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2022年2月26日 (土)

藤沢市民オペラ~ヴェルディ「ナブッコ」公演

昨今のウクライナ情勢も連想させる歌詞と物語

第24回藤沢市民オペラ、ヴェルディの歌劇「ナブッコ」を2月26日午後、藤沢市民会館で鑑賞した。

本来は2020年11月に予定されていたが、状況により延期された公演で、今月26,27日と、3月5日、6日の4回をダブルキャスト(各組2回)で行う公演。その初日組を拝聴した次第。

指揮は、2015年のシーズンから芸術監督を務めている園田隆一郎さん。

管弦楽が、藤沢市民交響楽団。

合唱は、複数の団体から構成された藤沢市民合唱連盟。

演出は、岩田達宗さん。

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藤沢市民交響楽団は、合唱ファンにはお馴染みの故・福永陽一郎さんが1959年に創設したアマオケ。

藤沢市民オペラは、1973年の藤沢市民会館 開設5周年に際して、地元に根ざした、アマチュアのオケと合唱、プロの歌手によるオペラ公演として開始された、ということは知っていたが、実際に同会館に行き、拝聴、鑑賞したのは今回が初めて。

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「ナブッコ」は、作品全体としては「アイーダ」や「オテロ」程の知名度や評価に至らないまでも、あまりにも有名な合唱曲

「行け、我が思いよ、金色(黄金)の翼に乗って」で知られたオペラ。

「ナブッコ」とは、古代バビロニアの王の名で、正式にはナブコドノゾール。そのバビロニア王国に征服されたユダヤ人たち。そして、ナブッコが就く座をめぐる親子の争いがからむ物語なのだが、歌詞や物語が、偶然にも昨今のロシアによるウクライナ侵攻を連想させる。

これについては後述する。

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私が以前観たライヴ公演は、2012年2月の東京二期会公演で、ナブッコが青山 貴さん、アビガイッレが岡田昌子さん、フェネーナが清水華澄さん、といったキャスト。

指揮は、当時24歳のバッティストーニ。あの頃は未だ、今みたいに太ってはいなかった。

余談だが、アビガイッレ役の岡田昌子さんが、あまりにも素晴らしかったので、フェイスブックのメッセから自己紹介とファンレターを書き、今では、親しくさせていただいている。

また、7年後の2019年1月に、バッティストーニの指揮で、マーラーの「千人」を歌わせていただく機会が来るとは、当時は夢にも思わなかった。

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さて、本公演。

序曲を聴くと、園田さんは、細部を磨くことや、色付けすることよりも、全体の自然な流れを大事にしている感じがした。

序曲直後から合唱や、終盤の「行け、我が思いよ~」を含めた全体の合唱は、とても良かった。藤沢市民合唱連盟は、全員ダーク系のマスクをしてはいたが、今回、8つの団体と個人参加など、男女合計56名を要していることもあり、劇場も大きくはないので、声量は全く問題なかった。

有名な「行け、我が思いよ~」は、やや丁寧過ぎる感じがして、もっと大らかに歌って欲しい気はした。こういう「知情意のバランス」は、とりわけ合唱では、どんな曲でも、常に課題として存在していると思う。

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ナブッコ役の今井俊輔さんは、いつもながらの威厳ある格調高い歌声でステキだった。

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大活躍中の もはやベテラン、アビガイッレ役の小林厚子さんと、

若手で活躍著しいフェネーナ役の山下裕賀(ひろか)さんを、じっくり聴かせていただけたので、嬉しかったし、素晴らしかった。

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3人に共通する印象を抱いたのは、劇的な場面もさることながら、しっとりと歌う場面、ナブッコだったら、フェネーナを助けて欲しいとアビガイッレに懇願するシーンや、フェネーナは処刑(されないけれど)直前の歌、アビガイッレはラスト、絶命する直前の歌などが、とりわけステキで印象的だった。

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イズマエーレ役の工藤和真(かずま)さんは、初めて聴いたテノールで、伸びやかな美声で素晴らしかった。音コン2位、日伊声楽コンコルソ1位は納得の受賞歴。

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ザッカリーア役の伊藤貴之さんは、もう少し声量と低音の深さが欲しい気がしたが、初めて聴かせていただいた歌手なので、良さが未だ判らないだけかもしれない。今後も色々聴かせていただこう。

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アブダッロ役の新海康仁さんは、ピュアで伸びやかな歌声で、聴衆を魅了したと思う。出番が少ない役なので、もっと聴きたかった。イズマエーレももちろん歌えるテナーで、実際、今回、そのカバーもされている。

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ベルの祭司長役の後藤春馬さん、アンナ役で予定されていたイ・スンジェさんから、事情で替わり、代演された谷 明美さんも、存在感をよく示されていた。

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先述した、「歌詞や物語が、偶然にも昨今のロシアによるウクライナ侵攻を連想させる」点。例えば、第1幕第3場で、イズマエーレの、

