日本初演曲の演奏という明るい未来を提示した公演
今年4月に京都市交響楽団の第14代常任指揮者に就任した沖澤のどかさんと京都市交響楽団の東京公演を9月24日午後、サントリーホールで拝聴した。
昨日の京都での公演に続く同じプログラムの後半に、フランス人作曲家ギョーム・コネソン(1970年生)の曲を日本初演するという意欲溢れる公演。
4月の京都における就任披露公演に続く2回目の指揮台にして、東京では常任指揮者お披露目公演となるコンサートにおいて、よく知られた曲だけの選曲ではなく、日本初演曲を折り込んだその気概と「進取の精神」とも言える心意気に、京都市交響楽団と沖澤のどかさんという新コンビの明るい希望の未来を見る思いがした。
このことが全てとも言えるコンサートだったが、これだけで終わらせるのは何なので、以下、詳細に書かせていただく。プログラムは
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1.ベートーヴェン:交響曲 第4番 変ロ長調 作品60
2.コネソン:管弦楽のための「コスミック・トリロジー」(日本初演)
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この演奏会の担当コンマスは、特別客演コンサートマスターの石田組長こと石田泰尚さん(神奈川フィルハーモニー管弦楽団のソロ・コンサートマスター)。そしてこのオケのコンマスの泉原隆志さん(石田組長と対照的に童顔な感じ)がサイドに座り、2プルト表にはもう一人の特別客演コンサートマスターである会田莉凡さん(札幌交響楽団コンサートマスター)の3人を揃えての、新常任指揮者のどかさん最強バックアップ体制は、とても良かった。ただ、3人が黒イスというのは「いかがなものか」と思ったことは記しておく。
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前後するが、ホールに着いて客席に入るドアのところで、坂入健司郎さん(定演ではないが京都市響を振ったことがある)とバッタリ会ったので、「マーラーの千人のとき、合唱で出させていただいた者です」と挨拶。
そして客席に入ると、空席はあるものの、9割近くは埋まっているという盛況ぶりで、この新コンビに対する~京都だけでなく東京、いや全国的な~関心の高さが見てとれた。
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1曲目のベートーヴェンの交響曲 第4番
スコアどおり、フルートは一人。素晴らしい曲なのに、このことが、アマオケが選曲したがらない理由の一つでもある。のどかさんは小編成を基本とされたようで、ファースト・ヴァイオリンからチェロまでの人数は、12人(6プルト)、10(5P)、8(4P)、6(3P)で、コントラバスは4人。
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第1楽章
序奏部はオーソドックスなテンポにして、入念で美しい。アレグロ主部はキビキビ感の活力あるテンポで進行。ベートーヴェンというより、モーツァルト的。のどかさんのモーツァルトとメンデルスゾーンは素敵だが、その良さが出ていた。初の拝聴のオケなので、理由(原因)は解らないが、弦のパート間の受け渡し、あるいは各パートにおけるフレーズへの「入り」の際、遅れる感じがした部分が皆無ではなかった。良く言えば、自由に伸びやかに弾いているとも言えるが、完璧度はその分、幾分下がる気がした。
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第2楽章
スッキリと、やや速めのテンポなので、ロマン派への予感的なロマン性よりも、涼風爽やかな古典の曲の室内楽的な世界の印象。
ただ、64小節目の第1ホルンの最初の高いEs(変ホ)の音が不鮮明で「よろしくない」音だったのは残念。
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第3楽章は実質スケルツォ楽章
グングン、キビキビ、颯爽と進行。ただ、トリオにおける156小節からの「FF」は、弦はもっと厚い音で奏して欲しかった。
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第4楽章
元々速い楽章だが、特にそれが強調され、スタイリッシュ感が徹底されていた、しかし、それが全てにおいて成功してはない。184~187小節におけるファゴットのソロは確かに難所ではあるが、明らかに「つんのめり」というか、聞こえ難い音が2つ3つあった。この部分には及第点は付けられない。
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終演後は盛大な拍手とブラヴォーの連呼。度々のカーテンコール。
