清水理恵さん&神田将さん~アクシデントを超えた公演
本来なら、「清水理恵ソプラノリサイタル」~Il suon di gioia e amor~喜びと愛の響き~と、プログラムどおり記載すべきだろうけれど、後述のとおり、特殊事情が生じたコンサートで、素晴らしいエレクトーンの演奏により、清水さんとコンサート自体を支えた(救ったとも言える)神田将(ゆき)さんも、この感想文のタイトルに加えて記載し、神田さんに敬意を表したい。
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5月3日午後、ソプラノの清水理恵さんのリサイタルを、東京文化会館(小ホール)で拝聴した。盛況で、8割、いや、9割近くは客席が埋まっていたと思う。
ピアノ伴奏ではなく、神田将(ゆき)さんによるエレクトーンによる伴奏で、神田さんは進行役も務め、ソフトで落ち着いた、誠実さを感じさせる美声によるトークもステキだった。
お2人は、各地で数回共演されてきたそうだが、東京での共演は、この日が初めてとのこと。なお、このコンサートは本来、昨年の7月31日に同ホールで予定されていたが、コロナ禍拡大時期とあって、この日に延期されたのだった。
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レオンカヴァッロの「朝の歌」で軽やかに開始。
続く、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」では、冒頭からエレクトーンが美しく、「下手な弦顔負け」の美しく、見事な前奏と伴奏だった。スカルラッティの素敵な曲「すみれ」。
プッチーニの「私のお父さん」も、冒頭の管楽器による不協和音を、ほとんどそのままの音で奏するなど、エレクトーンの機能、音色、技術が見事。
続く、神田さんのソロで、ビゼーの「ファランドール」も圧巻と言えるほど素晴らしかった。
伴奏も歌も、あまりにも美しくロマンティックなカントルーブの「バイレロ」にウットリとした後は、プログラム第1部の最後の曲、J・シュトラウスの「春の声」が歌われるはずだった。
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ところがここで、清水さんがマイクを持ってこう語りだした。
「今日、実は調子が悪くて、次は、後半の最初に予定していた、ロッシーニの「優しい竪琴よ、あなたはいつも変わらぬ友」を歌わせていただき、そして、大変申し訳ないのですが、これで今日は歌い納めさせていただきます。後は、神田さんの素晴らしい演奏をお楽しみいただく、ということで、どうぞよろしくお願います」。
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私を含めた全ての来場者が驚いた。そして「体調が悪いのか?大丈夫なのか?」と心配になった。
後半冒頭の神田さんの話によると、声(ノド)の調子が悪く、これ以上歌うことに不安(というか危険)を感じられたのだと言う。
ここまで拝聴していた限りでは、特別な変調や不調さは感じなかったが、「春の声」の他、後半では、「ドレッタの夢」や、ヴィオレッタの「ああ、そはかの人か~花から花へ」などの、コロラトゥーラ系の難曲が控えていることから、「このままだと、恥ずかしい歌唱を聞かせてしまうかもしれない」、と感じられたのかもしれないと想像する。
それでも(完成度は高くなくとも)、このまま、「理恵さんの歌声が聴きたい」と思った聴衆も多かっただろうが、そこは、演奏者の判断に委ねるしかない。調子度合い、リスク度合いは、ご本人しか解らないのだから。とても残念だがやむを得なかった。
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休憩時、後半を聴かずに帰る人が出てもおかしくはない状況だったが、帰られた人はほとんどいなかったのは、ある意味、嬉しい驚きだった。これは、正に前半において、エレクトーンの神田さんに感じていた魅力故のことに間違いなかった。
聴衆は、理恵さんの状況に驚き、ガッカリしながらも、休憩に入ったときには気持ちを入れ替え、「よし、では、神田さんの素晴らしいエレクトーン演奏を、じっくり聴かせていただこう」、にモードチェンジしたに違いない。
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前半の感想でも少し触れたが、神田さんの演奏と、それ以前に、エレクトーン自体の機能は驚嘆に値する。
現代のエレクトーンの凄さ、素晴らしさ、如何に、オーケストラ(の各楽器)さながらのような優れた機能と多彩な音色等を持っているかについては、私は以前から、清水のりこさんの演奏でよく知っているが、今回、このコンサートで、そのことを初めて知った人、体験した人が多かったのではないか、と想像する。弦の高音と低音、金管楽器、木管楽器、ティンパニやシンバル等、様々な模倣音による演奏ができるのだ。
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後半=変更された第2部について
「急なことで」と言いながらの演奏曲は以下のとおりだが、演奏だけでなく、後半早々、理恵さんについて語った内容も、人柄が滲み出るような、紳士的にして、誠実さと理恵さんを思いやる温かな気持ちに満ちていて、人柄が滲み出るような、紳士的にして温かな心根を感じさせ、素晴らしかった。色々語られたが、特に以下の主旨の発言が心に沁みた。
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「歌手は声、肉体が楽器だから大変です。私などは、「あなた、体調が悪くても弾けるから良いわね」などと言われたこともあるし、実際そうですが、歌手は、喉に異変が生じたら、そうはいかない。演奏に支障をきたしてしまうわけですから」
「理恵さんには、頑張って、後半もプログラムどおり歌う選択肢もないわけでなかったと思いますが、今後のことを考えての判断だと思うので、ご理解ください」
「音楽家にとって、ステージは神聖なもので、会場が大きかろうと小さかろうと、お客様が多かろうと少なかろうと、(臨むスタンスは)同じです。昨年は、コロナ禍で延期となり、今回、やっと迎えたリサイタルの舞台から、途中で降りなければならないというのは、断腸の思いであるはずで、先ほど、慰めてはおきました」
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そして、急遽、神田さんソロステージとなった第2部は、以下の曲に変更されて演奏された。
1.プーランク:「愛の小径」
2.ラヴェル:「ボレロ」(短縮あり)
3.ラヴェル:「亡き王女の為のパヴァーヌ」
4.プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」
5.ホルスト:「惑星」より「木星」
6.スメタナ:「モルダウ」
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「愛の小径」のロマン性、圧巻の「ボレロ」。「亡き王女の為のパヴァーヌ」の繊細さ、優しさ。
「誰も寝てはならぬ」では、女声合唱が混じる部分でも、女声コーラスに模した音で奏したし、ホルスト「木星」では、弦の高音と低音、木管、ホルン、そして有名な変ホ長調によるテーマでは、一瞬、女声コーラスのような響を交えるなど、様々なトーンで魅了した。そのテーマの直後は少しカットしてエンディングに持って行った。
「モルダウ」でも、弦や木管だけでなく、シンバルやティンパニの音なども効果的に使用しながらの、見事な演奏だった。
会場が大きく沸いたことは言うまでもない。
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カーテンコールでは、理恵さんも再登場し、神田さんの演奏の素晴らしさを称え、感謝を伝えたのち、「オー・ソレ・ミオ」を歌われて、この印象強いコンサートが終わった。
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そう、思わぬアクシデントが生じたとはいえ、かえって結果的には、強烈な印象と、温かな心象を覚えたコンサートとなった。
確かに、神田さんが理恵さんとコンサート自体を救ったとも言えるのだが、こうした音楽パートナーを有する2人の関係性は、音楽家として幸福なものだと思うし、それを~想像外の展開ではあったが~確認できたこの日の聴衆も、「予想しなかった幸福感」を結果的に受け止めた、と言えるだろう。
そして、今回のアクシデントを理由に、「今後、清水理恵さんのコンサートには行かない」とする人は、一人もいないだろうと想像する。いや、確信している。応援する気持ちを更に強くして、コンサート会場に向かうファンがたくさんいると確信する。
最後に、本来予定されていた曲目も記載しておく。
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予定されていた演奏曲
第1部
1.レオンカヴァッロ:「朝の歌(マッティナータ)」
2.ヘンデル:「オンブラ・マイ・フ
3.スカルラッティ:「すみれ」
4.プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」
5.エレクトーンのソロで、ビゼーの「アルルの女」より
「ファランドール」
6.カントルーブ:「オーヴェルニュの歌」より「バイレロ」
7.J・シュトラウス:「春の声」
(休憩)
第2部
1.ロッシーニ:歌劇「ランスへの旅」より
「優しい竪琴よ、あなたはいつも変わらぬ友」
2.プーランク:「愛の小径」
3.プーランク:「パリへの旅」
4.エレクトーンのソロで、
ラヴェル:「亡き王女の為のパヴァーヌ」
5.プッチーニ:歌劇「つばめ」より「ドレッタの夢」
6.ヴェルディ:歌劇「椿姫」より
(1)エレクトーンのソロで前奏曲
(2)「ああ、そはかの人か~花から花へ」
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