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2024年2月17日 (土)

インバル+都響~バーンスタイン『カディッシュ』

エリアフ・インバル指揮による東京都交響楽団の第994回定期公演の翌日、同じプログラムにより「都響スペシャル」とした公演を2月17日午後、サントリーホールで拝聴した。

曲はショスタコーヴィチの交響曲9番とバーンスタインの交響曲第3番『カディッシュ』。

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ショスタコーヴィチの交響曲9番 変ホ長調 op.70

マーラーさえ当初は恐れて『大地の歌』と題して作曲したほど、交響曲における「第九番」という「プレッシャー番号」を、まるでニヤリと微笑む如く、意表を突く形で、敢えて軽妙な、彼としては「小品」とも言える形式と内容で1945年8月30日に完成した曲。

初演は好評だったものの、案の定、ソ連当局から批判され、スターリン時代での演奏が禁じられた。

都響の木管、金管等の巧さにより、とても楽しく聴かせていただいた。

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休憩後の後半が、この日の聴きモノである

バーンスタインの交響曲第3番『カディッシュ』

英語による語り、ヘブライ語によるソプラノソロと合唱、児童合唱を伴う作品。

1963年に完成し、1977年に改訂され、バーンスタイン自身の指揮により1977年8月に録音されたCDも持っているが、実演は初めて聴いた。

語り:ジェイ・レディモア

ソプラノ:冨平安希子

合唱:新国立劇場合唱団

児童合唱:東京少年少女合唱隊

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私には作品自体が難曲で、何をどう書いてよいか迷うが、演奏が凄かったことは解ったので、まずは、演奏について少し書いた後、作品について考えてみたい。

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ジェイ・レディモアさんによる語りは、明瞭で落ち着いた、聞き易い語りで、とても良かった。

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冨平安希子さんのヴィブラートを伴う繊細な歌声自体に、この曲に必要な(と思える)「悲しみ」と「祈り」が常に感じられ、その点において(多分)最良のキャスティングと感じた。素晴らしかった。

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冨平恭平さん指揮(指導)による新国立劇場合唱団。

凄い迫力と難曲を歌いこなす技術。これぞプロフェッショナルな最高の合唱。完成度として、これ以上は考えられないような見事な合唱だった。

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長谷川久恵さん指揮(指導)による東京少年少女合唱隊。

出番は多くないものの、難しい言語をしっかりと歌っていた。

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オケの力量の素晴らしさと、細やかな配慮や指示を含め、的確にして自信を持って指揮したインバルも素晴らしかった。

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作品に関する心象について

『ウェストサイド物語』だけでも十分に魅力的で、高度な作曲技法を示したバーンスタイン。マーラー以降、指揮と作曲の2つにおいて、天才を世に知らしめた唯一の人物と言えるだろう。

フルトヴェングラーも実は作曲家として名をなしたいと思っていたが、結果的には圧倒的に偉大な指揮者として名を遺した。

いわゆる無調音楽には関心を持たなかったバーンスタインだが、このシリアスな作品には、少なくとも無調の要素や、変拍子の要素が大量に盛り込まれている。

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私は聴きながら、終始、三善晃の『レクイエム』を連想していた。

多種大量の打楽器に「叫ぶ合唱」がぶつかり、混じり入る。終始「どこか似ている」と思った。三善さんの『レクイエム』は1972年作だから、もし『カディッシュ』をどこかで聴くか、スコアを見る機会があったとしたら、何らかの刺激は受けているかもしれないとも思った。

もちろん『カディッシュ』を知らないで、聴いていないで『レクイエム』を作曲したことも十分に有り得るが、むしろその場合こそ、2人の天才が、人類の哀しみと祈りを、似た曲想をイメージして作曲したように想え、それ自体、とても関心を覚える事と感じる。

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それはともかくとして、私が「感想を書くのが難しい」と感じる点、要素は「ユダヤ教に深く関わる曲だから」という一点に尽きる。

私の宗教に関する乏しい知識から、この作品を論じることは、とてもできない。私に限らず日本人、いや、国籍を問わず、ユダヤ教に関して深く知る人でない限り、「ちゃんと」論じることはできないように感じる。どこか「知ったかぶり」論になってしまう危険を感じる。

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マーラーが、幾つかの作品の中で主にドイツ語やラテン語を用い、ユダヤ人であることを意識の底に深く沈めて、広く普遍的で人間そのものの喜怒哀楽を表現し、創作したように想えるのに対し、バーンスタインは、自分がユダヤ人であることの意味を強く認識し、誇りを抱いて、この作品を作曲したように強く感じる。これは、聴く人全てが感じることだろう。

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そうしたことを感じつつも、『カディッシュ』は、ユダヤ教を通してであっても、全ての人間の生きる意義と尊厳、神への祈り、平和への希求という事が底辺にあることは確かだろう。

だからこそ、聴く人全てに、衝撃とともに深く感情を揺さぶる作品たり得るのだ。

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なお、バーンスタインは、自身が書いた語りのテキストに満足しきれなかったようで、ホロコーストの生存者、サミュエル・ピサール(1929~2015)にそれを依頼したが、ピサールは断った。しかし、「9.11」の惨状後、考えを変えて書き下ろした。

評判は良かったそうだが、サミュエル亡きあと、バーンスタイン財団により、夫人のジュディスと娘のリアのみに朗読が許され、その2人を迎えて2016年3月24日に、インバル指揮、東京都交響楽団により「ピサール版」が演奏され、今回もその再演の予定だったが、2人が来日できなくなったとのことで、バーンスタインによるオリジナルのテキストをジェイ・レディモアが朗読した。

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いつか、「ピサール版」も聴いてみたいが、今回は、ジェイ・レディモアさんの朗読と、冨平安希子さんの歌唱による演奏が聴けて、とても良かったと感じた次第。

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