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2019年10月28日 (月)

田中彩子さんリサイタル~ヴォカリーズの世界

10月28日、紀尾井ホールで毎年恒例となったリサイタルを聴いた。2015年の紀尾井での国内デビューコンサート以来、私は毎年聴かせていただいており、個人的にもフェイスブックの友人になっていただいているので、終演後のサイン会でも彼女から「あ、どうも」という感じでレスポしてくださっている。

今回はサードアルバムの「ヴォカリーズ」リリースに合わせたツァーでもある。

ピアノはこれまで1972年生まれの作曲家の加藤昌則さんだったが、今回のツァーは1990年生まれで、加藤さんと同じく東京芸大で作曲を学んだ山中惇史さん。

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今回のプログラムは下記のとおりだが、彼女の声にインスピレーションを受けた作曲家エステバン・ベンセクリによる歌曲2曲を含む、意欲的で個性的なプログラムで、その点でも、とても良かった。

特に素敵だったのは、第1部ではフォーレのヴォカリーズ、R・シュトラウスの「アモール」、ベンセクリの2曲。第2部ではデラックァの「ヴィラネル」、ドビュッシーの「星の夜」と「月の光」。

その多くは彼女の軽やかに飛び回る声の特性の生かせる曲だが、ドビュッシーの曲は、しっとり感ある清冽な歌声の実に素晴らしいもので、特に有名なピアノ曲をヴォカリーズ的にアレンジした「月の光」は絶品だった。

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彼女が苦手とするトークももはや相当「上達」され、また、会場内は常連が多いからか、毎回の「ハラハラ物のトーク」も、皆さん折々適宜何度も笑うなど、対応に慣れた感じで、終始和やかな雰囲気で進行した。

むろんそれは、加藤さん同様、伴奏だけでなくトークでも良いフォローをされていた山中さんの力量でもあった。

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デビュー後 紀尾井ホールで毎年聴いているが、終演後のサイン会で、これどの行列は初めて見た。

ユニークな声の歌手だが、完全に多くのファンを獲得したな、と祝いたい。

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演奏曲

第1部

1.ベルリオーズ 「永遠に」~幻想交響曲より

2.フォーレ ヴォカリーズ

3.パガニーニ カプリース第24番

4.R・シュトラウス 「私は花束を編みたかった」

5.R・シュトラウス 「アモール」

山中さんのピアノソロで バッハのアリア

山中さんのピアノソロで アレクサンデル・ミハウオスキーの編曲による

ショパンの子犬のワルツ

6.ベンセクリ

コロラトゥーラソプラノとオーケストラの為の5つのサークルソングより

 (1)私のなりたいもの

 (2)夜

(休憩)

第2部

7.ラフマニノフ ヴォカリーズ

8.ドビュッシー 「星の夜」

9.パガニーニ クライスラー編曲 ラ・カンパネッラ

  1. デラックァ ヴィラネル(田園詩)
  2. モーツァルト キラキラ星変奏曲
  3. ドビュッシー 月の光

アンコール エーデルワイス

2019年10月25日 (金)

才能を発見する喜び~ディアギレフは偉い

映画「蜜蜂と遠雷」を2回観た。たぶんもう1回観に行く。

印象的なセリフは幾つかあるが、その1つが以下の松岡茉優演じる栄伝亜夜のセリフだ。

「プロコフィエフって全部好き。踊れる気がするから。ピアノ協奏曲の2番って初演のとき不評だったでしょ。それでもそれを聴いて直ぐバレエ曲を彼に委嘱したディアギレフって偉いと思う。エライ」。

同感だ。この言葉の主旨は、コンクールの本来的目的と直結する。すなわち、コンクールの目的は順位決定戦ではなく、「新人=新しい才能の発見、発掘」だからだ。私たちは演奏や演奏者について感想や意見を述べる際、とかく世評とか(場合によっては経歴とか師が誰かとか)の「余計な情報」に影響を受けやすい。自分の意見や感想を述べていても、実は有名評論家の受け売りだったりしないとも限らない。少なくともそういう「リスク」は常に存在する。

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重要なのは、99人から不評でも、私一人が、あなた一人が、その音楽家や演奏を誉め、認める力量を持っているかどうか。逆に99人が褒めても、私一人が、あなた一人が、批判的意見を述べられるかどうか、ということだろう。もちろん、それほどの自信を持つまでには多くを聴いていることが必然的な前提となるかもしれないが、それでも第一義的に来るのは「感性」であって「教養」ではないはずだ。

