« 田部京子さんピアノ・リサイタル~宗次ホール | トップページ | 本質をとらえる力~人は各人一長一短 »

2019年7月21日 (日)

ロシア国立交響楽団演奏会~愛知県芸術劇場コンサートホール

前日の田部京子さんのリサイタル後、そのまま名古屋に滞在し、翌21日、来日中のロシア国立交響楽団演を愛知県芸術劇場コンサートホールで聴いた。

曲は、ショスタコーヴィッチの交響曲第5番「革命」と、

チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の2曲。

 

まずはホールについて。愛知県芸術劇場での、オペラなどで使われる「大ホール」は、20127月に、井上道義さん指揮で、マーラーの「千人」を聴きに来たが、コンサートホールは初めて。

なんと美しく格調高いホールだろう。素晴らしい。トイレも東京のどのホールよりも美しく広い。東京、負けてまっせ。トイレこそ文化レベルの象徴、バロメーターなのに。

 

オケはプログラムによると、1957年に設立された全ソヴィエト放送オペラ交響楽団を前身とし、その後2回団名を変えたが、ロジェストヴェンスキー時代のソヴィエト国立文化省交響楽団が比較的知られている。

指揮は1949年生まれのヴァレリー・ポリャンスキーさん。オケ同様、初めて聴いたが、堂々とした貫禄の指揮で、後述のとおり、威力よりも柔らかで美しいニュアンスを求め、またテンポの変化の徹底などメリハリの良さもしっかりと提示するなど、とても良い指揮者だと思った。

1975年に自らロシア国立室内合唱団を設立するなど、最初は合唱指揮で名声を得た人とのこと。

 

なお、ポリャンスキーさんは指揮台を使わず、弦団員と同じく、ステージ直に足を置いて指揮していたのも印象的だったが、これも合唱指揮者での見識からと想像できる。

 

・・・・・・・・・・・・

 

楽員が入場してくる際、客席から拍手が起きることは、アマオケも含めて珍しくはないが、この日は、まるで終演直後のような大きな拍手が起きたのは、良いことだった。チューニングからして凄い音量。期待が膨らむ。

 

コンマスは微笑みながら真っ先に入場したのも好感が持てる。しかも流行りのコンマスだけ黒イス、などということはせず、他団員と同じイスで、この点も好感が持てる(※この点は最後に余談として後述する)。チェロは全員黒イスだが、これは合理性から賛成。

 

・・・・・・・・・・・・・

 

1.ショスタコーヴィッチ「革命」

 

私は基本的に「本場モノ」は信じない。チャイコフスキーはムラビンスキーの贅肉をそり落とした演奏よりも、カラヤンのたっぷりと豊麗なロマンティックな演奏が好きだし、ボスコフスキー指揮のウィンナワルツはテンポが速すぎて全然評価できない、等々のためだ。当然、ロシアのオケだからといって、ロシアモノを良い演奏するかどうかは別問題。でも、このショスタコーヴィッチは名演と言ってよい内容だった。

 

全楽章通じて言えるのは、ディティールで粘ったり、大きなデフォルメを入れたりはせず。部分的にスッキリ、シンプルに流す面と、テンポの加速を半端なく徹底するなどのメリハリの良さを特色とする演奏だった。短調コード進行の場面では、暗い音色を巧みに表出した点も優れた特徴、特色。

 

オケのトーンが柔らかく、金管の迫力は凄いのに、決して鋭くならない。第1ホルン奏者の音色は控え目ながらシルクのように美しく、フランスの奏者のような印象。トランペット群も同じく、「音量は出そうと思えばいくらでも出るが、音色で勝負します」という感じで、金管全体がとてもエレガントとさえ言えるものだった。ポリャンスキーは普通4つで振る部分も2つで振ったりと、悠然泰然としたベテランのバトンさばきで、とても良かった。

 

有名なのは第4楽章だが、この曲の白眉は第3楽章のアダージョだ。なんという悲しくせつなく美しい曲だろう。演奏もしっとり、じっくり歌わせ、迫力ある部分と、弱音の徹底による対称など、場面を丁寧に描きながらも、全体が哀愁感に満ちた素晴らしい内容だった。

 

間を置かず、アタッカで第4楽章に入る。ここでもテンポの変化、メリハリが見事。聴き終えて「本当に良い演奏だった。この曲のライブ名演を聴かせていただいた」と感じた。聴衆の拍手と歓声も凄く、なんと前半1曲目なのに、カーテンコールが3度も続いた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

2.チャイコフスキー「悲愴」

 

1曲目とティンパニ奏者が男性から女性に替わったのはともかく、気づいた限り、フルートとクラリネットの1番奏者も、1曲目の奏者と違った。プロオケで珍しいことだと思う。

 

