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2018年10月31日 (水)

文豪が聴いたクラシック~by 瀧井敬子さん

10月に入り、日本経済新聞夕刊の水曜日文化欄に、
音楽学者・プロデューサーの瀧井敬子さんが
「文豪が聴いたクラシック」と題して書いているのが
興味深い。

3日は主に森鴎外、10日は夏目漱石について書いている。
漱石の長男、純一氏が後に東京フィルハーモニー交響楽団の
コンマスになったとは知らなかった。

森鴎外は「舞姫」を持ち出すまでもなく、医学の勉強で
ドイツに留学したことは周知のとおり。
ワーグナー没の翌年1884年から1888年。この間、
歌劇場に数十回通ったと言われている。

はっきりとした記録では、1885年6月21日に
ライプチヒ市立歌劇場でグルックの
「オルフェオとエウリディーチェ」を観ている。
そのときの指揮者はアルトゥール・ニキシュ。

鴎外は事前に台本を買い、観劇の際にメモを残している。
オルフェオが妻の死を悲しみ、墓前で嘆き悲しむ場面
では 「緑葉編環、挂之墓前」、
黄泉国に捜しに行きなさいと励ます愛の神(天使)は
「脊生肉翅」、
その衣装には紅の証明 「見穿紅衣、紅光証之」。

瀧井さんは
「目を凝らしながら、懸命にメモをとった鴎外が目に浮かぶ」
としている。

また、東京大学総合図書館の鴎外蔵書にはオペラ台本も
あって、とりわけワーグナーが多いという。
例えば鴎外がドイツで買った「ローエングリン」の台本は2種、
解説書が1冊保管されているという。

夏目漱石にオペラ体験はなかったが、
「ローエングリン」の第一幕への前奏曲は、
1905年10月29日に東京音楽学校(後の東京芸大)の
定演で、寺田寅彦といっしょに聴いた。
指揮はアウグスト・ユンケル。
コンマスは幸田露伴の妹で、音楽分野の国費留学生
第一号の幸田延、そのサイドが第2号の幸田幸。

この前奏曲は、ご承知のとおり、終わり近くまで静謐な曲想が
続くが、終わり近くに盛り上がり、シンバルも響く。
2人はこのシンバルに驚いたというのが面白い。

4年後、欧州に留学した寺田寅彦はベルリン王立劇場
で「ローエングリン」を観てから、漱石に絵葉書を出し、
「ガチャンで(シンバルで驚いた事を思い出して)
 少し可笑しくなりました」、と書いている。


他では、永井荷風が1906年と1907年の2回、
ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で「ローエングリン」を
観ているという。

日本では西洋音楽発揚に向けての土台固めはこれから、
という時期における文豪たちのオペラ体験、音楽体験は
興味深い。

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瀧井敬子さんの「文豪が聴いたクラシック」の第3回目は
17日に掲載された。
話題はバッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲と、
その日本初演者である幸田姉妹。

まず、オイストラッフ親子による録音に触れた後、
日本初演は、1898年(明治31年)12月4日、
東京音楽学校(現 東京芸大)の奏楽堂における
同校の第1回定期演奏会で、幸田露伴の妹、延と幸の
ソロによるものであったことを紹介。
28歳の延が第1Violin、19歳の幸が第2Violin。

それにしても、こんにちでも好んで演奏される素晴らしい曲
 ~私も昔、第2Violinのソロパートを弾いたことがあります~
の日本初演が20世紀に入る前になされていたことは、
日本の西洋音楽史の中で特筆すべきことだろう。
あらためて幸田姉妹の重要性に思いが行く。

なお、翌年の1899年4月の再演には、当時の皇后陛下が
臨席された。そして1901年も2人のソロで演奏され、
同年6月、幸は国費音楽留学生の第2号としてベルリンに
向けて船出した。

姉の延は、その第1号として1889年4月から
1995年11月までの6年6か月、ドイツ留学して帰国
していた。

前橋汀子さんの「私の履歴書」 連載終了

日本経済新聞朝刊文化欄に長く連載されている「私の履歴書」の
今年10月はヴァイオリニストの前橋汀子さんで、
小澤征爾さん以来、クラシック音楽家による興味深い回の連続
だった。毎回、ワクワクしながら読んだ。

31日、最終回を迎えて終了したので、印象的な部分を
幾つか挙げてみよう。

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  その③と④より

ロシアの貴族出身で、高名なヴァイオリン教師だった
小野アンナさんが小野姓に変わるそのロシア革命時代に結婚
したご主人、動物学者だった小野俊一さんは、
あのオノ・ヨーコさんの伯父とは知らなかった。

掲載された、アンナ先生を囲んだ生徒たちの写真
 ~後列右端が前橋さん、左端が潮田益子さん
  (たぶん2人とも中学生位)~は
とても印象的な良い写真。

それにしても、前橋さんがヴァイオリンを習うきっかけは、
幼稚園児として入った目白の自由学園で、
情操教育の一環として必須だったピアノかヴァイオリンの
どちらかを選択、に際して、
お母さんが子供用のヴァイオリンを買ってきたことだったが、
その理由が、「こっちのほうが安かったから」は面白い。

前橋さんは言う。
「もしこれがピアノだったら、私の人生はどうなっていたの
 だろう。まさに運命の分かれ道だった」。

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  ⑤~⑪にかけて

~厳しさと愛情の系譜~母親、小野アンナ、斎藤秀雄、
  ミハイル・ワイマン~

お母さんの存在が大きい。教育ママとは違ったが、
自身専業主婦ながら料理と裁縫が得意で、
2人の子供=汀子&由子姉妹の服をそれぞれ作ってくれた。

家計の足しにと洋裁の内職をし、汀子さんが練習をしていると、
ミシンの音がしてきたという。
自分も料理や裁縫を習いたいと言うと、
「そんな暇があったら練習しなさい」と言われた。

ここで思い出すのは、樫本大進さんが若いころドイツで勉強中、
うまく弾けずに泣いていると、先生から、
「泣いている暇があったら、練習しろ」と言われたという逸話だ。

汀子さんのお母さんの凄さは言葉だけではない。
小野アンナ先生は、当時の日本で市販されていない
ロシア人作曲家の練習曲をレッスンで使用したため、
当時コピー機などないから、お母さんが写譜していた
という。
それも汀子さんの分だけでなく、自分が先生の指摘を
メモするめ、2セット、というから凄い。
汀子さん思いは半端じゃない。
小野アンナ先生が、
「ここはあと50回弾きなさい。ここは100回」と言うと、
お母さんは自分用の楽譜のその箇所に「50」、「100」と書いた。
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中学に通いながら、桐朋学園「子供のための音楽教室」で
ヴァイオリンを学んでいた汀子さんは、高校進学に際して、
音楽以外にも幅広い勉強がしたいと、
桐朋女子高ではなく、都立高を希望したところ、
斎藤秀雄さんから、
「ヴァイオリンを片手間でやるつもりか。そんな生半可な
 気持ちで勉強してきたのか」と烈火のごとく怒られた。
「うちでは桐朋の授業料は払えないと思います」と抵抗すると、
「では奨学金を出す。それでいいな」とトーサイは答えた
という。こういうところが、
トーサイたる斎藤秀雄さんの半端ない優しさ、
面倒見の良さだろう。

小澤征爾さんや山本直純さんが逃げ出すくらい怖かった
その斎藤秀雄さんは、汀子さんの留学に際して、
「君ねえ、絶対に人と比べたらいけないよ」と言った。
汀子さんはその意味が解らず、内心ムッとしたそうだが、
「後にこの言葉を何度も反芻しながら涙を流すことになる」。

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実際、留学先のレニングラード音楽院での
ミハイル・ワイマン先生のクラスには男女14人の生徒
 ~女子学生は汀子さんと潮田益子さんを含めた6名~
がいて、
「どの学生も信じられないくらい上手に弾く。
 よくこのクラスに入れてもらえたものだ」
と驚くのだった。

母親が送った洋服が届いたと郵便局から連絡があった
ので、「受け取りに行ってきます」とワイマン先生に言うと、
「新しい服を着るのと、1つでも多くの正しいヴィブラートを
 練習するのと、どちらが必要だと思う?」と言ったという。
これなども、先述の、樫本さんの「泣いているヒマがあったら~」
の逸話を連想させる。
汀子さんは母親に
「本当に良い先生です。あらゆる点で驚き、尊敬しています」
と手紙を書いた。

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 シゲティさんの余裕~大きな心の人

日経新聞「私の履歴書」で前橋汀子さんのスイス留学時代での
先生や会った文化人らの面々は本当に興味深く、中でも
彼女が師事したヨーゼフ・シゲティやナタン・ミルシテインは
これまであまり聴いてこなかったので、最近、録音や文献を
確認し始めている。

シゲティに関してはこんな面白い逸話があった。
音楽評論家の横溝亮一さんが、ツテを頼って1964年、
数人でスイスのシゲティ邸を訪ねた際、
大胆にも横溝さんはこんな質問もしたそうだ。
「あなたの演奏は、音はあまりキレイではないと思う。
 ご自身ではどう思ってらっしゃるか」。

するとシゲティは笑ってこう答えたという。
「ハハハッ、君、僕はハイフェッツじゃないんだからね。
 技巧も無いし音も悪いさ。しかし、楽器は音楽を表現する
 ための道具に過ぎない。
 うまく操るのをひけらすのと、中身の音楽で感動するのと、
 どちらがいいと思う?自明の理だろう?」

凄い話だ。
こんな失礼な質問を本人に向かってするほうもするほうだが、
普通なら「出ていけ! 帰れ!」と激怒してもおかしくないのに、
苦笑して、しかも横溝氏の言及を肯定しつつ切り返すとは。
 「大きな人間だ」と思う。

