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2017年12月27日 (水)

山田和樹+仙台フィル×読響(合同)演奏の第九~最高レベルの合唱

山田和樹+仙台フィル×読響(合同)演奏の第九~最高レベルの合唱
~小中高校生のための第九チャリティ・コンサート~
~澤江衣里(Sop)、鳥木弥生(Mezzo)、藤田卓也(Ten)、小森輝彦(Bar)~
~東京混声合唱団+武蔵野音楽大学合唱団~
この時期、特に第九を聴きたいと思うわけではないが、親しくしていただいている澤江衣里さんと鳥木弥生さん、また、最近特に注目している歌手の一人である原田卓也さんがソリストに名を連ね、少年少女(親子等)を主な聴衆として、「3.11」被災者支援を目的としたコンサートとあっては聴かないわけにはいかない。とはいえ、会場の東京オペラシティで、一般の大人単体として設けられた席は3階のみだったので早々にソウルドアウトされ諦めていたところ、先週、偶然にキャンセル席を確保できたので、ギリギリ拝聴できた次第。
 これはソニー音楽財団による企画で、収益の一部と会場募金が「公益財団法人 音楽の力による復興センター・東北」に寄付されるという。オケも「復興支援のためのスペシャル合同オーケストラ」と銘打ち、仙台フィルハーモニー管弦楽団と読売日本交響楽団の合同での演奏。

 山田和樹さん指揮の第九は2015年12月に狛江エコルマホールで聴いている。オケは和樹さん自ら設立した横浜シンフォニエッタだった。
よって、いわゆる解釈=山田氏のこの曲における個性は、そのときとほぼ同じだったと言えるので、以下は、あのときブログに書いたこととほぼ重なる(下記添付のULRご参考)が、全体として溌剌快活な演奏だし、工夫もされ、何より後述のとおり合唱が抜群に素晴らしく、終演後は一部の人のスタンディングも含めて盛大な拍手と歓声が沸いたのだから、今回も1つ1つ特徴を記しておきたい。なお、非常に優秀だった合唱については最後に書く。

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和樹さんは、私が嫌いなベーレンライター版など用いず、ブライトコプフ版を使用。私が嫌いな流行りの対抗配置などもせず、通常配置(チェロが内側に入るカラヤン時代のベルリン・フィル形態)での演奏。いわば表面的な流行りなど追わず、伝統あるいはオーソドックスを下地として、自分なりの新しさや個性を打ち出すスタイルを取る。

 第1楽章
テンポは速からず遅からず。木管などが収まるフレーズでリタルダンド(以下「リット」)をはっきり取り、柔らかに奏させるが、全体としては部分デフォルメにより重たくなることは避け、快活に運んだ。ただし、これは先日の過去の演奏(ブログに記載)のとおり、コーダ最初の513小節に入る直前に大きな間を置く。フルトヴェングラーさえここまでは溜めない。512小節と513小節の間にゲネラルパウゼと言ってもよいほどの「大きな沈黙」を置いた後にコーダに入っていく。この解釈を私は支持する。ここを「何もしないで直ぐに通過していく普通の演奏」の何と多いことか。
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 第2楽章
オーソドックスなテンポ。トリオはやや速め。ホ短調に転じ、大きく3つに振る部分(Ritmo di tre battute)に入り、ヘ長調コードに転じてティンパニが4つフォルテで叩き、休みをもう1小節増してディミヌエンドとして(実際はメゾピアノ位で)叩く5つめの打音はフォルテのまま奏した(以前もそう)。この部分はあまり賛成しない。旧来の(スコアどおりの)奏法でよいと思う。
この楽章のエンディグの特に最後の2小節をメゾフォルテ位の柔らかな響きで収めた(以前に同じ)。
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 第3楽章
昨今速いテンポが流行る中、冒頭の2小節間はとてもたっぷり、ゆったりと開始。もっとも第1主題が出る3小節目からは遅からず速からずに戻した。12小節4拍目(13小節アウフタクト)からはハッとするほどの最弱音(PPP位)で奏するのだが、それ自体は素敵だし支持するが、やや唐突感もあり「アザとさ」も感じてしまうので、ならば、その少しその「予感、予兆としての何らかの仕掛け」を設けておいてからのほうがよいと想える。
 以降、8分の12に入ってからも速めに流れていくのだが、トランペットとホルンによる警告的ファンファーレの後、練習記号「B」である133小節目から135小小節における、セカンド・ヴァイオリンで「タタ・ター」と何度も奏されるリズムを(楽譜どおりの)「PP」ではなく、ほとんどフォルテと言ってよい音で奏させたことは100%支持賛成する。私が指揮者でもそうする。フルトヴェングラーの演奏(記憶)によるインパクト(影響)が強いのかもしれないが。
 147小節で、ファースト・ヴァイオリンがフォルテからディミヌエンドで分散和音を上り、148小節で降りてくるその3拍目~4拍目はスコアでは「P」(のまま)とあるが、特に4拍目からテヌートクレッシェンドをたっぷりとかけて149小節から150小節への盛り上がりへの序奏として奏させたことも100&賛成。私が指揮者でもそうする。そうすると149小節のクレッシェンドの意味が増すからだ。
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 第4楽章
第3楽章からアタッカでの入りに賛成(むろん短い間は置いたが)。低弦のレスタティーヴォでは、特に各フレーズの最後~第2楽章のテーマが出る直前や、同じく第3楽章のテーマが出る直前等~の2小節間(or3小節間)では、大きなリットをして丁寧に収めたのは印象的。
歓喜のテーマが低弦で開始される92小節に入る直前も大きな間を置いた。フルトヴェングラーと同じくらいの長さの間。賛成、支持する。
 合唱が起立したのは、一般的なやりかたである、バリトン・ソロの出る直前の208小節のPresto時ではなく、練習記号「B」(164小節)からの歓喜のテーマの全奏の途中からだったのは珍しいやりかた。
 バリトン・ソロの「nicht diese Töne」の「Töne」をG→Fと歌わせたことは反対。F→Fがよい。このことはかつてもブログやフェイスブックで何度も書いたので、ここでは詳細な根拠は省略する。
 テナーのソロ(alla Marcia)の前、合唱全員での「vor Gott」のフェルマータ(330小節)では、ティンパニはディミヌエンドさせず、「FF」のまま叩かせた。ここは昔から議論のある部分で、かつて日本人指揮者でフォルテのままを強く主張したのは故・岩城宏之さんだった。この部分はいずれのやりかたも良さがある。スコアどおり、合唱はフォルテのままでティンパニがディミヌエンドすると空間が大きく広がる感がして素敵だし、ティンパニもフォルテのままでも、それそれで迫力が持続されて壮大だ。ここは「どちらかでなければダメとはしない」としておきたい。
 弦の難所である「K」431小節からのフーガでは、480小節前後だったか、一瞬、弱音に落とすなどの工夫があったが、あれはどうだろう?特に支持もせず不支持もせず、というところ。
 525小節から540小節にかけてのホルンのAの音での伸ばしリズムは、昔の聴きなれたリズムでない書き方をブライトコプフすらし出した。ベーレンライターにすり寄る(媚を売る)かのような堕落的書き換えだと思う。支持しないどころか批判したい。かつての旧ブライトコプフ版でのリズムこそ正しいと信じる。