さて、そこで、聴き手において最良の試金石となるのは「新人を発見できる力があるかどうか」ということだと思う。いみじくも映画の中にも、有能な才能を「発見」できるかについて、「試されるのは参加者ではなく、審査員」という正に象徴的なセリフがある。

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無名な人に関心を持たずに有名な演奏家の演奏ばかりを論じ感想を言う人の言説を、私は信用しない。いわんや有名ということだけで全く疑問を呈さず、表面的な美辞麗句に終始する論評は論外だと思っている。

新進気鋭のプロコフィエフやラヴェルやストラビンスキーを信じ、積極的に委嘱していったディアギレフは確かに偉かった。眼力ならぬ耳力があったのだろう。新しい才能を「発見」して信用して積極的に「世に紹介していく」、そういう力量のある、発見力とプロデュース力のある人が今の楽壇にどのくらいいるかは知らないが、もし少ないとしたら、それこそ音楽文化衰退の一因となると想像する。

2019年10月22日 (火)

即位礼正殿の儀

後日記載します。

2019年10月21日 (月)

恩赦批判~時代錯誤の極み

恩赦に根強い反対とのこと。当然でしょ。

意味が解らない。祝い事と刑罰とは全く別次元のことだ。

時代錯誤もはなはだしい。論外だ。

2019年10月19日 (土)

パレード延期は当然

22日のパレード延期は状況的に当然です。

何より天皇皇后ご本人が心苦しく思っていることでしょうし、もし行うものなら人気は下がり、後々まで色々と言われたことでしょう。

2019年10月16日 (水)

栄伝亜夜は3番でしょ~原作以上に音楽と現場を知っている人の見事な脚色

Aさんのフェイスブックにアップした文を拝読し、「蜜蜂と遠雷」の本選で栄伝亜夜とマサルが弾いた協奏曲が、原作の小説と映画とは逆と知り、とても驚いた。さっそく本を購入して確認したらそのとおりで、映画では栄伝がプロコフィエフの3番、マサルが2番だが、原作は逆。栄伝が2番でマサルが3番なのだ。

いやいやいや、栄伝こそ3番でしょ。私はそう思う。

もし、クラシック音楽を相当聴いている人で、原作を読んだ上で映画を観たのに、この変更点について指摘しないとしたら、私は信じられない。この変更は極めて重要で、重大な変更点だからだ。

この変更点について言及しないなんて有り得ない。原作と映画の違いを決定付ける、最大の変更点だ。

もし原作のまま、栄伝が2番で収録したら、きっとこの映画は失敗に終わっていたと思う。

いや、映画として成立さえしなかったのではないか、とさえ思う。

言い換えれば、映画「蜜蜂と遠雷」の成功は、原作を変えて栄伝に3番を弾かせた映画スタッフ陣の勝利と言える。

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原作者の恩田陸さんは、優勝者をマサルと設定した時点で、2番より3番のほうが煌(きら)びやかという理由で、すなわち「2番よりも3番のほうが優勝者の曲に相応しい」というようなイメージで、マサルは3番としたのだと私は想像する。

しかし、映画では、1位にはならずとも、栄伝亜夜自身の再生(REBORN)物語という要素に重点が置かれて描かれたことから、マサルが2番、栄伝が3番としたのだろうし、私はそれは大正解だったと確信する。

「悩める栄伝」としては、ある種哲学的で戯画的、諧謔的な2番は似合うかもしれないが、映画では最終的に、ステージが素晴らしい場所であるとして栄伝が喜びの場に戻ってくる内容で描かれた以上、嬉々として豪快に宇宙的なまでに「飛んで行く音楽」の3番が相応しいのだ。

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その他、映画のほうが上手いなあ、リアルだなあ、現場を知っているなあと思ったのは、本選での指揮者とオケとのやりとり。

原作ではオケの配置等に関して風間塵から要求が出されるが、マサルにはそういう場面はない。

しかし、映画では、塵に関してはコントラバスの配置を変える要求があったことが紹介されただけで、オケとのセッション~リクェエスト有りの場面~はもっぱらマサルであり、そこではマサルがフルートとの掛け合いに納得できないシーンが具体的に描かれた。