だが、もし、このアンサンブルを、読響など東京のプロオケが呈したなら、これほどの盛大な歓呼が生じただろうか、と言えば、間違いなく「No」。
新コンビへの「ご祝儀」が多分に含まれた歓呼であったことは、お世辞を排して明記しておきたい。
しかし同時に、会場のお客さんの優しく温かな歓迎の歓呼自体は、実に微笑ましく、心地良いものだったことも付記しておきたい。
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休憩後の後半は、
コネソンの管弦楽のための「コスミック・トリロジー」(日本初演)
大編成の曲。例えばコントラバスは8人での演奏。
1997年に書かれた「スーパーノヴァ」、2005年作の「暗黒時代の一条の光」、2007年作の「アレフ」という3つの交響詩から成り、プログラムの解説によると、通常は「アレフ」を第1部とし、「暗黒時代の一条の光」、「スーパーノヴァ」の順で演奏されるそうだが、この日は作曲された順で演奏された。
3曲中、特に「スーパーノヴァ」(超新星)と「暗黒時代の一条の光」は宇宙(空間)を題材とした内容で、実際に、そうしたイメージを想わせる曲想だった。
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Ⅰ.「スーパーノヴァ」(超新星)は、「いくつかの円」と「脈動星」から成る。
1.「いくつかの円」
宇宙の広がりを連想する神秘的で色彩感ある曲想。なかなか良かった。
2.「脈動星」は一転して野性的なリズムが基調となり、「春の祭典」の影響を強く感じた。その観点から言えば、いささか陳腐で、ユニークさでは「いくつかの円」に個性と斬新さをより強く感じた。
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Ⅱ.「暗黒時代の一条の光」
再び神秘的な世界。連想するとしたらホルストの「惑星」の中の静かな場面。
後半のチェロのソロ、ヴィオラのパートソロとフルートの掛け合い、ホルンのソロなども印象的だった。
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Ⅲ.「アレフ」
冒頭から連想するのは、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」の終楽章。もちろん音はもっと多くて複雑だが、展開はよく似ている。後半は再び「春の祭典」を連想するような複雑で多楽器によるリズミックな展開が繰り広がれた。圧巻のエンディグで、当然ながら盛大な拍手とブラヴォーの連呼。度々のカーテンコール。
晴れやかで喜びにあふれた沖澤のどかさんの笑顔。
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「コスミック・トリロジー」の全体の感想としては、総じて無調ではなく、ドビュッシーやストラヴィンスキー、ホルストや武満徹の次を探しているような、神秘感を基調とした色彩と、野性的で複雑なリズムの交錯を特徴とした曲想。
だが、Ⅰ~Ⅲのいずれも、他の作曲家の作品を連想してしまうというのは、現代における作品として、あるいは、ギョーム・コネソン自身の作品として、成功作なのかどうかは、私には解らない。
ただ、「二度と聴く気がしない作品か?」と問われれば「ノー」で、そういう作品が山ほどある現代作品の中では、この曲は、いつかまた聴いてみたいと思う作品。オケと指揮者は大変だと思うが。
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冒頭に書いたように、常任指揮者となって未だ日が浅く、東京においては披露公演であったにもかかわらず、ありきたりの曲での公演ではなく、敢えてリスクを採って係る果敢な演目のプログラムにより、東京の聴衆にアピールした沖澤のどかさんに心から賞賛の拍手を送りたい。
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昨今のコンサートの選曲を見るにつけ、ベテラン(大御所)指揮者ほど保守的な選曲に終始していると感じている人は、私だけではないだろうと想像する。交響曲で言えば、5曲あるいは、せいぜい10曲以内で、何年も「回して」いる感のある有名(大御所的)指揮者もいる。
係る体たらくで陳腐なプログラムが多い音楽会状況にあって、新作といえる大作を、常任指揮者就任披露公演で取り上げた沖澤のどかさんは実に素晴らしい。
3分冊の巨大なスコアに記された、複雑なリズムを基調とする場面が頻出し、多くの特殊楽器を含む大編成のオーケストレーションのスコアを読み取る読譜力、読解力。そして、ステージでオケを牽引して実演し得る実力。
若い優れた才能の出現こそ、今後のクラシック音楽界において必要な存在であることを、改めて強く感じ入ったコンサートだった。
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