2018年12月 9日 (日)

40年間の感謝

2018年12月 2日 (日)

アイーダ

2018年11月25日 (日)

バッハ・コレギウム・ジャパンによる バッハの 「クリスマス・オラトリオ」

24日午後、彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールにて、
バッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハの
「クリスマス・オラトリオ」を聴いた。

といっても、活動しているオケの練習の関係で、
残念ながら、全6部の3分の1である第2部までだけの拝聴
ではあったが。

それでも、客席から見て左手のソプラノ5名のうち、

一番左が、10月に合唱団「鯨」のメンデルスゾーン「エリヤ」
でソロを歌っていただいた清水梢さん、
一番右側=アルト寄りには旧知の澤江衣里さん、
澤江の内側には、清水さんと同じく「エリヤ」のソロの
一人としてお世話になった藤崎美苗さんがいて、

バスパートには加耒徹さんがいる、という
個人的にも嬉しくなるステージで、とても楽しめた。

この曲に関しては詳しくないので、
今後もっと勉強したい。

プログラムには樋口隆一先生の詳しい解説があり、
とても参考になった。

2018年11月23日 (金)

沖澤のどかさん指揮 東村山交響楽団

23日午後、ルネこだいら大ホールにて、東村山交響楽団の
第35回定期演奏会を聴いた。
指揮は先月10月の東京国際音楽コンクールの指揮部門で
1位と齋藤秀雄賞を得た沖澤のどかさん。
ヴァイオリン独奏は土谷茉莉子さんで、
プログラムは以下のとおり。

1.モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲

2.チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲

3.ドヴォルザーク 交響曲第7番

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このオケを聴くのは初めて。きっかけは旧知の
のどかさんが指揮するため。
木管はなかなか良かったが、弦の力量は、
6月にのどかさんが振った(4回連続振っている)
やっとかめ室内管弦楽団には及ばない。
揃ってはいるが音量が弱いし、リズム的な精度もイマイチ。
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1曲目は速めのテンポ。1小節目と2小節目の
4拍目のウラの16分音符は、
アダージョということもあって、過去の指揮者では、
8分音符のように、たっぷりとテヌートさせる指揮者が
多い~例えばワルター~が、のどかさんはいわゆる
「楽譜どおり」の16分音符とした。

それはいいとして、5小節目と7小節目のそれぞれ
2拍目にある、ファーストヴァイオリンが16分音符で
動く部分があまりよく聴こえない。
ここは16分音符であっても、
ハッキリ明瞭に聴かせたいところだ。

アレグロがいったん終わって、変ロ長調に転じた
2回目のファンファーレの直後、変ロ短調で開始する
弦の掛け合いが、その速いテンポに各パートが遅れがち。
弱音であっても、各パートがもっと明瞭に聴こえて欲しい
ところだ。
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2曲目のソリスト土谷さんも初めて聴いた。
東京芸大卒で、このオケのトレーナーでもある。
よく弾いてはいたが、個性を出すまでに至っていない。
もっと積極的なアプローチが欲しい。
第2楽章は叙情的でなかなか良かったが、
第3楽章の376小節から383小節の間での、オクターブで
旋律を弾く部分では音程を大きく損ねた。
この部分は、アマチュア奏者でもちゃんと弾ける人は
少なくないはずだから、もっと完璧に弾いて欲しいところだ。
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休憩後のドヴォルザーク。
先述の「やっとかめ」では6番を取り上げたから、
のどかさんはドヴォルザークの後記の交響曲を順次、
取り上げて来ている(そういう意図がある)のかもしれない。

7番は私は第3楽章のスケルツォが一番好きで、
次いで終楽章。
演奏もこの2つの楽章がとりわけ良かった。

アンコールとして、チャイコフスキーの
「エフゲニーオネーギン」から第2幕冒頭のワルツが
演奏されたが、オケは音量的にも快活度的にも、
この日一番良い演奏だったと感じた。
1曲目からこの「乗り」があれば良かったのに、
と思った次第。
https://www.hso.in/hso_wp/concert/