こういう場面は実際に普通に多くあることなので、リハ現場を知る人の脚本だと思う。

しかも、2番の中では最も魅力的な第4楽章の中間部におけるピアノソロとオケとのからみの場面でのやりとり、とした点で、相当プロコフィエフの音楽、ピアノ協奏曲、そして音楽の現場に詳しい人が脚色したはずだ、と思う。あらためて見事な映画作品だと思う。コンパクトにしてヒューマンな内容に仕上げたという点では、原作を超えているとさえ思う。

声、音と文字について「栄伝さん 時間です」

声、音と文字について「栄伝さん 時間です」

映画「蜜蜂と遠雷」でステージマネージャー役を演じた平田満さんのあの声「栄伝さん~時間です」は魅力的だった。

名脇役の面目躍如。

小説では、さすがに「あの声のニュアンス」は出せない。文字では無理なことだ。

いわんや、「春と修羅」を「実際に作曲した」藤倉大さんの、あの魅力的なテーマの色調と、4人それぞれのカデンツァの魅力も、当然ながら小説で「予言」できるはずもない。

文学に難しくて、映画、演劇そして音楽にこそ実現し得るものが「実際にそこで現出する声であったり音たちの魅力」なのだ。

これは文字には不可能な、音楽や演劇、演芸、映画にのみ可能な特質と言える。

2019年10月13日 (日)

ラグビー~決勝トーナメントこそ本番

決勝トーナメントこそ本番。南アに勝てれば決勝に行ける、そのくらい良いチーム。代表入りして7年目の初トライの稲垣選手に拍手を。

台風19号~各地で河川決壊氾濫

後日記載します。

2019年10月12日 (土)

大型台風

後日記載します。

2019年10月 6日 (日)

映画 蜜蜂と遠雷~競争物語にしておらず聴衆の前で演奏できる喜びが描かれていて素晴らしい~大推薦です

恩田陸さんの直木賞受賞作品の映画化。音楽雑誌「ショパン」10月号の表紙を、音楽家ではなく、4人の俳優が飾ったほどの話題作。原作を読んでいないので、「競争物語だとしたら陳腐な内容だろうな」と想像しただけでなく、「クラシックに詳しくない人が見て、コンクール(の世界)イコールがクラシック音楽、と誤解されたら嫌だな」とまで思いながら、期待せずに映画館に行ったのだが、想像とは全く違うテイスト、内容で、とても良かった。主役の4人の参加者がそれぞれの思いや、状況を抱えながら、音楽に向き合っていくという内容が良い。要するに全くコンクール コンクールしていない、ギスギスした内容でないのが良い。

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コンクールにおいてはライバルであるにもかかわらず、亡き母への思いから脱しきれない松岡茉優さん演じる栄伝亜夜を、19歳の新人 鈴鹿央士さん演じる風間塵がさりげなく勇気づける関係性、その栄伝は、コンクールで再会した幼馴染、森崎ウィンさん演じるマサルを本選前にサポートするという関係性が良い。3人のレベルの域に達していないという設定の、松坂桃李さん演じる高島明石を含めた4人のそれぞれの会話から見えてくる、同じコンクールに参加した者にしか解らないであろう不思議な友情の設定も素敵だ。

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二次予選での課題曲「春と修羅」(実際の作曲者は藤倉大さん)の最後に置かれた各自が自由に演奏してよいというカデンツァに関しての展開が特に面白く、4人各様のカデンツァが演奏されるのだが、考えてみれば、マサルのセリフにもあるように、過去の作曲家の多くは「コンポーザーピアニスト」であって、作曲しないピアニストの隆盛は19世紀後半以降のものだろう。演奏は本来的に各人の独自性であるという点を考えれば、即興を含めた各人のカデンツァ=個性の発露とも言えるのだ。

シーンとしては、松岡茉優=栄伝亜夜と、鈴鹿央士=風間塵による「月の光」→ポップ調→「月光」もう一度「月の光」の場面が良い。恋でも生まれるのでは、というような雰囲気の。

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そして、本選に残った3人における、共鳴による感性の交換から生まれる友情にも似た関係性が素敵だ。本選でのコンチェルト演奏。マサルによるプロコフィエフの2番、風間塵によるバルトークの3番、ラストでの栄伝亜夜によるプロコフィエフの3番、それぞれの演奏の何とカッコイイことか。

