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2017年4月17日 (月)

平野美宇選手の快挙~中国卓球界に衝撃走る

以下は私の感想とかではなく、
幾つかの記事を整理したものです。

いずれにしても、とうとう卓球王国中国の牙城を脅かす選手が
日本から出てきた、しかもそれは、リオ五輪で
福原愛、石川佳純、伊藤美誠に正選手に対し補欠で現地入り
した悔しさからの成長という点に正にドラマを感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
卓球・アジア選手権(15日、中国・無錫)女子シングルス決勝
で世界ランク11位で今年1月に全日本女王となった
平野美宇(17、エリートアカデミー)が、
世界ランキング5位の陳夢(23、中国)に11-9、
11-8、11-7と3-0とストレート勝ちし、
日本勢の同種目優勝は1974年の枝野とみえ、
96年の小山ちれに続き3人目、21年ぶりの優勝を果たした。
17歳は大会最年少記録。

17歳の誕生日を迎えた14日の準々決勝14日の準々決勝で
昨年のリオデジャネイロ五輪金メダリストで世界ランキング1位
の丁寧に競り勝ち、この日の準決勝も世界ランク2位の
朱雨玲(中国)にストレート勝ちし、中国勢をたて続けに破った。

なお、男子は72、74年に長谷川信彦が連覇を果たしている。

史上最年少で全日本女王に輝いた平野が世界最強の
中国選手の壁を次々と乗り越えた。
アジア選手権の女子シングルスで、過去1度も勝ったことのない
中国トップ選手を3連続で破り、頂点に立った。

世界を驚かせた2日間だった。
14日の準々決勝では世界ランク1位でリオ五輪金メダルの
丁寧に2ゲームを連取されたが逆転。
この日の準決勝では、14年仁川アジア大会で初対戦時に
1ゲームも取れなかった同2位の朱雨玲に、
力強いサーブで主導権を握り3-0のストレート勝ち。
日本人選手がシングルスで世界トップの中国人選手から
1大会で3勝したのは、日本協会関係者も
「近年では記憶にない」と語る歴史的な快挙だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

屈辱を力に変えた。幼少時からコンビを組む伊藤美誠に
水をあけられ、代表入りを逃した昨夏のリオ五輪は補欠
として現地に同行した。練習をともにしながら試合を

スタンドで観戦する悔しさをバネに一念発起。

悩んだ末に相手のミスを待つ卓球から攻撃的な卓球にシフト
した。
昨年10月の女子ワールドカップで日本勢として初めて
シングルスを最年少の16歳で優勝。制覇。
その後は中国超級リーグに参戦して経験を積み、
中国選手の鋭く回転する球に慣れていたのも功を奏した。

今年1月の全日本選手権では石川佳純を破って
史上最年少優勝を果たすなど急成長。
初優勝した1月の全日本選手権前から右肩を痛め、
2月の試合で悪化させた。1週間近くラケットを握れない時期
もあった。その中での今回の快進撃。

3試合とも、リオ五輪代表から漏れた一昨年から
取り組んできた体幹と下半身を鍛えた成果が出た。
強打を打ってもすぐに構えの体勢に戻れるから、
鋭い球が連打できる。中国勢は平野の高速ラリーの前に、
左右に振られる場面が目立った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

完全アウェーの本場・中国で与えたインパクトは計り知れない。
平野がポイントを奪うたび、会場を埋め尽くした観客の
「加油」(頑張れ)の声が小さくなった。
完全アウェーの決勝で世界5位を圧倒。
相手の強打にも体の軸をぶらさず対応し、
相手を上回るスピードで追い詰めた。サーブでも優位に
立ちパワフルなフォアハンドで何度もラリーを制した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中国女子の孔令輝(コー・リンヒィ)監督は
「平野は試合を支配した。彼女のテクニックは
 我々よりも先進的だ」と、
完敗を認めるコメントを紹介。
「我々のトッププレーヤーに対する3連勝は彼女の
 能力の証明。彼女の技術は明らかに上回っていた。
 これから彼女の強みを勉強しなければならない」、
と驚きを隠さなかった。
中国にとって最大の敵となったようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中国メディアも、「強力なライバルが現れた」などと報じた。
国営中央テレビのスポーツチャンネルのアナウンサーは
「この17歳の少女の実力は侮れない。
 中国チームは警戒を強めるべきだ」と話した。

