« 2019年12月 | トップページ | 2020年2月 »

2020年1月24日 (金)

逃げる国会議員たち~真に問われているのは有権者

逃げる国会議員とは何か?~真に問われているのは有権者だ。

1.杉田水脈(みお)議員

「それなら結婚しなくていい」。衆院代表質問で、国民民主党の玉木雄一郎氏が選択的夫婦別姓に関する質問を投じている際に、そうジャったという。保守的な考えの人もいるだろうし、それも1つの意見なのだから、マイクを向けられたら「私の信念に基づいてヤジった」と堂々と言えばよいし、ヤジってないなら、「私はではありません」と完全否定すればよいだけのこと。

いずれもしないで、逃げ回る国会議員とは何だろう? 感情任せにヤジり、追及されると逃げる無責任さ、信念の無さ、覚悟の無さ。

それ自体、この1点においてだけでも、国会議員としての存在意義は無い。

2.河合夫妻

河井案里議員に公職選挙法違反の嫌疑がかかった直後の10月から12月まで、同件で法務大臣を辞任した夫の克行議員とともに国会を欠席。雲隠れの術。不就労=給与泥棒。

杉田議員にしても、河合夫妻にしても、その報酬(給与)の原資は、言うまでもなく私達の税金だ。係る議員は論外だが、問題は、国民の代表に値しない、こうした問題児たちを国会に送ってしまう有権者たちだ。真に問題ありは有権者である。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200123-00000057-asahi-pol

2020年1月21日 (火)

高価な楽器という神話~TBS番組イタリア人職人VS日本人職人~アーヨさんも評価

昨年の番組で、長野県松本市のヴァイオリン製作者 井筒信一さんの楽器が、クレモナ産のヴァイオリンに評価勝ちして話題になったが、同じ趣向のTBSの番組として1月20日夜、「メイドインジャパン!イタリアVS日本代表!!本場と炎の三番勝負」と題されて、ワイン、ヴァイオリン、ピザの3つにおいて、それぞれイタリア人職人による商品(製品)と日本人職人製作によるものの「対決」番組が放送された。
どちらがイタリアもの日本もの、ということを伏せて、6人のイタリア人が品定めし、より良いと思ったほうに1票投じる、という内容。
最初はワインで、イタリアワインに4票、山梨県産赤ワインは2票で負けたものの、日本産に投じた2人はイタリア人ソムリエだった。6人に共通していたのは山梨産はまろやかで飲みやすい、イタリア産は苦みのあるコク(たぶんツウ好みという感じ)だったかと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・
そして、次はヴァイオリン。
日本代表は前回と同じく松本市に工房を構える職人=井筒信一さんの楽器で200万円のもの。「対戦相手」はなんと、サンタ・チェチーリア音楽院に厳重に保管され、保管だけでなく、演奏でも使われている現役というストラディバリウス。10億円とのこと。10億円のストラディバリウス対200万円の井筒さん製作の楽器による「対決」だ。それ自体、井筒さんは感激していた。
・・・・・・・・・・・・・・・
さて、視聴者にも伏せられて演奏された楽器だが、私は最初に演奏されたものは輝かしい音でソリスト好み的、と感じ、後のモノは音の芯にブレが無く、品とバランスが良いので、合奏向きかな、と感じた。
6人に共通していた感想も、最初のは強く輝かしく躍動感があり、後のは、芯がありバランスが良く、中音域と低音域でも優れている、という言及だったと思う。
答えは最初のが井筒さん製作。後のがストラディバリウス。結果的には4票:2票でストラドに軍配が味がったが、ゲストの芸能人たちは2票入ったことを絶賛し、何より、井筒さん自身が「ストラディバリウスと競えること自体に感激」した上に2票も入ったことに大満足されていた。
・・・・・・・・・・・・・
しかも、この井筒さんが獲得した2票だが、一人は80代のプロ奏者でアーヨさんと名乗っていたから、あの元イ・ムジチのフェリックス・アーヨさんだと思う。サンタ・チェチーリアで教えていたこともあるから、間違いないと思う。アーヨさんは井筒製とは知らず「素晴らしい楽器だ」と絶賛して選んだ。ストラドではなく。ちなみにもう一人は40代の妊婦さんで、「(最初の楽器が奏されると)お腹の子が喜んだの」と言ったのも印象的な言及(評価)だった。
ちなみに私事だし、値段のランクが違って申し訳ないが、1年位前に池袋の楽器店で、300万円のヴァイオリンと80万円のヴァイオリンを試し弾きさせていただいたことがあったが、私が気に入ったのは値段とか関係なく、80万円のほうだった。
・・・・・・・・・・・・・・・
高価だから良い楽器、かどうかは別問題、ということ。というか、結局「相性」だ。好みの問題。聴く側としては音色や質感等が重要だし、弾き手としては、それに加えて、フィット感や反応等の気に入り度=相性が肝心で重要な判断基準となる。私が自分で持ってみて、弓で弾いて、音色も含めて気に入ったのは300万円のヴァイオリンではなく、80万円のものだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
もちろん、一般論で言っても、やはり、ストラディバリウスやガルネリウスは素晴らしいと思う。けれど、それを誰が(どういうレベルで)弾くか、とか、どういう響のホールで弾くか、どういう曲を弾くか等々で、一概には単純には言えない微妙な問題(受け止める側の評価の違い)が生じるだろうことは言うまでもないし、それこそが楽器と奏者と音楽における相関関係の「妙」だし、それこそが音楽の不思議であり素晴らしさだ、と思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみに、3品目のピザでは、5:1でナポリの職人に軍配。でも、金沢のはナント冷凍ピザで、これには等のナポリ職人も驚いていた。これはワインもヴァイオリンも同じで、「勝った」とはいえ、イタリア人製作(保管)者たちも、「日本産」をとても褒めていた。
https://www.youtube.com/watch?v=FiyYmk1985g