「悲愴」も前述の「革命」と同じ特徴。金管の迫力は凄いが、決して威圧的にならず、音量が音楽的に美しいバランスを常に保つ。

 

テンポのメリハリ、緩急自在さも同じ。第1楽章の、まだ序奏の中と言ってよい部分の、Andanteニ長調で第1ヴァイオリンとチェロで歌われる有名な旋律も、通常、ゆったりと綿々と歌う演奏が多いが、ポリャンスキーさんはスッキリあっさり速めのテンポで演奏させた。

 

1楽章で私が一番「我が意を得たり」と感じて気に入ったのは、練習記号QからRまでの場面で、多くの指揮者はそれまでの流れでインテンポで演奏するが、ポリャンスキーさんがテンポ速度をどっしりと落とし、トロンボーンの「嘆きのコラール」とも言える絶叫オブリガートをたっぷりと歌わせたところ。大賛成の「解釈」だ。かと思うと、Andante mossoのピッツィカートは速めのテンポ、という具合に、緩急自在な演奏。

 

・・・・・・・・・

 

5拍子の第2楽章では、中間部のロ短調の部分での、ティンパニ、コントラバス、ファゴットによるオルゲルプンクトで、特にティンパニを常に大きめの音量で叩かせ、一種異様な、怖いくらいの緊迫感を創り出していて印象的だった。

 

3楽章はオーソドックスなテンポで、vivaceの楽章であっても慌てず騒がず、じっくりと進める。カチカチ、キャピキャピせず、アンサンブルとしてのバランスの良さと音色で勝負していた。例えば、弦による2分音符が2小節間続く部分でも、弦の質感はあくまでもエレガントで、柔らかいトーンで奏する。これは金管でも同じだった。

 

・・・・・・・・

 

3楽章から間を置かず、アタッカで第4楽章に入ったのは「革命」と同じだが、「革命」はアダージョからアレグロに転じるのに対し、「悲愴」は逆にアレグロからアダージョだから、奏者も気分を瞬時に変えねばならない。それでも、とても美しいAdagio lamentosoの開始だった。この終楽章でも、練習記号H7小節目からKに至るstringendo moltoの徹底が凄まじく、「半端ない徹底したアチェランド」で見事だった。「これこそ生きた音楽だ」と感心、賛同、感動した。

 

このようにテンポの緩急を含めたメリハリの徹底と、威圧的でなく、エレガントなトーンとバランス良い音量の配分に徹した見事な演奏だった。

 

敢えて、失礼な例えをするなら、ドイツ的かフランス的かと言えば、明らかにフランス的なオケの要素を感じさせるオケ。もちろんアメリカ的などではない。

 

それと、強いて疑問点というか、不思議だったのは、チェロ群の音色が、楽器のせいなのか、くすみがちで、音量的には物足りなかった点だ。

 

なお、アンコールとして、チャイコフスキーの「四季」より「秋の歌」が演奏された。チェロ独奏をメインとした繊細で美しい小品。2つの大曲の後、静かに終わる小品で終えたのは「粋」で良かった。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

(※)余談です

 

年配の知人が、「いったいいつから、指揮者が登場する前に、コンマスが一人で登場し、そのために指揮者と併せて計2回も拍手しなきゃ、いけなくなったんだ」と怒って言いましたが、この点については、その人に同感です。コンマスは言うまでもなく重要ですが、しかし、「偉そうに」単独で入場するなんて傲慢な感じがして嫌いです。

 

また、20年くらい前からだか、コンマスが一人、黒イス(アップライトピアノ用のイス)に座り、他の弦奏者と「違い」を強調するオケが増えました。今では、アマオケの多くもこれを真似ている現状です。

 

ちなみに、私が活動するオケでは、いずれもそんなことはしていません。黒イスに関しては、20年近く前、当時の女性コンミスがやろうとしましたが、岩城宏之さんが「偉そうだから、やめなさい」と注意して今に至ります。岩城さんの注意を聞いたとき、内心「そうだ」と快哉を叫びました。また、ウチのオケは民主制が徹底しているので、もし、コンマスが「団員が入場した後に、単独で入場」などしようものなら、全員から批判が起きること間違いなしです。

 

ウィーン・フィルかベルリン・フィル、シカゴ響など、一流のオケこそ「コンマスの黒イスなど用いない。後から単独入場などもしない」が徹底しています。

一流でない海外か日本のオケがやりはじめ、今ではアマオケまで、「コンマスの黒イス使用と、単独入場、という偉そうな行為」がまかり通っている現状を私は憂います。

なお、チェロパートが全員黒イス、というのも普及してきましたが、これは楽器の特性上、合理的なので、賛成です。

 

 

« 田部京子さんピアノ・リサイタル~宗次ホール | トップページ | 本質をとらえる力~人は各人一長一短 »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック