映画 「くちびるに歌を」~激しく推薦します
「人は誰でも事情を抱えている」(伊集院静)。
障害を持つ兄がいる桑原サトル少年
~この役を演じる下田翔大が抜群に良い。
久しく見なかった純朴さだ~。
恋人の死以来ピアノが弾けなくなり、故郷に戻り、
出産を控えた友人(木村文乃演じる松山先生が良い)の
代わりに、一時的に中学校の音楽教師を引き受けた
柏木ユリ=新垣結衣。
ぐうたら父に棄てられた合唱部部長の仲村ナズナ(恒松祐里)、
等々。
気乗りのしないまま「適当によろしく」合唱の練習を
無言で見るユリは、しかし、1人1人の合唱に関しての
特徴や欠点を既に見抜いているし、
彼女目当てに入部した男子生徒を「動機が不純だ」と
女子部員が怒っていると身重の松山先生が言うと、
「何がきっかけでも、それで音楽と出合えたなら、
それでいいじゃない」
と理を言える感情は消えていない。
兄を優しく補助するサトル少年とその兄の姿に、
しだいにユリの感情に潤いが生じてくる。
サトルの歌の才能を生かそうとサポートもする。
全編ほとんど笑わない新垣結衣が良い。
カットによっては信じ難いほど美しく際立つ。
彼女が主演する作品は「ハナミズキ」といい、海や街が
美しい作品が多いのは偶然だろうか?
新垣の持つクールさと温かさが、都会であってもその表情を
くっきりと浮かび上がらせ、自然の中では正に自然に美しさが
煌(きら)めくのは沖縄出身という海を背負っているかの様な
佇(たたず)まいからなのだろうか?
この映画でのクールさは徹底していてそこが良い。
しかも、クールでいて、常に生徒のことを考え、活かそうとする。
例えば、サトルが本当は合唱をやりたいのに、
父親から「アキオ(兄)を放っておいて何をやっていた!」とか、
「合唱なんか止めとけ!」とか言われ、部活により兄の面倒を
全面的に見れなくなることを非難され叱られたことで、
ユリに「先生、僕、部活、辞めます」と言うと、クールに見つめて、
「本当にそれでいいの?」…「君が決めたの?」、と言い、
サトルが、「はい」と答えると、ユリ=新垣は
「わかった。じゃ何も言わない」と言って車を走らせるのだ。
しかし木村多江演じる母親が
「部活やりなよ。サトルが人に頼むのって、初めてだものね」
との理解により合唱を続けることになるのだが。
また、1人歌って練習するサトルの声を聴き、姿を見ると、
部活時、彼にソロを歌わせて、部員からスゲーッと
褒められ嬉しがり、自信を得ていくそういうサポート、
育成をなにげに、サラリと行う役を笑わず演じる新垣が良い。
冒頭に書いたとおり、下田翔大が良い。
この少年の純朴さはこの作品全体の純朴さを象徴している
と言えるだろう。
サトルが兄に対する思いを正直な部分も含めて
15年後の自分に宛てて書いた手紙が泣かせる。
この映画の最初の最も感動する逸話だ。
このことに関しても、サトルがユリに
「先生、あの手紙、読んだでしょ…ぼく…」と何か言いかけたとき
「もういいよ。わかった」と答える。
一見冷淡に想えるがそうではない。
「君の兄に対する正直な思いはよく解ったよ」
と言うことだと想う。
この「一見クールだが実は君のことは考えている」
というユリのシーンがとても多いのがこの映画の特徴なのだ。
ユリは15歳のとき、
「ピアノで、音楽で人を幸せにしたい。音楽は人を救える。
15年後はあなたのピアノで誰を幸せにしていますか?」
と書いたが、自分の演奏会に来るよう急(せ)かせた為に
交通事故死した恋人への罪悪感からピアノが弾けなくなったユリ。
ピアノをなかなか弾けない彼女の背中を押し、
演奏に向かわせたのは、父に、自分が置かれた環境に絶望して
泣いた仲村ナズナ部長の心の内を知り、
ナズナの心の叫びを聞いたからだった。
ドの符号~ベートーヴェンの「悲愴」の第2楽章の冒頭を
弾き始めるユリ。
ド(C)はこの楽章の変イ長調の(異動音で読む)ミ。
ナズナの悲しみを慰めよう救おうという気持ちが、
鍵盤にもう一度指を置く勇気を得て弾き始めたユリ。
それはナズナへのエールであると同時に、
自分への鼓舞、エールであった。
終わり近くのシーンでユリはナズナに言う。
「逃げるな! ハルコも今 闘っている。
あなたもここで闘いなさい。
逃げたら人を救えないし、救ってもらえない。
それを教えてくれたのはあなたでしょ。
私はもう逃げない。私も闘う」
サトルの兄で自閉症のアキオ役の渡辺大地も上手い。
彼は最後に「主役」になる。
恒松祐里が良い。他の少年少女もみな良い。
合唱のレベルも作品に耐え得る一定の水準で作られている
のがリアルで良い。
映画「うた魂」も内容は良かったが、あの作品の唯一の欠点は、
合唱の実レベルが素人の域内にあったことだった。
しかし、この作品は一定のレベルで歌え、演技が巧い
少年少女が集まった点が強い。
これだけで既に作品の頑丈な基盤ができている。
中学生の合唱部の練習と歌声がリアルで、
すなわち自然なのだ。
