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2023年5月27日 (土)

土曜ソワレシリーズ《女神との出逢い》

フィリアホール第300回記念~ガラ&フィナーレ

1993年5月にフィリアホール~正式名称は横浜市青葉区民文化センター フィリアホール~が開館し、同年7月24日に第1回として、前橋汀子さんによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会(その第1回)でスタートした土曜ソワレシリーズ《女神(ミューズ)との出逢い》は、女性アーティストを中心に据えたコンサートとして30年間、ホール主催公演の中心として展開してきたが、5月27日の公演が記念すべき第300回を迎え、これをもってフィナーレ公演となるとのことで、同日、日生劇場で「メデア」を鑑賞後、ダッシュでフィリアホールに向かった。

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17時開演には間に合うはずもないながら、後半は拝聴できたので良かった。

プログラムと出演者は下記のとおりで、活躍中の魅力的な奏者ばかり。

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プログラムは、

1.エネスク:弦楽八重奏曲 ハ長調 Op.7

2.メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20

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出演者

ヴァイオリン:川久保 賜紀、松田 理奈、南 紫音、毛利 文香

ヴィオラ:中 恵菜、田原 綾子

チェロ:遠藤 真理、新倉 瞳

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先述のとおり、前半のルーマニア生まれの作曲家ジョルジュ・エネスク(1881~1955)の作品は聴けなかった。1曲目と2曲目では、8人が配置を変えていることがプログラム記載で判った。

エネスクでは、1st.Vn松田さん、2nd.Vn毛利さん、3rd.Vn川久保さん、4th.Vn南さん、

1st.Va田原さん、2nd.Va中さん、1st.Vc新倉さん、2nd.vn遠藤さん。

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休憩後の後半は、メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲で、

1st.Vn川久保さん、2nd.Vn南さん、3rd.Vn松田さん、4th.Vn毛利さん、

1st.Va中さん、2nd.Va田原さん、1st.Vc遠藤さん、2nd.vn新倉さん。

名曲として誉れ高い作品。しかし、

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第1楽章を聴くたびに、冒頭からの流動感あるテーマを、第1ヴァイオリンだけでなく、2人の奏者で弾いたほうが更に効果が増すのに、と思ってしまう。メンデルスゾーン先生にしては、いささかバランス的配慮が足りなかった気がする。この日も、サスガの大好きな川久保賜紀さんをもってしても、1人:7人ゆえ、もう少し音量が欲しいと感じた場面が少なからずあった。

それでも、若々しく瑞々しい素敵な演奏だった。

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第2楽章の内省的な、しっとり感が素敵。

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第3楽章のスケルツォ楽章こそ、いかにもメンデルスゾーンと言える曲想で、「真夏の夜の夢」のスケルツォも名曲だが、作品としての緻密な構成と展開という点では、この楽章こそ、メンデルスゾーンの面目躍如たる傑作のスケルツォだと思う。精密な演奏も見事だった。

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第4楽章も、各奏者がソロで受け渡すなど、とても力感と躍動感のある、魅力的な構成と展開がなされる素敵な楽章。演奏も素晴らしかった。

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アンコール

ピアソラ(山中惇史編曲)Tanti anni prima(昔々)

チェロのソロを交えた抒情的な、とても美しい曲で、編曲の素晴らしさが、そのまま演奏の素晴らしさに直結していた。

フィナーレを飾るに相応しい、美しい演奏だった。

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なお、2023年6月からは、後継シリーズとして、国籍、性別などの属性にとらわれず、幅広く優れたアーティストをご紹介する「土曜マチネ シリーズ」がスタートするとのこと。

https://www.philiahall.com/html/series/230527.html

ケルビーニの歌劇「メデア」~日本初演

ルイージ・ケルビーニ(1760~1842)の歌劇「メデア」のダブルキャストによる日本初演における初日組の公演を5月27日午後、日生劇場で鑑賞した。1963年のベルリン・ドイツ・オペラ来日公演「フィデリオ」で杮落しを行って以来60年、「日生劇場開場60周年記念公演 NISSAY OPERA 2023」の一環の第1作としての公演でもある。

オペラ公演のプログラムは、概して微細過ぎたり、余談が多かったりで面白くないものも多々あるが、今回は「珍しい作品」だけに、岸 純信さんによる作品の「いきさつ」や各幕の概要、長屋晃一さんによる登場人物の心理(性格)を掘り下げた分析の記述など、とても勉強になった。

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全3幕から構成され、「ギリシア悲劇に基づく、裏切られた女の壮絶な復讐劇」とのプロモーション文言どおりの「元妻メデアによる元夫シャゾーネへの凄絶な復讐劇」だが、後述のとおり、そこに、2人の間にできた子供たちの悲劇が加わるエンディングゆえ、更にシリアスさが増すという作品。

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原作は17世紀フランスの作家ピエール・コルネイユによる悲劇「メデ」だが、大元はギリシア時代の悲劇詩人エウリピデスの紀元前431年作「メーデイア」。そして、今回演奏されたイタリア語版にも変遷がある。

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ケルビーニが永住地のフランスで、フランソワ=ベノワ・オフマンのフランス語台本に作曲し、1797年3月、パリで初演され、30回ほど上演されたが、この「レスタティーヴォなしの作品」は、その後忘れられた。

後年、ワーグナー信奉者の作曲家、フランツ・パウル・ラハナーがセリフに音符を付けてレスタティーヴォ化し、全編を歌い通すスタイルに仕立てた。

更にその後、トスカニーニの依頼を受けたカルロ・ザンガリーニがラハナー版をイタリア語に翻訳し、1909年12月にこの版でのイタリア初演が行われた。よって、純粋に100%ケルビーニ作曲とは言えない作品とも言える。

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1952年にマリア・カラスによって行われた公演が大評判になったが、カラスはリハーサルのとき、「不思議ね。アリアよりレスタティーヴォのほうがドラマティックに思えるのよ」と語ったことからも言えるが、今回、初めて聴いた印象でも、イタリア人作曲家(先述のとおり人生の後半3分の2はフランスで暮らし、生涯を閉じた)とは思えないような、ワーグナー的な悲劇色のある作品と感じたのは、ドラマティックなレスタティーヴォがケルビーニ以外の人によって付与された、という事情も関係しているのだろう。この音楽の特性等に関しては、後でもう少し付け加える。

後述のとおり、この日の歌手の皆さんは素晴らしく、特にタイトルロールのメデアを歌い演じた岡田昌子さんが、役柄の持つ「怖さ」を強烈に感じさせる、凄まじいまでの圧巻の歌唱だった。初日組のキャストは、

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指揮:園田 隆一郎、管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

合唱:C.ヴィレッジシンガーズ、演出:栗山 民也

メデア:岡田 昌子

ジャゾーネ:清水 徹太郎

グラウチェ:小川 栞奈

ネリス:中島 郁子

クレオンテ:伊藤 貴之

第一の侍女:相原 里美

第二の侍女:金澤 桃子

衛兵隊長:山田 大智

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第1幕

序曲は端正でシンプル。中間部での長調の部分よりも、冒頭や後半の短調の部分が良い。ベートーヴェンが気に入っていたとのこと。余談だが、ケルビーニはウィーンでの長期滞在中に、ベートーヴェンと親交が生まれ、ケルビーニは「フィデリオ」の初演にも立ち会っている。

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第一の侍女役の相原里美さんと第二の侍女役の金澤桃子さん。

2人とも初めて聴かせていただいたが、相原さんの伸びやかな声、金澤さんの余韻ある声など、とても良かった。

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グラウチェ役の小川 栞奈(かんな)さんも、この日、初めての拝聴。

可憐な声で、長大なアリアでは特に後半が良かったし、合唱と一緒に歌う場面でも、とてもよく声が出ていた。

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クレオンテ役の伊藤貴之さんの活躍が目覚ましい。

この日も、全幕において充実の歌唱で素晴らしかった。

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ジャゾーネ役の清水徹太郎さんは、3月に、びわ湖ホールで「マイスタージンガー」の素晴らしいダフィト役を聴いたばかり。

明瞭な美声。声量も十分。役柄的に軽やかさを控え、意志的な歌唱が印象的。

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そして、メデア役の岡田昌子(しょうこ)さんが登場。

この幕の後半3分の1が彼女の出番だが、それまでの全てのシーンを「持って行ってしまう」くらいのインパクトある歌唱が続く。

素晴らしい声量。悲しみと戸惑いを湛えた表情、時には血走ったような表情の素晴らしさ。

岡田昌子さんがメデアなのか、メデアが岡田昌子さんなのか、判らなくなるほどだ。

役柄の持つ「怖さ」全開の迫力。演じるというより、もはや「憑依」とさえ言える圧倒的な存在感。

ジャゾーネに、結婚しようとしている新しい恋人グラウチェではなく、私の元に戻って来てと、懇願するアリア「あなたの子供たちの母親は」を歌い終えると、盛大なブラヴォーと長い拍手が続いた。

その後の、ジャゾーネとの二重唱によるエンディングも見事だった。

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第2幕

メデアの侍女ネリス役の中島郁子さんの登場。

いつもながらの素晴らしい深い声。長いファゴットのソロを交えての、情感深いアリア「彼女と一緒に泣きましょう」が終わると、第1幕での岡田昌子さんに負けないくらいの盛大なブラヴォーと長い拍手が続いた。

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第3幕

メデアはジャゾーネへの復讐心から、子供たちを生贄とする(殺す)という思いに至る。それでも、一旦は自分の2人の子らに愛を感じるが、復讐心が戻り、「我が子」ではなく、「ジャゾーネの子らに憐れみなど、かけられるものか」に転じる。復讐心が揺らがないことが定まる。

優しい、主(あるじ)思いのネリスも、もはやメデアの怨念と激情に付いて行けない。

王冠に仕込んだ毒で、グラウチェが死に、ジャゾーネが嘆く声に、ホクソ笑むメデア。

そして、ついに、「子供たちの血が、仇をとってくれた」と子供らを殺害して幕が下りる。

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私は、岡田昌子さんを、2012年「ナブッコ」のアビガイッレ役で知り、感動したので、面識が無いまま、フェイスブックのメッセ欄から「ファンレター」を出して、直接お会いする以前に、FB友人になっていただいていた。

イタリア在住だから、日本でのコンサートやオペラ出演は多くはないものの、海外では複数のコンクール優勝や歌劇場出演も含めて、ここ数年の活躍は目覚ましい。

今回の「メデア」によって、「凄いドラマティック・ソプラノ歌手がいる」として、日本における知名度と評価は決定的なものになったに違いない。

ドラマティックな凄いオペラが初演された事とともに、岡田昌子さんの名唱、名演により、画期的な公演となったと思う。

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それにしても凄まじい内容だ。「蝶々夫人」とは全く違う意味で「子は鎹(かすがい)」とはならない。

「鎹(かすがい)」どころか、2人の子供たちは、メデアのジャゾーネに対する復讐の対象、象徴としての存在となる。重みのあるレスタティーヴォの付与により、ワーグナー的な、暗く迫力ある音楽により、この悲劇が歌われ、演じられる。

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長屋晃一さんが指摘されているように、「通常の形式的なアリアのような反復は用いず、音楽が物語に沿って変化していく。ワーグナーやヴェルディを先取りしている」。

物語としても、「よりを戻したいと懇願するメデアを冷たくあしらうのはジャゾーネであり、復讐を果たすべきだという「理」と、母親としての「情」とで葛藤し、復讐を選択したメデアは、狂気に見えて、狂気ではない。理性を持っているのはメデアであり、感情に動かされているのは、むしろ民衆であり、ジャゾーネとクレオンテなのだ。メデアは狂気の女性ではないし、男性原理の犠牲者でもない。感情を排して復讐を選択したゆえ、「理」が非常なものに映る。自らの子を殺した対価は自らの血で支払うしなかい(ゆえに自害する)ことを自覚しているのだ」という指摘は鋭い。

これからも、ぜひ日本で再演を繰り返して欲しいオペラである。

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合唱

登場する各場面での合唱は、とても充実していて、素晴らしかった。何も言うこともないほど見事な合唱だった。

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演出

狭いステージを効率的に使った、とても良い設定による立派な演出で、冒頭から中央にポツンと置かれたイスを効果的に使っていたし、第2幕終わりでの、高い位置での黄金のバックを背に、幸福に向かおうとするジャゾーネとグラウチェの婚礼の場と、暗い舞台の端(地べた)に横たわって嘆くメデアという対比は、メデアに対する同情を観客が感じざるを得ないほどの「残酷な対比」として巧みに描かれた場面で、とても印象的な演出だった。

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両日のキャスト  5月27日    28日

メデア:    岡田 昌子    中村 真紀

ジャゾーネ:  清水 徹太郎   城 宏憲

グラウチェ:  小川 栞奈    横前 奈緒

ネリス:    中島 郁子    山下 牧子

クレオンテ:  伊藤 貴之    デニス・ビシュニャ

第一の侍女:相原 里美(両日)

第二の侍女:金澤 桃子(両日)

衛兵隊長:山田 大智(両日)

2023年5月16日 (火)

大西宇宙さん~東京オペラシティB→Cに登場

活躍目覚ましいバリトンの大西宇宙(たかおき)さんが、東京オペラシティのリサイタルホールにおける主催公演としてシリーズ展開されている「B→C」(バッハからコンテンポラリーへ)に出演されたので、5月16日夜、同ホールで拝聴した。

ピアノの矢崎貴子さんに加え、バロック・トランペットの斎藤秀範さんが出演された他、今回委嘱作品を作曲したマーティン・リーガンさんが、自ら尺八奏者としても共演された。

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「B→C」(バッハからコンテンポラリーへ)は、実力ある個性的な若手日本人演奏家によるリサイタルシリーズとして1998年4月にスタートした企画コンサートで、毎回、出演者自らが、バッハ作品(B=Bach)と現代作品(C=Contemporary)を軸として自由にプログラムを組むことから、個性的なプログラムとしても評判の、同ホールの名物企画シリーズ。毎年10人が選ばれて登場している。

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今回の大西さんの公演回数が第252回、25年目に入ったということから想像が付くが、過去の出演者たちは、今やそれぞれの分野の代表的奏者あるいは歌手として活躍されている。

大西さんは、プログラムに自ら寄稿されているように、後述のとおり、ジミー・ロペス・ベリッドのオペラ「ベル・カント」や、マーティン・リーガンの室内オペラ「メモリー・ストーン」など、アメリカ生活時代において世界初演作で歌い、日本では、バッハの「マタイ受難曲」に出演もされているから、正に「B→C」出演に相応しい歌手と言えると思う。プログラムは以下のとおり。

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1.テレマン:カンタータ《希望こそ我が人生》TWV20:48

2.J.S.バッハ:カンタータ第203番《裏切り者なる愛よ》BWV203

3.J.S.バッハ:《クリスマス・オラトリオ》BWV248から「大いなる主、強き王」

4.ヘンデル:《アレクサンダーの饗宴》HWV75から「復讐を、復讐を、とティモテウスは叫ぶ」

 (休憩)

5.セローン:ジェズアルドのラメント(2011)

6.信長貴富:Fragments ─ 特攻隊戦死者の手記による(2009)

7.ロペス・ベリッド:アマウータ(2019)

8.リーガン:松尾芭蕉による季節の四句(2023、大西宇宙委嘱作品、世界初演)

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1曲目は、テレマンのカンタータ《希望こそ我が人生》。

10分前後を要する曲で、「アリア-レスタティーヴォ-アリア」から構成される。アジリタの部分の巧みな歌唱が印象的だった。

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2曲目は、バッハの作品の中では数少ないイタリア語によるバス独唱用カンタータである第203番《裏切り者なる愛よ》。

この曲も「アリア-レスタティーヴォ-アリア」から構成され、10分前後を要し、パッションある前半や、後半の快活さが印象的だし、ピアノ(当時は無論チェンバロ)が強烈なまでに活躍する曲でもある。

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3曲目は同じくバッハの、《クリスマス・オラトリオ》の第1部、クリスマス第1日用のカンタータの第8曲、バスのアリア「大いなる主、強き王」。

ピアノに加え、斎藤秀範さんのバロック・トランペットが入り、見事な技術とともに特に高音の素晴らしさが印象的だった。

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4曲目は、1736年2月に、ロンドンのコヴェント・ガーデン王立劇場で初演された、ヘンデルの《アレクサンダーの饗宴》から第2部、第2曲のバスのアリア「復讐を、復讐を、とティモテウスは叫ぶ」。

この曲も、バロック・トランペットが見事だったが、それが休んでいる中間部での暗い色調のアナンダンテが曲と歌唱としては、特に印象的だった。

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休憩後の後半

1曲目は、クリストファー・セローン(1984~)の「ジェズアルドのラメント」。

カルロ・ジェズアルド(1566~1613)というマドリガーレの作曲家に起きた事件を題材にした曲。

レスタティーヴォ的、独白的な歌。ピアノは低音をベースとし、時折入る高音での打鍵も印象的だった。

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2曲目は、後述する終曲のリーガンによる初演曲とともに、この日の白眉とも言えた作品で、信長貴富さん(1971~)の「Fragments ─ 特攻隊戦死者の手記による」。

2009年にテノール独唱とピアノのために書かれ、直ぐに男声合唱曲にアレンジされ、特に男声合唱版は、こんにちまで、少なくない数の団により演奏されて来ている。

歌詞は、特攻隊戦死者4人の手記と、神風特攻隊に関する海軍の伝令分から構成されている。

演出も印象的で、ステージと客席を真っ暗にしてから演奏者が入場。ステージの2人だけに灯りを当て、終わりの部分では、大西さんはソデに下がって、そこでの歌唱。

レスタティーヴォ的な独白と、ピアノによる無調の激しい技巧的な部分は、三善晃さんを連想させる。三善作品を参考にされているのは間違いないと思う。美しく穏やかな場面もあったが、多くはドラマティックな曲想。

信長さんは来場されていたので、演奏後、大西さんからステージに招かれ、盛大な拍手を受けていた。

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3曲目の作曲者、ジミー・ロペス・ベリッド(1978~)は、2015年、シカゴ・リリック・オペラからの委嘱作品「ベル・カント」の初演に、大西さんも出演したことで知り合った作曲家で、演奏曲は2019年作の「アマウータ」。

タイトルは、ペルー先住民の言語ケチュア語で、「名人、教師、賢者」等を意味し、ベリッドの恩師、エンリケ・イトゥリアーガ(1918~2019)の102歳の誕生日を祝うために作曲されたが、その恩師は完成直前に亡くなられたとのこと。

歌は有調性の暗く独白的だが、ピアノは無調を含む技巧的な要素が多分に有った。

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プログラム最後は、大西さんがマーティン・リーガンに委嘱した「松尾芭蕉による季節の四句」の世界初演。

ピアノと尺八と歌という組み合わせで、尺八の演奏は、リーガンさん自身によって演奏された。

2013年に、ヒューストン・グランド・オペラがリーガンさんに委嘱した室内オペラ「メモリー・ストーン」に大西さんも出演されたことから知り合われた。リーガンさんが2022~2023年、フルブライトの特別招聘教授として、洗足学園音楽大学の現代邦楽研究所に勤務されていたので、旧知の大西さんが委嘱されたとのこと。

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マーティン・リーガンさんは、日本語ペラペラで、これまでに85を超える邦楽作品を作曲し、邦楽作品のCDを7枚リリース。三木稔著「日本楽器法」の英語版翻訳もされている人。

現在、テキサス州A&M大学の教授として、作曲と日本芸能を中心に後進を指導されている。

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初演曲の「松尾芭蕉による季節の四句」は次の4曲から構成されている。

「春」~「へそむらの まだ麦青し 春のくれ」

尺八のソロで開始し、ピアノ、歌と入る。歌は、いわゆる日本音階を基調とした穏やかな曲想。

「夏」~「京にても 京なつかしや ほととぎす」

ピアノがリズミックに使われていた。

「秋」~「野ざらしを 心に風の しむ身かな」

ピアノの和音が美しい。

「冬」~「旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る」

前3曲もそうだが、尺八は~ムラ息と言うのだろうか~強く吹き付けるような奏法は全く使用せず、美しく抒情的なオブリガートに徹し、ピアノは、さざ波を連想させる曲想。

この曲に象徴されるように、全体として、楽器のパートも含めて、日本人作曲家の歌曲以上に日本的な印象を覚える作品で、とても好感が持てた。

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アンンコーは、小林秀雄の「落葉松」だが、演奏者全員によるものなので。ピアノ、バロック・トランペット、尺八という、異色の組み合わせでの合奏を伴う歌唱で、それ自体ユニークで楽しかったし、大西さんのスケール感ある、抒情的にしてドラマティックな歌唱も、とても素晴らしかった。

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終わって会場を出る際、ソプラノの高野百合絵さんにお会いした。高野さんは7月に、西宮での「ドン・ジョヴァンニ」で大西さんと共演されることもあって、来場されていた。

思いがけず、高野さんとお会いできたことも嬉しかった。

2023年5月15日 (月)

4人の指揮者による「ニュークラシックプロジェクト」

受賞した4作品の初演コンサートを5月15日夜、東京オペラシティで拝聴した。もっとも、仕事の関係で1曲目の作品には間に合わず、終わり近くをロビーのモニターを通して少し聴けただけなので、ちゃんと聴けたのは3曲。

4人の指揮者とは、藤岡幸夫さん、山田和樹さん、鈴木優人さん、原田慶太楼さんで、「ベートーヴェンが今でも愛されているように、200年後にも多くの人に愛され続ける僕らの時代のオーケストラ曲を日本から生み出したいという思いで、私たち4人はこの<ニュークラシックプロジェクト>を立ち上げました」という主旨の企画コンサート。

演奏は、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団と愛知室内オーケストラの合同演奏。

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休憩後の後半冒頭の「4人の指揮者によるスペシャルトーク」で、いきさつ等が明かされた。

最初は、山田和樹さん、鈴木優人さん、原田慶太楼さんの3人で企画し、募集をかけたが、応募はゼロだったので、兄貴分である藤岡幸夫さんに相談して巻き込むと、藤岡さんから「ぜひやろう」激励され、2022年4月に、締め切りを同年12月31日として、「定期演奏会などで取り上げられ、繰り返し演奏されることを目指すオーケストラ作品を広く募集します」と公募したところ、44作品が応募。

「我々4人が演奏したいと選んだ作品」として得点で上位4名4作品が選出された。当初、4人がどの作品を指揮するかは決めていなかったが、各人が「これ」と重なることなく直ぐ決まったとのこと。

なお、余談だが3人は、藤岡さんのことを時折、「社長」とも呼んでいた。これは「幸夫」の語呂から来るもののようだ。

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4作に入賞した作品と、それを指揮した指揮者は、

城代悠子:「IKUSA」…指揮:原田慶太楼

山田竜雅:「祈り」〜女声と管弦楽のための〜…指揮:山田和樹

松井琉成:交響詩「うつしがたり〈翠〉」…指揮:藤岡幸夫

萩森英明:「東京夜想曲」…指揮:鈴木優人

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1曲目の城代悠子:「IKUSA」

先述のとおり、仕事のため、間に合わず、終わり近くをロビーの画面で聴けた程度なので、論評はできないが、映画音楽的な印象を受けた。

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2曲目の山田竜雅:「祈り」〜女声と管弦楽のための〜

第1部は、祭り、行進曲的、等々、様々な要素から構成されており、第2部は、マリンバを中心に開始し、管を中心とした薄い和音をベースに、ソプラノの安江陽奈子さんによる歌。歌詞も作曲者自身によるもの。

歌が都度々々続く中、中間部では、パーカス群が盛り上げり、金管群のクレッシェンドもあり、最後は「mf」か「mp」くらいの音量で終わった。

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休憩後の後半は、まず、先述のとおり、「4人の指揮者によるスペシャルトーク」の後、

松井琉成:交響詩「うつしがたり〈翠〉」の演奏。

明るく、シンプルでロマン的。この日、一番聴き易い曲。リズムの多様性は有るが、トーンの色彩的変化は少ないイメージ。

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最後は、萩森英明:「東京夜想曲」

4人の中で、経歴的には一番、実績がある人。

静かに開始し、賑やかに盛り上がる場面が数回あり、静かに終わるのだが、その「最後の盛り上がりの直後、弦を中心に、ゆったりとした部分からエンディングまで」が、とても美しく、私が聴いた3作の中で、一番印象的な所だった。

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既存のコンクールである日本音楽コンクールの作曲部門や尾高賞、武満徹作曲賞等々における入賞作品の多くが再演されていないという現実、状況を考えたとき、指揮者という「現場」から、自らが「演奏したい曲」、「将来も演奏されていくかもしれない(されて欲しい)曲」として公募し、選考して、実演する、そうした企画自体は素晴らしい行動だと思うので。それ自体は強く支持する。

しかし、今回の4作が、それに値する作品だったかどうかは別問題だろう。

私が聴いた3曲の中では、松井琉成さんの交響詩「うつしがたり〈翠〉」が親しみ易い映画音楽、あるいはテレビドラマに使われるようなシンプルな曲だったが、いささか単純に過ぎる気もした。

もう一度聴きたいと思う曲を強いて挙げれば、萩森英明さんの「東京夜想曲」だが、今後、長く人気を得ていく曲かどうかは判らない。

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今回の4作品のこのコンサートは、日本コロムビアが録音し、CDと配信で発売されるだけでなく、全音楽譜出版社がスコア化したので驚いた。

全音楽譜出版社(ZEN-ON)の現代管弦楽シリーズでは、三善晃さんや三木稔さんだけでなく、池辺晋一郎さんや西村朗さんの多くの作品、最近では、吉松隆さんの交響曲も含めて、出版されているスコアが増していることは知っているが、それでも、今回のような4作をスコア化するなら、故人も含めて他にスコア化して欲しい作品はゴマンと有る。それらを差し置いて、係る~敢えて未熟な、と言わせていただくが~作品をスコア化するとは、私には「大盤振る舞い」と感じてしまう。

若い作曲家と作品を大事にすることは、もちろん重要なことだし、スコア化は、若い作曲家には大いに励みになることだろうが、それならば、伊福部 昭さんや冨田 勲さん、渡辺俊幸さんや吉俣 良さん等々、スコア化と市販を望む作曲家の作品は多々あるし、吉松 隆さんの作品も、もっとどんどん市販して欲しい。

もちろん、係る企画自体は、若い作曲家にとって良い目標の一つとなるだろから、先述のとおり、このプロジェクト自体は、今後も継続されていくことを強く支持したい。

2023年5月14日 (日)

東京交響楽団&ガーキーさんの「エレクトラ」

クリスティーン・ガーキーさんの「エレクトラ」

東京交響楽団の特別演奏会、R.・シュトラウスの歌劇「エレクトラ」の演奏会形式公演を5月14日午後、サントリーホールで拝聴した。

指揮は音楽監督のジョナサン・ノットさん。

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エレクトラ役のクリスティーン・ガーキーさんが圧巻。

ソプラノとは思えない様なアルトのような重厚感ある低音から、気品のある高音まで、自在に無理なくコントロールする技術、力量。なにより、素晴らしい声量。

ビルギット・ニルソンのような強靭さ、たくましさではなく、むしろ、温かささえ感じさせる質感なので、難曲のはずなのに、そう聞こえてこない。エレガント感さえ底辺に感じさせながら、パワフルな歌声が続く。彼女なら、3時間くらい、ぶっ通しで歌っていても、全く疲れないのではないか? この105分の一幕もののオペラは、1日に3回歌っても変わらない(質が落ちない)のではないか?

そう思えるような、温かさを伴う豊麗な声量と、終始、安定感抜群の歌唱の連続だった。

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驚いたのは、クリテムネストラ役の

「あの」ハンナ・シュヴァルツさんだ。

プログラムで彼女の名を見たとき、正直、「まだ現役で歌われているんだ」と、失礼なことを思ってしまった。デビューは1970年。女性の年齢を確認するのもいかがなものか?と思いつつ、調べてみると、今年の8月で80歳になられる。

我々一定の世代には懐かしい名前である彼女を、ライヴステージで聴けただけでも十分嬉しかったし、決して良い役とは言えないのに、その深い余韻のある歌声には、気品さえ感じさせる説得力と魅力が溢れていた。素晴らしかった。

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クリソテミス役のシネイド・キャンベル=ウォレスさん。

姉エレクトラを思いやる、心優しさを感じさせる端正な歌唱。

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エギスト役のテノール、フランク・ファン・アーケンさんの声も素敵だった。

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日本人歌手では、特に侍女の女性陣が皆、良かったが、特に第4の侍女役の髙橋絵理さんが素晴らしかったし、第3の侍女役の池田香織さん、第5の侍女役の田崎尚美さんも「サスガ」の表現力で魅力的だった。

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東京交響楽団の演奏も、鋭さよりも、温かな厚みと十分な迫力がある演奏で、終始、見事だったし、そうしたサウンドをスコアから引き出し、推進力ある指揮を貫徹したジョナサン・ノットさんが見事だったのは言うまでもない。

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キャスト

演出監修サー・トーマス・アレン

エレクトラ:クリスティーン・ガーキー(ソプラノ)

クリソテミス:シネイド・キャンベル = ウォレス(ソプラノ)

クリテムネストラ:ハンナ・シュヴァルツ(メゾソプラノ)1975年、バイロイト音楽祭にデビュー

エギスト:フランク・ファン・アーケン(テノール)

オレスト:ジェームス・アトキンソン(バリトン)

オレストの養育者:山下浩司(バス)

若い召使:伊藤達人(テノール)

老いた召使:鹿野由之(バス)

監視の女:増田のり子(ソプラノ)

第1の侍女:金子美香(アルト)

第2の侍女:谷口睦美(メゾソプラノ)

第3の侍女:池田香織(メゾソプラノ)

第4の侍女、クリテムネストラの裾持ちの女:髙橋絵理(ソプラノ)

第5の侍女、クリテムネストラの側仕えの女:田崎尚美(ソプラノ)

2023年5月13日 (土)

沖澤のどかさん&読響の「死と変容」他

沖澤のどかさん指揮、読売日本交響楽団の第257回土曜マチネーシリーズを、5月13日午後、東京芸術劇場で拝聴した。3階までほぼ満席。演奏曲は、

1.エルガー:ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 作品61

2.ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲

3.R.シュトラウス:交響詩「死と変容」作品24

エルガーのソロは、三浦文彰さん。

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1曲目の、エルガーのヴァイオリン協奏曲については、録音を含めて聴いている回数が少ないので、曲に関するイメージ的な感想しか言えないが、50分を要する大曲で、特に第2楽章のアンダンテが美しいし、ヴァイオリン協奏曲には間違いないものの、全体に漂うロマン性には、ヴァイオリンのソロ付きの一大交響詩のような印象を受ける。

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ヴァイオリン協奏曲だが、トロンボーン3つとチューバ。コントラファゴットという低音管楽器を用いている。そのためか、のどかさんは、弦楽器群を若干減らして演奏した。

すなわち、コントラバスは4名(後半の曲では8名)、チェロは6名(同10名)、ヴィオラ8名(同12名)、ヴァイオリンも各パート2~3名減という人数。

確かに、後半のフルメンバーでの演奏だったら、ヴァイオリンのソロの音を、多少、薄めてしまうリスクがあったかもしれないと納得した。

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ソロの三浦文彰さんについても、大河ドラマ「真田丸」のテーマ曲でのソロが印象的だった以外は、あまりよく知らないが、宗次コレクションから貸与されているストラディヴァリウス「ヴィオッティ」(1704年製)の低音は、重厚感はあまりなく、端正な音がしたのと、高音も艶やかさよりも、品の良い、格調高さを感じたのは、彼の個性なのか、作品が持つ個性なのかは、よく解らないが、多分、その「いずれも」ということかもしれない。

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休憩後の後半は、まず、

ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から第一幕への前奏曲のみの演奏で、よく有るパターンの、イゾルデの「愛の死」に繋げることはせず、なんと、R・シュトラウスの交響詩「死と変容」に繋げたのが面白かった。

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もっとも、このことは場内アナウンスで事前に周知されただけでなく、私はもっと以前から知っていた。

以前アップした、のどかさんを招いての4月22日の朝日カルチャー講座の終わり近くで、今回のコンサートについても触れ、

「ネタバレですが、「愛の死」は音楽としては素晴らしいけれど、女性による自己犠牲という内容に共感できないので、演奏せず、第一幕への前奏曲の最後のコントラバスによるピッツィカートの後、そのまま、「死と変容」に入ります」と言及されていたからだ。

あの「自己犠牲に共感できない」発言は、「私は、指揮者として以前に、女性であるという点で注目されることだけは嫌です」という発言とともに、とても印象的な発言だった。それはともかく、

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「トリスタンとイゾルデ」第一幕への前奏曲の演奏は、

ゆったりとしたテンポによる魅力的な演奏で、十分に熱量はあるが、「熱さ」と言うよりも「温かさ」を感じさせ、ねっとり感よりも爽やか感さえ感じる新鮮な質感を伴う演奏だった。

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R・シュトラウス「死と変容」

先述のとおり、「トリスタンとイゾルデ」の第一幕への前奏曲の最後のコントラバスによるピッツィカートの後、そのまま、「死と変容」に入ったのだが、調性的にも、見事なくらい、違和感のない、ピタリ感のある「繋ぎ」だった。

と言うのは、第一幕への前奏曲の最後部分である、コントラバスによるピッツィカートは、ハ短調(に転調して)の属和音である「G」の音なのだが、正に、「死と変容」もハ短調で開始されるからだ。

繋ぎの「案」が見事だっただけでなく、そう、「死と変容」は、のどかさんが2019年にブザンソンで優勝した際の、それを決定づけた演奏曲である。いわば、現在、得意中の得意とする曲の1曲と言えるだろう。

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R・シュトラウスの、いわゆる標題音楽の多くは、タイトルと曲想が見事にマッチしているゆえ、納得感を覚え易い曲が多いが、この曲は、私は不案内で、イメージが定まらない感を覚える。

シュトラウスが、アレクサンダー・リッターに語り、詩のカタチで添えられた内容は知っているし、なるほど、とても哲学的な印象を受ける。

「Tod und Verklärung」の「Verklärung」は、「変容」の他、「浄化」とも訳されるが、その言葉自体、既に形而上学的で、哲学的である。

R・シュトラウスの交響詩の中でも、美しさという点ではトップクラスだし、抒情と深刻さ、劇性と詩的の対比、何よりも豊麗なスケール感のある良作であることは解る。

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このように、私はこの曲には詳しくないが、この日の演奏が、とても素晴らしい演奏だったことは解る。

落ち着き(余裕)ある統率力から湧き出るロマン性と深くシリアスな質感。そして何よりも豊麗なスケール感と全体の安定感が見事で、ブザンソン優勝を決めた、自信をもって指揮できる曲であることが、はっきりと感じられる見事な演奏だった。

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オーケストラの力量も素晴らしかった。この温かな質感と安定感、スケール感を伴うバランス感覚の良いオーケストラ演奏を聴いていると、今、国内では、オペラ演奏における東京フィルハーモニー交響楽団と共に、最も優れた日本のプロオケかもしれない、と感じたほどだった。

2023年5月12日 (金)

山田和樹さんによる三善晃さん反戦三部作

待ちに待った公演が実現した。三善晃さんの「レクイエム」、「詩篇」、「響紋」の一挙演奏というコンサート、東京都交響楽団の第975回定期演奏会を5月12日夜、東京文化会館で拝聴した。

指揮は山田和樹さん。

本来は、3年前の2020年5月8日、同じ金曜日の19時に、同じ会場で、同じメンバーである山田さん指揮、東京都交響楽団、東京混声合唱団、武蔵野音楽大学合唱団、「響紋」は東京少年少女合唱隊による公演が予定されていたが、コロナ禍に入った直後ということで中止になり、本当に残念に思ったので、「いつか絶対、実現して欲しい」と思っていた。

そして、三善さん没後10年、生誕90年の今年、やっと実現したのだ。

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私が知る限り、三部作一挙の演奏会は、後述する1985年7月14日、尾高忠明さん指揮、NHK交響楽団他による三善さんの「個展」演奏会以来だと思う。

岩城宏之さん亡き今、こういうプログラムを実現してくれる指揮者は、山田和樹さんくらいしかいないかもしれない。そうだとしたら、それ自体、寂しいことだ。

特に「レクイエム」と「詩篇」は、オケ、合唱とも難易度が最高レベルな作品ということもあり、今後、傑作の「レクイエム」が演奏される機会は有っても、三部作一挙公演という日が来るのかは、誰にも判らないし、少なくとも当面は実現しないだろう。

それは、技術的な要素以前に、係る曲を演奏する意義を認識する指揮者とオーケストラの存在の有無次第と言えると思う。

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山田さんは今回の公演に際して、「この3曲を指揮すると、自分の生命が縮む気がします。それくらいの覚悟が必要です。だけど、やらなきゃいけない音楽です。都響さんから(2020年に演奏する)話をいただいたとき、やらせていただきますと即答しました。終戦75年(2020年)、この年だからこそしなきゃいけないと思いました」と語っている。

結果的には、三善さんの没後10年、生誕90年の今年の実現となったのは、かえって意義深いことかもしれない。

山田さんは、「レクイエム」を、2007年に東京混声合唱団と、2台のピアノによる版(編曲は三善門下の新垣隆さん)で、三善さん来席の場で演奏しているが、「詩篇」と「響紋」は、今回が初の指揮。

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三善さんが直接「戦争」あるいは「反戦」という枕詞を付けたわけではないはずだが、実質的には係る内容であり、言い換えるなら「生と死の三部作」とも言える3曲。正確には、

1.混声合唱とオーケストラのための「レクイエム」(1972年作)

2.混声合唱とオーケストラのための「詩篇」(1979年作)

3.童声合唱とオーケストラのための「響紋」(1984年作)

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各曲の概要や今回の感想等は以下、順次記載するが、3曲を短い言葉で要約すると、こう言えるかもしれない。

「『レクイエム』では、陸地における地獄からの死者達の叫びを直接伝え、『詩篇』では、生き残った者たちが、海に沈んだ死者たちを鎮魂し、『響紋』では、大人たちによる戦争が如何に醜かろうと、子供たちの歌声こそが希望であり、永遠なものなのだ」、そういう事を伝える三部作と言えるかもしれない。

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「レクイエム」は、過去、ブログ等で何度も書いたが、日本人が書き得た最も偉大な音楽だと思っているし、「詩篇」も含めて、スコアと市販されたCDは全て持っているし、「レクイエム」はライヴも複数回聴いているが、難易度を主な理由として、なかなか演奏されないのが現状だ。それでも、とりわけ傑作の「レクイエム」は、10数年に一度は演奏されてきた。

しかし、三部作一挙演奏の公演は、先述のとおり、私が知る限りでは、1985年7月14日、尾高忠明さん指揮、NHK交響楽団他による三善さんの「個展」演奏会で、そのときのライヴCDも持っているが、今は廃盤のようで、これはレコード会社の怠慢だと思う。

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その「個展」演奏会の客席には、作曲者夫妻とともに現在の上皇陛下、上皇后陛下(当時は皇太子殿下、妃殿下)もならんで座り、その近くに遠山一行さんもいた。私はそうした御仁のごく近くで聴けたのは幸いだった。

終演後ロビーに出ると、一足先に出ていた武満徹さんがギターの荘村清志さんと立話しされていた。武満さんはその個展コンサートのプログラムに寄稿していて、三善さんの特性を「絶対抒情」という言葉で書いていたことも、とても印象的だった。私にとって忘れられないコンサートの1つだ。

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「レクイエム」について~日本人が作曲した最も偉大な作品

歌手のソリストは用いず、オケと合唱による三部構成の27分前後の作品。

戦地に散った若者の手記や中野重治、石垣りん、金子光晴、宗左近氏などの詩を基に、それらを断片的に織り込みながら、完全無調にして壮絶な音のドラマを創り得た作品で、「反戦三部作」の第一作。

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「誰がドブ鼠のようにかくれたいか!」のシュプレッヒコールで始まり、「シカシ、ヤッパリ殺シテイル」、「甚太郎オジサン、殺サンゴトシナサイ」、「ああ、あなたでしたね。あなたも死んだのでしたね。西脇さん、水町さん、みんな、ここへ戻って下さい。どのように死なねばならなかったか、語って下さい」。

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被害者、加害者のいずれの側にも立つ、というより、戦争そのものの理不尽さと惨さ、犠牲になる人間そのものの戦場における苦痛と叫びを、オーケストラと合唱による音と声で描いた傑作だ。

岩城宏之指揮、NHK交響楽団、日本プロ合唱連合による初演に際しては、既に練習段階からすこぶる高い評価が関係者の間で出ていたといい、初演を聴いた畑中良輔さんや遠山一行さんらは「衝撃」として感想を書いている。

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先述のとおり、オケも合唱も非常に演奏が難しい作品で、オケはプロでないとムリだし、合唱も然りだが、東混などのプロ合唱団といっしょに、栗友会や東京大学柏葉会など、アマチュア合唱団が歌ったケースもごくわずかだが有った。

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今回の3曲の演奏について

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「レクイエム」~意外なほど明るい声の響きのよる演奏

会場の音響が良いということもあるが、冒頭の「誰がドブ鼠のようにかくれたいか」からして、「意外なほど明るい声」と、「ファルセットを感じさせる囁きに近い発声での子音の強調」が印象的。

この「明るい声」は、この曲には「良し悪し」かもしれず、例えば、第二部最後の「(あなたも死んだのでしたね)西脇さん、あなたも 水町さん、あなたも」では、市民の死という悲劇を伝える印象的な部分にしては、いささか明る過ぎる感じがした。

係る「声質の明るい響き」が活かされたのは第三部だ。

静かに密やかに開始する第三部だが、後半は、第二部にも増して、多重を極めた合唱とオケによる大音響に至るのだが、混濁の巨大で深刻な曲想にあっても、第一部から続く響きの明るさが、作品をより明瞭にしている効果を感じた。

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凄絶、壮絶な曲の力演が終わり、長い沈黙の後、盛大な拍手が起きてからも、山田さんは、なかなか客席を振り返らず、合唱団をじっと見つめている様な感じで立ち、あたかも、「ありがとう。素晴らしい演奏でした」との感謝の念を背中から感じた。

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(休憩)

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「詩篇」の特徴と問題点等について

「詩篇」は、宗 左近さんの詩集「縄文」からの7つの詩を、三善さんが8つに構成したカタチをとる。

冒頭から「レクイエム」と似ているが、「レクイエム」を聴いた後だと、「レクイエム」の延長線を「超えてはいない」と感じてしまう。

そして、演奏も、あれほど明瞭に明るく聞こえてきた合唱の響きが(音域が低い部分においては、あるいは全体においても)「こもり」ガチになり、不明瞭感が増す場面が多かった。

冒頭の「きみたちが殺されなければ」や、後半の「処刑から始まらない旅はない」も、もっと明瞭に聞こえて来て欲しかった。

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もちろんこの「混沌」は、三善さんの意図した計算もあって、必ずしも演奏に問題多とするわけではないのだが、それでも、揃って出る部分が、不揃いだった部分も少なからずあった。

前半の「レクイエム」で、精魂尽き果ててしまったわけではないだろうけれども、曲の性格の違いを理解した上でもなお、演奏の完成度は「レクイエム」程ではなかったと感じた。

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「レクイエム」との違いについて

(1)「立ち位置あるいは客観性」

作品に関する特性等を考えると、三善さんは、「レクイエム」では、詩人は出兵した「個人の言葉」が中心として表出されて、それらを直截的に伝えたのに対し、宗左近さんによる「詩篇」の詩は、むしろ、戦争全体における悲惨さを、不明瞭にならざるを得ない「多くの死者の声」として描いたとも言えるかもしれない。

言い換えるなら、「レクイエム」が、陸地における凄惨な死者の地獄からの叫びを伝えたのに対し、「詩篇」は、海に沈んだ死者の魂を鎮魂する、生き残った者たちからによる客観的な哀悼と祈りに重点を移した作品と言えるように感じる。下記に記載する調性の導入もその表れだと感じる。

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「レクイエム」との違いについて

(2)「無調と有調性」

もう一つ、「レクイエム」と決定的に違い、印象的なことは、全てが完全無調ではなく、中間部以降に調性の有る音楽が浮かび上がることだ。

「撃たれて氷柱(つらら)になる鳥たちもいて 落ちるたびに 冷たくなっていく涙がある」の部分もそうだが、とりわけ、終盤で、ホ長調で歌われだす、

「ゆれあっている ゆられあっている 海の中の暁 暁の中の海」、「砕けあっている 砕かれあっている 海の中の暁 暁の中の海」~の部分は、極めて印象的で、「美しい」部分だ。

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そして、エンディングは、明らかに「響紋」を予感させる、「敬ちゃん もとめて 風いちもんめ」(中略)「章ちゃん もとめて 月いちもんめ」の独り言のような「つぶやき」で終わる。

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「詩篇」は「レクイエム」ほどには、成功していないかもしれないが、この「混沌」と、新鮮な有調性の入り混じった独特の色彩ゆえ、「詩篇が一番好き」という人がいてもおかしくないし、案外多くいるかもしれない。

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「響紋」における童声とオケ(大人)による「闘い」

「響紋」のテキストは、「子守唄-鬼遊びの唄-」による。

演出付きだったのが印象的で、特に冒頭とエンディングがそうだった。

オケが配置し、山田さんが登場したとき、ステージには未だ児童合唱団がいない。「どうしたのだろう?」「舞台裏で歌のだろうか?」と一瞬思ったが、そうではなく、

「夜明けのばんに つるつるつっぺぇーった」と歌いながら登場したのだ。

4人×2組は、手を繋ぎ、雛壇最前列の左右に。他は、中段、後段に立った。

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曲は、子供たちの声を遮るかのように、オケが入り、「戦場」の如く暴力的に、何度も何度も、子供たちの声を「叩き潰す」が如く、遮断し、攻撃し、壊しにかかるが、子供たちは、まるで地上では何も起こってなどいないかの如く、

「かごめ かごめ かごのなかの鳥は いついつでやる」、「なべのなべのそこぬけ そこぬいてたもれ」等々と、平然と歌い続ける。

「大人たちの戦争行為があり、大人たちが死んで逝く状況であってさえも、最後に残るのは子供たちの声なのだ」とのメッセージを強く感じる。

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前の2作には聞けなかった豊麗な弦の分厚さも印象的だ。

子供の声を使うのは、ある意味「少しズルイ」とも言える。どんな曲でも、児童合唱ほど、心を清められ、涙腺や胸を熱くする合唱形態は他にないとも言えるからだ。

しかし、それゆえ、この曲の独自性とピュアとも言える曲想が際立つ。

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最後の「うしろの正面、だあれ」では、最前列の8人だけが歌い、中段、後段の児童らは、正に客席に背を向けて、これから、「後ろの正面、だあれ?」とお遊びをするかのようなカタチ(演出)で終わった。

とても印象的で効果的で素敵なエンディングだった。

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長く盛大な拍手。

東京少年少女合唱隊の指揮者、長谷川久恵さんが、山田さんに促されて、何度もステージに登場。

最後に山田さんは、スコアを聴衆に向けて高々とかざし、「作品に拍手を」とのポーズを最後として舞台を降り、稀有なコンサートが終了した。

2023年5月 7日 (日)

麻生フィルハーモニー管弦楽団のマーラー9番

麻生フィルハーモニー管弦楽団の創立40周年記念コンサートVol.1でもある第76回定期演奏会を5月7日午後、ミューザ川崎シンフォニーホールで拝聴した。

指揮は、2日前の豊島区管弦楽団と同じ和田一樹さんで、プログラムは、

1.R・ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死

2.マーラー:交響曲第9番 ニ長調

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和田一樹さんについて言えば、同じ曲、それもマーラーの9番を、翌々日に違うオケで振る、振れるなどということは、滅多にないことで、彼の経験としてはとてもラッキーなことだったに違いない。

麻生フィルハーモニー管弦楽団は、初めて聴かせていただいた。

1曲目の「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲は、木管のブレンドが如何に難しいかを、あらためて感じたし、逆説的には教えていただいた気がする。

「愛の死」は、清冽さも有って、なかなか良かった。

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休憩後の後半は、マーラーの交響曲第9番

全体的に、ホルンの明るい音色が印象的。豊島区管弦楽団のソフト感はむしろ珍しいくらい個性的であって、オーソドックスさというなら、この音色だ。

他のパートも含めて、安定感はあるし、和田さんは、豊島響のときほど、緩急自在さを徹底していないように思えたのは、オケの特色の違いを考えてのことだろう。

それはそれで正しい判断、対応に違いない。

全体に言えることは、同じ指揮者による同じ曲、演奏日も2日か違わないにもかかわらず、「豊島響とは何かが違う」、と感じたことだ。

多分、弦楽器の「熱量」という気がする。「思い入れの度合い」とも言えるかもしれない。

この事は技術とは少し次元が違う事だし、何もアマチュアに限った事ではない。

むしろ、プロにこそ、それが露呈するケースは少なくない。

2023年5月 6日 (土)

アンヌ・ケフェレックさん~ラ・フォル・ジュルネ

解説付きでの、ソナタ第30番~32番の素晴らしい演奏

「ラ・フォル・ジュルネ」が帰って来た。

アンヌ・ケフェレックさんが帰って来た。

「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」は、2019年5月以来、4年ぶりの開催。

今年のテーマは「ベートーヴェン」。

1995年、フランス西部の港町ナントで誕生したクラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」は、各国でも徐々に広がり、日本では2005年に東京国際フォーラムで第1回が開催された。そのときのテーマも「ベートーヴェン」だったから、いわば、コロナ禍後の「原点回帰」とも言えるだろう。

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アンヌ・ケフェレックさんは、コロナ禍前、東京国際フォーラムにおける「ラ・フォル・ジュルネ」の常連だった。私は協奏曲も含めて度々聴かせていただいており、サインもいただいたし、ある日など、東京国際フォーラム内の敷地を散歩されているケフェレックさんとバッタリ遭遇したりもした。

この5月6日は、午前10時開演で、曲は3曲。

ピアノ・ソナタ第30番、第31番、第32番。

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ケフェレックさんはマイクを手に、女性の通訳付きで登場。

予定では、休憩なしの70分のコンサートにもかかわらず、なんと、冒頭だけで15分に及ぶ挨拶と解説を行った。

以下は、ケフェレックさんが用いた正確な単語や言い回し(表現)ではないが、概要としては伝わると思うので、ぜひ紹介させていただきたい。

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「おはようございます。午前10時からのコンサートというのは、私の人生で初めてです」(会場:爆笑)。

「皆さんも、10時から聴くコンサートなんて、なかなか無いことでしょう。そこは「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」ゆえ、「クレージー(な企画)」ということでOKとしましょう」(会場:笑い)。

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「これから弾く3曲は、ご承知のとおり、ベートーヴェンのピアノ・ソナタとしては最後の3曲です。私は、ベートーヴェンが第32番を作曲しているとき、これが自分の最後のピアノ・ソナタになるだろうと予感していたと思います」

「3曲には共通する要素も有りながら、それぞれ全く違う内容でもあり、私は「三姉妹」と思っています」

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「第30番は日記のような要素もありますが、終楽章は、シューベルトのようでもあります」

「第31番は、ベートーヴェンの人生の全てが盛り込まれたような、多様な要素が存在していると思います。自由な要素を感じさせる独創的で内省的に開始しますが、途中、深い苦悩も現れたりします。しかし、ベートーヴェンは「闘う人」です。終楽章のフーガー~ここで、ケフェレックさんはテーマを少し弾く~においても、少し打ちひしがれる要素も見せながら、最後には、そのテーマが逆転して登場し~ここでも少し弾かれた~「闘う人」としての大きな喜びを湛えて終わるのです」

「後で第32番についてもお話しますが、そのときは、もう少し短い解説にします」(会場:爆笑)。

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ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109

淀みない美しい流れと施策が交錯する第1楽章。

十分に深い第2楽章。

詩の世界と優しさに満ちた第3楽章

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ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110

第1楽章における場面(曲想)転換の描き分けの見事さ。

力感だけでなく、哀愁も感じる第2楽章。

深い苦悩の後の、比較的速めのテンポで瑞々しく進行するフーガの第3楽章。

エンディングの気品あるダイナミズム。

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解説:

「本来なら、ここで休憩を入れたいところですが~」(会場:爆笑)。

「第32番は、第31番(の自由にして繋がりのある形式)とは違い、楽章が独立しています」

「エドウィン・フィッシャーは、「第1楽章は、闘う音楽。第2楽章は、闘いを乗り越えた音楽だ」と表現しました」

「第1楽章は、正に闘うベートーヴェンが居ますが、第2楽章には、有機的に流れる川を感じます。確かに、フィッシャーの言う、形而上学的な精神の存在を感じるのです」

「そして、多彩で多様な展開の後、楽譜の最後の小節に記載されているのは、「休符」なのです」

「私はこの休符に、シェークスピアの「ハムレット」にある、「後は長い沈黙(があるだけだ)」という言葉(セリフ)を思い起こすのです」

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ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111

第1楽章の、重すぎないが、苦悩と推進力が交錯するバランスの見事さ。

詩と憧憬と夢だけでなく、希望を感じさせてくれる素晴らしい第2楽章。

大きな拍手の中で、ケフェレックさんは、腕時計(もちろんしていないが)の場所を示して、「もう(予定)時間オーバーだから」という仕草で会場を笑わせて、2回だけのカーテンコールでコンサートが終わった。

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女性の年齢を言うのも何だが、75歳とは思えぬ凛とした気品。

優雅なでソフトなトーン。それでいて、常に明晰で、重くないタッチでありながら、1音1音に充実した響きがあり、温もりと瑞々しさがある演奏。深い思索と詩を加持させ、爽やかさと十分なダイナミズムもある演奏。

本当に素晴らしいピアニスト。まだまだ、あと10年は現役でいて欲しいし、それができるに違いない魅力的なピアニストだと思う。

2023年5月 5日 (金)

豊島区管弦楽団のマーラー9番~名演

豊島区管弦楽団の第95回定期演奏会を5月5日午後、東京芸術劇場で拝聴した。

同オケは今年1月の「ニューイヤーコンサート」で、武満他を聴いているし、昔から度々聴かせていただいているので、優秀なアマオケであることは知っている。だが、この日のマーラーの交響曲第9番は、これまで拝聴した同オケのコンサートの中で最も印象的で感動的であっただけでなく、プロアマを問わず、ライヴでもたくさん聴いてきた同曲の演奏の中でも屈指の演奏だった、と敢えて記したい。

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指揮は、和田一樹さんで、プログラムは、

1.R・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」Op.20

2.マーラー:交響曲第9番 ニ長調

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和田一樹さんは、先述の1月の演奏会で拝聴した他、今年3月には、アマデウス・ソサイエティー管弦楽団を指揮してのマーラーの交響曲第6番を聴いている。

その第6番では、テンポの緩急の変化をほとんど付けないような演奏だったが、この日の、この曲での和田さんは、「まるで別人」。緩急の変化の連続と言えるほどのニュアンスの変化を創り出して見事だったが、まずは、前半の「ドン・ファン」から感想を書く。

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R・シュトラウスの「ドン・ファン」

この曲でティンパニを受け持った女性奏者の音が総じて弱い。指揮者の指示なのかどうかは判らないが、もう少し硬めのマレットを使ったほうが良かったのではないか?と思った。

中間部でのオーボエのソロの音色が素敵。

それに続いて登場するのは、ホルン群による雄大で有名な旋律の部分だが、そこに入っていく導線を弦がクレッシェンドでお膳立てすると言うのに、そのクレッシェンドが弱過ぎる。これでは、ホルン群は(少なくとも気持ち的には)入り難かったはず。

そして休憩後の後半は、

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マーラーの交響曲第9番

オケの配置は、通常配置と対抗配置の折衷というか、通常配置をメインとしながらも、セカンド・ヴァイオリンとヴィオラを入れ替えて、2パートのヴァイオリンを、指揮者を挟んで左右に分けたが(この部分は対抗配置)、9人のコントラバスは(客席から見て)右側だし、ホルン群は左奥、という一般的な通常配置。

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第1楽章

穏やかなテンポで開始。しかし、29小節からは、エネルギッシュにテンポ押し出し、以下、場面ごとに大きく緩急自在な演奏が展開されて行ったことに驚いた。

先述のとおり、第6番のときは、それがほとんど感じられない様な、良くも悪くも一本調子のような演奏だったのに対して、この日の第9番は、全く別の指揮者による演奏かと思うほどだった。

例を挙げたらキリが無いが、129小節からのチェロパートによる旋律を、ゆったり、たっぷり歌わせたかと思うと、174小節の「Allegro risoluto」に入る以前の168小節から既にアクセルを踏み始めたし、その後も、緩急の変化を徹底して付け、それらが全て音楽的に説得力のあるニュアンス変化だった、という実に見事な演奏だった。

ホルン群も第1奏者を含めて全奏者が安定しており~この第1楽章だけ、少し不安定な場面もあったが~総じて良かったし、印象的だったのは、そのトーンだ。第1奏者だけでなく、全員のトーンがソフトで、スフォルッツァンド的な要素がほぼ無いようなイメージ。私は、ペーター・ダムを連想したが、それが第1奏者だけならともかく、パート全体が係るトーンを醸し出していたことが実に印象的だった。これは全ての楽章で感じたことだった。

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第2楽章

この楽章も、穏やかで落ち着いた、心地よいテンポで開始。もちろん、90小節の「Poco più mosso subito」からは、テンポアップするのだが、場面ごとに応じたテンポ変化が、第1楽章同様、安定と説得力のいずれも有しており、素敵な演奏だった。

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第3楽章

冒頭から速過ぎず、遅過ぎない、安定感抜群のテンポで進んで行く。どの部分をとってもアンサンブルが堅固で、ともすれば慌てがちになる難しい楽章にもかかわらず、良い意味で、「別に難しくないですよ」とでも言っている様な余裕を終始感じさせる立派な演奏だった。

372~391小節間のような抒情的な部分での、テンポ変化を含めたニュアンス表出も素敵だった。

ここまでの楽章で、ホルン以外の楽器について触れると~どのパートも良かったが~フルートの第1奏者が素敵だったし、トランペット群も安定して見事だった。

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第4楽章

まず驚いたのは、第3楽章から、ほとんど「アタッカ」(休みなし)で入ったこと。

これは、ライヴでは、なかなか例が無い(少ない)のでは、と想像する。

そして最初の2つの小節を「特別扱いせず」、その後も、速過ぎず、遅過ぎない、いわば中庸のテンポで進んで行ったのだが、特別な「演出」を所々に設定するわけでもないにもかかわらず、流れていく音楽には常に「温かさ」、あるいは「熱さ」が確実に存在し続けているのだ。

遅いテンポではなく、さりげない流れの中にあって、1小節ごとを各団員が、それぞれの思いを込めて演奏している、そうした誠実で温かな演奏から、私は、バルビローリとベルリン・フィルによる名演を思い出していた。

そして、122~125小節間における両ヴァイオリン群による「fff」の中で連続する「sf」という、演奏的にも「とても怖い部分」における「正確さと熱さを両立させた見事さ」。素晴らしかった。

全体的には「中庸のイメージを受けるテンポ」だったが、159小節の「Adagissimo」からは、たっぷり、ゆったりとしたテンポにギアチャンジし、穏やかで静かな祈りの音楽として終えた。

ゆえに、この楽章の開始は23分前後のイメージでの進行だったが、最終的には、25分以上、30分近くかかったかもしれない。

しかし、そんな物理的なことよりも、この楽章を、これほどまでに、作為的な熱さや演出を排しながらの、自然な流れに任せての演奏にもかかわらず、終始、誠実さと温かさに満ちた演奏を聴かせていただいたことに、大きな喜びを感じる。

これまで、バーンスタイン指揮イスラエル・フィルを含めたプロオケを中心に、素晴らしい第9番のライヴ演奏を聴いてきたが、この豊島区管弦楽団の演奏も、忘れ難い演奏の一つとなった。

2023年5月 4日 (木)

三善晃さんの合唱曲を堪能~Tokyo Cantat2023

今年没後10年、生誕90年の三善晃さんの合唱曲をたっぷり堪能するコンサートを5月4日夜、すみだトリフォニーホールで拝聴した。18時開演、15分の休憩を2回挟んで、終曲のアンコールが終わったのが21時20分近くという一大合唱コンサート。それも三善さんの作品のみのコンサートだった。

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「トウキョウ・カンタート」というイベント(試み)を初めて知った。前進は、栗友会の栗山文昭さんを中心に1996年に最初の企画が実行され、翌1997年からは、栗山さんもその一人とした、合唱人集団「音楽樹」が設立され、そこが主催するかたちで新たにスタート。

「Cantat」とは、「一定期間に集中して合唱のためのコンサート・講習会・公演等を行うイベントを意味する新しい言葉」とのことで、毎年、合唱のコンサートだけでなく、講演やレッスン、年によっては「若い指揮者のための合唱指揮コンクール」など、ゴールデンウイーク期間に、数日間にわたって数種の企画が実施されている。コロナ禍で2020年は中止し、2021年は全てオンライン配信での開催だった以外は毎年行われており、今年は27回目という。なお、「音楽樹」は、2022年12月に、一般社団法人化された。

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2010年以降は、イベントの一つとして、「やまと うたの血脈(けちみゃく)」と題して、毎年さまざまなテーマに沿った演奏会を企画しており、今回は4月30日から5月7日の間で4つ行われる企画の中の1つとして、2013年に逝去された三善晃さんの没後10年の年にして、生誕90年ということもあり、桐朋学園大学出身で、三善さんとの共著もある音楽評論家、丘山万里子さんが監修し、「やまと うたの血脈Ⅶ」としての「地球へのバラード~傷みの泉から祈りの歌を~」と題された三善さんの合唱曲のみを演奏するコンサートが、この日に開催された。

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三善さんは、「生誕90年、没後10年」というだけでなく、「音楽樹」としての第1回である1997年には、公開レッスンの講師をされているし、2003年と2006年にも、三善さんを特集としたコンサートが開催されるなど、このシリーズに深く関わってこられてきた。

ということを、今回、私は初めて知った次第。

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プログラムは以下のとおりだが、先述のとおり、2回の休憩を挟んでの三部形式で、各1曲目を、Chœur Clarté(クールクラルテ)という合唱団が、「地球へのバラード」から1曲ずつ歌って開始する、という構成がとられた。

以下、全プログラムと演奏者を記載し、最下段に少し感想を記載する。

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プログラム

第1部

1.混声合唱のための「地球へのバラード」(1983)より

  「私が歌う理由」 詩:谷川俊太郎

合唱:Chœur Clarté(クールクラルテ)、指導:山宮篤子

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2.女声合唱のための組曲「月夜三唱」(1965)

   詩:中原中也 指揮:相澤直人、ピアノ:河野紘子

合唱:女声合唱団 ゆめの缶詰

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3.混声合唱と二台のピアノのための

「歌集 田園に死す」(1984) 詩:寺山修司

合唱:Combinir di Corista(コンビーニ・ディ・コリスタ)

指揮:松村努、ピアノ:浅井道子、織田祥代

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4.男声合唱のための「王孫不帰」(1970)詩:三好達治

合唱:松原混声合唱団男声+早稲田大学コール・フリューゲル

指揮:清水敬一、ピアノ:小田裕之、打楽器:加藤恭子、横田大司

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  (休憩)

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5.混声合唱のための「地球へのバラード」(1983)より

   「沈黙の名」  詩:谷川俊太郎

合唱:Chœur Clarté、指導:山宮篤子

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6.こどものための合唱組曲「オデコのこいつ」(1971)

   詩:蓬莱泰三 合唱:むさし野ジュニア合唱団「風」

指揮:前田美子、ピアノ:平美奈子

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7.混声合唱曲「嫁ぐ娘に」(1962) 詩:高田敏子

   合唱:混声合唱団 鈴優会  指揮:名島啓太

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  (休憩)

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8.混声合唱のための「地球へのバラード」(1983)より

   「夕暮」  詩:谷川俊太郎

合唱:Chœur Clarté、指導:山宮篤子

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9.C6H~チェロのための(1987)

チェロ:鈴木皓矢

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10.童声・混声合唱と2台のピアノのための

交聲詩曲「波」(2001) 詩:宗 左近

合唱:合唱団樹の会、むさし野ジュニア合唱団「風」

杉並区立桃井第五小学校

指揮:藤井宏樹  ピアノ:浅井道子、斎木ユリ

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11.「唱歌の四季」(1983)

  (朧月夜、茶摘、紅葉、雪、夕焼小焼)

合唱:栗友会合唱団

指揮:栗山文昭、ピアノ:浅井道子、斎木ユリ

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アンコール:混声合唱のための「地球へのバラード」(1983)より

   「鳥: 詩:谷川俊太郎

合唱:栗友会合唱団+Chœur Clarté

    指揮:栗山文昭、ピアノ:浅井道子、斎木ユリ

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第1部

1.「地球へのバラード」より「私が歌う理由」

開始に相応しい、素敵な曲と詩と演奏。Chœur Clartéは、第1部~3部冒頭からそれぞれ1曲と、アンコールでの栗友会との合同の際に歌ったのだが、ステージではなく、客席から見て、オルガンのある檀上右手に位置しての合唱だった。だから、指揮者がどこで振っていたのか、唯一、分からない状況だった。

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2.女声合唱のための組曲「月夜三唱」

3曲目のピアノが技巧的な曲なので、河野紘子さんの妙技が聴けた。

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3.「歌集 田園に死す」

Combinir di Corista(コンビーニ・ディ・コリスタ)は、男声が特に優秀だった。

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4.男声合唱のための「王孫不帰」

時代性もあるが、前衛的で難しい曲。西洋音階(音程)ではなく、1音の2分の1、3分の1というか、いわゆる定まらない音程(音域)での行き来を巧みに使った曲。合いの手や、鈴の音や木鉦も効果的。

ピアノは断片的な音での効果。

  (休憩)

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5.混声合唱のための「地球へのバラード」より

「沈黙の名」で第2部が再開。

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6.こどものための合唱組曲「オデコのこいつ」

児童合唱曲とは思えないほどの大曲にして難曲。見事な演奏で、この日、一番とも思える盛大な拍手を受けた。

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7.混声合唱曲「嫁ぐ娘に」

有名な曲だが、案外、寂しい曲。

  (休憩)

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8.混声合唱のための「地球へのバラード」より

「夕暮」で、第3部が再開。

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9.C6H~チェロのための

この日、唯一の器楽曲。重音や低音はもちろん、高音が多く使用されている。ピッツィカートも効果的で印象的。

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10.交聲詩曲「波」

この日、一番とも言えるような、激しいパッションに満ちたドラマティックな曲。

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11.「唱歌の四季」(朧月夜、茶摘、紅葉、雪、夕焼小焼)

私は歌ったことがあるので、細部もそれなりに知っているが、転調や色彩の移ろいにおいて、三善さんにしては単調だと思うし、「紅葉」や「夕焼小焼」では、部分的に転調が、あまりよく出来ていないと感じる点が有るので、私は高く評価はしていない。でも、楽しい曲集ではある。

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アンコールとして「地球へのバラード」より「鳥」

谷川俊太郎さんによる素晴らしい詩と、三善さんの静寂な抒情に満ちた素敵な曲により、この長大で、素晴らしいなコンサートが終了した。

神回「らんまん」~綾の名演説

フェイスブックの朝ドラファンサイトで、「2日(火)の第22話と3日(水)の第23話は、朝ドラと言うより、大河ドラマを思わせる「重み」があった。朝大河だ」と投じた人がいた。

私は特に、その3日(水)と今日4日(木)第24話での、万太郎(神木隆之介)と祖母タキ(松坂慶子)との熱い思いのぶつかり合いに感動した。2人にあるのは互いを思い合う「愛」だ。

そして4日第24話での、万太郎の姉、綾(佐久間由衣)による、「蔵元」就任への覚悟を滔々(とうとう)と熱く語りかける一世一代の宣言に強く打たれた。そこに有るのは、綾の酒造りへの「愛」だからだ。

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「(家業を継げるのは)正直、涙が出るほど嬉しゅうございます。幼いころ、(こっそり)蔵に入った日から、私は酒造りに魅入られてしまいました。酒造りに触れてみとうて、憧れ続けてまいりました。男の身で生まれて来たら良かったと、何べんも自分を恨みました。女は穢れ(けがれ)っちゅうき、(蔵に)入ったらいかんと言われたとき、自分ではどうしょうもないことで、(でも)なんでじゃろ、って、ずっと苦しかった。この世に男と女がおって、どうして女ばっかりがそう言われんといかんがじゃろうかと?」

「この先も、未来永劫、女は「穢れ」って言われ続けるがか?(酒蔵に)立ち入ったらイカンと言われ続けるがか?」

「けれど、万太郎は、私に任せると言うてくれました。大好きな酒造りに近づいてもええと。ほんなら私は、思う存分、働きたい。峰屋のために働きたいがです。私の願いは、峰谷で美味い酒を造り、店をもっと大きくすること。そのために力を尽しますき、皆の衆、どうかよろしゅうお願いいたします」

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俵万智さんは、「プロフェッショナル」で、番組恒例の最後の問いかけである「プロフェッショナルとは?」に対して、こう答えていた。「むっちゃ夢中、とことん得意、どこまでも努力できれば、プロフェッショナル」。

https://www.sanspo.com/article/20230504-I4ANCFXWOZF55KZBP3OA4V5IZQ/

 

NHK朝ドラ「らんまん」 峰屋をつぐ決意を語る綾(佐久間由衣)の姿に、ネット上では感動の声続々!

https://www.sanspo.com/article/20230504-I4ANCFXWOZF55KZBP3OA4V5IZQ/

朝ドラ「らんまん」松坂慶子、佐久間由衣の熱演に反響「圧巻の演技」「神回」「朝から号泣」

https://news.yahoo.co.jp/articles/4a15cbbe860208421702dc6e09c60b7774b44da0

2023年5月 3日 (水)

田部京子さん&NHK交響楽団のモーツァルト第27番

「N響ゴールデン・クラシック2023」を5月3日午後、東京文化会館で拝聴した。指揮は秋山和慶さん。

「オール・モーツァルト・プログラム」なので、敢えて言うが、ロマン派の曲のような「大曲が1曲もないプログラムにもかかわらず」、会場は1階から5階まで、ほぼ満員と言える客入りだった。

N響が同ホールで演奏する機会が少ないから興味深いということもあるだろうが、何より、田部京子さんがソリストとして共演されるから、という理由こそ大きいに違いないと想像する。

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田部さんがN響と共演されるのは、いつ以来なのか知らないが~今度、お会いした際、お尋ねしてみたい~久しく無かったと思われる。それはともかく、プログラムは以下のとおりで、

1.歌劇「魔笛」K.620より序曲

2.ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595

3.交響曲第40番 ト短調 K.550

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1曲目の歌劇「魔笛」序曲

冒頭から弦の音もフレージングも硬い。「さあ、これから楽しいオペラが始まるぞ。楽しみだな」、という感興、ワクワク感が全く沸いて来ない。そう言えば、歴史有るオーケストラのN響も、現役最高齢に近い指揮者の一人である大ベテランの秋山さんも、オペラの経験は少ないと思う。そういう知識が無くても、1小節間聴いただけで、「オペラ経験が少ない指揮者とオーケストラによる音」ということが直ぐに判る。だから、「音楽は怖い」。

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2曲目は、田部京子さんの登場で、

ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調

モーツァルトにとって、オペラとピアノ協奏曲こそ、最重要にして、そのジャンルを音楽史的に不動なものとした作品形態だと信じるが、最後のピアノ協奏曲は、それまで各曲で表現された嬉々とした愉悦感や哀愁、格調高い流麗感という様々なニュアンスの変化を極力抑え(あるいは排し)、シンプルさに徹する中から生じる内省的な喜びと安らぎを感じさせる曲であるように、私には思える。では、演奏はどうだっただろう?

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第1楽章

オケの出だしが真面目過ぎる。しかし、田部さんが弾き始めた瞬間、その最初の1小節間で、雰囲気が、世界が一変した。

エレガントな音色。まるで田部さんはオケに、「もっと楽しく演奏しませんか?」と問いかけているかのようにさえ、私には聞こえた。と言っても、田部さんのトーンやタッチは軽過ぎるわけでも、気楽な感じがするわけではない。1台だけのピアノによる格調の高さは、数十人のオケによるそれと、全く引けを取らない。

カデンツァにおいても、田部さんは決して、その場の気まぐれ的な感興で弾いたりはしない。むしろ、キチンと設計して練ったフォルムの中で、美しく、生命力を湛えて歌うのだ。

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第2楽章が白眉

冒頭から安定したテンポの中で、田部さんは、優しさの限りを尽くすような歌として演奏する。

と言っても、田部さんは、決して「これは天使からの贈り物なのです」というような「気取り」は全く表出せず、むしろ、人間としての純で自然な、温かな感情を発露して演奏して行く。それゆえに、そこに稀有なまでに美しい優しさが表出するのだ。オケも温かく応じていた。

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第3楽章

冒頭、田部さんは、ありがちな「リズムの強調や艶の強調」などはせず、案外、さりげなく開始された。その純朴な歌は、少年モーツァルトの愉悦というより、田部さんによる「大人の音楽」であり、虚実を排したシンプルな曲想における謙虚にして意思的な演奏であり、気紛れ的な愉悦ではなく、格調高い音楽として描いて行く。

カデンツァにおいては、第1楽章のそれと基本的なアプローチは同じながら、もう少し自在さを加え、テンポの変化と間合いを加えての、ニュアンス豊かなカデンツァを創り出していた。

あくまでも結果として、「全て偉大なものはシンプルなのだ」ということを示された名演だった。

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長く大きな拍手に応えてのアンコール。

モーツァルトの短い曲でも弾くのかなと想像したが~さすがに、「トルコ行進曲」はないと思った~田部さんが弾き始めたのは、リサイタルのアンコールでもよく弾かれる、シューベルトの「アヴェ・マリア」(編曲=田部京子さん&吉松隆さん)。

意外ではあったが、「B-dur(変ロ長調)繋がり」であるだけでなく、満員の客席と「祈り」を分かち合うかのような素敵な選曲による、静寂で感動的な演奏であり、その瞬間(だけ)は、まるで、田部さんのリサイタル会場にいるような感慨を覚えた。リサイタルで聴かれたことのない聴衆も多かっただろうが、そうした聴衆こそ、初めて聴き、深い感動を覚えただろうと想像する。

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休憩後は、交響曲 第40番 ト短調

全楽章に言えたのは、オーソドックスなテンポによる自然体な音楽。

ゆえに、この魅力的にして、指揮者によって全く違ったニュアンス等を聴くことができる類であるところの「深さ」とか、「色彩の妙」とか、「謎めいた感興」等々とは、ほぼ無縁の演奏であり、聴き易く、作品の魅力自体は伝わる演奏ながら、この曲に「新たな発見」のようなものを期待した人には、ごく「普通の演奏」と感じたのではないか、と想像する。

なお、アンコールとして、歌劇「劇場支配人」序曲K.486が演奏された。

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