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2018年4月29日 (日)

俊友会管弦楽団 第59回定期演奏会

2018年4月28日 (土)

東京ユヴェントス・フィル第17回定期演奏会

朝鮮半島南北対話

2018年4月26日 (木)

2つの認定~セクハラとパワハラ

クラシックと「兼業」脚光~23日日経新聞夕刊より

2018年4月24日 (火)

映画

2018年4月23日 (月)

新交響楽団のシューベルト「グレイト」

2018年4月19日 (木)

諏訪内晶子さんの現代作品演奏

自信のなさが表れる言葉

自衛隊員の暴言

財務省事務次官の「さわっていい?」等セクハラ発言問題

ロッシーニ「音楽の夜会」

2018年4月 6日 (金)

伊調馨選手へのパワハラを認定

許せないですね。
栄氏は「そんなつもりじゃなかった」と弁明したそうですが、
では、どういうつもりで「よく俺のところでレスリングできるな?」
と言ったのでしょうか?

男の嫉妬ですね。一番タチが悪いものです。

日本レスリング協会は協会として伊調さんにキチンと謝罪すべき。
そして、栄氏のレスリングに関する全ての指導的ポジションを
解任すること。
今後いっさいレスリングの指導に関する役職、地位にには
就かせないこと。

土俵の女人禁制は「伝統」ではない。ただの「ええかっこしい」だ

女性看護師が心臓マッサージ。男性らはアタフタ。
女性数名が加勢。
すると若い行事が「女性は土俵から降りてください」。

おいおい、そんな状況じゃないでしょ。
危うく死に至るところだったんですよ。
こういうのは断じて「伝統」とは言いません。
単なる男どもの「ええかっこしい」です。

いきさつ
京都府舞鶴市で4日に行われた大相撲春巡業の土俵上で
挨拶していた多々見良三市長(67)が膜下出血で倒れた。
看護資格のある女性が土俵に上がり救命処置。
行司が「女性は土俵から下りて」とアナウンス。
八角理事長が行司の不適切なアナウンスを以下の言葉で
謝罪した。

 「本日、京都府舞鶴市で行われた巡業中、
  多々見良三・舞鶴市長が倒れられました。
  市長のご無事を心よりお祈り申し上げます。
  とっさの応急措置をしてくださった女性の方々に
  深く感謝申し上げます。
  応急措置のさなか、場内アナウンスを担当していた
  行司が『女性は土俵から降りてください』と複数回
  アナウンスを行いました。
  行司が動転して呼びかけたものでしたが、
  人命にかかわる状況には不適切な対応でした。
  深くお詫び申し上げます」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180405-00000027-mbsnewsv-l26
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180404-00000331-sph-spo
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180405-00000047-mai-spo
https://mainichi.jp/articles/20180405/k00/00e/040/266000c?inb=ys


土俵の女性禁制の根源は女性の嫉妬だそうです。バカバカしい。
土俵の神聖化は五穀豊穣による祈りを起源とするそうですが、
その神は女神なので、女性が土俵に上がることで、
女神が嫉妬せぬよう、女人禁制になったとのこと。

要するに、大元は女性の嫉妬というわけです。
女神?女性でしょ。誤魔化しちゃダメです。
「男社会の伝統」と気取っているだけで、実態は女性の嫉妬に
振り回されているだけです。
それを「伝統」とかいうカッコイイ言葉で誤魔化しているだけ
のこと。ナンセンスの極み。

ウィーン・フィルもベルリン・フィルも一昔前までは
「女性奏者は要らない」と言って「女人禁制オケ」だった
けれど、今は普通にそれぞれに複数います。
ルールは時代に応じて変化する、変化させる。
それが大人社会の常識です。


土俵で救命措置の女性は、感謝状を固辞したとのこと。
 「当然のことした」
こういう女性の心こそ良き伝統と呼びたい。
男どものショーモナイ決め事よりも。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180406-00000005-asahi-soci


清めの塩への疑問
多々見良三市長が土俵から運び去られた直後、
塩が土俵に撒かれたそうです。不測の事態、
不慮の事故を清めるというころなんでしょうけど、
なんか嫌な感じ。
多々見良三市長は回復されたようですが、亡くなっていたら
「あの塩」は更に嫌な感じがします。

土俵への塩撒きは「邪気をはらい土俵を清める意」とのこと
ですが、倒れた人は邪気なんだ。ふーん、です。

女性が上がったことに対する「清め」説もあるそうです。
これがもし事実なら、女性が怒らないのはおかしいです。
女性こそ激怒すべきこと。
「女性が土俵に上がったことを清めることが伝統」ってヘン
でしょ。

葬儀から帰る際、受け取る品に付いて来る塩。
私はあれに昔から不快感というか、素朴な疑問、違和感を
抱いていて、実際、自宅に入る前に自分に振りかけたり、
周辺に撒いたことは一度もありません。
その理由は以下の感情からですが、
あくまでも私見、私感です。
皆さんが行うことを否定する気はありません。

 「清める、って、亡くなられたかたに失礼だろう」


(注)清めの塩とは、もともとは神道の考え方からきたもので、
死を穢れたものとして清めるという考え方からきたもの。
死を穢れとは考えない他の宗教では不要とされるものでもあり、
仏式の葬儀で清め塩を使わないとする宗派(浄土真宗など)
もある。
https://www.j-cast.com/2018/04/05325517.html?p=all
https://en-park.net/words/7581

恋女房に先立たれた男性の心情~女性は強く、男性は弱い

私は独身なので正直よく解らないのだが、田原総一朗さんによると
西部邁さんの自殺は、4年前に亡くなった奥さんのことが
大きかったという。
実際、西部さんは、「長年の連れ合いに先立たれて、
自分の人生は実質的に終わったのだと強く感じている。
自分の半分以上をもっていかれた感覚」、と述べていた。

1999年に自殺した江藤淳さんも、前年の奥さんの病死後、
抜け殻のように暮らす中での自殺と言われている。

吉田秀和さんは自殺ではなかったが、ドイツ人の奥さんの
他界後、しばらくの間、音楽評論をする気にならなかったことは
友人の間で語られていた。

また、以前、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で、鶴瓶さんが
訪ねた先の70代だかの男性も、その少し前に奥さんを亡くして
いて、しきりに「寂しい、寂しい」と口にしていた。

 翻って女性はどうだろう?

私はご主人を亡くしてから、かえって以前より元気になられた
女性を複数知ってるし、私が嫌いな曽野綾子氏など、
夫 三浦朱門氏の死後、夫との思い出を本にして
出版する(稼ぐ)元気さだ。

 「男性はロマンティストで、女性はリアリスト」
という表現が適切か否かは別として、
基本的に「男性は弱く、女性は強い」と言われることは
概ね正しいかも。

2018年4月 4日 (水)

「春なのに」 in 東京~ウィーンから故郷を想う

「3.11」に先立ってご紹介した菅野祥子さん作詞作曲の
「春なのに」。レコーディングメンバーの1人でもある
ウィーン在住のチェロ奏者 平野玲音さんは定期的に
トッパンホールで室内楽等を演奏してきているが、同じく
ウィーン在住の菅野祥子さんを迎え、ピアノの矢﨑さくらさん
とともに4日、同ホールでコンサートが開かれた。

今回に先立ち、1日、菅野さんの故郷である陸前高田市にて
「春なのに」in陸前高田を終えての演奏会でもある。

既に何度もブログやフェイスブックで書いたが、私が菅野さんの
「春なのに」を最初に知ったのは幸田浩子さんのCD。
この日、菅野さんと東京芸大の同期でもある幸田さんも来場されて
いたので、幸田さんに挨拶し、
「幸田さんのCDで知ったことが、この日に繋がっているのです」
と伝えると、「そう言ってくださるかたが多く、私も嬉しいです」と
語っていた。

平野さん同様、ウィーン在住の菅野さん自身よる国内での
披露公演は、2014年4月19日にこの日と同じくトッパンホールで
行われ、同年8月3日には軽井沢の大賀ホールで、
幸田さんとのデュオ公演が開催された。
私はいずれも会場で聴いている。

今回の演目は次のとおり。その後、感想を少し書いてみたい。

 <演奏曲>
1.菅野祥子さん&矢﨑さくらさんにより、
 (1)中田喜直「むこうむこう」
 (2)猪本 隆 「さざんか」
 (3)高田三郎「くちなし」

2.平野玲音さん&矢﨑さくらさんにより
  クライスラー作曲
 (1)美しきロスマリン
 (2)愛の悲しみ
 (3)愛の喜び

3.菅野祥子さん&矢﨑さくらさんにより
   ブラームス作曲
 (1)セレナーデ
 (2)日曜日
  平野さんが加わりトリオで
 (3)2つの歌曲「鎮められた憧れ」、「聖なる子守歌」

