ピリスによるピリスだけのシューベルト~来日公演
マリア・ジョアン・ピリスさんのピアノ・リサイタルを11月29日夜、サントリーホールで拝聴した。現在では、ピレシュと表記されることが主流となっているようだが、ここでは、招聘元のプログラムに従う。
私は彼女の演奏をあまり聴いてこなかったから、逆にこの来日公演が楽しみだったし、2017年12月、73歳のとき、2018年中の契約をもって現役の舞台からは退くことを宣言したにもかかわらず、再び弾き始めた理由は知らないが、なぜ活動を再開されたのかは興味深い。教育者としても名高い彼女が、コロナ禍という事態に直面する中で、何か思う事があったのかもしれない。
それはともかく、CDもごくわずかしか聴いていない私にとって、この日に聴いたピアノ演奏は、忘れ難いほど、心に潤いと温かさと新鮮さと新しい体験を与えてくれた。
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1曲目は、シューベルトのピアノ・ソナタ第13番 イ長調。
オルガン側の客席にも一礼して、椅子に座るや否や、直ぐに弾き始めた。
シューベルトの日常の幸福な歌をピリスさんが奏するのだが、「あなたの日常での喜びは、きっとこうだったのね」と想像するというよりは、ピリスさんが、自身の日常の、今生み出される喜びの歌として、シューベルトの生活を想像しながら蘇生させている、という印象を抱いた。
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2曲目は、ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」。
冒頭から、独特のシックなトーン。エレガントとか気品とかいう言葉すら陳腐に思えてしまうほどの、独特の夢の世界。「静」を基調とする中での瑞々しい季節の変化と物語。
ドビュッシーだからと言って、「らしさ」とか「印象派」であるとかのように「外から」考えるのではなく、ピリスさんが感じるまま、詩を優しく語りかける。自分の感じた世界として、声としての純然たる音楽。その点では、彼女のショパンの演奏と共通する特徴かもしれない。
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休憩後の後半は、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調。
言うまでもなく、最晩年にして大作、傑作。
第1楽章は、不安もよぎりながら、全体としては穏やかで平和な歌、として演奏されるのが一般的かもしれないが、ピリスさんの演奏は違った。
死を意識した大きな不安の中にあっての、心からの祈り。同時に、自分の命も世界も、これから長く続くかもしれないという希望の歌。2011年の録音では、後者をより強く感じたが、主題が短調で奏される部分も含めて、この日は、シューベルトが抱いたであろう「不安」に重点が置かれたように感じた。
低音のトリルが、こんなにも意味深く奏された演奏は滅多にない。そして、半音でぶつかる音の強調。もっとも、ドギツさはなく、あくまでも音楽的な意味を内包しての、ぶつかる響を強調。
長大さを感じさせない力みの無さ、軽やかさと落ち着き、高音で喜びを歌う場面等はもちろんあるが、それ以上に、低音や不協和音にこそ、ピリスさんの思いが強く込められていたと感じた。
しかし、それはよく言われ、表現されがちな「諦念」とは違うし、評論家が使いがちな「枯れた演奏」とも全然違う。全体的にソフトで、sotto voceを基盤にしながら、個々の場面での逸話や、ドラマを丁寧にして気品をもって描かれるので素晴らしく、「諦観」や「枯れ」どころか、若さと瑞々しさも感じたほどだ。
それでも、この楽章が、全体としては、こんなに寂しく悲しい曲であるなんて、そう感じた演奏は初めて聴いた。すこぶる個性的だった。
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第2楽章が白眉とも言える感動的な演奏。
決して「モタレない」自然なテンポでの暗い曲想、色調は、ピリスさんの独白というだけでなく、人間そのものが持つ哀しみを湛えているようでもあり、またそれに留まらず、世界の状況の哀しみを表現しているようでもあった。
長調の部分でも、喜びというよりは、独白的な歌であり、そして常に慈しみがある音楽として奏されていて、とても素晴らしかった。
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後半の2つの楽章は、前半の2つをガラリと印象を変えるのだが、ピリスさんが弾くと、その大きな落差をあまり感じさせないのが不思議だ。
第3楽章は、流麗だが、技術的洗練さなどの技術を聴かせるのではなく、あくまでもシューベルトの「歌」としての演奏。
トリオにおける低音の「FzP」意味深い魅力。その低音の意味、1音の凄さを感じさせるし、第1楽章の低音のトリルとの連動性、関連性を思う。この点も、とても印象的だった。
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第4楽章は、第3楽章にも増して、第1、第2楽章とはまるで違う曲想ゆえ、1つのソナタの中の、それも最後に置かれていることが不思議なくらいで、そのためか、多くのピアニストが、その違いを冒頭の、そして度々現れる「G」の音の強調を含めて、曲想の変化を強調するアプローチを工夫しがちだが、ピリスさんは、そうでく、さりげなく弾き、多用される「G」音も、第1楽章の低音のトリル、第3楽章の低い打音と関係性を示されていたように感じた。
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こうして全体意を聴き終えてみると、とても個性的で、どの場面も全て、ピリスさん独自の主観による演奏のようでいて、それだけではなく、実は、全4楽章に一貫した客観性を持っていたこと、すなわち、全体を客観的に俯瞰して、各楽章の各場面の曲想を描き分けていたのだ、と気づく。
瑞々しく、若々しい、即興感さえある演奏。これが「枯れた演奏」であるわけはない。
個性的にしてソフトで温かく、優しさに満ちたシューベルトだった。
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万雷の拍手と多くの人のスタンディングオベーションに応えてのアンコールは、ドビュッシーのアラベスク第1番。
ソフトでエレガントの極み。ドビュッシーの曲だが、ドビュッシーを超越した世界。
敢えて言えば、天国からの、天使から人間(世界)への贈り物。
この曲で感涙したのは初めて。
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1944年7月生まれで、先述のとおり、一度、引退宣言もされたピリスさんだから、来日公演はこれが最後(に近い)かもしれないが、あと30年長生きして、30回来日して欲しい、そう強く感じ入ったコンサートだった。
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演奏曲
1.シューベルト:ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 Op.120、D.664
2.ドビュッシー:ベルガマスク組曲
3.シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960
アンコール
ドビュッシー:アラベスク第1番 ホ長調
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