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2022年11月29日 (火)

ピリスによるピリスだけのシューベルト~来日公演

マリア・ジョアン・ピリスさんのピアノ・リサイタルを11月29日夜、サントリーホールで拝聴した。現在では、ピレシュと表記されることが主流となっているようだが、ここでは、招聘元のプログラムに従う。

私は彼女の演奏をあまり聴いてこなかったから、逆にこの来日公演が楽しみだったし、2017年12月、73歳のとき、2018年中の契約をもって現役の舞台からは退くことを宣言したにもかかわらず、再び弾き始めた理由は知らないが、なぜ活動を再開されたのかは興味深い。教育者としても名高い彼女が、コロナ禍という事態に直面する中で、何か思う事があったのかもしれない。

それはともかく、CDもごくわずかしか聴いていない私にとって、この日に聴いたピアノ演奏は、忘れ難いほど、心に潤いと温かさと新鮮さと新しい体験を与えてくれた。

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1曲目は、シューベルトのピアノ・ソナタ第13番 イ長調。

オルガン側の客席にも一礼して、椅子に座るや否や、直ぐに弾き始めた。

シューベルトの日常の幸福な歌をピリスさんが奏するのだが、「あなたの日常での喜びは、きっとこうだったのね」と想像するというよりは、ピリスさんが、自身の日常の、今生み出される喜びの歌として、シューベルトの生活を想像しながら蘇生させている、という印象を抱いた。

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2曲目は、ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」。

冒頭から、独特のシックなトーン。エレガントとか気品とかいう言葉すら陳腐に思えてしまうほどの、独特の夢の世界。「静」を基調とする中での瑞々しい季節の変化と物語。

ドビュッシーだからと言って、「らしさ」とか「印象派」であるとかのように「外から」考えるのではなく、ピリスさんが感じるまま、詩を優しく語りかける。自分の感じた世界として、声としての純然たる音楽。その点では、彼女のショパンの演奏と共通する特徴かもしれない。

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休憩後の後半は、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調。

言うまでもなく、最晩年にして大作、傑作。

第1楽章は、不安もよぎりながら、全体としては穏やかで平和な歌、として演奏されるのが一般的かもしれないが、ピリスさんの演奏は違った。

死を意識した大きな不安の中にあっての、心からの祈り。同時に、自分の命も世界も、これから長く続くかもしれないという希望の歌。2011年の録音では、後者をより強く感じたが、主題が短調で奏される部分も含めて、この日は、シューベルトが抱いたであろう「不安」に重点が置かれたように感じた。

低音のトリルが、こんなにも意味深く奏された演奏は滅多にない。そして、半音でぶつかる音の強調。もっとも、ドギツさはなく、あくまでも音楽的な意味を内包しての、ぶつかる響を強調。

長大さを感じさせない力みの無さ、軽やかさと落ち着き、高音で喜びを歌う場面等はもちろんあるが、それ以上に、低音や不協和音にこそ、ピリスさんの思いが強く込められていたと感じた。

しかし、それはよく言われ、表現されがちな「諦念」とは違うし、評論家が使いがちな「枯れた演奏」とも全然違う。全体的にソフトで、sotto voceを基盤にしながら、個々の場面での逸話や、ドラマを丁寧にして気品をもって描かれるので素晴らしく、「諦観」や「枯れ」どころか、若さと瑞々しさも感じたほどだ。

それでも、この楽章が、全体としては、こんなに寂しく悲しい曲であるなんて、そう感じた演奏は初めて聴いた。すこぶる個性的だった。

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第2楽章が白眉とも言える感動的な演奏。

決して「モタレない」自然なテンポでの暗い曲想、色調は、ピリスさんの独白というだけでなく、人間そのものが持つ哀しみを湛えているようでもあり、またそれに留まらず、世界の状況の哀しみを表現しているようでもあった。

長調の部分でも、喜びというよりは、独白的な歌であり、そして常に慈しみがある音楽として奏されていて、とても素晴らしかった。

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後半の2つの楽章は、前半の2つをガラリと印象を変えるのだが、ピリスさんが弾くと、その大きな落差をあまり感じさせないのが不思議だ。

第3楽章は、流麗だが、技術的洗練さなどの技術を聴かせるのではなく、あくまでもシューベルトの「歌」としての演奏。

トリオにおける低音の「FzP」意味深い魅力。その低音の意味、1音の凄さを感じさせるし、第1楽章の低音のトリルとの連動性、関連性を思う。この点も、とても印象的だった。

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第4楽章は、第3楽章にも増して、第1、第2楽章とはまるで違う曲想ゆえ、1つのソナタの中の、それも最後に置かれていることが不思議なくらいで、そのためか、多くのピアニストが、その違いを冒頭の、そして度々現れる「G」の音の強調を含めて、曲想の変化を強調するアプローチを工夫しがちだが、ピリスさんは、そうでく、さりげなく弾き、多用される「G」音も、第1楽章の低音のトリル、第3楽章の低い打音と関係性を示されていたように感じた。

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こうして全体意を聴き終えてみると、とても個性的で、どの場面も全て、ピリスさん独自の主観による演奏のようでいて、それだけではなく、実は、全4楽章に一貫した客観性を持っていたこと、すなわち、全体を客観的に俯瞰して、各楽章の各場面の曲想を描き分けていたのだ、と気づく。

瑞々しく、若々しい、即興感さえある演奏。これが「枯れた演奏」であるわけはない。

個性的にしてソフトで温かく、優しさに満ちたシューベルトだった。

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万雷の拍手と多くの人のスタンディングオベーションに応えてのアンコールは、ドビュッシーのアラベスク第1番。

