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2020年2月29日 (土)

横浜合唱協会 バッハ ロ短調ミサ

新型コロナウイルスで中止や延期が相次ぐ中の29日午後、横浜合唱協会の第70回定期演奏会を聴きに横浜みなとみらいホールに出かけた。1970年にバッハを中心とした古典曲を歌うことを目的に創立された合唱団。その創立50周年記念演奏会のプログラムはJ・S・バッハのミサ曲ロ短調。「ロ短調ミサ」だ。指揮はドイツで学び、2018年6月からこの合唱団の指揮者を務めている柳嶋耕太さん。

実は午後一番で急用が生じたため、休憩後の第2部「Symbolum Nicenumニケア信条」からの拝聴となってしまったが、それでも行った甲斐のある、素晴らしい演奏会だった。

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その第2部第1曲=通番第10曲「Credo in unum Deum」、テナーパートによる開始直後に、優秀な合唱団であることが分かった。全く力みの無い柔らかなトーン。それが各パートに移っていっても同様に続いていく。なお、配置は男女が2つに分かれてはおらず、男性が女性の後に立つ。それも(多分)ソプラノの後ろにテノール、アルトの後ろにバス。しかも後半は第4部で二郡=8重唱の合唱となるので、指揮者を挟んで左右に2セット「まばらな配置」として歌った。

一歩間違えると、声量が分散して弱くなり、アンサンブルも統一感に問題が生じかねないが、この合唱団はそんなことはなく、各パートがクリヤーに、声量も十分に聴こえてきた。一人ひとりの力量が高いのだろう。優秀な合唱団だ。人数はソプラノ=29名、アルト=25名、テノール=16名、バス=12名。

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私が所属する合唱団も来年5月に演奏するので、「難所」は承知している。前半にも後半にも16分音符や8分音符で細かく動く、いわゆるアジリタが、パートのソロとして出てくるから大変だ。

それでも第15曲「Et resurrexit」での各パート、特にバスのソロパートは安定感あって立派だったし、18b.「Pleni sunt coeli」と2群8重唱の第19曲「Osanna in excelsis」も良かった。

むしろ、ゆったりした曲である第13曲「Et incarnatus est」では部分的に音程が若干甘くなり、この第13曲がいかに難しいかを私自身実感した。

ソリストも一緒に加わっての終曲「Dona nobis pacem」が終わってからの、聴衆の長い沈黙もとても良かった。ここ数年になって、よくやく~オケの演奏会も含めて~余韻を持って終わる曲の場合、直ぐに拍手が起きず、聴衆も余韻に浸る演奏会が増えてきたのは嬉しいことだ。

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ソリストは以下のとおりで、皆さん安定して良かったが、特にアルトの小川明子さんによる、有名な第22曲「Agnus Dei」の歌唱が祈りのような情感と「しっとり感」が素晴らしかった。

管弦楽のオルケストル・アヴァン=ギャルドの演奏も素敵で申し分なかった。

指揮の柳嶋さんはドイツで合唱曲を中心に研鑽してきただけに、入念にして誠実な指揮で、とても良かった。

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何回かのカーテンコールの後、柳嶋さんが挨拶。「こういう状況なので、演奏会をやるのも地獄、止めるのも地獄。中止の演奏会が多い中、開催か中止か、正解と言うのは(どちらにも)ないと感じる。来場を迷われた人もいたでしょうけれど、今日は来ていただき、感謝します」という主旨で、当然ながらマスク姿一色の会場からは大きな拍手が起きた。

事前にチケットは満席に近く売れていたそうだが、会場は半分以下の入りだった。しかし、私もオーケストラと合唱のいずれも演奏者として経験して来ているから解るが、「たとえ少ないお客さんでも、こういう状況下にもかかわらず、来場してくれたお客さんに心から感謝したい」と出演者全員が思ったに違いない。

そういえば、19日の東京文化会館での二期会「椿姫」初日終演後、主役の大村博美さんは、「客席はマスク一色だったけれど、それでも皆さん来てくださったんだ」と感慨深く語ったそうだ。

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聴衆だってある意味「リスクを承知で」出かけるわけで、演奏者も「開催か中止か、正解と言うのはない」し、聴衆も「行かない選択もありだし、聴きに行く選択もあり」という点では同じだ。その点においても、「特別な感慨を抱いた演奏会」という点で、ステージも客席も忘れられがたい共生感を抱いたコンサートだったと言える。

プロの指揮者や演奏家でも「満員の客席」を求める人もいるようだが、音楽はそんなものではないだろう。演奏者と聴衆は「一期一会」であり、体験の共有という共生感、そこから聴衆は何を感じたかが重要であり、演奏者は聴衆の人数にかかわらず、伝えたいことを伝えるという演奏行為自体が重要なのだ。

柳嶋さんの挨拶の後、もう一度終曲「「Dona nobis pacem」がソリストを含めた全員で演奏された。このときは2回目だし、お祝いの雰囲気にもなっていたので、比較的直ぐに大きな拍手が沸き、とても良かった。

忘れがたい素敵なコンサートに感謝したい。

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ソリスト

ソプラノⅠ=中山美紀、ソプラノⅡ=鈴木美登里、アルト=小川明子

テノール=谷口洋介、バス=青山 貴

http://ycs.gr.jp/concert/

ウワサを信じて日用品を衝動買いに入る大衆心理の愚かさ

衝動買いに入る大衆心理の愚かさ

市民の間に広がる不安。ネット上では生活必需品をめぐりデマが拡散。トイレットペーパーやティッシュペーパーが売り切れ

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、紙不足になるという、うその情報が流れ、ティッシュペーパーなどの日用品の品切れが起きている

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、SNSで「マスクの材料に紙が回される」とか「原材料が中国から輸入できなくなる」といったうその情報が流れ、県内のドラッグストアなどでは、トイレットペーパーやティッシュペーパーなどの日用品の品切れが起きている