「アッシリアの王が攻めて来るぞ。彼は全世界を敵にしているようだ。その傲慢な大胆さで」や、

ザッカリーアの、

「天は終わらせるであろう。彼の悪しき大胆さも。このシオンの遺跡に、侵略者が休むことはできないのだ」、などは、まるで、ロシアのボスと軍のことを言っているかのようだ。

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また、改心(回心)する前の暴君ナブッコが言う、

「わしの怒りは一層激しく爆発するのだ。震えるのだ、愚か者ども。わが怒りの前に、みな生贄となるのだ。不敬なるシオンは浸されるのだ。おお敗者どもよ、地に頭をつけよ。勝者はわしなのだ。略奪せよ、神殿を燃やせ」は、まるで、ロシアのボスのセリフであるかのようだ。

そして、ザッカリーアとヘブライ人たちが歌う、

「人々から拒絶されるが良い。兄弟を裏切った者として、貴様の名は忌わしきものとして罵られるのだ。あらゆる時に」は、直接的にはアビガイッレに対する歌詞かもしれないが、そのまま、ナブッコ=ロシアのボスに向けられているかの様でもある。

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決定的に違う(だろう と予想される)点は、ナブッコは、なんと劇中、改心(回心)するのだ。

演出の岩田達宗さんがプログラムに寄稿した文から借りるなら、「ナブッコは、ユダヤやバビロンの垣根を越えて、暴力を使わずに、人々を戦争から解放し、その生命と精神を救う」。

今回、残念ながら、ロシアのボスには全く期待できそうもない相違点だ。

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偶然とはいえ、オペラを楽しむだけでなく、昨今の状況と、劇中の歌詞などをリンクしながら、色々と考えさせられる公演鑑賞だった。

最後になってしまったが、岩田達宗さんの演出は、広いとは言えない舞台を効率的に使いながら、格調高い舞台と進行で、とても良かった。

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出演:    2月26日と3月5日  2月27日と3月6日

ナブッコ:   今井 俊輔       須藤 慎吾

イズマエーレ: 工藤 和真       清水徹太郎

ザッカリーア: 伊藤 貴之       ジョン・ハオ

アビガイッレ: 小林 厚子       中村 真紀

フェネーナ:  山下 裕賀       中島 郁子

ベルの祭司長: 後藤 春馬       杉尾 真吾

アブダッロ:  新海 康仁       平尾 啓

アンナ:    イ・スンジェ      谷 明美

2022年2月25日 (金)

ロシアの愚行

後日記載します。

2022年2月20日 (日)

「It’s curling」

後日記載します。

2022年2月19日 (土)

オペラ「ミスター・シンデレラ」

日本オペラ協会の公演で、1965年に創作オペラの企画として開始された 日本オペラシリーズの第83回目の公演、「ミスター・シンデレラ」の、Wキャストによる初日組の上演を2月18日午後、新宿文化センターで鑑賞した(都民芸術フェスティバル参加公演でもある)。

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高木 達さん作の台本に基づく、伊藤康英さん作曲のオペラで、新作かと思ったら、そうではなく、2001年に、鹿児島オペラ協会の創立30周年を記念作として初演された2幕オペラで、それ以降も、2004年4月(鹿児島)、同年8月(新国立劇場)、2012年と2015年が鹿児島、2017年8月(静岡)、同年10月(新国立劇場、室内楽版としての初演)と、日本の創作オペラとしては、相当な頻度で上演されてきているオペラ。

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演奏は、大勝秀也さん指揮、東京フィルハーモニー交響楽団で、合唱は日本オペラ協会合唱団。

演出は、作者の高木 達さんが務めた。

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面白かった。

若い学者夫婦を中心とした喜劇なのだが、いわゆるジェンダー問題の要素も含んでいるし、ストーリー展開にも妙なブレが無く、統一感は有る。

オーケストレーションがユニークで、弦主体ではなく、金管が主体と言え、それに木管、ハープやチェレスタ、打楽器、もちろん弦も効果的に使用されていた。

金管が主体と言っても、ケバケバしくはないので、トーンに個性があるオペラなのだ。

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歌は、ミュージカル調ももちろん含まれるが、「ちゃんとした」あるいは、シリアスなソロやデュオのアリアもしっかり有る。

第2幕冒頭のオケによる鹿児島民謡「おはら節」の利用は、委嘱元、地元へのプレゼントだろうし、「魔笛」の3人の侍女の重唱のパロディも、やり過ぎまでには至っていないので、嫌みは感じさせない。

そうした「遊び」はむしろ少なく抑えられ、歌もオケも、しっかりとしたメロディと個性的にして、親しみ易い和声が多用され、好感が持てるオペラだった。

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なお、エンディングを含めて第2幕の中の3場面で歌われる合唱の際、マスクを着けたままだったが、少人数だし、密でない、バラけた状況での合唱なので不要だと思う。藤原歌劇団は、合唱に関しては、マスク着装のままでの公演を継続しているが、そろそろ止めてよい。この演目は、都民芸術フェスティバル参加公演でもあるので、都に配慮していることもあるかもしれないが、不要だ。