(休憩)

4.3人による演奏で、モンサルヴァージュ作曲
  「民謡 鳥の歌の主題によるマドリガル」

5.菅野祥子さん&矢﨑さくらさんにより
 (1)ロドリーゴ「何を使って洗いましょう?」
 (2)ホアキン・ニン「エル・ヴィド」

6.平野玲音さん&矢﨑さくらさんにより
  サン=サーンス作曲
 (1)白鳥
 (2)アレグロ・アパッショナート 作品43

7.3人による演奏で、菅野祥子さん作詩作曲
 (1)春なのに (編曲=呉睿然)
 (2)波雫(なみだ)(編曲=ペーター・バルツァバ)
 (3)朝陽 (編曲=呉睿然)

アンコール
シュトルツ:ウィーンの森に出かけて
そして、会場と全員で、「故郷」1番歌詞を合唱

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 感想

菅野さんの声はメゾといっても決して太い声ではない。
凛として伸びやかで、とても良い声。
プログラム最初に叙情的な3曲を置いた。

プログラムに菅野さん自身が短くコメントを載せているので
転記する。

 「むこうむこう」~「海に向かい空を仰ぐ時、果てしない
   「むこう」を想って凛とする」。
 「さざんか」~「初めてこの曲を聴いた時、うっすらと
   初雪に覆われた故郷の朝を思い出した」。
 「くちなし」~「くちなしの花は香り、実を固く結ぶ。
   「ひたすらに焦がれ生きよ」父の言葉に
   私の心も熱くなる」。

次いで、平野さんがクライスラーのヴァイオリン曲を
3曲チェロで鮮やかに、同時にハデではなく、
いぶし銀のように弾いた。

ブラームスの3曲は、3曲目の「2つの歌曲」が面白く、
オリジナルでは、アルト、ヴィオラとピアノによるもので、
しばしばチェロにとって替わられるとのこと。
いずれも叙情的で良い曲だった。

休憩後の後半。カザルスの演奏で有名な「鳥の歌」を、
モンサルヴァージュという人(1912~2002年)が歌を
加えたもの。興味深く初めて聴いた。

平野さんによるサン=サーンスは、白鳥はやや速めの
テンポでフォルムはスッキリとした演奏ながら、
とても繊細にして叙情的な優れた演奏。
「アレグロ・アパッショナート」では万全な技術を示した。

そして最後は、この日のクライマックである菅野さんの自作自演。
「春なのに」はとにかく呉睿然さんによる編曲も素晴らしく、
それを120%活かしてエスプレッシーヴォで弾く平野さんの
チェロによる序奏や間奏などのオブリガートだけでも
十分に聴衆を泣かせる。
そしてもちろん、あの尋常ならざる詩と旋律を菅野さんが
歌い紡いでいく。
本当にいつ聴いても、何度聴いても感涙を禁じえない名曲だ。

「波雫(なみだ)」は2011年12月の作品だが、タイトルの
イメージと違って、もう少し明るい曲なので、
ここで少しホッとすることになる。

そして2011年7月作品の「朝陽」がまた素晴らしい曲で、
長大な中の中間部には陸前高田での祭りであろうシーンが歌われ、
その場面では菅野さんは四角く小さな鉢のような升を叩きながら
歌われたのも印象的だった。
未来を歌った歌、と言えるこの曲も、
呉睿然さんの編曲が素晴らしい。

全プログラムが終わり、平野さんが1日に陸前高田で行った際の、
「まだまだ未整備の土地が多く、震災はとても過去のものとは
 言えないと実感した。今後も音楽を通して支援していきたい」
と語り、アンコールとして3人によりドイツ語の歌曲、
シュトルツの「ウィーンの森に出かけて」が演奏され歌われた後、

菅野さんが聴衆に
「私を(子供のころから)育ててくれた故郷、陸前高田に
 これからも恩返しをしていきたい」と語り、
「故郷の1番(歌詞)を皆さんでいっしょに歌いたい、
 歌って欲しい」として、
全員で合唱してこのコンサートが終わった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記
サイン会の列にならんだ幸田浩子さん~アーティスト同士の礼儀に感動
前述のとおり、菅野祥子さんと東京芸大の同期生のソプラノ幸田浩子さんと菊地美奈さんも来場されていた。
美奈さんによると同期生は他にバリトンの宮本益光さん、ソプラノの鈴木慶江(のりえ)さんというから、私は美奈さんに「豊作の年だったんですね」ととっさに言った。