https://izutsu-violin.com/

2020年1月19日 (日)

栗原恵さんが過去の病気を告白~驚いたけど回復して良かった

昨年現役を引退した元バレーボール選手の栗原恵さんがTV「ジャンクSPORTS」に出演し、20169月から「体調不良」として同年内を休んだ真相を初公表した。

病名は「脳血栓」。通院が遅かったら命にかかわることになっていたという。初めて知った。驚いた。

当時、栗原さんは32歳。年齢的にも即引退してもおかしくはない重い病気のため、チームにも迷惑を掛けると思った栗原さんは引退することを決断。「給料泥棒だなと思っていたので、早く解雇してくださいとお願いしたんですけど、『来年頑張ってくれればいいよ』と言われて、その言葉がすごく支えになりました」と明かした。

入院から4ヵ月後の20171月、栗原さんは病に打ち勝ち、コートに復帰。当時のことを「信じられなかったです。本当にまたコートに立つ日が来るとは思わなかったし、こんなに順調に復帰できるとも自分は正直思ってなかった」。

栗原さんの担当医だった水戸協同病院の医師は、栗原さんの復帰について「(ここまで復帰するという例は)ないと思います。まず文献もないし、世界でもないと思います」。

メグちゃんの新しい人生に幸多からんことを祈る。

祝 早田ひな選手

早田ひな選手(19歳=日本生命)選手が「天皇杯・皇后杯 2020年全日本卓球選手権大会」で初優勝。
五輪に選ばれなくとも、選ばれた伊藤美誠、石川佳純の両選手に勝利しての初優勝。

2020年1月13日 (月)

歌劇「紅天女」が投げかけるもの~ごった煮のエンタ性の成功作品

1月13日午後、オーチャードホールで日本オペラ協会公演の歌劇「紅天女」を観た。スーパーオペラ~ガラスの仮面より~とするこの新作オペラは、漫画家の美内すずえさん原作のコミック「ガラスの仮面」の作中劇「紅天女」をオペラ化したもので、主催する日本オペラ協会の役員でもある歌手の郡愛子さんが、美内さんにオペラ化の企画を持ち掛け、了承を得て自らが総監督として臨んだ作品で、寺嶋民哉さんが作曲した。

11日から15日までの下記のダブルキャストによる5日連続公演。全三幕合計3時間を要する作品だが、この日のホールはほぼ満席で、関心の強さが見てとれた。指揮は園田隆一郎さん。管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。

・・・・・・・・・・・

石笛や二十五絃箏といった和楽器が色々な場面で効果的に使われるが、ハープ、グロッケンシュピール等の特殊楽器やコールアングレを含む西洋楽器たるオーケストラでも、金管の咆哮も含めて存分に演奏される曲。日本音階と西洋音階。歌舞伎的要素もあるかと思えば、オペラとしての楷書的なアリアもしっかりあるが、それだけでなく、場面によってはミュージカル的な解放感ある歌い回しの曲が印象的に歌われる。要するに「ごった煮」の徹底だけれども、では「失敗しているか?」と問われるなら、「成功している」。結果的に、これはこれまでの日本作曲家による多くの新作オペラへのアンチテーゼと言えるかもしれない。作曲した寺嶋さんはそんなことは思っていないだろうけれど。