国営通信新華社も「中国がアジア選手権で独占していた
女子シングルスのチャンピオンの座を奪われた」と報じた。
敵将の孔令輝監督も「世界選手権までに彼女の強さを
研究しなければならない」とショックをあらわにした。

国際卓球連盟は公式サイトで、
「“ハリケーン・ヒラノ”のスピードは中国人選手を
 置き去りにした」「中国の支配を終わらせた」と絶賛。

「中国の支配を打ち破り、卓球界を驚かせた」と、
称賛した。
その攻撃的なスタイルに「平野がテーブルから退くことは
なかった。特にサーブではさまざまなスピンを利かせ、
陳夢に最大の課題を与えた」と評し、
この大会で中国勢以外では3人目となるアジア女王に
輝いた快挙を称えた。

・・・・・・・・・・・・・・・

両脇に中国選手を従えての表彰台で君が代を聴き
「いつも中国国歌が流れるのに聴き慣れているので、
 日本の国歌が流れて凄く新鮮」と笑った。

試合後、平野は
「調子が良かっただけでは中国選手に3回も勝てない」
と自信を深め、
「これが現実か分からない。常に先手を取れた。
 すごくいい卓球ができた」と喜んだ。
「すごくうれしくて、驚いています。中国選手に勝てるとは
 思ってなかった。(準々決勝で勝った)丁寧選手には
 勝ったこともなかったので。
 去年、中国リーグに参加して多くを学べたことが、
 今回の勝利に関係していると思う」と、
笑顔満開。
5月に開幕する世界選手権に向け
「アジア選手権で優勝できたので、
 このいいパフォーマンスを続けて(調子を維持して)
 世界選手権のタイトルに向けて頑張りたい」と、
意気込んだ。

5月の世界選手権(ドイツ)、そして20年東京五輪での
金メダルも夢物語ではなくなった。

2017年4月11日 (火)

浅田真央賛~1つの賛辞

あなたほど多くの人から愛された女性アスリートが
いたでしょうか?
これまでも素敵な素晴らしい女性フィギュアスケーターは
いました。しかし実力と国民的アイドルが重なった人は
あなたが初めてでした。

国内だけでなく多くの国に、あなたのファンがたくさんいます。
男性からだけでなく、むしろ同性である女性からこそ好かれた
という点においても稀有な人です。

きっとそれは、私を含めて多くの人にありがちな、
ある種の「ウソ」があなたには感じられないからです。

あなたの裏表の無い、純真で無垢な笑顔は
決して表面的な繕いではなく、いつも本心からの表れ
であることを、見る人すべてが感じ取っていたからに
他なりません。

子供っぽかったあなたが、元総理から
「あの子は大事な場面でよく転ぶ」
と言われても、ニコニコして
「うまく滑れるときもあります」
と笑顔で受け流すまでに、
いつのまにか成長されていました。

ラフマニノフ、ショパン、プッチーニ、リスト、
ハチャトゥリアン、ガーシュイン、チャップリンらの曲に
乗って美しく舞う姿だけでなく、これまでの競技において、
あなたがいつも絶好調であったわけではないことを
皆知っています。

