2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

Amazon CD

  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
  • :
無料ブログはココログ

2016年8月 9日 (火)

天皇陛下 お気持ちを表明~陛下の強い思い、踏み込んだご発言

天皇陛下が、8日、「象徴としてのお務めについて」として、録画がテレビ放映された。

天皇というお立場ほど「個人的(な)」「個人として」という言葉を勝手に使えない立場はないと思うが、にもかかわらず、「私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」とご発言された点にまず驚く。
この一言だけで、そのお覚悟の容易ならざるを拝察できる。

陛下は、お言葉の中で、「天皇とは何か」「象徴天皇とは何か」を~ご自身がまず考えたとしたうえで~国民に問いかけた、あるいは説明された、と言えるだろう。

そしてご高齢からの体力的な懸念から、「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか、と案じています」と述べられた。これについては、敢えて比較するなら、先般逝去された千代の富士が横綱を引退するとき用いた「体力の限界」というのは、天皇という立場にいる者にもあるのです、という、いわば当たり前な事ではあるが、多くが触れようとしないことに言及されたと言える。

崩御があると直接的には2カ月、間接的には1年も関係行事等が続くことに触れ、これほどご自身のことを心配されるのは、例えば2020年にもしそうなったら五輪どころではなくなる、ということも~むろんそれが全てではないが~多々お考えになる要因の1つとなっていることは間違いないだろう。

「天皇の終焉」という言葉は衝撃的だ。
そのような単語を用いてまで、崩御後に新天皇が即位することは大変なんです、ということを伝えたかったのではないか。

お言葉の中で、「公務を減らす、ということでは解決はしない」という主旨の発言もされたし、なんと、憲法第5条にある「摂政を置くときは、天皇の名でその国事に関する行為を行う」という点に関しても、「法制度としてはよくても、実際にはそれではダメなんだ。天皇の国事行為は、代行ということでやっていくようなものではないのだ。摂政とは務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに等しいのだ」、と事実上、今回はこの案はそぐわない、と否定されたことだ。

あくまでも今上陛下のお気持ちとしてではあっても、これも衝撃発言の1つだ。

この2つのご発言で、一部に案があったという「今上天皇だけに限定した臨時措置、時限立法案」ではダメです、と言われたことになる。

これは事実上、政府に注文を付けたに等しいご発言で、とても重大な重要なご発言だ。

いずれにしても、今後、具体的には皇室典範の改正等いろいろな事が生じていくことになる。

それはそれとして、最後の、「ここに私の気持ちをお話しいたました」で終わってもよかったところを、陛下が敢えて最後にもう一言添えられた言葉「国民の理解が得られることを、切に願っています」、というこの言葉に、私たち国民一人ひとりが考え応えていかねばならないだろう。


追記
憲法第5条に定めのある摂政についての陛下のご発言に「便乗」するようなかたちで保守系からは「憲法改正だ」、出てくると想像できる。
しかし、皇室典範の変更だけで十分だと思う。
陛下は自分としては憲法第5条の摂政という方法論を採りたくないとしただけで、別に第5条そのものを否定したわけではない。
だいいち、皇室典範の変更だけで もとても大変なことで、例えば、皇太子不在問題はどうする、という点は特に難題だ。
第一継承者になる秋篠宮様が皇太子と呼べないって、どう考えてもおかし い。
小林よしのり氏のような人でも、意外なことに、皇太子は愛子様でいい、といわゆる女帝(論)に賛成しているのが面白い。
大日本帝国憲法から今の憲法に変わるとき、皇室典範は少ししか修正されなかったというから、いわばそのツケがいよいよ今から問われ始める、ということだろう。

2016年7月12日 (火)

永六輔さん逝去

永六輔さんが11日に亡くなられた。
 「いい湯だな」
 「上を向いて歩こう」
 「こんにちは赤ちゃん」
 「黄昏のビギン」
 「遠くへ行きたい」
 「見上げてごらん夜の星を」

など、たくさんの素晴らしい歌詞を世に送り出した。

ここでは、「生きるものの歌」をアップし、忍びたい。ありがとうございました。

  「生きるものの歌」

あなたがこの世に生まれ あなたがこの世を去る
わたしこの世に生まれ わたしがこの世を去る
その時 愛はあるか その時 夢はあるか
そこに幸せな別れがあるだろうか あるだろうか

https://www.youtube.com/watch?v=gQBr7LKZ4GA
https://www.youtube.com/watch?v=tGxw90ruxUU
https://www.youtube.com/watch?v=IAMluE4U-l8

2016年5月15日 (日)

NHKスペシャル「人工知能」~驚きの連続

ロボットに関心は無かったが、研究が「感情の領域に入ってきている」のは驚き。
第一義的には早期ガンの発見等、医療に役立つこと重要と思うが、それはそれとして、報道で知っていた、世界トップと言われる韓国の囲碁棋士、イ・セドルさんとグーグル英国のデミス・ハサビス氏が開発したアルファ碁の対決が面白かった。

第1局~3局はまさかのイさんの敗戦。それはアルファ碁が繰り出した奇想天外な常識外の手にイさんが翻弄されたからだが、第4局、今度はイさんが意表を突く手を出すと、アルファ碁が暴走し始め、意味のない手を頻発し、自滅したのだ。あきらかに「コンピュータがパニックを起こしている」のが解る。
逆に言うと既にアルファ碁の知能は「感情」を獲得していると言えなくもない。