これまで、日本オペラ協会は、能・歌舞伎などの古典芸能や近現代文学をモティーフとした50以上のオペラを創出してきたといい、私はその全部を知っているわけではないけれど、この「紅天女」は観る者、聴く者の心を確実につかむ作品だと確信する。

物語の展開(進行)は時代的要素と、時空を超えた要素が交差する難しさもあるので、進行自体は洗練されていないかもしれない。しかし、歌とオケの力がそれをカヴァーする。この作品の成功は出演者の全ての力演の賜物である。2人の主演者については後述する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本人作曲家によるオペラの潮流(傾向)には2つに分かれている感がある。1つは、妙に深刻ぶった難解な物語設定をし、自分の作曲技巧を自己満足的に、独善的に提示したいがために、オケパートも歌パートにも、無調性の中にムリヤリ日本語を押し込め難所を散りばめるだけで、結局何を表したいのか理解できない新作オペラ。

もう1つは、それとは全く逆に、あっけらかんとした調性西洋音階の中、甘ったるい童謡のような歌が連続するだけの、ひどく幼稚な新作オペラ。その2つに。

また、いずれも場合の共通した難しさとしては、西洋音階にしても、日本音階にしても、その中に日本語を当てはめていく際の不自然さを、如何にクリアさせるか、より自然な口語に近い発音として成立されるか、という点がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし、今回、この「紅天女」は、和洋折衷ではありながらも、これらについて、1つの解答を提示したように思う。楽器も調性も、気取って難解を装うことなどせず、ボヤかすことなく、堂々と場面ごとにいずれかの要素を出す。アリアにしても、先述のとおり、いわゆるオペラ的なアリアに加え、場面によっては、ほとんどミュージカルナンバーを想わせるような解放感ある曲想を用いることで、これまでの和製オペラの難点であった日本語による歌物語を自然な音楽として提示することに成功したのだ。

・・・・・・・・・・・・

過去の多くの和製オペラに無かった、あるいは多分それを敢えて否定してきた「エンタ性」がこの作品にはあり、それこそが、この作品の大衆性とそれによる成功を決定付けている。

聴衆に媚びを売る、というのではない、その必要もない。しかし、聴衆を置き去りにしていく作品では後世に残るはずはない。これまでの多くの和製オペラは「聴衆を遠ざけるほどに置き去りにしてきた」そういう作品が多いように思う。実際、ここ20年内に作曲された創作オペラで、再演された作品がいくつあるのか?ごく少数に限定されているはずだ。

オペラは芸術であると言う以前に、エンターテインメントである、という大前提を忘れた現代オペラが多すぎる感がある。

・・・・・・・・・・・・・・

聴衆を甘く見てはいけない。媚びとは無縁の、真に製作者と演奏者の誠実さから生み出されるエンタ性、大衆性を、聴衆は「本物」として感じとり、受け入れることはできるのだ。

この「紅天女」は正に真の意味での大衆性、エンタ性を有した秀作である。久しぶりの「これからも何度も観たい聴きたい和製オペラ」に出会えた、そういう喜びと感慨を覚える作品である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

作曲した寺嶋民哉さんは初めて知った人だが、石笛の効果的に用いた点や、弦を薄い音で、まるで笙のように和風に響かせたかと思うと、金管と打楽器をふんだんに奏させもするし、コールアングレやファゴットで印象的な旋律を歌わせるなど、大した力量で驚いた。こんなに力量ある作曲家がいたとは知らなかった。今後も楽しみにしたい。

・・・・・・・・・・・・・

仏師・一真を歌われた山本康寛さんは、偶然最近面識を得る機会があったが、歌声は初めての拝聴だと思う。明るいトーンで、声量と情感豊かに歌う正統派テナー、という感じがして素晴らしかった。これからも何度も聴きたいテナーだと、魅了された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

主役である紅天女と阿古夜を歌い演じた小林沙羅さんは、これまで多くの新作日本歌曲やオペラを歌ってきた。中村裕美さんの歌曲。千住明さんや三枝成彰さん、二宮玲子さんのオペラ等々。それだけに、今回の役は正に適役だし、現時点での、これまで出演された和製オペラの集大成的な完成度で聴かせてくれた。どう褒めても褒め足りない。

紅天女と阿古夜では、それぞれにおいてトーンを変えていたし、それぞれに複数ある長大なアリアも、「完全に自分の歌」として堂々と歌い演じ終えた。その力量にあらためて感服する。

沙羅さんと親しくさせていただいていることを、この日ほど誇らしく思えた事はない。日本のクラシック界におけるスター街道を走っている感は既にあるが、私にとっても沙羅さんは大スターだ。

なお、会場では指揮者の井上道義さんと沙羅さんのお父様を見かけた。これはいつものこと。

・・・・・・・・・・・

他の出演者も本当に総じて良かったが、主役以外のアリアで心に残ったのは、第三幕で伊賀の局=この日はメゾの丹呉由利子さんが「行かないで、あなた」と歌うアリア。

・・・・・・・・・・・・・・・

指揮者の園田さんと東京フィルに大きな拍手を送りたい。

馬場紀雄さんの演出も、オペラとしては狭いステージを効率的に、色彩の妙を巧みに使って素敵な演出をされていた。さとうさぶろうさんによる衣装は特に紅天女における数種の衣装が美しかった。

とにかく、今後も何度も観たい聴きたい新作オペラだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

原作・脚本・監修:美内すずえ

作曲:寺嶋民哉

総監督:郡 愛子

演出:馬場紀雄

特別演出振付:梅若実玄祥

・・・・・・・・・・・・・・・

出演

指揮:園田隆一郎

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

合唱:日本オペラ協会

石笛:横澤 和也

二十五弦筝:中井 智弥

ソリスト

       1月11日、13日15日/ 12日、14日

阿古夜×紅天女 : 小林 沙羅  /  笠松 はる

仏師・一真   : 山本 康寛  /  海道 弘昭

帝        : 杉尾 真吾  /  山田 大智

伊賀の局    : 丹呉由利子  /  長島 由佳

楠木正義    : 岡  昭宏  /  金沢  平

藤原照房    : 渡辺  康  /  前川 健生

長老       : 三浦 克次  /  中村  靖

お豊       : 松原 広美  /  きのしたひろこ

楠木正勝    : 斎木 智弥  /  曽我 雄一

こだま     : 飯嶋 幸子  /  栗林瑛利子

しじま     : 古澤真紀子  /  杉山 由紀

お頭      : 普久原武学  /  龍 進一郎

お滝      : 鈴木美也子  /  佐藤 恵利

久蔵(旅芸人)  : 馬場 大輝  /  望月 一平

権左(旅芸人)  : 嶋田 言一  /  脇坂  和

クズマ     : 照屋 篤紀  /  清水  実

https://www.jof.or.jp/performance/nrml/2001_kurenai.html

2020年1月11日 (土)

アウローラ管弦楽団の「アレクサンドル・ネフスキー」

比較的最近まで、プロコフィエフが嫌いだったが、今は結構好き。嫌いな時期にも、例外的に関心がある曲が幾つかあったが、カンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」はその1つで、CDだけでなく、スコアも持っている。

今日11日午後、すみだトリフォニーホールで、アウローラ管弦楽団の第22回定期演奏会を聴いた。指揮は田部井 剛さん。プログラムは、その「アレクサンドル・ネフスキー」とチャイコフスキーの交響曲第4番。

・・・・・・・・・・・・・

オケは2009年に結成され、以来、ロシア音楽を中心に活動するというユニークなコンセプトを持つ。もっとも、他にもロシアものを主体とするアマオケはあるけれども。このオケを聴くのは2回目で、以前は2013年に、タネーエフという作曲家の小品と、マーラーの「大地の歌」を演奏したコンサートを聴いた。

・・・・・・・・・・・・・・・

合唱団は2002年に結成された混声合唱団コール・ミレニアム。この合唱団の拝聴も2回目で、前回は、昨年7月に杉並公会堂でバッハのロ短調ミサを演奏したのを聴き、とても良かった旨、ブログにも書いた。各パートの人数バランスが~前回同様~比較的良い合唱団で、今回はソプラノが29名、アルトが24名、テノールが16名、バスが21名。

・・・・・・・・・・・・・・・

「アレクサンドル・ネフスキー」を生で聴いたのは初めてなので、とても楽しめた。ただ、ロシア語という難しい問題が合唱団には存在していた。私はロシア語での歌は、「ヴォルガの舟歌」を少し勉強したことがあるくらいで、合唱で歌ったことはないから事情はよく解らないが、特に前半では、ロシア語にしては発声(発音)が「浅くて薄い」感じがした。しかし、終曲での合唱は~不明瞭感は残りながらも~全体として高揚感のある、壮大、雄大で、いかにもロシア的な雰囲気がよく出ていたと思う。

・・・・・・・・・・・・

この曲、この演奏をミューザ川崎で聴きたかった。ミューザ川崎だったら、もっと合唱の響が客席に届いただろうな、と、想像する。この点は残念だった。

オケも含めて、すみだトリフォニーは音響的に問題がある。たぶん、天井が比較的低いことが関係しているのかもしれない。ステージ上はともかく、客席まで音がストレートに向かってくる、という感じがあまりしない。

