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2015年2月28日 (土)

映画 「くちびるに歌を」~激しく推薦します

「人は誰でも事情を抱えている」(伊集院静)。

障害を持つ兄がいる桑原サトル少年
 ~この役を演じる下田翔大が抜群に良い。
   久しく見なかった純朴さだ~。

恋人の死以来ピアノが弾けなくなり、故郷に戻り、
出産を控えた友人(木村文乃演じる松山先生が良い)の
代わりに、一時的に中学校の音楽教師を引き受けた
 柏木ユリ=新垣結衣。

ぐうたら父に棄てられた合唱部部長の仲村ナズナ(恒松祐里)、
 等々。

気乗りのしないまま「適当によろしく」合唱の練習を
無言で見るユリは、しかし、1人1人の合唱に関しての
特徴や欠点を既に見抜いているし、
彼女目当てに入部した男子生徒を「動機が不純だ」と
女子部員が怒っていると身重の松山先生が言うと、

 「何がきっかけでも、それで音楽と出合えたなら、
  それでいいじゃない」

と理を言える感情は消えていない。

兄を優しく補助するサトル少年とその兄の姿に、
しだいにユリの感情に潤いが生じてくる。

サトルの歌の才能を生かそうとサポートもする。


全編ほとんど笑わない新垣結衣が良い。

カットによっては信じ難いほど美しく際立つ。
彼女が主演する作品は「ハナミズキ」といい、海や街が
美しい作品が多いのは偶然だろうか?
新垣の持つクールさと温かさが、都会であってもその表情を
くっきりと浮かび上がらせ、自然の中では正に自然に美しさが
煌(きら)めくのは沖縄出身という海を背負っているかの様な
佇(たたず)まいからなのだろうか?

この映画でのクールさは徹底していてそこが良い。
しかも、クールでいて、常に生徒のことを考え、活かそうとする。

例えば、サトルが本当は合唱をやりたいのに、
父親から「アキオ(兄)を放っておいて何をやっていた!」とか、
「合唱なんか止めとけ!」とか言われ、部活により兄の面倒を
全面的に見れなくなることを非難され叱られたことで、
ユリに「先生、僕、部活、辞めます」と言うと、クールに見つめて、

 「本当にそれでいいの?」…「君が決めたの?」、と言い、
サトルが、「はい」と答えると、ユリ=新垣は
 「わかった。じゃ何も言わない」と言って車を走らせるのだ。

しかし木村多江演じる母親が
 「部活やりなよ。サトルが人に頼むのって、初めてだものね」
との理解により合唱を続けることになるのだが。

また、1人歌って練習するサトルの声を聴き、姿を見ると、
部活時、彼にソロを歌わせて、部員からスゲーッと
褒められ嬉しがり、自信を得ていくそういうサポート、
育成をなにげに、サラリと行う役を笑わず演じる新垣が良い。


冒頭に書いたとおり、下田翔大が良い。
この少年の純朴さはこの作品全体の純朴さを象徴している
と言えるだろう。
サトルが兄に対する思いを正直な部分も含めて
15年後の自分に宛てて書いた手紙が泣かせる。
この映画の最初の最も感動する逸話だ。

このことに関しても、サトルがユリに
「先生、あの手紙、読んだでしょ…ぼく…」と何か言いかけたとき
「もういいよ。わかった」と答える。
一見冷淡に想えるがそうではない。
 「君の兄に対する正直な思いはよく解ったよ」
と言うことだと想う。
この「一見クールだが実は君のことは考えている」
というユリのシーンがとても多いのがこの映画の特徴なのだ。

ユリは15歳のとき、
「ピアノで、音楽で人を幸せにしたい。音楽は人を救える。
 15年後はあなたのピアノで誰を幸せにしていますか?」
と書いたが、自分の演奏会に来るよう急(せ)かせた為に
交通事故死した恋人への罪悪感からピアノが弾けなくなったユリ。

ピアノをなかなか弾けない彼女の背中を押し、
演奏に向かわせたのは、父に、自分が置かれた環境に絶望して
泣いた仲村ナズナ部長の心の内を知り、
ナズナの心の叫びを聞いたからだった。

ドの符号~ベートーヴェンの「悲愴」の第2楽章の冒頭を
弾き始めるユリ。
ド(C)はこの楽章の変イ長調の(異動音で読む)ミ。

ナズナの悲しみを慰めよう救おうという気持ちが、
鍵盤にもう一度指を置く勇気を得て弾き始めたユリ。
それはナズナへのエールであると同時に、
自分への鼓舞、エールであった。

終わり近くのシーンでユリはナズナに言う。
 「逃げるな! ハルコも今 闘っている。
  あなたもここで闘いなさい。
  逃げたら人を救えないし、救ってもらえない。
  それを教えてくれたのはあなたでしょ。
  私はもう逃げない。私も闘う」

サトルの兄で自閉症のアキオ役の渡辺大地も上手い。
彼は最後に「主役」になる。

恒松祐里が良い。他の少年少女もみな良い。

合唱のレベルも作品に耐え得る一定の水準で作られている
のがリアルで良い。
映画「うた魂」も内容は良かったが、あの作品の唯一の欠点は、
合唱の実レベルが素人の域内にあったことだった。

しかし、この作品は一定のレベルで歌え、演技が巧い
少年少女が集まった点が強い。
これだけで既に作品の頑丈な基盤ができている。
中学生の合唱部の練習と歌声がリアルで、
すなわち自然なのだ。

もっとも、キャスティングは
 「歌のうまさというよりはキャラクターが役柄に合うか、
  島の子どもということを感じさせるか」という点を重視して
オーディションを行ったと三木孝浩監督言う。

結果、歌が苦手な子から、音大付属中学の声楽科に通う子まで
と様々な少年、少女が選ばれ、
都内の強豪合唱部に半年間体験入部して特訓してきたという。

よって、念の為に付記する必要も無いが、
合唱は「吹き替えではない」。
これはプログラムに掲載された三木監督へのインタビューで
「歌のうまさだけ考えたら、コンクールの本番シーンとかは
  声を差し替えることもできましたが、そうしなかった」
と明言している。
「(撮影の中で)実際に合唱の練習していって、
 その成長映像に焼き付けられたらいいな、と」

