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2019年10月16日 (水)

栄伝亜夜は3番でしょ~原作以上に音楽と現場を知っている人の見事な脚色

Aさんのフェイスブックにアップした文を拝読し、「蜜蜂と遠雷」の本選で栄伝亜夜とマサルが弾いた協奏曲が、原作の小説と映画とは逆と知り、とても驚いた。さっそく本を購入して確認したらそのとおりで、映画では栄伝がプロコフィエフの3番、マサルが2番だが、原作は逆。栄伝が2番でマサルが3番なのだ。

いやいやいや、栄伝こそ3番でしょ。私はそう思う。

もし、クラシック音楽を相当聴いている人で、原作を読んだ上で映画を観たのに、この変更点について指摘しないとしたら、私は信じられない。この変更は極めて重要で、重大な変更点だからだ。

この変更点について言及しないなんて有り得ない。原作と映画の違いを決定付ける、最大の変更点だ。

もし原作のまま、栄伝が2番で収録したら、きっとこの映画は失敗に終わっていたと思う。

いや、映画として成立さえしなかったのではないか、とさえ思う。

言い換えれば、映画「蜜蜂と遠雷」の成功は、原作を変えて栄伝に3番を弾かせた映画スタッフ陣の勝利と言える。

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原作者の恩田陸さんは、優勝者をマサルと設定した時点で、2番より3番のほうが煌(きら)びやかという理由で、すなわち「2番よりも3番のほうが優勝者の曲に相応しい」というようなイメージで、マサルは3番としたのだと私は想像する。

しかし、映画では、1位にはならずとも、栄伝亜夜自身の再生(REBORN)物語という要素に重点が置かれて描かれたことから、マサルが2番、栄伝が3番としたのだろうし、私はそれは大正解だったと確信する。

「悩める栄伝」としては、ある種哲学的で戯画的、諧謔的な2番は似合うかもしれないが、映画では最終的に、ステージが素晴らしい場所であるとして栄伝が喜びの場に戻ってくる内容で描かれた以上、嬉々として豪快に宇宙的なまでに「飛んで行く音楽」の3番が相応しいのだ。

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その他、映画のほうが上手いなあ、リアルだなあ、現場を知っているなあと思ったのは、本選での指揮者とオケとのやりとり。

原作ではオケの配置等に関して風間塵から要求が出されるが、マサルにはそういう場面はない。

しかし、映画では、塵に関してはコントラバスの配置を変える要求があったことが紹介されただけで、オケとのセッション~リクェエスト有りの場面~はもっぱらマサルであり、そこではマサルがフルートとの掛け合いに納得できないシーンが具体的に描かれた。

こういう場面は実際に普通に多くあることなので、リハ現場を知る人の脚本だと思う。

しかも、2番の中では最も魅力的な第4楽章の中間部におけるピアノソロとオケとのからみの場面でのやりとり、とした点で、相当プロコフィエフの音楽、ピアノ協奏曲、そして音楽の現場に詳しい人が脚色したはずだ、と思う。あらためて見事な映画作品だと思う。コンパクトにしてヒューマンな内容に仕上げたという点では、原作を超えているとさえ思う。

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