2018年11月18日 (日)

江戸川フィルのブルックナー8番

18日午後、江戸川文化総合センターで
江戸川フィルハーモニーオーケストラの
第36回定期演奏会を聴いた。
同オケを聴くのは初めて。指揮は田部井剛さん。

直接のきっかけは、長谷川陽子さんのファンクラブ会員
でもある同オケのチェロ奏者Sさんからの情報によるが、
曲がシューベルトの「未完成」とブルックナーの8番という
凄いプログラムに驚いて関心を持ったことによる。

こうしたチャレンジ精神のあるアマオケには
心から敬意を表する。

ブルックナーの第3楽章でのチェロパートソロの、
よく統制のとれた立派な演奏を含め、弦は特に優秀で、
ヴァイオリンパートもよく揃っていた。
もっとも、ヴァイオリンとヴィオラが正団員急募とプロブラムに
あったように、弦にはエキストラが多かったのは事実だが。

プログラムによると、このオケは1986年に
「江戸川区の音楽文化の向上・発展に寄与する」という
目的で創設されたという。それもあってか、
指揮者が登場する前に、コンミスに合図で江戸川区歌が演奏
されたが、こういうことが必要かは疑問。
来場する人は私がそうであるように
、同区民ばかりとは限らないので。
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シューベルトの交響曲第7番「未完成」はガッシリとした
堅固な質感による演奏で、指揮も振り過ぎと思うほど
鋭角的な振り。この曲特有の哀愁感や静けさや繊細より、
ひたすら拍の中で正確に収めようとするアプローチ
なので、特に第2楽章は物足りない。

弦のさざ波に乗って、木管が歌う場面や、
ホルンのこだまによって冒頭と同じ場面が戻ってくる
ところなど、まったくソッケない。
ロマンティックな表情が皆無。
こんなに 「感動しない未完成」 は初めてだったので、
ブルックナーはどうなることか?と心配になったが、
杞憂に終わった。
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休憩後のブルックナーの交響曲第8番は
ノヴァーク版1890年第2稿による。
「未完成」での叙情よりは速めのテンポによる骨太の、
剛毅で推進的なアプローチがこの曲の~少なくとも
一面を~よくとらえていて、結果、成功したと思う。

過去の録音で言うなら、シューリヒトがやった
アプローチに似ていると言えると思う。

1例というか、象徴的な例として挙げれば、
女性ティンパニ奏者は「未完成」では明らかに叩き過ぎ、
硬い大きな音で不要な叩きが散見されたが、
ブルックナーでは逆にそれが生き、第4楽章だけでなく、
全体的に迫力ある演奏により、全体をよく牽引していた。

先述のとおり、弦全体が特に優秀だったし、木管、
トロンボーン、ワーグナーチューバは好演だった。
ホルンやトランペットは時折吹き損ないも無いわけでは
なかったが、鑑賞に支障をきたすほどではなく、
健闘していたと思う。

ゲストコンサートミストレスの岩田慶子さん
(桐朋学園大学卒)は大きな動作、合図で
申し分ない。とても良いリードだった。
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ホールは1~2階のロビーはキレイだが、肝心の音響は
良いとはいえない。
ステージの中だけで響いており、客席に大きく広がる感じは
しない。
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最後に一言。
田部井さんの指揮で、他のアマオケを3つほど聴いているが、
いつもプログラムを見て思うのはプロフィールが長過ぎる
ということ。
そのオケの常任ならともかく、客演で、
プログラムの大きなスペースを自分のことで割くのは
いかがなものかと思う。あまり良い感じはしない。
http://www.edophil.jp/index.html#concert

2018年11月17日 (土)

銀座オペラ ガラ・コンサート~絶好調な皆さんとカウンターテナーの素晴らしさ

16日夜、ヤマハホールで銀座オペラのガラ・コンサートを
聴いた。
ヤマハホール主催で、これまで清水のりこさんによる
現代機能を駆使したエレクトーン演奏により、
いろいろなオペラのミニ公演が行われてきたが、
その出演者らによるガラコン。