中学生男子の子どもっぽさと、女生徒や
新しい若い音楽教師への好奇心の描写も面白い。
「風とスカート」に関する「秘密の場所」における
サトルを巻き込んでのにシーンや、
職員室を覗(のぞ)いて、新垣が右耳にかかる髪を
軽くかき上げたときの後ろからの横顔を見て、
「おぉ~っ」とどよめくのが面白い。

しかも、その男子生徒の秘密の場所は(後段では)いつしか
男子生徒の発声自主練習の場所となり、
こっそり覗く男女は逆転する構図も素敵なショット、カットだ。


長崎 五島市の海と岬と街が美しい。
生徒2人が下校する夕暮れのシーンや、エンディングの字幕が
流れていくところでの青い海や島々の映像は、
息を呑むほど美しい。
舞台設定(ロケ地の選択)が作品の成功に大きく寄与している。

この、否が応でも信長貴富さんの合唱曲を連想させるタイトルの
映画は、アンジェラ・アキさんのヒット曲
 「手紙~拝啓 十五の君へ~」
で大きくくくられる。

これはNHKで放送された、アンジェラ・アキさんが
五島列島の合唱部を訪ねたドキュメンタリーを見て
感動した中田永一氏の原作による。


そして合唱コンクールの後のロビーでの合唱。
この作品の最も感動的なシーンだ。

会場内で騒ぐ事を父親が懸念して中に入れずロビーに
居させられたアキオが、「歌、まだ(なの)?」
 「歌、まだ(歌う順番じゃないの)?」
と訊ね、生徒たちが、
 「え? 聴かなかったの?」と驚き、
劇中、合唱部の勧誘プレゼンとして中庭で歌われた歌
 「マイバラード」がアキラのために、生徒たちにより
  ~それは最終的には他校の生徒を交えて~
  歌われるという観る者全てが涙するに違いないシーン。

「最後に主役になる」と書いたとおり、
歌によるアキラへの最高に温かなプレゼントがなされる。

この、アキオのために歌うことを促したのも
他でもなくユリ=新垣なのだ。

この映画がやはりこの兄弟を主軸にして展開したことが
あらためて解るこの作品の最も感動的なシーンだ。

「One for All」が合唱なら、ここでは正に
「All for One」としての歌が合唱される。

正に「音楽は全ての人のためにある」のだ。


ラスト。船で島から元の生活の場に帰るユリ。未練の源だった
ケイタイに残された彼の最後の言葉を消去して思いを断ち切る。

汽笛はCではなくC♯が響き彼女が「ド シャープ」と言う。
ステージは一段上がったのだ。

見送りに来た生徒たち。クールを通してきたユリもさすがに
感極まりそうになるが、
 生徒らは言う。「笑って」。

「笑って」の言葉は、松山先生が日ごろから言い、
コンクールのステージではユリが発し、
そして最後のこの別れのシーンでは生徒たちが発した。

そう、彼ら彼女らはユリ臨時先生により確実に成長したのだ。

ユリのエンディングにおけるナレーション
「私は一人ではないし、あなたたちも一人ではない。
 それは(大嫌いだったはずの)あなたたちが教えてくれた
  とても簡単で大切な事です」


それぞれ抱えた事情があっても、いやそうした困難が
あるからこそ、音楽がそれぞれの人生に必要なたいせつな
物となる。人と人を結びつける。

音楽はそうした困難を乗り越え克服するものである、とは
敢えて言わない。
けれども、音楽がその人を勇気づけ、一歩踏み出す勇気を
与えるキッカケにはなり得る。

音楽自体が独立して奇跡の産物というわけではない。
人間1人1人の存在こそが奇跡なのであり、
それゆえ音楽が微笑みを与え、人と人の心に通い、心を潤し、
心から心へ繋(つな)ぐ架け橋になる。

この映画はそれをあらためて強く感じさせてくれる。

これまで合唱に関係した映画は海外作品も含めて
10作近く観たかもしれないが、
この作品はその中でも最高傑作と激賞したい。

この作品を観ないのは人生における大きな損失と言い切れる自信
がある。
劇場を出て、通路横で身支度をしていると、
出て来た中年の夫婦が
 「映画を観てこんなに泣いたのは久しぶりだ」
と語り合っていた。

私もそうかもしれない。
激しく推薦します。

2012年12月30日 (日)

30日の映画館 ~「若者が大勢」は歓迎

30日ともなれば映画館の客入りは多少少なくなっているかも、
という推測は甘かった。
どしゃぶり大雨の中、2か所に行ったがいずれも若い人達中心
にとんでもないほど大勢でごった返していたので、
観たい映画を希望する時間帯では観れず、
パンフだけ数冊買って帰った。

でも、若者達が劇場にたくさんいる光景はなかなか良いもの
かもしれない。
休日に1人でスマホというシーンは寂し過ぎるだろうから。

2011年10月 5日 (水)

「原発をつくった私が、原発に反対する理由」  菊地洋一 著 (元GE技術者) 角川書店

当然ながら原発や放射能に関する著作本がこのところたくさん出版
されている。
これまた当然ながら、そのほとんどが「原発は不要」とする内容
であり、放射能汚染に関する詳細な記述である。

後者においては、3.11以後の書かれたものについて共通する
事項の1つに、
 「大震災と原発事故直後からよくTVに出て解説していた人の
  あの内容がいかに杜撰(ずさん)で、適当な誤魔化し、
  いい加減さに満ちていたか」
という点に言及している点がある。
この本でも、たびたび著者はそれに言及している。

この本の著者は1941年に岩手県釜石市に生まれ、縁あって
1973年にGE、すなわちアメリカのゼネラル・エレクトリック社に
入り、同年から1980年にかけて、東海第二原子力発電所と
福島第一発電所の建設に携わった人である。

「はじめに」と題した前書きにも、
 「三陸の人間は地震と津波を直結して考える。明治29年と
  昭和8年の大津波の話は(自分の世代では)誰でも知っている」
と述べている。