ソフトでエレガントの極み。ドビュッシーの曲だが、ドビュッシーを超越した世界。

敢えて言えば、天国からの、天使から人間(世界)への贈り物。

この曲で感涙したのは初めて。

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1944年7月生まれで、先述のとおり、一度、引退宣言もされたピリスさんだから、来日公演はこれが最後(に近い)かもしれないが、あと30年長生きして、30回来日して欲しい、そう強く感じ入ったコンサートだった。

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演奏曲

1.シューベルト:ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 Op.120、D.664

2.ドビュッシー:ベルガマスク組曲

3.シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960

アンコール

ドビュッシー:アラベスク第1番 ホ長調

2022年11月28日 (月)

「銀座オペラ2022ガラ コンサート」

ヤマハホールで、ソプラノの小川里美さん、エレクトーンの清水のりこさんを中心に、毎年のように展開されてきた今年の「銀座オペラ」は、特定のオペラ(のハイライト)ではなく、「ガラ コンサート」によるもので、11月28日夜、同ホールで拝聴した。

今回の出演者は、小川里美さん、清水のりこさんのほか、テノールの樋口達哉さんとバス バリトンのジョンハオさん。

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プログラムは、最下段に記載のとおりだが、3人とも声量のある歌手という共通点がある。また、「女心の歌」と「誰も寝てはならぬ」は別として、比較的長大なアリアや重唱が多かった点も、とても楽しめた大きな要因だったと思う。

私は3人とも、これまで何度も聴かせていただいているが、ハオさんはオペラでの名唱の記憶はたくさんあるものの、こうしたコンサートではあまり聴いていないという点で、今回は特に、ジョンハオさんが楽しみだった。

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前半でのハオさんは、「バス バリトン」の「バス」寄りの重厚感が魅力的だったし、後半では、「バリトン」寄りの色気のあるトーンがステキだった。

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小川さんは、「蝶々夫人」の二重唱も素晴らしかったが、とりわけ、プログラム最後の「ファウスト」からの三重唱では、小川さんの声量は、男声2人(合せて)の声量を凌駕していたほど圧巻の声量だった。

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樋口さんも、いつもながら魅力的で、開演冒頭の「妙なる調和」から、聴衆の心を魅了した。

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現代エレクトーンの機能の凄さと、清水さんの演奏の素晴らしさについては、これまで何度も書いてきたので、詳細は控えるが、オーケストラに負けないダイナミズム、迫力だけでなく、例えば、「誰も寝てはならぬ」の後半に奏される女声合唱の部分でも、本当に女声合唱のようなトーンで彩るなど、楽器の機能の見事さと、演奏の充実、素晴らしさを今回も堪能させていただいたし、当然、それにより3人の歌手を支え、公演の成功に大きく貢献されたのだった。

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プログラム

1.プッチーニ:歌劇「トスカ」より

  「妙なる調和」~樋口さん

2.ドニゼッティ:歌劇「ランメルモールのルチア」より

  「そのように喜ぶのをやめてください~私がルチア様を」

    ~ハオさん

3.ヴェルディ:歌劇「イル・トロヴァトーレ」より

  「穏やかな夜~この恋を語るすべもなく」~小川さん

4.ヴェルディ:歌劇「リゴレット」より「女心の歌」~樋口さん

5.ヴェルディ:歌劇「ドン・カルロ」より

  「ひとり寂しく眠ろう」~ハオさん

6.プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」より「愛の二重唱」

   ~小川さん&樋口さん

 (休憩)

7.プッチーニ:歌劇「トゥーランドットより

  「誰も寝てはならぬ」~樋口さん

8.レオンカヴァッロ:歌劇「道化師」より

  二重唱「ネッダ!シルヴィオ!こんな時間に」

   ~小川さん&ハオさん

9.清水さんのソロで、

マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲

10.グノー:歌劇「ファウスト」より

  「宝石の歌」~小川さん

11.グノー:歌劇「ファウスト」より

  「眠ったふりをせずに」~ハオさん

12.グノー:歌劇「ファウスト」より

  三重唱「逃げろ、逃げろ!」

アンコール

1.カールマーン:喜歌劇「チャールダーシュの女王」より

 「ハイヤ、山こそ我が故郷」~小川さん

2.ビゼー:歌劇「カルメン」より

ホセとエスカミーリョの二重唱~樋口さん&ハオさん

3.ヴェルディ:歌劇「椿姫」より乾杯の歌~3人

桐朋学園音楽部門同窓会創立70周年記念事業グランド・コンサート~TOHO Next Legend~

後日記載します。

2022年11月26日 (土)

沖澤のどかさん指揮 東京混声合唱団~魅力的な選曲

沖澤のどかさん指揮の東京混声合唱団第259回定期演奏会を11月26日午後、杉並公会堂で拝聴した。

沖澤さんは8月に松本で「フィガロの結婚」全曲を聴いたが、先日の大西宇宙さんとの共演~新日本フィル~は都合が付かず、残念な思いをした。

東京混声合唱団(以下、「東混」とさせていただく)は久しぶりの拝聴。コロナ禍ということもあったが、5年ぶりくらいかもしれない。コロナ元年の2020年、東混が合唱用のマスクを独自に作成したことが話題になったが、この日は「全員ノーマスク」。「やっとここまで来た」という感慨があるし、オケによっては、未だに指揮者とコンマスが握手せずに、腕タッチなんぞしているケースもあるが、沖澤さんは、後述する初演作曲家の土田さんや、ピアノの泊さん、カーテンコール時には東混のコンサートマスターのソプラノ女性らと普通に握手されていた。もうそれでよい。強く支持(賛同)する。

