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2018年10月29日 (月)

歌う女、奏でる女、弾く女~艶やかなる宴~サロンコンサート

26日夜、メゾソプラノの長谷川忍さん、
新日本フィル2nd.Violinフォシュピーラーの佐々木絵理子さん、
ピアニストの羽石道代さんのトリオEnsemble Sabbathにより、
「歌う女、奏でる女、弾く女~艶やかなる宴~」と題された
サロンコンサートが明治神宮前(原宿)にある
カーサ・モーツァルトで開かれた。

各曲のミニ解説を交えて約1時間の演奏だが、
その後の出演者との懇親会も含めて十分楽しめた。
演奏曲は以下のとおり。

1.アーン「クロリスに」by 長谷川さん&羽石さん

2.タルティーニ ヴァイオリン・ソナタ ト短調「悪魔のトリル」
     by 佐々木さん&羽石さん

3.湯山昭 ピアノ曲集「おかしの世界」より
   バウムクーヘン、柿の種、クッキー、鬼あられ、
   マロングラッセ、プリン
     by 羽石さんのソロ

4.ドビュッシー「艶やかなる宴」第1集より「操り人形」
     by 長谷川さん&羽石さん

5.オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」より
   「見よ、震える弦の下で」by 3人

6.サン=サーンス 序奏とロンドカプリッチョーソ
   by 佐々木さん&羽石さん

7カルメン幻想曲 アレンジ=Ensemble Sabbath by 3人

アンコール モーツァルト「恋とはどんなものかしら」by 3人

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近、多くの歌手が取り上げるようになった
アーンの「クロリスに」を長谷川さんがしっとり歌った後、
ヴァイオリンの超絶技巧曲「悪魔のトリル」を
佐々木さんが情熱的に弾いた。

羽石さんがそれぞれキャラクター豊かな面白いピアノ演奏。
ドビュッシーの粋な歌の贈り物の後、「ホフマンの物語」の
中ではカットされることも多いという「操り人形」が披露された。

後半が特に良かったサン=サーンスの後の7は、
サラサーテの「カルメン幻想曲」を基に、フランツ・ワックスマン
の「カルメン・ファンタジー」の要素も盛り込みながらの
3人が工夫したアレンジによる演奏で盛り上げて
本プログラムは終了。

会場の「カーサ・モーツァルト」にちなんでアンコール
として、「フィガロの結婚」より「恋とはどんなものかしら」が
演奏された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記
 「恋とはどんなものかしら」における旋律と歌詞の2種類の
 当てはめについて

「歌う女、奏でる女、弾く女~艶やかなる宴」終了後の懇親会で、
私はメゾの長谷川忍さんに、楽譜の中の部分に関して、
「この、「ケ~、コ~ウ ザイ アモール」を
「ケ~、コザイ アモール」と歌う人もいますよね?」と尋ねると、
「あ、いますね。さすが伊藤さんですね」との回答。

高校生のころよく聴いていたテレサ・ベルガンサが歌う
このアリアで、ベルガンサは後者の「ケ~、コザイアモール」
と歌っていて、それが耳に馴染み、ずっとそれで覚えてい
たところ、数年後、「ケ~、コ~ウ ザイ アモール」と歌う歌唱を聴いて
驚き、スコアをみたら、フレージング的にそっちが正しそうだなあ、
と思うようになったし、実際、ライブでも録音でも、
前者が多いはず。
ベルガンサも別の録音では前者の言葉の扱いで歌っている
ヴァージョンもあったかと思う。

これは長谷川さんも言っていたが、指揮者の指示でどちらかに
する場合等、様々なことが考えられるが、いずれにしても、
実際、2とおりで歌われる、あるいは、
歌われた過去はあったのは確か。

多くに人=楽譜的には(8分音符で4拍と数えると)、
3拍目全部(付点16分音符+32分音符)にCosaèの「Co」
だけを入れ、4拍目のDの付点16分音符にsaè を入れ歌う、
ということと、
私が昔聴き、実際にそういう人もいるとするのは、
3拍目のBの付点16分音符にco sa、32分音符のDにèを
入れて歌う、というもの。
 (4拍目ウラのDにamorのaが入る点は同じです)

これが歌手の解釈か、指揮者の解釈か、そもそも
イタリア語歌詞と音符における、いわゆるディクション
 (強調や歌い回し)的にどちらが正解、
あるいは好ましいか、というのが、本文の趣旨(疑問点提示)
となります。

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