「世界は音楽に満ちている」、「最終的にはピアノがどのくらい好きか、音楽がどのくらい好きか」~これが若者たちの原点でもある。

「世界中で自分たった一人しかいなくてもピアノを弾く」くらい好きだけど、「コンクールというより何より、聴衆の前で演奏できる喜び」が描かれていて素敵だ。

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4人の俳優が演奏するシーンで実際に演奏したのは、松岡茉優演じる栄伝亜夜は河村尚子さん、松坂桃李演じる高島明石は福間洸太朗さん、森崎ウィン演じるマサルは金子三勇士さん、鈴鹿央士演じる風間塵は先日チャイコフスキー国際コンクールで2位になった藤田真央さん、と、実際に活躍している若手ピアニストであることや、各俳優と奏者との個別対談や、各組ごとでのCDリリースもされるなども含めて、大きな話題となっている。

https://www.youtube.com/watch?v=b9z6NcS5Wwc

https://mitsubachi-enrai-movie.jp/

 

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ご参考

フェイスブックで映画「蜜蜂と遠雷」に関する3人の感想を拝読して

フェイスブックに投稿された「蜜蜂と遠雷」の原作も読んでいるという3人の、同映画鑑賞後の感想を拝読した。タイムラインに投じていた男性のYさんと女性のKさんは、映画作品として楽しめた、と好意的に書かれていたが、某音楽サイトに投じていた女性は「コンクールのリアルが描かれてないので残念」とガッカリ調の内容だった。

3人目の人に対する私の意見はこうだ。「コンクールのリアルが映画で描けるわけないので、私は別物=ファンタジーとして十分楽しんだ。コンクールのリアルを体験したいのなら、コンクールの会場に行くか、ドキュメンタリーフィルムを観ればよいだけのことなので」

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雑誌ショパン10月号

https://www.chopin.co.jp/month.html

 

紀子さまと映画鑑賞

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191002-00000385-oric-ent

 

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松坂桃李、事務所との“戦い”を告白 松岡茉優「大丈夫ですか!?」  映画「蜜蜂と遠雷」完成披露イベント

https://www.youtube.com/watch?v=9VzXLxq1BDM

 

松岡茉優、天才ピアニスト役は「挑戦というより闘い」

https://www.youtube.com/watch?v=leexrtx3TB0

2019年10月 5日 (土)

高野百合絵さんの魅力「カルメン」ハイライト

神奈川区民文化センターかなっくホール主催で、「カルメン」を60分にまとめ、親子向けと言ってよい市民オペラ公演を5日午後、同ホールで楽しく拝聴した。副題として「mini miniオペラ ようこそ!魔法の箱へ」とあり、「魔法の箱」はホールを指す。拝聴のきっかけはメゾソプラノの高野百合絵さんからの情報。

昨年11月の日生オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」は、演出は最低なほどヒドかったが、歌手の皆さんは素晴らしかった。中でも、その公演で私が初めて聴いたメゾの高野百合絵さんには強烈な印象を受けた。その後フェイスブックのメッセで自己紹介して申請し、友人になっていただいていたので、今回の公演の情報を彼女から直接いただいた次第。

未就学児童を多く含む母子連れの多い会場なので、時折、子供の声も聞こえたりはしたが、かえって和やかで、市民へのオペラ普及活動の空気が伝わってきたし、何より、長谷川寧(ねい)さんという「作家・演出家・振付家・パフォーマー」の肩書を持つ男性のコント的なサポート進行が大人でも楽しめるもので、好感が持てた。

出演者と演奏曲は以下のとおりだが、その前に前述の「コジ・ファン・トゥッテ」での高野さんを聴いてブログに書いた感想を引用させていただく。

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「ドラベッラを歌った高野百合絵さんは今回初めて聴いたが、「発見」と言うべき逸材だと感じた。まだ東京音大の大学院生だが、声量があり、歌い回しもベテランのような余裕を感じさせて見事だった。当惑した演出の続く第一幕にあって、その雰囲気を払うかのような大きな拍手を最初に受けたのが、彼女が歌うNo.11のアリアだった。第二幕も素晴らしく、No.28曲ではブラヴォーも出た。嘉目真木子さんとのデュオ曲No.4やNo.20も素敵だった。今後益々活躍が期待できる。きっと売れっ子になるだろう」

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現在、ウィーン市立音楽芸術大学在学中でもあるので、「コジ」以来の拝聴だったが、60分短縮版とはいえ、主役の、それも、これぞメゾの魅力満載である「カルメン」ゆえ、高野さんの魅了をあらためて十分認識し、堪能した。低音域の厚み、高音域でも艶のある美声、安定感あるフレージング、大柄でスタイル抜群にして美人、という、天が二物も三物も与えているようなスター性あるメゾは貴重だし、まだ20代の若さだから、本当にこれからの活躍が楽しみだ。