原発製造に携わるうちに、
 「こんなものが安全であるはずがない。いつか大事故が起きる」
という危惧を抱き、それを確信するに至り、GE退社後は
しばらく沈黙を通していたが、

 「50歳を迎えたときに、それまでの生き方を180度変え
  「反原発」を訴えていこうと決めました。
  現場を誰よりも知っているからこそ、自分がやらなくては
  いけない。
  自分の責任から逃げ回るのはもうやめようと思った」

として、既に1990年代から各地を歩いて、反原発の講演などを
行ってきた人である。

以下は、本の中からとりえわけ重要な、あるいはショッキングな、
印象的な部分を紹介させていただく。

原則的には漢字を含め表現はそのままだが、ごくわずか、
少し言い回しを変えたり追記したほうが判り易いかと思った部分は
私の表現に(ごくわずかだが)換えている。
また、文が登場する順番も必ずしも本文の(章などの)順番
どおりではない(前後している)ことも一応記しておきたい。


 「テレビ等で福島の状況を見たとき、その後の作業が
  いかに困難で、いかに長期に及ぶか、
  すでにどれほどの放射性物質が大気中に放出されているのか、
  それがどれくらい拡がり、汚染が長期に及ぶものであるか、
  ということが手に取るように分かりました」

 「原子力の専門家と称する人が登場して、原子炉のイラストを
  示しながらあれこれと説明していたが、どれも空虚で、
  ときには全く的外れで、しかも誰もが他人事のように話して
  いた。
  <心配し過ぎることはない>、
  <ただちに健康被害はありません>、
  そんな声を聞くたびに情けなくなってしまった」

 「イラスト自体もあまりにも単純過ぎだった。
  実際はもっと複雑なのに、ある人は格納容器の中は
  こうなっています、などと小学生が描いたマンガのような図を
  見せながら解説していた。
  しかし、いいですか、彼らの誰一人として原子炉はもちろん、
  格納容器の中になど入ったことがない人たちばかりなのです」


 「私は原子力の専門家ではありませんが、原子力発電所が
  どうやってつくられているのか、その細部がどうなっている
  のかについては、おそらく誰よりも自分の目で見て、
  それを知っていると思います。
  全体を見る立場で仕事をしていたからです」

 「原子力発電所というものはあり得ないくらい複雑な構造を
  持っています。そして全く未成熟な技術でできているのです」

として、以降、相当な量を割いて格納容器の内部について説明、
解説している。

 「福島原発の1~5号機の格納容器はGEが開発した
  「MARK1」と呼ばれる機種で、完成直後からGE内部でも
  安全性に問題があると指摘されてきた「いわくつき」のもの。
  GEの内部でも「稼働を停止する、しない」で激しい議論が
  起き、停止主張派の技師3人が一度に辞職した」

 「<MARK1>の弱点は一言で言えば内側からの圧力に
  対する弱さ。格納容器が小さ過ぎて、水素などが大量発生
  すると容器そのものがもたない。にもかかわらず、
  利益優先で「止めて点検」をほとんど行ってきていない」

 「建設前には「周辺住民の意見は重要です」などと言いながら、
  そんなこと全く考慮せずに建設する」


 「いったい原発には総延長何キロの配管がからまっているのか
  判らないほどの配管だらけの内部。先ほど述べた、
  「あり得ないほど複雑」ということです」

 「地震波と鉄骨の共振などが全く考慮されていないうえに、
  人間による作業ミスがいくらでも起こり得る状況」

 「原発で最も恐れるべき事故は<冷却材喪失事故>」

 「空中からのぶささがり構造は、原発の最大の泣き所」


 「建設時、支持装置を構成するハンガーや防振器の取り付け
  位置のもとになる計算方法、取り付け箇所の変更表示、
  移動距離が制限内かどうか、といった全てのことを
  正しく知っている人はほとんどいない。
  しかも、部材の設計、製造、機能テスト、施工、それらを
  行うのは全て別の人間、複数の会社。
  なので、全てを把握し、メンテナンス状況までを
  知っている人はおそらく皆無」


 「溶接の方法にも問題有り」

 「配管の内部に生じた突起。これを取らないと内部から
  破損する危険がある」

 「こうした欠陥配管の脆弱性について何度も改善を
  電力会社に求めて来たが、全く聞いてもらえないできた」

 「2003年に行われた全国の原発の再循環系配管検査では
  そこにヒビ割れ件数が全国の原発で計100以上あった。
  それでも<大丈夫です>という電力会社。
  電力会社は言う。
  「今さら交換できないし、ずっと注視しているから
   大丈夫です」、と」

 「国の定期検査のいい加減さ。1日稼働を止めたら
  1億円の罰金という中では、検査など国も電力会社
  双方とも「さっさと通したい(合格としたい)のだ」


その後は日本における原発の誕生のいきさつについて記された後、
作業員の被曝の実態について、現実の状況を書いている。


 「原子炉自体が恐ろしいほど高レベルの放射能物質」

 「作業員が防御服をいくら着用したところで、防げる可能性が
  あるのは(直接 放射性物質を吸い込まないなどの)
  内部被曝だけで、強い放射線を体中に浴びることは
  防げない。
  水垢は放射性物質の塊で、これを削り落とす作業は
  命がけの作業。短時間で交代しても被曝は避けられない」

 「しかも、こういう作業は下請け、孫請け、ひ孫請けの会社が
  (それも主に臨時に)雇った人に詳しい説明など受けずに
  やらせている。ホコリにも放射性物質が含まれているのに、
  暑さなどからマスクを外してしまう作業員が多いことは
  電力会社も知っている。
  だから作業員は皆、内部被曝をしてしまっているはず」

 「現場で事故が起きても<上>の会社には言えない。言ったら、
  「あそこの(孫請け等の)会社は外せ」ということに
  なってしまうから」

 「あるいは作業者がミスに気付いて上に進言しても、
  ひとりの意見では直せない。電力会社としては、
  やり直しを公にすることで信頼性を低下させたくないし、
  納期や予算の関係でそうさせない。このように
  作業員1人の「命」などまるで配慮されてはいない
 に等しい現場」


 「事故が無くとも、原子炉内の検査、格納容器の点検、
  配管の修理や取り換えなどを続けなくてはならない以上、
  作業員は全て被曝を続けることになる。
  原子力発電所があれば、そこには必ず被曝労働がある。
  こんな労働現場があってはならない」


 「GE退社後、全国の原発を調べ見て回ったが、
  「全ての原発が危険」と判った。
  特に急を要するのは浜岡原発。
  地震(予想)地帯のうえ、構造的に大きな問題がある」
  (この点についても筆者は本の中で詳細に説明している)


 「原子炉内の弱点は、直下型地震のエネルギーには
  絶対に耐えられない、という点だ。
  GEは原子炉の真下で直下型地震が起きて、基礎を上に
  突き上げてくるかもしれない、などとは考えていない。
  だから、アメリカでは一応地震多発地帯は避けて建設されて
  いるが、日本では役所も電力会社もそんなことを考慮せず、
  地震が多発すると予想されている地帯に平気で建てて
  しまった」

 「東海地震等により浜岡で大きな事故が起きれば、
  名古屋はもちろん、東京と大阪を含む広大な範囲で
  影響が出る。
  さらに、東南海地震、南海地震と南にいくに従い
  その3つの地帯全てに地震が生じた場合、
  四国と九州にある原発を含めた事故により、
  西日本全体が放射能影響地帯となる」


 「チェルノブイリ事故の死者が31人というのは直接的な人数。
  WHOの報告によると、被災した国は3か国、740万人。
  間連しているとされるガン死亡者は9000人以上と
  言われている。
  日本のJCO事故の際は2名が死亡。
  667人の被曝者を出している。こうした数字を無視して
   「あのときも健康や環境に影響は出ていなかった」
  などと言うのは悪質なウソ」

 「原子炉建屋は屋根が無いに等しい状態。だから、仮に
  テロリストがボーリングの球を落とせば簡単に壊れる。
  いやそんな必要もない。
  というのは、海水の取水ポンプを壊せば、
  今の福島原発と同じ状況になるから」


 「二酸化炭素を出さないクリーンエネルギーなどと
  よく言えたものだ。
  運転中の原子炉ではウラン燃料が核分裂を起こしながら
  毎日作り出されるプルトニウム、ストロンチウム、ヨウ素、
  セシウムなどの高レベル放射性廃棄物を出しており、
  それらの有害度は二酸化炭素の比ではない」


 「二酸化炭素を出さないから地球温暖化を促さないと
  いうのも大ウソで、原発は発生する熱量の3分の2を
  温排水というかたちで海にじゃぶじゃぶ捨てている。
  原発は地球を温暖化させているのです」


 「使用済み核燃料を処理する場が無い現実。
  再処理してから埋める、というが、再処理工場として建てた
  青森県六ヶ所村はとにかく結論が見えていない。
  「完成」などしようもないので、今、廃棄物をプールして
  いるだけ。
  ここが一杯になればそれぞれの原発施設内で危険な廃棄物も
  保存することになるのは時間の問題。これが今の現状。
  ゆえに原発は「ゴミ捨て場の無いマンション」とか
  「トイレの無いマンション」と言われる所以(ゆえん)。

  仮にどこかに処理して埋められたとしても、アメリカ政府は
  100万年監視が必要、と言っている。
  埋めるに際しては、ガラスで固め、ステンレス容器に入れる。
  更にこれを鉄の容器に入れて粘土で固めてから岩盤に埋める、
  ということだが、100万年の監視ができるのか?
  ステンレスと粘土が100万年もつのか?」


 「再処理後にまた発電に使おうとの発想で計画された高速増殖炉
   「もんじゅ」。「こんなものは危険過ぎてムリ」として、
  1984年の段階でアメリカですら開発製造を止め、イギリス、
  フランス、ドイツもとっくに研究を止めているのに、
  日本は1980年からいまだに「研究」を続けていて、
  年間の維持費だけでも500億円かかっており、
  これまでに総額約2兆5000億円使っている。

  1ワットも発電していない工場の建設に2兆5000億円
  かけている国など、世界に他に1つとしてない。
  2050年までに完成させるなどと妄想計画を言っている
  バカバカしさ」

 「プルトニウムを作りたがっている背景には原子爆弾が
  いつでも作れる、という政治的思惑もある」

ちなみに、この点は次のブログで紹介する山本義隆氏の本に
更に詳しく出てくる。


終わり近くで筆者は「地熱発電こそ、これからの日本に
一番相応しいかもしれない」とした後、こう書く。


 「原発ができて活性化した街など一つもありません。
  多少は雇用が増えて「息子が地元で就職できて良かった」
  という人はいるとしても、町全体が活性化した例はない。
  予算の4割とかに及ぶ補助金を得て立派なホールや
  施設を造っても、町はシーンとしている。
  大きな温水プールを作っても、
  そこに歓声をあげて遊ぶ子供たちの姿はない」

 「ときには町中が賛成派と反対派に分かれて憎しみ合う
  ようにさえなる。地域にウソがはびこり、
  人々の心がむしばまれてしまう」

 「放射線の被害というものは未来の子供たちを殺すことです。
  福島の事故で死者はまだ出ていないじゃないかと
  言う人もいますが、とんでもないノーテンキとしか
  言い様がない」

 「原子力政策で最悪だったのは、都合のいい情報だけを
  大量に出して日本人を洗脳して、ほとんど「バカ」にして
  しまったことです。だますほうは悪いが、
  我々もそろそろ国や電力会社が言うことを
  真に受けるのをやめるべきです」

必読の書である。

2011年10月 1日 (土)

児玉龍彦 著「内部被曝の真実」 (幻冬舎新書)

8月14日付けと8月26日で、
東大のアイソトープ総合センター長、児玉龍彦教授による
7月27日の衆議院厚生労働委員会での「怒りのスピーチ」
について書いた。

この本の中でも冒頭にその全文が掲載されている。
もちろん、そのほか詳細な解説や提言等が述べられている。
原発関連の本で現状 必読本はたくさんあるが、
この本も正しくその1冊である。

2011年9月19日 (月)

「さようなら原発 5万人集会」 9.19デモ

「さようなら原発 5万人集会」
この日は、大江健三郎さん、落合恵子さん、鎌田 慧さん、
内橋克人さん、澤地久枝さんらがネットなどで呼びかけて
プロジェクトとしてスタートしている

  「さようなら原発 1000万人アクション」 のイベント
  「さようなら原発 5万人集会」のアクションとして、

明治公園に集合してからスタートする大規模なデモ行進が
行われた。

実は私も参加しようと以前から思ってはいたのだが、
前日に久しぶりの合唱の定演に参加した関係で、
ノドというより足腰がキツかった、という情けない状態に入り、
いやそれよりも正直に言えば、演奏会後の酒宴での深酒
によりダウン状態で深夜に帰宅したことから、
とても午後2時までに千駄ヶ谷の明治公園に行けなかった
のだった。

もっとも参加した人によれば「すごい人数」で、
「行っても、どうしてよいか判んないくらいの状態だったよ」
とのことだが、結構なことだ。


私は今回のデモにこそ参加しなかったものの、
実は7月ころだったか、同プロジェクトがホームページ
  http://www.peace-forum.com/no_nukes/
で呼びかけていた1000万人署名活動(下記URL)には
参加済みで、
http://www.peace-forum.com/no_nukes/syomei/

  私は 次のようなメッセージを送信してある。

 「実質的に 原発戦略は終焉を迎えました。
  「ゴジラが上陸してしまった」のです。
  これまで、反原発論者は「変人」扱いや「危険思想者」扱い
  されてきたといいます。
  学界では、とっくに教授になっていてよい複数の人が
  いまだに助手たる「助教」として非人間的な差別を受け続けて
  きています。
  それがいまだに続いているという「貧困なる精神」たる状況が
  この国の現状です。
  また、これまで反原発論者は「非現実的な夢想家」と呼ばれて
  きたそうです。
  しかし、とうとう今回、これがウソであり、実は、
   「原発推進(論)者こそ、驚くほど呑気で無知で
    非現実的な夢想家だった」
  ということが紛れもない事実として判明したのです。

  原発を人間がコントロールすることはできません。
  それを廃棄する術すら未だ確立も発見さえも できていない
  というブザマな現状でなのです。
  福島の放射線は既に関西や九州にさえ飛来しています。
  それが現実なのです。
  「さあ、もう止めるときが来ました」
  みんなで声を大きく呼びかけていこうではありませんか」


また、下記URLの「賛同メッセージ」には、実に多くの有名人も
署名している。
http://sayonara-nukes.org/sandou/
http://sayonara-nukes.org/shomei/

以下、主だった人の名前を記すが、
これでも全体の3分の1くらいに過ぎない。(敬称略)

湯川れい子 (音楽評論・作詞)
暉峻淑子 (埼玉大学名誉教授)
宇沢弘文 (経済学者)
上野千鶴子 (NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長)
井出孫六 (作家)
大谷昭宏 (ジャーナリスト)
山田洋次 (映画監督)
河辺一郎 (愛知大学教員)
浅野健一 (同志社大学教員)
山口幸夫 (原子力資料情報室)
伴 英幸 (原子力資料情報室)
西尾 漠 (原子力資料情報室)
須貝純二 (東京草の根原水禁)
富山洋子 (日本消費者連盟)
武本和幸 (原発反対刈羽村を守る会)
小林 晃 (フォト・ジャーナリスト)
古川路明 (名古屋大学名誉教授)
西田 勝 (文芸評論家)
広河隆一 (DAYS JAPAN編集長・フォトジャーナリスト)
香山リカ (精神科医)
加賀乙彦 (作家)
中山千夏 (作家)
吉武輝子 (評論家)
雨宮処凛 (作家)
五十嵐 仁 (法政大学教授)
佐高 信 (評論家)
前田哲男 (評論家)
前田憲二 (映画監督)
大石芳野 (カメラマン)
宇都宮健児 (弁護士)
湯浅 誠 (反貧困ネットワーク事務局長)
中下大樹 (寺ネット・サンガ代表)
島薗 進 (東京大学教授)
森岡正博 (大阪府立大学教授)
青木新門 (作家・納棺師)
飯田哲也 (ISEP(環境エネルギー政策研究所)代表)
川野 浩一 (原水爆禁止日本国民会議議長)
西條節子 (元社会福祉法人藤沢育成会理事長)
小室 等 (フォークシンガー)
久田 恵 (作家)
山口二郎 (北海道大学教授)
池澤夏樹 (作家)
姜 尚中 (東京大学教授)
川名英之 (環境ジャーナリスト)
早坂 暁 (作家)
吉原 毅 (城南信用金庫理事長)
浮田久子 (原発を憂える会代表)
藤原寿和 (廃棄物処分場問題全国ネットワーク共同代表
鎌田 實 (医師、作家)
石川逸子 (詩人)
赤川次郎 (作家)
柄谷行人 (哲学者)
石牟礼道子 (作家)
色川大吉 (歴史家)
金城 実 (彫刻家)
中村敦夫 (日本ペンクラブ理事)
沢田研二 (歌手)

2011年7月31日 (日)

岩波新書は読みにくい

数年前からの新書ブームの中でも、老舗であるはずの岩波新書は、
①字体のインクの色が薄くて読み難い
②フォントも旧態然のままであり、もう少し大きめにすれば
  いいのに、と思う。

以上の点を同社のホームページ意見欄から投書したところ、
次のような回答があった。

 「このたびはご意見をたまわりありがとうございました。
  今後の編集作業において参考にさせていただきます。
  インクの濃さは印刷所によって、また実際には刷るその都度
  ちがうため、調整につとめてはおりますが、薄いものがあり
  ご迷惑をおかけしたのかもしれません。
  製作の際、今後さらに注意していきたいと存じます。
  ご指摘をありがとうございました。
  今後とも小社新書をどうぞよろしくお願い申し上げます」


なんだかんだ言っても、岩波新書は良い内容のものが多い。
善処をお願いしたい。

2011年5月20日 (金)

林 正子さんの推薦本~原発関連本等

ソプラノ歌手の林 正子さんが、自身のブログの4月5日付けで
原発に関する本に関し、次の2点を挙げて紹介している。

 1つはレイモンド・ブリッジズ 「風が吹くとき」

これについて林さんは、
 「子供のころに読んだ絵本を思い出した。子供心に、原子力とは
  目に見えないだけに、計り知れない恐怖を覚えました」
と書いている。


もう1つは、最近読んだものとして 

  「原発はなぜこわいか」 天笠啓祐 著 小野 周 監修
                  (高文研)

これについても、原子力とは何かを理解するところから始めたい、
という主旨のことを書かれている。
その真面目な姿勢に関心するが、もともと本が好きなことは確かで
例えば5月6日付けでは、「大好きな池澤夏樹さん」として
 「セーヌの川辺」や「異国の客」を紹介しているし、
他の作家を含めて、7点ほど紹介されている。

林さんはジュネーブ在住の人気ソプラノ歌手だから、欧州の文化を
たっぷり吸収されているだろうし、それだけでも貴重な生活環境
にあると拝察するが、しかし、異国の地にいればなおさら
日本の文化に強く惹かれてもいるのだろうと拝察する。

なんであれ、謙虚に勉強している姿勢という点は、
尊敬の念を覚える。

2011年5月12日 (木)

吉村昭 著 「三陸海岸 大津波」 (文春文庫) 今何を差し置いても絶対の必読本

これはまるで「今回の津波のことを書いているのではないか?」
と、私のように最近初めて読んだ人は誰もが何度も錯覚に陥った
はずだ。
書物というより、驚くべき記録である。例えばこうだ。

 「家屋も人の体も、その水に乗って激しい動きでさらわれて
  いった」

 「流てきた大きな材木にとりすがった」

 「裏山の山腹に帆船が、また20メートルほどの高地に
  カツオ船が打ち上げられている」

 「電線も道路も杜絶して救援隊もやってこない。(中略)肉親の
  安否を気づかって、かれらはあてもなく海岸をさまよった」

 「救援隊がやってきて、(中略)
  民間人の救援活動も目ざましいものがあった」

 「(諸外国から)慰問の言葉が多数寄せられた」

 「一家全滅した家は数知れなかった」

 「人々は無残な貧窮の中につき落とされた」

もう一度整理しよう。この書が上梓されたのは1970年である。
だから今の描写はもちろん今回のものではない。
今から115年前、明治29年=1896年の津波のときの様子を
著者が、1969年前後に、当時の生き証人からの証言や記録
から描き出したものである。

著者は「チリ地震津波」の章の中でこう書いている。
 「津波は自然現象である。ということは、今後も果てしなく
  反復されることを意味している」
 「自然は、人間の想像をはるかに越えた姿をみせる。
  (中略)大津波が押し寄せれば、海水は
  高さ10メートルの防潮堤を越すことはまちがいない」

この本では主に3つの津波について書かれている。
①明治29年、というより先述のとおり今や私を含めて多くの
 人は西暦のほうが判り易いだろう=1896年6月15日のもの
   死者26,360名
②昭和8年=1933年3月3日のもの 死者2,995名

③昭和35年1960年5月24日の(その前日に発生した)
  チリ地震による津波 死者105名

著者は上梓した昭和45年=1970年6月に「まえがき」で
次のように書いている。
 「私は何度か三陸沿岸を旅している。(中略)
  いつの頃か津波のことが妙に気にかかりだした。(中略)
  私は、むろん津波の研究家ではなく、単なる一旅行者に
  すぎない。専門的な知識には乏しいが、門外漢なりに
  津波のすさまじさにふれることはできたと思っている」


①明治29年=1896年6月15日の津波
ここでの描写は、3つの津波の中では一番古いものにも
かわわらず、「風俗画報」の紹介を含めた記述は詳細で
生々しく、読んでいて息苦しくなるほど臨場感がある。
土地の名も、今回私たちが否応なく知ることとなった、
多くの地名~志津川町、宮古町、大槌町、釜石町、気仙沼、
田老町、等々どんどん出てくる。

「豊な魚介類の資源」「消費地から遠いため運送という障害に
 さまたげられた土地」には、過去何度も津波が来ている。
その記録も紹介されているが、それによると主なものでも
1600年代からこんにちまで20ほどはある。ということは、
単純計算では20年に1つは来ていることになる。
実際、明治29年の記述は、予兆としてそれから更に40年前の
安政3年(1856年)に異様な大漁という似た状況が生じる
ところから書き出されていることが象徴的だ。

また、なぜこの地に津波被害が続出しているかについても
~私たちは今回の不幸な事態で既に知るところとなっては
いるが~もちろん説明されている。
いわく、海底地震多発地帯、深海のため地震によって発生した
エネルギーは衰えずに海水に伝達される、リアス式海岸のため
海水が奥に進むにつれて急速にふくれ上がり、
すさまじい大津波となる。
 「三陸沿岸は、津波に襲われる条件が地形的に十分に
   そなわっている」

田野畑村での体験談では、その地域で最終的に津波が
押し上げてきた高さは50メートル近かったのではないか?
という話も出てくる。
 「防潮堤の高さは8メートルで、専門家もそれで十分だと
  しているが、ここまで津波が来たとすると、
  あんな防潮堤ではどうにもならない、
  と村長は不安そうに顔を曇らせた」
という記述が、三陸沖と津波の関係性について多くを物語る。


②昭和8年=1933年3月3日の津波
 「私は三陸海岸が好きで何度か歩いている」
この章の冒頭に著者はそう書いている。
そしてその理由として、他の地方の多くの海岸が観光化
されたり工業地帯となっているのに対して、
 「三陸沿岸の海は土地の人々のためにある。
  海は生活の場であり、人々は海と真剣に
  向かい合っている」 からだとしている。