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「沖澤さんが東混を指揮されるのは初めてかも、少なくとも、私は初めての拝聴」、ということで楽しみにしていたが、考えてみると~個人的なことになるが~私と沖澤さんの「出会い」~面識を持つきっかけ~は、私が当時在籍していた合唱団時代のことで、いわいる「下振り」として彼女が来場されたのだが、あの頃は東京芸大の大学院を卒業されて間もないころだったはずで、当然、世間的には未だ無名だった。けれど、あのときの指導シーンや言及された言葉の幾つかは、昨日のことのように覚えている。

なので、彼女は管弦楽曲だけでなく、後述のとおり合唱曲も幅広く研究されているし、邦人作も含めたオペラも一定数指揮されている。

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さて、この日の演奏曲全体の詳細は最下段に記載するとともに、以下、順次、感想を記すが、最初に概要を列記すると、モンテヴェルディのマドリガルに始まり、ストラヴィンスキーの「4つのロシア民謡」ほか、土田英介さんに2022年度委嘱した作品の初演、間宮芳生さんの「合唱のためのコンポジション」第17番、というヴァラエティに富んだもの。

このため、団員のステージ入場に先立って、沖澤さんが一人で登場し、次のような挨拶をされた。

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沖澤さんの挨拶概要

「天候不順な中、ご来場ありがとうございます。本日のプログラムは、多様な感じもあるので、少し解説というか、お話をさせていただきます。最初のモンテヴェルディですが、私は大好きで、芸大時代、モンテヴェルディを歌うためだけのチームを任意で結成して歌っていたほどでした。モンテヴェルディは神の側に立つというより、人間の感情を基盤にしており、その意味では宗教曲とは少し違います。そうした面白さを聴いていただければと思います。その次が何でストラヴィンスキーなのか、と言いますと、ストラヴィンスキーはモンテヴェルディをとても尊敬していて、彼自身も美しい合唱曲を書いているので、それをご紹介したいと思います。この短期間に、世界の、ロシアに対するイメージが大きく変化してしまいましたが、音楽をする側としては、国がどうあれ、ロシア(語)の歌そのものの価値とは関係ないことだと思います。後半の2曲目は、間宮芳生さんの曲で、私の出身である青森などに伝わる詞に基づいている曲です。今日は、荻窪駅周辺でお祭りをやっていますが、日本人(に限らないかもしれません)が、お祭りに抱く特別な感性を感じさせる曲でもあります。後半の1曲目は、土田英介先生に委嘱した作品の初演です。概要は先生がプログラムに書かれてもいますので、私が色々語るより、演奏を聴いていただけたらと思います」

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プログラムの最初はモンテヴェルディ。

マドリガル集第4巻(1603年出版)より、第16番「愛する人に抱かれて死ねるものなら」、同第1番「ああ、つたい別れ」、マドリガル集第6巻(1614年出版)より第2番「西風が戻り」の3曲。チェンバロは曽根麻矢子さん(3曲目だけだったように思う)。基本は「ア・カペラ」集。

1曲目の冒頭、沖澤さんは客席に会釈して合唱団に振り向いた瞬間から、間髪入れず指揮を開始した。

プロ合唱団の演奏で聴くモンテヴェルディの美しさは格別だ。ソプラノ8名、アルト6名、テノールとバスがいずれも6名(ずつ)の計26名の少数精鋭による美しい合唱。66年の歴史の伝統と、若いメンバーも増えた清冽で温かな響き。

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次は、ストラヴィンスキー

「4つのロシア民謡(農民歌)は1914~1917年に書かれた作品。

(1)チガシの救世主教会で、(2)オフセン、(3)カマス、(4)太鼓腹。

ストラヴィンスキー特有の土俗性もある曲集で、終曲では、アルトのソロもあり、とても素敵なソロ歌唱だった。

続く、「主の祈り」(1926年)、「アヴェ・マリア」(1934年)、「クレド」(1932年)の3曲は、なるほど、どこか、モンテヴェルディを連想するような、いずれも清冽でステキな曲だった。

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休憩後の最初は、東混の2022年度委嘱作品として土田英介さん(1963~)が作曲した「混声合唱、ピアノのための3つの小品」の初演。3曲から構成されるが、いずれも基本は無調と言える。ピアノは、泊真美子さん。

第1曲「北の海」(中原中也 詩)は、ピアノの低音に意味を持たせた、暗く、幻想的な曲想。

第2曲「花がふってくると思う」(八木重吉 詩)は、ピアノの音は限定的で、「ア・カペラ」が主体。ゆったりとした、この曲も幻想的な曲想。

第3曲「火の桜」(村野四郎 詩)は、無調ながら、ダイナミズムとスケール感があり、ピアノは散文的、オブリガード的な役割をしていた。

3曲とも、沖澤さんの指揮は極めて冷静で、現代曲の初演だとしても、終始、シンプルなタクトにより、東混の力量を信じてそれに委ねた、余裕ある指揮で、サスガの感を覚えた。

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プログラムの最後は、間宮芳生さん(1929~)の17曲ある「合唱のためのコンポジション」シリーズの最後の作品、第17番で、初演は東混により、2007年8月12日に行われている。

テキストは、江戸後期の文人、菅江真澄が、みちのくの旅の中で記録した約200年前にうたわれていた民謡の詞華集「ひなのひとふし」からと、みちのくの旅の記録の一部が使われている。

(1)七戸、(2)宇曾利(うそり)、(3)牡鹿(おしか)という東北の地名が付けられた3曲による構成で、内容的には、青森の田植唄、宮城の麦搗唄などを題材としている。

(2)宇曾利(うそり)では、多田恵子さんによる打楽器や、女声名、男声2名の独立した「歌い」も入り混じる。

こうした現代曲の演奏こそ、プロ合唱団の面目躍如で、これはオーケストラにも言えることだが、プロとアマの決定的な違いを一つ挙げろと言われれば、「現代作品における完成度の高い演奏」ということに尽きると思う。圧巻の見事な演奏だった。

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アンコールでは、沖澤さんが「(今年の)2月に(私の)娘が生まれまして」(会場から拍手)「間宮芳生先生の「おぼこ祝い唄」を演奏します」として演奏された。

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演奏曲

Ⅰ.モンテヴェルディ

1.マドリガル集第4巻(1603年出版)より

(1)第16番「愛する人に抱かれて死ねるものなら」

(2)第1番「ああ、つたい別れ」

2.マドリガル集第6巻(1614年出版)より

第2番「西風が戻り」

Ⅱ.ストラヴィンスキー

1.4つのロシア民謡(農民歌)(1914~1917年)

(1)チガシの救世主教会で

(2)オフセン

(3)カマス

(4)太鼓腹

2.「主の祈り」(1926年)

3.「アヴェ・マリア」(1934年)

4.「クレド」(1932年)

 (休憩)

Ⅲ.土田英介(1963~):2022年度委嘱作品初演

混声合唱、ピアノのための3つの小品

第1曲「北の海」(中原中也 詩)

  第2曲「花がふってくると思う」(八木重吉 詩)

  第3曲「火の桜」(村野四郎 詩)』

Ⅳ.間宮芳生(1929~):

「合唱のためのコンポジション」第17番

 (1)七戸、(2)宇曾利、(3)牡鹿

アンコール

間宮芳生(原曲:青森民謡)「おぼこ祝い唄」

2022年11月25日 (金)

砂川涼子さん~日本のこころを歌う

凛とした美しい日本語によるリサイタルだった。

砂川涼子さんによるオール日本歌曲のリサイタルを11月25日午後、Hakuju Hallで拝聴した。ピアノは同じく藤原歌劇団団員の藤原藍子さん。

「Hakujuの歌曲#2」としたホールが標記したリサイタルのタイトルは、「麗しく豊かに溢れる余韻 砂川涼子 ソプラノ ~日本のこころを歌う」で、プログラムは最下段に記載のとおり、前半が木下牧子さん作曲の作品、後半が中田喜直さん作曲の作品。

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前半と後半の印象は、多少なりと異なる印象を覚えた。

木下牧子さん特有の明るい曲想が余すところなく溢れた前半全体で感じたことを列記すると、

「伸びやかな美声」、「曲のタイトルが『曇り日なら』であっても、まるでフライヤーの色調の如く、水色の空に白い線状の雲がなびくような清らかさ」、「力みは無いのに凛とした「強さ」がある声」、「ドラマティック過ぎない中でのドラマ性のある歌唱」。

全体的に、ディティールに感情移入することよりも、1曲ごとの作品の統一感とクリスタルな感じを覚えるようなアプローチで、結果として独特の気品を醸し出していて見事だった。

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休憩後の後半、中田喜直作品においては、1曲ごとが独立した作品ということもあってか、個々の曲想に応じた~前半で控えめだった~感情移入の強さとニュアンス豊かな歌唱が印象的だった。

最初の「ゆく春」では、中間部に短いながら日本旋律の部分があり、ここでの独特のトーンとテンポ変化が印象的だった。

有名な「霧と話した」での気品ある歌唱。気品という点では「たんぽぽ」もそう。

有名な「さくら横ちょう」では、後半にある、半音での下降旋律の部分の巧みさが印象的。

「サルビア」と「髪」では、オペラアリア的な激性を感じさせる曲想と歌唱で、とても素晴らしかった。

「悲しくなったときは」で、しっとりとまとめ、アンコールで、平井康三郎さんのユーモラスな作品「うぬぼれ鏡」において、表情の変化も含めて聴衆を魅了した。

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このように、前半では客観性と明るさ、透明感、統一感ある完成度の高さということを強く感じたのに対して、後半は、ベルカント歌唱を底辺(基盤)に置きながら、日本語の美しさと、曲想のドラマ性を一層強調した歌唱、アプローチだったと感じた。

敢えて妙な例えをするなら、前半は古典的アプローチ、後半はロマン的アプローチという印象。

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なお、正規プログラム最後の「悲しくなったときは」が終わって、カーテンコールのとき、砂川さんはこの日、最初にして最後にマイクを手にし、藤原藍子さんを紹介した後、次のようなことを語られ、挨拶された。

「今日は、初めて日本歌曲だけのプログラムによるリサイタルでした。初めての「挑戦」でしたので緊張しましたが、日本人として、日本の歌曲はとても大事で魅力的だと改めて感じました。普段はヨーロッパの曲を歌うことが多いですが、これからも日本歌曲をもっと紹介し、歌っていきたいと思っています」。

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実際、砂川さんが歌われた日本語による歌曲は、独特の気品と美しさがあった。

陥りがちなヴィブラート過剰による歌唱にならず、かといって、日本語を意識するあまり、ありがちな平明過ぎる歌唱にもならず、いずれのリスクを巧みに回避しながら、それでいて自然体な流れ、バランス感覚の良さと起伏感あるドラマ性と豊かなニュアンス、透明感ある伸びやかな美声により、稀なほど美しく明瞭な日本語による歌曲を聴衆に披露したのだった。

あらためて、我が国屈指の名ソプラノ歌手であることを見事に証明したリサイタルだった。

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プログラム

1.木下牧子(詞:岸田衿子):「花のかず」より

(1)“花のかず”(2)“夢のなかの空”(3)“クルミ”

