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2017年11月 5日 (日)

俊友会管弦楽団 札幌第九特別演奏会に参加して

俊友会管弦楽団 札幌第九特別公演に参加して~その1私の側から
普段活動しているオケではない、俊友会管弦楽団の特別演奏会
札幌公演に同行、4日Kitaraホールでの第九演奏会出演させて
いただいた。

この企画を私が知ったのは俊友会が正式に公表する以前のことで、
いわば偶然だった。
昨年3月の学習院OB管弦楽団のシーズンオフ会である
「アンサンブル交流会」で、いつもながら臨時室内オケを編成し、
そのときは「運命」の第1楽章と「新日本紀行」のテーマを指揮
させていただいたのだが、事前にファゴットだけが決まらず難儀
する中、俊友会のファゴット奏者で、学生時代は学習院オケで
吹いていたYさんに出演(賛助協力)を打診したところ快諾
いただいただけでなく、もう1人も同オケから誘って俊友会から
2名出ていただいて、とても助かった。

このとき未だ公表前の情報としてYさんから今回の企画を聞き、
エキストラの返礼(バーター)の意味合いもあったし、何より、
以前からKitaraホールには行ってみたいとずっと思っていた
ので~しかも客席側ではなくステージ出演という想像外の事だ~
そのときから「絶対に参加させていただきます」と約束していた。

7月のOBオケ定演後、9月のOB合唱団によるモーツァルトの
「レクイエム」の賛助出演演奏の練習も8月前後から
ほぼ毎週1回のペースで練習があったし、そのモツレクの練習
と並行して今回の俊友会の第九の練習も開始していたので、
この3カ月の土日はどれかの練習が(日によっては
午前がモツレク、午後が第九と続いて)入るなど、
相当キツイ期間だった。

加えて、OBオケの練習合宿が11月3~5日と第九公演に
完全に重なる決定がなされたので困った。
ヴァイオリンのパトリの1人という立場上、悩んだが、
Kitaraで演奏できる機会など今後限りなく無いに近い
だろうから、第九終演後は宿泊せず、打ち上げを半ばで退席
して夜の飛行機で東京に戻り、合宿は5日のみ出席する
ということで、OBオケには申し訳ないが、当初の予定どおり
我がままを通させていただいた次第。

などなど、私個人においても色々大変だったが、
Kitaraでの関係者皆さんとの新しい繋がり、
絆による演奏会は素晴らしく、参加して本当に良かったと思う。

なお、これだけの企画だから、それこそ俊友会の実行担当
メンバーは大変であったことを、終演後の「感謝の会」での
数人のスピーチの中で知ったので、それは別途(下記のとおり)
書きたい。
私のことより、そちらの、この企画自体がいかに
 (ある意味無謀で)大変だったか、を
ご理解いただけると思う。

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俊友会管弦楽団 札幌第九特別公演に参加して
 ~その2俊友会の側から~1つの奇跡
 ~アマチュア活動でも新たに人と人との繋がりを作り得る、
  それが音楽~
別途書いたように、俊友会管弦楽団の札幌特別公演に同行し、
4日午後、Kitaraホールでベートーヴェンの第九の演奏に出演
させていただいた。
私はいちエキストラとして参加させていただいたに過ぎないが、
この企画が成功裏に終わった経緯を知るにつけ、
最終的には最下段に記載の公的私的協賛者、協力者を得るに
至ったことも含めて、決して大げさでなく
「多くの偶然が繋がりを創り出して結び付けた奇跡」と想える。

東京と北海道はもちろん遠い。控え目に言っても近くはない。
東京のアマチュアオーケストラと北海道の合唱団
(複数の合唱団や個人有志参加者から成る、この会の
 ための臨時編成)との間には
個人的な面識はいっさい無い。
縁もゆかりも無い人達がいっしょに第九を演奏した瞬間が
Kitaraで起きたのだ。

終演後のビール園での打ち上げに先立つ「感謝の会」での
俊友会管弦楽団団長や関係者のスピーチ、および
プログラムの記載から以下ご紹介したいが、
その前にまず、オケの紹介から。

俊友会管弦楽団は、2013年9月1日に逝去された堤俊作さんが
「音楽にプロもアマもない」の信条のもと、全国各地の
アマオケを指導していたことから、各地で指導を受け、
就職して東京で働き出した人も含めて1983年に結成
されたオケで、私は入団こそしないながらも、
演奏会は5回以上は聴いている。