騒動のきっかけは「中国から原材料が入ってこないため紙製品がなくなるのでは?」というネットの噂

材料違うやろ。マスク転用などできるわけないことくらい、中学生でも解るだろうに。

デマを流すヤツもヤツだが、それに踊らされて信じて買い占めに走る大人たちの醜さ、愚かさ、アホらしさこそ問題。日ごろ他国の民度がどうとかバカにする日本人もいるが、日本人の民度こそ疑われまっせ。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/20200228/5000007585.html

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200228-00010017-huffpost-soci

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200228-00000146-jij-soci

熊本が震源~トイレットペーパーやティッシュを一人でたくさん買って帰る人が複数映っています。

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20200228-00432995-fnn-soci

デマを流したのは転売業者かも~不安の連鎖につけこむ浅ましい連中

デマが発端となり、日本中でトイレットペーパーの買い占めが発生中

https://www.youtube.com/watch?v=XH94NdkPStc

在庫は潤沢です

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200301-00000001-at_s-l22

JASRACの勝訴というバカげた判決

JASRACの勝訴というバカげた判決~ヤマハは控訴すべし~JASRACは不要

音楽やその現場のことを何も知らない裁判官なんだろうな、と想像できる。そんな裁判官はエリートでも何でもない。ただのトウシロだ。呆れてものが言えない。

あと、JASRAC(日本音楽著作権協会)なんか潰して、それに代わる組織が欲しいね。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200228-00010846-bengocom-soci

 

追記

音楽教室側の控訴は当然

ヤマハなどの音楽教室で作る団体は、JASRAC(日本音楽著作権協会)が教室での演奏から著作権料を徴収できると判断した判決を不服として控訴

当然のこと。音楽教室側を強く支持します。

急な臨時休校策は愚の骨頂

全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校が対象。幼稚園や保育所、学童保育は対象から外す、とのこと。言い換えるなら、幼稚園、保育所、学童保育の子供たちはどうでもいい、ということだね。

https://mainichi.jp/articles/20200227/k00/00m/040/309000c?fbclid=IwAR0tSlFWlmAV4cslQorD4Ae303TtLvYvHy8hON4CPzW9YV7OKzOnwttVOq0

急に休校と言われても

首相は「子どもたちの健康、安全を第一に考え、多くの子どもたちや教員が日常的に長時間集まることによる感染リスクにあらかじめ備える」と述べた。「全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について3月2日から春休みまで臨時休業を行うよう要請する」と語った。幼稚園や保育所、学童保育は対象から外した。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200227-00000064-asahi-soci

千葉市長、休校要請で「社会が崩壊しかねません」

医療関係者など社会を支えている職種の親はどうするのか。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200227-00000011-jct-soci

文科省は25日、必要に応じて臨時休校を検討するよう求める通知を全国の都道府県教育委員会などに出したが、各自治体の判断を尊重し「全国一律に休校を要請するものではない」としていた。それが一転、一斉の休校要請となった

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200227-00000610-san-hlth

「ちょっと待ってよ」。一報を聞いた西宮市教委の幹部は困惑を隠せない。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200227-00000032-kobenext-l28

 

子供のいる家庭~親御さんの苦慮

帯広厚生病院は、臨時休校の影響で子どものいる看護師が出勤できないケースが相次いでいて、28日からは同病院看護師の全体の2割を超える170人が出勤できなくなることがわかったとのこと。このため同病院は、28日から学校が再開されるまでの間、外来は予約や救急のみとして、予約外の患者(ほぼ毎日約200人)の診療を休止することとした。

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20200227/7000018387.html

 

金沢市長「2日から休みなんてしません」~いいねえ。

https://www.youtube.com/watch?v=npcq1cUryBU

https://mainichi.jp/articles/20200228/k00/00m/040/102000c

 

2020年2月27日 (木)

時差出勤等の混雑回避による感染リスク低減策は企業の義務

今週に入り、駅や時間帯によっては電車の混雑が減少している感はある。時差出勤等、なんらかの対応をしている会社が増えている感はある。学校も試験休み、受験期ということで学生の乗車が少ないこともあるかもしれないが。

資生堂の8千人、感染者が出た電通の5千人の自宅ワーク移行までの規模の措置はともかく、現状では、各企業が何らかの措置をとるのはほとんど義務だと思う。

私が勤務する会社も、 7時から11時の中で、各人が自由に出勤時間を決めて出勤してよい、と決定した。後ろ倒し(遅い時間)だけでなく、前(早い時間)にも広げたのは、人によっては、住んでいる所と使う路線においては、必ずしも例えば10時とかにした場合、混雑度合いにさほどの変化が無いことも想定できるからだ。

終業時間(1日の就労時間)や残業を含む賃金面に関する点ももちろん決定したが、その点の公表はここでは控えたい。

係るようなことを何もしない会社は「ブラック」の感がある。この状況下での個々の企業の工夫は、社会の公器として、ほとんど義務であると言える。

イベント中止よりPCR検査こそ重要

韓国でのPCR検査はここ数日だけでも1万4千件、累計4万件実施済みというが、日本では未だ2千にも満たない。某医師によれば、もし今、日本人全員が検査を受けたら、今公表されている国内の感染者数の10倍になるのではないか?と言う。10倍の根拠はともかく、相当増えることは想像できる。

安倍首相は、「この1~2週間が感染拡大防止に極めて重要である」として、「全国的なスポーツ、文化イベント等については、今後2週間は中止・延期、または規模縮小等の対応を要請することといたします」と発表後、クラシック、ポップス等ジャンルを問わず、急遽、中止や延期の発表がされている。文化庁が直に連絡しているケースもあるようだ。ホールや国、市町村の施設主催とかだと「命令」に準じるものだろうし、芸能プロダクションも役所を気にして続行は難しいだろう。だが、こうした政府による実質的な「命令」は、一党独裁国家がやることだ。その基本を押さえていたいし、前述のとおり、ろくすっぽ、検査体制ができていないのに、「ここ1~2週間が重要」などとよく言えたものだと思う。

https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20200226-00164735/

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_09747.html

熊本の1例目女性、医療機関たらい回し 新型肺炎

https://this.kiji.is/604780893632513121

https://this.kiji.is/605007107422340193

2020年2月26日 (水)