(4)“足おと”(5)“曇り日なら”(6)“竹とんぼに”

(7)“あさっておいで”

2.木下牧子(詞:能祖将夫):「なにかが、ほら」

3.木下牧子(詞:まど・みちお):「おんがく」

 (休憩)

4.中田喜直(詞:小野芳照):「ゆく春」

5.中田喜直(詞:鎌田忠良):「霧と話した」

6.中田喜直(詞:金子みすゞ):「ほしとたんぽぽ」より第12曲 “わらい”

7.中田喜直(詞:加藤周一):「さくら横ちょう」

8.中田喜直(詞:三好達治):「たんぽぽ」

9.中田喜直(詞:堀内幸枝):「サルビア」

10.中田喜直(詞:原篠あき子):「髪」

11.中田喜直(詞:寺山修司):「悲しくなったときは」

アンコール

平井康三郎(詞:小黒恵子):「うぬぼれ鏡」

2022年11月23日 (水)

「リゴレット」~主役3人の充実~飛行船シアター

パイプオルガン付きの気品ある「石橋メモリアルホール」から、平凡なミニシアターという残念な変貌を遂げた「飛行船シアター」だが、11月23日午後の公演「リゴレット」は、主役の3人が素晴らしく、充実の内容だった。

もちろん、オケではなくピアノ、男優による日本語の語りによる進行付き、合唱なしの短縮版ではあるが、全3幕の主だった場面がしっかり歌われ、演じられた。

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マントヴァ公爵役の宮里直樹さんは、先日の「ルチア」でも書いたが、声量豊かな美声と健康的な色気があり、この役では~ご本人は真面目な性格なのだろうけれど~「チャラ男」の役柄も十分に出していて、魅力的だった。ドン・ジョバンニ的な凄みのある不実さというより、パパゲーノが女たらしになったような「軽さと不実さ」を巧みに表出していた。

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リゴレット役の小林啓倫さんは、久しぶりに聴かせていただいたと思う。日本音楽コンクール第1位も含めて、進化と活躍が著しいことは知っていたが、この日のリゴレット役は、正に重厚な歌声に加え、ジルダの父としての哀しみ、寂しさ、悔しさ等々が滲み出た素晴らしい存在感を示された。圧巻と言えるほどの素晴らしいリゴレットだった。

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ジルダ役の宮地江奈さんも、進化と成熟度を感じさせる素晴らしい歌声と名唱の連続で感服した。「箱入り娘」的な無垢さと可憐さ、場面に応じたトーンの変化と演技の巧みさ。初々しさのある素晴らしいジルダだったし、今後、益々の活躍が強く感じられる、秀逸にして自信に満ちた堂々たる歌唱と演技だった。

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小林啓倫さんのリゴレット、宮里直樹さんのマントヴァ公爵、宮地江奈さんのジルダ、と、主役(級)の3人全てが素晴らしい公演だった。

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スパラフチーレ役の松中哲平さん、マッダレーナおよびジョヴァンナ役の藤井麻美さんも、充実の歌唱と演技だった。

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ピアノの篠宮久徳さんは、ソフトで美しい音に加え、どの場面でも曲想に応じたニュアンス豊かな演奏が素晴らしく、本公演の成功に大きく貢献された。

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狭い舞台(に変わってしまった)において、映像的な工夫がなされ、「270度プロジェクションマッピング」という装置による効果は、確かに面白さもあり、特に、ジルダの有名なアリア「愛おしいお名前(Caro nome)」では、ピンクを主体とした花びらが舞うような印象的な映像効果(演出)だった。

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キャスト

マントヴァ公爵:宮里直樹

リゴレット:小林啓倫

ジルダ:宮地江奈

スパラフチーレ:松中哲平

マッダレーナおよびジョヴァンナ:藤井麻美

モンテローネおよびマルッロ:倍田大生

語り:牧田哲也

助演:吉田静香、白石 渉、松本明香

ピアノ:篠宮久徳

演出:奥田啓吾

2022年11月13日 (日)

ランメルモールのルチア~充実の公演

NISSAY OPERA 2022『ランメルモールのルチア』のダブルキャストによる最終日の公演を11月13日午後、日生劇場で鑑賞した。事情により前置きが長くなるが、お許し願いたい。

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同劇場におけるこのドニゼッティの傑作の上演は、当初2020年に予定されながら、コロナ禍拡大の関係で、同年11月14日と15日に、ダブルキャストにより、「ルチア~あるいはある花嫁の悲劇~」として全1幕上演時間約90分(休憩なし)に凝縮した特別版として上演された。

私は両組とも鑑賞したが、指揮が柴田真郁(しばた まいく)さん、演出・翻案が田尾下 哲(たおした てつ)さん、管弦楽が読売日本交響楽団で、今回の公演と全く同じ。

今回と2年前とで大きく違う点は、歌手の組み合わせだ(出演者も少し異なる)。

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2020年の11月14は、ルチアが、高橋 維さん、エドガルドが宮里直樹さん、エンリーコが大沼 徹さん、ライモンドが金子慧一さん、アルトゥーロが髙畠伸吾さん、アリーサが与田朝子さん、ノルマンノが布施雅也さん、泉の亡霊が田代真奈美さん(両日)。

11月15日は、ルチアが森谷真理さん、エドガルドが吉田 連さん、エンリーコが加耒 徹さん、ライモンドが妻屋秀和さん、アルトゥーロが伊藤達人さん、アリーサが藤井麻美さん、ノルマンノが布施雅也さん、泉の亡霊が田代真奈美さん(両日)。

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今回の公演における特に大きな変更は、エドガルドとエンリーコの入れ替わり(あるいは変更)で、とりわけ、2人のルチアの相手役であるエドガルドが変更したことだ。すなわち、

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2022年11月12日は、ルチアが高橋 維さん、エドガルドが城 宏憲さん、エンリーコが加耒 徹さん、ライモンドがジョン ハオさん、アルトゥーロが髙畠伸吾さん、アリーサが与 朝子さん、ノルマンノが吉田 連さん、泉の亡霊が田代真奈美さん(助演、両日)で、

私が鑑賞した11月13日(日)は、ルチアが森谷真理さん、エドガルドが宮里直樹さん、エンリーコが大沼 徹さん、ライモンドが妻屋秀和さん、アルトゥーロが伊藤達人さん、アリーサが藤井麻美さん、ノルマンノが布施雅也さん、泉の亡霊が田代真奈美さん(両日)。

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今回、私は高橋組の日は、都合がつかずに鑑賞していないから、当然コメントできないが、少なくとも、鑑賞できた森谷組に関しては、森谷-宮里コンビは最高の出来で、大成功の公演だったと思う。

タイトルロールのルチア役の森谷真理さんは、後述のとおり、もちろん素晴らしかったが、まずはなんと言っても、エドガルド役の宮里直樹さんから書きたい。

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エドガルド役の宮里直樹さん

豊かな声量と美声~それだけでも、多くいるわけでないほど素晴らしいレベルなのだが~それだけでなく、声に一途な誠実さを感じさせ、ピュアな明るさと健康な色気の共存、哀感と剛毅さの共存、感情に訴える表現力と、何より凛とした気品がある。今、最も充実したテナーであることは疑いようもない。

この日の成功も、彼あってのものだ。もちろん、森谷さんの勝利でもあるが、宮里さんの存在と歌唱がなかったら、それさえも、多少とも色褪せてしまったかもしれない。そのくらい、いくら絶賛しても、し足りないほどの圧巻の歌唱だった。

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ルチア役の森谷真理さん

2年前のルチアも見事だったが、この日は更に演技も含めた「ふり幅」の広さ、スケール感を感じた。

高音を含めた技巧の確かさ、見事さは言うまでもないが、メゾに近い憂いのあるトーンも有する森谷さんは、「巧みさ」とか「凄さ」にも増して、ルチアという「女性の哀しみ、寂しさ、憤り、当惑感、孤独感、絶望感」と言った「感情の弱さと移ろい、儚さ」を聴衆に伝える力の見事さに魅了される。

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「ルチア」に限らず、森谷さんには、レパートリーの広さにも驚かされる。

昨年の「ルル」。今年3月には、メゾの鳥木弥生さんとのデュオというアンサンブルを披露し、4月には「ばらの騎士」でのマリアンネ~もちろん、元帥夫人も歌える人だ~、5月には、大西宇宙さんとの圧巻のヴェルディ特集デュオコンサート、6月の紀尾井ホールでのリサイタルでは、シューマン(夫妻)とマーラー(夫妻)の歌曲の抒情的な世界を披露したかと思えば、7月には「イゾルデの愛の死」に続いて、ツェムリンスキーの「抒情交響曲」を歌われた。そして8月には、R・シュトラウスの「4つの最後の歌」と「ヴォツェック」の3つの断章。

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私が聴いていない演目では、今年5月にドイツでの「蝶々夫人」、7月には大阪でバーンスタインを歌い、8月には水戸で、モーツァルト、シューベルトの歌曲とプッチーニのアリアを歌われている。10月には、ヘンデルの「ジュリオ・チェザーレ」でクレオパトラを歌われたばかり。

正に「バロックから現代モノまで」の多くを歌える、歌っている、驚異的なレパートリーの持ち主。「ノドと体調は大丈夫なのだろうか?」、と心配になるほど、過密なスケジュールをこなす体力と気力。

テノールの宮里さん同様、今、ノリに乗ったソプラノ歌手だ。

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エンリーコ役の大沼 徹さんは、いつもながらではあるが、安定した格調高い声で、とても良かった。

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アルトゥーロ役の伊藤達人さんは、ストレートな声が良かった。

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そして、終盤に進行の上でも重要な役と言えるライモンド役の妻屋秀和さんの重量感、存在感も、この公演の成功に大きく寄与している。いつもながら素晴らしい声と充実の歌唱。

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柴田真郁さんの指揮は、落ち着いた、自信を感じさせる指揮で、とても良かった。

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C.ヴィレッジシンガーズによる合唱も良かった。

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田尾下 哲さんによる演出は、狭い空間を効率的かつ効果的に設定しての、敢えて「暗さ」を基調としたような、格調高い舞台演出で、印象的だった。

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日生劇場について

最後に、毎回、日生劇場に来て思うことで、以前も1回ならず書いたと思うが、今回も記しておきたい。

ほとんどのコンサートホールやオペラハウスは、足元と前の席の背もたれの間が狭い。旅客機同様、客の快適さより、運営会社の「収益至上主義」を感じる。

この日生劇場はとりわけ狭く、人が通り抜けるスペースなど、ほとんど無いと言えるほどだ。膝小僧と前の席の背もたれの間が数センチしかない。

まるで、「休憩の終わりも含めて、通路から奥の席の人は、一番手に横奥に入らないと(座らないと)座れませんよ」、とでも言っているかのような狭さだ。奥に入る人が「すみません」を何度も(必須的に)言わねばならない最たるホールだ。

私は「すみません」と言いながら、人の足元をすり抜けて、奥の席に座ることが嫌いなので、どのホールでも、通路に面した席を確保することを常としているから、今回も私自身は(今更感もあり)特に気にならなかったが、それでも、日生劇場は信じられないくらい狭すぎる。