また、別のコンピュータ「Tay」が悪用され、「ナチスは正しかった」などと悪意の非常識な回答を出すようになったリスクも紹介された(これは新聞でも以前紹介されていた)。

それでも1台のロボットが積み木をするのをもう1台のロボットに見せた後、見ていたロボットに「積み木を壊せ」と命じたところ、「仲間が作ったものだから嫌だ、壊せない」と「拒否」したのも驚き。

また、羽生善治さんとの対局で負けて最初は悔しがっていたソフトバンクの「pepper君」だが、羽生さんが勝つと周りにいる研究チームメンバーが喜ぶことを「学習」し、最後には負けたときの感情指数が「嬉しい楽しい」と表していたのも面白かった。
自分が負けると皆さんが喜ぶのだ、ということを学んだのだ。

そして、中国で人気という「シャオアイス」という会話してくれるだけでなく、「相談に乗ってくれる、なんと励ましの歌まで歌ってくれる」ソフトにも心底驚いた。

信じられない様な時代になりつつあることだけは確かなようだ。

だが、フと思う。偉大なオペラや交響曲は創れるようになるのかいな?と。
創れたとき、心底評価し信用しよう。
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160515

2015年9月 9日 (水)

太宰治が熱望した芥川賞~人間の面白さと弱さについて あるいは受賞の有無とその人の価値について

太宰治~人間の面白さと弱さについて

太宰治が~人により好き嫌いはあっても~優れた感性による
優れた小説を多く書いたという事に異論を持つ人は
ほとんどいないだろう。
彼が芥川賞を受賞などしていようがいまいがそんなことは
関係なく。

後年に芥川賞を受賞した多くの作家の何割かは1発屋に
ほとんど近い人だって少なくないように想える。

その太宰治が生前、敬愛する芥川龍之介の名を冠した
「芥川賞」を欲しがっていた話は昔からよく知られている。
選考委員だった佐藤春夫宛てに何度も手紙を書いている
ことは有名な話だ。

8日の新聞数紙に、また新たに(これまでのものより
以前に書かれた)佐藤春夫宛ての「芥川賞懇願の手紙」
が見つかったという。

これまでは、1936年2月5日付けでの
 「芥川賞をもらえば、私は人の情けに泣くでしょう」
が知られてきたが、賞に関して以外を含め、
佐藤春夫宛ての手紙はこれまで合計34通見つかっている。

今回の発見は1935年6月5日、1936年1月28日付
などの3通という。

1936年1月28日の中の文面には、

 「芥川賞はこの1年、私を引きずり廻し、
  私の生活のおほとんどを奪ってしまいました。
  私は佳い作家になれます。
  今度の芥川賞も私の前を素通りするようでございましたら、
  私は再び五里霧中にさまよわなければなりません。
  私を助けてください。佐藤さん、私を忘れないでください。
  私を見殺しにしないでください」

とまであり、凄まじい。

もちろん、誰もがこんにち知るように、結局、
太宰が芥川賞を受賞することは無かったのだが、
冒頭に記載したとおり、
私たちが太宰を共感や反発や批判や感嘆等をもって
読むのは、別に「何かの賞を受賞しているから」ではない。
そんなことは関係ないのに、
当人の当時の切実な思いを知ると、
何か切ないまでの哀れみというか痛々しさというか、
あれほど才能のあった人が、そんな「名誉」を欲しがった
ことに何とも不思議な感慨を覚える。


翻って考えると、現代の音楽家でも
ショパン・コンクールやチャイコスフキー・コンクール、
日本音楽コンクール等で優勝や入賞して活躍のきっかけを
得る人は当然たくさんいる一方、
パールマンとか ラン・ランとかの天才はそのような
「名誉」など必要なく第一線で活躍できる真の天才だし、
指揮者も戦後「ブザンソン」とか幾つか賞ができたものの、
19世紀終わりか20世紀初頭は当然そんなものはなく、
トスカニーニもフルトヴェングラーもカラヤンも皆、
現場でたたき上げて才能を伸ばしてきた人達ばかりだ。

話を戻すと、日本の作家でも受賞とは無縁でも
良い作品を書いている人は少なくないし、
とりたててコンクールに入賞などしていなくても
活躍している器楽奏者や歌手や指揮者はたくさんいる。

コンクールに向いていないタイプの天才という人も
いつの時代にも必ずいる。

結局、その人の価値など、最終的には
「そんな受賞歴云々など全く関係ない」
ことなのだ、というのは事実であり真実なのだ、
と言えるだろう。

もちろん、太宰も心の奥底ではそれは理解して
いただろうけれども。

2014年3月26日 (水)

坂 茂さん プリツカー賞(建築のノーベル賞)を受賞 役に立つ建築~被災地を積極支援

建築家の 坂 茂(ばん しげる)さんが、建築界のノーベル賞と
言われるアメリカのプリツカー賞の受賞が決まった。
同世代として誇らしい。

同賞を主催するハイアット財団は、坂氏について、
 「東京とパリ、ニューヨークに建築事務所を構える坂氏は、
  建築の分野では類まれである。彼は優雅で革新的な
  作品を個人客のために設計し、同じ発明的で工夫に富んだ
  設計法を自らの膨大な人道活動に用いている。

  20年にわたって坂氏は世界中の自然災害や人災の
  現場へ旅をし、地元の市民やボランティア、学生とともに
  働き、簡素で威厳があり低費用で回収可能な避難所や
  地域社会の建築物を被災者たちのために設計し建造した」

 「創意工夫に富んだ設計を顧客に対してだけでなく、
  人道的取り組みの中でも広く行ってきた。
  20年間、世界中の被災地を回り、住民らと協力して
  低コストで再利用可能なシェルターや住宅を設計・建築した。
  称賛に値するプロフェッショナル」

とコメントした。

坂さんはいわゆるアート的な建築ももちろん創作するが、
被災地での意外で素朴な素材を基に、
実際に急きょ人々が住む、それも快適な物件を造ってきた
ことでも有名だ。

94年、ルワンダ難民のために、紙の筒である紙管を柱にした
シェルターを建築。

阪神大震災では神戸市内に、紙管を柱にした仮設住宅や
教会などを建築。

2011年2月のニュージーランド地震では、
クライストチャーチの損壊した大聖堂に代わる
 「紙の大聖堂」を建設。

東日本大震災では、各地の避難所でプライバシーを守る
間仕切りを設置したり、
女川町では海上輸送用コンテナを重ねた仮設住宅を
造り評判を呼んだ。

こうした活動を開始するきっかけとして、
こう考えたからだという。

 「建築家としてのキャリアをスタートしたときに失望を感じた
  ことがある。それは、建築家の多くが主として建物を
  とおして自らの権力と財力を誇示したがる特権階級の
  人々や大企業、大手開発業者のために仕事をしており、
  私はもっと一般の人たちや家を必要とする人たちの
  ために仕事をするのだと思っていたからだ。
  現実はまったく違った」

 「歴史的に建築家は特権階級や富豪が力を誇示するための
  建築を造ってきた。今も僕らはそういう仕事をしているし、
  町のモニュメントを造ること自体は悪いことではない。
  ただ、それだけではなく、自分の経験を、
  家を失った人のために使えたら、
  少しは状況が良くなるのではと思った」

こうした「一般の人々のために」が、被災者などの難しい状況
にいる人々に対して建築物としての自分なりの支援活動を
行ってきたのだ。

それから、坂さんは、「3.11」からほどなく、
日経新聞での呼びかけ的記事が印象的だった。

私は2011年3月31日のブログ
 「感想の間のアンビバレンス 誠実さということ
  心を開いて向き合うこと」で、
3月25日の日経新聞の掲載された坂さんの言葉を引用
しているが、もう一度以下、記す。

 建築家の坂 茂(ばん しげる)氏が「善意の積み重ね」と
 出して書いている。
 教え子や世界の友人からネットを通じても支援の輪を紹介し、
 こう書く。

 「友人、知人、みんな「自分にできること」は何かを真剣に考え、
  行動を起こそうとしている。そうした善意の方々に伝えたい。
  決して背伸びする必要はない。得意なこと、好きなことを
  生かして、できる範囲の手助け。
  ピアノが弾けるのならば困難を乗り越える勇気を音楽で
  伝えることができる。
  (中略)社会的な影響力や知名度がある人々や企業も
  いちはやく支援に乗り出している。
  中にはこうした活動を 「売名行為」と批判する人も
  あるだろうが、売名の何が悪いのかと言いたい。
  1人でも助かる人がいれば、1つでも喜ぶ顔が増えれば
  いいのだから。日本人は助け合いの心あふれる国民だ。
  小さな善意を積み重ね、復興への力としたい」


別件~上橋さんアンデルセン賞受賞決定

また、この日、上橋菜穂子さんが児童文学のノーベル賞と
言われる「アンデルセン賞」を受賞したという記事も
同時掲載された。
上橋作品については全く未読だが、日本人の同賞受賞は、
先般逝去したまど・みちおさん以来20年ぶりとのことで、
大変めでたい。

2013年8月17日 (土)

「源平盛衰期」異聞 巴御前 女武者伝説     黒木メイサさん 見事な舞台役者

8月4日から25日まで、明治座で、黒木メイサさんが
主役と座長を務める

 「源平盛衰期」異聞 巴御前 女武者伝説

の公演が続いているので、観てきた。

黒木メイサさんはアイドル芸能人ではない。
沖縄から東京に来て つかこうへい門下として10代から舞台人
として鍛えられてきた。

2005年、16歳で「あずみ~AZUMI on STAGE~」で
明治座最年少座長出演以来、再び座長として
 「巴御前」を激しく演じた。

的場浩司、西岡徳馬らベテランを含む多数の出演者による
一体感溢れる見事な舞台だった。

もし、疑問点をつけるなら、全編ほぼ「ロック調」のにぎやかな
セリフによる演出だったので、
もう少し静かな叙情的な場面が(少しはあったが)もう少し
多くてもよいような気がした。


黒木さんは、昨年9月に出産したばかりにもかかわらず、
こうした3週間の公演~完全休日は15日の1日のみ~
1日2回公演11日間を含む、合計32回におよぶ舞台の主役
として演じるのだから、たいしたものだ。
完全にプロの役者だ。心から敬意を表したい。

2013年5月13日 (月)

宮沢りえさんの代役成功は「事件」だと思う   ある人は言った 「伝説的な舞台になった」と

「凄い」という言葉を使うことは嫌いというか能が無い表現と
感じるので極力使いたくないが、しかし、今回の
 三谷幸喜作&演出「おれのナポレオン」における交代劇
にはその言葉を使わざるを得ないように思う。
「凄い」という表現が一番相応しいように思える。

あと数回の公演を残して終わるはずだったこの演劇が、
野田秀樹さんの相手役で野田氏同様、主役である天海祐希さんが
体調不良で急遽入院された。
後日、無事退院されたので大事なく本当に良かったのだが、
入院に際して、三谷さんら主催者側は、「打ち切り」も検討
したという。
ところが、2人に知己のある女優 宮沢りえさんが
天海さんが倒れる前日の5日にたまたま観劇に来たことから、
彼女に白羽の矢が立ち、りえさんがこれを受諾して、
急遽、稽古入りしたのだった。

けれど、宮沢りえさんの「急な代役」がいかに大変なことか、
敬意を込めてよく考えてみたいと思う。


事前に台本を渡されていたわけではないのだ。
オペラ公演に際してのカヴァーやアンダースタデイのように
稽古に参加していたわけではないのだ。

野田秀樹さんとともに主役ゆえ、2時間、ほぼ出ずっぱり。
セリフは130単位あったという。

たまたま客として観劇し、いくら三谷幸喜、野田秀樹の両氏に
縁や恩があるとしても、普通は「受けない」だろう。

直前の公演を2つ3つキャンセルしたとは言え、中2日半、
すなわち約60時間しかないのだから。
60時間といっても、寝ないわけにはいかないし、
他の用も皆無では無かっただろうから、実質的には
30時間ほどしか無かったはずだ。


例えば、ピアニストで、A氏が「皇帝」を弾く演奏会に同業の
B氏が聴きに行った。翌日A氏にアクシデントが生じ、
2日後の演奏会をキャンセル。主催者がB氏に要請、という
ケースを考えた場合、名演になるか否か~レベルの違いは
あっても、そうそう困難なことではない。
「皇帝」を弾ける人は、日本の中だけでも学生を含めて
数百人、いや千人単位でいるだろうから、
今回のケースとは比較にならない。

強いて再度ピアニストに近似性として例えるとすると、
ベートーヴェンの協奏曲5曲は全部弾けるが、ショパンの2曲は
弾いたことはない奏者が2日後にショパンの第1コンチェルトを
弾いてくれ、と言われたケース。

すなわち、
ベートーヴェン弾ける…プロの役者としての基礎も度胸もある。
ショパンを弾いたことはない…「おれのナポレオン」など
                  演じたことはない

いや、弾いたことはないだけでは公平とは言えない。
聴いたこと自体ないとしないと、宮沢さんの状況に近づかない。
でも、ピアノをやっている人で、弾くのはともかく、
ショパンの第1協奏曲を全く聴いたことが無い人など、
現実的には考え難いが、万一、そういう人がいて、
代演することになったとする。

協奏曲では、奏者が曲を完璧に弾けるようにし、感情移入も
どうするか決められたとしても、指揮者すなわち
オーケストラとの掛け合い、互いの呼吸が大事であるから、
リハはもちろん大事だが、それでもソリストが完璧に弾ければ、
掛け合いの不十分さ、すなわち、全体の演奏としての
レベルが高くないという結果に終わることがあっても、
一応の代演を務めることはそれほど困難ではないと想像できる。

よって、この例でさえ、宮沢りえさんが置かれた状況の困難さと
比較し得ることはできないと言えるだろう。
それほど厳しいものだったと言える。


なぜなら、演劇の場合は、自分のセリフを完璧に覚えただけでは
成り立たないのだ。
相手のセリフも覚えないと、どこで自分がセリフを言うか判らない。
加えて、当然、その場その場における状況、空気における表現や
表情のニュアンス、セリフのイントネーションや間合い、等々、
全ての状況を把握したうえで、自分の全てのセリフが生きる
わけだ。

そして何より当然最終段階として、その役柄、
役のキャラクターを演じ切る、役に成りきっての演技が
最後に観客に提示するまでを要求されるのが、役者なのだ。

それを数日という信じ難い短期間で習得して演技したということ。

ピアニストの例より もっと近い設定を考えるなら、
声楽を勉強している人が、
 「3日後に、このオペラで歌ってもらうから」、と、
全く歌ったことが無いだけでなく、聴いたこともない、
上演時間が2時間かかる新作オペラ、
主役である自分は、ほとんど出ずっぱりになるオペラに
急に 「出ろ」、と言われたケースが似ているかもしれない。

そんなことできる歌手が世界に何人いるだろう?