北海道~イタリア~新型コロナウイルス

北海道というのが不思議だ。雪まつりでの感染というが、旅行客が多いことが関係するらしいが事情(経緯)は不明だろう。札幌、旭川、函館などの都市部だけでなく、富良野町、渡島、上川、根室、石狩、オホーツク、釧路と道内に広く拡大。感染経路が特定できないていないという。長野県、徳島県でも感染者が出た。

アジアだけなく欧米にも拡がっている。イタリアでは24日までに感染者は200人を超え、死者も6人。イタリア第2の都市ミラノがある北部ロンバルディア州では165人の感染が確認され、ミラノ「スカラ座」は3月一杯公演が中止。大聖堂(ドゥオーモ)も閉鎖された。

国内外のスポーツではJリーグ94試合延期。韓国 釜山で開催予定だった卓球世界選手権も延期。検討中とされるのが 野球の今後のオープン戦開、ラグビーの国内最高峰トップリーグの開催、そして3月8日が初日の大相撲春場所等々だ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200225-00000005-jij-eurp

道教委 全小中学校の休校を検討

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200226-00000001-hbcv-hok

【速報】北海道で新たに4人 感染者35人に 新型コロナウイルス

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200225-00010002-stv-hok

大相撲

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200225-00000009-tospoweb-spo

医師が医師をイジめるという愚かさ~そんなことやっている場合か

感染者対応した医師や看護師らが同僚らに「バイ菌」扱いとは信じられない

 ~そんなイジメをしている場合か~

日本災害医学会(東京)は22日、抗議する声明を発表した。それによると、新型コロナウイルスへの対応に従事した医師や看護師ら医療関係者が職場などで「バイ菌」扱いをされるなどの不当な扱いを受けている、という。

信じ難いことだ。恥さらしな日本人たち。

だったら「イジメているお前たちこそ、感染者に対面対応しろ、してみろ」、と言いたくなる。

日本災害医学会は、災害時の医療に携わる医師や看護師、研究者、組織などが参加している組織。今回の新型コロナウイルスに関しては、厚生労働省から要請を受けて、多くの会員らが災害派遣医療チーム(DMAT)として中国・武漢からの政府派遣チャーター機での帰国邦人への対応や、集団感染があったクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」などで医療行為に当たってきた。

そうした現場で医療活動に当たった会員やその家族らが、あろうことか、職場で「バイ菌」扱いされたり、子供の保育園・幼稚園から登園自粛を求められたり、ということが生じたという。また、職場管理者から現場で活動したことに対して謝罪を要求されたケースもあったという。

信じ難いことだ。イジメた側は非国民というべき。だいたい、そんなイジメをしている場合か。イジメている人間たちは危機意識が無さすぎる。「イジメている人間たちだって明日罹患するかもしれない」という現状を全く理解していない。今の事態は国難であり世界難なのだ。

同学会は、「悲鳴に近い悲しい報告が寄せられ、同じ医療者として看過できない行為。もはや人権問題ととらえるべき事態だ」と強く抗議。「偏見や先入観に基づく批判が行われることは決して許されない」と訴えている。

https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3912166.html

https://www.sankei.com/west/news/200222/wst2002220017-n1.html

2020年2月24日 (月)

マスクは他者への配慮

花粉症持ちにとってこの時期は、新型コロナに関わらずマスクは日常的なアイテムだ。加えて私は1年前にインフルエンザに罹患したこともあり、より慎重な心持ちでいたので、マスクは1月中旬の段階で ある程度ストックできていた。

マスクがウイルスという極微小なものには効果が無いことは知られている。それでも、無意識に口に手を持っていきがちという人間にとって、その防御の役割を果たすなど、着用する意味はそれなりに有るし、それ以上に、マスクの主要な役割は自己防衛ではなく、自分が発する咳やクシャミなどを空気中に拡散させないこと、他者に飛ばし付けることを排除、低減することにある。

すなわち、「マスクは自己への配慮というより、他者への配慮を目的としたアイテム」と言える。普段でさえ、電車内でマスクをしていない人が咳き込むと、よい感じはしないものだが、ましてやこの時期では、尚更そうだろう。ケンカ等のトラブルまで発生しているのはどうかとは思うが、それは敏感な人(気を付けている人)と鈍感な人(気にしない人)の温度差が広がっていることを意味する。

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昨今の状況では、「用心」はもはや個人の問題ではなく、各人が「社会的観点から気を付ける」というのはほとんど義務に等しくなりつつある、と言えると思う。

「マスクを買いたくても無い」という状況はある。薬や洗剤等の日用品をメインとする店やコンビニのほとんどが現状「マスクの今日の入荷はありません」のオンパレード。それでも気を付けていると、「あった」ということに出くわす。実際、数日前の某メトロ駅から徒歩5分ほどのセブンイレブンに3種合計7袋があったので、私は2袋購入してストックを補強しておいた。

少なくとも「どこかにないか、とマスクを探す努力」は、昨今においては、ほとんど各人の義務とさえ言えると思う。後になって「あのころは心配し過ぎていたね、と笑えるくらいがちょうど良い」のであって、楽観的過ぎることで大問題になるよりよほど良い。

徹底した予防体制、心配し過ぎるくらいの気配りは、リスクマネジメントのイロハのイである。一人ひとりが「自分に気を付けているぞ。他者にも配慮しているぞ、という姿勢を徹底すること」で、新型コロナウイルス撃退に向かいたいものだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200223-00000007-fminpo-l07

2020年2月19日 (水)

椿姫~大村博美さん

後日記載します。

2020年2月17日 (月)