技術、音楽性に加えて、来日時の人柄の良さでも話題となった
ヴァイオリニストにダヴィッド・オイストラッフがいるし、戦後、
米軍からナチ疑惑を厳しく追及されたフルトヴェングラーを
公然と積極的に擁護したユダヤ人ヴァイオリニストの
ユーディ・メニューインのヒューマニティも広く知られているが、
もう1人、このシゲティさんの心の大きさ、
なるほど技巧はこんにち的には超絶ではなかったにせよ、
音楽の内面を深く追及した個性的なヴァイオリイストという
だけでなく、泰然とした大人物としてのヨーゼフ・シゲティの
人間性を、教養ある豊かな文化人たるヴァイオリニスト、
音楽家の中に加えなければならないだろう。

なお、このやりとりのとき、横溝さんの同行者の中には
若き海野義雄氏がいたそうで、さぞ「ハラハラ」したこと
だろう。
評論家だから問えたことで(それでも大胆過ぎるが)、
新進気鋭の若き後輩同業者にはとてもじゃないけど言えない事
だっただろうから。

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また、このやりとりに続けて、シゲティさんはこうも語った
という。
「うまく弾くのが音楽じゃない。深く思索して、
 その音楽の魂を弾きずり出すのだ。
 音楽はヨーロッパの哲学なんだよ。
 日本では、ベートーヴェンがどんな思想の持ち主だったか、
 それが彼の音楽にどう反映されているか、
 そういうことを勉強していますか?」

日本における音楽教育における在り方さえ問い、
核心さえ突いていたのだ、と言えるのではないか。

もちろん当時の「欧米に追い付け」として、まずは
技術追及ありきの日本の風土はやむを得なかったにせよ、
その事が、こんにちの日本の音楽教育において
本当に良い結果だけをもたらせてきているのかは別問題
だと想像する。

いずれにしても、係る逸話を知ったからには、
シゲティさんにはこれまで以上に強い関心を持たないわけには
いかなくなった。

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 最終回より

10月31日の最終回の冒頭にはこうある。
「私鉄沿線の改札口で人を待っていたある日の夕方、
 電車から吐き出されてくる人の波を見てふと思った
 ことがある。
   「この中にクラシックのコンサートに足を運んだ人は
    何人いるのだろう」。
 一人でも多くの方に生の演奏を聴いてほしい。
 休日の午後、低料金で聴いていただく
 「アフタヌーン・コンサート」を2005年から始めた背景には
 そんな思いがあった」。

   (中略)

「こうしたコンサートに加え、前回紹介したベートーヴェンの
 弦楽四重奏曲を弾く「前橋汀子カルテット」が
 現在の活動の柱になっている」。

幼いころから彼女と親しかった潮田益子さんも中村紘子さんも
もうこの世にいない。
彼女の妹で優れたピアニスト(汀子さんの伴奏者)だった
由子さんもいない。
汀子さんは次のような言葉で「私の履歴書」を終えた。

「今は心身ともに充実しているが、自分に残された時間には
 限りがある。これが最後になるかもしれないとの思いで
 1回1回のステージに全力を尽くし、
 1日でも長くソリストとして現役を続けていきたい」


私は前橋さんのCDはバッハの無伴奏ほか、
幾つか持っているが、久しく聴いていない。
録音だけでなく、なるべく近いうちにライブも聴いてみようと思う。

小林由佳さん~「独演コンサート」

来年1月のバッティストーニ指揮の「千人」のソリストの一人
でもあるメゾソプラノの小林由佳さんのリサイタルを聴いた。

日本声楽家協会主催のシリーズ企画「独演コンサート」の
第128回の出演者。
会場はいつもの日暮里サニーホールコンサートサロン。
ピアノは朴令鈴(ぱくりんりん)さん。

私はこれまで小林由佳さんの歌声は、2年前の赤坂での
リサイタルのほか、オペラも含めて度々拝聴してきた。
特に昨年の東京二期会公演「ばらの騎士」でオクタヴィアンに
抜擢され、見事に大役を果たしたことは、彼女にとっても
エポックメイキングな挑戦だったに違いない。
素晴らしい歌声と公演だった。

この日の独演コンサートで由佳さんは「ゲーテに寄す」と題して、
ゲーテの詩に基づく歌曲、あるいはゲーテゆかりの人の関する歌曲、
あるいは由佳さんがイメージとしてゲーテを想起する歌曲などを
選んだことが特徴なのと、加えて、それらの歌曲やアリアに関して
第1部はドイツ語の歌、第2部ではフランス語の歌、として
披露したことも良いアイデアだったと思う。

演奏曲は以下のとおり。

 第1部

1.モーツァルト「すみれ」

2.シューベルト
 (1)ミューズの子
 (2)ガニュメート
 (3)糸を紡ぐグレートヒェン
 (4)魔王

3.シューマン
 (1)愛の歌
 (2)ズライカの歌
 (3)ミニヨン

  (休憩)

 第2部

1.トマ 歌劇「ミニヨン」より
   「知っている、故郷を?」(君よ知るや南の国)

2.オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」より
   「見ろ、震える弓の下で」

3.マスネ 歌劇「ウェルテル」より「手紙の歌」

4.ベルリオーズ 劇的音楽「ファウストの劫罰」より
   「激しい炎のような愛は」

アンコール シューベルト「楽に寄す」

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小林由佳さんの声は、メゾといっても明るく豪快な声なので、
私にはソプラノ・ドラマティコのイメージが強い。
このことは以前も書いた。
深い豊麗なトーンというメゾのイメージより、
明るく伸びやかで直裁的に飛んで行く声。

「すみれ」では正にその明るく伸びやかな声。
「ミューズの子」は元気な歌唱と言っても失礼には
 ならないだろう。
「糸を紡ぐグレートヒェン」は強い声で迫力十分。
そして前半のハイライトとも言える「魔王」は4人の声の使い分け
に工夫が見られたが、後半はむしろそうした要素より、
登場人物の親子にとって急がねばならない状況、という
全体の流れを重視した感のある歌唱だった。
前半最後の「ミニヨン」は情熱的でとても素敵。

休憩後の第2部は第1部にも増して充実した内容で、
私が特に感動したのはまず第2部冒頭の
 「君よ知るや南の国」。
情感、迫力いずれも見事。
「身よ、震える弓の下で」は声量豊かな「大きな歌」。

そして、後半1曲目とともに「ウェルテル」の「手紙の歌」も
この日の白眉と言ってよく、
劇的な要素のよく出たドラマティックな歌唱だった。

プログラム最後の「愛に燃え上がる炎が」も情感豊かに
歌って素敵だった。

アンコールは私の大好きな曲、シューベルトの
「An die Musik」。
これはメゾらしいしっとりとした、しかし格調高い歌声。

由佳さんは特に男性にとても人気のある人で、
会場の8割は男性客で、2曲目からアンコ-ルに至る
ほぼ全曲で、男性数名からの「ヴラヴォー」が
連続したのだった。

来年1月の「千人」は私は合唱で出る予定なので、
共演させていただくことが今からとても楽しみだ。

2018年10月29日 (月)

歌う女、奏でる女、弾く女~艶やかなる宴~サロンコンサート

26日夜、メゾソプラノの長谷川忍さん、
新日本フィル2nd.Violinフォシュピーラーの佐々木絵理子さん、
ピアニストの羽石道代さんのトリオEnsemble Sabbathにより、
「歌う女、奏でる女、弾く女~艶やかなる宴~」と題された
サロンコンサートが明治神宮前(原宿)にある
カーサ・モーツァルトで開かれた。

各曲のミニ解説を交えて約1時間の演奏だが、
その後の出演者との懇親会も含めて十分楽しめた。
演奏曲は以下のとおり。

1.アーン「クロリスに」by 長谷川さん&羽石さん

2.タルティーニ ヴァイオリン・ソナタ ト短調「悪魔のトリル」
     by 佐々木さん&羽石さん

3.湯山昭 ピアノ曲集「おかしの世界」より
   バウムクーヘン、柿の種、クッキー、鬼あられ、
   マロングラッセ、プリン
     by 羽石さんのソロ

4.ドビュッシー「艶やかなる宴」第1集より「操り人形」
     by 長谷川さん&羽石さん

5.オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」より
   「見よ、震える弦の下で」by 3人

6.サン=サーンス 序奏とロンドカプリッチョーソ
   by 佐々木さん&羽石さん

7カルメン幻想曲 アレンジ=Ensemble Sabbath by 3人

アンコール モーツァルト「恋とはどんなものかしら」by 3人

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最近、多くの歌手が取り上げるようになった
アーンの「クロリスに」を長谷川さんがしっとり歌った後、
ヴァイオリンの超絶技巧曲「悪魔のトリル」を
佐々木さんが情熱的に弾いた。

羽石さんがそれぞれキャラクター豊かな面白いピアノ演奏。
ドビュッシーの粋な歌の贈り物の後、「ホフマンの物語」の
中ではカットされることも多いという「操り人形」が披露された。

後半が特に良かったサン=サーンスの後の7は、
サラサーテの「カルメン幻想曲」を基に、フランツ・ワックスマン
の「カルメン・ファンタジー」の要素も盛り込みながらの
3人が工夫したアレンジによる演奏で盛り上げて
本プログラムは終了。

会場の「カーサ・モーツァルト」にちなんでアンコール
として、「フィガロの結婚」より「恋とはどんなものかしら」が
演奏された。

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追記
 「恋とはどんなものかしら」における旋律と歌詞の2種類の
 当てはめについて

「歌う女、奏でる女、弾く女~艶やかなる宴」終了後の懇親会で、
私はメゾの長谷川忍さんに、楽譜の中の部分に関して、
「この、「ケ~、コ~ウ ザイ アモール」を
「ケ~、コザイ アモール」と歌う人もいますよね?」と尋ねると、
「あ、いますね。さすが伊藤さんですね」との回答。

高校生のころよく聴いていたテレサ・ベルガンサが歌う
このアリアで、ベルガンサは後者の「ケ~、コザイアモール」
と歌っていて、それが耳に馴染み、ずっとそれで覚えてい
たところ、数年後、「ケ~、コ~ウ ザイ アモール」と歌う歌唱を聴いて
驚き、スコアをみたら、フレージング的にそっちが正しそうだなあ、
と思うようになったし、実際、ライブでも録音でも、
前者が多いはず。
ベルガンサも別の録音では前者の言葉の扱いで歌っている
ヴァージョンもあったかと思う。