私は某合唱団在籍時代、このホールのステージで歌ったこともあるが、狭いし、音響的にも感心しなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・

メゾのソロは平井淳子さんで、平井さんを聴くのは久しぶりだけれど、ロシア語的な陰影と彫琢ある深い声でとても良かった。また、登場の際に、ステージを暗くして、指揮者横に着いたときにスポットライトを当てる、という演出がオペラチックでとても良かった。

・・・・・・・・・・・・・

それにしてもユニークな曲。プロコフィエフ独特のトーンとオーケストレーション。特に打楽器の活躍する迫力あるバーバリズムは面白い。プロコフィエフ作品の中でも、とりわけ異色な傑作だと思う。

お疲れ様でした。

なお、所用のため。後半のチャイコフスキーは聴かずに会場を後にさせていただいた。

ゴーン会見を見た某ご家庭での会話~ある想像

お母様が子供に一言

「ああいう大人になったらダメだからね」

2020年1月10日 (金)

佐藤優子さんリサイタルだけどオペラ~圧巻の「ルチア」

先月5日、紀尾井ホールでの砂川涼子さんのリサイタルにおける「アンコール」は、バリトンの上江隼人さんとのデュオにより、ヴェルディの「椿姫」第二幕第一場のヴィオレッタとジェルモンの二重唱が歌われ、およそ「アンコール」と言うより、ステージ第三部と言える様な、まるで本当のオペラの一場面を見るかのような充実した内容と企画で、大いに驚き、感動したのだった。

1月10日夜、同じく紀尾井ホールで開催されたソプラノ歌手 佐藤優子さんのリサイタルでは、前半は歌曲をソロで歌う、普通のスタイルだったが、休憩後の後半第2部では、テノールの古橋郷平さんと、バリトンの上江隼人さんをゲストに招き、ドニゼッティのオペラ「ランメルモールのルチア」が抜粋のかたちで上演された。

そう、これはもう「リサイタル」というより、「ミニオペラ公演」と言ってよい内容で、素敵な企画だったし、極めて充実した圧巻と言える内容だった。

偶然であるにしても、先月の砂川涼子さんといい、今回の佐藤優子さんといい、もしかしたら今後も、こうした、単独ソロだけではない、ミニオペラ公演的な要素も加え持ったリサイタルが増えていくかもしれない、そう感じさせる連続したリサイタルだった。

・・・・・・・・・・・

佐藤優子さんは2016年1月からイタリア・ヴェローナに留学中で、この日は、その留学のきっかけである「五島記念文化賞オペラ新人賞研修成果発表」としてのリサイタル。たぶん彼女自身、初のソロリサイタルだと思う。

ピアノは服部容子さんで、終始素晴らしい流麗な技術と、エレガントで温かなトーンで本公演を支えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

演奏曲は以下のとおりだが、度胸の良さはいつもながらで、とても初リサイタルとは思えない感じで、少なくとも見た目では、まったく緊張もしていない(アガってなどいない)ような 堂々たるステージだった。

佐藤さんの強みは、声のコントロールの見事さにあると思う。曖昧さの皆無な巧みなコロラトゥーラ技巧。前半の8つの歌曲中、6つはそうした要素の歌だったが、もっとも私は、そうした彼女の「強み」は承知しているし、昨年8月の「二期会サマーコンサート」で聴いたときに、留学前にも一段とパワーアップした力量を確認できていたので、今回はむしろ、前半では2つの抒情的な歌、ドニゼッティの「一滴の涙」と、ヴェルディの「私は安らぎを失い」での感情移入、しっとり感にこそ感じ入ったのだった。佐藤さんの新しい面を発見した気分になった。

・・・・・・・・・・・・・・・・

後半は冒頭に記載したとおり、佐藤さんのほか、賛助出演として2人の歌手が加わっての「ルチア」の抜粋公演。ルチアが佐藤さん、エドガルドが古橋郷平さん、エンリーコが上江隼人さん。

演出・構成は十川 稔さんで、紀尾井ホールのステージ正面奥を、主に照明による色彩や抽象的な絵柄、あるいは月の画像~偶然、ホールに向かうこの夜は完全なまでの満月だった!~といった、シンプルにして印象的な、好感の持てる演出がなされた。

・・・・・・・・・・・・・・

テノールの古橋郷平さんは、先月の合唱団 鯨の定演で、ベートーヴェンのハ長調ミサのソロを歌っていただいたばかり。バリトンの上江隼人さんは、先述のとおり、先月の砂川涼子さんとのデュオや、今月3日のNHKニューイヤーオペラコンサートでも、テレビでだが、充実の歌声を拝聴したばかり。