このように、宮沢りえさんが行った事というのは、
 
  「とてつもない偉業」 なのだ。

日ごろの役者としての下地~訓練、心構え=心の姿勢~の
賜物なのだろう。
プロ根性を見せつけられる思いがするのは私だけではないだろう。

観客の興奮とスタンディングオベーションの状況が目に浮かぶ
ようだ。

ある観客はこう言ったという。
 
 「りえさんの登場したこの演目は、伝説的な舞台となった」、と。

きっとそのとおりだと想う。

2013年2月 9日 (土)

舞台 「テイキングサイド」~フルトヴェングラーの非ナチ化審査を行定勲さんが演出

戦時下、多くのユダヤ人音楽家を助けたのに、
戦後「ナチ」との疑いを米軍から追及され、演奏活動を
止められた大指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラーの
いわゆる「非ナチ化審査」を行定勲監督が演出する舞台が
上演されている。

平幹二郎演じるフルトヴェングラーを、
筧 利夫演じる芸術のゲの字も興味の無いアメリカ軍少佐
アーノルドが厳しく追及する。

 「ウィルヘルム、君はナチだったのではないか?
  ヒトラーやゲッペルスに<協力>するためにドイツに
  留まったのだろう?」、と。

内容が内容だから、客席は空いているだろう、
客層は70歳前後が多いのではないか?と想像して、
天王洲銀河劇場に初めて行った。
チケットも全席9000円と決して安いとは言えない額だ。

ところが予想は全く外れた。

私が観た公演は8割は埋まっていたし、なんと半数いや
6割くらいは20代~30代の若い人達で、
男女比も半々かもしや女性のほうが多かったかもしれない。

若い人たちが、かつて私もそうだったように、
フルトヴェングラーに興味を持つことは自然だ。
残されて録音はライブであれスタジオ録音であれ、
ほとんど60年以上前のものなのに、いまだに
圧倒的な説得力をもって私たちを魅了する。

けれど、彼の生涯、とりわけ米軍によって行われた
いわれなき「非ナチ化審査」などに、
今更 若い人が興味を持つとはとても思えなかったので、
とても意外な、大きな驚きだった。

この舞台作品は日本スタッフのオリジナルではなく、
「戦場のピアニスト」を書いたロナウド・ハーウッドの原作で、
既にイギリス、ブロードウェイ、フランス、ドイツ、
オーストリアと上演されてきていて、
大きな評判を呼んできたという。

収容所の無残なユダヤ人死体を見た<筧アーノルド>は
最初から有罪有りきで、フルトヴェングラーを
「ウィルヘルム」と呼び捨てにして、一気呵成にまくしたてる。

後半ではカラヤンとの確執や私生児(いわゆる隠し子)が
何人もいたフルトヴェングラーの女性関係にも言及するが、
平演じるフルトヴェングラーは威厳と気概をもって抗弁する。

フルトヴェングラーは痩せていて、平さんはガッチリしている
ので、外見的イメージは私はやや異なるが、
平さん独特の威厳あるセリフ回しによりフルトヴェングラーの
心理的状況が浮き彫りにされてきて、感銘する舞台だった。

特に終わり近くでは、ホロコーストの事実は知らなかった
 (もちろん、ナチ以外のドイツ人は皆そうだった)ことを
嘆くシーンは、実際にフルトヴェングラーがそう言ったか
どうかは別として感銘深いシーンだった。


事実に基づいてもう少し記しておくと、「非ナチ化審査」では、
カラヤンのほうが先に「解放」されている。
そのことはこの劇の中でもフルトヴェングラーの
 「他の指揮者は解放されているのに、なぜ私は
  まだ続けるのか?」というセリフで出てくる。
もちろん、カラヤンを念頭に置いた言葉だ。

カラヤンは当時30代だから、米軍も軽く見たのだろう。
後年あれほど有名になることも想像してないだろうし。
フルトヴェングラーはR・シュトラウスとともに、
あの時代の大権威で、フルトヴェングラーは実際、
来場したヒトラーと握手しているし(その映像は
 ユーチューブでも見れる)、
ナチがフルトヴェングラーの名声を利用したのは明らかだ。

なお、この劇には出てこない事だが、ゲッペルスは
彼の日記で、フルトヴェングラー指揮の演奏について
何度も絶賛している。
ゲッペルスの音楽に対する感受性は かなり まともに想える
から、戦争のない時代だったら、ナチがドイツで誕生して、
戦争をしかけていくようなことがもし無かったら、
普通のフルトヴェングラーファンで終わっただろう。


映像といえば、巨大なハーケンクロイツの下での
演奏フィルムについては、今の時代から見れば
確かに良いイメージは抱かないだろう。
しかし、あれはもちろんフルトヴェングラーとしても
ギリギリの妥協だったと想う。
彼だっていつまで命を保障されたか判らない状況だったし、
実際、後年、逮捕が迫ったので、彼は密かにスイスに
脱出するのだ。
まるで「サウンド・オブ・ミュージック」のラストシーンのように。
なお、その直前の演奏会の録音も残っている。


この舞台では触れていないことを2つほど書いておこう。

  カラヤンとユダヤ人音楽家

劇中のセリフでも明言されているように、
カラヤンはナチス党員だった。
戦後、アメリカでは、フルトヴェングラーのシカゴ交響楽団来演
の話が起きたとき、ルービンシュタインやホロヴィッツら
ユダヤ人音楽家による猛烈な反対運動が起き、結局、
フルトヴェングラーは渡米できずに終わったのに比べ、
カラヤンは、ベルリン・フィルと渡米した際、戦後から
それほど経っていない時期には、渡米に際して
多少反対運動のようなものが起きたものの、
その後は何にも言われなくなったことは、
戦後のアメリカ、欧州での経済発展を併せて考えたときに
興味深く感じるものがある。