人々はあなたの成功した完璧な演技のみに
魅せられたわけではありません。
あなたが悔しい涙を流したときは、いっしょに悲しみ
悔しがった。

ファンはあなたの果敢なチャレンジを見届けたのであり、
あなたの心に常に寄り添っていました。

あなたの不本意な涙さえ、その涙の分だけ、
ファンは益々増えていったのでした。

ジャネッツト・リンは素敵でしたが、彼女を含め多くの
魅力的な選手は、フィギュアスケートファンには
映画スターに似た憧れの存在だったことと対照的に、
真央さんはスターでありながら、ごく身近な、
まるで私たちの家族の一員であるかのような親しみを
常に感じたものです。

多くの国民が真央さんの親戚でもないのに、
真央さんが自分の娘でも妹でも姉でもないのに、
あたかもそうであるかの様に「真央ちゃん」と
いつも気安く呼び、
あなたの演技を、家族の一員であるかの様に
ハラハラしながら観ていたのでした。

今回のご決断に驚きながらも、
これまでの真央さんの歩みと、
これからの真央さんが歩む新しい門出に、
多くの国民が感謝を込めて花束を贈ることでしょう。
お疲れ様でした。ありがとうございました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 参考

選曲=使用曲
http://solife-a.com/37074.html

織田信成氏が涙「戦う浅田真央選手が好きだった」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170411-01805974-nksports-spo

織田氏 真央のメッセージに号泣
 「ひとつの時代が終わったのかな」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170411-00000051-dal-spo

織田信成が関大監督就任
真央思い会見後にも涙「フィギュアに愛された天使」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170411-00000093-spnannex-spo

2017年1月15日 (日)

都道府県対抗女子駅伝

都道府県対抗女子駅伝~大雪~若い力~接触の危険
14日、NHKで放送された第35回全国都道府県対抗女子駅伝
を見る気は無かったが、東京は午後は快晴だが、
京都は粉雪というより大雪が第6区まで激しく舞う中の力走
なので、つい見てしまった。

駅伝百年記念でもある大会だが、雪が弱まり止んだのは
第7区以降だ。それも、アンカーが10キロを走る第9区で
また雪が激しく降り出すという過酷な展開。

先日の大学駅伝で、誘導の警察のミスで、
選手と自動車があわや衝突という場面があったが、
このレースでも第2区から第3区に移るタスキ受け渡し場所で
3位で受取った千葉の中学生が走り出して直ぐ、
係員が1位か2位で入った選手の肩を抱えて横切り、
衝突しかかえるというトンデモないシーンがあった。

バトン(タスキ)タッチする場所では選手間でも混乱して
危険なのに、続々選手が交代する中、横切るとは呆れる。
その千葉の中学生は落ちず逆に1人抜いて2位に
上がったから影響が無かったから良かったものの、
あわやというシーンだった。

最初の見せ場は第4区で、長崎の高校1年生、
廣中瑛梨佳選手が12位から11人抜きでトップに立った
シーン。
しかも1位にいたのは区間記録保持者の神奈川の
出水田眞紀選手。
廣中は区間新には7秒ほど届かなかったが凄い力走で、
解説者陣が「和製ラドクリフの出現」等、激賞していた。

中学生が揃う第8区では1位から7位までが6秒間に
ひしめくという激戦。

過去2区間で29人抜きの区間賞やアンカー経験もある
解説の小林祐梨子さんによると、
 「こんなシーンは見た事無い」。
全体でも高校生が各チーム活躍する中、
最後は岡山の猛追の中、地元 京都が1位を死守して
16回目の最多優勝となった。
なお、東京は14位。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6227217

2016年10月17日 (月)

プロ野球のクライマックスシリーズはナンセンス

プロ野球~今頃ですが、なんで複雑に?

