2016年4月17日 (日)

スポーツ界などでは選手らが募金活動

近々書きます

2015年9月19日 (土)

信州 小布施町~自然も人情も食材も豊かな町

19日放送の、「出没!アド街ック天国」では、
長野県の小布施町がとり上げられた。

私のルーツは長野県ではあるが、もし、
ソプラノ歌手 小林沙羅さんのファンになっていなければ、
馴染みの無い、行ったことの無い町として拝見しただろうが、
沙羅さんがその地でコンサートを開いており、
私もこれまで2回当地で拝聴させていただいている。

けれど、2回とも小布施駅から徒歩5分ほどの会場を
往復しただけで終わっているし、少なくとも駅周辺では、
特別、観光地の印象を抱く雰囲気でも無いため、
この放送を見てとても驚いた。

自然の美しさだけでなく、
信州の小京都といわれるだけあり、風情がある。

栗とそれを使った独特のケーキをはじめ、
ケーキ店やショップが意外と多いし、
桃などの果物も美味しそうだし、風情のあるホテルもある。

特に驚いたのが、「お庭、ごめん」といって、
他人の庭を、まるで観光ルートの1つの路地、庭先として
存在するかのように小路を通ってよい、とする慣習だ。

いわゆる「オープンガーデン」というもので、
これはネット等での説明資料によると、

「個人の庭などを一般の方に公開する活動のこと。
 おぶせオープンガーデンは、2000(平成12)年に38軒で
 スタートした。
 これは、1980(昭和55)年から取り組んできた
  「花のまちづくり」、 また、小布施町に伝わる「縁側文化」
  「お庭ごめん」の相乗効果として、訪れた方々を花でもてなし、
 会話を通して交流を図るもので、
 官民が一体となって取り 組んだオープンガーデンとしては
 全国初となっている」

すなわち、小布施町のオープンガーデンは
 「外はみんなのもの、内は自分たちのもの」という概念のもと
庭の規模や質などを問わず誰でも参加できる、というものだ。

ある人は、ネットにこう書いている。
 「庭にご自由にお入りください。ごらんください、ってのは、
  すごすぎません?」とお尋ねしたら、
  「小布施町の文化に“お庭御免”というのがありまして、
  人の庭を通っても問題ないんです。庭はみんなのもの、
  外はみんなのもの。
  内は自分たちのものっていう概念なんです」
 とのことでした」、と。

信州 小布施町は、自然も人情も食材も豊かな町
と言えるだろう。

なお、この放送内容を数日前に知った私は、当然ながら、
アド街で小布施がとりあげられるというこの情報を
事前に 小林沙羅さんに伝え、喜んでいただいたしだい。

2013年10月 6日 (日)

石巻市 中心部を歩く~石ノ森曼画館も楽しむ  大川小学校と日和幼稚園児に思いを寄せて  未だに仙石線が不通なのは政治の怠慢

石巻を歩く①~穏やかな市内
日帰りで、石巻と仙台に行った。
車でなく公共交通機関で石巻に行く場合、「3.11」以前は
仙台から仙石線で行けたが、現状、途中で未だに不通(分断)の
ところがある。
仙石線で仙台を出て北上しても高城町までしか行かない。
石巻から南下すると陸前小野までしか行かない。
その間の手樽、陸前富山、陸前大塚、東名、野蒜は不通である。
 よって、仙台から鉄道で行く場合は、
現状、東北本線で小牛田(おごた)に行き、石巻線に乗り換える
ルートで行くことになるのだが、本数が少なく、
乗継タイミングも悪い。

なので、仙台駅から石巻行きバスに乗れば80分で着くので、
それが一番良い。

それにしても、2年半経って、未だに電車が不通というのは
地元の問題というより、明らかに国政行政の怠慢だと思う。

まちは海からやや離れていることもあり穏やかで、
多くの家や建物はキレイで、静かなまちのまま保っている。
そこからは、大川小学校の悲劇や、私立 日和幼稚園での、
山側に住む子供らを海側に乗せていったことで、
園児4人が亡くなった送迎バスの件という、
市民間での訴訟に発展している2つの不幸な事態を想わせるものは
ないが~大川小学校は市内からだいぶ北東ではあるが~
紛れもない事実であり、歩いているときもその2件のことは
終始頭から離れなかった。

石巻を歩く②~石ノ森萬画館
 「サイボーグ009」などで有名な石ノ森章太郎さんの記念館が
ある。「3.11」では、1階が天井近くまで海水まみれ、
2階もヒドイ状態だったが、3階に関係者や来客が身を寄せ、
その後、しばらくの間、臨時避難施設になったことでも知られて
いるが、館としては休館となり、多くの職員が一時解雇された。
2012年3月に市議会で復旧予算が決まり、同年11月17日、
再オープンされた。
今はとてもキレイで、来場者も多く賑わっている。
なお、萬画館では、ガイドレディーさんに写真を快く撮らせて
いただいた。服装はサイボーグの衣装だった。

私は初めて行くホールとか施設では、決まってトイレそれも
用が無くても個室を見るようにしている。その状況、すなわち、
その清潔度とか、和洋の別とか、ウォシュレットの有無等を
見れば、たいていレベル~関係者の「おもてなし」意識と、
どのくらいお金をつぎ込んでいるか~が判断できるからだが、
この記念館のトイレの個室は温水洗浄トイレだった。
これは、駅前の公衆トイレのさびれた状況と対照的だ。

石巻を歩く③
まちのいたるところにサイボーグの像が立っていたのが
面白かった。
また、ある通りでは、市民による憩いの集いが開催されていた。
テントの下で小学生が歌っていた曲は「上を向いて歩こう」


  南三陸の鉄道状況について

仙台~石巻間の電車不通状態を書いたが、1例に過ぎない。
不通区間はまだたくさんある。
いかに政府が資本・資金とマンパワーを被災地に投入していないか
を端的に明確に示していると思う。

  以下、参考として列記したい。

①石巻~女川間
石巻から女川に行くには石巻線でよいが、1つ手前の浦宿で
止まる。女川までの間は依然不通だ。

②石巻~気仙沼間
石巻から気仙沼に行こうと気仙沼線に乗っても、
はるか手前の柳津までしか行かない。
よって東北新幹線で一ノ関まで行き、大船渡線で行くしかない。

③気仙沼~陸前高田~釜石間
気仙沼から陸前高田および釜石に行こうとしても、
大船渡線および三陸鉄道が不通のため行けない。
よって、東京から釜石に行く場合、東北新幹線で花巻まで行き、
釜石線に乗り換えて行くことになる。

④釜石~宮古間
釜石から宮古に行こうと思っても、山田線は全くの不通だ。
よって、東京から宮古に行く場合、東北新幹線で盛岡まで行き、
山田線に乗り換えて行くことになる。

2013年8月25日 (日)

MIWA チケット売出日初日完売に驚く

いくら美輪明宏さんの再ブーム、天海さんの降板を奇跡的に代演し
大成功した宮沢りえさんが主演するからとはいえ、
10月から11月の中の44日間、1日2回公演を含め
計=53回も公演があるにもかかわらず、
なんとチケット売出日初日に完売したのには驚き。

舞台には根強いファンがいるが、ここ数年、お笑い芸人一色の
TVの凋落のいっぽうで、各種コンサート、オペラ、映画の復権、
歌舞伎を含む日本の伝統芸能の人気の高まり等、
舞台には多くのファンが確実にいることを実感する。

2013年3月18日 (月)

堺市よ 恥を知れ~ガレキ受入れを拒否しながら復興予算から86億円をもらい受ける堺市

 「ガレキの受け入れはイヤです」

 「でも、受け入れについて<検討はしました>ので、
  復興予算から86億円は<ありがたく>頂戴いたします」

 堺市の竹山修身市長はこう言ったのだ。

これは、環境省が2011年度補正と2012年度予算の
復興財源枠で、震災がれきを受け入れる処理施設整備などに
予算を充てると通達した際、市民の抵抗も予想されるため、

 「検討すれば交付し、結果的に実行しなくても返還は不要」

としたという信じ難い決定によるものだ。


国は、実際には処理を行わなかった自治体・団体などにも
 「復興予算」として出すことにしたというバカ丸出しの
決定による。

堺市の場合、2012年1月、ゴミ処理施設の建設費などに
当てるため、「循環型社会形成推進交付金」40億円の給付を
申請した。
ところが国は、堺市の事業は同交付金中の「復旧・復興枠」に
当たると判断し、市の要望を倍以上も上回る86億円を交付
すると回答。

復旧・復興枠の対象となるのは、
①「被災地の自治体が実施する事業」、
②「震災がれき受け入れを行う処理施設の整備事業」
の2つで、堺市はもちろん後者。

結局、堺市はガレキの受け入れを拒否したにもかかわらず、
86億円の税金にして貴重な復興予算を手に入れるという
信じ難い状況になった。


実際には処理を行わなかった自治体・団体などにも
 「復興予算」として出したというこのケースは、
堺市含めて全国の7市町3団体で発生しているといい、
その交付総額は176億円に及ぶという。

もちろん、堺市に対しては、市民だけでなく、
既に全国から電話やメール等で多くの批判が寄せられている。
なので、市の最終的な判断、対応は、変わることも
もちろん有り得る。

それを承知で、この呆れた事態には納税者として、また、
これを知ったらどれだけ怒るか想像もつかない被災者の
皆さんに代わって次のように言っておく必要はある。
7市町村3団体を<代表して>批判されてよい。
  
   すなわち こうだ。

環境省も気が狂っているとしか言いようがないが、
いくら、昨今、この国には <偽りの絆>が
各地にはびこっているとはいえ、あまりにも唖然として呆れる。

   「堺市よ、日本人として恥を知れ」

2011年11月17日 (木)

GNH 国民総幸福量 ブータン国王夫妻来日

「Gross National Happiness」「国民総幸福量」という言葉、
概念はある種、衝撃的なものだ。
GNPが中国に抜かれて慌てている前に、こういう状況下
だからこそ、もっと根源的なことに関心を寄せてもよいと思う。

実際、今回のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王と
新婚のジェツン・ペマ王妃の来日に対して、
多くの日本国民は大きな関心と好意的心象を抱いたに
違いない。
フェイスブックなどでも、「ブータンに関心を持った」、
「行ってみたい国、と思った」という感想が結構出ていた。

東日本大震災の直後から、ブータン国内では各地の寺院や
家々で、日本国民に対して祈りが長期間継続されてきたという。

ネパールと中国の間、九州とほぼ同じ面積の国土に
約70万人が暮らす国。
いわゆる経済的レベル、近代的発展度合い等に関しては、
日本とは比べられないほどの「違い」があるが
 (「違い」と敢えて言う。「差」というのは「おこがましい)、
しかし、それは毎年3万人以上の自殺者を出しているこの国
における「個人として幸福感」においては、
比較すること自体、あまり意味の無いことに違いない。

結局、「幸福と感じる」ことに比較論は無意味だし、
対比してどうこう言うとしたらそれこそ「傲慢」以外の
何もでもないだろう。


ブータンと日本とを結ぶ「キーマン」の1人に、
故・西岡京治(けいじ)氏がいる。

1964年に海外技術協力事業団の農業指導者として
夫人とともに赴き、依頼、1992年に亡くなるまで
同国に深く注力した人で、1980年には、当時の国王から
「国の恩人」として同国での民間人に与えられる最高の爵位
である「ダショー」を授与されている。
1992年の逝去に際しては、国王および政府から
ブータンの国葬が行われ、夫人の意向により同国の地に埋葬
されたのだった。


今回の国王ご夫妻は福島県相馬市への慰問のほか、
国会での演説がまた良かった。

 「天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表します
  とともにこのたび日本国国会で演説する機会を賜りました
  ことを謹んでお受けします。衆議院議長閣下、
  参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、
  ご列席の皆様。世界史においてかくも傑出し、
  重要性を持つ機関である日本国国会のなかで、
  私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、
  ひとりの若者として立っております」

  (中略)

 「ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、
  何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に
  分かちあってまいりました。
  3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで
  大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民に
  なぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ
  ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、
  私は深く心を動かされました」

  (中略)

 「皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、
  我々ブータン人は皆様とともにあります。
  我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、
  連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。
  ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を
 親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。

  両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。
  そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の
  望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける
  強い気持ちなどであります。
  2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年
  であります。しかしブータン国民は常に、公式な関係を
  超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。

  私は若き父とその世代の者が何十年も前から、
  日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを
  知っています。
  すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに
  自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとに
  ついて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に
  希望を与えてきました。
  日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。

  このグローバル化した世界において、日本は技術と
  確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範
  であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。

  世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして
  規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を
  持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして
  秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。
  知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを
  併せ持つ国民であると認識してまいりました。

  これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと
  思います。それは近年の不幸な経済不況や、
  3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。

  皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。
  他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして
  悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は
  最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、
  心の強さを持って対処されました。
  文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような

  卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で
  見出すことはほぼ不可能です。
  すべての国がそうありたいと切望しますが、これは
  日本人特有の特性であり、不可分の要素です。
  このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、
  何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。
  それは数年数十年で失われることはありません。
  そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が
  待っていることでしょう。

  この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、
  世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いて
  きました。
  さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく
  世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきた
  ということです。

  卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。
  偉大な決断と業績を成し遂げつつも、
  静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。
  他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を
  受けるでしょう。

  日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における
  日本の存在が、日本国民の偉大な業績と歴史を反映
  するにつけ、ブータンは皆様を応援し支持してまいります。

  ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性
  だけでなく、日本がそのなかで主導的な役割を果たさ
  なければならないと確認しております。
  日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております」


ここまで言われると、感動する、感銘を受けると同時に
 「いやいや、そんなに立派なのか、判らないです」
と言いたくなるような「気恥ずかしさ」すら感じるが、
演説の最後がまた良かった。


 「ご列席の皆様、ブータンは人口約70万人の小さな
  ヒマラヤの国です。国の魅力的な外形的特徴と、
  豊かで人の心をとらえて離さない歴史が、
  ブータン人の人格や性質を形作っています。

  ブータンは美しい国であり、面積が小さいながらも
  国土全体に拡がるさまざまな異なる地形に数々の寺院、
  僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を
  反映しています。
  手付かずの自然が残されており、我々の文化と伝統は
  今も強靭に活気を保っています。

  ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに
  深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。
  「両国民の絆をより強め深めるため不断の努力を行う」
  今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも
  調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を
  持ち先祖の価値観によって導かれる社会。
  そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、
  私は最も誇りに思います。

  我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられて
  います。
  我々は歴史ある価値観を持つ若々しい現代的な国民です。
  小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。
  それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は
  大変特別なものです。
  我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、
  日本からは貴重な援助や支援だけでなく力強い励ましを
  いただいてきました。
  ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより
  次元の高い大きな自然の絆。
  言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によって
  ブータンは常に日本の友人であり続けます。

  日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーの
  ひとつです。それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、
  我々とともに働いてきてくれた日本人の方々の、
  ブータン国民のゆるぎない支援と善意に対し、
  感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。
  私はここに、両国民のあいだの絆をより強め深めるために
  不断の努力を行うことを誓います」

素晴らしい演説だったと思う。

なお、今回の国王夫妻を迎える晩餐会に、天皇陛下がカゼで
体調を崩され、ご欠席されたのは残念だったが、
一番 残念に思われていらっしゃるのは陛下ご自身に違いなく、
こればかりはやむを得ないことだと誰もが思った。

しかし、誰もがそう思ったかどうか よく判らないのは、
雅子妃殿下がご欠席されたことで、これはまた違った意味で
実に残念なことだった。
いや、政治的な見地からはたぶん
 「残念では済まされないレベル」のことかと想うが、
一民間人としてはこれ以上の言及はここでは控えたい。

2011年6月 6日 (月)

なんて美しい海だろう! あまりに違いすぎる

リンクさせていただいている「漁師の徒然なるブログ」の
6月6日付け「現実の世界と温度差」をぜひ見て欲しい。

  「なんと美しい海だろうか!」

ため息が出るくらいだ。
だから、・・・津波とのギャップの大きさに愕然とする。
あまりにも 「違い」すぎる・・・・。

東京にいる者でさえそう思うのだから、地元の人々は
いかばかりであろうか、と想う。

街の中も、徐々にではあるが「整い」がなされつつあるのが
よく判る。

避難所生活をし、漁をしながら、毎日ブログをアップされている
平山さんにあらためて感謝し、敬意を表したい。

2011年1月26日 (水)

金沢を想ふ そして森麻季さんと小林沙羅さん

ルーツが長野県とはいえ、私自身は1年間仕事で名古屋にいた
以外は東京と埼玉県でしか生活したことがないので豪雪地帯の
大変さを直接知らない。だから、雪自体に対しても穏やかで
静謐なある種敬虔にも似た感情を抱く対象でしかないという
ことは最初に述べておかないと、「雪害」で難儀されている
地域とそこで暮らす人々に失礼かと想う。

2003年の夏に訪れた夏の金沢は爽やかで水と緑の多い
素敵な古都だった。
ただ、冬の情景は写真や映像でしか知らない。
久しぶりに会い、半日市内の一部を案内してくれた大学時代の
合唱団の同期の女性によると、冬は雪が当然多く、
秋なども曇りや雨の日が多いとのことだった。


森麻季さんのブログから
今、その地で「オーケストラアンサンブル金沢」(以下、OEK)と
「椿姫」の公演を行っている森麻季さんのブログのその報告記が
楽しい。
1月22日付けでは「椿姫、金沢公演が無事終わりました!」
と題して、初心者向けのような感じで丁寧にストーリーを紹介
されている。
  http://www.makimori.com/blog/

また、1月24日付けでは「椿姫、魚津公演が終わりました!」
として、今月は新潟公演を残すのみとなったことを伝えている
(3月に神戸など3公演があり、合計6公演ツアー)。
その中で印象的なのが、先日私もブログで書いた、
バーバラ・ボニーによる公開レッスンのテレビ放送で学んだ
ことが書かれていることだ。   
   少し長くなるが引用させていただきたい。

「魚津(富山)での公演も無事終わりました。前日にみんなで
 金沢からバス移動し、さらに雪が深くなり、しんしんと
 静まり返った美しい雪景色を見ながら富山に入りました。
 せっかく富山に来たけれど、大切な公演を控えていたので
 外へ出ず、ホテルで復習をしながら過ごしました。
 本番当日はまた目が冴えるようなよいお天気に恵まれ、
 辺り一面太陽が雪に反射してきらきらと輝いていました。
 同じ人間でも日によって少しずつ体調や気分が違うように、
 声の調子と言うか、感じ方も日によって違ってきます。
 それをなんとか一番良い時のコンディションに近づけるべく
 発声をしたり、体を動かしたり、良いポジションになる
 歌い方をしたりと準備を整えます。
  (中略)
 ホール自体は金沢歌劇座の方が残響が多く感じましたが、
 魚津の新川文化ホールも十分な響きがあり、とても歌いやすく
 感じました。美しくて立派なホールですね!
 こうして、同じプロダクションのオペラを1度や2度でなく
 6回も歌えるということは、日本ではあまりないことですので、
 歌手にとっては本当に有り難い限りです。
 私自身も自分の声には椿姫は重いと思っていましたが、
 こうしてオペラに精通したマエストロと声を聴きながら演奏
 してくださるオケの皆様、そしてスマートに歌ってくださる
 共演者のみなさまのおかげで、自分なりの、
 自分の声にあった椿姫の歌い方というのが身に付いて
 きた気がします。
  (中略)
 オケがFF(フォルティッシモと言って非常に大きな音で演奏する
 場面)で演奏されると、以前まではどうしてもがんばって
 しまったり、少しプッシュしてしまう自分がいたのですが、
 今回はそれを空気で(偉大なるボニー先生のレッスンを拝見
 したおかげです!)柔らかく体を使いながら歌うことができ、
 全く喉にも負担がなく、そして倍音のおかげでオケを超えて
 いくことが実感できます。
 ボニー先生が i や e の母音を良く響かせるようにとおっしゃって
 いましたが、まさに日本人もイやエの発音がつぶれやすく、
 これも気をつけることによって発音全体がより良く美しくなり、
 口からではなく鼻でもなく「頭から」声を出すという感覚は
 中間音のポジションが下がりやすい音には本当に
 最適な言葉だと感じて歌いました。
 この歌い方をこれからも生かしていければと思っています。
 遠方からも駆けつけてくださった皆様、本当に感謝の言葉も
 ないほどです。富山から羽田行きの帰りの便でも声をかけて
 くださった方があり、貴重なお時間をかけてご来場頂ける
 お客様に、本当に最善を尽くした舞台、パフォーマンスを
 ご覧頂かなくてはと気が引き締まる思いです。
 ご来場頂きましたすべてのお客様、そしてすべての
 スタッフの皆様に心より御礼を込めて。
 また新潟公演で全力を尽くします!!」


ファン思いの麻季さんらしい、素敵なコメントだ。

麻季さんほど有名になり大活躍されている歌手でも、常々
「いかに良い発声をするか」ということを様々なことから吸収
されているのだ、というその「心の姿勢」に感動する。
麻季さんの声質については賛否両論あるがそれは
誰(の歌手、クラシックに限らず)にもあること。

いろいろな意見があってよいが、少なくとも麻季さんの人柄を
「感じ取れない人の感性」を 私はあまり信用できない、
 とだけは言っておこう。


小林沙羅さんのブログから
小林沙羅さんのブログを読んでいたら面白いことに気がついた。
  http://ameblo.jp/sarakobayashi/

沙羅さんは1月22日付けで雑誌「MOSTLY CLASSIC 3月号」に
自身のインタビュー記事が掲載されたことを知らせた後、
終わり近くで
  「今は金沢にいます。毎日雪で寒いです」 と書いている。

金沢におけるOEKと沙羅さん、与那城敬さんのソロによる
フォーレの「レクイエム」は2月のはずなのに、
  「ずいぶん早くから金沢入りしているのだなあ?」
と 最初は不思議に思った。

しかし、彼女のスケジュールで27日にOEKと「椿姫」の
ハイライト演奏会に出演されると知り、
「きっと、森麻季さんの(いわゆる)「カヴァー」として
  同行立ち会いされているのだな」
と確信したので、22日のコメント欄にその旨を書いたところ、
 沙羅さんは 1月26日付けで
 「スペシャル・ランチタイムコンサートin金沢」 と題し、
  27日に「スペシャル・ランチタイムコンサート」で「椿姫」の
  ハイライト演奏が開催されヴィオレッタ役を歌うことを伝え、
 「前回の日記に金沢にいます、と書いたのですが、その理由は
  「椿姫」のヴィオレッタのカヴァーキャストをしていたから
  なのです」として、
それに続けて、

 「するどいコメントをくださった○○さん、大正解です」

と本文の中で私のコメントに対する「回答」を書いていただいて
いたので、思わず笑ってしまった。
同日のコメント欄にその返事を記載させていただいたのは
言うまでもない。

小林沙羅さんは既に恵まれているほど活躍されているとはいえ、
まだまだ「これから」の人。
そういう20代後半の優秀な歌手は、40歳前後の活躍中の
先輩歌手の「カヴァー」を務めることももちろんある。
 臼木あいさん 然り、嘉目真木子さん 然り。

逆に言うと
「優秀だから、将来を嘱望されているから、名歌手たる先輩の
 カヴァーキャストに選ばれる」 のだ。

ただ、これまでのお2人の経歴の中ではあまり接点は無いように
想っていた森麻季さんと小林沙羅さんの「同行公演」なので
意外な感じがしたものの、沙羅さんご本人が「告白」する前に
「ズバリ当てましょう」とばかり「正解」したことは、
この寒い季節の中の、「独り言的愉快体験(?)」だった。


以前も書いたが、東京ばかりに素敵なコンサートが集中すること
自体おかしいし、各地に暮らしている人には不満に思うことに
なるし、各地の様々な試み~もちろんそれはプロ演奏家に限らず
現地の市民の活動を含めて~による公演が企画され実現され、
人々に喜びをもたらすことが1つでも多くあるといいなと思うし、
実際たくさんあるに違いない。

雪の金沢、富山、新潟。

キリリと凍てるような清廉で清冽な空気の街に響く音楽を聴いて
みたいものだ。

2010年3月12日 (金)

中谷美紀 パリ Another Sky

夜、日本テレビの番組、「アナザースカイ」の今回のゲストは
中谷美紀さん。パリに親しい友人も多く、交友関係や
「かえって、日本の良さを知ったこと」との感情の対比が
興味深かった。

そう、文化は対峙し、ときに対決するが、融合する。
それが掛け合い、衝突したり「和解」しながら、個人の中の
感情においても、国家間においても、その流れ自体が
「歴史」とか「文化」であるとも言えるように思う。
いずれにしても、異国に友人やいっときではあっても
生活できる拠点を持っている人は、
より豊かな感性を育(はぐく)んでいるはずである。

2009年11月10日 (火)

Wienはウィーン

TBSで、世界中の街を対象とした「住みやすい街」アンケートで
常にトップランクに入ってくるというウィーンの特集番組が放送
された。

木村佳乃さんと黄川田将也さんによる現地レポート。
ウィーン国立歌劇場では、専属歌手の甲斐栄次郎さん案内による
文字通りの「舞台裏」紹介は興味深かったし、ホイリゲでの
語らいは欧州の市民生活の素敵な空気を伝えるものだった。
久しく行っていなことにあらためて愕然とする。
そのうちでかけたいものだ。

なお、ブログのタイトルは、月刊の音楽雑誌「レコード芸術」に
前田昭雄さんが長く連載している文章の表題、
「ウィーンはウィーン」に対する、憧れと敬意を表したパクリ、
というところ。

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