皆さん絶好調だったが、特に彌勒忠史さんの歌声により
カウンターテナーの素晴らしさをあらためて実感した次第。
出演者と演奏曲を記した後、感想を記す。

 出演者

小川里美(ソプラノ)、鳥木弥生(メソソプラノ)、

彌勒忠史(カウンターテナー)高田正人(テノール)、

与那城敬(バリトン)、清水のりこ(エレクトーン)

 曲目

1.ビゼー 歌劇「カルメン」より「闘牛士の歌」by 与那城敬

2.ドリーブ 「カディスの娘たち」by 小川里美

3.モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」より
   「恋とはどんなものかしら」by 彌勒忠史

4.ビゼー 歌劇「カルメン」よりハバネラ「恋は野の鳥」
                       by 鳥木弥生

5.ヴェルディ 歌劇「仮面舞踏会」より
   「あの草をみつけて~私があなたのそばにいます」
                by 小川里美&高田正人

 (休憩)

6.オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」より
  舟歌「美しい夜、おお、恋の夜よ」by 彌勒忠史&鳥木弥生

7.プッチーニ 歌劇「トスカ」より「星は光りぬ」by 高田正人

8.ヘンデル 歌劇「リナルド」より「私を泣かせてください」
                by 彌勒忠史

9.マスネ 歌劇「ウェルテル」より
      手紙のアリア「ウェルテルよ、誰がいえましょうか」
                by 鳥木弥生

10. ロイド・ウェッバー「レクイエム」より「ピエ・イエズ」
                by 小川里美&彌勒忠史

11. ヴェルディ 歌劇「ドン・カルロ」より
  「あなたは王妃を愛している!~恐れなさい、偽りの息子よ」
          by 高田正人&与那城敬&鳥木弥生

アンコール
1.ヴェルディ 歌劇「ドン・カルロ」より「友情の歌」
               by 高田正人&与那城敬

2.プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」より「花の二重唱」
               by 小川里美&鳥木弥生

3.ヴェルディ歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」by 全員

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オープニングはプログラムで予定されていた「セビリアの理髪師」
からのアリアを変更して与那城さんが「闘牛士の歌」で勢いを
つけ、次いで、小川さんが「カディスの娘たち」で魅惑的な声を
披露した。

小川さんはメゾからキャリア(勉強)をスタートさせた後、
ソプラノに転じたと記憶しているが、この歌でも中音域では
メゾらしい質感を感じさせてくれた。

そして、この日、最も新鮮な印象を与えてくれた
カウンターテナーの彌勒さんの最初の曲として歌ったのが
「恋とはどんなものかしら」。
第一声から、「あ、モーツァルトはケルビーノの声を、
 正にこういう声でイメージしていたのではないか」
と想わせるほど、鮮烈で素晴らしい歌声だった。

次いで、鳥木さんが得意とするハバネラをこってりと聴かせて
くれた後、

ヴェルディでは、まず小川さんの表情豊かなソロに続き、
高田さんとの圧巻のデュオを聴かせてくれた。
高田さんは声量、気迫とも堂々たるもので、過去何度も
聴かせていただいた高田さんの歌声の中でも最も印象的な歌唱
の1つと思った。
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休憩後の後半。
2人ともどちらのパートも歌える舟歌を、途中から
彌勒さんが下のパートとして美しくハモった。

高田さんによる「星は光りぬ」は、カヴァラドッシの慟哭、
詠嘆を、暗くというよりは、劇的に格調高く歌われたが、
これは高田さんの声が基本的には明るいトーンが基盤にある
ことから、そう思えたのかもしれない。