ラ・ボエーム~鷲尾麻衣さん~甲府市

「ラ・ボエーム」in 甲府市~鷲尾麻衣さんのミミ、田尾下哲演出他について

「ラ・ボエーム」を観、聴くたびに「なんというオペラだろう」と思う。わずか2時間ほどの中に、多くの要素が織り込まれて展開する。第1幕の恋の芽生えから一転して全然別の賑やかな展開の第2幕。このオペラの核心にして白眉の第3幕。割と雑多な展開が、急激に悲劇に転じるエンディグの第4幕。最後はどう終わるかなど百も承知で、解りきっているのに、それでも毎回感涙を禁じ得ないエンディング。このファンタジーとシリアスが同居するデリケートなオペラには、仮に気に入らない演出がなされようとも、そんなものには全く動じない「強靭さ」も内在するのだ。

16日午後、甲府市のYCC県民文化ホール(山梨県立県民文化ホール)でプッチーニの「ラ・ボエーム」を観、聴いた。第1713回トヨタコミュニティコンサートin山梨という公演で、山梨交響楽団特別演奏会という公演でもある。

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聴きに行きたいと思った理由は鷲尾麻衣さんがミミ役を歌うから。2年前、水戸で行われたトヨタコミュニティコンサートの「ラ・ボエーム」は、三ツ橋敬子さん指揮の茨城交響楽団での演奏で、そのときもミミ役は鷲尾さんだったが、私は大学オケの同期会と重なり、その会での演奏の際の指揮と編曲も担っていたので、残念ながら水戸公演を聴けなかったから、今回を楽しみにしていた。なお、今回の公演で水戸公演と同じキャストは鷲尾さんの他、ムゼッタ役の高橋 維さん、マルチェッロ役の加耒 徹さん、ショナール役の近藤 圭さん。

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開始前、音楽監督の三枝成彰さん、山梨出身の作家 林 真理子さん、演出の田尾下 哲さんによるプレトークがあり、今回、田尾下さんが行うオペラにおける、いわゆる「読み替え」を中心に会話がなされた。

オペラ演出の「読み替え」は絶えず批判とリスクを伴いがちだ。オペラの演出は難しい。「オペラ演出家は歌手のレベルアップに追い付いていない」が私の見解。

とりわけ、シンプルさこそ作品が最も生かされると思える「ラ・ボエーム」の演出は、読み替え自体を拒否するかの自立性がドラマ自体に在る。

「ばらの騎士」で見事な成功を収めたホモキでさえ「ラ・ボエーム」では失敗していた。

では、今回の田尾下演出をどう感じたか、は下記順次述べたいが、読み替えの主な点をまず述べておくと、第3幕が終わり、第4幕に入る前、この間は(原作の3か月ではなく)5年間の空白があると設定し、マルチェッロは映画監督として、ロドルフォは脚本家として成功を収めており、映画「ミミ」を完成、上映させた、という挿入劇を入れたこと。

そして、それに関連して、第1幕冒頭に主要なメロディをオケが奏でる中、映画「ミミ」は完成したが、「これまで色々あったな」という感慨にふける中、第1幕が開始される、というもの。

これらの感想は後述する。

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歌手の皆さんについて

鷲尾麻衣さんにミミで今回はっきり気が付いたが、ストレートな歌声だけでなく、歌声自体に「はかなげ感」、哀愁感、寂しさ漂う要素がある、ということだ。ゆえに、ミミのイメージにとても合っていたる、と感じた。言うまでもなく美貌だし、その姿と演技もとても良かった。

とりわけ、第3幕での感情移入、第4幕での(ベッドではなく)ステージに長く横たわりながらの歌唱は、そんな姿勢からとはとても思えないほど、声がよく出ていて見事だった。

写真は終演後の楽屋前。終演直後ではバタバタして大変だろうと思い、だいぶ経ってから楽屋に行ったので、当然ながら既に軽装に着替えられてのツーショット写真。ここ10年ほどの鷲尾さんの「進化」は実に素晴らしい。

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ロドルフォ役の山本耕平さんが絶好調で、これまでガラコンサートでのアリア等、5回以上は聴いていて、必ずしも絶賛したくなるほどの印象は受けなかったのだが、私が拝聴した山本さんの中で、この日の内容が最高に良かった。美声にして、音響の良いとは言えない大ホールのステージにあっても、よく響く豊かな声量を披露されていて素敵だった。

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ムゼッタ役の高橋 維さんも絶好調。山本さん同様、数回聴かせていただいているが、今までの私の印象では、声がやや細く、表現しきれていない感じがした記憶があったが、この役はたぶん彼女を最も魅力的にアピールできる役だな、と思った。鮮やかな歌い回しの技術が冴え、演技も「成りきり感」が見事。第2幕素晴らしかったのは当然だが、第4幕でのミミへの友愛もよく感じさせるセリフと歌唱だった。終演後、楽屋近くで見かけたので、「ブラーヴァでした」と伝えた。

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ありがちなマルチェッロの役柄のイメージと違うような印象を受けた加耒 徹さん。加耒さんはたぶん10回前後拝聴していて、鷲尾さんに次いでたくさん聴かせていただいているが、加耒さんの個性と、マルチェッロの役のイメージが私の中では違っていたが、その違うという面白さが有り、かえってその普通な感じが芸術家を目指す青年というキャラクターをよく伝えていたと言える。

ショナール役の近藤 圭さんもこれまで数回拝聴してきたが、今回が一番感心した。とても良い声。

コルリーネ役の加藤宏隆さんは、第4幕の有名な「外套の歌」で威厳的風格だけでなく、高音が柔らかく素敵だった。

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オーケストラ等について

山梨交響楽団は初めて聴いたが、とても上手いオケ。全く申し分なかった。児童合唱も可愛らしかったし、よく歌っていて、とても良かった。

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演出について

第1幕の冒頭は先述のとおり、オリジナルにない「付け加え」により開始された。しかしこれだと、初めてこのオペラを観た人は、こういう美しくも回想的な音楽と設定で開始されるのか、と誤解するし、本来の冒頭の、起動的、躍動的な開始の斬新さが薄れるので、私は感心しなかった。