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 ソリストに関して
贔屓目抜きに、澤江さんの声が美しかった。むろんソプラノだから目立つ=よく聴こえるわけだが、凛として清々しい声は、ソロリサイタルでの温かな声とともに澤ちゃんの近年の特徴だと思うし、おれがこの第九という歌いにくい歌であろうソロパートでも、しっかりと出ていたと思う。
 なお、最後の四重唱が終わって最後の合唱部分に入ると、ほとんどの第九の演奏会では、4人のソリストは座って「聴いているだけ」の状態が一般的だが、和樹さんはそんな野暮なことはしない。4人のソリストも立ったまま855小節から最後まで合唱団といっしょに最後まで歌う、というかたちを採る。これこそ「正解」だ。
「お祭り」なんだから、エンディグ時、4人だけ座って歌わないで「ボーッ?」としているなんて、ベートーヴェンの理念的にも相応しくない。「ソリストも合唱団といっしょに歌って終わる、それが第九だ」と思う。

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 合唱について
この日、最大の収穫。まず配置だが、男女で左右に半分から分かれるのでもなく、真中に男声2パートを置いて女声パートではさむのでもなく(いずれでもないのは珍しい)、左右上限段に、ソプラノ、アルト、テナー、バスの各人がバラけて混ざりあっての合唱、という形態をとった。現代曲ではたまに見かけるが、第九では珍しい。狙いは解る。それにより、各特質の声がまちまちの角度から発せられることで独特の拡散的響きを生む、ということだろう。
ただしこれを「普通のレベルの合唱団」がやるとしたら、大きなリスクがあるだろうと想像できる。アンサンブルを欠いたまま雑然としただけで終わることが容易に想像できるからだ。しかし、今回はそうならなかった。
 さずが、東混。さすが音大コーラス。均一で厚みもある、技術だけでなく温かさもある合唱。全国各地の市民による第九の合唱や「5千人」「1万人」による第九も、それはそれで「良さ」はあり、演奏としても~特にベートーヴェンの理念的にも~「あり」だとは思うが、しかし、こうした少数精鋭による見事な申し分ない合唱を聴く喜びはまた格別なもの、かけがえのないものだ。
 プロアマのオケを含め、国内で12月だけでもたぶん数百単位で演奏されているだろう第九の中でも、間違いなく「最高水準、最高レベルの第九の合唱」に違いない。これだけの合唱を聴ける機会は少ない。「これ以上の第九の合唱は想像し難い」、間違いなくそう言える、見事としか言いようのないレベルの演奏だった。

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なお、ロビーには仙台フィルと思うが、「3.11」直後の4月10日、仙台での広場での弦と管によるアンサンブルや、4月14日、石巻の小学校(体育館)避難所における木管五重奏の演奏時の写真などが展示されていた。あのときの状況、それでもそうした演奏が被災者に対してなされたことのいずれも、我々は忘れてはならない。
http://yomikyo.or.jp/concert/2017/07/sony-music-foundation.php

2015年の山田和樹指揮第九演奏の感想ブログ
http://susumuito.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-d5dd.html

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