そして、この日、彌勒さんのソロとしては2曲目の
「私を泣かせてください」は深い余韻を伴うしっとりとした
名唱で、胸がジーンとしたのだった。

鳥木さんによるウェルテルの手紙のアリアはフランス語による
語感がステキで、情感もたっぷりとしていて見事だった。

そして、清らかさがホールを満たした小川さんと彌勒さんによる
デュオ「ピエ・イエズ」は、この日の白眉とも言えるほどステキ
だった。

そしてダメ押し的な圧巻は、プログラム最後に置かれた
「ドン・カルロ」からの三重唱。聴衆から大きな歓声が飛んだ。

この雰囲気のまま、アンコール1曲目は、そのまま
「ドン・カルロ」から有名な「友情の歌」のデュオ。
もちろん高田さんと与那城さん。

次いで、「蝶々夫人」からの有名なデュオを小川さんと
鳥木さんが花びらを舞い散らしながら歌い、
最後は全員で「乾杯の歌」を~歌う順番を争うかの
ギャグ(コント)的芝居を交えながら~歌って
この日の企画としても見事なガラ・コンサートを終えた。
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最後になったが、清水さんによる演奏は毎回素晴らしく、
この日もオケの個々の楽器の特徴がとりわけよく出ていた
のがハバネラや仮面舞踏会、舟歌やトスカ、
ドン・カルロ等々、いや結局全部なのだが、
一人オーケストラとして歌手を見事に支えた。
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終演後のロビーはファンと出演者でごったがえしており、
タームオーバーの声が会場関係者から出たため、
出演者の皆さん全員とは写真撮影はできなかったが、
小川里美さん、鳥木弥生さん、彌勒忠史さんには撮影
させていただいた。
https://www.yamahaginza.com/hall/event/003517/

2018年11月11日 (日)

コジ・ファン・トゥッテ~日生オペラ~歌を邪魔する幼稚で最低の演出~演出家は主役ではない~メゾの高野百合絵さんは「発見」の逸材

有名な「風よ、穏やかに」の三重唱はとても素晴らしかった
にもかわらず拍手が起きなかったのは、
聴衆がそのタイミングをうかがい損ねたというより、
それまでの奇抜過ぎる設定、演出に戸惑った状態が続いて
いたからだと私は感じ、想像した。
凍りついていたから、とまでは言わないが。

舞台で使われたアイテム、グッズの一部は
「宇宙服」、「ロボットキャラ」、「洗面所とトイレ」、「卓球台」、
「日本の祭りのハッピ」等々。
来場されていない人がこれらを見て「コジだ」を言い当てる人が
はたしているだろうか?

歌手の皆さんは後述のとおり全体的にとても素晴らしかった。

オペラは第一に歌手が主役で聴衆を楽しませるものだ。
そしてオケと合唱がそれを支え、指揮者が全体を束ねる。
にもかかわらず、
もし、演出家が「自分が主役だ」と勘違いするとどうなるか?
この「コジ」はその典型、象徴のような公演だった。

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日生劇場開場55周年記念公演モーツァルトシリーズの
「コジ・ファン・トゥッテ」を10日、同劇場で観た。
主催・企画・制作=ニッセイ文化振興財団(日生劇場)。
台本はロレンツォ・ダ・ポンテ。

演奏会形式で聴きたかった。
もっと音響の良いホールで聴きたかった。
演出は想像以上にヒドかった。
ただし、素敵な演出も一部あったので、
これに関しては公平に後述する。
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私のようなプロ評論家でもないイチ音楽ファンが、
オペラの感想を、演出の批判から書かざるを得ないのは、
それ自体オペラにとって不幸なことだし、
せっかく素晴らしい歌を聴かせてくれた歌手の皆さんに
対しても、申し訳ないと思うが、
感想は常に正直に書きたいので、やむを得ない。
お世辞や遠慮で書いても意味は無いので。

歌手の皆さんは歌だけでなく、
各場面の長いレスタティーボもイタリア語で見事に演じられる
レベルに対して、演出のテイタラクさはどうだろう。

「歌手のレベルアップに演出家は全く追いついていない」
という私の確信が一層強まった。

今回の演出は、フィオルディリージとドラベッラを人工知能を
持つアンドロイドとし、男たちが自分たちで作ったそのAI女子の
心の変化を試すという設定、とのことだが、それ自体理解に苦しむ。