良かったのは第3幕。第3幕はこのオペラの核心にして白眉だが、この日の演奏も全体的に素晴らしく、演出もシンプルで美しかった。

第4幕での演出は最後がガッカリ。せっかくの悲劇的設定が、映画に関係した写真撮影(カメラフラッシュ)の多用により「邪魔」されてしまい、劇的要素が希薄になる感がした。

数年前に日生劇場で観た「フィデリオ」を思い出す。あれも(違う演出家だが)、それまではなかなか良い演出で進行して来たのに、最後の最後で子供っぽい設定がなされ、ガッカリしたし、実際、ブーイングも起きた。

この日のカーテンコールでは、なぜか三枝さんがステージに上がったが、肝心の田尾下さんは結局出て来なかった。拍手喝采で迎えられたか、それともブーイングが出たかは、結局判らないまま終わったのは残念だし、「ズルイ」と思う。オペラのカーテンコールで演出家が登場しなかったシーンは私はほとんど記憶が無い。

そうした「中途半端な演出」であっても、プッチーニによる音楽の魅力と原作の見事さに、いつもながら感涙を禁じ得ないラスト10数分ではあった。

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指揮:高井優希

演出:田尾下 哲 音楽監督:三枝成彰

ミミ:鷲尾麻衣

ムゼッタ:高橋 維

ロドルフォ:山本耕平

マルチェッロ:加耒 徹

ショナール:近藤 圭

コルリーネ: 加藤宏隆

ベノア&アルチンドロ:晴 雅彦

パルピニョール:根岸香苗

管弦楽:山梨交響楽団~ゲスト・コンサートミストレス:山下有紗

合唱:梨響コーラス

児童合唱:梨響ジュニアコーラス

合唱指導:依田 浩、雨宮由佳、根岸香苗

バンダ:山梨県立甲府第一高校応援団吹奏楽部

2020年2月14日 (金)

大槻孝志さん&小林由佳さん in HAKUJU

大槻孝志さん&小林由佳さん「コスモポリタンな音楽晩餐会」

14日(金)夜、テノールの大槻孝志さんとメゾソプラノの小林由佳さんによる「五感で愉しむ音Bistro♪~『コスモポリタンな音楽晩餐会』」と題されたコンサートをHAKUJUホールで聴いた。これは同ホール主催Hakujuサロン・コンサート-Vol.5-でもある。

素晴らしいコンサートだった。企画の素晴らしさと演奏の素晴らしさの完全合体。面白さ楽しさとハイレベルの合体。前半は2人がシェフ衣装で、「前菜~日本」、「副菜~ドイツ」、「主菜~イタリア」として、それぞれの国の合計12の歌曲が歌われ、2曲のピアノ曲が演奏された。ピアノは松本和将さん。

休憩に入る前は、「お口直しタイム」と題して、「後半は着替えるので、(この姿の)客席からの写真撮影OKです」とし、後半登場するヴァイオリンの上里はな子さんを加えた4人が用意したプレゼントを、4人がクジ引きして(席番号)当たった来場者にプレゼントするというコーナーが設けられた。これもユニークな設定の1つ。

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休憩後の後半は、ヴァイオリンの上里はな子さんが加わり、「各国ア・ラ・カルト」として<フランス>.<ロシア>、<スペイン&アルゼンチン>、<アメリカ>として、歌曲、ヴァイオリン曲等、合計11曲が演奏された。

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大槻さんの声は正統派テナーの美声だが、太さというか「芯」のある声が、詩の中身と融和して響き、客席に真っ直ぐに伝わってきて素晴らしい。ヴォルフでのドイツ語の発音の明瞭さ、リストでのイタリア語での温かさ、ドビュッシーとプーランクでのフランス語のニュアンス感の素晴らしさ。

迫力ある声量という点では、ラフマニノフの「歌うな、美しい人よ」が圧巻だった。この日の白眉と言える。

そして、どうしても歌いたかったという「ポル・ウナ・カベサ」では迫力だけでなく、「この歌が大好きでたまらないのです」という気持ちがストレートに伝わってきて感動的だった。歌われる前の、作曲者ガルデルに関しての解説も勉強になった。

曲での「発見」はラフマニノフの他、ドビュッシーの「星の夜」がとても気に入った。素敵な曲だ。

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何度も聴かせていただいている小林由佳さんは、メゾといっても明るいトーンで、ソプラノに近い印象をいつも受ける。なので、マスカーニの「アヴェ・マリア」では余裕の歌い回しだったし、「忘れな草」での最後のロングトーンは素晴らしく、大きな拍手が起きた。

私がこの日、由佳さんの歌で「最高」と感じたのは「グラナダ」。歌う前、由佳さんは「テノールとの(一緒の)コンサートで、私が歌うのもどうかと思いますが」と聴衆を笑わせたが、どうしてどうして、テナーソロにも負けない魅力的な歌唱だった。以前も拝聴したことがあり感心したが、今回はとりわけ見事だった。

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正規プログラム最後の「スマイル」の前、大槻さんから「チャップリン好きだ」として~私も大好き~チャップリンが社会問題を題材に映画を創ったこと、楽譜は読めなかったが、美しい音楽を作曲したこと等の紹介があったのが良かったし、演奏も、森田花央里さんのアレンジも含めて、とても良かった。

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ここで、「前菜」の日本語歌曲についても少し触れたい。前述では全く触れていないのには理由がある。今回も、大槻さん、小林さんという名歌手をもってしても、いや、優秀な歌手であるからこそ余計に感じたのは、「西洋の曲での発声により日本語歌曲歌うときの難しさ」というような事だ。違和感とまでは言わないが、聴いていてどうしても「難しそうだな」と感じてしまう。明瞭で朗々と歌う発声と、日本語の持つ内省的な質感との融合、というような点に難しい問題があるのかもしれない。この点に関しては、私自身、もっと勉強し、考えていきたい点でもある。