着装のままでも、確かに声量的には全く問題ない歌声だったが、そうであれば尚更、不要だろう。

聴衆は、むしろ、「せめて、オペラの合唱くらい、マスク無しの姿を見て聴きたい」と感じ、思ったはずだと想像する。

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歌手では、伊集院正男役の山本康寛さんが、いつもながらの、澄んだ、よく透る歌声がステキだったし、この日、初めて聴かせていただいた、伊集院 薫役の鳥海仁子(まさこ)さんが、とても印象的で見事だった。魅力的なソプラノ。

赤毛の女役の鳥木弥生さんも、いつもながらの、いや、いつも以上の濃厚なメゾの歌声を聴かせてくれて、ステキだった。

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総じて面白いオペラで、「初演されて、それ以降、上演なし」の日本オペラが多い中、公演を重ねているだけのことはあると思った。

たぶん、今後も、継続的に上演されていくだろうと想像する。

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キャスト

         2月19日    2月20日

伊集院正男:   山本康寛           海道弘昭

伊集院 薫:          鳥海仁子           別府美沙子

垣内教授:    山田大智           村松恒矢

伊集院忠義:   江原啓之           清水良一

伊集院ハナ:   きのしたひろこ 吉田郁恵

赤毛の女:    鳥木弥生    佐藤 祥

マルちゃんのママ:鈴木美也子   座間由恵

卓 也:     松原悠馬    高畑達豊

美穂子:     神田さやか   岡本麻里菜

マ ミ:     山邊聖美    伊藤香織

ル ミ:     高橋香緒里   山口なな

ユ ミ:     遠藤美紗子   安藤千尋

 

https://www.jof.or.jp/performance/nrml/2202_cinderella.html

 

https://www.itomusic.com/japanese/%E4%BD%9C%E5%93%81%E7%B4%B9%E4%BB%8B-1/%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9-%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%A9/

ロコ・ソラーレの準決勝とカーリング文化について思う事

後日記載します。

2022年2月18日 (金)

最悪の後味の悪さ~ワリエワさんに同情します

後日記載します。

2022年2月16日 (水)

現時点ではワリエワ選手を応援します

後日記載します。

2022年2月13日 (日)

諏訪内晶子さん~バッハ無伴奏曲 演奏会~しらかわホール

諏訪内晶子さんが企画し、芸術監督を務める「国際音楽祭NIPPON 2022」の公演は、名古屋と東京、それぞれ2日間での、諏訪内さん自身によるバッハの無伴奏ソナタとパルティータの全曲演奏会で開始した。

初日は聴けなかったが、2日目である2月13日午後、名古屋の三井住友海上しらかわホールで拝聴した。

日曜日の午後ということもあってか、ほぼ満員の入りだった。

なお、最近リリースされたCDも聴いているので、その感想も後日アップします。

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「東京在住なら、後日、東京オペラシティで聴けばよいのに」。

その通りなのですが、もっと小さなホールで聴いてみたかったのと、次の2つの理由から、ぜひ名古屋で聴いてみたいと思った次第。

1つは、仕事で1996年9月から1997年10月まで、名古屋に居住していたのに、しらかわホールに来る機会を逃していたこと。東京に戻ってからも、いつか聴きに行きたいと思っていました。

2つ目の理由となったのは、なんと先月、2年後の2024年2月をもって、同ホールが閉館になることが公表されたことです。

元々、収益的には厳しい状況が続いており、それに「コロナ禍」が拍車をかけたとのこと。

あと2年あるから、聴きに行く機会はあるかもしれませんが、一応、見納めならぬ、聴き納めの気持ちも込めて、出かけた次第です。

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この日の演奏曲は、バッハの無伴奏の、後半3曲である次の曲。

1.無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004

2.無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番 ハ長調 BWV1005

3.無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番 ホ長調 BWV1006

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ライヴを聴く喜びは、もちろん、演奏家を直に聴けることにある。

彼女が新たに手にした「グァルネリ・デル・ジェズ」の響も、録音再生機器を通して聴くのと、わずか10メートルくらいの至近距離で、会場の空気と波動の中で聴くのとでは、当然ながら、印象は随分違う。

演奏の「完成度」という点で言うなら、細かなニュアンスや強弱等も含めて、何度も弾き直して、収録し、録音効果も設定できるCDが、そりゃあ勝るだろうことは、ある意味、当然だが、ライヴには、録音では得られない、ある意味、「録音を超えた何か」を聴ける要素も当然あるのだ。