トイレは数年前にキレイになったとはいえ、個数的に依然として少な過ぎるし、内装も1960年代感のままだし、音響はデッド、ときているのだから、いい加減、そろそろ完全建て替えをするべきだろう。日本生命さんって、お金持ち企業でしょうに。

周辺のビルや街路は年々キレイになっているのに比べ、日生劇場だけが、内装も含めて、1960年代のままであることが、非常に残念だ。

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指揮:柴田 真郁

演出:田尾下 哲

管弦楽:読売日本交響楽団

【キャスト】      11月12日(土) 11月13日(日)

ルチア      高橋 維     森谷 真理

エドガルド    城 宏憲     宮里 直樹

エンリーコ    加耒 徹     大沼 徹

ライモンド    ジョン ハオ   妻屋 秀和

アルトゥーロ   髙畠 伸吾    伊藤 達人

アリーサ     与田 朝子    藤井 麻美

ノルマンノ    吉田 連     布施 雅也

泉の亡霊       田代 真奈美(助演、両日)

2022年11月12日 (土)

宮谷理香さん~あづみ野コンサートホール

長野県安曇野市穂高にある「あづみ野コンサートホール」に11月12日午後、初めて行き、宮谷理香さんのピアノ リサイタルを聴いた。以前から行ってみたいと思っていたホールの一つ。

幸いにも小春日和のような温かな晴天に恵まれたこの日、穂高駅からタクシーで5分くらいの田園地帯にある、こぢんまりとした、アットホームな2階建て建物の1階には、定員100名(最大120名)収容の小ホールがあり、茶系統の素敵なベーゼンドルファーが置かれている。

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2000年開館以来、ピアニストを中心に多くの演奏家がコンサートを開催しており、宮谷さんはなんと、今回17回目のリサイタルというから、最古参的な常連と言える。

「豊かな彩り、変奏曲に世界に」と題されたコンサートの演奏曲は、最下段に記載のとおり、10月29日のヤマハ銀座コンサートサロンで拝聴した「美女と野獣のトーク&コンサート」とほぼ演目だが、曲目よりも、信州の美しい自然の中での、私にとっては初めてのホールで宮谷さんの演奏を聴くこと自体に、意義があった次第である。

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お客さんには常連さんと思しき人も多く、私のように東京から来られた人も少なからずいたようだが、この日、中央本線にトラブルがあったそうで、10分ほど遅れて入場されて来た人も数名いた。私は幸い、前夜に松本市内のホテルに宿泊したので、支障は生じていなかった。

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宮谷さんは「常連ピアニスト」とあって、トークも、「美女と野獣のトーク&コンサート」や11月5日の朝日カルチャーセンターでの講座にも増しての、リラックストークにより、コンサートでの楽しさを倍加させていた。

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1.モーツァルト:デュポールのメヌエットの主題による9つの変奏曲 ニ長調 K.573

2.モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番(トルコ行進曲付き)イ長調 K.331

3.シューベルト:「即興曲」第3番 変ロ長調Op.142-3(D.935)

4.シューベルト(リスト編曲):「ます」

 (休憩)

4.ショパン:ドイツ民謡「シュヴァイツェルブープ(スイス少年)」による変奏曲 ホ長調(遺作)

5.ショパン:モーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」の「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ(奥様、お手をどうぞ)」による変奏曲 変ロ長調 作品2

6.ショパン:ワルツ第9番 変イ長調 Op.69-1

7.ショパン:舟歌 嬰ヘ長調 Op.60

アンコール

1.ショパン:子猫のワルツ

2.ショパン:前奏曲 第7番 イ長調 Op.28-7

3.ショパン:前奏曲 第24番 ニ短調 Op.28-24

2022年11月 9日 (水)

ナタリー・デセイ~繊細の極み~比類なき魅力

ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール~デュオ・リサイタルを11月9日夜、東京オペラシティコンサートホールで拝聴した。

彼女はドラマティックな声量で勝負するソプラノ歌手ではない。しかし、その歌声は弱くない。それどころか、どんなに弱音の場面でも歌詞が明瞭にホールの隅々まで伝わり、信じられないほど繊細で、均一な波動のヴィブラートが会場の隅々まで行き届く。多彩なトーンの変化の際においても、声量の不足は生じない。むしろその繊細さゆえに、聴く人々の心の襞(ヒダ)にスンナリと、ソフトに優しく真っすぐに入ってくるのだ。

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誤解を恐れずに言うなら、彼女の「歌」にとって、音階(旋律線)自体は、あまり重要な要素ではないように思える。彼女にとって大事なのは「歌そのもの」であり「詩」、「言葉そのもの」なのだ。

もちろんそれは、単語や音程が不明瞭という意味では全くない。それどころか、一言たりとも不明瞭な単語は無く、1音たりとも不安定な音程はない。それ自体が驚異なくらいで、全曲が、そのままライヴ録音&リリースに耐え得る歌唱なのだ。

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見事なまでに繊細で明瞭で均一な波動のヴィブラートも、彼女はそれを武器にしているわけでは多分ない。彼女にとってはその驚異的な技術も、「歌」を、詩を、語りを聴衆に伝えるための、表現するための道具に過ぎないに違いない。

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このようなことを次々と思い浮かべながらも、結局のところ、終始「ウットリ」とした温かな感動に浸らせていただいたリサイタルだった。