冒頭に記載した舞台衣装やグッズ等に加え、雑多な部屋と
階段と柱程度の殺風景なセットの入れ替え、
ゲーム的な映像等々、何でもかんでも入れ込んだ、
ゴッタ煮過ぎる舞台。統一感の無さ。
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このオペラは男女の移ろいやすい感情の機微、
駆け引き等を軸に置いたものだが、今挙げた材料を
必要とするだろうか?
男女というより、人間(と見做す者)の心、ロボットが心を
持ったとき、それを信じられるか、というテーマ設定というが、
それゆえ、肝心な生身の男女の心の機微が出てこない。

実際、ほとんどただのドタバタ劇の様相を呈して進行して
行った。

敢えて失礼な例えを演技に限定して言うと、
「お笑い芸人が舞台で笑わせているのに、
 観客は誰一人笑わない」
という空気がホール一杯に漂う舞台。

ゆえに関心はひたすら歌にしか行かない。
いや、その歌さえも幼稚な演出が邪魔をする。
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ベートーヴェンが「軽薄すぎる」と言い、
ハンスリックが「知性を欠く」と評した物語は、
逆説的に言うなら、プログラムに岡田暁生氏が書いている
とおり、
「この恋人交換物語こそ、モーツァルトのオペラの中でも
 最も深く哲学的で、人の心の底知れぬ闇に切り込むものだ
 と確信」という言及に賛同した場合、

あるいは、このバカげた喜劇こそ、人間の心の難しさを
描いた傑作と考えた場合、

そして、作曲家史上、ほとんど唯一この作品を評価した
R・シュトラウスが
「レスタティーボが素晴らしく丁寧な作品。感情の虚実の
 表現が素晴らしい」、と絶賛したことに賛同する場合、

今回の「男女というより、人間(と見做す者)の心、
ロボットが心を持ったとき、それを信じられるか」
という軸足では、肝心の「男女の心の綾」が薄れてしまう。

そう、この演出の最大の欠点は
 「セクシーさの欠如」だ。

デスピーナに第二幕でセクシーな恰好をさせようと、
それで全体がセクシーな質感になるわけではない。
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演出で唯一気に入ったのは、
フェルランドが第一幕と第二幕で歌うそれぞれにおいて、
フィオルディリージとドラベッラが映画スクリーンのように
映し出されるもの。

第一幕では、海岸に2人がいて、
ドラベッラの高野百合絵さんがニコやかに小踊りするような
スローモーション映像。
フィオルディリージの嘉目真木子さんは
正面はほとんど直視せず、憂いのある表情で
どこかを見ている、というもので、なかなか良かった。

第二幕は、1人ずつの顔のアップがスローモーションで
映し出された。
まず高野さん。屈託のない明るい笑顔で、本当に素敵。
次いで、嘉目さんは今度はカメラ目線でこちらを見つめるから
誰しも 「美人だなあ」、とあらためて思わざるを得ない、
魅力的な映像だった。

この2つの映画的演出は素敵で、この映像だけで
演出的には満足だった。
「あとは要らない」というところだが、加えるなら、
先述の「風よ、穏やかに」の三重唱ほか、
第二幕の幾つかのソロの場面でも落ち着いた雰囲気の
場面を作っていた。
あの路線で行けば良かったのに、と残念に思う。
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 歌手の皆さんについて

まずは、ドラベッラを歌った高野百合絵さんから。
今回初めて聴いたが、「発見」と言うべき逸材だと感じた。
まだ東京音大の大学院生だが、声量があり、
歌い回しもベテランのような余裕を感じさせて見事だった。

当惑した演出の続く第一幕にあって、
その雰囲気を払うかのような大きな拍手を最初に受けた
のが彼女が歌うNo.11のアリアだった。
第二幕も素晴らしく、No.28曲ではブラヴォーも出た。