確か第1回の演奏会では今の皇太子殿下(当時は即位前)
のヴィオラ、堤さんのコントラバスでその2つの楽器による
珍しい協奏曲を演奏したし、堤さん亡き後は、
今回の御法川(みのりかわ)さん他、いろいろな指揮者を
迎えて団が継続されている。

私自身と堤さんも少しだけ接点があり、大学時代3年までは
私は合唱団を続け、4年次にオケに移ったのだが、
その最初の演奏会の指揮者が堤さんで、
シューベルトの「未完成」とマーラーの交響曲第1番を
堤さんの指揮で演奏した。つい昨日の事のように思い出す。

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<幾つかの偶然>
堤さんが1988年から1992年まで札幌交響楽団の専任指揮者
だったが、このころ小学生だった御法川さんが
「将来、指揮者になりたい」と堤さんに相談に出向いたときから、
御法川さんの音楽人生だけでなく、おそらく今回の企画さえも
ここをスタート地点としている、と言える。

その後、桐朋学園音大に進んだ御法川さんは堤さんに指揮法を
師事した。師弟関係だ。この点が全ての基本となる偶然だ。

そしてときが経ち、2015年12月の俊友会の忘年会という
「飲み会の席」で、北海道留萌市出身の団長と、
同じく北海道出身で既に俊友会を何度か振っていた御法川さんらが
「札幌で演奏会を開こう」と言い出し、翌年3月に団として
正式に決定事項とした。 やがて「Kitaraも確保した」。

しかし「曲はどうする?」。個人的に数人、北海道に縁がある
とはいえ、俊友会管弦楽団としては縁もゆかりも無い。
札幌や北海道のほとんどの人々だって東京のいちアマチュア
に過ぎないオケのことなど知るはずもない。「どうする?」。
 「集客できるのか?」。
係る問題も含め「どうせやるなら、地元の人々との繋がりも作りたい」
とのことから「第九」が演奏曲として決まった。

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<そこから動き出す>
まず、御法川さんが中学時代の恩師に相談を持ちかける。
今どき、といっては何だが、係る個別的事案を中学時代の先生に
相談できる御法川さんの人間関係を大事にする人柄が
ここに見てとれるが、その恩師Yさんは最初は軽く考えながらも
引き受け、引き受けた以上はと
 「俊友会管弦楽団札幌公演を応援する会」を立ち上げる。
Yさんは自分だけではどうにもならないとしてその会の中に
北大名誉教授Nさん、札幌合唱連盟理事Yさん、紋別市教育長Sさん、
北海道新聞Kさんらを応援する会に加えるなど
「多くの人を巻き込んでいく」。

合唱の指導者として上田哲(あきら)氏を巻き込み、
上田氏は合唱参加者を人数的にもレベル的(練習)においても
固めていく。来るべくオケ団員の宿泊所や合唱団の練習会場確保
も含めて協力者を得て行く。他にも企業からの協賛を得るべく
複数の人が動き出し、中でも合唱団の一員でもある
(株)メディカルシステムネットワークの会長のFさんが
東京出張時に俊友会団長と親しくなって、
企業応援を含めてより強力関係を深めていく。

また、御法川さんはソプラノで北海道出身の中江早希さんに
連絡をとり、中江さんは北海道在住のアルト松田久美ンさんに
連絡をとりなど、連携が徐々に広がって行く。

そしてまた、御法川さんはN響の同僚(先輩)で北海道出身の
ヴァイオリニスト森田昌弘さんに
「今度Kitaraで第九を演奏するんですが、もう1曲、
 モーツァルトのコンチェルタンテ(協奏交響曲)を
 いっしょにやりませんか?」と持ちかけ、快諾を得る。

こうしてオケ以外、合唱団が札幌を中心とした地元の人々
であることに加え、ソリストも全て北海道出身が揃うことに
なった(下段、出演者記載のとおり)。

ティンパニはなんと札幌交響楽団の首席奏者が参加してくれる
ことになり、他のパーカッションには北海道大学交響楽団から
3名参加してくれることになった。
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当初は何人集まるかさえ不明だった合唱団も、最終的には
ソプラノ40名、アルト49名、テノール21名、バス33名の計143名
の合唱団となり、無謀とも想えた企画が本当に実現したのだ。

偶然が幾つか重なったとき、それはもはや「必然」と呼んでも
よいのかもしれない。 俊友会団長が、
「札幌にご縁のあった堤さんが札幌に行け、札幌に来い、
 とでも言ってくれたかのように来た」と、
「感謝の会」で述べたように。

巻き込む側の思いが熱く真剣なものであるならば、
巻き込まれる側もそれに応えることにいつしか喜びを
見出してくれるのかもしれない。

私にとってもこの企画は偶然の出合いだったが、
北海道の合唱団員にしたらなおさらそうだし、
札響と北大交響楽団にしても驚きのオファーだっただろう。
私以外のいずれもが「俊友会?知らないな?」から
始まった出会いだ。

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<今後もつながりをたいせつにして>
「感謝の会」で複数の人が、
「せっかくこうした機会ができたのだから、またいつの日か
 いっしょに」、あるいは、
「今度は合唱団が東京に出向いて共演するのも案だ」
と語るなど、今回だけで終わるのは惜しい、もったいない、
寂しい、と語っていたので、何らかの形で継続するといいな、
と心から思い、願う。
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<個人的な偶然>
テノールの小笠原一規さんを知ったのは昨年の
「OPERAMANIA」のコンサートで、今年に入って東京で
生声を聴かせていただくなど、急速に親しくなったのと
今回の企画が重なったし、
ソプラノの中江早希さんは毎年3月恒例の前田幸康さん指揮
のチャリティ・コンサートでヴァルディのレクイエムを歌われた
のを聴いたのが初めてで、まさか今回、札幌の地で共演
いただくことになるとは想わなかった。

おっと、まだあった。
御法川さんに指導を受けたのは私は初めてではなく、
みなとみらい21交響楽団で4回の演奏会に出演した際も、
そのほとんどにおいて、弦トレーナーとして数回ずつ指導
していただいていた。 御法川さんも、
「どうりで、どこかでお見かけしたと思ってました」
とおっしゃっていた。
また、氏の指揮もFAF管弦楽団演奏会などで2回ほど見、聴いて
いた。

御法川さんといい、小笠原さんといい、加えて中江さんといい、
出演者に関しても私には偶然の嬉しい共演となったのだった。
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なお、私とソリストに関する偶然はこの3人様だけだが、
それは別として、他もソリストも素晴らしく、
特にバスの大野浩司さんはまだ若いのに、
もう何十年も第九を歌っているかのような堂々としたソロ
だった。 大野さんにとっても
「Kitaraで第九をのソロを歌うのが夢だった」と語ったように、
たぶん予想外の早さでそれが実現できたのは、
俊友会の無謀な企画がもたらせた幸運だったと言っても、
決して失礼にはならないだろう。

<最後に>
個人的には第九演奏は久しぶりだったが、
総じて速めのテンポで(おそらく団員の多くも)最初は困惑もあった
と想像するが、弦奏法においてとても勉強になったし、
オケの正団員や私と同様、エキストラとして参加された奏者を
含めて、練習期間も本番も実に楽しいひとときだったし、
本番当日は北海道在住の合唱団員の皆さんとの共演、
北海道出身のソリストが揃うという全く稀な、極めて貴重で、
いくら感謝してもしきれない充実した札幌でのゲネと本番だった。

「感謝の会」で、バスの大野さんはオケの演奏について
「魂のある演奏。プロの演奏」と褒め、
合唱指導の上田さんも
「充実した演奏。曲そのものと、自分達のオケに対する「愛」を
 とても強く感じる演奏だった」と絶賛されたが、

私やたぶん俊友会からしても、御法川さん、合唱団はむろん、
ヴァイオリン・ソロの森田さんと4人の歌手の皆さん、
合唱トレーナーの上田さん、賛助出演していただいた
札響ティンパニの入川さん、北大交響楽団の皆さんなど、
それこそ郷土である北海道に対する「愛」を強く感じた出会い
でもあったと思う。

このように、今回の企画と参加は幸せな時間であり、
これを企画運営された俊友会の全ての皆さんに
心から感謝したい。ありがとうございました。

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俊友会管弦楽団 特別演奏会 札幌公演
指揮=御法川雄矢(みのりかわ ゆうや)
     (NHK交響楽団ヴィオラ奏者)
演奏曲
1.モーツァルト
  ヴァイオリンとヴィオラと管弦楽のための協奏交響曲
    変ホ長調 K.364
  ヴァイオリン・ソロ=森田昌弘
   (N響次席、北海道紋別市生まれ、札幌育ち)
  ヴィオラと指揮=御法川雄矢(北海道岩見沢市出身)