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この日も、曲によっては、一瞬、音が擦(かす)れる部分はあったし、CDでは入念な掘り下げによるデリケートさを表出していた場面でも、この日は、そうした細かさよりも、むしろ、直截的にアグレッシブにぶつけてくる諏訪内さんの生身の音楽、もっと言うと、人間性も含めた演奏気質、演奏スタイル、アプローチ等々を、直接感じとることができるなど、録音とは違う「面白さ」が多々有った。これこそライヴの面白さだ。

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完成度では、録音よりマイナス1点か2点が生じていたとしても、ライヴには、それに増して余りある直接的なパワー、力感と生命力、今ここで音楽が生まれているという感動、聴衆と演奏者との同時間、同空間における共感性が生じ、それを感じとる喜びが聴衆に~多分、演奏者にも~有る。

すなわち、「録音よりマイナス1点か2点の完成度」と同時に、「録音よりプラス2点か3点の高揚感、共感度」が得られる。それがライヴの特性であり、素晴らしさだ。

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加えて、プロアマ問わず、私を含めて、ヴァイオリンなど、自分で弦楽器をやっている人には、「あの部分(パッセージ等)では、ああいうボーイングやアーティキュレーションで弾くと良いのだな」、ということを知り、勉強(あるいは参考)になるのも、ライヴならではだ。

録音を聴いていても、フレージング等から、ある程度、想像はできるが、実際に、一流演奏家のボーイング等を見るのとそうでないのとでは、その「参考度具合」は全然違ってくる。

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前置きが長くなってしまったが、この日の1曲目にして、前半の演奏曲「パルティータ第2番」における圧巻は、言うまでもなく終曲「シャコンヌ」だった。

CDのような細かなニュアンス設定よりも、全体の音の充実度と、自然な流れと展開が素晴らしく、工夫を交えた入念さでは録音が面白いにしても、精神の充実度において、この日の演奏はCD録音を超えていた、と感じた。

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休憩後のソナタ第3番は、ある意味、やや地味な曲な印象もあるが、アダージョでは、むしろCD以上に丁寧に、入念に弾いていたように感じたし、長大なフーガでは、アグレッシブ全開による生命力と流動的展開が見事だった。

パルティータ第3番は、CD同様、1曲目のプレリュードの快活さが、見事な技巧とともに印象的で、素晴らしかった。

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盛大な拍手に応えての、アンコールは2曲。

最初は、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調の第1楽章。

バッハのパルティータ第3番の断片や、「怒りの日」のテーマが出る面白い曲だ。

2曲目は、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番のアンダンテ。とても入念に温かく演奏された。

「来て良かった」。そう思えた演奏会だった。

 

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しらかわホール24年に閉館 クラシック専用 赤字 コロナ追い打ち

https://www.yomiuri.co.jp/local/aichi/news/20220118-OYTNT50169/

 

「しらかわホール」閉館へ 名古屋、三井住友海上

https://www.sankei.com/article/20220118-QBU7TOLKGZNPHDSVZIO7XVANFA/

 

「劇場の危機の始まり」音楽関係者ら衝撃 「しらかわホール」閉館発表

https://www.chunichi.co.jp/article/402726

2022年2月 9日 (水)

東京二期会公演「フィガロの結婚」~印象的なスザンナ

この日は、本来は「影のない女」が上演されるはずだったが、中止となり、本当に残念だった。その代わりの演目として「フィガロの結婚」が公表されたときは、「行かない」と思ったが、Wキャストの1組の伯爵夫人が大村博美さん、ケルビーノが小林由佳さんと知り、「もちろん行く」に即変更した。

2月9日から13日までのダブルキャスト公演の初日にして、そのお2人が出演される9日夜、東京文化会館で拝聴した。

依然として厳しい社会状況の中、18時30分開演、25分の休憩を挟んで、22時の終演が行われたのは何よりで、客の入りも、平日の夜にもかかわらず、7割くらいは来場されていたと思う。

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フィガロ役の萩原 潤さんは、ソフトなトーンなので、「良い人。善人なフィガロ」の印象を受ける。

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アルマヴィーヴァ伯爵役の大沼 徹さんも、ソフトなトーンで、役的にはもう少し「厚化粧的な厚かましさ」も欲しい気もしたが、嫉妬深い「小物」のキャラをよく出していて、良かった。

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ケルビーノ役の小林由佳さんは、外見も宝塚の男役みたいにカッコイイし、この役に似あう魅力的なトーンによる歌声で、聴衆を大いに魅了した。とても良かった。

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そして、伯爵夫人役の大村博美さん。

大村さんも大柄な美人なので、その外見からして既に気品が漂っており、潤いと純度の高い歌声による、見事な伯爵夫人を演じ、歌われた。

単に気品だけでなく、女心の移ろいとか寂しさ、戸惑い、孤独感も表出が見事で、第3幕の有名なアリア「どこにあるのかしら。恋に生きた、楽しかった日々は」が終わったとき、この日、最長にして最大の拍手は起きたのは当然のことだった。

伯爵の謝罪に対して、ト長調アンダンテで歌い応える、「私は、あなたよりも素直ですから、ハイ、と申しますわ」の場面での高貴さといったら、例えようのないほど美しく、素晴らしかった。

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そしてこの日、大村さんに負けないくらいの存在感を示したのは、スザンナ役の宮地江奈さんだった。

私は初めて聴かせていただいた歌手。

キュートでコケティッシュさが有り、利発な、「お調子者」のようなスザンナを表出していてステキだった。たぶん小柄で、失礼ながら特別な美声というわけではないが、スザンナ役のマッチ度、ハマリ度、いや、「独特のフィット感」がすこぶる魅力的だった。

それにもかかわらず、傑出した、とか、衝撃的、とかいう大袈裟な言葉は似あわず、鮮烈な、という言葉も的確ではないかもしれないが、敢えて言えば「鮮烈なスザンナ」だった。でも、決して派手ではないのだ。むしろ、その素朴さから滲み出てくる可愛らしさ、愛されキャラ的な演技と歌唱が、極めて印象的だった。

コケティッシュさだけでなく、第3幕終わり近くでの有名なアリア、「早くおいで、美しい喜びよ」では、しっとりと歌って聴衆を魅了し、大村さんに負けないくらいの盛大な拍手を受けていた。

今後、とても楽しみな歌手だと思う。

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出番は少ないながら、第3幕で素晴らしいアリアを聴かせて「持っていく」得なキャラに設定されているバルバリーナ役の雨笠佳奈さんも初めて聴かせていただいたが、役を楽しんでいる感じも含めて、なかなか良かった。

それにしても、あの、ヘ短調のアリアは、「魔笛」のパミーナのト短調のアリアとともに、「短調のモーツァルト」を堪能させてくれる素敵なアリアだ。この曲が有るのと無いとでは、「フィガロ」の印象はだいぶ変わってくるかもしれない。

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マルチェリーナ役の石井 藍さんは、演技も含めて秀逸だったし、バルトロ役の畠山 茂さんも良かった。

なお、ドン・クルツィオ役で出演されるはずだった渡邉公威さんが、何らかの事情で出演されなかったのは残念だった。もう一組の児玉和弘さんが代演された。

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物語はバカバカしくとも、「魔笛」とともに、ステキなアリアのオンパレードのフィガロ。「コジ・ファン・トゥッテ」とともに、アンサンブルオペラとしても、とても充実した「フィガロの結婚」は何と魅力的な、傑出したオペラだろう、音楽だろう、と、あらためて、モーツァルトの偉大さを思い知らされた公演でもある。

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なお、オケは最小限での演奏だったのか、歌手を邪魔しない点では良かったが、「ここは、オケを聴かせたい所でしょ」という場面では、物足りなさも感じた。

舞台を効率的で効果的に使っていたし、第3幕の始めでの色彩を抑えた舞台は、アルマヴィーヴァ伯爵と伯爵夫人の、独白的心境の吐露たる歌唱とよくマッチしていた。

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指揮:   川瀬賢太郎

管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

合唱:   二期会合唱団

演出:   宮本亞門

配役            2月9日&12日              11日&13日

アルマヴィーヴァ伯爵 大沼 徹       与那城 敬

伯爵夫人       大村博美       髙橋絵理

スザンナ       宮地江奈       種谷典子

フィガロ       萩原 潤       近藤 圭

ケルビーノ      小林由佳       郷家暁子

マルチェリーナ    石井 藍       藤井麻美

バルトロ       畠山 茂       北川辰彦

バジリオ       高柳 圭       高橋 淳

ドン・クルツィオ   渡邉公威       児玉和弘

バルバリーナ         雨笠佳奈       全 詠玉

アントニオ             的場正剛       髙田智士

花娘1           辰巳真理恵      金治久美子

花娘2         横森由衣       長田惟子

 

 

http://www.nikikai.net/lineup/figaro2022/index.html

2022年2月 8日 (火)

混合スキージャンプの失格判定を批判する

後日記載します。

2022年2月 6日 (日)

新作オペラ「禅」~ZEN~

叙情的メロディーメーカーの渡辺俊幸さん作曲による新作オペラの初演なので、大いに期待し、今回初めて行く会場の高崎芸術劇場に、2月6日午後、出かけた。

結果は、残念ながら期待に応えてくれる内容ではなかった。理由は後述する。

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2会場での初演公演作品で、1月23日の金沢に続く高崎公演の主催者は高崎財団。なお、金沢公演の主催者は、金沢芸術創造財団と石川県音楽文化振興事業団。

管弦楽は、両公演とも、オーケストラ・アンサンブル金沢で、高崎での合唱は、高崎オペラ合唱団。

指揮は、当初予定されていたヘンリク・シェーファー氏が、昨今の事情で来日できなくなったため、副指揮者を務めていた鈴木恵里奈さんが指揮をした。鈴木さんにとってはラッキーなチャンスで、良かったと思う。

演出は、三浦安浩さん。

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作品の内容やいきさつとしては、2020年が、仏教学者の鈴木大拙(1870~1966)と、哲学者の西田幾多郎(1870~1945)の生誕150周年記念だったことから、オーケストラ・アンサンブル金沢の元ゼネラルマネージャーで、今作の総合プロデューサーである山田正幸さんが、この2人を主人公とした物語の台本を、金沢で教員生活を送り、台本を書き、鈴木大拙館の館長も努めた松田章一さんに依頼し、渡辺俊幸さんが作曲を担当しての新作オペラ。

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よって、時代設定が1900年前後から1945年に及び、鈴木大拙がアメリカ人女性と結婚していたことから、舞台設定も金沢、ニューヨークの他、乃木希典が学習院院長だった時期に、鈴木と西田も同校の教員だったことから、学習院も加え、更に、終戦直後に来日したマッカーサーも登場させる~これは、松田氏の意向ではなく、山田プロデューサーの意向とのこと~など、設定自体に、相当無理があるとも言える。

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劇の主題としては、当時では珍しかった国際結婚の鈴木夫妻の物語と、マッカーサーが禅や仏教を含めた西洋と東洋の架け橋に関心を寄せて(という設定)の、希望的願望的な博愛主義を謳うなど、相当ご都合主義とも言える内容でもある。

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よって、歌も日本語の英語による歌が入り混じるが、これは良いとしても、また、抒情的で親しみ易い曲を創ることで知られる渡辺俊幸さんは、その点においては、良くも悪くも期待を裏切らなかったのだが、あまりにも全編ミュージカル仕立てによる、明るく平易な曲のオンパレードとなれば、さすがに辟易してしまう。

前半の第1、2幕より、後半の第3幕は、求心力と統一感が増した感はあったが、全体としては、平明過ぎる冗長さを強く感じた作品だった。

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冒頭の合唱(マスク着用)が、日本音階(和声)から西洋音階(和音)に移って展開された部分は美しく、魅力的ではあったが、直後からの男声ソリストによる場面で、私はもう退屈してしまった。

「これなら、純然たるミュージカルを観たいな」と思っていたら、いきなり舞台が(先述のとおり)ニューヨークに変わり、正にミュージカルの様相を呈する場面となった。

これはこれで楽しいが、展開が支離滅裂な上に、平易な曲が続くので、私にはほとんど耐え難い内容だった。

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思うに、ここ10年~20年くらいにおける、日本人作曲家によるオペラ作品の特徴(傾向)は、大きく2つに分かれている感がある。

1つは、妙に深刻ぶった難解な物語設定の中に、自分の作曲技巧を自己満足的に、独善的に提示したいがために、オケパートも歌パートにも、無調性の中にムリヤリ日本語を押し込め難所を散りばめるだけで、結局何を表したいのか理解できない難解な新作オペラ。

もう1つは、それとは全く逆に、明るくあっけらかんとした調性西洋音階の中、甘ったるい童謡のような歌が連続するだけの、ひどく幼稚な新作オペラ。

今回の「禅」~ZEN~は後者だった。

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この2つの落とし穴(誘惑)を巧みにすり抜けて、見事な作品としたものが、コロナ禍に入る直前、2000年1月に初演された寺嶋民哉さん作曲の「紅天女」だった。

「紅天女」は、和楽器と特殊楽器を含む西洋楽器たるオーケストラによる日本音階と西洋音階。歌舞伎的要素や、オペラとしての楷書的なアリア、ミュージカル的な解放感等々、「ごった煮」の作品ではあったのだけれども、無分別ではなく、有機的な構成と工夫による説得力のある展開がしっかりと有り、純度の高い音楽による格調高い作品として成功していたのだが、「禅」~ZEN~には、残念ながら、それが無い。

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敢えてキツイ表現をするなら、「キレイな音楽によるキレイ事の羅列」に思えてしまったのだった。

それは、先述の、ご都合主義的物語という内容と、確かに一致はしていたが、聴衆に媚びを売るスタンスを否定し得ない作品に思えてしまった、というのが、私の結論。

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作品に関する感想と、出演者の皆さんの充実度は、もちろん別問題だ。

まず、合唱が充実していたし、歌手の皆さんも、とても良かった。

特に乃木希典役の原田勇雅さんが、声量も含めて素晴らしかった。

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昨年「嬉しい発見」をさせていただいた鈴木大拙役の伊藤達人さんも伸びやかでピュアな声が素敵だったが、本来、声量もある人だが、会場と役柄との間で、幾分控え目な歌唱だったように思う。「際立つアリア」があるわけでもない作品なので、やむを得ないとは思う。活躍されていること自体を喜びたい。

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以前から、一度、直に聴いてみたかったコロンえりかさんが、鈴木の妻、ビアトリス役という活躍する役として、相当量、歌われ、聴かせていただけたのが嬉しかった。

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西田幾多郎役の今井俊輔さん、エマ(ビアトリスの母)役の鳥木弥生さんも、いつもながらの充実した歌声を聴かせてくれた。

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三浦安浩さんによる演出は、舞台を効率的に用いた、色彩の美しい舞台で、好感が持てた。

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作品の名誉のために付記しておくと、終演後のカーテンコールでは、多くお客さんが楽しんだことを確認できるシーンが見れたので、ホッとした。あまり楽しめなかったのは、私を含めて多分少数派だったのだろう。それはそれで、もちろん「よし」とすべきことだ。

この作品は、シリアスさよりも、まずエンタ性を中心に置いた作品と言えるのだろう。

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キャスト等

台本:松田章一

作曲:渡辺俊幸

指揮:鈴木恵里奈

管弦楽:オーケストラ・アンサンブル金沢

演出:三浦安浩

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鈴木大拙:伊藤達人(テノール)

西田幾多郎:今井俊輔(バリトン)

ビアトリス(鈴木の妻):コロンえりか(ソプラノ)

エマ(ビアトリスの母):鳥木弥生(メゾソプラノ)

釈宗演:高橋洋介(バリトン)

乃木希典:原田勇雅(バリトン)

マッカーサー:森雅史(バス)

女中くみ:鈴木麻里子(ソプラノ)~高崎公演のみ

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(曲の構成)

前奏曲

第1幕第1場:加賀の国~鎌倉円覚寺

同~第2場:アメリカ・ニューヨーク

第2幕第1場:学習院

同~第2場:学習院内の大拙の宿舎

(休憩)

間奏曲

第3幕第1場:ビアトリスの死

同~第2場:幾多郎との別れ

同~第3場:戦後の鎌倉

同~第4場:ニルヴァーナ(鎮魂歌)

 

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OEK

https://www.oek.jp/event/2583-2

 

高崎芸術劇場

http://takasaki-foundation.or.jp/theatre/upload/concert/566/16354660157b789bd7e1ad72855855e.pdf

2022年2月 5日 (土)

小林愛実さん N響~シューマン ピアノ協奏曲

2月5日は東京も寒かったが、小林愛実さんが、東京芸術劇場に満員に近い聴衆を呼び込んだとも言えるコンサートを同日夜、同ホールで聴いた。

NHK交響楽団の演奏会だが、当初の予定では、指揮がパーヴォ・ヤルヴィ、ピアノがイゴール・レヴィットによる公演だったが、昨今の事情で、指揮が下野竜也さん、ピアノが小林愛実さんに代わり、曲目も変更された。

結果的には、私にとって~あるいは多くの聴衆にとっても~小林愛実さんによるシューマンのピアノ協奏曲が聴けたのは、これ幸いと言える。

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オール・シューマンプログラムの1曲目は「序曲、スケルツォとフィナーレ」作品52から第1曲「序曲」。出だしが美しい曲。

2曲目に小林愛実さんが登場して、ピアノ協奏曲 イ短調 作品54が演奏された。

冒頭は、鋭いスタッカートではなく、丸みのある音によるレガートのテイストさえ感じる下降音が印象的だったし、直後のソロによる第1主題も、ゆったりと間合いを取ったフレージングが印象的。

この落ち着いた、たっぷりとした抒情性は、あの誰よりもゆったり弾いている「雨だれ」と共通するアプローチで、小林愛実さん固有の特徴、個性と言えるだろう。

この主題の提示は、愛実さんが、まるでこう言っているようでもあった。

「これはロベルトの作品ではなく、クララの作品なのです」

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その後も終始、硬いスタッカートや鋭いアグレッシブさではなく、馬力的なパワーで熱くする音ではなく、じっくりと温めた音、丸みのある音、さりげない優しさと愛らしさのある音により、この曲の持つ抒情性を描き出して行く。

第2楽章の冒頭も、呟くような、独り言のように、さりげなく開始。

この「叙情性の徹底」という点では、第3楽章がとりわけ印象的で、充実していたように思う。

気取ったフレージングなど皆無で、あくまでも自然体にして、さりげない抒情性を大事にしている演奏。

これほどケバケバしさの無い、毒気やドス黒さとは無縁な、ピュアな第3楽章は希有に思えた。

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長く盛大な拍手に応えてのアンコールは、ショパンのワルツ第5番 変イ長調Op.42。正に水を得た魚の様な自在な演奏だったが、シューマンで聴かせてくれた「さりげなさ」は共通していた。

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スケール感で勝負する人ではないように思える。雄大な欧州の自然美というより、日本独特の日本庭園を思わせる、整然とした佇まいと自然体と優しさと気品がある演奏。それを小林愛実さんの演奏に感じる。

小林愛実さんの抒情性を愛して今後も聴いていきたいと思う人は一定数、いや、相当数、今後も存在し続けるだろう。それだけでも、演奏家として極めて大事なことだと思う。

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休憩後の後半は、交響曲 第2番 ハ長調 作品61

明るく躍動感と動力に満ちた曲を、N響は十分元気に立派に演奏し、オケの充実した実力を示した演奏だった。

https://www.facebook.com/nhkso.tokyo/photos/a.1008387439227349/5146874385378613/

 

https://www.nhkso.or.jp/concert/20220205.html

2022年2月 1日 (火)

ウェールズ弦楽四重奏団+クァルテット・エクセルシオ

ウェールズ弦楽四重奏団とクァルテット・エクセルシオ共演のコンサートを2月1日夜、紀尾井ホールで聴いた。

これは同ホールの企画「クァルテット・プラス」という主催公演だが、本来は昨年の4月28日に予定されていた公演で、この日はその振替公演。

昨年作成されたプログラムが、そのまま配布されたのも、とても印象的だ。

「クァルテット・プラス」は2016年に開始されたシリーズ企画で、今回共演の2つの弦楽四重奏団が、交互に隔年で、他の様々な演奏家と共演(プラス)する、というもの。そして、その企画の最終回として、2つの主役クァルテットが初共演、という公演だった。

2団体とも桐朋学園在学中に結成された四重奏団だが、結成年次で言うと、クァルテット・エクセルシオが12年先輩。

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演奏曲は次のとおりで、意欲的にして興味深い選曲。

1.モーツァルト:弦楽四重奏曲第7番変ホ長調 K.160(159a)

2.ウェーベルン:弦楽四重奏のための緩徐楽章

3.武満徹:ソン・カリグラフィⅠ

4.ショスタコーヴィチ:弦楽八重奏のための2つの小品 op.11 から“スケルツォ”

 (休憩)

5.メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲変ホ長調 op.20

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1曲目は、クァルテット・エクセルシオの演奏によるモーツァルトの弦楽四重奏曲第7番

K.136のディヴェルティメントの第1楽章に似た第1楽章は、爽やかだが、クァルテット・エクセルシオ(以下、「エク」とする)の演奏は、薄っぺらな軽さではなく、温もりのある慈愛を感じさせてステキだ。第2楽章「Un poco adagio」は、曲自体が素晴らしく、これはもう既にロマン派の音楽を内包していると思う。素敵な曲だ。

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2曲目は、ウェールズ弦楽四重奏団の演奏によるウェーベルンの弦楽四重奏のための緩徐楽章

初めて聴いたが、素晴らしい曲。ウェーベルン22歳の1905年の作品で、無調作品を書く以前の、ロマン的曲想の極みと言える内容で、豊麗さにおいてリヒャルト・シュトラウスをも凌駕する様な見事な作品。ロマン派音楽の行き着いた先、極致とさえ言える曲。

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3曲目は、2団体の共演による武満徹の「ソン・カリグラフィⅠ」

「ソン」は音、「カリグラフィ」は東洋の「書」を意味する。この日の演奏曲は、3曲の内の第1曲で1958年作品。20世紀音楽研究所主催の軽井沢現代音楽祭コンクールで第1位、フランス大使賞も獲得した作品。

武満らしい断片的な音による飛翔を核とした7分ほどの曲。

「エク」とウェールズの共演第1曲が武満、というのは、そのまま現代における弦楽アンサンブル自体を象徴する様で、興味深く拝聴した。

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前半最後の4曲目も2団体の共演による、ショスタコーヴィチの弦楽八重奏のための2つの小品から「スケルツォ」

いかにもショスタコーヴィチらしい、近代的で無機質的な響と行進曲的要素を持つ曲。

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休憩後の後半は

2団体の共演によるメンデルスゾーンの弦楽八重奏曲変ホ長調

「八重奏曲と言えば、まずはこの曲」という位、有名な曲。メンデルスゾーン16歳のときの作品(23歳のときに改訂はしている)。

ウェールズが、いわゆる「表」というか、主体となり、先輩「エク」がそれを支える形でのアンサンブル八重奏。

第1楽章は爽やかで、スマートな演奏だが、その中で、2人のチェロ奏者によるアグレッシブな演奏が印象的だった。全体として、仮に「エク」が主体だったら、もう少し「野性的」な演奏になったかもしれないと想像した。

第2楽章は、内省的にして見事なアンサンブルで、この日の白眉とも言える演奏だった。

第3楽章は、ウェールズの特質である「しなやかさ」が、端的に発揮されていたと思う。

第4楽章は、第2楽章とは違う意味で、もう1つの白眉とも言え、豪快にして迫力のある、充実したアンサンブルを聴かせてくれた。

アンコールは、この曲の第3楽章を再度演奏した。

 

 

https://kioihall.jp/20220201k1900.html

 

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