バリトンの大山大輔さんは何度も拝聴していて、その素晴らしさはよく知っているが、今回、初めて知ったホセ役の秋山和哉さんが朗々とした伸びやかな美声で素敵だった。「また一人、素晴らしいテナーが現れた」と思う。現在、二期会オペラ研修所第63期マスタークラス在籍中とあるが、既に多くのオペラでの役や第九ソロ等、ステージで活躍されている。

高野さんはもちろん、秋山さんにも今後注目していきたい。

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なお、公演終了後、大山さんの指導で、来場客全員が「闘牛士の歌」を部分的ではあるが言語で歌う、という企画があり、とても良かった。楽しめた。こういう市民向けの企画公演は素敵だ。

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カルメン=高野百合絵

エスカミーリョ=大山大輔

ホセ=秋山和哉

進行(魔法の箱 管理人)=長谷川寧

ピアノ=宇根美沙恵

パーカッション=櫻井音斗

演出と脚本=齊藤実雪

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1前奏曲(ピアノ&パーカッション)

2「ハバネラ」by カルメン

3「セキディリャと二重唱」by カルメン&ホセ

4「ロマの歌」by カルメン

5「闘牛士の歌」by エスカミーリョ

6「二重唱」 by カルメン&ホセ

7「花の歌」 by ホセ

8「間奏曲」 by ピアノソロ(カット版)

9「終曲」by カルメン&ホセ

10「アラゴネーズ」by ピアノ、パーカッション、進行役

11「二重唱」 by カルメン&エスカミーリョ

12「二重唱」 by カルメン&ホセ

2019年10月 4日 (金)

アンジェラ・ヒューイットさんのバッハを聴いて~紀尾井ホール

4日夜、アンジェラ・ヒューイットさんの演奏を紀尾井ホールで聴いた。演奏曲はもちろんバッハ。10月1日と4日の2回にわたり、イギリス組曲全曲+αを演奏するというもので、私が聴いた4日の演目は第4番ヘ長調、第5番ホ短調、休憩後にソナタニ長調BWV963の後、イギリス組曲に戻って第6番ニ短調、というもの。なお、1日の初回の演目はイギリス組曲第1番、2番、3番と組曲ヘ短調、前奏曲とフーガイ短調だった。

「バッハ弾き」はこれまでも何人かいたし、今も他にいるかもしれないが、少なくとも21世紀初頭において、もっとも知られた奏者となったのはアンジェラ・ヒューイットさんだろう。バッハの鍵盤楽器による曲だけのコンサートで、聴衆を飽きさせないどころか、大いに満足させてくれるピアニストはそれほど多くないかもしれない。

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ファツィオリ=FAZIOLIピアノから奏でられるヒューイットさんの音、音楽は、ソフトな音ながら、音の厚みと粒立ちが常に安定していることを土台として、様々なニュアンスを繰り広げていく。右手と左手のそれぞれにおいて、p、mp、mf、f、クレッシェンド、ディミヌエンド、fpフォルテピアノ、スタッカート、テヌート、スフォルツァンド、レガート、マルカート、強さ、繊細さ、しなやかさ、剛毅さ、厚い音、薄い音等々がそれぞれ二乗、三乗という倍化された数で繰り広げられていく、その見事さ。

そして何よりも「私はバッハをこう弾きたい」というコンセプトが明確なのが素敵だ。厳格で真面目な音楽ともとられかねないバッハの音楽は、ここまで愉悦に満ちた音楽であることを自然体で提示してくれる音楽家。素晴らしいピアニストだ。

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「イギリス組曲」については詳しくないので、今後もっと勉強するが、この日の第4番、5番、6番のどれも素敵で、特に5番、とりわけ6番が感動的な曲と演奏だった。

それにしても、バッハの作品の奥深さ、凄さ、素晴らしさをあらためて強く実感する。1つの楽器を使用した音楽でありながら、教会音楽、世俗音楽、ポリフォニー、対位法等々を存分に駆使し、伽藍の如く壮観であり、細やかな工芸品の如く繊細で有機的、論理的にして情感ある音楽。

