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2024年3月10日 (日)

東京オラトリエンコール「マタイ受難曲」

「マタイ受難曲」を聴き終えた後の感動は、何物にも代えがたく心の奥深くに沈み、広がり、熱くなる。冒頭からの第1曲を聴いている段階で、いつも感涙を禁じ得ない。理由は自分でもよく解らないが、

「ああ、生きていて良かった」と思う。そんな曲は、それほど多くないと思う。

東京オラトリエンコールの第30回演奏会を3月10日午後、第一生命ホールで拝聴した。

初めて聴かせていただいた合唱団。指揮者で、この合唱団のコーラスマスターの岡本俊久さんにより、1995年3月に設立。これまで、ライプツィヒを中心にドイツで8回も演奏(旅行)も実施されてきたというから驚くし、「マタイ受難曲」の演奏は今回で3回目とのことで、後述のとおり、オーソドックスなテンポによる誠実で温かな演奏で、とても良かった。

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まず、ソリスト等、出演者名を記載し、次に合唱団の印象等、そして、ソリストの演奏に関する感想をもって締めくくりたい。なお、福音書記者(福音史家)については、文中では「エヴァンゲリスト」と表記させていただくのと、配布されたプログラムでは、例えば、田中俊太郎さんについては単に「バス」と記載されているが、他のソリストも含めて、実際に歌われた役割分担も下記のとおり記載します。

なお、いわゆる「ソプラノ・リピエーノ」は児童合唱ではなく、岡本俊久さんが指導されている埼玉大学合唱団の9名が歌いました。

この曲の主役、鈴木 准さんによるエヴァンゲリストは、後述のとおり実に素晴らしく、今回の成功の大きな要因と言えます。

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指揮:岡本俊久

福音書記者:鈴木 准

イエス:原田 圭

ソプラノ、ピラトの妻、女中Ⅰ:柏原奈穂

アルト、証人Ⅱ、女中Ⅱ:谷地畝晶子

テノール、証人Ⅰ:渡辺 大

バス、ユダ、ペトロ、大司祭:田中俊太郎

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オルガン:小林英之

チェンバロ:今井奈緒子

管弦楽:アンサンブル・アルス・ノヴァ

合唱:東京オラトリエンコール

リピエーノ:埼玉大学合唱団

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合唱団の人数は、第1コーラスと第2コーラスを合わせて、ソプラノが18名、アルトが12名、テノールが11名、バスが9名、と、比較的、人数バランスは良い。

見た目だと、私より歳上(70代以上)と思われる団員は、男声では約4割、女声では約7割。あくまでも見た目の印象に過ぎないが、特に女声では、ご高齢者が多くいらっしゃった。しかし、決して弱々しい歌声などではない。

合唱団によっては、加入年齢に上限を設けている団も少数派だが存在する。とんでもないことだ、と敢えて言いたい。歌える人は歌えるのだ。人によっては、若い人以上に。

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岡本俊久さんが採ったテンポは、良い意味で終始オーソドックス。どの場面でも奇をてらうことなく、自然体に誠実に進めて行く。

合唱は、特に休憩後の第2部が良く、バランスの美しさという点で特に印象的だった曲は、第32曲「私はこの世を欺き裁く~」、第40曲「たとえ私があなたから離れても~」、第44曲「あなたの道と、あなたの心の痛みを~」、第54曲「おお、血と傷にまみれ~」、第62曲「私がいつか(世を)去るとき~」、第66曲b「閣下、人を惑わすあの者が~」~この曲では躍動感も良かった。

迫力の点では、第45曲bや第50曲bの「十字架につけろ!」、第53曲b「ユダヤの王、万歳!」、第58曲d「他人は救ったのに、自分は救えない~」などが良かった。

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リピエーノの埼玉大学合唱団の女声9名は、2階の客席から見て左手で歌い、清らかな歌声を聴かせてくれた。

トップに著名な奏者を配したアンサンブル・アルス・ノヴァも素晴らしく、下記、ソリストの中で記載したい。

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福音書記者:鈴木 准さん

エヴァンゲリストは、場面の状況と展開の解説等による物語の叙述者という役割に留まらない。

イエス等から言動を引き出し、物語を展開して行く中心人物であり、オペラのレスタティーヴォのような抒情性主体ではなく、幅広い音域を激しく行き来する音句による劇的な語りであり、しかも開始間もなくから、最後の合唱の直前まで、ほとんど出ずっぱり、という労力と喉への負担を含めた、大変重要な役割を演じる。