プログラム一覧は最下段に記すが、感想や気づいたことなどを以下、少しずつ書き留めたい。

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前半はオール・モーツァルト曲集。

1曲目は、歌劇「フィガロの結婚」よりスザンナのレスタティーヴォとアリア「早くおいで、美しい喜びよ」。

この曲の導入として、カサールさんは、なんと、ピアノ・ソナタ第16番(旧15番)K.545の第1楽章の冒頭を弾き始めて、聴衆を笑わせた。もちろん、ヘ長調に転じて、デセイさんがスザンナのアリアを歌い出した。

最高級の毛布のようなソフト感。上行型音階においても、旋律を「駆け上がる感が皆無」なほど自然な流麗さ。高音のフェルマータの驚異的な繊細さ。

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2曲目は、バルバリーナのカヴァティーナ「失くしてしまった、どうしよう」。

デセイさんは即座にキャラクターを変え、まるでデビュー間もない歌手のような初々しい声と感情表現によって哀感を示したかと思えば、3曲目のコンサート・アリア「どうしてあなたを忘れよう~恐れることはないわ、いとしいひと」では、明るく温かな歌唱を聴かせた。

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続く「フィガロの結婚」より伯爵夫人のアリア「愛の神よ、照覧あれ」において、慈愛の心を感じさせて聴衆の心を清め、「美しい思い出よ、どこへ」での前半は「語り」によるレスタティーヴォの詩情により聴衆を魅了し、集結部近く、ハ長調で、「di cangiar~」、音階だと、「ド~ミ~ラ~~」と2回歌う場面の、その「ラ」では、1回目を「f」、2回目が「p」か「mp」くらいで歌って対比を際立たせるなど、繊細にして入念な解釈と技術を提示した。「大ベテランのプロ中のプロにしかできない歌唱」と言える。

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前半最後は、「魔笛」の、パミーナのト短調のアリア「愛の喜びは露と消え」。

なんと、カサールさんは、導入として、ピアノ協奏曲第23番の第2楽章の冒頭を弾いた。これは本来、嬰ヘ短調の曲だが、調整を合わせてのその導入による曲想の一致感は驚きで、見事なアイデアだった。

デセイさんの歌は哀感に満ちていたが、感情移入によるブレなど皆無で、ソフトにして凛とした感のある名唱だった。

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休憩後の後半は、「お国もの」フランス語による歌。

ショーソンの歌曲「終わりなき歌」。

ピアノ伴奏は情熱的なパッセージが多いが、歌は、シャンソン的な要素と、落ち着いた「語り」を併せ持つような印象的な曲で、デセイさんは「童」のトーンも交えながら、しっとりと詩情を聴かせてくれた。

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プーランクの歌曲「モンテカルロの女」。

前半はシャンソン的と言うよりは、演劇における独白的なテイストを感じさせる曲想で、後半、ピアノがリズミックな曲想に変化し、歌は寸劇的なテイストに変化した。

そしてエンディグでは、デセイさんは数歩前に踏み出て(客席に近づいて)単語「Monte-Carlo」を決然としたロングトーンで歌ったのが印象的だった。

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ドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」より、メリザンドのソロ「私の長い髪が」は曲がステキだし、デセイさんのトーンにもよく合った曲。

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次いで、まずピアノソロでマスネの「エレジー」。そのまま、マスネの歌劇「ル・シッド」よりシメーヌのアリア「泣け、泣け、わが目」に移り、繊細にして、場面ごとの感情表現の見事さを提示された。

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プログラム最後は、グノーの歌劇「ファウスト」よりマルグリートのアリア「なんと美しいこの姿」(宝石の歌)。

この、ソプラノ歌手にとって定番とも言える選曲による最後、というと、イメージとしては誰もが、「最後は豪快に、ゴージャスに、だよね」と想像するだろうが、全然違った。

ありがちなドラマティックな歌唱ではなく、エレガントの極致と言えるような、ソフトで気品に満ちた歌唱により、多くがスタンディングオベーションで讃えた本プログラムが終わった。

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アンコールの1曲目は、デラックァの有名な曲、「ヴィラネル」。

2曲目は、ドリーブの歌劇「ラクメ」より「あなたは私に最も甘い夢を与えてくれた」。

言うまでもなく素敵な歌唱。

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最後になったが、ピアノのフィリップ・カサールさんは、終始、ソフトでエレガントさを基盤とした、気品のある演奏で見事だった。2012年から、デセイさんの専属ピアニストでもあるということが十分に納得できる、素晴らしい演奏だった。

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プログラム

前半はオール・モーツァルトで、

1.歌劇「フィガロの結婚」より

スザンナのレスタティーヴォとアリア

  「早くおいで、美しい喜びよ」

2.同 バルバリーナのカヴァティーナ

  「失くしてしまった、どうしよう」

3.コンサート・アリア

  「どうしてあなたを忘れよう

   ~恐れることはないわ、いとしいひと」

4.歌劇「フィガロの結婚」より伯爵夫人のアリア

  「愛の神よ、照覧あれ」

5.同 「美しい思い出よ、どこへ」

6.歌劇「魔笛」よりパミーナのアリア

  「愛の喜びは露と消え」

 (休憩)

7.ショーソン:歌曲「終わりなき歌」

8.プーランク:歌曲「モンテカルロの女」

9.ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」より

   メリザンドのソロ「私の長い髪が」

10.マスネ

 (1)ピアノソロで、エレジー

 (2)歌劇「ル・シッド」よりシメーヌのアリア

   「泣け、泣け、わが目」

11.グノー:歌劇「ファウスト」よりマルグリートのアリア

   「なんと美しいこの姿」(宝石の歌)

アンコール

1.デラックァ:「ヴィラネル」

2.ドリーブ:歌劇「ラクメ」より

  「あなたは私に最も甘い夢を与えてくれた」

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