古橋さんの声は、エドガルドという役柄にとても似合うと思った。素晴らしかった。上江さんの充実感も見事。

・・・・・・・・・・・・・・・・

そして何と言っても佐藤さんのルチアは実に見事で、特に最後の有名な、長大な難曲の「狂乱のアリア」が圧巻の充実した名唱で、盛大な拍手と歓声を受けた。

全員でのカーテンコール後に、初めてマイクを握り、挨拶したが、それも落ち着いて、とても立派だった。素晴らしい初リサイタルを心から祝いたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・

終演後のロビーには佐藤さんだけでなく、上江さんも出て来られたので。私は「先日の砂川さんとのアンコールのデュオも感動しました」と伝えて、挨拶した。

古橋さんは楽屋にいらっしゃるようだったので、「Staff Only」というドアにかかる掲示を軽く無視して入り、「先日、合唱団 鯨でお世話になった伊藤です。エドガルドのイメージと古橋さんの声がピタリと合う感じで素晴らしかったです」と伝え、挨拶してから帰途に着いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

演奏曲

第1部

1.ロッシーニ「約束」

2.ロッシーニ「フィレンツェの花売り娘」

3.ベッリーニ「マリコーニア、優しい妖精よ」

4.ベッリーニ「私の偶像よ」

5.ドニゼッティ「ジプシーの女」

6.ドニゼッティ「一滴の涙」

7.ヴェルディ「私は安らぎを失い」

8.ヴェルディ「ストルネッロ」

 (休憩)

第2部

ドニゼッティ オペラ『ランメルモールのルチア』抜粋~演出・構成=十川 稔

~ルチア=佐藤優子、エドガルド=古橋郷平、エンリーコ=上江隼人~

1.「静かなる夜…昔この泉で」 by 佐藤さん

2.「ルチア、すまない このような時間に」 by 佐藤さん&古橋さん

3.ピアノソロで、リスト作曲「ルチアの主題によるワルツ」

4.「こちらへ来なさい、ルチア」 by 佐藤さん&上江さん

5.「恐ろしい夜だ、私の運命のように!」 by 古橋さん&上江さん

6.「あの方の優しい声がこの胸に響き」(狂乱のアリア) by 佐藤さ

2020年1月 3日 (金)

CD1曲目で掴む~砂川涼子さん「ベルカント」と小林沙羅さん「日本の詩」

歌手、器楽奏者等を問わず、音楽家としてCDをリリースする場合、全体の選曲(コンセプト)だけでなく、1曲目と最後に何を持ってくるか、は、とりわけ重大な検討を要することに違いない、と想像する。
砂川涼子さん待望のファーストアルバム「ベルカント」と、小林沙羅さんのサードアルバム「日本の詩(うた)」は、2人が得意とする選曲と充実度であり、それぞれにおいて、1曲目から既にリリースの成功を確信させるに足る素晴らしい歌唱を聴かせてくれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
砂川さんの1曲目は、プッチーニ歌劇「ラ・ボエーム」の「あなたの愛の呼ぶ声に」。次の「私の名はミミ」とともに2曲を聴いて私が思う事は、砂川さんは「現代最高のミミ歌いだ」ということ。
敢えてワンオブを付けないでおきたいし、「日本人で」という形容詞も、あまり意味をなさないかもしれない。おそらく、世界でもごく数人に限定されるレベルのミミだと思う。
凛とした麗しさと感情移入。歌声の響の美しさと技術の完成度の高さ。哀愁感あるドラマ性と気品。正に第一級の歌手。

 

アルバム中、得意のリューのアリアに加え、比較的珍しいヴィヴァルディの曲や、ドナウディの3曲、オッフェンバック「ホフマン物語」から「キジは逃げた」という個性的な選曲が続き、ヴォルフ=フェラーリの「さようなら、愛しのヴェネツィア」での圧巻のロングトーンで締めくくっている。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

小林沙羅さんの日本歌曲や現代曲の歌唱は既に定評があり、その象徴ともいえる1曲目は武満徹の「小さな空」。多くの合唱団が歌い~私も歌ったことがある~ソリストもソプラノを中心に多くの歌手がリサイタルで歌い、録音も複数あるが、これほど見事なソロによる「小さな空」はほとんど記憶がない。
砂川さんのミミ、小林さんの武満。正に「掴(つか)みは十分過ぎるほどOK」という第1曲=アルバムの開始だ。

 

沙羅さんの選曲も意欲的なもので、盟友 中村裕美さん作曲の「或る夜のこころ」、ラストには、沙羅さんがこのアルバムのために谷川俊太郎さんに作詩を委嘱し、沙羅さん自身が作曲した「ひとりから」で締めくくっている。沙羅さんの作曲の才能も素晴らしい。