これは長谷川さんも言っていたが、指揮者の指示でどちらかに
する場合等、様々なことが考えられるが、いずれにしても、
実際、2とおりで歌われる、あるいは、
歌われた過去はあったのは確か。

多くに人=楽譜的には(8分音符で4拍と数えると)、
3拍目全部(付点16分音符+32分音符)にCosaèの「Co」
だけを入れ、4拍目のDの付点16分音符にsaè を入れ歌う、
ということと、
私が昔聴き、実際にそういう人もいるとするのは、
3拍目のBの付点16分音符にco sa、32分音符のDにèを
入れて歌う、というもの。
 (4拍目ウラのDにamorのaが入る点は同じです)

これが歌手の解釈か、指揮者の解釈か、そもそも
イタリア語歌詞と音符における、いわゆるディクション
 (強調や歌い回し)的にどちらが正解、
あるいは好ましいか、というのが、本文の趣旨(疑問点提示)
となります。

2018年10月26日 (金)

安易で陳腐な自己責任論を排す

案の定、安田純平さんに対して「自己責任だろ」という声が
出ているそうだ。陳腐過ぎて反論する気もしないが、
一応少し書こう。

最初に係る反応が生じたのは2004年、イラクで、
ボランティアの女性やフリーカメラマなど、3人の日本人が
拘束された後に開放された事件だ。

ネット連中だけならともかく、あろうことか、その急先鋒の
一人に、当時、日本テレビアナでキャスターの辛坊治郎がいた。
彼による3人への「自己責任」に基づく批判は、
「誘拐された邦人を政府が税金を使って救助する必要はない」等
容赦なかった。

ところが、その辛坊氏は、2013年6月、全盲のヨットマンだった
岩本光弘をサポートする形で、ヨットで福島県いわき市から
米国カリフォルニア州サンディエゴでゴールをする予定で
出港したが、同月21日、クジラと思われる生物と衝突して、
ヨットが浸水。約10時間近く救難艇で漂流したのち、
海上自衛隊の救難飛行艇で救助される、という事故が起きた。
このとき、4000万円の税金が使われたと言われている。

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これについて、文春記者が辛坊氏に、
「4,000万円を自己負担する考えがあるか」と質問すると、
「払います、と言えば、助けてくれた自衛隊員が喜ぶと
 思いますか?命をかけて助けてもらって、
 それが金かよって思われないか」
などと、バカげた言い訳をし、一切、自分のした行動と結果
について「自己責任」とは言わなかった。

他人、それも紛争地域における活動をしていた人には
「自己責任だろ」と攻撃するのに、
自分の行動、それもヨット遭難、などという呑気な天下泰平の
遊びが招いた結果のことに税金が使われた事に対しては、
自己責任の「自」字も言わない。ジャーナリストとして失格だ。

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大前提だが、国、政府は国民を守る「義務」がある。
それはいかなる場所にいようと、いかなる職業でも同じだ。
そもそも「自己責任」と言うなら、それは
「成人には全員例外無く自己責任はある」。
なぜなら、各人、「その職業を選んだのは勝手」であり、
各人が「勝手に人生を生きている」のだから。

ゆえに当然、「成人の誰もに自己責任はある」のだから、
係る状況におかれた特定の人のみに対して
「自己責任を持ち出して批判すること自体おかしいし、
バカげている」と言わざるを得ない。

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青木理氏によると、アメリカではジャーナリストの紛争地
での安全性をどう守るかと真剣に議論をしており、
ケリー国務長官いわく、
「危険性をゼロにするのは非常に難しいが、
 一つだけ方法があって、それは沈黙することだ
  (危険な場所にいかないことだ)。
 しかしそれは、目と耳をふさぐことになり、
 ジャーナリズムの降伏、放棄を意味する」
という発言を紹介している。

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下記添付にアップされていた記事にあるが、
北海道大学名誉教授の吉崎祥司氏は、

「自己責任論は、「社会的責任」と「個人的責任」とを
 意図的に混同し、支配層にとっての不都合なこと
 すべてを個人の「自己責任」に解消することで、
 社会的・公共的責任を放棄し、あるいは
 隠蔽しようとするもの」
と明確に整理している。正論だと思う。

また、政治学者で音楽評論家でもある片山杜秀氏は、
「税金や徴兵など国民に犠牲を強いるかわりに
 後々までちゃんと面倒みるよ、というのが国民国家
 ですが、安倍政権の国家観はすでにそこからズレている。
 現政権が国防軍、日の丸、君が代といったナショナルな
 シンボルをやたらと強調するのは
 『もう国は国民の面倒はみない。それぞれ勝手に
   生きてくれ』
 という、政権の新自由主義的なスタンスと表裏の関係」
と指摘している。

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中東から遠いという印象の中で日本人の多くは
この島国で育った。要するに、
「多くの日本人にとって、日本が平和で、自分が平和な
 暮らしができればそれでいい」のであり、
中東の、いわんや、なんで戦争しているのか解らない
イスラム圏での取材や拘束など「余計なこと」なのだろう。

しかし、そうした日本人では、欧州旅行中にテロに
巻き込まれる可能性、すなわち、日本は日本だけで
平和を保ち、日本人だけが安全に暮らせる世の中ではない
ことに気づいていない。

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なるほど、危険地域に取材に行くことは
「勝手な個人行動」かもしれないが、少なくとも
「ヨットで遭難して税金で助けてもらうこと」とは
全く意味が異なることだけは確かだ。

「ヒトゴト」からの安易で軽薄で陳腐な自己責任という
 言葉を用いての「勝手で無責任な批判」は慎みたい。

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参考;日本人はなぜ自己責任論にはまるのか?
https://lite-ra.com/2015/02/post-843.html?fbclid=IwAR0GyjeL_8JZCXtEw2bzDzDhtbZNHoFP5s_LHcwDIBPvhen7UgRNg5Wbm9w

2018年10月25日 (木)

のんさんによる武満徹の「系図」~繰り返しの鑑賞に耐え得る朗読

東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者、
31歳のバッティストーニは同オケとのコンサートや
オペラ公演での来日が頻繁。
同オケとの録音もどんどん増えているが、最近では
西洋の曲と邦人曲の組み合わせによるCDリリースが
続いている。

その一環として、女優の「のん」さんによるナレーションで
武満徹の「系図」=「ファミリー・トゥリー」が
チャイコフスキーの「悲愴」とのカップリングで24日発売
されたので、さっそく大好きな「系図」を聴いてみた。

なお、武満の「系図」のCDリリースは、
日本初演者である小澤征爾+サイトウ・キネンの他、
岩城宏之+オーケストラ・アンサンブル金沢、
山田和樹+日本フィルに続く4種目。
外人指揮者による録音は初だが、ライブは、
ニューヨーク・フィルの創立150年委嘱作品ゆえ、
その世界初演者であるスラットキンの他、
デュトワがN響と演奏している。

のんさんの語りは自然で素朴なもので、
極力感情移入が排されており、客観的に詩を読む姿勢を基本
としているから、好き嫌いや賛否が出るかもしれないが、
私は好感を持って聴いた。
録音はオケともどもオンマイクでとても鮮明。

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最初の「むかしむかし」では、その淡々とした詩の朗読が
プロローグとして相応しいかたちで生かされている。

2番目の「おじいちゃん」と4番目の「おとうさん」では
もう少し感情移入が欲しいとは思うが、
その客観性は徹底されていて、

3番目の「おばあちゃん」ではそれが逆にシリアスな観察
として鬼気迫るまでの迫力をもって語られているのが面白い。

5番目の「おかあさん」での語りは、この曲で採用された
谷川俊太郎さんの6つの詩の中で、のんさんは最も客観的
というか、徹底的に冷たく突き放している感があり興味深い。
母と娘の親密さというより、その逆の、ある種ありがちな
「女性対女性という批判的見地からの観察」による朗読
として私は聴いた。

最後の「とおく」では終わり近くに少しだけ感情移入があり
好ましいが、淡々とした客観姿勢という基本は変わらない。

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こうして整理すると、「むかしむかし」はどの録音より良いし、
「おばあちゃん」、「とおく」も成功していると言えるが、
他の3つも、これまでのナレーターと違う面白さがある。
朴訥(ぼくとつ)ゆえ、聴き入ってしまう語りと言える。

もし、初演者の若き遠野凪子さんをはじめ、
これまでの語り手で、感情移入による言葉の抑揚に
ある種の「暑苦しさ」を感じて、「1回聴いたからいいや」と
興味を無くしてしまった人がいたら、そういう人にこそ、
この録音を聴いて欲しい。

この、のんさんによる語りは、敢えて感情移入を排した
客観的アプローチから生じている透明感に満ち、
それが徹底されているゆえ、何度でも繰り返して鑑賞
できる語りと演奏、聴き終えた直後に、
もう一度聴いて色々確認してみたくなる演奏と言える。

実際私はごく自然に3回続けて聴いた。
それでも全くクドさや暑苦しさは皆無だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

バッティストーニはこの作品のスコアから繊細さを
引き出すというよりは、図太さと言ってよいほど
積極果敢に直裁的なアプローチをしている。
オペラを演奏する如く、武満がオーケストレーションの
各パートに施している彩りや工夫等をためらいなく
描き出して好ましい。
こういう点は日本人指揮者が武満を演奏するときと
違うアプローチだなあ、と思う。
新鮮でとても好感が持てる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

解説文を書いている片山杜秀さんの文が良い。
「系図」は武満の遺作ではないが、初演に際して複雑な
事情が生じたため、初演はニューヨーク・フィルの
創立150年の1992年ではなく、3年後に行われ、
同年9月のサイトウキネンフェスティバルには
入院中だった武満さんも出向いたが、
それから5か月後に亡くなってしまったので、
そういう意味では「ラストソング」的な色合いが強くなった。