厳格で峻厳でさりながら、未来志向的であり、モーツァルトを十分に予感させるし、ベートーヴェンさえも予感させる情念すら内在している音楽。それでいて常に気品とモラルが存在する音楽。もはや天国的で天体的な音楽としか言い様のないほど魅力に満ちた音楽。それがバッハの音楽だ。

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アンコールとして、クープランのクラヴサン曲集第3巻より第14組曲第1番「恋するナイチンゲール」という楽しく興味深い曲。

全体として、良いバッハ演奏を聴いた、というより、本当に良い音楽、良い演奏を聴いた、そういうコンサートだった。

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なお、最後になったが、今回のコンサートは、2016年にバッハ・オデッセイプロジェクトを発表され、2017年から2020年にかけて、ロンドン、ニューヨーク、オタワ、東京、フィレンツェの各都市でおのおの12回公演を持ち、それにより、バッハの鍵盤楽器作品の全てを演奏するというものの一環としてのコンサートだった。

2019年10月 2日 (水)

ジェシー・ノーマンさん追悼

フェイスブックでは、プロ歌手の皆さんや、複数のクラシック音楽ファンサイト、あるいは個人のタイムライン等で、ジェシー・ノーマンさんを悼むアップが続いている。あらためて多くのファンを獲得していたことを再認識する。

私ももちろん初めて第一声を聴いたときから圧倒され、大ファンになった一人。好きな歌手というより、尊敬する歌手、いや、尊敬する音楽家だった。

2019年10月 1日 (火)

映画 レディ・マエストロ~偏見と闘った女性指揮者~強くお薦めします

圧倒され感動する映画。強くお薦めします。冒頭、メンゲルベルグ(もちろん現代の俳優が演じる)指揮のマーラーの4番で開始。劇場スタッフとして働くヒロインは、なんとかしてその演奏を聴きたいと画策する。その冒頭シーンからして「指揮者になりたい」という強い思いが全編に溢れ、圧倒され、観ているこちらも胸が熱くなり、時代と空間を超えて応援したくなる。

「女なんか指揮者になれない」。今の時代から見ればアホみたいな偏見だが、当時はごく普通に音楽界に存在した差別(というより)偏見だった。クリスタイン・デ・ブラーン演じる映画の主役、実在して1929年にはベルリン・フィルも振ったアントニア・ブリコは、立ちはだかる偏見、差別による拒絶に諦めずに何度も挑み、どんどん強くなっていくのだが、あのくらい強くないと、とてもじゃないけど、指揮者になれなかったのだろうな、とよく解る展開。メンゲルベルグの推薦により、カール・ムックの指導でチャンスをつかんでいく。劇中、シュヴァイツァー博士の言葉とか、ハッとさせられる名言、書き留めておきたくなる言葉も幾つか出てくる。

しかし、彼女は迷いが皆無というのではなかった。指揮者への思いの中、不幸な生い立ちを知って煩悶し、過去を知ろうとする感情に揺すぶられ、また、恋愛感情も生じ、歩んで行こうとする道を迷わせたりもする。それでも彼女は最終的には「指揮者になりたい。なる」を貫く。

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考えてみれば、ピアノもヴァイオリンも、当時も今も男性以上に巧く演奏する女性はゴマンといた(いる)のに、おかしな話だ。「統率力」云々というのだろうが、女性に統率力が無いなんて、それこそ偏見に過ぎない。

オケにしても、ベルリン・フィルが女性団員を入団させてからまだ20年位だろうし、ウィーン・フィルなんぞ、つい10年位まで「女性団員は要らない」と平然と公言してきたのだ。欧州のオケでさえ、そんな感じなのだから、いわんや当時、女性で「指揮者になりたい」と言明したら笑われるだけで(そういうシーンあり)、挙句に果ては「結婚して子供を産んだほうがよい」(そういうシーンもある)などと、今なら大変なハラスメントになることを言われかねなかったわけだ。

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劇中、女性差別だけでなく、いわゆる性同一性障害の問題も提示される。彼女を強く支えてくれた一人、ロビンに関する秘密が明らかにされる場面では、ちょっと泣ける。感動する。

ラストの「臨時のイス」のシーンは、冒頭と重なり、とても良かった。

「音楽をやりたい、指揮者になりたい」という強い思いが全編に溢れる。彼女のパワーと勇気を知って感動し、才能だけではなく、「一途でなければ音楽家にはなれない」ことをあらためて教えてくれる素晴らしい映画。大推薦の映画作品だ。

https://www.youtube.com/watch?v=DPGS0zjRk8Y

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