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ピアノの松本和将さんは久々に聴いたが、リズム感の素晴らしさと音量の充実度が素晴らしく、躍動感があって見事だった。ソロでは特に「リゴレット・パラフレーズ」での技巧冴えわたる圧巻だったし、「ポル・ウナ・カベサ」では、良い意味での「伴奏を超えた演奏」で大槻さんを引き立てたのだった。

ヴァイオリンの上里はな子さんは初めて聴いたが、端正にしてツボを押さえた立派な演奏だったし、とりわけ、「ポル・ウナ・カベサ」とアンコール「蘇州夜曲」での抒情性が良かった。

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そのアンコールは「コスモポリタン」を継続し、「蘇州夜曲」が4人全員で演奏された。演奏前には、大槻さんから李香蘭(山口淑子)さんとこの曲のことが紹介された。演奏は「しっとり感」と素晴らしく、森田花央里さんのアレンジも素敵だった。

こうして、ゴージャスにして盛りだくさんの、休憩含めて2時間30分近い、充実したコンサートが終わった。素晴らしかった。

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演奏曲

~前菜~ <日本>

1.おんがく~木下牧子作曲 詩=まど・みちお by 小林さん

2.竹とんぼに~木下牧子作曲 詩=岸田衿子 by 小林さん

3.川~信長貴富作曲 詩=谷川俊太郎 by 大槻さん

4.月の光に与えて~木下牧子作曲 詩=立原道造 by 大槻さん

~副菜~ <ドイツ>

5.シューマン歌曲集「ミルテの花 op.25より第9曲“ズライカの歌”

by 小林さん

6.シューマン「リートと歌」第2集op.51より第5曲“愛の歌”

by 小林さん

7.ピアノソロで シューマン「子供の情景」op.15より

第1曲“見知らぬ国と人びとから” by 松本さん

8.ヴォルフ「メーリケ詩集」より第9曲“つきることのない愛”

by 大槻さん

9.ヴォルフ「メーリケ詩集」より第36曲 “さようなら”

by 大槻さん

~主菜~ <イタリア>

  1. ピアノソロで リスト「リゴレット・パラフレーズ」

S.434 / R.267 by 松本さん

  1. マスカーニ「アヴェ・マリア」 by 小林さん
  2. ドナウディ「限りなく優雅な絵姿」 by 大槻さん
  3. デ・クルティス「忘れな草」 by 小林さん
  4. リスト「私はこの地上で天使の姿を見た」 by 大槻さん

~お口直しタイム~として、写真撮影自由の、

出演者4人が用意したプレゼント抽選コーナー

(休憩)

~各国ア・ラ・カルト~

<フランス>

  1. ヴァイオリンソロで マスネ「タイスの瞑想曲」 by 上里さん
  2. ドビュッシー「星の夜」 by 大槻さん
  3. サティ「あなたが欲しい(ジュ・トゥ・ヴ) by 小林さん
  4. プーランク「モンパルナス」 by 大槻さん
  5. プーランク(編曲=森田花央里)「愛の小径」

by 小林さん&上里さん

~<ロシア>

  1. ヴァイオリンソロでクライスラー「愛の悲しみ」by上里さん
  2. チャイコフスキー「6つの歌」op.6より

第6曲 “ただ憧れを知る者だけが” by 小林さん

  1. ラフマニノフ「6つの歌」op.4より

第4曲 “歌うな、美しい人よ” by 大槻さん

~<スペイン&アルゼンチン>

  1. ララ「グラナダ」by 小林さん
  2. ガルデル(編曲=森田花央里)

「ポル・ウナ・カベサ」 by 大槻さん&上里さん

~<アメリカ>

  1. チャップリン (編曲=森田花央里)

「スマイル」by 大槻さん&小林さん&上里さん

アンコール;蘇州夜曲~4人全員

2020年2月12日 (水)

税金を使った官僚の不倫は芸能人とは違う

東出氏の件は杏さんが可哀想。「5年の結婚生活中、3年間の浮気」というのは、浮気ではなくほぼ「本気」。

鈴木杏樹さんの件は、私を含む多くの男は「離婚をほのめかして女に近づく男は卑劣」と男を批判したくなるが、多くの女性の感想は違うようだ。いわく、「あんな甘言を信じるとはオメデタイ女だ。信じた女が悪いし、男性のセイにすることで、自分は逃げに転じている」と、やはり「女性は女性に厳しい」。なお、男性の妻、貴城けいさんは「杏樹さんを許さない」として心身衰弱で入院中。

この芸能人2組の件より、もっと呆れるのが、和泉洋人首相補佐官(66)と大坪寛子 厚労省大臣官房審議官(52)による公費でのデート。昨年夏、京都で山中伸弥教授を「恫喝」した後、ラブラブデートの様子を「文春」がすっぱ抜いた。さらに今回表沙汰になったのが、2018年の4回の海外出張(ミャンマー、インド、中国、フィリピン)の際に宿泊したホテルは、どこもお互いの部屋を自由に行き来できる「コネクティングルーム」に宿泊していたとのこと。

大坪氏は「和泉氏には体調不安があったので、医師として対応した」と子供じみた言い訳をしているが、京都も4回の海外も「出張」というよりは「不倫旅行」、少なくともそれを兼ね備えたものだった、と言える。先の芸能人2組と決定的に違う点は、その旅費、宿泊費の原資は国民の税金である、という点だ。2人の「老いらくの恋」のために国民は税金を払う気はない。

https://bunshun.jp/articles/-/33424

https://mainichi.jp/articles/20200211/k00/00m/010/010000c

安倍首相補佐官と厚労省女性幹部が公費で「京都不倫出張」

https://bunshun.jp/articles/-/18634

クルーズ船対応について

2月11日での私の感想

素人想像だけれど

クルーズ船に閉じ込めたままでは、かえって感染が万延するのではないか? そうなった場合、政府、日本国としても重大な責任問題となる。

違う対応策はないのか?と思う。

 