チャイコフスキーの「悲愴」はご存知のとおり、
最後の曲と言ってよく、チャイコフスキー自身の指揮による
初演後、10日も経たないうちに病没したので、
「ラストソング」と言える。

片山氏は、この2曲を2人の「ラストソング」という見地から
書いていて、とても興味深く拝読した次第。
https://www.youtube.com/watch?v=POIbX9Mv0a4

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/19447?fbclid=IwAR2mmu8VXijgkdDSsqXc6Unm3pgP7nufXnYBOe54LgrGjTJ76cHK2iDY11o

https://www.amazon.co.jp/dp/B07GGRVT9Z/ref=asc_df_B07GGRVT9Z2519481/?tag=jpgo-22&creative=9303&creativeASIN=B07GGRVT9Z&linkCode=df0&hvadid=295668476389&hvpos=1o1&hvnetw=g&hvrand=14071847006519969703&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009288&hvtargid=pla-524615964900&th=1&psc=1

2018年10月21日 (日)

東京合唱団の「エリア」を聴いて

昨年はメンデルスゾーンの没後170年だったが、
今年は特に何らかの区切りがあるわけでもないのに、
9月から10月にかけて、都内の4つの合唱団が
メンデルスゾーンの「エリヤ」を演奏する、という
非常に珍しい状況が生じた。

第九のように頻繁に演奏され(過ぎ)る曲と違い、
滅多に演奏されない2時間30分前後を要する大曲を
2か月間に4団体が演奏、というのは偶然とはいえ、
驚きだ。

私は武蔵野合唱団は都合で第一部のみの拝聴、
東京アカデミー合唱団は全曲拝聴、
合唱団鯨は私自身が団員としてステージに立ち、
そして20日午後、紀尾井ホールで1954年創設の
歴史ある東京合唱団による演奏を聴いた。
同団が「エリヤ」を演奏するのは、何と1957年以来、
実に61年ぶりとのこと。

この4団体の特徴、全体の印象は当然ながらマチマチで、
それが演奏の面白い点であるわけだが、
東京合唱団はオケの人数に象徴されるように、
室内楽的志向という色合いを感じた。

合唱団員の総数も、4つの中では一番少ないが、
各パートのバランスは一番良いと言える。
ソプラノ=21人、アルト=26人、テノール=14人、
バス=18人の合計=79人。

これに、今回、ソロの少ない部分をソリストとして歌った
横山和美さんがソプラノパートに加わり、
同様に松浦恵さんがアルトに、濱田翔さんがテノールに、
堤智洋さんと井上大聞さんがバスパートにそれぞれ
加わって合唱パートも歌われた。

指揮は、創設者の前田幸市郎先生のご子息で、
1997年よりこの合唱団を指揮している前田幸康先生。
2007年以降は音楽監督。

オケの東京KMG管弦楽団は、1982年に前田幸市郎氏
によって創設されたプロオケ。
東京近郊の音大の先生やフリーランスの奏者からなる
室内管弦楽団。ソリストは以下のとおり。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
萩原 潤…エリヤ(バス)
中江早希…第1ソプラノ、天使、やもめ
寺谷千枝子…第1アルト、天使、王妃
藤井雄介…第1テノール、オバディア、天使
横山和美…第2ソプラノ、天使、少年
松浦 惠…第2アルト、
濱田 翔…第2テノール、天使、アハブ王
堤 智洋…第1バス、天使
井上大聞…第2バス、天使
・・・・・・・・・・・・・・・

第1部の、特にその前半は合唱のテノールとバスという
男声がとてもよく声が出ていたのだが、
曲が進むにつれて迷いのようなものが感じられ、
第16曲の「Das Feuer fiel herab! Feuer!」の出だしや、
第1部終曲の第20曲の冒頭「Dank sei dir,~」がその典型で、
遅れただけでなく声量も乏しかった。

女声2パートは終始キチンと歌っていたが、
歌いきる事に終始して、個々のナンバーで重要な単語の強調
などはあまりなされていなかったように思えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さすが、前田幸康先生だな、と思ったのは、
トロンボーンとチューバを、客席から見て右手の
コントラバスの更に後ろに置いたこと。
これにより、東京アカデミー合唱団や鯨で、
ともすればありがちだった男声が消されてしまうことが
極力抑えられ、テナーやバスが比較的よく聴こえてきた
大きな要因と言えると思う。さすがの配慮だ。

前田先生のとったテンポは総じてゆったりめの
余裕あるテンポ。
速めにとったのは、第22曲の34小節目からの
ピユ・アニマートの部分と、第36曲、
そして最後の第42曲のアレグロからの部分くらいだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ソリストではオバディアを歌った藤井雄介さんの声が
美しく伸びやかで、とても素晴らしかった。

エリヤ役の萩原潤さんの声は、
重厚な青山貴さん(武蔵野合唱団)とも、
威厳あるキュウ・ウォン・ハンさん(東京アカデミー合唱団)とも、
スタイリッシュで格調高い与那城敬さん(合唱団鯨)とも
違い、
声量が弱い分物足りないながら、
温かい声質による穏やかなエリヤというイメージを提示
するものだった。
これはこれで興味深く聴かせていただいた。

中江早希さんは伸びやかでピュアな声が美しく、
大ベテランの寺谷千枝子さんの端正で彫琢ある
格調高い歌声を聴けたのは嬉しかった。

最後の曲では、ソリストも合唱といっしょに歌ったが、
鯨のときのように第42曲の最初からではなく、
アレグロに入って終わり近く、90小節目から
4人のメインソリストも立ち上り、
合唱といっしょに歌い終えた。
http://tokyochor.jp/concert.html

2018年10月19日 (金)

ジュリーは終わったか?~「驕り」は音楽家の最大の敵だ

17日に、さいたまスーパーアリーナで開催予定だった
沢田研二さんの公演が急きょ中止になった。
 理由に驚いた。
「観客の数が当初9,000人と聞いていたが7,000人しか
 入っていなかったから」だという。

「7,000人しか」じゃなく、「7,000人も」でしょ。
2,000人「足りない」ために、7,000人を邪険にしたわけだ。
大した度胸、大した傲慢さだ。
ザ・タイガースのベストCDも持っているし、
ジュリーはむしろ若いころより、最近は社会的発信もしていて、
そうした発信も含めて関心があったのにガッカリした。

妙な例えで恐縮だが、「100円を笑うものは100円に泣く」
とよく言われる。

ここから少しカッコ付けて言い換えるなら、
「1人のファンを大切にできない音楽家は
 やがて忘れ去られる」と思う。

この事は多分私の想像ではなく、真理と核心を突いていると思う。

クラシックのコンサートやオペラでは、東京ドームとか、
例の5千人だの1万人だのの第九とやらを別にすれば、
考えられない物凄い人数だ。
NHKホール2箱分の満員に近い人が来場したのにソデにした、
その愚挙に唖然とする。

アーティストにとって「驕り」は最大の敵のはず。
9,000人でないと採算割れしたとしても、
今回は全国ツアーなのだから、他でいくらでも
採算乗せくらいできるでしょ。

そもそも、そういうことで、来場した7,000人の
思いを裏切ってどうするのか?

50人の来場者にも、300人の来場者にも、
7,000人の来場者にも、それぞれの人生と喜びがあり、
各人が生活の中から、お金と時間を割いて会場に来たのだ、
といことを忘れる音楽家に未来は無いと断言できる。
https://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/amp/201810180000651.html?fbclid=IwAR3UUrNya9H9xfu_4scPwoJn0PzqbxKgALNfHjjEE6TS_EeMol7bEMMoWjM

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 アマチュア以下

9000人の集客と聞いていたのに実際は7000人だったこと、
客が少なかったため中止にしたことなどを改めて
自らの言葉で説明。
「さいたまスーパーアリーナを満員にできなかった
 僕の力不足です。僕は70歳になって、
 白旗でなく、自分に対して赤旗(レッドカード)を
 あげました」

7000人の気持ちを考えず、
自分のプライドだけを優先させた。

7000人も「来てくれている」のに歌わない。
アマチュアでさえあり得ない行為。
プロとしての死。アマチュア以下だ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181021-00000122-dal-ent

2018年10月17日 (水)

田中彩子さんが歌った「ネッラ・ファンタジア」と独特のステージ

国内最初の紀尾井でのリサイタルから4年連続、
ウィーン在住のソプラノ歌手 田中彩子さんのリサイタルを
17日、同じく紀尾井ホールで拝聴した。
今回がプログラム的にも一番面白かったし、
トークも安心して聴けるようになった。

最初は緊張していたようだが、それ以降は、
毎年ピアノ伴奏を務めてきている加藤昌則さん(作曲家)との
やりとりでの漫才的な会話が面白いだけでなく、
特に単独でのコメントは終始しっかりしていて、
第1回や2回時のタドタドしさと比べたら格段の進歩だった。

歌のデキよりトークのほうが心配な歌手は田中彩子さん
以外にいないだろうが、その「汚名?」ももはや過去のものに
なりつつある。

最後の曲が終わり、アンコールに入る前など
「お忙しい中、ご来場いただき、ありがとうございます。
 皆様の日頃の疲れが少しでも癒されたなら、
 とても嬉しく思います」
というコメントなど、初回のリサイタル時からは
考えられない挨拶だったし、

アンコール後、客が席を立ち始めると、なんと、ソデから
「これをもちまして本公演は全て終了となります。
 ロビーでは2人で、サイン会がありますので~」
と場内アナンスウス役まで代行し、
お客さんから爆笑をゲットするまでのコンサート慣れを
するまでに「成長」したのは喜ばしい。

これは加藤さんのフォローの力が大きい。
彼の演奏だけでなく、絶妙なフォロートークが、
田中さんの国内での一連のコンサートでの成功に
大きく貢献している。
もし、加藤さんでなかったら、どうだったのだろう?
と思うほど、彼と田中さんのコンビは抜群に成功しているのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

プログラムは以下のとおりで、
何より彼女の声の特徴が生きる、提示して聴衆を魅了
する曲が多かったのが好ましいし、
プログラム最後には映画で使われた曲やジャズ色の
強い曲で締めくくるなど、エンタ的にもユニークで余裕を
感じさせ、好感度が増すステージ構成だった。

誤解を恐れずに言えば、田中さんは歌の巧さがどう
とかいうより、エンタ性豊かな、誰にも似ていない、
マネのできない独自の独特の「田中ワールド」を
日本の聴衆の前に展開し、確立した、あるいは
確立しつつある、と言えると思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追加公演にもかかわらず、サイン会では驚くほど多くの人が
列をつくって、彼女の人気が本物になってきた感を
強くした。
私は4回連続の拝聴というだけでなく、フェイスブックの友人にも
なっていただいているので覚えていただいており、
今回も田中さんから、
「いつもありがとうございます」
と言っていただいた次第。

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 第1部

1.ドビュッシー 星の夜

2.J・シュトラウス2世 ウィーンの森の物語

3.J・シュトラウス2世 春の声

4.加藤さんのソロで、加藤昌則作曲「小さなさよなら」

5.デラクア 田園詩

6.マーラー この歌を作ったのは誰?

7.R・シュトラウス アモール~愛のキューピット

  (休憩)

第2部

8.ベートーヴェン 豊穣の夢
  ~「エリーゼのために」の編曲

9.リスト 愛の夢

10. パガニーニ カプリース 第24番

11. パガニーニ 愛しい人よ(ヴァイオリン協奏曲第4番)

12. モリコーネ ネッラ・ファンタジア

13. ガーシュイン クレイジー・フォー・ユー

アンコール エーデルワイス

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最初のドビュッシーは繊細な曲。彼女の声に適した選曲。
得意のJ・シュトラウス曲の次は、加藤さんいわく
田中さんが声を休めるために「つなぎ」ですとして、
加藤さん作曲の「小さなさよなら」を独奏。

この日のプログラムでは、彼女の声の特質を
最も強くアピールし、曲としても興味深かったのは
デラクアの「田園詩」で、これはとても良かった。

マーラーも面白かったが、R・シュトラウスの「アモール
 ~愛のキューピット」が技術的に難度が高く、
曲想としてはコケティッシュな感のある歌で、
この曲でも田中さんの特質を強く打ち出せていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

休憩後の第2部での最初の4曲はアレンジもの。
声の特徴を示した点では、特にパガニーニの
カプリース 第24番が面白く、
聴衆からの拍手もこの日一番の大きなものだった。

同じくパガニーニの「愛しい人よ」は旋律が美しく、
哀愁感に満ち、技術よりも田中さんの情感を
たっぷり込めた歌唱で、いわば芸術性の高い歌唱だった。

そして、何といっても、私が大好きで、私自身、
椎名町の「バッハはうす」での音楽会で歌ったことのある
「ネッラ・ファンタジア」を田中さんの歌声で聴けたのは
想像もしていなかったので、大きな喜びだったし、実際、
しっとり感が素晴らしく、感涙を禁じ得なかった。

最後はガーシュインの曲をステージで警戒に身を
動かしながら歌い、プログラムを締めくくり、
アンコールは毎年のようにプログラムに入れてきた
「エーデルワイス」を日本語で歌った。

このように、今回のコンサートは、田中さんの声の特質、
特徴をよく出せる曲が多かったことが特徴で、加えて、
私としては「ネッラ・ファンタジア」が聴けたので、
最高に嬉しかった。
「ネッラ・ファンタジア」はぜひ録音して欲しいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に、田中さんを取り巻くスタッフらに一言。
周辺の関係者は若い人が多いようだが、考えかたは
古いようで、いくらサイン会にたくさんの人がならんでも
「握手はダメ。サイン待ちの列の中からの撮影はダメ、
 ツーショットはダメ」
とまで「囲む」のはいかがなものか?
もちろん、サイン時のツーショットは時間をとるから論題だが、
終演後でのロビーでツーショット撮影はほとんどの演奏家が
OKの状況、時代だし、サイン時の握手が禁じられていても、
こっそり握手を求めれば、ユジャ・ワンだってしてくれる時代
なのに。

そういう開かれた時代であることを
スタッフは理解しているのだろうか?

周辺が彼女を「持ち上げ過ぎる」と、彼女自身が勘違いするは
ことはなくても、そうした「スター扱い」はかえって
ファンを去らせてしまう危険性があることを、
マネジメントサイドやスタッフら周辺関係者は
心しておいたほうがいいだろう。
https://www.facebook.com/info.ayakotanaka/photos/a.183647265082530/1853536888093551/?type=3&theater

2018年10月15日 (月)

秋吉邦子さん「ドラマチック バロック!」

武蔵野合唱団の合唱指揮者&ヴォイストレーナーでもある
ソプラノの秋吉邦子さんが、東京オペラシティ近江楽堂で
毎年開催している「ドラマチック バロック!」の8回目は、
「333歳の天才たち」と題して14日午後、同楽堂で開催
された。

333歳とは、バッハ+ヘンデル+D・スカルラッティという
同じ年に生まれた3人を指す。
これに、今年没後400年のカッチーニの作品を加えた曲を
主とした意欲的なステージだった。

私が武蔵野合唱団で歌わせていただいたのは2年に
満たなかったが、クニ先生には当時大変お世話になった
だけでなく、退団後もフェイスブックのタイムラインでは
頻繁にコメントや「いいね!」をいただくなど、
今でもとてもお世話になっている次第。

チェンバロ伴奏およびソロは毎年の渡邊温子(あつこ)さん。
使用楽器はプログラムによると、
ブルース・ケネディ1995年製作M.ミートケ1702~04年による
ジャーマン2段鍵盤チェンバロとのこと。

この小ホールは、歌声は響き過ぎるくらいよく広がる空間で、
また、ここでチェンバロを聴くことは、控え目でも存在感ある
音色自体を十分に楽しめ、毎回愉悦を感じる。
 この日の演目は

1.A・スカルラッティ
 (1)私は心に感じる
 (2)すみれ

2.ロッティ「美しい唇が言ってくれた」

3.チェンバロソロで
  フレスコバルディ作曲トッカータ第9番

4.カッチーニ
 (1)アマリッリ
 (2)愛の神よ、何を待っているのでしょう
 (3)フィッリは天を眺めて

  (休憩)

5.D・スカルラッティ
  カンタータ「夢の中でさえ熱く思う」より
  アリア「たとえ夢の中であっても」
  レスタティーヴォ「夜明け前にあなたの夢を見た」
  アリア「あなたは去ってしまった」

6.J・S・バッハ
  コーヒーカンタータより
 (1)ああ、コーヒーのなんて甘いこと
 (2)今日にでもすぐ

7.ヘンデル
 (1)オラトリオ「メサイヤ」よりアリア「私は知っている」
 (2)歌劇「ジュリオ・チェーザレ」より
    アリア「非情な運命に涙はあふれ」

アンコール
バッハ&グノー「アヴェ・マリア」

・・・・・・・・・・・・・・・

最初は、ドメニコの父、アレッサンドロの2曲。
ロッティの曲はターンに特徴があった。
カッチーニの「フィッリは天を眺めて」はトリルが印象的。

後半最初のD・スカルラッティの長大なカンタータが
聴きもので、聴き応えあった。
最初のアリアは3拍子の劇的な内容。
最後のアリアはアレグロで、
この2曲ともトリルも印象的だった。

愉悦のバッハに続き、
ヘンデルは特に「非情な運命に涙はあふれ」が
構成的にも歌詞的にも面白かった。

秋吉さんの明るく伸びやかなトーンは、トークとともに、
来場者を幸せな気持ちにしてくれる魅力がある。
今回もとても終始とても温かな雰囲気に満ちた
コンサートだった。

2018年10月13日 (土)

与那城敬さん~充実、貫録のバリトンリサイタル

昨年、菊地美奈さんを招いた婦人国際平和自由連盟
 (WILPF)主催の今年のコンサートは、
バリトンの与那城敬さんを招き、13日午後、昨年同様、
浜離宮朝日ホールで開催された。

オール・イタリア歌曲&アリアによる、堂々たる貫録の
ステージだった。
まずは演目を知るし、感想を記載したい。

ピアノはいつもながら見事としか言い様のない
 谷池重紬子(たにいけ えつこ)さん。

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 第1部
1.ロッシーニ
 (1)ゴンドラに乗って
 (2)別れ

2.トスティ
 (1)セレナータ
 (2)理想の人
 (3)最後の歌

3.ドナウディ
 (1)私の愛する人の
 (2)愛する日々
 (3)限りなく優雅な絵姿
 
  (休憩)

第2部
4.レスピーギ
 (1)雪
 (2)霧
 (3)雨

5.プッチーニ 歌劇「エドガー」より「恥ずべきこの愛」

6.ヴェルディ 歌劇「ドン・カルロ」より「終わりの日は来た」

アンコール
 1.レオンカヴァッロ「マッティナータ」
 2.ガスタルドン「禁じられた音楽」
 3.カルディッロ「カタリカタリ」

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ロッシーニは「音楽の夜会」からの2曲で、3(or 6)拍子の曲。
トスティの「理想の人」はとても素敵な曲。
与那城さんの高音が見事。
有名な「最後の歌」も高音が素晴らしいのと、
最後の<>(クレッシェンド、ディミヌエンド)が
何とも色っぽく、
会場から思わずため息が生じたくらいだった。

ドナウディの歌曲は素晴らしい。
「私の愛する人の」はピアノの響きも美しく、
全体に優雅な曲。「愛する日々」のしっとり感も素敵。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後半はプログラム表記では最後の置かれたレスピーギを
最初にもってきて、歌曲の継続とした構成は正解だと思う。
ドナウディと同年生まれだが、近代的な響き。
「雪」ではピアノ伴奏による(移動ドで言うと)
 「ドラソミ、レソファレ、ド~」という定型の動きが印象的。
  詩的な「霧」でも与那城さんの高音が素晴らしい。
「雨」もドビュッシー的なピアノ伴奏が印象的。

プッチーニの珍しいオペラからのアリアで、
「ああ、これは本当に劇場の歌だな」と、
歌曲とアリアの違いをまざまざと確認できた。
迫力のドン・カルロでの盛大な拍手と歓声に続き、
アンコール3曲もそのまま盛り上がって、
貫録のステージが終わった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このWILPF主催のコンサートは、歌手自ら、
相当量のトークも入るという楽しみも加わるものだが、
そうした、出演アーティストの人柄にも触れられる
楽しいコンサートで、ちなみに、
来年は森谷真理さんとのこと。

与那城さんは今、最も充実したバリトン歌手の一人だが、
それでいて、今後まだまだ未知数の、
どこまで成長していかれるのだろう、という期待の膨らむ、
今とこれからこそが楽しみなバリトン歌手だと思う。

2018年10月12日 (金)

ここ半年で観た映画~その25

4月24日に、この半年で観た映画 その24として、
2017年10月~2018年3月に劇場やDVDで観た映画の
感想を書いたのに続き、それ以降の
2018年4月~2018年9月に観た映画の感想を
シリーズの25として感想を記したい。

なお、これまで同様、既に単独でブログに書いたものは
「○月○日のブログに記載のとおり」、とだけにしたい。

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 ユリゴコロ (DVD)

とてもよくできた悲しい物語。とてもよくできている作品。

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 娼年  (劇場)

驚きの内容。原作は石田衣良さん。
以前、門脇麦さん、滝藤賢一さん、池松壮亮さんらが
「愛の渦(うず)」に出演したとき、この内容の作品に
「よく出たな」と驚いたが、インパクトの点でそれを上回る。
何しろ、今一番売れっ子の若手俳優、松坂桃李さんが
全裸頻出の映画なのだから。
事務所等周辺もよくOKしたなと思う。
なお監督は「愛の渦」と同じ三浦大輔さん。

女性の松坂ファンにはこう言うしかないかも。
「今までの桃李クンのイメージを壊したくないなら
 見ないようがよい、いや、見てはダメ」。しかし、
「彼の演じる俳優としてのパフォーマンスの全てを知り、
 確認し、受け入れて今後も応援できる「覚悟」があれば、
 ぜひ見たほうがよい」、と。
http://shonen-movie.com/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書 (劇場)

不正義も正義も併せ飲んできたアメリカのマスメディアの
真骨頂の一面を知れる。それでも時代が違うとはいえ、
アメリカにおいても時の政府と対峙することが
いかに大変だったかが解る。
それでも立ち向かってきたのが、あの国のマスメディアの
強さ、民主主義の基盤の強さだ。
昨今とかく政府の茶坊主的傾向無きにしもあらずの日本
のマスメディア関係者必見の映画だろう。
http://pentagonpapers-movie.jp/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 恋は雨上がりのように (劇場)

小松菜奈さんのファンなので、楽しめた。
https://www.youtube.com/watch?v=JuS1V2m03fM

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 万引き家族 (劇場)

6月18日のブログに記載のとおり

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 空飛ぶタイヤ  (劇場)

4月20日のブログに記載のとおり

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 羊と鋼の森 (劇場)

4月18日のブログ記載のとおり

 追記 再び観た映画「羊と鋼の森」

封切り間もなく観て、こちらにも感想をアップさせて
いただいたが、先日、もう一度劇場で「羊と鋼の森」観た。
やはり良い映画だ。
上白石萌音が演じる姉妹の姉がピアニストを目指す決意
を告白し、妹が喜ぶと同時に大変さに言及すると、
「ピアノで食べていこうとは思わない。ピアノを食べて
 生きていく」と応じるセリフは、
鈴木亮平演じる先輩調律師が言う
「才能というのは、凄く好き、ということではないだろうか。
 何があっても継続する執念。
 どんなことがあっても続ける気持」、に呼応する。

前半では「子犬のワルツ」をめぐる両親を亡くした少年の逸話で、
個人それぞれに大切なピアノにまつわるドラマがあること
描き伝える。

後半ではプロピアニストのコンサートに備えての三浦友和演じる
ベテラン調律師がピアノの足の輪の向きを変えることで
響きを変えるプロ技を見せてくれる。

結婚式披露宴(パーティー)会場での山﨑賢人演じる主役
若手調律師が言う。
「どんな天井の高さ、部屋の大きさ、前と後ろの人の
 位置(距離)、どれだけの人が入る場所か、会場か。
 どんな状況でもその時の最上の音を御届ける」。
そのために調律師はピアノを最上の状態に仕上げていく。

これは他の楽器も声楽もいえることでもある。
事前に備える基礎的な準備にして、最初の最大のクリア
すべき絶対条件としてのベストコンディション作り。

奏者はステージで遊んでいるのではない。
都度が真剣勝負だ。技術と肉体的コンディションがあり、
次いでそれ以外でまず重要なものはピアノという楽器の
状態。次いでコンサートホール等、会場の状況、状態。

ときおり~たぶん、ユジャ・ワンを念頭において~奏者の衣装
のことをとやかく言う人がいるが、そんなものは2の次3の次
いやそれ以下だ。
奏者が一番弾きやすい恰好で演奏すればよい。
もし裸が最高コンディションならそれでもよいが、
家ではともかく、さすがに人前ではムリだから、
各人が工夫するだけのこと。

アリス=紗良・オットは裸足で弾く。
きっとペダリング的にそれが彼女に一番フィットするのだろう。
それをもし、「客の前で裸足で弾くとは何事か」と批判する人が
いるとしたら、ピアノと奏者との関係性やコンディション、
あるいはペダリングのことを知らない人のセリフだ。

奏者は多くの面で最高の状態で、そのとき望み得る最高の
演奏をしようとする。そしてそのとき、そこにおいてピアノという
楽器のコンディションを最高に保とうとする仕事が調律師だ。

調律師がいかに大切な存在かを知らない人は
未だピアノと奏者とそこから紡ぎだされる音楽の何たるかを
知らない人と言えるかもしれない。
それほど調律師の仕事は重要である、ということを
教えてくれる映画だ。
https://www.youtube.com/watch?v=g1O7i4jNJ6c

http://hitsuji-hagane-movie.com/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 祈りの幕が下りる時 (DVD)

劇場で観れなかたので、レンタルDVDで観た。圧巻だった。
東野圭吾原作の映画化作品はほとんど観てきたが、
いつも感じるのは「1つの事件の奥に潜む人間の、
特に家族のドラマ」だ。
その点では、松本清張以来の社会派ストーリーテラー
と言えるだろう。
http://inorinomaku-movie.jp/

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 嘘を愛する女 (DVD)

劇場で観れなかたので、レンタルDVDで観た。
なかなか良かった。悲しい物語。

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 カメラを止めるな! (劇場)

話題作で、先週観ようとしたら希望の時間帯は既に
ソウルドアウト状態で驚いた。
メイキング自体が喜劇になっていて斬新。
親子の問題も入るし、指示する立場が入れ替わるというか
「現場」にこそ真実があるという事を示してくれて面白い。

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 検察側の罪人  (劇場)

大胆な設定。これまでニノさんの俳優としての力量には
疑問を感じていたが、この作品では、むしろ
キムタクを食うくらいの力演を見せる。面白かった。

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 累(かさね)  (劇場)

映画「累(かさね)」を観た。「入れ替わり」自体は、
タイムスリップに次いで邦画でしばしば見られる設定なので
珍しくないゆえ、ある意味、どうということもない内容だが、
普段はピュアな感じの土屋太鳳さんがこれまでにない毒のある
凄みを見せるし、それに負けじと、
これまた普段は静かな感じの芳根京子さんが凄みで挑み、
2人の「対決」が見ものだ。
http://kasane-movie.jp/
https://www.youtube.com/watch?v=ilJDJNVTm5M

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 響 HIBIKI  (劇場)

圧倒的に面白かった。強く推薦します。
作品に対して、人の意見ではなく、
賞などによる世間の評価ではなく、
自分はどう思うか、を
15歳の高校1年生が大人たちに、同世代に問う。
https://www.youtube.com/watch?v=6_9DS6aASSY
http://www.hibiki-the-movie.jp/index.html

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 コーヒーが冷めないうちに  (劇場)

タイトルが良い。仕掛けは、ここ20年くらい邦画の
ほとんどビョーキ的なまでの陳腐なワンパターンである
タイムスリップもの。でも、この作品は楽しめる。
とにかく、女優陣が素敵だし、
まず、薬師丸ひろ子さんと松重豊さんの夫婦の逸話に
ホロリとする。
次いで、吉田羊さんの妹さんとの逸話にも。
最後に来て、それまで謎の役を演じている石田ゆり子さんと
ヒロイン有村架純さんとの関係性が明かされるが、
未来から来る少女の仕掛けが解り難いまま終わり、
モヤモヤ感が残る。
しかし、それは、エンドロールの途中で退席せず、
最後まで場内で映像を見続ければ、最後の最後で
それが説明される仕掛けになっている。
それでも不思議感は残るが、未来との二十構造、
時間も空間もワープする重層的な設定ととらえれば
よいのだろう。
最後の展開は相当ムリがあるが、所詮最初から
御伽噺的な物語なので、設定自体よりも、
たいせつな人との別れ、それに至るまでの生活を大切に
するというメッセージを楽しめばよいと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=ekipOg9jkTI
http://coffee-movie.jp/

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 今夜、ロマンス劇場で (DVD)

なかなか良かった。
今年(2018年)亡くなった加藤剛さんの映画最後の出演作。

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 ナミヤ雑貨店の奇蹟 (DVD)

またもやタイムスリップものか、と唖然愕然としても、
そこは何といっても東野圭吾原作だ。
そのまま観続けることを薦めます。
 テーマは再生。
人生は絶望に値しない。メッセージは時空を超えて伝わる。
劇中とエンディングで使われる山下達郎さんの「REBORN」が
素敵な曲。
http://namiya-movie.jp/

映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』門脇麦が歌う「REBORN」MV映像
https://www.youtube.com/watch?v=zwIPf3522Aw
山下達郎 「REBORN」
https://gyao.yahoo.co.jp/player/00107/v09471/v0947100000000540097/
https://www.youtube.com/watch?v=ey_fFpXYAXg
ショートヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=MP8R_ygE-lE

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 8年越しの花嫁 (DVD)

実話に基づく作品。土屋太鳳さんが熱演。
こんな演技を見せられたら誰でも彼女を好きになるに違いない。
男性の優しさが凄い。それを演じた佐藤健さんも自然体で
良かった。
http://8nengoshi.jp/

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 心が叫びたがってるんだ。 (DVD)

とても良い青春ドラマ。
あのころに戻りたいと思わせる素敵な内容。
https://kokosake-movie.jp/

2018年10月11日 (木)

嬉しい反応~「エリヤ、素晴らしい演奏でした」と声をかけられ

別途書いた「椿姫」の開演10数分前、客席でフライヤー(ちらし)を見ていると、60代位のご婦人が「あの、失礼ですけれど、昨日「エリヤ」を歌っていたかたでしょうか?」と声をかけてきた。
私「ええ、そうです」
ご婦人「やはりそうでしたか。昨日ステージでお見かけした人に似ているな、と。とても素晴らしい演奏でした」
私「それはどうもありがとうございます。恐れ入ります。これからもどうぞ「鯨」をよろしくお願いします」、というようなやりとりをした。
とても驚いた。プロ演奏家ならともかく、アマチュアの、合唱団の一員としてステージに立っただけの私に、こうしたお声かけをいただけるとは。何よりこれは、合唱団にとって名誉なことに違いない。
私は出演者として客観的に演奏に満点は付けられないが、お客様に喜んでいただき、楽しんで帰途についていただけたことは何物にも代えがたい大きな喜びだ。このこと自体には多分プロもアマもなく同じだろう。
プロアマを問わず、演奏当事者は、演奏において都度、様々な感想や反省点や達成感等を抱くのは当然だけれど、何より、お客様に喜んでいただけたこと、楽しんでいただけた演奏だったとするなら、演奏者冥利に尽きる。演奏者の最大の喜びは自己満足ではなく、来場されたお客様が楽しんでいただくことにあるのだから。
こうして来場していただけるお客様がいること、楽しんでいただけるお客様がいることは、本当にありがたいことだ。

椿姫~町田シティオペラ協会主催のオペラシリーズ第6弾

合唱団「鯨」のヴォイストレーナーでもある松原有奈さん主演、町田シティオペラ協会主催のオペラシリーズ第6弾としての公演であるヴェルディの「椿姫」を、8日午後、和光大学ポプリホール(小田急線鶴川駅)で聴いた。
オケではなく、ピアノ演奏によるものだが、全曲聴いたのは久しぶり。あらためて名曲のオンパレード作品だなと思う。
ベテランの域にある松原さんと、新進売れっ子の1人、金山京介さんによる全幕。
松原さんは、第1幕での「不思議だわ」から(「花から花へ」)での後者での冴えた
第2幕のジェリモンとのやりとりでは、声のトーンをガラリと変えた
金山さんは幕が進むにつれてどんどん伸びやかな声になり、特に2人とも第3幕が充実の名演。
劇としては、第2幕第1場でのジェルモンとヴィオレッタのシリアスなやりとりこそ、この劇の核心でもあることを確認できた。
「有奈一門」による合唱はどの場面もとても立派だったが、特に第2幕第2場で、アルフレードに「出て行け」とする合唱が見事だった。
ピアノでこの作品を見事に弾いた今野菊子さんに心からの拍手を送りたい。
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演出    松本重孝
公演監督 鹿又 透
ヴィオレッタ 松原有奈
アルフレード  金山京介
ジェルモン 鹿又 透
フローラ  松本真代
ドゥフォール男爵 小林由樹
ガストン子爵 石川雄蔵
ドビニー公爵&医師グランヴィル 大川博
アンニーナ  雨傘佳奈
ジュゼツペ  大槻聡之助
使者  小野隆伸
フローラの召使 岡田頼祈
合唱 有奈☆一門
ピアノ   今野菊子

2018年10月 9日 (火)

清水梢さんが歌った「聴け、イスラエルよ」~日本人歌手のハイレベル化

別途書いたが、合唱団 鯨の「エリヤ」で今回初めて知ったソプラノの清水梢さんはちょっと衝撃的な位の美声。岸七美子さん以来の「素晴らしい逸材の発見」と感じる。
岸さんの豊富なパレットと自在な歌い回しが、若い歌手に思えないほど圧巻の衝撃だったことに対して、清水さんは、どこまでも透明で、10代かと思うほどのピュアな声が、真っ直ぐにホール全体に伸びて行く見事な声量と透明感。数多いる素晴らしいソプラノ歌手の中にあっても、この声の質感はなかなか聴けない声だ。素晴らしい才能だと思う。「こういう歌手がいたんだ」と、あらためて、まだまだ知らない素晴らしい日本人歌手がいることを知った。
「エリヤ」の第二部最初の曲、No.21「Höre,Israel(聴け、イスラエルよ)」での歌声は、エリー・アメリンクの名唱に匹敵する。来場されたお客さんで初めて彼女を知り、歌声を聴いた人の多くは、私と同じ感想を抱いたに違いないと想像する。

合唱団 鯨による第70回定期演奏会メンデルスゾーンのオラトリオ「エリヤ」

今年4月に入団させていただいた合唱団 鯨が第70回定期演奏会として、常任指揮者の黒岩英臣先生指揮によりメンデルスゾーンのオラトリオ「エリヤ」を7日午後、東京芸術劇場で演奏した。
メンデルスゾーンの最高傑作にして、あらゆる声楽曲の中でも「マタイ受難曲」、「メサイヤ」とともに西洋音楽史上でも屈指の、偉大な名曲。
自分が出演した合唱については美化せず自画自賛せず、客観的に後述するが、今回はまず何といっても、ソリスト陣の素晴らしさを強調したい。
後述するテオ・アダムの名唱を想起させる与那城敬さん、深い情感と端正なフォルムの谷内畝晶子さん。明るいトーンと安定感抜群のテナー与儀巧さん。そして別途書くが、今回初めて知った歌手の清水梢さんによる透明で純度の高い、よく伸び声量のある見事な声。
エリヤの録音ではサヴァリッシュの2種が特に有名で、N響とのライブは貴重だし、ルチア・ポップさんの素晴らしさや、全体としても速めのテンポによる熱気ある推進力が魅力的だが、合唱の録音が遠くにある感じで損をしているなどを考えると、完成度は、録音のクリア度含めて1968年のライプッツィッヒ・ゲヴァントハウスとの録音が最高に素晴らしい。テオ・アダムのエリヤ、ペーター・シュライヤーとエリー・アメリンクを配したこの演奏を凌駕することは容易ではなく、いまだに不滅の名演、名盤と言える。
しかし今回は、このキャスティングに決して負けていない見事な歌唱だったと、自分が聴衆側にいたとしての感想として、そう伝えたい。
・・・・・・・・・・・
自分が出演した演奏のことを「最高」とかの言葉で喧伝する傾向が一般にあるし、そうした心理は理解はできるが、私はそういう人間でなく、むしろ「自分が聴衆だったらどう聴いただろう?どういう感想を抱いただろう?」という客観的な視点で考えるし、書きたいと思う。問題があったなら、それを直視しないと、今後の成長はないと考えるので。
ということで、合唱についてまずは反省点から客観的に書くと、1つ大きなアクシデントが最後に生じた。終曲である第42曲の短いアンダンテが終わり、アレグロによるフーガ的展開で進行する曲の出だしで、最初にテーマを歌うアルトパートがどんどん先んじてしまい、指揮、オケと完全にズレが生じた。ソプラノ、バスと入っていく中で修正でき、事無を得たが。
黒岩先生は午前のゲネより幾分ゆったりとしたテンポで振ったとはいえ、アルトパートがちゃんと指揮を見ていれば何のことはなかった。ライブである以上、テンポの変化は当然で、むしろそうした変化のない演奏こそ生気に乏しいと言えるのだから、合唱はその場での対応が必要、必須。「いかに指揮を見ていないか」が、いみじくも露呈した瞬間だった。
私は、やみくもな暗譜主義には批判的な立場をとるが、係る自体を回避する意味では、少なくとも、ほぼ暗譜で歌える状況に各人が自身でもっていく必要があるし、私は今回、ほぼそのレベルに到達できていた。
もう1つ。これはレセプション時の新入団者挨拶でも言及したが、第2曲で何度も歌われる歌詞「Herr, höre~」の2つ単語の発音の違いが明瞭でなかった。オーウムラウトが甘い。東京アカデミー合唱団は、発音練習にドイツ人を招いただけに、このHerrとhöreの違いを明確に歌い分けていた。
今回の鯨は、この点での明確な発音の違いを出せていなかった。
・・・・・・・・・・・
という事はあったが、プログラムに全員の一言が掲載されて、そこにも複数あるように、各人が懸命に長く難しいドイツ語歌詞に取り組み、あるいは1993年のとき以来の感慨で歌う人がいたり、多くの熱い気持ちが練習を重ねる中で高まり、それが発散されたのも事実だった。レセプションのとき、いみじくもソリストの藤崎美苗さんが「ともすれば、合唱がオケに遅れて出ることがあるが、今日の鯨は先んじる事はあっても遅れなかった」とコメントされたことに象徴するメンタリティがこの日のステージ上にはあったかもしれない。
鯨は高齢者が多いが、練習への出席率が良い。足の具合が良くない団員も複数いらっしゃるが、本ステージで象徴的に見れたとおり、団員同士で支えあう精神が強い。これは必ずしも全ての合唱団やオケに共通する文化ではない。
昨年、栗友会に属する2つの合唱団が「50歳以上、お断り」という非常にバカげた、エリート主義だか何だか知らないが、意味不明の愚挙に出た。私はその2つの合唱団を二度と聴く気はない。もちろん「いたわり」だけが組織ではないが、他者への優しさが無い集団組織、合唱団が、他者を慰め、いたわり、癒す音楽を提供できるとはとても思えないのも事実だ。
鯨は会社かと思うほどの組織もできているが、血の通う、柔軟で常に団員各人に気を配る文化がある。
繰り返しになるが、このことは全ての合唱団やオケにあるとは限らない文化だ。
・・・・・・・・・・
今回で鯨とは9年連続の共演となるクライネス・コンツェルトハウス管弦楽団はプロゆえ、抜群に上手い。「鯨」と何度も共演を重ねているので、ソリストとのレスタティーボを含め、合唱との合わせも抜群に巧い。コンミスの三戸素子さんのリードも素晴らしい。
今回更に嬉しかったこととして、個人的なことになるが、ヴィオラトップの長谷川弥生さんは、チェリスト陽子さんの姉で、別途書いたように、偶然、前日6日に、陽子さんのファンクラブの集いがあったばかりで、陽子さんには「明日、弥生さんと同じステージで共演させていただく」旨を伝え、弥生さんにも7日、本番を前とした通路でご挨拶し、「昨日、陽子さんに、今日、弥生さんとごいっしょする旨を伝えました」と話した次第。こうしたご縁が重なるステージは喜びが倍加する。
・・・・・・・・
いずれにしても、これまで未知だった係る偉大な曲を、多くのご縁も重なって、歴史ある合唱団で、学生時代以来38年ぶりに黒岩先生の指揮で、1~2階はほぼ満席の東京芸術劇場で歌えたことに、団と関係者すべての皆様に心から感謝したい。