もっとも、キャスティングは
「歌のうまさというよりはキャラクターが役柄に合うか、
島の子どもということを感じさせるか」という点を重視して
オーディションを行ったと三木孝浩監督言う。
結果、歌が苦手な子から、音大付属中学の声楽科に通う子まで
と様々な少年、少女が選ばれ、
都内の強豪合唱部に半年間体験入部して特訓してきたという。
よって、念の為に付記する必要も無いが、
合唱は「吹き替えではない」。
これはプログラムに掲載された三木監督へのインタビューで
「歌のうまさだけ考えたら、コンクールの本番シーンとかは
声を差し替えることもできましたが、そうしなかった」
と明言している。
「(撮影の中で)実際に合唱の練習していって、
その成長映像に焼き付けられたらいいな、と」
中学生男子の子どもっぽさと、女生徒や
新しい若い音楽教師への好奇心の描写も面白い。
「風とスカート」に関する「秘密の場所」における
サトルを巻き込んでのにシーンや、
職員室を覗(のぞ)いて、新垣が右耳にかかる髪を
軽くかき上げたときの後ろからの横顔を見て、
「おぉ~っ」とどよめくのが面白い。
しかも、その男子生徒の秘密の場所は(後段では)いつしか
男子生徒の発声自主練習の場所となり、
こっそり覗く男女は逆転する構図も素敵なショット、カットだ。
長崎 五島市の海と岬と街が美しい。
生徒2人が下校する夕暮れのシーンや、エンディングの字幕が
流れていくところでの青い海や島々の映像は、
息を呑むほど美しい。
舞台設定(ロケ地の選択)が作品の成功に大きく寄与している。
この、否が応でも信長貴富さんの合唱曲を連想させるタイトルの
映画は、アンジェラ・アキさんのヒット曲
「手紙~拝啓 十五の君へ~」
で大きくくくられる。
これはNHKで放送された、アンジェラ・アキさんが
五島列島の合唱部を訪ねたドキュメンタリーを見て
感動した中田永一氏の原作による。
そして合唱コンクールの後のロビーでの合唱。
この作品の最も感動的なシーンだ。
会場内で騒ぐ事を父親が懸念して中に入れずロビーに
居させられたアキオが、「歌、まだ(なの)?」
「歌、まだ(歌う順番じゃないの)?」
と訊ね、生徒たちが、
「え? 聴かなかったの?」と驚き、
劇中、合唱部の勧誘プレゼンとして中庭で歌われた歌
「マイバラード」がアキラのために、生徒たちにより
~それは最終的には他校の生徒を交えて~
歌われるという観る者全てが涙するに違いないシーン。
「最後に主役になる」と書いたとおり、
歌によるアキラへの最高に温かなプレゼントがなされる。
この、アキオのために歌うことを促したのも
他でもなくユリ=新垣なのだ。
この映画がやはりこの兄弟を主軸にして展開したことが
あらためて解るこの作品の最も感動的なシーンだ。
「One for All」が合唱なら、ここでは正に
「All for One」としての歌が合唱される。
正に「音楽は全ての人のためにある」のだ。
ラスト。船で島から元の生活の場に帰るユリ。未練の源だった
ケイタイに残された彼の最後の言葉を消去して思いを断ち切る。
汽笛はCではなくC♯が響き彼女が「ド シャープ」と言う。
ステージは一段上がったのだ。
見送りに来た生徒たち。クールを通してきたユリもさすがに
感極まりそうになるが、
生徒らは言う。「笑って」。
「笑って」の言葉は、松山先生が日ごろから言い、
コンクールのステージではユリが発し、
そして最後のこの別れのシーンでは生徒たちが発した。
そう、彼ら彼女らはユリ臨時先生により確実に成長したのだ。
ユリのエンディングにおけるナレーション
「私は一人ではないし、あなたたちも一人ではない。
それは(大嫌いだったはずの)あなたたちが教えてくれた
とても簡単で大切な事です」
それぞれ抱えた事情があっても、いやそうした困難が
あるからこそ、音楽がそれぞれの人生に必要なたいせつな
物となる。人と人を結びつける。
音楽はそうした困難を乗り越え克服するものである、とは
敢えて言わない。
けれども、音楽がその人を勇気づけ、一歩踏み出す勇気を
与えるキッカケにはなり得る。
音楽自体が独立して奇跡の産物というわけではない。
人間1人1人の存在こそが奇跡なのであり、
それゆえ音楽が微笑みを与え、人と人の心に通い、心を潤し、
心から心へ繋(つな)ぐ架け橋になる。
この映画はそれをあらためて強く感じさせてくれる。
これまで合唱に関係した映画は海外作品も含めて
10作近く観たかもしれないが、
この作品はその中でも最高傑作と激賞したい。
この作品を観ないのは人生における大きな損失と言い切れる自信
がある。
劇場を出て、通路横で身支度をしていると、
出て来た中年の夫婦が
「映画を観てこんなに泣いたのは久しぶりだ」
と語り合っていた。
私もそうかもしれない。
激しく推薦します。
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