以前は、セ・パそれぞれでリーグ優勝したチームが
日本シリーズで戦ったが、
今は「クライマックスシリーズ」とかいうワケのわからない
システムになっているんですね。

リーグで2位、3位だったチームにも日本シリーズ
出場可能性がある、なんてオカシイと思う。

やはり昔は無かったリーグトーナメント時の
「セパ交流戦」は大賛成だけれども。

多く長く野球を楽しめて良い、という人がいるが、違う。
潔くない。

各チーム、まずリーグ優勝を目指して戦っているわけでしょ。

リーグで優勝して日本一になろう、と戦ってきたはず。

リーグでは2位か3位でいいけど、日本シリーズ出場を
勝ち取ろう、ということができてしまうシステムはおかしい。
ナンセンスだ。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6217708

2016年8月31日 (水)

ベラ・チャスラフスカさんを悼む

ベラ・チャスラフスカさんを悼む
驚いた。本当に悲しい。
歴代女子体操選手の中で最も有名な、コマネチ以降のアクロバット時代に移る前、女子体操がまだ優雅さを競った時代の最後の大選手だった。

メキシコ五輪直前に起きたソ連のプラハ進行、結婚後は家族に起きた悲劇やそれに起因するだろう自己の体調不調等、政府との対決を含めて激動の人生だったと拝察する。

世界中のファンがあなたに哀悼を捧げるでしょう。
永遠の名花、さよなら
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160831-00000068-jij-spo


ベラ・チャスラフスカさんに捧ぐ~クチンスカヤの気持ちに寄せて
私は2007年2月11日付けでブログに「君はクチンスカヤを覚えているか? ナターシャに恋して」という文を書いた。
クチンスカヤの今でも忘れ難い可憐さに子供心をも揺さぶられたゆえ、懐かしんで書いたのだが、文の後段は彼女がライバルにして友人だったチャスラフスカさんについての思いを記したのだった。
後述のとおり、文の最後にこう書いた。

「ベラ・チャスラフスカとナタリア・クチンスカヤ。1960年代後半の女子体操界を、人気実力ともに文字通り2分した2人の「メキシコ後」の人生は、ある意味では対照的ではある。2人に間違いなく存在する友情と、国家を挟んでの微妙な感情は、東欧の歴史をそのまま表出させもする。ナターシャとベラは、再び会える日が来るのだろうか?それを心から祈りたい」

ナターシャは生前のベラに会えたのだろうか?

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以下はブログ文の抜粋;URL全文参照
メキシコ五輪大会の直前に、プラハの春の封じ込め策としてソ連軍がチェコに軍事介入。女子体操選手らはライバルとはいえ、五輪前までは仲良く話せる状況だったが、一変。
メキシコではチャスラフスカをはじめ、チェコチームの誰1人としてソ連チームに話かける人はいなかったという。

ナタリア・クチンスカヤ(以下、ナターシャ)は言う。
「私はベラをライバルと思ったことは一度もありません。尊敬すべき選手としてずっと敬意を払ってきました。テクニックもパワーも表現力も何もかも優れていた。私は彼女のことが好きなのに、メキシコのときは(ソ連のチェコ侵攻のことがあり)口をきいてくれなくて・・・」。
「どうしていいか判らなかった。彼女は政治にかかわる人で、私は違う人間なんだと思いました。でも、当時も私が嫌われたのだとは思いませんでしたし、今は彼女のあのときの気持ちが理解できます」。

メキシコ後、1986年にモスクワで開催された選手権で2人はともに審判員として再会し、短い立ち話しではあったが、やっと近況を語り合えたのだった。そして、その後、ベラに「事件」が起こる。

日本のテレビの特集ではあったが、ナターシャは単身プラハに行き、ベラに会おうと試みている。事件の判決直後ということもあったためか、ベラは誰とも会いたくないという心境にあり、このときは会えなかった。
「ベラ・チャスラフスカ~最も美しく」の著者、後藤正治氏が今はアメリカで暮らしているナターシャを訪ねた際、ナターシャは後藤氏に「ベラに会ったら渡して欲しい」として、夫と写る自分の写真を託し、コメントを添えた。
「愛するベラ。すっかりご無沙汰しています。私は今、アメリカに住んでいます。顔はこんな感じ。横にいるのが夫です。後藤さんと今、あなたのことなど、いろいろなお話をしました。お元気で。いつか会えることを楽しみにしています。 ナターシャより」
ベラ・チャスラフスカとナタリア・クチンスカヤ。1960年代後半の女子体操界を、人気実力ともに
文字通り2分した2人の「メキシコ後」の人生は、ある意味では対照的ではある。2人に間違いなく存在する友情と、国家を挟んでの微妙な感情は、東欧の歴史をそのまま表出させもする。
ナターシャとベラは、再び会える日が来るのだろうか?それを心から祈りたい。
http://susumuito.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/__f758.html