続いてこうも書いている。
 「海は人々に多くの恵を与えてくれると同時に、人々の生活を
  おびやかす過酷な試練をも課す。
  海は大自然の常として、人間を豊かにする反面、
  容赦なく死をも強(し)いる」、と。

そして、防潮堤は異様で「呆れるほど厚く堅牢」そうであり、
質素な家々に比べて「不釣り合いなほど豪壮な建築物」
であることに驚き、そうしたものを必要とするこの土地に
関心をもち、
「私が三陸津波について知りたいと思うようになったのは、
 その防潮堤の異様な印象に触発されたからであった」
と告白している。

測定の難しさ
この章では、各地に来た津波の高さが記録的にはどうであったか
について紹介している。
10メートル代から20メートル代の数字がならぶ。
そしてそれでも、地域によって
「津波の来襲の仕方が千差万別であるから、
 津波の高さを正確に測定することは難しい」
ことに言及している。

子供たちの体験記録としての作文
また、この章では前章とは違って取材した時期から
30数年ほど前のことということもあり、
当時子供であった生存者が当時書いた作文を多く紹介している。
子供らの作文は文脈や用語的には幼いが、それゆえ かえって
それぞれが生々しく、一瞬にしてついさっきまでいっしょに
暮らしていた家族や親族を失った悲しみと呆然自失とした感情が
率直に伝わってくるし、いかに一瞬にして人や家屋を飲み込んで
運び去って「一瞬の間に荒野と化す」かが伝わり、
あらためて津波の恐ろしさに慄然とする。

また、早朝の零下ということから、地震で目をさましながらも、
「大丈夫だろう」と再び布団に入った人は助からなかった
という事実も、今回の、時間帯は異なるが心理的なものと
逃げ遅れた関係性を連想させるのだ。


③異質なチリ大津波;昭和35年=1960年5月24日の津波
1960年5月23日午前4時10分(日本時間)に起きた
南米チリでの大地震で発生した津波は実に22時間30分
かけて1万8千キロ離れた三陸海岸に来た。
途中、ハワイで60名の死者を出している。
だから、「地震のない津波」という当地においても理解し難いもの
だった。
急激な波ではなく、「のっこ、のっこ」とやってきた津波は、
しかし、場所により、例えば大船渡市赤沢地区では
「電報電話局の2階でまで海水に没し、周辺の他の人家は
 すべて流失」した。


  著者は次の言葉でこの記録を終えている。
「私は津波の歴史を知ったことによって一層 三陸海岸に対する
 愛情を深めている。
 屹立した断崖、連なる岩、点在する人家の集落、
 それらは度重なる津波の激浪に堪えて毅然とした姿で海と
 対している。そしてさらに、私はその海岸で津波と戦いながら
 生きてきた人々を見るのだ。
 私は今年も三陸沿岸を歩いてみたいと思っている」


「あとがき」が2つある。文庫化に際してのもので、
いずれも興味深い。

最初の「あとがき」は文脈からすると1984年だろう。
 (しばしば訪れ愛していた)
「村人たちから津波の話をしばしば聞いた。
 美しい海面をながめながら、海水が急激に盛り上がって
 白い波しぶきを吹きちらしながら、轟音とともに岸に押し寄せ、
 人や家屋を沖へ運び去る情景を想像した」

もう1つは、再び文庫化にあたって 平成16年新春 とあるから
2004年の1月と思われる。
その3年前、岩手県、三陸海岸の羅賀(らが)のホテルで
津波についての講演をしているとき、こう思ったという。
 「沿岸の市町村から多くの人々が集まってきて、熱心に
  私の話を聴いてくださったが、話をしている間、
  奇妙な思いにとらわれた。
  耳をかたむけてくれている方々のほとんどが、
  この沿岸を襲った津波について体験していないことに
  気づいたのである。
 <明治29年6月15日夜の津波では、この羅賀に
  50メートルの津波が押し寄せたのです>と私が言うと、
  人々の顔に驚きの色が濃く浮かび、
  おびえた眼を海に向ける人もいた」(中略)


そう、これこそ今回の事態の本質に触れる点だろう。
さしものかの地も、実際に体験している人は激減していた
という事実だ。
言い伝えから避難訓練はしていても、チリ津波はともかく
明治29年はもちろん、昭和8年の津波でさえ実際に体験
した人(生き証人)は当地でさえごく限られた数になっていた
のだ。

 「私の手元に、1枚の古びた写真がある。
  海浜で蓆(むしろ)で全身をおおわれた遺体。
  その調査の旅でどなたかにいただいた写真だが、
  蓆の上には雪が附着していて、昭和8年の津波は
  3月3日だから、その折の写真にちがいない。
  今も三陸海岸を旅すると、所々に見える防潮堤とともに、
  多くの死者の声が聞こえるような気がする」

と結んでいる。
そして、残念ながら、今回、その「死者の声」は更に増して
しまったのだ。


三陸海岸を深く愛していた著者が亡くなったのは
2006年7月31日だが、もしご存命で今回の状況を
見ていたらと思うと様々な感慨を覚える。
 「ああ、とうとう来てしまったか」と嘆き、
 「ああ、取材のとき岩手県田野畑村の(当時87歳の)
  早野幸太郎さんが言った
  「津波は時世が変わってもなくならい。必ず今後も襲ってくる。
  しかし、今の人達はいろいろな方法で十分警戒しているから
  死ぬ人はめったにないと思う」
  というようにはならなかったのか。
  長い年月の中で、さすがの当地でも切実な緊迫感は
  薄れてしまうのだな」
と悔しく残念に思ったことだけは間違いないだろう。