2.ベートーヴェン 交響曲第九番 二短調「合唱付き」作品125
  ソプラノ=中江早希(北海道上川郡鷹鷹栖町出身)
  アルト =松田久美(北海道室蘭市出身)
  テノール=小笠原一規(北海道帯広市出身)
  バス  =大野浩司(北海道札幌市出身)
合唱=俊友会特別合唱団
合唱指揮=上田哲(あきら)(北海道札幌市出身)

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後援…札幌市、札幌市教育委員会、岩見沢市教育委員会、
    北海道新聞社
協賛…(株)メディカルシステムネットワーク、
     (株)エイチアイエス、(株)札幌第一ホテルなど計13社。
     個人協賛…62名
協力…俊友会管弦楽団札幌公演を応援する会、
     公益社団法人 日本アマチュアオーケストラ連盟、
     テレビ北海道、FMカロス札幌、
     東京海上日動火災保険(株)札幌中央支店、
     札幌交響楽団、北海道交響楽団、
     北海道大学交響楽団など計17団体。個人協力…計11名。
https://shun-yu-kai.sakura.ne.jp/concerts


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余談1
コンサートホール内の座席から座席を歩いてみると
4日午前、リハ開始前にKitaraホール内を散策。
1Fと2Fのロビーは控え目ながら整然としていて、
トイレも広くキレイ。そして内部すなわち客席も未だリハが
始まる前、東西南北、全て歩いてみた。

一番感心したのは、2階から3階の段差左右2点の境だけが
閉鎖されているのを例外として、なんと他の座席面は、
通路に出ることなく全て歩いて他の面(スペース)に移動ができる
ことだ。むろん正面パイプオルガンのあるフロア席も含めて。

この点ではミューザ川崎に似ているが、ミューザの客席は
螺旋状のユニークな構造となっているのに対して、
Kitaraはサントリーホールと同じ、いわゆるワインヤード型
なので、ワインヤードで1~2階を客席の中で全て行き来できる
ホールはほとんど無いのではないか?

ワインヤードではないがオーソドックスにして客席の広い
東京文化会館など、各階すべていったんドアを開けて
通路側に出ないと他の階のフロアに行けない。
この点でもKitaraのユニークにして効率的な設計構造に感心する。

以下は余談だし、個人的な見解だが、オーチャードホールの
ようなシューボックス型のホールは近年においては
もうほとんど前時代的で陳腐な形態だと思うし、ましてや、
例えばマーラーの「復活」やとりわけ「千人」には
まったく不向きな型だと思う。
ワインヤードやミューザ型こそ今日的で美しく、
聴衆配慮だけでなく合唱配備の点でも好ましい型と思うし、
好きな型のホールだ。

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余談2
札幌のラーメン店で~味よりお客さん?
前後するが、本番を明日に控えた3日の夜、
札幌Kitara大リハ室で第九の練習が終わり、
ホテルで小休憩後、札幌に来てラーメンを食べない手は無いと
南北線ですすき駅で降りて新ラーメン街へ。
ラーメン街といってもたいして店数はない。

20数年前、札幌駅近くの路地を入ったところで見つけた
数店のラーメン店の中で食べた内容のほうが数段
「これぞ北海道の、札幌のラーメン」という感じがした。
具(の大きさや味)が全然違う。東京ではまず見かけない
盛りだくさんの具のラーメンだった。

それに比べて、今回のすすきの新ラーメン街はさほどの
感じもしなかったが、それでも私が入った
7席しかない狭い店のラーメンの味はなかなか良かった。

それよりも、すぐ前に先客でいた女性客2人が
とても美人なので驚いた。
落ち着いた感じの30歳前後と想われる。

その2人が帰った後に同じ席についたのは20歳前後の男女。
女性が前田敦子に似て可愛らしかった。青春だなあ。

その2人の向こう側に少し後から来たのは女性1人。
小柄なやはり20歳前後と想われる可愛らしい女性。

札幌は美人が多い。
しかも、気取った高級店でみかけたのではなく、
ごく小さな普通のラーメン店だったのが良い。

カップルで食べるのも青春。女性2人で食べるのも友情。
女性一人で食べるのも青春。
店を出ると、天気予報どおり雨が強くなり始めていたので、
急ぎホテルに戻った。

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