森谷真理さん~シューマン夫妻とマーラー夫妻の曲による公演
「圧巻を封じ、抒情性で魅了のリサイタル」
今や人気実力とも、トップレベルにある売れっ子ソプラノ歌手、森谷真理さんのリサイタルを6月22日夜、紀尾井ホールで拝聴した。ピアノは、もはや「不動の」と言うべき河原忠之さん。
5月のトッパンホールにおける、大西宇宙さんとの「ヴェルディ特集」のデュオ公演は、正に「圧巻」のデュオ・リサイタルだったが、この日は、オペラアリアは皆無の、歌曲のみの公演なので、全く対照的に、圧巻を封じ込め、叙情性で勝負して聴衆を魅了した、極めて印象的な公演で、「ああ、素敵なリサイタルを聴かせていただいたなあ」と思いながら家路に向かったのだった。
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近現代の作品を含め、オペラで大活躍中の森谷さんが、敢えて歌曲のみのリサイタルを開催されたこと自体に、彼女の歌曲に対する強い思いと決意を感じたし、勉強の場としてはアメリカが長かったとはいえ、専属歌手を務めたリンツ州立劇場をはじめ、ウィーン・フォルクスオーパー、ライプツィヒ・オペラ等でキャリアを積んできた彼女にとって、「ドイツ歌曲のみによるリサイタル」は、挑戦と同時に、これまでの(一旦の)総括的な意味合いもあるかと想像する。
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どんなに国内外のオペラハウスで活躍されていても、多くの歌手にとって、「歌曲によるリサイタル」による充実感、達成感は格別なものだろうと想像するし、「完成度の高い歌曲リサイタルの実現」こそ、大きな目標の一つでもあるのだろうと想像する。
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この日、コンサートに付けられた「感応し合う魂、二つの愛の形」という副題は、プログラムが、シューマン夫妻とマーラー夫妻の歌曲によるもの。詳細な曲目は最下段に記すが、概要を先に記載すると、
まず、クララ・シューマンの「6つの歌曲」。次いで、ロベルト・シューマンの「リーダークライス」から3曲と、「ミルテの花」から3曲。
休憩後の後半に、アルマ・マーラーの歌曲3曲と、グスタフ・マーラーの「フリードリヒ・リュッケルトの詩による5つの歌」。
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感想
クララ・シューマンの「6つの歌曲」は、どれも穏やかさを基調とした曲で、森谷さんは、ノン・ヴィブラートと言えるほどの、敢えて響きを薄くしたり、語彙の明瞭さを基本とした丁寧さに徹し、トーンとフレージングで魅了した。とりわけ、第6曲の「無言の蓮の花」がステキだった。
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ロベルト・シューマンの「リーダークライス」から3曲と、「ミルテの花」からの3曲、合計6曲を連続して歌われた。
ロベルトによる曲は、ダイナミズムを含めて、多くの要素が混じり入るが、森谷さんは、控えめな点も含めた表現力が見事だった。「リーダークライス」では「森の対話」、「ミルテの花」では、「くるみの木」と「睡蓮の花」がステキで、とりわけ、「くるみの木」の叙情性が素晴らしかった。
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休憩後の最初は、アルマ・マーラーの歌曲を3曲。
クララ・シューマンにしても、アルマにしても、ロベルトやグスタフに比べてしまうと、作品自体に「単純さ(幼さ)」を感じてしまうが~それゆえ、ピュアとも言えるが~、しかし、その中にあって、アルマの「エクスタシー」は、スケール感のある素晴らしい曲で、初めて聴いたが「名曲だな」、と思った。
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プログラム最後は、グスタフ・マーラーの「フリードリヒ・リュッケルトの詩による5つの歌」。
1曲目「私の歌を覗き見しないで」の語り。2曲目「私は仄かな香りを吸い込んだ」の愛に満ちた素晴らしい歌唱。3曲目「美しさゆえに愛するのなら」の表現力の幅広さと響きの美しさ。4曲目「真夜中に」での前半の寂しさと、後半一転してのスケール感という対比を含めた表現の見事さ。5曲目「私はこの世に捨てられて」での、祈りにも似た深い情感。
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森谷さんのプログラムに対する入念な熟考について
この5曲は、曲の順序についての指定がないので、演奏者に委ねられているとも言える。
森谷さんは当初、プログラム上は、1曲目「私の歌を覗き見しないで」と2曲目「私は仄かな香りを吸い込んだ」の次に、3曲目「私はこの世に捨てられて」、4曲目「真夜中に」、5曲目「美しさゆえに愛するのなら」とされていたが、当日、会場で配布された「曲順変更のお知らせ」では、3「真夜中に」、4「美しさゆえに愛するのなら」、5「私はこの世に捨てられて」と、された。
ところが、更に休憩後、後半が始まる前にアナウンスあり、再度変更しますとして、3「美しさゆえに愛するのなら」、4「真夜中に」、5「私はこの世に捨てられて」に変わった。
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このことからも、森谷さんが、如何に入念に曲目配置を熟考されているかが解ったし、終曲に「私はこの世に捨てられて」を持ってきたことの意味合いが十分感じられる、豊饒な叙情、「しっとり感」に満ちた余韻を湛えてのエンディグだった。
そして、「しっとりの極致」ではあっても、森谷さんの歌声には、常に楽天的とも言える「明るさ」があるのだ。この明るさは、森谷さんの大きな個性、性質(要素)だと思う。
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プログラム全曲が終わり、数回のカーテンコールの中、河原さんが「ピアノのフタを閉じ」、「アンコールはナシ」を周知した。
確かに「これだけの、しっとり感の後では、アンコールは不要」だと思うし、シューベルトの「未完成」と同じく、「この後に続く曲はない」とされた判断、姿勢には、大いに共感し、納得できたのだった。
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なお、敢えて最後に記すが、森谷さんのマネジメント会社である「ジャパン・アーツ」のホームページで、森谷さんは、「公演によせて」として、こう書かれているので、ご紹介し、この文を終えたい。
「ライフワークとして歌曲作品のリサイタルを毎年開催していきたいと思っていますが、その第一弾として、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、アルマ・マーラー、グスタフ・マーラーの作品を取り上げます。昨年、クララ・シューマンの歌曲に出会い、その作品の数々に心惹かれ、そしてロベルト・シューマンの歌曲の世界への興味に繋がりました。また、長年、グスタフ・マーラーのリュッケルト歌曲集に取り組みたいと思っていましたが、今回共演するピアニストの河原忠之さんからアルマ・マーラーの歌曲を紹介していただきました(後略)」
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曲目
1.クララ・シューマン:「6つの歌曲」op.13
(1)私は暗い夢の中で立っていた
(2)彼らは愛し合っていた
(3)愛の魔法
(4)月は静かに昇った
(5)私はあなたの瞳に
(6)無言のはすの花
2.ロベルト・シューマン
(1)「リーダークライス」op.39 より
①「異郷にて」
②「間奏曲」
③「森の対話」
(2)「ミルテの花」op.25 より
①「献呈」
②「くるみの木」
③「睡蓮の花」
(休憩)
3.アルマ・マーラー
(1)「かすかに漂う最初の花」
(2)「私の夜をご存知ですか」
(3)「エクスタシー」
4.グスタフ・マーラー
「フリードリヒ・リュッケルトの詩による5つの歌」
(1)「私の歌を覗き見しないで」
(2)「私は仄かな香りを吸い込んだ」
(3)「美しさゆえに愛するのなら」
(4)「真夜中に」
(5)「私はこの世に捨てられて」
https://www.japanarts.co.jp/concert/p955/
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