終演後、ピアノを務めた矢﨑さくらさんを含めた3人がサイン会で聴衆に応じる中、幸田浩子さんは友人らとロビーで談笑されていたので、私も幸田さんに挨拶し、「幸田さんのCDで「春なのに」を知りました」ということや本プログラム最後の「朝陽」も素晴らしい曲と感想が一致したり、
幸田さんがJ-POPに挑戦した最新CDである「優歌」にも感動した旨を伝えたりした。

幸田さんはサイン会に配慮して、終演後、楽屋に行かなかったことは想像がついたが、もう1つ驚いたことがあった。
サイン会にならぶお客さんもようやく残すところ数人になったころ、幸田さんが菅野さんに近づいていったので、サインが終わるのを待って話しかけるのだなと想ったら、なんと列の中にちゃんとならばれたのだ。

友人なんだからその必要はないと想うのだが、その姿を見てこう想像した。幸田さんは友人然として当然の如くふるまうのではなく、イチ聴衆として、あるいは友人以前にアーティスト同士として敬意を表して、来場した他の聴衆と同じく列にならんだのだ、と。
実際、幸田さんは順番が来たとき、会話だけでなく、菅野さんのCDを差出し、菅野さんや平野さんにちゃんとサインをもらっていたのだ。

なんという謙虚さ、なんという律儀さ、なんというマナーの素晴らしさだろう。
今や少なくとも国内では彼女の名を知らぬ人はいない日本を代表するソプラノ歌手。
いつもは自分がたくさんのファンにサインをする側としてロビーに座る人にもかかわらず、しかも菅野さんとは学生時代からの友人にもかかわらず、この日はきちんと聴衆のワンオブとして振る舞ったのだ。
こういうところが幸田さんの素晴らしいとことでもある。
抜群の歌唱力、美声、美人にしてこの謙虚さ、人柄の立派さ。
益々幸田さんが好きになった。
幸田さんがロビーから外に出るとき、私の近くを通られたので、「幸田さん、ならばれたのですね」と言うと、「あ、ハイ」とニッコリされ、会場を後にされた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なお、私に負けないくらい、「春なのに」を気に入っている人
のブログを発見したので、記しておきたい。
「真美のブログ」~「春なのにが生で聴けます」
https://ameblo.jp/mamiamiboki0101/entry-12348411536.html

2018年4月 3日 (火)

ヴィオラ~オーケストラの合奏力の要、隠し味

日経新聞夕刊の文化欄で、このところ定期的に特定の楽器を
取り上げている。4月2日はヴィオラ。冒頭、トップ奏者の1人、
川本嘉子さんの言葉を紹介している。

「私がヴァイオリンからヴィオラに転向した20数年前、
 親は悲しくて泣いていた」。

一時代前の、あくまでも一部の人のイメージではあるが、
「ヴィオラはヴァイオリンで落ちこぼれ人が、しかたなく転じた楽器」
というイメージはあったのかもしれない。
もちろん、その後、バシュメットや今井信子さんといった
イメージを一新するスターの登場で状況は変わったが。

記事では川本さんの他に、その今井さん、N響首席の
佐々木亮さん、東京フィルの須田祥子さん、
読響首席の鈴木康浩さんと柳瀬省太さんを紹介している。
皆、ヴィオラの音色に導かれてヴァイオリンではなく
自らヴィオラを選んだことは言うまでもない。

私が初めてオーケストラを指揮させていただいたとき、
とりわけ感動したのがヴィオラの音だ。
「おお、これがヴィオラの音か」と思った。
数年前に「田園」の第1楽章を指揮させていただいたときも
同様に感じたのだった。

主旋律を受け持つファーストヴァイオリンと
土台を造るコントラバス、それに豊かな旋律を加えるチェロは
もちろん重要だが、内声部を彩るヴィオラとセカンドヴァイオリン
が上手いオケほど素晴らしい音色と合奏力を生む。

そういえば、皇太子殿下の元侍従で自身もヴィオラを弾いた
Aさん(故人)はこう語っていた。
「ヴィオラはオーケストラの隠し味です」。
https://www.youtube.com/watch?v=rSjeHGysdpM
https://www.youtube.com/watch?v=S0YLqYI6x1A

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