 

宮城道雄の選曲も個性的だが、私がとりわけ嬉しいのは武満最高の歌の名曲「死んだ男の残したもには」が収録されたこと。ソロではテナーやバリトンなど、男性歌手がよく歌い、録音も複数あるが、女性歌手は~内容的にメッセージ性が強いためか~あまり歌っていない様に思える。しかし、これを歌い、録音するところが、沙羅さんの沙羅さんたる所以(ゆえん)だ。轟 千尋さんによる編曲も「小さな空」同様、原曲に良さをそのまま伝えることに徹して余計なことを排したシンプルな編曲な点が良い。

 

ほか、山田耕筰や瀧 廉太郎等のポピュラーな曲もあるが、沙羅さんの曽祖父の詩人 林 柳波の詩による「うみ」~あの有名な「うみはひろいな大きな」で始まる歌~や、「お六娘」という面白い曲(作曲は橋本国彦)が聴ける。

 

「或る夜のこころ」、「死んだ男の残したものは」、そして自作の「ひとりから」を最後の3曲に置いて歌い録音されたこのアルバムは、20代のころ以上のエスプレッシーヴォと言える情感豊かに聴く人を魅了する感情移入と、全体のフォルムの安定感に満ち、成長著しい沙羅さんの今が十分堪能できて素晴らしく、見事としか言い様が無い。強く推薦したいサードアルバムCDだ。

 

2020年1月 1日 (水)

カルロス・ゴーン~国外逃亡犯としての罪人

後日記載します。

飲食店も元日くらい休業すればよい

そういう機運がここ1~2年で現実として広がってきた。

良いことだと思う。

もっとも、某駅近くのコメダ珈琲店は年中無休で開いていたので、つい入ってしまった。

単独の若者や親子連れを中心にほぼ満員。


セブンイレブンがもめているように、コンビニだって元日くらい閉めればよい、と思う。でも、開いていると、つい入ってしまうが。消費者心理の微妙な感情の現実。


なお、ラーメンの幸楽苑は、12月31日の朝日新聞に1ページを使い、「0億円事件」と題して次のような文面を掲載した。強く支持したい。(以下、要旨抜粋)


「年末年始は毎年約2億円の売り上げがあるので、本来はカキ入れ時。しかし、昨年、創業以来初めて、社員に正月を家族と過ごしてもらいたく、全店休業にしました。「2億円事件」。しかし、年間を通せば2億円マイナスになるわけでもないので「0億円事件」。一般的に企業経営者は、売り上げを追い求めるので、どうしても社員より売り上げ優先になります。当社は(秋の)台風で工場が被災し、月の売り上げの30%を失ったが、これを年末年始で取り戻そうとは思いません。みんなが休み日に働いて競争する中、年中無休や24時間営業が当たり前になってしまいました。しかし、これからは働く人の満足度を競う時代になると思います。サービス業の人々だって、「みんなが休む日」の「みんな」になってよいはずです。大切なことは(こうした取り組みを)続けること。続けることで、社会は少しずつ変わっていく。どうか日ごろご愛顧くださっているお客様、株主様にもご理解いただければ、嬉しい限りです」

 

NHK交響楽団の第九の外人ソリストの問題   私は暗譜絶対主義者ではないけれど

N響の2019年12月第九公演。

ソプラノとバリトンの外人ソリスト、なんで楽譜を見ながら歌うのか。ミサソレならともかく、第九ではあり得ない。プロでしょ。

しかも、わざわざ外国からの渡航費とギャラ払って招聘してるんでしょ。

テナーの外人ソリストは暗譜で歌ってるのに。

この程度なら全員日本人ソリストでいいです。

・・・・・・・・・・・・

日本の合唱団で暗譜で歌うのを自慢するのは私はナンセンスだと思っていて、欧州の合唱団は楽譜を見ながら素晴らしい合唱を聴かせてくれますし。

ただ、さすがに今の時代、第九のソリストに日本人の歌手が選ばれたら、間違いなく全員暗譜で歌うでしょうし、指揮者も当然指示するはずです。それにあのくらい歌えるソプラノもバリトンも日本にたくさんいます。

シモーネが見ながらなのは別にいいですが、それとは関係なく、やはりシモーネ自身が第九をあまり振っていないんでしょうね。だから、歌手にも「全員暗譜で」と言わなかった、と想像します。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

