ「フリーデリーケ」より
      「なぜ口づけで目覚めさせたの?」
7.レハール オペレッタ「ジュディエッタ」より
      「熱き口づけ」
8.ウェーバー 歌劇「魔弾の射手」より
     「まどろみが近寄るよう」
アンコール シューマン 「献呈」
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私と嘉目さんとのご縁は、2008年、私が活動する
オマオケが無謀にも?「ラ・ボエーム」全曲の
演奏会形式の定期演奏会を行った際、
ミミを歌ってくださったのが嘉目さんで、それ以来、
いろいろなコンサートや「魔笛」、「フィガロの結婚」、
「ドン・ジョヴァンニ」というモーツァルト3大オペラ出演の
際も全て拝聴させていただくなどしてきた。

その才能は、特に演出家の宮本亜門氏に認められて、
彼のプロデュースものの多くに出演し飛躍され、
知名度を上げてこられた。
フィレンツェへの留学でも多くの収穫があったようで、
私なりに彼女の声質の変遷、成長(などと言ったら
偉そうで僭越だが)を、この約10年間に感じて聴いてる。
・・・・・・・・・・・・・・・

初めて聴いたころは「凛」とした清潔で伸びやかな声
という印象で、その後、オペラではある種の「強さ」を
感じさせる「芯」の魅力に気づいたり、ある時期は、
ディティールのまとまりよりも情熱的に歌うことに注力
されているかもしれない、と感じることがあったりしたが、
先日、別途、初リリースさせれたCDでの印象でも
触れたが、詩そのものに誠実に寄り添い、
小細工せず、明瞭な発音で丁寧に歌うことで、
曲そのものの魅力を弾き出す歌唱をこの日も感じた次第。

言語自体にとかく「硬い」イメージのあるドイツ語だが、
嘉目さんによる端正で瑞々しい歌唱では、
そうしたイメージは薄らぎ後退し、
蒸留水のような爽やかな言葉として歌われている印象を
受けた。

それはプログラム最初のシューベルトの2曲から明確
であり、R・シュトラウスでは曲の美しさをそのまま
抒情的に表現されていて秀逸だった。
エスプレッシーヴォの効いた有名な曲「熱き口づけ」では
特に大喝采を受けた。
他の4回も聴きたかったし、残る1回も機会が得られたら
ぜひ拝聴したいものだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この日の終演後は、先述のとおり、来場者を見送る
嘉目さんにご挨拶した後、鈴木さんと有楽町駅近くの
居酒屋で、オペラ歌手談義等々で楽しく長い時間を
過ごし、帰宅したときは日付が変わっていた。

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