時代は、良い悪いでなく過去、特に個人のそれは
あまり問わなくなっていったという面はあるように想えるからだ。


  ユーディ・メニューインの助力

戦後、フルトヴェングラーが米軍から監視され始めたころから、
そして非ナチ化後ももちろん、一貫してフルトヴェングラーを
弁護し、敬意をもって接し、共演した演奏家に、
イギリス人のヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインがいる。

メニューインのような人は世の中にはいるものなのだ、
ということ自体、芸術家に限らず、個々の人間の物語と
幸福な出会いということを考えるとき、感慨深く、
感動を覚えるのだ。


   他の出演者について

ベルリン・フィル第2ヴァイオリン奏者 ヘルムート・ローデ役の
小林 隆さん
 呼び出された当初は、フルトヴェングラーがいかに
 ユダヤ人を助けたか、偉大な芸術家であるかを述べたが、
 自分がナチ党員であったことがバレてからは、
 自己保身に転化していく心情を絶妙に語り演じていた。
 おどけたセリフと演技がさすが。


 第2ヴァイオリンに関する脚本家の誤解

なお、ローデに関することで一応 記しておきたいのは
役者のことではなく、脚本に関してで、
第2ヴァイオリンあるいはその奏者ということに関して
相当な誤解が脚本者にあるように想えたが、
まあ、これは音楽やオーケストラによほど詳しくないと
なかなか理解できないことだから特に文句は言わない。

というか、ヴァイオリン奏者自身の中においてさえ、
第2ヴァイオリン奏者の重要性や魅力を
まるで理解していない人も多いくらいなのだから、
多少の自虐的誇張は理解しつつも笑ってスルーしてよい内容、
セリフ、脚本だった。


アーノルドの助手、エンミ・シュトラウベ役の福田沙紀さん
 映画で観たときは、ふんわりした感じだったので、
 こうしたシリアスな舞台はどうなのだろう?と想像していたが、
 なかなか良かった。
 今後も舞台でも活躍して欲しいし、できる人だと思う。

アーノルドの部下、デイビット・ウィルズ役の鈴木亮平さん
 役目と心情との板挟みを実直な発声によるセリフで
 立派な演技をしていた。

ユダヤ人ピアニスト、ワルター・ザックスの未亡人
タマーラ・ザックス役の小島 聖さん
 精神の混乱した面と、ある種 凛としたところを見事に分けて
 演じていたと思う。良かった。


   演劇と演奏と

私は舞台自体、これまであまり観たことが無いので、
とても面白かったし、勉強になった。

映画やテレビドラマ収録と違って、正に「ライブ」なので、
セリフを間違えられない、いや、噛むことさえ
みっともなくてできない、という相当のプレッシャーが
俳優には当然あるだろう。
これはもちろん、音楽のコンサートも同様だけれども。

いってみれば、映画やTVドラマの録画収録は、
音楽でいうスタジオ録音であり、何度もやり直しが可能だが、
ライブである舞台はそうはいかない、という意味では、
映画やTVドラマよりも、ライブ演奏会に似た
パフォーマンス状況と言えるだろう。

しかも、舞台の場合は大抵、短くても1週間から2週間、
長ければ1ヶ月以上に及ぶものもあるのだから、
出演者は休めないというプレッシャー、
期間中の体調管理を徹底しないといけない大変さがある。

この舞台は、少々チケット代は張るけど、
フルトヴェングラーに、あるいは芸術家と政治、社会問題
との関係に興味のある人にはお薦めしたい舞台だ。

2012年2月11日 (土)

「VOICE SPACE」~「詩と音楽のコンサート」 with 谷川俊太郎さんと谷川賢作さん

言葉、日本語というものが他の言語同様、言葉である以上、
一定の規律、文法によるある種の「縛り」の中に収められて
いるのは当然だし、時代的あるいは地域的な違いや変化等が
当然在るにしても、あるいは漢字とひらがなによるこれも
時代的地域的に微妙な組み合わせの彩(いろど)りが在るにしても
言葉である以上一定の規範に従うことは自明であり、
これに抗することは相当難しい、という一般論は成立するだろう。

「VOICE SPACE」というユニークな、人員構成的にも
折々で変化する弾力性のある集団が、
公演の最後で「明日」を歌うのを聴くと、
彼ら彼女らの目指す先が「可能性」~ある種漠然とした、しかし
それでも確実に前に向かって歩いて行くという「希望」に立脚した
何か新しい創造を生んで行こうとするいわば
「可能性そのものを紡(つむぎ)ぎ出すかのような創造の原動力」
を思い浮かべたのだった。

もちろん彼ら彼女たちは新劇等の純然たる劇団ではないし、
西洋の絶対音楽を核とした純然たる音楽集団とも異なる。
描かれる、空間に生み出されるもの~言葉と音楽と身体による
表現は、その中でどれが主でどれが従とか言うことは
あまり意味を為さないように思える。

常に空間の中で言葉と音が交差し、あるいは身体的な躍動が
交差する。
創り出されるものは確かに前衛的で斬新なイメージを受ける
ものが多くあるが、しかし同時に、それは民話的で原始的で
あったり、土着的で牧歌的で単純無垢な要素も有している。