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「2020年は雲の上から手を振ります」~チャスラフスカさん~朝日新聞からの要約

うつ病から治り、東日本大震災の被災地も訪れた。
プラハの街を歩けば今でもサインを求められる人だったが、講演やイベントでも出演料は受け取らす、国から与えられた1軒家を人に貸し、その収入と年金で、6畳ほどのアパートの部屋に暮らした。数々のメダルはベッドの下の箱の中だった。

2020 年の東京五輪が決まった際は自国の事のように喜んだ。昨年、10時間に及ぶすい臓ガン手術。その後、肝臓ガンも見つかり、医師から余命宣告を受けていた。
2ヶ月前に会った朝日の記者には、20kg痩せた体ながら笑顔で「東京五輪は雲の上から日本の皆さんに手を振ります」と語ったという。

彼女のメルアドは「sakura1964@~~」。
1964年の東京五輪での来日以来、日本を愛し続け、また日本人を含む世界中のファンから愛された名花は逝った。

五輪全体

2016年8月20日 (土)

陸上男子400メートルリレー銀メダルは歴史的快挙

朝原宣治さんには申し訳ないが、銅を取った北京大会は
アメリカを欠いていたので、世間が騒ぐほどの快挙とは
思わなかったが、今回の銀メダルは、アメリカを押さえ、
ジャマイカに次ぐ2位は歴史的な快挙だと思う。

http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160820-00000044-mai-spo.view-000


参考記事
その1~男子陸上400mリレー銀 綿密な戦略 最高の結果
「鍵は第3走者。スタートから徐々に加速する第1走者と違い、
カーブを高速で回る走力が必要となる。
勝負が懸かるアンカーは気が焦るため、
予定より早く飛び出す可能性があり、それに追いつく
一瞬のスピードも求められる。
日本はここに両方の能力を備える桐生を配置した」とある。
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160820/k00/00e/050/223000c

その2~男子陸上400mリレー銀 磨いたバトン技術で銀獲得
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160820/k00/00e/050/249000c

2016年8月19日 (金)

バドミントン女子ダブルス&シングルス

ライブで観たバドミントン女子ダブルス決勝戦
~「リードされたとき伊調さんを思い出した」(髙橋選手)

シングルスの奥原選手の戦いも観たが、
深夜に行われたダブルスもライブで観た。

デンマークチームに対し、髙橋礼華&松友美佐紀のタカマツ組は
第1セットは接戦で敗れ、第2試合は完勝。

しかし第3試合は立て直ししてきたデンマークに16-19と
3点ビハインドと追い込まれ、流れは相手チームに。

そこから5連続得点で逆転し、
日本バドミントン界初の金メダルを獲得した。

髙橋選手は、
「リードを許した場面では伊調さんが逆転勝ちしたのを
 思い出した」と語った。

眠たかったが起きていた甲斐はあった。
http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160819-00000074-spnannex-spo

なお、デンマークの2人は、試合中、ピンチでも笑顔があるなど
表情が印象的だった。
表彰式後、タカマツがTVインタビューを受けているとき、
後ろを通り、「ハーイ、サンキュー」と声をかけたシーンは
確かデンマークの2人だと思うが、なかなか素敵なシーンだった。

表情といえば、タカマツ組も試合中、笑顔はあったし、
松友選手も16-19では、
「負けたかなと思いながらも、最後に自分たちの
 良いところを存分に出して戦おうと思った。
 そういう意味では追い込まれていても楽しかった」
と語ったのも印象的だった。

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シングルス準決勝は、世界ランキング6位の奥原希望選手が
ランキング10位ながら、前回大会の銀メダリストに勝って
勢いに乗るインドのブイシンデュ・プサルラ選手と
対戦して負け、3位決定戦に回り、
対戦相手の中国の選手がケガによる棄権をしたため、
シングルスでは史上初のメダルとなる銅メダルを獲得した。

準決勝戦はTVで見ていたが、長身で美人のプサルラ選手が
絶好調で、これまでの2人の対戦成績は4戦して3章1敗と
奥原が勝っているが、
この日は終始完全にプサルラのペースで圧勝と言えた。

なお、決勝戦では世界ランク1位のカロリナ・マリンが
プサルラに勝って金メダルを獲得したが、
奥原は今年3月の全英オープンでマリンに勝っているなど、
相性が良かっただけに決勝での対決が見てみたかった。
しかし、準決勝でのプサルラは本当に強かった。

吉田沙保里選手~たくさんの沙保里門下生、後輩を育てた偉業こそ金メダル

素敵なコメント~吉田沙保里選手に勝利し、レスリング女子で米国に初の金メダルをもたらしたヘレン・マルーリス選手のコメント
「サオリと試合をすることを長年夢に見てきた。彼女と戦う準備をずっと続けてきた。彼女は私のヒーロー。彼女は最もたたえられているレスラーで、彼女と試合をできたのは本当に名誉なことだった」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160819-00000517-san-spo.view-000
http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160819-00000530-sanspo-spo


いろいろな人のツイッター投稿より
kulotowaさんの投稿
「吉田沙保里を破った選手を「アメリカの選手」なんて言わずに、ちゃんとヘレン・マルーリスって覚えてあげようよ。聞くところだと、12歳のときに吉田沙保里 を観て憧れ、両親の反対を押し切って吉田との対戦をしたいためにここまでやって来たんだと。スポコン漫画みたいなストーリーだよこれ」

佐倉さんの投稿
「朝起きてきた息子に、吉田沙保里が敗れた相手が、彼女に憧れてレスリング始めた子だという事を伝えたら「もう、女子レスリングの金メダリスト、全部吉田沙保里が産んだようなもんじゃん!金メダルよりすごいわ!」と言っていて、母ちゃん胸熱」


以下は、私のコメントに戻る

沙保里さん、以って瞑すべし
吉田選手に勝ったヘレン・マルーリス選手は12歳のときに吉田沙保里を観て憧れ、両親の反対を押し切ってレスリングを始め、吉田との対戦をしたいためにずっと続けてきた、という。「彼女は私のヒーロー」とリスペクトされる相手に負けたのはもうこれは運命だ。

現地では1日開けたということもあり、TVでは元気になっていて良かった。いっしょにインタビューを受けた川井選手のこともあるから、「いつまでも私が悲し んでいたら、この子たち(金を取った後輩ら)に対しても悪いので、気持ちは落ち着いてきました」と語っていた。日本からも「泣かないで。ありがとう。堂々 と帰国して」等々、たくさんの応援メッセもいたったようで落ち着いたようだ。
仲の良い澤穂希さんもVTRで同様のメッセを送っていた。


吉田沙保里様
残念さ悔しさを共有するのもオリンピックにおける国民の醍醐味です。
胸を張って帰国されたし

現代の吉田学校校長~沙保里さん
吉田学校といえば、戦後間もない吉田茂体制を支える国会議員のグループで、池田勇人、佐藤栄作ら後の首相を輩出したが、
吉田沙保里選手を慕って登坂絵莉選手 は今回金メダルを取り、同じく金メダルをとった土性沙羅選手も直接指導を受けてきたし、階級を2ランク上げて75キロ級に挑戦した渡利璃穏選手は残念なが ら初戦敗退したが、直接指導を受けてきたし、王者敗退の直後にも動ぜず、金メダルを獲得した川井梨紗子選手も指導を受けてきたし、過去にも吉田選手を慕って国際大会で活躍するにい至った選手は多数いるし、今後もどんどん出てくるだろう。