暗譜に関する補足~指揮者の場合

歌手については、後ほどもう一度だけ補足させていただきますが、その前に、指揮者に関するレスポもお二人からいただいたので、ご参考として紹介させていただきます。

プロ指揮者でしたら、どんな曲でも「楽譜を見る必要が無いほど勉強して本番に臨む」のは当然です。

ただ、オペラ活動が長い人によく見かけますが、コンサートでも「見る必要はないけど楽譜を置いていたり、一応めくったりということをルーティンにしている人」は割といます。

過去の巨匠ではショルティがそうでした。

また、クナッパーツブッシュに関する有名な笑い話で、「あなたはなぜ暗譜で指揮しないのか?」と問われ際、クナは「俺は楽譜が読めるからね」と答えたそうです(笑)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小澤征爾さんはほとんどの曲で「何かあったときのために」譜面台に「スコアを閉じたまま」置いてあります。もちろんめくったりしていませんが。

今回、シモーネ・ヤングがスコアを見ながら、ということを私は批判する気はまったくありません。「どういう演奏を披露したかが第一」ですし。

・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに、スコアなしを徹底したのはアッバードですね。

オペラは別として、コンサートでスコアを置いたり見ている姿は見たことありません。マーラーの何番だろうとスコア無し。

小林研一郎さんもそのスタイルを基本としているかと思います。

なお、暗譜を流行りにしたとされるトスカニーニですが、彼は近眼だったため、置いてめくったりするのが、かえって わずらわしかった、という事情があったからと言われています。

以上、ご参考とさせていただきます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

第九の譜面持ちに関する補足~ソリストの場合

N響第九公演をTVで見て驚いたことに関して、少し追記させて頂きます。

基本的には楽譜の有無は演奏の本質とは無関係であることは承知しています。

良い演奏を提示、披露できることが最終目的であって、ステージ上のいわば実務的な対策は聴衆のあずかり知らぬことでいいと思いますし、別記の指揮者のケースのとおり、同じステージの上でも役割によって事情が異なるので、それぞれの事情に即して対応し、全演奏家の共通目的目標である「良い演奏」の実現に向かえばよいだけのこと、というのは自明であり、大前提とすることは理解し、承知し、賛同します。

・・・・・・・・・・・・・・・・

しかしながら、第九のソリストパートに関して、その分量を考えたとき、そしてこれだけ有名な曲で、プロオケに限らず、アマオケを含めて頻繁に演奏される第九、という状況を考えたとき、プロオケの演奏会、N響という伝統あるオケの毎年恒例のコンサートに、わざわざ外国から招かれたソリストが、譜面を見ながら歌う姿には大きな違和感を覚えました。

・・・・・・・・・・・・・・・・

以前、第九のことではないですが、故・岩城宏之さんが「かたち(見た目)も大事」という主旨のことをおっしゃっていました。含蓄のある言葉だと思いますが、今回の件では、そういうことよりもむしろ、私の個人的経験を根拠としての、先日に批判だったと言えます。すなわちこうです。

「私は合唱パートはバスですが、第九はソロパートも暗譜で歌えます」

これに尽きます。

・・・・・・・・・・・・・・

私だけでなく、全国に在る全ての合唱団でも、各団少なく見積もっても 1割、すなわち100人の合唱団なら10人~各パート2人以上~は、ソロパートを暗譜で歌える人はいるでしょう。

これは少なく見積もっても、なので、実際はもっと多いはずですし、今歌えなくとも、1日か2日みっちり練習すれば、合唱経験者ならほとんど全ての人がソロパートも暗譜で歌えるようになるでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・

プロ歌手と違う点は、言うまでもなく「プロ歌手のような良い声では歌えない」ということ。

逆に言えば、それ以外の点、すなわち、正確な音程はもちろん、中には厳正なドイツ語で歌える人も一定数はいるでしょう。

後者は全員とは言いませんが。日本の全国多数の合唱団のそれが現実です。

・・・・・・・・・・・・・・

係る状況と、歌う量の少なさ、しかし少ないけれども人類愛、兄弟愛をメッセージとした偉大な有名曲のソリストとして多数の歌手の中から選ばれ、しかも、外国に出かけて歌うという機会を得たソリストなのですから、「曲をちゃんと勉強してきたのか?などという疑問を持たれるような、譜面を見ながら歌うということを、ソリストにはして欲しくない、第九に関しては」と思う次第です。

元日の電車内にて

生後数か月と思われる赤子を父親が胸に抱えていて、
その赤ちゃんがニッコリした感じで私をじっと見つめている。
赤ちゃんに見つめられて照れる、というのも変だが、照れる。
けど、悪くない。

喪中ですが新年のご挨拶

私は喪中ですが、新年のスタートを祝い、
皆様のご健康と益々のご活躍をお祈りします。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

« 2019年12月 | トップページ | 2020年2月 »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック