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2018年6月23日 (土)

田部京子さんのシューマン

22日、今や田部京子さんのホームラウンドとも言える
浜離宮朝日ホールでリサイタルを聴いた。
シリーズとしては「シューベルト・プラス第4回」と題するもの。
プログラムは、シューベルトの4つの即興曲D935 Op.142、
休憩後はメンデルスゾーン
「夏の名残のばら」による幻想曲(ホ長調Op.15)、
シューマン「謝肉祭」Op.9の3曲で、
田部さんにしては一見軽めのプログラムの印象を受けなくも
ないが、内容的にはそんなことはない。

前半のシューベルトは1曲ごとの性格(曲想)がまるで違ううえ、
全体を見据えて挑む場合、個々の曲の特徴を掴んで表現する
ことに加えて、全体の流れも当然重要になる。
そうした構成感への配慮と、1曲ごとの弾き分けにおいて
田部さんは天下一品だ。
羽毛のような柔らかさを曲ごとに色合いや縫い目の変化を
付けながらダイナムズのバランスにも配慮した細やかな演奏が
素敵だった。

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休憩後のメンデルスゾーンは18歳のころの作品といわれる曲。
アイルランドの詩人トーマス・ムーアのテクストによる
「夏の名残りのバラ」を用いたアイルランド民謡で、
日本では「庭の千草」として知られる。そのテーマが多少の彩りを
含めて爽やかに歌い出されたが、
次には一転して複雑でリズミックンな速いパッセージに変わり、
そうした巧みな弾き分けの変化の見事な妙。

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最後はシューベルトとともに田部さんが
特に得意とするシューマン。
有名な曲だし、もちろん田部さんもこれまで何度も弾いて
こられた曲。
田部さんの特徴は1音1音の粒の密度の深さにあると思う。
1音1音への誠実さ、と言い換えてもよいような生きた音が
連続する。

強靭な技術を基盤とした音には常に「コク」が在るが、
それは重いとか軽いではなく、熟成した果実のような濃厚な音
であり、それがムラなく持続して行く。

細部は全て丁寧に「練られる」が、それは合理的理知的な計算に
基づくというより、繊細でしなやかな感性で縫いあげて行く工程
を想像させるものであり、その結果、上質な絹織物だったり、
温かな毛織物のぬくもりのような温かさ、
気品を常に感じさせてくれる。
どっしりと全体を見据えた構成感が在る。

田部さんは次の(新しい)フレーズに移るときに決して先を
急がない。常に足元を見据え、大地に根ざして行くが如く、
歩んで行く。
「たたみ込む所」でも駆け出さず、常に一定の厚みと
熱さを内在したベクトルとして直進する。
その安定した音の粒立ちゆえ、技巧的な部分でも決して
仰々しくならないし、静謐な部分でも不透明にもならず、
常に明晰で格調高い音楽となる。

それも理知が先行するのではなく、
まず感情、情感があって、それをいかに表現するかという
考察が常に在る。そのバランスの素晴らしさ。
理知と情感の絶妙な配分と交差。

田部さんは、シューベルトにおいては、瑞々しさ清々しさを
増加することで、古典的フォルムの堅持よりもロマン派の
息吹を節度を保ちながらも喜々として歌うことに踏み込むが、
それはシューマンにおいて決定的となり、
シューマンにおけるヴィルトゥジティと同時に熱いロマンと
パッションがほとばしる演奏に圧倒され、
深い感銘を受ける。

田部さんの情感が直接的に音のドラマとして立体的に
歌われるシューマンは素晴らしい。
もしかしたら、田部さんが一番自分自身をさらけだして、
パッションの赴くままに弾くのはシューマンかもしれない。

そうであっても、
デモーニッシュの中でも常に自分のバランス感覚と
1音1音への誠実なタッチを忘れることがないまま、
いわば、誰よりも「大人な音楽」を醸し出して行く。
温かさと代え難いまでの気品が常に在るのだ。
この日の「謝肉祭」も正にこうした特色が溢れた名演だった。

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アンコールは、交響的練習曲遺作第5番と「トロイメライ」。
前者での深みのある真摯な充実感。
後者ではやや速めのテンポで爽やかさを内在した
ロマン的アプローチで素敵だった。
田部さんの演奏会は、いつも聴き手を幸せな気持ちにしてくれる。

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