追記

斎藤美奈子さんもクルーズ船対応に疑問を呈している

東京新聞の毎週水曜日「本音のコラム」を書いている文芸評論家の斎藤美奈子さんは、政治や社会問題にも辛辣に言及する人なので、毎週楽しみにしているが、12日は「客船の2次災害」としてクルーズ船の対応に関して書いている。

「この国の人権に関する感度はこんなに鈍くていいのだろうか、と思わざるを得ない」と書き出し、「船内の劣悪な環境が明らかになるにつれ、疑問は膨らむばかりである。あれでは船内での感染がむしろ広がるのではないか。なぜすみやかに全員検査を実施しないのか(香港では同規模の船の検査が数日で終了したのに)。せめて必要な数の医師や看護師を船内に派遣すべきではないか。国内でも感染がはじまっている可能性が高い以上、水際作戦の効果はどこまで期待できるのか。いずれにしても、あれじゃ健康な乗員や乗客でも病気になりかねない。(中略)ここで日本ご自慢の「おもてなし」が発揮できれば評判は上がるのに現状は逆だ。国の底力は緊急時にこそ試されるのに」。

まったく同感だ。

 

 

追記

クルーズ船から下船したオーストラリア人2名が帰国後に陽性反応

陰性として下船した日本人の中から陽性に転じる人は出ない、という保障はどこにも無いと思う。

 

遡る追記

2月8日に私がフェイスブックに書いたこと

コロナウイルスは本当に脅威ではないのか?

ここ数日、どのTV局でも、解説者として登場する感染症に詳しい複数の医師が、異口同音に「SARSほどの感染力はなさそうなので、あまり心配しなくてよい」旨のコメントをされているが、果たして本当だろうか? 楽観的過ぎやしないか?と思う。その楽観的言及は、これまで日本人の死者が出ていなかったから、ということが潜在意識の中にあるからではなかろうか?

中国で、発生初期の段階から患者に接し、とうとうその33歳の医師自身が死亡してしまったことが、今、中国の人々に大きなショックを与えているが、この若い医師の死について、日本人の専門家らは軽視し過ぎていると思う。若い医師の死は、「高齢者が命にかかわりやすい」ということを事実として否定しているからだ。そして今回、とうとう日本人の死者が出た。事態は決して予断を許さない状況だと思う。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200208-00000025-asahi-soci

ミレッラ・フレーニさんを悼む

フレーニさん追悼

Verdi: Otello / Vickers · Freni · Karajan · Berliner Philharmoniker

https://www.youtube.com/watch?v=1_fJq5kItxg

 

フレーニさん追悼

Vissi d'arte - Mirella Freni, Tosca

https://www.youtube.com/watch?v=9QlnFR6PwrI

 

フレーニさんのミミ~カラヤンとのコンサート形式での歌唱

フレーニさんはある種絶対的なレベルでのミミ像を創り上げてしまった。それでも、たぶん彼女は「どう、こんな風に歌える?」などとは問わず、「若い皆さん、どんどん私を飛び越えて来て」と天国からエールを送っているかもしれない。

それにしても、そのハードルはあまりにも高い。合掌。

Mirella Freni: Mi chiamano Mimì (La Boheme, G.Puccini)

https://www.youtube.com/watch?v=GI5TovjByB0

 

フレーニ来日公演

Mirella Freni: Opera arias (Tokyo)

https://www.youtube.com/watch?v=rAbN5NW5eR0

 

La Boheme 2 - Mirella Freni sings "Si mi chiamano Mimi", Scala, 1965

https://www.youtube.com/watch?v=yTagFD_pkNo

 

2020年2月 8日 (土)

清水 梢さん&小倉貴久子さん~シューベルティアーデ

清水 梢さん&小倉貴久子さん~シューベルティアーデ in 横浜

~バロック的な声の響による瑞々しいシューベルト&温かなでアットホームなひととき~

バッハ・コレギウム・ジャパンの声楽メンバーで、ソリストとしても活躍中のソプラノ 清水 梢さんと、フォルテピアノの奏者として有名な小倉貴久子さんによる「SCHUBERTIADE in YOKOHAMA」と題したリサイタルを8日夜、横浜みなとみらい小ホールで聴いた。主催はシューベルティアーデ企画委員会。

演目は以下のとおりだが、全シューベルトといっても歌曲だけではなく、間に、小倉さんのソロのよる「即興曲」の4曲を織り交ぜ、また、朝岡聡さんのMC解説を交えてのものなので、休憩を含めて2時間30分近くに及ぶ充実した内容だった。

プログラムによると、きっかけは、小倉さんが2018年に銀座で、今回も使用するヨハン・ゲオルグ・グレーバーによる1820年製作のフォルテピアノを演奏するのを清水さんが聴いて感動し、温めていた企画だったとのこと。

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「シューベルティアーデ」とは言うまでもなく、シューベルトが友人たちを自宅に招いて開催していたサロン・コンサートのこと。最近は知らないが、以前は中学校の音楽の教科書などにも、シュヴァントという人が描いたシューベルティアーデの様子を伝える絵が掲載されていたから、「ああ、ああいう感じをコンセプトとして企画したコンサートなのだな」と想像していただけるかもしれない。

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まず、小倉さんの見事な演奏から書くと、即興曲第2番の流麗で瑞々しく弱音主体で流れる技術、第3番の「ああ、なんて良い曲だろう」と思わせてくれる端正にして入念な演奏、第4番の集中力等、ソロはもちろん、歌曲でも、歌手を引き立てながらの、丁寧で控え目ながらも淀みの無いアプローチによるサポートだったし、「さすらい人の夜の歌」での最後のフォルテピアノによる短い後奏は、弱音極まりない静謐さで見事だった。

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清水さんのバッハを含めたバロック曲、特に高音域での透明感ある伸びやかに広がる格調高いピュアな歌声は比類ないほど美しいが、彼女自身がプログラムの寄稿しているように、ドイツ歌曲自体、これまでほとんど歌ったことがなく、自身「不器用」として、バロック以外の曲に対応して発声を変えることに一定の期間を要するとされているし、歌曲という「詩」の内容を考え、フォルテピアノの響やニュアンスに対応するなど、今回の課題は多かったようだ。

なるほど、いわゆるオペラ歌手によるリートでの感情移入とはまた違った内容ではあったが、彼女のボーイソプラノにも似た清らかなトーンゆえ、大人のシューベルトというより、少年シューベルトが抱いたであろう恋心や信仰心を聴衆に想起させるようでユニークだったし、十分素敵な歌唱だった。

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仮に音程が完璧ではなく、ややハマり損ねた部分があるとして、オペラ歌手なら、ヴィブラートで(誤魔化すというのは不適切な表現にせよ)「調整」できることも多いと想像するが、彼女のトーンは元来ヴィブラートが皆無に近いほど少ないので、その「調整」が難しい。言い換えれば、温かさと清楚な歌声の裏側には、「逃げ」の効かない「一発勝負的なスリリングさ」も常に内在している、と言えるかもしれない。

聴く側のそうした想像力も、彼女を応援する気持ちに変換される、そういう要素と魅力を持つ歌手だと思う。

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清水さんのバロック的色彩のトーンは、ホールにいながら教会の空間を想像させもし、また同時に、彼女や小倉さんを応援する聴衆を交えた客席とステージが、さながら「シューベルティアーデ」のような温かでアットホームな雰囲気を終始保っていたことも、とても印象的だった。

厳寒の中の、とても心温まる素敵なコンサートだった。

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演奏曲

1.「秘めごと」 D.719

2.4つの即興曲より第1番 ハ短調 D.899

3.「月に寄せて」D.193

4.「野ばら」  D.257

5.「漁師の歌」 D.881

6.「臨終を告げる鐘」D.871

7.4つの即興曲より第2番 変ホ長調 D.899

8.「初めての喪失」 D.226

9.「糸を紡ぐグレートヒェン」 D.118

 (休憩)

  1. 4つの即興曲より第3番 変ト長調 D.899

11.「春に」 D.882

12.「あなたは憩い」 D.776

13.「ガニュメート」 D.544

  1. 4つの即興曲より第4番 変イ長調 D.899

15.「春の信仰」 D.686

16.「さすらい人の夜の歌」D.768

17.「音楽に寄せて」 D.547

アンコール「アヴェ・マリア」

https://www.mdf-ks.com/concerts/2020-2-8/

2020年2月 5日 (水)

ウイルスは国境を越えて

人はよく「スポーツに国境は無い」などと言うが、国際大会では各国の国旗がはためく。
人はよく「音楽に国境は無い」などと言うが、伊福部昭さんは逆説的にせよ、かつてこう述べた。
「音楽に国境はない、などと共通の美観があるように考えられているのは間違いだ。文化や芸術は民族によって違うけれど、民族の特殊性を通過して共通の人間性に到達しなければならない。そうなったものだけが芸術として残っているのだ、というのが自分の信念だ」。
毛利衛さんは宇宙船から地球を見て、「国境線は見えません」という感動的なコメントを発したが、残念ながら現実の国々においては、多くの国境線が歴然と在り、それがために戦争さえ起きる。
インターネットは、理論的、本質的には国境は無いはずだが、政治的理由などから人間自身が国境線を設定することもできる。
国境が無いことの例外的にして残念な現実として間違いなく言えることは、「ウイルスたちにとっては、人間界の国境など存在しない、意味をなさない」ということだ。
この国境線の無さこそ、人類にとって最強の敵と言える。

2020年2月 2日 (日)

NHK「SONGS」~鬼束ちひろさん~気取りを排した全身全霊という魅力

2月1日放送のNHK「SONGS」は鬼束ちひろさん。
2000年8月にリリースされた鬼束ちひろさんの「月光」は衝撃的な歌だった。
歌詞に「腐敗した世界」という言葉があること自体、前代未聞だったと思う。
かろうじてこれに近いインパクトの歌詞を幾つか挙げるなら、1968年にザ・タイガースが歌った「廃墟の鳩」にある「人はだれも悪いことを覚えすぎたこの世界」とか、中島みゆきさんによる1994年の「空と君のあいだに」にある「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」とかだが、それでも「腐敗」という単語のインパクトには及ばない。
クラシックだと、不協和音を連続させることで「音楽は美しい」に挑戦した「春の祭典」の登場を連想する。
あるいは、戦後間もない1946年、東京音楽学校(現・東京芸大)に赴任した伊福部昭さんが、学生だった黛敏郎や芥川也寸志らを前にして、「定評のある美しか認めない人を私は軽蔑する」というアンドレ・ジイドの言葉引用して、独自の美学、音楽論を展開されたという逸話を連想させる。「既存概念の否定」という挑発、挑戦。

「月光」は単語だけでなく、歌全体としてもとても難しい。私はとても歌えない。
カラオケが好きな女優の吉田羊さんは「月光」を歌うとき「全身全霊で歌う」という。吉田さんの「月光」も一度ぜひ聴いてみたい。
そして、いみじくも吉田羊さんが言うこの「全身全霊」こそ、鬼束ちひろさんにおける重要なキーワードだろう。実際、今回の番組のインタビューの中でも「全開全力」という言葉とともに「全身全霊」という言葉も出てきた。
鬼束さんの歌は小手先、口先では歌えない歌だ。小賢しい表面的な繕いや、皮相な技巧では表現できない歌。魂から歌いあげることでしか表現できない歌。気取りを排し、飾らずに全てを晒(さら)すことでしか表現できない歌。そういう「全身全霊」が求められる歌。
それが鬼束ちひろさんの歌であり、それが彼女の魅力なのだと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=iyw6-KVmgow

参考~「廃墟の鳩」
https://www.youtube.com/watch?v=XAurvAW_zHs

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