「マタイ受難曲」の成功の鍵は、合唱以前に、指揮者の解釈や統率力以前に、エヴァンゲリストのデキ如何と言っても過言ではないだろう。

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オペラ等で何度も聴かせていただいている鈴木 准さんは明瞭でピュアな歌声。タミーノをはじめ、リリックな役所で多くに出演されているし、宗教曲での出演も多い。

この日は、青年エヴァンゲリストと言うべき若々しい声で「マタイ受難曲」の素晴らしさを際立たせ、成功に貢献された。

先述のとおり、誰よりも出番が多く、しかも、相当疲労がたまっているであろう終盤においてさえ、平然と高音が頻出する、信じられないような難易度を持つ役だ。

全体の中で、さすがに2か所ほど音程が危うい部分があったが、逆に言うと、この大曲のライヴの中で、わずかにそれだけというのは驚異的な完成度と言える。

瑞々しさに加え、第29曲の最後「このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」の寂しげなトーンの素晴らしさ。第31曲「人々はイエスを捕らえると~」や第50曲c「ピラトは、それ以上言っても~」での表現力。第61曲aのドイツ語の発音の素晴らしさ。第63曲aにおける表現力と迫力等々、本当に素晴らしいエヴァンゲリストを演じられた。

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イエス:原田 圭さん

終始、温かく穏やかで安定した歌唱により、人間的で優しいイエスを感じさせる歌唱で、とても良かった。よって、どの部分が特に、というような事ではなく、全体として終始、そのトーンが保たれていたし、それは、このイエスという役においては、とても重要な事だと、改めて感じさせ、認識させてくれる歌唱だった。

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アルト、証人Ⅱ、女中Ⅱ:谷地畝晶子さん

谷地畝晶子さんと言えばバッハ、バッハと言えば谷地畝晶子さん、というのは、バッハファンの中では常識と言えるほどの名歌手。この日も含めて、いつ聴いても安定感と穏やかな気品が素晴らしい。

「マタイ受難曲」の中で最も有名なアリア第39曲「憐れんでください、私の神よ~」での第1ヴァイオリンのソロは、大ベテランの恵藤久美子さん。樫本大進さんの師匠でもある。実兄は堤 剛さん。そのソロと歌唱の素晴らしさを堪能。

長大なアリア第52曲「私の頬の涙が~」も素晴らしく、ここでは、第2オケのヴァイオリン群の合奏も良かった。

前後するが、第6曲「悔い改めと悔恨が~」、第2部最初の合唱Ⅱとの第30曲「ああ!私のイエスは行ってしまう!」も、もちろん素晴らしかった。

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バス、ユダ、ペトロ、大司祭:田中俊太郎さん

外見も格好良いが、声も重厚感(それでいて重々し過ぎない)と「ハンサム感」のある、とても魅力的な歌声だった。

ユダ、ペトロ、大司祭の歌い分けも良かったし、バスのソロとしては、第42曲「私の許に私のイエスを返してください!~」では、第2ヴァイオリントップの中村静香さんのオブリガート演奏も素晴らしかった。中村静香さんは1983年の日本音楽コンクールで優勝したときから格好良かったが、毎年、サイトウ・キネンの常連として名前を見ない年は無いし、この日も、ボーイングの格好良さも含めて、颯爽たる演奏で実に見事だった。

前後するが、第23曲「喜んで私は心を鎮め~」、ヴィオラ・ダ・ガンバとの長いアリア第57曲「来い、甘い十字架よ、と私は言いたい!」、希望さえ感じる長く素晴らしいアリア第65曲「私の心よ、自らを清めよ~」~この曲では第1オケの合奏も良かった~等々、いずれも素晴らしい歌唱だった。

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テノール、証人Ⅰ:渡辺 大さん

渡辺 大さんも何度も聴かせていただいているテノール。いつもながらの瑞々しい美声で、渡辺さんによるエヴァンゲリストもいつか聴いてみたいと思った。

第20曲「私はイエスの傍らで起きています~」や、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロを伴う第35曲「忍耐、忍耐!~」も良かった。

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ソプラノ、ピラトの妻、女中Ⅰ:柏原奈穂さん

この日、唯一「問題」を感じたのは柏原奈穂さんの歌唱。感情移入が過ぎたのか、ノドの調子自体に何か問題があったのかは分からないが、第1部では、音程が不安定な部分が多かった。

それでも第27曲aでのアルトとの二重唱は良かったし、第2部第49曲のアリア「愛ゆえに~」は、その繊細さにより特徴が滲み出た歌唱で、印象的だった。第1オケのフルートのソロも良かった。

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それしても、何という偉大な曲だろう。

バッハの傑作であることに留まらず、人類が獲得できた至宝の一つを堪能した喜びは、とてつもなく大きい。

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