嘉目さんとのデュオ曲No.4やNo.20も素敵だった。
今後益々活躍が期待できる。きっと売れっ子になるだろう。
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フィオルディリージを歌った嘉目真木子さんは
成長の著しさを示した。
ご縁あって、こんなに有名になる以前から存じているだけに
嬉しい。
一時期、トーンの彩りが少ない感じたこともあったが、
技術だけでなく堂々とした舞台度胸は頼もしい。

第一幕のNo.14曲では大きな拍手が起き、とりわけ、
第二幕のNo.25のアリアではブラヴォーも出た。

この役の複数のアリアは高音だけでなく、
メゾ範囲だろうと思うような低い音も出さなければならず、
しかも、その高低を瞬時に移行する場面もあるため至難の役
なのだが、しっかりとした歌唱で聴衆を魅了した。
堂々たるフィオルディリージだったと思う。
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フェルランドを市川浩平も明るく伸びやかなトーンで
とても良かった。
先述した女性2人のスクリーン画像が映し出される中の、
No.17とNo.27のいずれも美しいトーンで、良かった。
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デスピーナを歌った高橋薫子はさすがの巧さ。
声も上品だからトゲトゲしさがない。
特にNo019の歌唱は素晴らしく、大きな拍手を受けた。
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グリエルモを歌った加耒徹さんは第一幕のNo.15曲も
良かったが、特に第二幕が素晴らしく、
No.26曲では盛大で長い拍手とブラヴォーを受けた。
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ドン・アルフォンソを歌った与那城敬さんはソロよりもむしろ、
デスピーナとのデュオであるNo.22など、各場面での
重唱において要所をしっかり固め、締めていて、
アンサンブルの要としての役割を立派に果たしていた
と思う。
この役にしてはスタイリッシュ過ぎると感じた人もいたかも
しれないが、逆に言うなら、
それだけ与那城さんの個性がこの役に新鮮さを
持ち込んだ、とも言えると思う。
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最後に広上さんの指揮とオケは、第二幕が強弱の
メリハリがあって良かった。
全体として速めのテンポをとり、キビキビはしていたが、
では心底、愉悦感をオケから感じられたか、というと、
それほどの魅力は感じなかった。
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指揮  広上淳一

管弦楽 読売日本交響楽団

合唱  C.ヴィレッジシンガーズ

演出  菅尾 友

ソリスト           10日     11日

フィオルディリージ  嘉目真木子  髙橋絵理
ドラベッラ        高野百合絵  杉山由紀
フェルランド      市川浩平    村上公太
グリエルモ       加耒 徹    岡 昭宏
デスピーナ       高橋薫子    腰越満美
ドン・アルフォンソ   与那城 敬   大沼 徹

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ご参考情報
他の人で、演出を批判的に書いている人
私より具体的に指摘し、私以上に厳しい論調。
https://blog.goo.ne.jp/francescouno/e/f57aed0f0e3ed0385e87117f527edbdf


11日のコジの公演を観た人の感想「好みでない演出」
http://yuichi-higuchi.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/post-bf56.html

2018年11月 8日 (木)

コジ・ファン・トゥッテは傑作~ベーム1962年盤

今月の日生劇場でモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」に
備えて、久しく聴いていなかったCDをスコアを見ながら、
あらためて勉強じゃないけど、聴き直している。

物語のバカバカしさに反比例して、なんという素晴らしい音楽
の連続、圧巻の音楽だろうか。
これはオペラ史上においても、アンサンブルオペラという特徴を
最高度に生かした傑作と言える。

第一幕第4場やエンディングに向かう第二幕第4番のいずれも、
旋律、拍子、調性、リズムがめくるめく変化しながら推進して
いく迫力に圧倒される。
声部もオケも一体となった交響曲。
シンフォニックな点では「フィガロ」以上の充実とも言える。

「フィガロ」はソロ主体の名曲オンパレードという要素が強いが、
コジは重唱、アンサンブルに特化したとも言えるオペラ。

もちろん「フィガロ」も管弦楽と重唱の1つのピークは第2幕の
エンドに向かう七重唱にあるし、第4幕では、第1幕と第2幕の
ドタバタ要素だけでなく、力感あるドラマと音楽による展開には、
いわば形而上学的なまでの内的な説得力を有するものとして
提示される、というシンフォニックな要素はたくさんあるけれど、
「コジ」の声のアンサンブル、声とオケのアンサンブルの
愉悦と迫力は「フィガロ」を上回る。

「コジ」は喜劇なのに堂々とした作風というのは、
ハ長調を基調としていることも関係しているかもしれない。
そう、ちょうど「マイスタジンガー」がそうであるように。

このオペラのついて書いている2つのブログを発見した。
2人の文にとても共感する。

 1人はこう書いている。
「6人の歌手が名旋律にのせて織りなすアンサンブルの美しさ、
 精妙さ、劇的なハーモニーをたっぷり堪能することができる。
 モーツァルトのオペラの中で、これほどまでに重唱の粋が
 味わえる作品はほかにない。
 6人それぞれが重要なパートを担っている。
 この劇に脇役は存在しないといってもいい」
 (音楽・映画・文化評論サイト「花の絵」)

もう1人の東賢太郎氏はこう書いている。
「あの息もつけない第1幕のフィナーレをきいて感きわまって
 しまい、どういうわけか悲しい曲でもないのに涙が止まらなく
 なった。今でもそこは冷静でいられない。
 音楽の奇跡を示すものをあげよといわれれば、
 僕はまずあそこをお示しすることになるだろう。
 僕が認知症で何もわからなくなっても、このオペラを、
 それもあそこを聴かせてもらえばきっと喜ぶはずだ」

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録音では、ベーム指揮の3種のうち、1962年盤だけが
ウィーン・フィルではなく、フィルハーモニア管弦楽団なので、
そのことから「ウィーン情緒が足りない」という人もいるが、
もともとウィーン情緒がどうという作品ではなく、
男女の心の奥底を~ベートーヴェン的には許しがたい内容
ながら~描いた、ある意味シビアな皮肉な作品でもあるから、
この作品に思い入れがあったというベームの堂々とした演奏は
作品に相応しく、1962年盤もとても立派な演奏だ。

ただ、私にはシュワルツコップのフィオルディリージは、
この役の私のイメージからすると立派過ぎる、
重たすぎる感じがする。でも、さすがの歌唱ではある。

むしろ、デスピーナを歌うハンニー・シュテフェックの声が、
ベームの指示だろうけれど、少女のような声なのが面白い。

ドラベルラ役にクリスタ・ルードヴィッヒ、
フェルランドがアルフレード・クラウス、
グリエルモがジュゼッペ・タッディ、
ドン・アルファンソがワルター・ベリーという贅沢な配役。
声のアンサンブルオペラに相応しい重厚な配役だ。

2018年11月 5日 (月)

チャレンジする人を応援する~沖澤のどかさんの場合

10月14日、東京国際音楽コンクールの指揮部門で
1位と齋藤秀雄賞を得た沖澤のどかさんとは、
武蔵野合唱団在籍中に面識を得、指導も受けた。
私が退団後も、彼女の指揮するコンサートは何度も聴きに
行っている。
今年もオペラ「ヘンゼルとグレーテル」と、
やっとかめ室内管弦楽団のコンサートを聴いた。

武蔵野合唱団在籍時の4年くらい前だったか、
練習の帰りがたまたま一緒になり、吉祥寺から都心に
向かう中央線内で~たぶんそのまま継続して山手線内でも
 ~私は沖澤さんとずっと話しながら、語り合いながら帰った。

いろいろ話したと思うが、1つだけ鮮明に覚えているのは、
沖澤さんが指揮者という仕事について、

「一生をかけて取り組むに値する仕事だと思っています」

と言い切ったことだ。
車中だから淡々と控えめな口調だったとは思うが、
その力強く迷いの無い言葉が、とても爽やかで
逞(たくま)しい意志表明として、今も私の記憶の中に
強く在る。

チャレンジし続けないアーティストはいないだろうが、
それでも諸事情で断念せざるを得なかったり、
教職や家庭に比重を置く選択をせざるを得ない人も
いるだろうし、それはそれで各人の人生だと思う。

ただ、ファン心理としては、やはりオーディション等、日々、
地道にチャレンジしている人を、より強く応援したい、
と思うのは自然な感情で、人情だ。

それは、アーティストに限らず、どんな職業の人にも
様々な問題に日々直面し、濃淡はあっても、迷い、
乗り切ろうとする頑張りはしているものだから、
単にアーティストその人(および、その仕事自体)への
憧れだけでなく、生き様への共感と応援を含めて、
チャレンジしている人の姿や状況は、関心を抱いて
さえいれば、情報も含めて感じ取れるからだ。

若い沖澤さんにも、今後様々な局面が待ち受けて
いるだろうが、指揮者という仕事を
「一生を賭けて取り組むに値する仕事」
と覚悟を決めている彼女なら、きっと喜ばしい道を
歩んでいけるに違いないと思うし、
これからも応援していきたいと思う。
https://www.facebook.com/pg/ConductingCompetition/photos/?tab=album&album_id=571050499982371&__xts__%5B0%5D=68.ARDo-OW5BOyOe-Hg0ze83_uU6cdw1L3zSulKOYjpux2MNyxd5hLH6TP3g-L8xqFxCQBFgXf3EzOD8ak1iK9o8d5K_fuw6StpvBDo_Nt9xpiI1gXqPLUzWP0RG-q9WPdt80UaLi9R3ku7jBDZPXJ18iduv4NGpHBLUjZuhZxbVbeqfBuePUM6JrnWU9wVSEnvIEqsOSvebnPbym0TN2BLlWc&__tn__=-UC-R

2018年11月 3日 (土)

合唱団のソプラノの「ミ」の音程の悪さについて~合唱の不思議

私は先日の「千人」のような臨時編成の団も含めれば、
これまで7つか8つの合唱団で歌ってきた経験があるのだが、
そのほとんどの団で同じシーンを見ている。

それは、ソプラノパートが、五線紙の中の一番上のミ
 (2点ホ)の音で「低い」と指揮者につかまるシーンだ。
本当に、これまでほとんど全ての団でそういうシーンを見て
きたから、これは特定の団に限った現象ではないと思う。

実際、指揮者が指摘する前に、バスのパートにいる私は
 (私だけでなく、たぶん他のパートの多くの人も)、
その瞬間、ソプラノに対して「低いよ」と内心思うわけ。
「ミに上がりきっていない」のだ。
そのくせ、それより高い音、例えばそこから4度上の
ラ(A)とかだど、なぜか、あまりつかまらないから不思議だ。

なぜ、合唱団のソプラノの人たちは、
ミ(あるいはファも含めて)の音程が悪いのだろう?
ファに近づくのを意識して、それを避ける潜在意識から、
ミを低めにとろうとする意識が働くのだろうか?
「中途半端な高さゆえ、正確にとりにくい難しい音域、高さ」
なのかもしれない、と想像する次第。
つかまるたびに、
「まただよ、またかよ」と、いつも不思議に思う次第。

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これに関してフェイスブックでいただいたコメント

RHさん
毎回それを言い続けていますよ。
そこを直すとパーンと響くようになるのです。

FKさん
ソプラノの喉に起因します。ミとファの間あたりがちょうど
ヴォイスチェンジの場所になるため、最も不安定になり、
神経的にも辛いのです。
これをしっかり支えるにはやはり呼吸と腹筋ですね

MSさん
ミの法則はテノールにもかなり当てはまります。
とくに、ミの高さでエの発言は下がる確率が高くなり、かつ、
楽譜をめくった最初の小節にミの音でエの発音の言葉が出て
くるとたいがい下がります。
めくった最初の小節は要注意とM合唱団のテノールの
リーダーの時に言い続けました.。

RHさん
ソプラノとテノールは大変なんですよね。
でも調律するように直して、きちんとした意識を持って
もらえばだいじょうぶですよ。
僕はいつも 「重力の法則に負けないように支えて」
と励ましています。

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