解説
この本の解説で、作家の高山文彦氏が書いている。
大いに共感する内容なのでそれも少し紹介しておきたい。
 「田老をはじめとする三陸沿岸の人々が明治の津波についで
  なぜ昭和の大津波でも大きな犠牲を払わなければ
  ならなかったのか。これは悔いても悔いきれない、
  痛ましい事実である。(中略)
  (私も)田老を訪ねたことがある。(中略)
  20メートルをはるかに越える高さで押し寄せてくる大津波を
  この防波堤がすべてくい止めることができるはずがない。
  (中略)
  吉村氏は徹頭徹尾「記録する」ことに徹している。
  (中略)
  記録文学としての吉村氏の根幹を、本書は十二分に
  しめしている。卓越した記録者とは、記録することの
  叶わなかった人間の声ばかりか、草や岩や魚や水
  といった無言のものたちの声までも運んでこようとする。
  (中略)
  (本書は)未来に伝えられるべき、貴重な記録である」


最後に文芸春秋社は、この書=記録のことを敢えて大きく宣伝
しないとしたそうだし、実際、新聞紙の下段にある書籍の
紹介(宣伝)欄では「遠慮がちに」見かけるが、
「無用な遠慮」だと思う。むしろどんどん宣伝して欲しい。
 「今読まなくて、いつ読むのか?」と思う。

もっとも、宣伝しなくとも既に多くの人の知るところのようだ。
5月11日の日経新聞夕刊に比較的大きな欄で紹介されて
いたし、その2日前、9日の朝日新聞夕刊でも取りあげられ、
著者の奥様、津村節子さんにより、吉村さんが生前、
 「津波の被害を受けても、結局は海岸に街ができて
  しまうんだよな」
と話していたこと、増刷分の印税は被災地に寄付される
ことなどが紹介されている。

実はその前日8日(日曜日)の昼、詳細は控えるが、
著者のもう1人のご家族と大学時代から知己がある関係で
たまたまランチをごいっしょした際も、その印税寄付に
ついては伺っていた。

吉村昭さんが存命で今回の状況を見ていたらと想像すると、
大変失礼ながら、見れない状況となっていた現実が
著者にとって不幸だったのか幸いだったのか、
私には到底解らない。

けれど、繰り返しになるが、
三陸海岸を深く愛した著者により生前、これだけの詳細な記録が
残されていたにもかかわらず、それが生かされずに
多くの痛ましい犠牲者を出してしまったことが残念でならない。

2011年2月11日 (金)

充実の 「MOSTLY」 3月号 オペラハウス特集

小林沙羅さんのところでも書いたとおり、彼女のインタビュー記事
が掲載されている。ファンは必読だが、この号は、
「オペラの殿堂 世界15大歌劇場」と題して、
メトロポリタン・オペラ、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、
ロイヤル・オペラ(コヴェントガーデン)、パリ・オペラ座など
詳しく伝えている。

人気歌手へのンタビュー記事もある。
テノールのヨナス・カウフマンの「告白」は興味深く、例えば、
声の質について自分の考えや思いが固まらないでいたことや、
その後、やっと自分の意見が明瞭になってからも、
その考えと周りの意見、すなわち、自分の自身の声に対する
イメージが自分自身と自分を支えてくれるはずの周辺関係者
との間で長い期間ギャップが生じていて苦悩したこととか、
実に意外で興味深いことが述べられている。

また、佐々木典子さんへのインタビューでは、
「オペラ歌手になろうなどと思ったことはなかった」
と、想像もしない発言にとても驚いた。

オペラファンは特に必読の特集となっている。

2011年2月 9日 (水)

推薦本 「スマートフォン戦争」 福多利夫 著 マイコミ新書

実質的に2010年は「i Pad元年」であり、
「スマートフォン元年」だった。
もっともこの2種は「似通っている」のであり、それについては、
立入勝義氏著「電子出版の未来図」に詳細に書かれている
ので、それについてはまた後日書いてみたい。

日本での携帯電話が電話機能からメール、ゲームサイト、はては
「おサイフ」機能までに至った日本独自の「ケータイ」の歴史、
そしてそれとは概念的に対照的なものとして登場した
「スマートフォン」のこんにちに至る状況が時系列的に丁寧に
解説にされていて、とても勉強になる。

すなわち、1つは、日本人独特の高性能好みと国内市場首位を
争うがゆえのキャリア(携帯電話通信会社)によって開発されて
きた日本国内のみに対応するという意味の「ガラパゴス」化の
商品であるいわゆる「ガラ系ケータイ」の登場に至る歴史。
日本ではケータイとメール機能、インターネットアクセス機能は
「ごく自然に」結合されてきた。
しかし、それは「世界標準」とは異なる。

もう1つは、その「世界標準」の延長線にありながら、今度は
海外から従来の意味での携帯電話とは異なるコンセプトをもつ
「スマートフォン」、具体的にはアップル社の「アイフーォン」が
登場し、更に同社に対抗すべくグーグル社が開発した
オープンソース型のアンドロイドOSを搭載した携帯端末、
すなちスマートフォン用のOSとしてのアンドロイドを搭載した
機種を複数の会社が独自にデザイン、アレンジして発売
されるに至るその歴史。

そして「ガラ系ケータイ」と「スマートフォン」それぞれの
長短所が丁寧に解説されている。
それぞれ長所は多々あるが、私が直接知っているスマートフォンの
現時点での欠点(弱点)の1つに(既に多くの指摘があるとおり)
「メール機能が弱い」ということがある。
実際、先日もある人がアイフォンからメールを私あて送信した際、
私のPCは「化け文字として受け取った」、
すなわち<怪しげなアカウント>としてエラーとして弾き飛ばして
しまっている、という現象が生じたばかりなのだ。
まあ、これは近々修正されていくことだろうが。

携帯電話というよりパソコンに近い概念であり、何より、日本が
開発環境をクローズドにしたことと対照的にオープンにしたこと
により、スマートフォン最大の魅力と言ってよいアプリケーション
の軟な対応を可能とした「追加アプリケーション」という利点に
ついて、また、乗換にはまだ「待ち」のあるいは消極的な人々の
状況の解説。
それを理解したうえでのauによる「1代目のケータイとして
スマートフォンを選択させるべく」の戦略、等々。

もちろん、今後の展開の予測も書かれている。

ちょうど、昨今、テレビや新聞等で「スマートフォン」の売上が
急増し、「スマートフォン経済効果」ということまで言われ出した
正に「旬」な話題でもあるので一読をお薦めする。

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