それは国内に留まらず、他ならぬ決勝で勝って金メダルを獲得し た米国のヘレン・マルーリス選手も12歳のとき、2004年アテネ五輪で吉田選手が金メダルを取ったのを見て「自分も」と精進してきた、という意味では、 マルーリス選手も広い意味での吉田学校生徒、沙保里門下生とも言えるだろう。
追記;なお、日本レスリング協会は吉田選手を女子日本代表コーチに招聘する意向を表明した。
http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160820-00000526-san-spo


印象的な写真がある。
2013年、吉田沙保里選手とマルーリス選手の笑顔のツーショット写真だ。
ことのとき、3年後のドラマを2人は知る由もない。
けれど、この写真を見ると、マルーリス選手は本当に吉田選手を尊敬していたのだなあ、ということが判る。
吉田さんのお母さんは決勝戦後、報道記者に「そういう選手に負けたなら本望です」と語った。
http://rocketnews24.com/2016/08/19/789555/


それにしても、伊調選手も吉田選手も、「正直、リングに上がるのが怖かった」と語ったのは印象的だった。
絶対王者にしてそうなのだな、と思う。
もちろん2人には四連覇ということや、伊調さんには亡き母親のこと、吉田さんには亡き父親のことに加え、日本選手団の主将ということなど、様々な要因があっての特別な大会だったわけだ。

2016年8月18日 (木)

伊調馨さん五輪四連覇~美しき王者は自分へのダメ出しの天才

伊調馨さん~自分へのダメ出しの天才~美しき王者の凄さとは
伊調さんほど自分に厳しいアスリートがいるだろうか?
これまで国際大会で優勝しても、インタビューで
「おめでとうございます。良かったですね」と言われても
「内容が良くなくて」とほとんどいつも答えている。
勝負の結果より、試合内容にこだわり続けてきた。

インタビュアーもそのへんをよく知っているので、
「今日の試合は何点でしょう?」とたいてい点を問うかたち
でたずねる。すると、優勝したから控えめでも80点くらいは
言うだろうと誰もが想像するが、たいてい、
「40点くらいですね」とか、「25点くらいです」、
なんて答えるときもあった。

「自分の試合内容に満足したことは一度もない。
 これからも100点を取ることはないだろう」
と言い切る伊調さんだからこそ、
絶対王者としてこれまで君臨してきたのだろう。

勝負より試合の「内容」にこだわってきた伊調選手だから
「負けることも勉強になるので気にしな い」とも言い、
今年1月に「13年ぶりに負けた」ときも「新鮮だった」と
語ったが、実際はいろいろと自身のレスロングを
あらためて見直すキッカケとなった ようだし、
亡き母親への思いもあり、
今回のリオはさすがに勝負にこだわったという。

そして、見事に金メダルを獲得し、4連覇決定後も
「試合の内容が良くなくて。全然ダメで。
 でもたくさんの人が皆さんが喜んでくれたので、
 良かったです」と答えた。

それでも、決勝戦での点数を質問されると、
「30点」と答えたという。
これぞ伊調選手だ。

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1月に負けたときは、自身は前向きな材料ととらえたが、
周辺やマスコミは心配したことに当惑はあったようだ。

もちろん、亡くなった母親への思いがあった。
リングに上がる前などで
「こんなに天井を見た大会は初めてだった」、
「(決勝戦での残り数秒という)
 最後はお母さんが守ってくれた。助けてくれた」
と涙ながらに語った。

表彰式のあとも、(表彰台で天井を見たとき)
「母の笑う顔が見えました」と語った。

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