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2019年10月25日 (金)

才能を発見する喜び~ディアギレフは偉い

映画「蜜蜂と遠雷」を2回観た。たぶんもう1回観に行く。

印象的なセリフは幾つかあるが、その1つが以下の松岡茉優演じる栄伝亜夜のセリフだ。

「プロコフィエフって全部好き。踊れる気がするから。ピアノ協奏曲の2番って初演のとき不評だったでしょ。それでもそれを聴いて直ぐバレエ曲を彼に委嘱したディアギレフって偉いと思う。エライ」。

同感だ。この言葉の主旨は、コンクールの本来的目的と直結する。すなわち、コンクールの目的は順位決定戦ではなく、「新人=新しい才能の発見、発掘」だからだ。私たちは演奏や演奏者について感想や意見を述べる際、とかく世評とか(場合によっては経歴とか師が誰かとか)の「余計な情報」に影響を受けやすい。自分の意見や感想を述べていても、実は有名評論家の受け売りだったりしないとも限らない。少なくともそういう「リスク」は常に存在する。

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重要なのは、99人から不評でも、私一人が、あなた一人が、その音楽家や演奏を誉め、認める力量を持っているかどうか。逆に99人が褒めても、私一人が、あなた一人が、批判的意見を述べられるかどうか、ということだろう。もちろん、それほどの自信を持つまでには多くを聴いていることが必然的な前提となるかもしれないが、それでも第一義的に来るのは「感性」であって「教養」ではないはずだ。

さて、そこで、聴き手において最良の試金石となるのは「新人を発見できる力があるかどうか」ということだと思う。いみじくも映画の中にも、有能な才能を「発見」できるかについて、「試されるのは参加者ではなく、審査員」という正に象徴的なセリフがある。

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無名な人に関心を持たずに有名な演奏家の演奏ばかりを論じ感想を言う人の言説を、私は信用しない。いわんや有名ということだけで全く疑問を呈さず、表面的な美辞麗句に終始する論評は論外だと思っている。

新進気鋭のプロコフィエフやラヴェルやストラビンスキーを信じ、積極的に委嘱していったディアギレフは確かに偉かった。眼力ならぬ耳力があったのだろう。新しい才能を「発見」して信用して積極的に「世に紹介していく」、そういう力量のある、発見力とプロデュース力のある人が今の楽壇にどのくらいいるかは知らないが、もし少ないとしたら、それこそ音楽文化衰退の一因となると想像する。

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