東響コーラスのフォーレ「レクイエム」他
プログラムの前半に、東響コーラスが歌う2曲を置いたコンサートを12月3日午後、ミューザ川崎シンフォニーホールで拝聴した。正式には、ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団の名曲全集第182回演奏会。
指揮は藤岡幸夫さん。全演奏曲は最下段に記載のとおりだが、東響コーラスが出演する前半は、フォーレの「パヴァーヌ」と、同「レクイエム」。
「レクイエム」のソリストは、ソプラノが砂川涼子さん、バリトンが与那城 敬さん。
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フォーレの「パヴァーヌ」(合唱付き)
合唱なしのオリジナルは1887年に完成、翌年に初演されたが、その後、フォーレは、バレエ版を想定して、詩をロベール・ド・モンテスューに依頼した。その合唱付きの初演は、1888年4月28日に行われている。
美しく歌われた合唱だが、団および合唱についての感想は、次の「レクイエム」にて、詳細に書きたい。
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フォーレの「レクイエム」(ラター校訂版)
こんにち一般的に演奏されるのは、1900年に初演されたフル編成版だが、フォーレはそれに先立ち、小編成によるものを1893年に創っている。この日の演奏は、その原曲とも言える版を、更にジョン・ラターが部分的にアレンジした版による(1893年版を基にしたラター校訂版)。
当然、弦はヴィオラ、チェロ、コントラバスを主体としており、ラターの工夫で分かり易かった点としては、第3曲「SANCTUS」で、ヴァイオリンによるオブリガート的旋律を、指揮者の左側に陣取ったヴィオラ群の後ろに座した一人による、ソロだけで演奏された。
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ソリストの立ち位置に関しては、バリトンは、第6曲の「LIBERA ME」だけでなく、第2曲の「OFFERTOIRE」においてもソロがあるためか、指揮者のすぐ右横。
ソプラノは、第4曲の「PIE JESU」だけの出番ということもあってか、左奥(オケの後ろ)。
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合唱はオルガンを背にした2階客席。
コロナ禍でなければ、ステージのオケの直ぐ後ろで歌っても良かったかもしれない。より密度の濃い合唱の響きになっただろうから。もっとも、2階席にゆったりと陣取ったことで、教会の空間のような、響きが広々と伝わる良さもあったので、これは一長一短のことかもしれない。
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ソリストの歌唱について
この曲においても、バリトン歌手の声質や個性によって、曲全体のイメージは随分と違うものになる。
太めの、バスに近いバリトンによるソロが好きな人もいるだろうけれど、私はこのコンサートでの与那城敬さんによるトーンと歌唱にとても魅せられ、大いに気に入った。
太過ぎず、細過ぎず、言わば「ハンサムな声」。格調高い与那城さんのソロは、実に魅力的だった。
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砂川涼子さんが、「PIE JESU」を、どういうトーンで、どう歌われるのか、大いに興味があった。
結果は、繊細な優しさがあり、母性を感じさせる慈愛のある歌声。とても素敵だった。
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東響コーラスについて
アマチュアの混声合唱団だが、東京交響楽団の専属合唱団として1987年に創立され、公演ごとに、その曲を歌うメンバーをオーディションで決める、という、非常に珍しく、シビアな団体だ。
よって、当然、レベルは高く、運営においても、演奏する曲に相応しい人数や4パートの構成比率を調整(確定)できるという大きな利点があり、その点で、アマチュアといっても、いわゆる市民合唱団に類する一般的な団体とは、性格が大きく異なる団体。
この日も、曲的に、あるいは、依然としてコロナ禍の中でもあるということもあってか、多過ぎず、少な過ぎない人数で、4つのパートも、ほぼ同じ人数と思われるバランスの良さによる合唱だった。
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フォーレの「レクイエム」では録音とライヴを含めて、私にとって不満を感じることの多くの原因に、テノールパートの「レガート感の無さとソフト感の欠如」がある。具体的に2か所挙げるなら、
第1曲「REQUIEM」の20小節目からのパートソロ。
第5曲「AGNUS DEI」におけるパートソロ。
しかし、この日の東響コーラスのテナーパートのトーンは、いずれにおいてもソフトで美しかった。
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限りなくプロに近い実力による立派な演奏だったし、ほとんど申し分無いけれど、思う事が全く何も無かった、というわけでもない。優秀な団体だからこそ、敢えて言わせていただくなら、以下のようなことを感じた。
「美しい合唱演奏だが、いささか整然とし過ぎる感じはする。とても真面目で、優等生の集まりの合唱。もちろん、それ自体は素晴らしいことなのだが、欲を言えば、もう少し、個々の自発的な柔軟さ、自在な発露が感じられる歌声が聴きたい。それが加われば、更に素晴らしい合唱になると想像するが、これを求めることは、「学び取り、真面目に演奏することが第一とされる傾向が強い日本の合唱団」ゆえに、この団に限らず、いささかハードルが高いことなのかもしれない。また、今回は、曲的に、もしやソプラノには、童声に近いトーンを求めたのかもしれない(と想像する)が、スラーで繋がった音から、次の音域が含むフレーズに移るときなど、硬さを感じた場面が少なからずあった。それでも、国内屈指の優れた合唱団であることは、疑う余地がない。見事な合唱団だ」。
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なお、自分が活動しているオケの練習開始時間の関係で、後半のプログラムは聴かずに会場を後にした。むろん残念ではあったが、東響コーラスと、お2人のソリストを聴きたくて出向いたので、十分満足した次第。
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プログラム
1.フォーレ:パヴァーヌop.50(合唱付き)
2.フォーレ:レクイエムop.48(1893年版に基づくラター校訂版)
(休憩)
3.ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」
4.ラヴェル:ボレロ
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