バス1(エリヤ)与那城敬
ソプラノ1(二人の婦人、天使)清水梢
ソプラノ2(二人の婦人、天使、寡婦)藤崎美苗
アルト1(王妃、天使)谷地畝晶子
アルト2 金田久美子
テノール1(オバデヤ、アハブ)与儀巧
テノール2 高柳圭
バス2 大槻聡之介
管弦楽    クライネス・コンツェルトハウス管弦楽団

2018年10月 2日 (火)

NHKニューイヤーオペラ~なぜ常連ばかりで「新人」を増やさないのか

来年1月のNHKニューイヤオペラコンサートの出演者が
決まったが、担当者(出演者選考者)たちって
本当に歌手の情報を知らないんだなあ、という毎年の疑念が
益々深まった。
ほとんどは常連。初出演は大西宇宙さんくらい。
伊藤晴さんもかも。

興味あるのはコーナー出演される「IL DEVE(イル デーヴ)」
の初登場くらいで、私は大西さんは未だ聴いてなく、
伊藤晴さんは1回拝聴しただけだが、他の皆さんは
オペラ等で何度も聴かせていただいているので、
少なくともこの番組=コンサートでは「もう、いいや」と思う。

もし今回、IL DEVEが出なかったら、
会場に行かないのはもちろん、
TV放送さえ見ないかもしれない。

もちろん今回の出演者は皆素晴らしい歌手の皆さんだが、
常連が大多数では、このコンサートの存在意義、
開催意義が薄れる。

NHK関係者はテナーのFさんやメゾのHさんという、
テナーとメゾにおける各最多出場者と思える歌手を出さないと
「持たない、クレームが来る」とでも思っているのだろうか?
だとしたら笑止だ。

未だこのコンサートには出ていない、たくさんの優秀で
魅力的な歌手を、なぜ出そうとしないのか?
紹介しようとしないのか?

会場だけでなく、多くのオペラファンが1月3日19時からの
TV生放送を見るこのコンサートの意義を、
担当者自らが軽んじていることに気が付いていないようだ。

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これはここFBだけでの陰口ではない。
私は2007年から2016年まで10回連続、会場で聴いてきた。
その際、特に2010年頃以降のほとんどで、終演後、
アンケートにこう書いてきた。

「出演者に新鮮味が薄い。もっと初出場者を毎年増やして欲しい」

その効果があったかどうか、一時期「初」の人が増える傾向も
あったのだが、ここ数年はまた保守化している。

以前、三枝成彰さんが
「NHKのスタッフは、オペラ歌手に好き嫌いがある」
と発言されたが、あながち笑えない。

いや、好き嫌いというより、たぶん、世評でしか判断しない、
できない、すなわち、自分の目と耳で実際の多くの
オペラ公演や歌手のリサイタル等に出かけて行き、
自ら「発見」しようしないのだろう。

そういう主体的に発見開拓行動していれば、
このような常連ばかりの選出選考ということは、
あり得ないと思う。
これは選考者たちの怠慢に他ならない。

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このコンサートは、2年前からサントリーホールで
12月に開催されている
「オペラ歌手 紅白対抗歌合戦~声魂真剣勝負」
に人気を奪われていくことだろう。
https://www.nhk-p.co.jp/event/detail.php?id=919

2018年10月 1日 (月)

東京アカデミー合唱団の「エリヤ」を聴いて

東京アカデミー合唱団の第64回定期演奏会を、
台風が近づく9月30日16時から東京オペラシティで聴いた。
曲はメンデルスゾーンの大曲にして最高傑作の
 オラトリア「エリヤ」。

指揮は、団が創立された1964年の3年後、1967年から実に
51年にわたり常任指揮者、音楽監督を務めている秋山和慶さん。

プログラムに記載された団員のパート別人数は、
ソプラノ=41名、アルト=33名、テノール=25名、バス=29名、
と、比較的バランスは良い。昨今の合唱団は、
男性が極端に少ない団がとても多いので。

ちなみに、ドイツ語の大曲ゆえ、武蔵野合唱団のように
楽譜を持たずにステージに出る、などというリスクは、
この合唱団はもちろん採らない。
そんなことをしなくとも、後述のとおり、
なかなか充実した演奏だった。まずは、出演者を記すと、

管弦楽~東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

ソプラノ~半田美和子、本宮廉子

アルト~谷地畝晶子、三津山和代

テノール~松原友、小貫岩夫

バス~キュウ・ウォン・ハン(エリヤ)、狩野賢一

児童ソロ~NHK東京児童合唱団団員 野沢晴海(中学1年)

オルガン~荻野由美子

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合唱全体で良かったところ

 全体について
まずNo.29。肩の力の抜けた柔らかいトーンで素敵だった。
そしてNo.41。このナンバーでは全体のバランスが良く、
         迫力があった。
     この曲ではバスも良く、34小節から45小節にかけての
     「Auf ihm wird ruhen der Geist des Hern」のところも
     よく声が出ていた。

ドイツ語の発音は、ミヒャエル・シュタインという人が指導
されただけに、特に
第2曲目の「Herr」と「höre」(oウムラウト)の違いを明確明瞭に
歌い分けていて、立派だった。

 パートに関して
テナーパートが明るく柔らかいトーンで良かった。
ソプラノも声がよく出ていた。41人と、他のパートに比べて
人数が多いということはあるけれど。

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合唱全体で感心しなかったところ

 パートに関して
バス。29人もいるのに声が客席にほとんど届いていない。
コントラバスやチューバの後ろにいることは同情を禁じ得ないが、
まるで、10人位で歌っている感じだった。

例えばNo.34の後半でホ長調に転じてからの動き。
ここでは音域が低いし、旋律的な動きもそれほどないから
目立ち難い部分ではあるが、
それでも、あるいはそれだからこそ、
和音の土台たる動きがもっと明確になる必要がある場面だ。

他には、No.38の終わり近く、51小節から53小節にかけて
上向する「er fuhr im Weter gen Himmel」も
迫力が全く足りない。

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 ソリストについて

何と言ってもエリヤ役を歌ったキュウ・ウォン・ハンさんが
素晴らしかった。
声が太過ぎず細過ぎず、格調高く凛とした声。
なぜ韓国の歌手を?と思ったのだが、プログラムに団代表の
長谷川潔さんが
「8年前に彼がエリヤを歌うのを聴き、将来、我々が
 この曲を演奏するときは、彼にエリヤをお願いしたいと
 思った」からとのこと。大正解だ。

なお、それを含めた代表者挨拶文の下にお知らせがあり、
「私たちの敬愛するリーダー、長谷川潔は
 本公演を目前に控えた9月6日に帰らぬ人となりました」
とあるので、非常に驚いた。
8月の終わりころまではツイッター等でも秋山先生による
練習の様子を伝えてらっしゃるので、
本当に急な逝去なのだろう。
直接は存知ないながら、心からご冥福をお祈りしたい。

ソロではもう1人、アルトの谷地畝晶子さんが見事。
彼女が歌った場面の歌唱はどれも素晴らしく、
深く端正な声で、物語を誠実に伝えた。

ソプラノの半田美和子さんは現代曲を得意としている
こともあり、独特の激しさと訴求力、劇的で情熱的な
歌い回しがあり、この曲でも
前半No.8にそれがよく出ていた。後半もなかなか良かった。

テナーの松原友さんはトーンが美しいが、後半疲れたのか、
No.39のソロでは音程が悪いところが少なからずあった。

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No.19におけるDer Knabeではソリストでも団員でもなく、
NHK東京児童合唱団団員 野沢晴海君というボーイソプラノ
を使って、2階のオルガンの近くで歌ったのは
とても効果的だった。
思わずウルッとするほど良かった。

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最後に、秋山さんのアプローチは、古典的といより
ロマン派の音楽としてとらえた感のあるスケール感の
あるもので、逆に言うと、オケのシャープさや、
ディティールの丁寧さ、合唱とオケとの音量バランスの
配慮(調整)という点で、それぞれ足りなさも感じた。
それでもその分、雄大で聴き応えのある演奏だった。
https://www.tokyo-academy.com/

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