言葉や音が奇妙に断片的に投げ出されても、
不思議な統一感をもって空間に描かれる、あるいは
そういう可能性を目指しているかのように言葉や音が発せられて
いるように想像できる。


作品の中で多くを作曲している中村裕美による創作が
「VOICE SPACE」のユニークな世界を形作っているのか、
あるいはいわば最初から「VOICE SPACE」という独自の
個性的な世界が空気としてあって、中村裕美が
それに彩るように作曲しているのか、いずれかは判らないが、
たぶんその両方が真実でもあるように想える。

私としては2010年12月以来、今回が2回目のステージの
拝見拝聴となるので、さすがに初回の「困惑的な衝撃」は薄らぎ、
客観的に楽しめた。

もちろんそれでもある種の違和感、と言っても
否定的なものではなく、「快感」と言ってもよいような、
いわば「肯定的な違和感」というイメージ、
そうしたユニークな空間パフォーマンスの楽しさを
あらためて感じることができた。


そして、なんと、私にとって高校生時代からの憧れの詩人
である谷川俊太郎さんとご子息でピアニスト作曲家の
谷川賢作さんとの共演としての公演だった。
「VOICE SPACE」と谷川親子とは度々共演されていることは
知っていたので、いつか直に拝聴したいとずっと思っていた。


2月11日、都営新宿線の船堀駅のすぐ近くにある
「タワーホール船堀」というなかなか立派な施設の小ホール
での公演に出かけた。

プログラム(パンフ)に記載された内容をそのまま書くと、

主催=いるかいる会
    (江戸川区にほんご文化プロジェクト実行委員会)

後援=江戸川区

 「VOICE SPACE Presents 詩と音楽のコンサート①
  with 谷川俊太郎と谷川賢作」
 ~わくわく どきどき ことばであそぼう

である。

この日、まず11時から「親子向け公演会」があり、
13:30から「大人向け公演」があり、私は拝聴したのは後者。

プログラムによれば、そこでも「親子向け」でも9作品演奏されて
おり、「大人向け」と共通する曲は
冒頭の「どこへいくのですか?」のほか、
「したもじり」という計2曲だけで、あとはそれぞれ別の曲。

また、公演を①としているから、今後、出演者や会場(ホール)が
どこかはともかくとして、コンセプトとしては継続されて
いくのだろう。

以下、個別に感想を簡単に記す。


1.どこへ行くのですか? (詩;佐々木幹郎 曲;中村裕美)
   出演者=全員

2.りんごへの固執 (詩;谷川俊太郎 曲;中村裕美)
   語り;薬師寺典子 Violin 朝来桂一

3.愛のあと (詩;谷川俊太郎 曲;谷川賢作)
   朗読;谷川俊太郎 Saxophone 大石俊太郎
   Cello 関口将史 Piano 谷川賢作

4.したもじり (詩;谷川俊太郎 曲;中村裕美)
   尺八;渡辺元子 鼓;石井千鶴

5. Be Sleep Baby (曲;武満徹 編曲;谷川賢作)
   Irish Flute;豊田耕三 Violin 朝来桂一

6.どこのどなた (詩;まど みちお 曲;中村裕美)
   語り;澤村祐司 Saxophone 大石俊太郎
   Cello 関口将史 Piano 谷川賢作

7.朗読と歌のリレー「こころ こころ」(詩;谷川俊太郎)
   全員が数名ずつ
  ・こころ1(朗読)
  ・襤褸(曲;石井千鶴)
  ・こころ ころころ(群読)
  ・悲しみについて(朗読)
  ・ころころ(曲;谷川賢作)
  ・こころ ころころ(曲;中村裕美)
  ・まどろみ(朗読)

8.詩人は辛い (詩;中原中也 曲;谷川賢作)
   Vocal 小田朋美、澤村祐司、薬師寺典子、黄木 透、
       中村裕美、渡辺元子、石井千鶴
   Saxophone 大石俊太郎 Violin 朝来桂一
   Cello 関口将史 Bodhran 豊田耕三 Piano 谷川賢作

9.明日(詩;佐々木幹郎 曲;小田朋美、中村裕美)
   8と同じ全員


1は出演者の多くが客席から入り、
  「どこへい子のですか?」と客席にたずねるように開始。
  早くも独特の空間性。

2の薬師寺さん。
 ウィーン留学中のため今回は参加できなかった小林沙羅さん
 が以前演じたときのようなダイナミズムは無いが、
 ソフトで薬師寺さんならではの「りんごへの固執」を表現
 していて、とても良かった。
 薬師寺さんも十分美形だし、声も良い。

3について、俊太郎さんが
 「愛のあと」というのは「愛の行為のあと」という意味です」、
 として朗読したのだが、その補足説明を聴いたとき、
 290席ほどの小ホールとはいえほぼ満席の老若男女も
 一瞬(公演の副題~狙い、どおり)ドキッとしたかもしれない。
 内容もどことなく艶(なま)めかしく、でも静かな夜のような
 静謐な神秘感と気品があり素敵な詩だった。

4はとても面白かった。2人が楽器だけでなく、
 声による断片的な合いの手を入れながらの演奏。

5は賢作さんが逸話を披露。何でも、氏が生まれたとき、
 武満さんが俊太郎さんにプレゼントした曲で、
 賢作さんいわく、
 「この武満さんによる直筆=原譜は、いくらお金を
  積まれても門外不出。宝物」。
 もっとも、この曲の存在を知ったのは賢作さんが
 30歳くらいになってからとのことで、
 俊太郎さんも特に話さないでいたらしい。
 シャレた明るいシャンソン風の曲。

6は中村さんにしたら極めて良い意味でオーソドックで、
 西洋音楽的。いや、むしろ武満的と言うべきかもしれない。
 武満の「燃える秋」に少し似た感じの素敵な曲。

7はまた、会場に団員が降りてのパフォーマンスがあり、
 それでも最後の「まどろみ」を俊太郎さんが読む際には
 全員が舞台に登り、俊太郎を囲むような演出がなされていた。
 当然だが練習がキチンとされているのがよく判るシーン
 だった。

8はボイスのみんなが特に大好きな曲とのことで、
 実際魅力的な内容。

そして最後は「明日」。
会場にも合唱を呼びかけての、というのはいつもの
エンディングスタイルだ。

こうして休憩なしの1時間30分の公演が終わった。


なお、余談だが、実はご子息の賢作さんはもう10年近く前
だが、近くで接したことがあった。
友人の結婚式に出席した際、新婦の縁戚にあたるとの
ことで、賢作さんも来賓として来場し、ピアノ演奏も披露
されていたのだった。

「VOICE SPACE」は折々で、内容的に、あるいは
当然ながら参加者の都合にもより、メンバー構成が異なる
ことも1つの特徴でもる。

ウィーン留学中の小林沙羅さんが参加されなかったのは
残念だが、今後当然また機会があるだろうから、
楽しみにしているしだいだ。

2011年10月 2日 (日)

ADCグランプリ サントリー 「歌のリレー」    ~「あれは広告だったのだろうか」~     確かに「広告」というより 「温かなエール」

少し前の新聞広告の話。 7月11日の全国紙に、
  「あれは広告だったのだろうか」
との見出しで、大きな一面を割いて、「ADCグランプリ」のほか、
「ADC賞」、「ADC会員賞」などの表彰紹介広告が掲載された。

    見事「ADCグランプリ」受賞作品は、
 <サントリー「歌のリレー」コマーシャルフィルム>

   サントリーがCMとして放送した
   「歌いつないで エイドソング」だ。

 「上を向いて歩こう」 と 「見上げてごらん夜の星を」 の2曲を
  総勢71人のCM出演者が歌うもの。

同社が、日本が明日に向かって前進するために何かメッセージを
届けることはできないかと考え、希望の歌のバトンリレーを
行うことで少しでもたくさんの人の気持ちに絆の和を広げていく
ことができればと、同社のCM出演者に依頼。

71人がそれに賛同し、動画が完成したという。

2曲それぞれに、A、B、Cの出演者別ヴァージョンと、
放映時間も30秒と60秒のバージョンがあり。

どれも素敵だ。例えば、

   「見上げてごらん夜の星を」 の30秒モノでの、

  【榮倉菜々→檀れい→堀北真希→竹内結子→小雪】

   なんて、ついつい見てしまう。
   http://www.youtube.com/watch?v=ovZVDr9FE94

  歌がうまいとかへたとかは、こういう特殊なCMでは
  「二の次、三の次」となる。


   同じ歌の60秒もので、

  【矢沢永吉→宮沢りえ→萩原健一→ベッキー→近藤真彦
   →小雪→堺正章→三浦友和→本木雅弘→松平健
   →檀れい→永瀬正敏】

これなども素敵だ。
http://www.youtube.com/watch?v=Dz8UGZT2YGg&feature=related

他にも「上を向いて歩こう」(60秒)で、和田アキ子さんから始まり
松田聖子さんで終わるバージョンなどなど、興味深いものばかり
だった。


なお、この7月11日の、この受賞CMを伝える新聞の文が
素敵だったので、以下引用させていただきたい。


       あれは広告だったのだろうか。

  あの日から2週間後に、サントリーのCMがありました。
  「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」の2曲を
  多数の歌手や俳優がバトンリレーして歌ったCMです。

  そのCMは哀悼の気持ちをより深め、くり返し触れている
  うちに、自分の中にかずかな希望を感じるようになりました。

  そして、ふと思いました。
  テレビのCMではある。しかし、これはCMなんのだろうか。

  このCMは4日間でつくられました。

  震災からまだ間もないある日、都内のスタジオに
  サントリーのCMに出演する71名が集まりました。
  みなさん、無償の出演でした。

  人前で歌うのは大の苦手という人もいました。
  歌っている最中に涙がこみ上げて歌えなかった人も
  たくさんいました。
  時々、余震が起きていました。
  ニュースは被災地の深刻な状況を伝え続けていました。

  みな、震災と原発事故の事態に打ちのめされ、
  現地に行って何かの役に立つ、支えになる、一緒に悲しむ。
  それをいちばんにしたかったはずです。
  しかし、いまできることは歌うことでした。

  私たちADC(東京アートディレクターズクラブ)は、
  これはまぎれもなくCMであり、企業に広告であるとし、
  グランプリに選びました。

  コミュニケーションをデザインすることを職業とする私たち
  にとって、いま、何ができるかを深く考えさせる、
  あまりにも特別な年でした。

      東京アートディレクターズクラブ

より以前の記事一覧

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック