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2017年11月29日 (水)

伊藤詩織さんを支持し、応援する~男性ジャーナリストによる理不尽な暴行を許すな

伊藤詩織さんを支持し、応援する。
男性ジャーナリストによる理不尽な暴行を許すな
 ~係る問題で、なぜか女性に冷たい世論の心理を
  分析する~

フリージャナリストの伊藤詩織さんがアメリカ滞在時の
2015年4月、面識のあった元TBSワシントン支局長の
山口敬之氏と会食後、意識を失い、レイプ被害を受けた、
と訴えた。

山口氏から支局での採用の話を受け、ビザの相談を
している中での出来事だったという。その後、
詩織さんは被害届を提出。同年6月には「準強姦罪」の容疑で
逮捕状が発布されたが、なぜか警視庁刑事部長(当時)から
異例の「待った」がかかり、逮捕は見送りに。
山口氏は2016年7月、不起訴となった。

詩織さんは今年5月、名前と顔を公表して記者会見を開き、
検察審査会に審査申立を行ったが、不起訴相当の議決が
出た。最近、自身のレイプ被害をすべてさらけ出し、
出版に踏み切った。

問題に「ウラ」や「闇」(という厄介さ)を感じさせるのは、
山口敬之氏が安倍総理と親しく、「総理」、「暗闘」などで
安倍氏について書いている人物、ということだ。

そのことはここではいったん置くとして、
日本人はなぜか女性によるこの種の訴えに対して
総じて冷たい反応を示す。

男性だけでなく、むしろ女性が冷ややかに受け止める
ことが一層奇妙に奇異に思える。
たぶんこの心理にあるのは
「男にホイホイついていくほうが悪い。軽々に飲食を
 ともにするほうが悪い」という自己責任論がある
のだろう。

しかしこれは、イジメ問題にありがちな
「イジメられる者にも問題がある」という、
あの責任転嫁論と同じだ。

イジメ問題においては、数年前まで、そういう言動が起きがち
だった状況も、昨今、そのような発言をしようものなら
相当な批判非難を受ける状況に、ようやくなってきた。

では、詩織さんのような女性の告発に対してそうした
世論変化が起きているかというと、
まだまだ「遅れている」ということだろう。

もっとも、この種の問題は日本だけでなく、
「女性の社会的権利が進んでいるはず?」のアメリカでも、
ちょうど昨今、ハリウッドでセクハラ告発が頻発し出している。

40年前くらいの日本の芸能界でも囁かれたウワサが、
名だたる俳優、監督を輩出し、そのハリウッドで、
現代においてさえも
「有名になりたかったら俺の言いなりになれ」という
前時代的なパワハラがずっとまかり通っていたことに驚く。

こうした女性への「強要」は「トスカ」を挙げるまでもなく、
いつも時代も世界中に存在した事だろうけれど、
日本においては、係る男性への批判非難よりむしろ、
女性に対して冷たい世論が生じることに「気持ち悪さ」
を感じる。

そうした批判非難は、自分の価値観だけからの
思いやりの無い、意地悪でサディスティックな感情からの
ものだし、
「日本人女性はかくあるべき。恥は隠せ。恥を受ける
 ような行動は慎め」という
「押し付けがましく厚かましく歪んだ道徳強制的な
 女性かくあるべき論」こそ
「時代遅れの日本を象徴している」と言うべき特異で奇異な
歪(いびつ)な心理現象と言えるだろう。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171124-00010006-jisin-soci
https://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/crime/31493


参考
捜査や、検察審査会のあり方を検証する国会議員による
「超党派の会」が21日、発足

国会内で開かれた初会合には民進、立憲民主、希望、
共産、日本維新の会、自由、社民、
沖縄の風の野党各党・会派から約20議員が出席。
呼びかけ人の森ゆうこ参院議員(自由)は
「逮捕状が発付されたにもかかわらず、直前で
 取りやめになった。国会が厳しく検証すべきでは
 ないかという意見が寄せられている」と
http://www.asahi.com/articles/ASKCP5WNTKCPUTFK01B.html

2017年11月28日 (火)

赤ちゃん帯同で議会に出た熊本市議について考える~両者にルール不在~それよりも設備対応を

赤ちゃん帯同で議会に出た熊本市議について考える~両者にルール不在~それよりも設備対応を
「女たちはルールを無視して横紙破りをやるほかに、自分の言い分を通すことができなかった」~アグネス論争(注)時の上野千鶴子「働く女が失ってきたもの」より~

 11月22日の熊本市議会に、赤ちゃんを帯同して議場入りした女性市議の行動が波紋を呼んだ。緒方夕佳(ゆうか)市議(42歳)が生後7ヶ月の長男を抱いて、本会議が始まる午前10時前に議場の自席に着席。市議会は「議員や職員以外は傍聴人とみなす」として、傍聴規則で「傍聴人は会議中に議場に入ることができない」と定めているため、澤田昌作議長が退場を促したが、緒方市議が聞き入れなかったため別室で協議。長男を友人に預けることで合意したため予定より40分遅れて開会した。市議会は、緒方市議が事前に通告なくルール違反を強行し「議会のルールに抵触し混乱を招いた」として厳重注意処分とした。 なお、緒方市議は長男を出産した4月以降、「出産後の体調不良」を理由に議会を欠席しており、本会議出席は約8ヶ月ぶりだった。妊娠が判明した昨年から、乳児を連れての本会議出席や市議会への託児所設置を議会事務局に訴えてきたが、前向きな回答を得ることができなかったため、「子育て中の女性も活躍できる市議会であってほしかった」という思いから子連れでの入場に踏み切ったという。

・・・・・・・・・・・・・
「常識」としてはマズイだろう。しかし、問題は「傍聴人規則」で、「傍聴人はいかなる事由があっても議場に入ることはできない」という部分があるだけで、「会議規則」には該当(禁止)ルールが無いということだ。赤ちゃんを「傍聴人ルール」に当てはめたのはムリがある。とはいえ、さすがに市議会はまさか赤ちゃん帯同の議員の登場までは想定していなかった事はやむを得ない。
 赤ちゃんを「傍聴人」とすることはいくら何でもムリがあるが、かといって、赤ちゃん議場帯同を正当化するルールもない。要するにこの件は、「いずれの側にも、自分の主張を押し通すことができる根拠ルールが不在の状況」なのだ。
・・・・・・・・・・・・
 ちなみに、国会でも「慣例として議員本人にしか議場に入れないとしているだけで、特段の決まりや法規はない。あきまでも「しきたり」だという。(これまでに赤ちゃんを連れて来た議員はいない)。
緒方市議に「強行突破はマズかった。効果はないよ」との批判が成り立つと同時に、「議会だって、傍聴人だけでなく、議場への入場に関する詳細な決め事をしておくべくだった」との批判も成り立つだろう。
両者に「手続き的問題」があったわけだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「常識的には有り得ない」。しかしまた、このくらい強行なことをしないと世論を喚起できない、そういう空気がこの国に存在するのも確かだろう。あの「保育園落ちた、日本死ね」が~当初は表現において批判があったにもかかわらず~結局は世論と自治体に大きな影響を与えたように。
 男性市議が、「議場は神聖な場だ。愚弄する気か!」と緒方市議を批判したが、とんでもない。議場は「神聖」でもなんでもない。「ただの議場」に過ぎない。そういう意見には「偉そうぶるな、カッコつけるな」、と言いたい。
逆に、議員に限らず、一般論としては「幼児を持つ女性だけに特権があるのか?」という疑問は存在しうる。
 ここではしかし、一般論よりも、「託児所」創設が具体的な問題、課題として問題提起されたとするのが本道だろう。これについても、「市議会議員の月額報酬は、一般企業平均より高いのだから、自分で預ける施設を探して対応すべきだった」とする意見はあるし、一定の説得力はあるが、全て個人の問題とした場合、(今後、幼児持ち市議増加に際して)公的な対応力が問われるのも事実だろう。
 少子化時代における幼児を持つ母親応援体制、という社会問題である側面と、「それでも出産、子持ちかどうかは、基本的にはあくまでもプライヴェートな問題だろう。(先述の)幼児を持つ女性だけに特権があるのか?」との側面のいずれも存在すると思う。
なお、市議会事務局としては今後、議会規則の変更を検討する予定は当面ないという。
 一方で、緒方議員は一昨年、「宿泊を伴う視察」に子どもを同伴出来るよう議会や議会事務局に求めており、市事務局はこの要請を、「同伴者の旅費は自費であること」「視察先の会議には同席しないこと」を条件に認めている。

・・・・・・・・・・・・・
 今回の問題に際して、様々な意見が出たのでメモしておくと、
市議会関係者や熊本周辺の市民から~澤田議長は「子連れでも議会に参加できる仕組みを考えたい」と述べ、近く開催する議会活性化委員会で議論する方針を示した。同議会共産党の那須円市議は「事前に議会運営委員会に相談すべきだったが、欧州では乳児を連れて議場に入ることもある。子育て世代の議員活動について議論が必要だ」。

 西日本新聞の調査で60人に賛否を聞くと、反対6割に対し賛成2割、どちらとも言えない2割~40代の女性県議は「今回の行動を取る前に、まず規則を変えるために働きかけをするべきだった」。人吉市の60代の男性市議も「もっと違う方法があったはず。議長に事前に相談すべきだった」と語った。
また、他の調査では、生後5ヶ月の次男がいる熊本市の女性(33歳)は「小さい子供がいて働きたくても働けない母親たちの声を代弁した行動」と支持。生後5ヶ月の長男がいる主婦(29歳)は「議会の開始が遅れて他の議員にも迷惑がかかり、結果的に周囲の反感しか買わない行動だったのではないか」と疑問を投げかけた。
 荒尾市の50代の女性市議は「子育て中の女性ならではの目線や意見は議会でも重要で、男性主体の議会を変えていってほしい」と評価。過去につえの持ち込み禁止規則を改正した南阿蘇村議会。男性村議は「女性の社会進出を考えれば、こうしたケースを想定した規則の改正も必要。子どもが議会活動の足かせになってはいけない」と語った。

山鹿市の中嶋憲正市長(67歳)は「議会の了承を得ずに行動を起こしたということで手続き的な問題はあるようだが、子育てしながら働く女性の環境整備に一石を投じた行動だ」と回答した。
 阿蘇市の自営業男性(62歳)は「何か事が起こらないと、社会の不自由は打破されない。勇気ある行動」。熊本市中央区の男性会社員(24歳)は「これまで議会が考えてこなかった責任でもある」と話した。
水俣市議会をよく傍聴するという自営業男性(68歳)は「議会の対策がいかに遅れているかを示している。世界の先進例はどうなのか参考にした上で、日本の政治風土にも合う形で改革を目指すべきだ。熊本市議会だけの問題ではない」。

 熊本市中央区のパート女性(50歳)は「どうなんでしょう。報道を見てずっと考えていた。議会にいなければならない赤ちゃんもかわいそうだし、仕事との両立は難しいのもすごく分かる」と話した。
 海外では、
子連れで議会に参加することを認めている国もある。オーストラリアでは昨年、規則が改定され、子連れでの議会入場が認められるようになった。アイスランドでも昨年、子育て中の女性議員が授乳しながら答弁に答え、話題を呼んだ。

 最後に面白い指摘を
「なぜ子供を連れて議会にでてはいけないの。企業とは違う。地方議会ってさあ、その地方の将来について議論する場所でしょう。子供が泣いたら進行に差し支えるとか泣いてもいないうちにいうな。泣いたら外に連れ出せば良いし、だったらいびきかいて寝ている議員とかも懲戒処分にしないとな。普通の会社ならいびきかいて会議中に寝ていたらクビですけどね」

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 (注)アグネス論争
1987年、歌手・タレントのアグネス・チャンが第1子を出産。彼女がその直後にこの乳児を連れてテレビ番組の収録スタジオにやってきたことについて、林真理子、中野翠などから「大人の世界に子供を入れるな」、「周囲の迷惑を考えていない」、「プロとして甘えている」と批判。また、竹内好美は、「旧態依然の良妻賢母を演じるアグネスをも支持しないが、林氏の独断が、女性、子供、その他の、男性社会における弱者たちを疎外するためのキャッチフレーズにいつでも転じ得ることに、あなたは気づいていないのだろうか」として、いずれの側にも立たなかった。
 当時、アグネス・チャンは12本のレギュラー、準レギュラー番組を抱えており、テレビ局から「早く復帰してくれ。子供を連れてきてもいいから」などと説得を受け、不安に思いつつ職場に復帰したというのが真相だという。
この論争の背景には、少子・高齢化社会の到来を前に、男女雇用機会均等法の施行などがあり、当時女性の社会進出機運がマスコミ等で注目されていたことが挙げられる。アグネス・チャンは参議院の「国民生活に関する調査会」に参考人として呼ばれ、育児休業法の実現や保育環境の整備を訴えたが、これが「子連れ出勤」の是非を問う「アグネス論争」の新たな火種となった。
 批判が起こる一方で、アグネス・チャンはマスコミから「働くお母さん」の代表格として持ち上げられたりもした。一部のテレビや雑誌は、彼女の出身地である香港の芸能界の風習である子連れ出勤を批判的に取り上げたが、社会学者の上野千鶴子が『朝日新聞』紙上で「働く母親の背中には必ず子供がいるもの」としてアグネスを擁護した。
 このように、アグネス論争は批判派・擁護派入り乱れて、あらゆるメディアで賛否両論が繰り広げられ、約2年間続くこととなる。
 この一連の日本の報道はアメリカの雑誌『タイム』に取り上げられ、アグネス・チャンはその記事を読んだスタンフォード大学のマイラ・ストロバー教授の招きにより渡米し、女性と教育のかかわりについて学ぶことになった。これらを契機として、アグネス・チャンは自身の問題を社会的問題と捉え、スタンフォード大学の博士課程に進み、日本とアメリカの高学歴者の男女間格差を比較・考察した卒業博士論文により、教育学博士号を取得した。
 アグネス論争当時は、アグネス・チャンが主張した「企業内保育所」を整備する事業所は少なかったが、近年大手企業などを中心にオフィス周辺に保育所を整備するところが増え、その数は全国で5000を超えている。

・・・・・・・・・・・・・・・
主な批判と擁護、いずれでもない立場からの発言の一部を記す。

 アグネス本人
あくまで私たち親子と仕事の現場の人たちとの間の問題。その点、仕事先の人たちよく理解してくれて、息子がいることを面倒臭がるどころか、むしろ来ることを楽しみにしてくれるほどだった。それが、子連れが正しいか間違いかという議論に発展していった。私は香港人のせいか、結婚して子供が生まれても、働くのは当り前と考えていた。仕事をやめるかでなく、どうやって両立させるかだけが、私にとっての問題だった。人に預けっぱなしにしたくないので、考えたすえに子連れ仕事が始まった。子育ては人それぞれ。私は自分の子育てが百パーセント正しいとは思っていない。他人に迷惑はかけないように注意しる。ひとつの実験だと思って、見ていただければ幸い。

・・・・・
 林真理子(作家)
他人の子どもというものに、すべての人が愛情や好意を持ちはしないというところから「迷惑」や「社会生活」という議論はスタートする。「みんなが喜んでくれている」という単純さは、ふつうの人はまず持たない。しかしその単純さを武器に、宗教めいたことをしてしまうところが、アグネスという人物の不思議さでもある。ふつうの女だったら、「ちょっと待てよ」と思う。この世の中には、要求できること、要求できないことも確かに存在しているのではないか。地域の保育所をもっと完備せよ、零歳児保育を充実させろというのは、当然要求すべきことだろう。しかし、自分の子どもを職場に抱えていって、仕事の合い間におっぱいをあたえ、また自分の席に戻ってくるというのは、働く人間としての自負心が許さない。それはあまりにも甘ったれた夢物語だと思う。

・・・・・・
 中野 翠(評論家)
アグネス・チャンがテレビ局の楽屋に赤ん坊を連れてきて育児をしていることが美談らしい、快挙らしい。驚いた。さらに、アグネスが「職場に(テレビ局に)託児所ができて、みんな赤ちゃんを連れてくるようになるといいな」といい出し、それを何か進歩的な思想のように取り上げているのには、もっと驚いた。アグネスは本気で「職場に託児所を」と考えるのなら、それをテレビ局に望む前に、まず自分の会社(最近、夫を社長にして独立した)で実現してみたらどうか。託児室を設け、すすんで子どもを抱えた女性を社員として雇う努力をしてみたらどうか。芸能人というのは特殊な職業だが、世間的基準で見れば、テレビ局にとって彼女はいちおう「出入り業者」という立場なのだからね。
 アグネスの個人攻撃をするつもりはない。私が不思議でたまらないのは、マスコミが彼女を働く女のオピニオン・リーダーか何かのように美化し、祭り上げていることだ。恥ずかしい。中でも朝日新聞は、アグネスに対して妙に好意的だ。同じことを松田聖子がやったとしたら、どうだろう。断言するが、完全に黙殺したはずだ。それでようやく私はさとったのだった.「子ども」は、今や聖域の中のイキモノなのだ。今や「子ども」は「平和」「健康」と並んで、現代日本の三大神様───けっして相対化されることのない絶対的正義になっていたのだと。

・・・・・・
 上野千鶴子(学者)
林真理子の「正論」から見れば、アグネスさんのやっていることは「甘ったれ」た非常識、横紙破りにちがいない。だが、こういう「正論」で、女たちはこれまで何を失ってきただろうか。「正論」はしばしば抑圧的な働きをする。ルールを守れ、と叫ぶのは、ルールに従うことで利点を得る人たちである。女たちはルールを無視して横紙破りをやるほかに、自分の言い分を通すことができなかった。女たちが要求してきたのは、「仕事も子どもも」「有給の育児休暇を」「託児室つきのコンサートを」と、どれも前例にない非常識だった。
アグネスさんは、山口百恵さんのように「結婚退職」も、松田聖子さんのように「育児休業」もしなかった。それはアグネス一家が「共稼ぎ」だから当然、という見方もあるが、昔から「共稼ぎ」の芸能人家庭は、お手伝いさんを雇って子育てを切り抜けてきた。庶民には手の届かないベビーシッターも、アグネスさんの収入ならいくらでも調達できるはずである。
 だがアグネスさんはそれをやらなかった。周囲がドギモを抜かれる中で、芸能界で初の「子連れ出勤」という「非常識」をやってのけた。もちろんアグネスさんという「特権階級」と「ふつうの女たち」とを同列に論じることはできない。だがアグネスさんが世に示して見せたのは、「働く母親」の背後には子どもがいること、子どもはほっておいては育たないこと、その子どもをみる人がだれもいなければ、連れ歩いてでも面倒をみるほかない、さし迫った必要に「ふつうの女たち」がせまられていることである。
いったい男たちが「子連れ出勤」せずにすんでいるのは、だれのおかげであろうか。男たちも「働く父親」である。いったん父子家庭になれば、彼らもただちに女たちと同じ状況に追いこまれる。働く父親も働く母親も、あたかも子どもがないかのように職業人の顔でやりすごす。その背後で、子育てがタダではすまないことを、アグネスさんの「子連れ出勤」は目に見えるものにしてくれた。
 女による女の「子連れ出勤」批判を、高見の見物して喜んでいるのはいったいだれであろうか。この「代理戦争」の本当の相手は、もっと手ごわい敵かもしれないのである。

・・・・・・
 冥王まさ子(作家)
子連れ出勤ができないのは働く人間としての自負心が許さないからではなく、仕事にさしつかえないとしても世間が許さないからだということは、仕事をもつ母親なら誰でも知っている。働く人間の自負心とは仕事の内容で勝負することだ、ぐらいは、職業をもつ人間の「常識」である。他人のプロ意識を云々する前に自分がはたしてすぐれた仕事をしているか問うのも働く人間の自負心である。それはともかく、子連れ出勤をめぐってアグネスさんの言動が目に余るとして紙面批判する人たちは職業意識よりも重要な認識を欠いているのだ。つまり、その批判はたとえば、「みんなが我慢しているときに自分だけ勝手なことをするのはずるい」という、校則違反をめぐるある中学生の投書と軌を一にしており、それは規制が上野さんがいう通り「抑圧的に働いて」いる社会においてのみ「正論」なのだ、という認識である。その「正論」がどれほど抑圧された人から吐かれたのかは知らないが、子連れ出勤が「許されたらどんなにいいだろう」とあるのはけっして慨嘆ではなく、許してやるものか、の意を含んでいるのは明白で、つまるところ特権的例外を特権的に排除しよう、ということにすぎないのだ。

・・・・・・
 竹内好美(コピーライター)
アグネスが長男をスタジオに連れて行っているという話題を初めて耳にした時、大多数の働く女性は、好意的に受けとめたことと思う。その後、登場したアグネス批判に対して、働く女性たちからの反論がまったく出なかった理由は、林さんのヒステリックな論調に嫌気がさしていたこともある。が、それ以上に論争の中心が「仕事場で子連れは是か非か」という、働く女性の側からすればおよそリアリティーのないテーマに終始することになってしまったからだ。労働者としての私たちは、もちろん仕事場に子連れで行くことを企業に要求できるが、それを要求する気はない。実に簡単なことだ。
 赤ん坊を抱いて道を歩く時、私は小学生がこぐ自転車すら怖い。行き帰りで数百段になるだろう階段の昇り降りが怖い。踏切りを渡る途中で降りて来る遮断機が怖い。赤ん坊の顔にかかるタバコの煙が怖い。電車の中にうようよいる病原菌が怖い。怖いものだらけで朝晩五〇分ずつの通勤時間。赤ん坊と自分に降りかかってくる緊張と疲労。こりゃどう考えたって、家の近くの保育所に預けるんがラクチンに決まっている。こういうごくごくあたり前の正論がまったく出てこないで、いつまでも感情論が展開されているところに、現実の働く女性たちは、自分の実感との大きなギャップを感じてしまう。
 男があくまでも家事労働から逃げるなら、すべて自分一人で引き受けるしかない、と悲愴な覚悟をし、仕事は続けていこう、だが毎日帰りが遅い夫をアテにすることはできない、仕事も、家事も、育児も、自分だけを頼りにやっていこうと決意した女性。「職場に託児所を」と要求するのは、このタイプのスーパーウーマンなのだ。
 母親の職場に子供がいるという状況は、実は、父親が子育てを完全に拒否していることにほかならない。子供の送り迎えは連日まったく母親一人に任される。父親がわざわざ母親の職場へ子供を迎えに来るケースはほとんどないだろう。先程述べた子連れ通勤の肉体的、精神的な負担がすべて母親の肩にかかってくる。
「職場に託児所を」という要求を女性たちが掲げて行動し、仮にその要求が実現されたとしよう。
それでは、今まで男性社会を都合よく根底から支えていた良妻賢母たちが仕事を持ったことにしかならない。男性社会の一方的な論理に文句も言わず忍従してきた女性が、家庭と仕事の両方の場で更なる忍従を強いられるという結果しか得られないのだ。
 働く女性が、今 しなければならないことは、働く良妻賢母になることではない。私たちは働く。家計の半分を引き受ける。だから、家事と育児も半分ずつ。もちろん、保育園の送り迎えも半分ずつ。一番身近な存在である一人の男性に要求することなのだ。生産性のみを追求する男性社会で、子育てというハンディを背負った女性の生産性は〇・五程度にしかカウントされない。確かに、家事と育児のすべてをこなしていれば、それはいたし方ない。だが、その負担が半分になればどうだろうか。私たちは、もっと評価される働き手になるはずだ。
 私たち、働く女性は、歴史的には「悪妻」と呼ばれ、侮蔑の対象とされてきた女性として生きていこう。そういった意味では、私たちは旧態依然の良妻賢母を演じるアグネスをも支持しない。だからといって、林さんに勝ち誇ってもらっては困る。「私には守らなくてはならない大人の世界というものがあるのだ」という林さん。その独断が、女性、子供、その他の、男性社会における弱者たちを疎外するためのキャッチフレーズにいつでも転じ得ることに、あなたは気づいていないのだろうか。

悩ましい日馬富士問題

白鵬の優勝インタビューでの力士を代表しての謝罪だけでなく、
「日馬富士と貴ノ岩を再び土俵に戻してあげたい」との発言は
白鵬の率直な気持ちの表明として受け止めて感動した人も
多いだろう。

同時に「越権発言。問題発言」という批判が主流なのも理解
できる。
ただ彼は「戻したい」ではなく「戻してあげたい」と個人的な
気持ち(希望)を述べただけだ。

多くの人が日馬富士関の普段からの真面目さ、
人思いを言及し、それゆえの「指導的暴走」を残念がる声が
強い。
心情的には引退は回避して欲しいところだが、
それは難しいのだろう。

悩ましいのは「横綱の品格」という問題と、
許す前例を作ってよいのか?という点。

なお、貴乃花親方のあり方も問題大だ。愛弟子への
許し難い暴行、とはいえ、協会の理事でありながら、
協会は信用できないとして、直に警察に通報。協会に
対しても「協力できない」とする姿勢は自己矛盾の極みだ。

むりやり企業に置き換えるなら、取締役なのに
取締役会は信用できないとして勝手に警察に通報した
ようなもので、企業では有り得ないこと。
むろん、イチ企業と、「部屋」中心の相撲社会の中にあって
存在感が薄いと言われる財団法人の協会という違いは
あるにしても、おおよそ今の例えで、
それほど違いは無いと思う。非常に不幸な事件だ。

2017年11月27日 (月)

危険な羽田空港増便案~経済より安全を優先すべき

たけしのTVタックルで知った情報~危険な羽田増便案
2020年に向けての観光立国政策を受け、東京の上空を
旅客機が低空飛行する計画があるという。

目的は2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催や
訪日外国人増加による需要拡大を受け羽田空港の国際線を
増便するため。
国土交通省によると2020年までに国際線の発着回数を
現在の年間およそ6万回から1.7倍のおよそ9.9万回へ増便
する事で705万人の旅客数の増加が予想され、
約6,500億円の経済効果が期待出来るという。

しかし、問題は、現在の海上を通るルートでは増便が
出来ないため新宿、渋谷、品川大井町などの都心上空を通って
着陸するルートの導入を目指している点。

これにより、都心を低空飛行することになり、
新宿で高度900メートル、渋谷で600メートル、
品川大井町付近では300メートルで通過するという。

そのとき、街から上空を見たときのシミュレーション映像も流れ、
渋谷ではすぐ上という感じだし、品川大井町付近に至っては
まるでビルとビルとの間を飛んで行くように見える低さ。

加えて品川大井町付近では80デシベルという走行中の
電車内に等しい音がするそうで、
飛行時間が15時から19時限定されるとはいえ、
1分に2回の頻度で騒音が生じるし、加えて昨今の
パネル等の部品落下問題がある。

パイロットにしても、都会の上空300での飛行は恐怖感が
あるという、等々、大変危険な案だ。
そんなに外国人観光客増大政策が重要か。
経済優先より、都民と飛行機の乗客乗務員の生命の
安全確保こそ優先事項だろう。
都心の安全性を脅かす危険度大の政策は回避されるべきだ。
http://o.x0.com/m/628335

2017年11月25日 (土)

菊地美奈さんリサイタル~女性詩人による日本歌曲ほか

婦人国際平和連盟(WILPF)日本支部の主催による
第39回目のコンサートとして開催された菊地美奈さんの
リサイタルを25日午後、浜離宮朝日ホールで聴いた。
バスの河野鉄平さんがゲスト出演。ピアノは瀧田亮子さん。

婦人国際平和連盟(WILPF)は軍縮や女性の権利・公正の
実現や暴力の廃絶を目指す組織としてジュネーブに本部を
置き、日本支部は1921年に設立されたという。
美奈さんの祖母である辻キヨさんはその第9代会長を
務めた、というご縁もあるコンサート。

第1部では日本歌曲、第2部は河野さんを交えての
オペラアリアをメインとした構成で、第1部での日本歌曲は、
女性詩人による詩に作曲された作品をならべたのだが、
これは大正解というか、個性的で美しい歌曲がならび、
選曲においても平凡さが無く、とても素敵なプログラミング
によるコンサートとなった。曲目は以下のとおり。


第1部 女性詩人による日本歌曲たち

1.花の街  詞=江間章子  作曲=團伊玖磨

2.平城山  詞=北見志保子 作曲=平井庸三郎

3.ねむの花 詞=壺田花子  作曲=中田喜直

4.サルビア 詞=堀内幸枝  作曲=中田喜直

5.子守唄  詞=深尾須磨子 作曲=中田喜直

6.花野   詞=菊池瑩子  作曲=大橋美智子

7.竹とんぼに 詞=岸田矜子 作曲=木下牧子

8.トルコ桔梗 詞=内山登美子 作曲=大中 恩

(休憩)

第2部 オペラとアラカルト
1.プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」
       ~美奈さん

2.モーツァルト「フィガロの結婚」より
   「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」~河野さん

3.ボイド「メフィストーフェレ」より「これが世界か」
      ~河野さん

4.あどけない話  詞=高村光太郎  作曲=蒔田尚昊
      ~美奈さん

5.ヘンデル「リナルド」より「私を泣かせてください」
    ~英語で河野さん、イタリア語で美奈さん

6.コープランド 「猫を買ってきた」 ~河野さん

7.ボルコム 「ジョージ」 ~美奈さん

8.プッチーニ「トスカ」より
   「もし私が職務に背かねばならないとしたら」~
   「歌に生き、愛に生き」~美奈さん

アンコール
「歌をください」 詞=渡辺達生 作曲=中田喜直
~美奈さん

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1は私は中学1年の音楽の授業を思い出す懐かしい曲。
「そうさん」は別として團さんの作品を初めて知った作品。
2の有名な曲では、ピアノ伴奏での和音が印象的で、
作曲された時代を想えば、相当斬新だったかと思う。

3は抒情的でとても美しい曲。
4は情熱的で鋭角的な曲想なので、美奈さんのパッション
によく似合う曲だったし、大きな拍手と歓声を獲得していた。

5も抒情的で和音も印象的。

6の「花野」にとても惹かれた。近代的な和音により曲想も
静けさとドラマティックの両面を内在した優れた作品。
あらゆる日本歌曲の中でも屈指の作品ではないか、と想った。
7と8は一転して親しみやすい楽しい曲により前半を
締めくくった。

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後半は美奈さんにより、河野さんへのインタビューも
交えながらの進行。
休憩後の1曲目は言うまでもなく有名な曲だが、
美奈さんが歌うと決してありふれたアリアにならず、
特に終り近くのロングトーンの鮮やかさは見事。
ゆえに1曲目から大きな拍手。

河野さん登場の1曲目。バリトンではなくバスなので
ほっそりした身体と違って太い声によるこの歌を、
オペラさながらの演技を交えて歌い、
大きな拍手と歓声を得た。ボイドの曲も印象的。

「あどけない話」は有名な
「東京には空が無いと智恵子は言う」の詩に基づくもの。

「私を泣かせてください」は美奈さんが通われた
日本女子大学付属幼稚園から高校でのゆかりの曲でも
あるそうで、河野さんが英語で歌い、次いで
美奈さんがイタリア語で歌った際も、
河野さんが英語による詩を朗読してはさむ、という設定。
ただ、朗読の声はさすがにホールの後ろまでは
聞きとり難い感じはしたが。

「猫を買ってきた」はとても面白い曲で、猫だけでなく、
いろいろな動物が登場し、それぞれの声色(声真似)を入れ込み
ながら、河野さんはユーモラスに歌われ愉快だった。

「ジョージ」も、おかまのジョージアという面白い内容。

最後は「トスカ」で締めくくり、大きな拍手と歓声を受けた。
長く大きな手拍子による聴衆に応えてのアンコールは
「歌をください」という素晴らしい作品。とても良い曲。

美奈さんには特に「花野」とこの「歌をください」は
今後もたびたび歌い続けて欲しいと思った次第。

最後に手拍子が起きるほど、熱烈で長く美奈さんファン
である聴衆が多いことにあらためて感じ入った次第。

優秀な歌手はたくさんいる時代だが、
美奈さんほど多くのファン持つ歌手は少ないかもしれない。
ピアノの瀧田さんの演奏は申し分なく素晴らしかった。
http://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/event/20171125.pdf

2017年11月24日 (金)

山一証券自主廃業から20年~大蔵省の罪深いミスリード

山一證券破綻から20年「ルール軽視、退出は当然」と、
ある元社員は言うが、
私は(当時の)大蔵省のミスリードだと思う。

2,600億円を超える簿外債務は確かに犯罪に等しいが、
それでも私は当時の大蔵省の完全なミスリードだと
思っている。

「自主廃業」って何だ?ということ。
「自主」といってもむろん大蔵省による「命令」。

グループ全体で1万人いた社員とその家族を突然路頭に迷わす
命令は、それこそ役人による無責任で無慈悲で横暴な権力行使
だった。

会社更生法適用と歴代関係した役員の起訴等、やり様は
いくらでもあったはずだ。

もちろん後者は実行された。
例えば、行平次雄は1998年3月、経営破綻の原因となった
「飛ばし」処理による証券取引法違反と粉飾決算の容疑により
逮捕・起訴され、懲役2年6ヶ月・執行猶予5年の有罪判決を受け、
2000年3月にその刑罰が確定した。

野澤正平さんは「社員は悪くありません」と言って泣いたが、
大蔵省の処分は「社員全員が悪い」とした内容だった。

2017年11月19日 (日)

田部京子さんピアノ・リサイタル~シューベルトの命日に

現代においてシューベルトの、それも歌曲や交響曲ではなく、
ピアノ・ソナタを弾くとはどういうことか?
聴くということはどういうことか?というようなことを
じっくり考えさせていただいた演奏会だった。

浜離宮朝日ホールでのシリーズの、新たな企画として昨年11月
からスタートしている「シューベルト・プラス」の3回目は、
シューベルトの命日である19日に同ホールで行われた。
演奏曲は次のとおり。

1.モーツァルト ピアノ・ソナタ第10番 ハ長調 K.330

2.ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 op.90

3.ブラームス 4つの小品 op.119
 (1)間奏曲ロ長調  (2)間奏曲ホ長調
 (3)間奏曲ハ長調  (4)ラプソディ変ホ長調

 (休憩)

4.シューベルト ピアノ・ソナタ第20番 イ長調

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1曲目は特に第3楽章のリズムに個性があるが、田部さんは
そのフレージングを含めて端正にして快活に瑞々しく弾いた。

ベートーヴェンの有名な26番「告別」とライブでも比較的弾かれる
ことの多い28番イ長調の間にある27番はそれほど頻繁には
演奏されないように想える。
2楽章構成のその第2楽章は、32番の第2楽章(終楽章)が連想
される詩的で分散的な曲想に魅了があるが、田部さんは
正にそう弾き、第1楽章では威厳のある、堂々とした骨格を示した
演奏。

前半最後に置かれたのはブラームス。
田部さんのシューベルトとシューマンは格別(別格)だが、
ブラームスもそう言えると思う。
重心にブレの皆無な芯のある気品ある音を紡いでいく
ブラームスは素晴らしい。
3つの間奏曲を格調高く弾いた後、ラプソディでは豪快と
言ってよいほど鮮やかにエネルギッシュに弾いて
聴衆の大きな拍手と歓声を得た。

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そして休憩後のシューベルト。
17番以降の4曲はどれも40分前後を要する曲で、
この20番も40分を超す大曲。
しかも19番、20番、21番の3曲は、亡くなる半年前に
書き上げている。

ピアノ・ソナタを32曲書いたベートーヴェンの人生の半分強。
17曲を書いたモーツァルトより4年も短い人生で、
ソナタ21曲は少ないとは言えない。
いや、単純に年齢とピアノ・ソナタの作品数における比率だけを
考えれば、3人の中で一番多いと言える。
これは歌曲王というイメージからずると意外なことかもしれない。

たくさんの魅力的な歌曲、管弦楽作品史上、絶対に外すことが
できない「未完成」と「グレイト」を残したシューベルトが
ピアノを使って書きたかったこととは何だろう?

貴族相手を含めたエンタ性を天衣無縫に愉悦なメロディをもって、
しかし形式的にも美しいフォルムの中に収めたモーツァルト。

哲学的で思想的で革命的なまでに独創的な曲想と構成、
ときにデモーニッシュなまでのパワー、ときに天国的な境地を
したためたベートーヴェンの後で何を書かこうというのか?
書こうとしたのか?

尊敬するベートーヴェンのソナタ群への憧れをモチベーション
とした創作意欲が根底にあったのは確実だろうが、
そうした偉大な作品を知りながら、自身でもそのジャンルに
取り組もうとした際の、具体的な材料をどうとらえて創作して
いったのか?を考えることは興味深いことだと感じる。

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想うにそれは日常の感興、感情の起伏や、思いがけない
興奮や静寂、暗澹たる寂しさや、やるせなさ。
そうした断片的な思いを繋ぎながら、結果として長いフォルムの
中にまとめ上げていった、と言えるかもしれない。

それゆえに、モーツァルトはもちろん、自由さを相当加えた
ベートーヴェンのソナタ形式とも違う、もっと自由な形式による
フォルムをとることになったが、しかし曲想的には
後にシューマンがやった物語的な音の志向というより、
もっと即興的なもの、いわばリスト以降に表れた散文要素を
踏まえた交響詩的なピアノ音楽と言えるように想う。

個人的な日常の喜びや苦悩や不安の表出といっても、
ベートーヴェンにようにそれを自己演出してドラマ性を
創り出すのではなく、あくまでも内面の表現や格闘として描く。

それでももちろん、シューベルト個人の内面の記録的曲想
オンリーということではなく、公で演奏し、披露することを
前提とした効果、技術的工夫や個性を伴う作品であることは
言うまでもない。

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想うに、シューベルトのこうした純な感情とケバケバしくない、
流麗であっても派手ではなく端正なピアニズムを
こんにちにおいて聴く、というのは、いわば聴衆を子供のころの
ピュアな感性や記憶を思い起こし、もっと言うと、
それを洗い流すかのような体験とも言えるのかもしれない。

田部さんは、演奏されることを踏まえたソナタという意味での
エンタ性をも十分に踏まえつつ、リズムと音量の増減という
ダイナミズム、メロディの流麗さ、素朴さと絢爛さ、
構成感と自由度のバランスなど違った要素を、
ときに情熱的にときに思索的にそして格調高く弾ききり
見事と言うほかなかった。

大きな拍手と歓声の中、弾かれたアンコールは
シューベルトの「アヴェ・マリア」。
リスト編曲版を吉松隆さんと田部さん自身が変更を加えた楽譜
によるそれはとても美しいアレンジと、演奏だった。

終演後は、正式なリリースに先だって会場で先行発売された
新CDのサイン会が開催され、多くの人がならんだ。
http://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/event/20171119.pdf

2017年11月18日 (土)

カウフマン~3万8千円はあり得ない~有名な外人というだけでチケットを高額にする日本の音楽事務所

ヨナス・カウフマンの来年1月来日公演のチケット代
で最高値が3万8千円、というから呆れる。
なお、大阪のボックス席は更に高い4万2千円。

私はカウフマンを世評ほど良いとは思っていない。
てか、どこが良いのか解らない。
声に余計な圧力をかけた重たい声は魅力が無い。
かと言って、ヘルデン系でもない。
色が単調で表現にも面白みが無い。

少なくともそのチケット代金に値するとは思わない。
普通ならそこまで言いたくない(し、失礼な物言いであることは
承知だ)が、事務所サイドがそういう値段を付けてくるなら、
はっきりと言わせていただく。

その値段に値する歌手とは思わない。
フェイスブックでも友人のSさんが、カウフマンのFB日本語
サイトのツァー告知欄に「高いよ」と投じたら、
「即ブロックされた」そうだ。

その程度の事務所、その程度の歌手では困るし、
嘆かわしい。

「カウフマンが本当に好きなら値段はいくらでも良い」という人
がいるが、違う。間違っている。
それはあくまでも個人としての心情の問題なので、
自由と言えばそうだが、アーティストと市場の健全な
価格構成を破壊する、極めて不健全な価格設定だ。
欧米で彼にこんな値段を付けるマーケットなどどこにも無い。
マネジメント側は、そうした日本人の心理(足元)を見抜いて
高値を付けてきているわけだ。

ちなみに、ベルリン・フィルの今年11月の来日公演の
S席は、42,000円。
ユジャ・ワンとの共演日は45,000円だが、それは別と
しても、カウフマンのリサイタルのBOX特別席と
ベルリン・フィルのS席=最高値が同じなんてあり得ない。
説明がつかない。

2016年ウィーン・フィルの来日公演
 ~指揮=メータ、ピアノのブッフビンダー共演での
S席は、37,000円。
外来歌手のリサイタル公演最高値がウィーン・フィルより高い
なんて、それこそあり得ない。説明がつかない。
カウフマンの事務局がこの説明できるなら、
ぜひとも、して欲しいところだ。

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2018年1月4日 大阪 フェスティバルホール
Box 42,000 S 38,000 A 32,000 B28,000
 C・D席売切れ
1月6日(土)19:00 東京 サントリーホール
S38,000 A32,000 B28,000 残64枚 C席¥18,000
D席¥12,000

場所は大事~横田基地利用のトランプと国技館事情聴取の日馬富士

トランプが日本国の表玄関である羽田でも成田でもなく、
横田基地だけを利用して出入国したのは日本に対する
侮辱行為だ。
過去の米国大統領の誰一人としてしなかったこと。

横綱 日馬富士関に対する警察の事情聴取が自宅でも
警察でもなく、なんと国技館内で行われたという。
これは相撲に対する侮辱行為だ。
警察署内でやれ!「横綱への配慮?」~そんなの関係ない。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171117-00000040-tospoweb-spo

カルロス・ゴーンは何をしていたのか?責任は無いのか?高額な報酬をもらうに値しなかった経営者

カルロス・ゴーンは何をしていたのか?
カルロス・ゴーンは日産の資格の無い人間による検査と、
いい加減な報告の事実を知っていたのか?

知っていたらむろん、知らなくともそれはそれで、
いずれにしても年間数十億円の報酬もらうに値しなかった
ということだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171117-00000115-mai-bus_all

2017年11月17日 (金)

LA VOCE vol.4 ~寺谷先生もご来場

東京藝大声楽科同期生による声楽アンサンブル
「LA VOCE」の第4回公演を16日、
豊洲シビックセンターホールで聴いた。

この企画が生まれたのは2009年夏。当時、難病による
闘病生活を送りながらも、演奏活動を精力的に行なっていた
テノール歌手 本田武久さんを、友人として、仲間として、
少しでも支えたい、励ましたいという想いから、
東京芸大同期生によるコンサート"LA VOCE"第1回が
2010年1月に開催された。

本田さんは残念ながら2012年11月28日に他界されたが、
このコンサートは継続されており、来年は本田さんの7回忌
を迎えることから、彼の故郷である秋田での公演も計画されて
いるという。

2014年11月の第3回「本田武久さんを偲んで」以来の公演
である今回は「歌とピアノで巡る世界の旅」と題され、
前半が各国の民謡やゆかりの歌、後半が重唱を主体とした
オペラのアリア、という構成で行われた。

 メンバー (出演者;敬称略)

ソプラノ・・・首藤玲奈、高原亜希子、藤谷佳奈枝
メゾソプラノ・・・小泉詠子、布施奈緒子
テノール・・・藤井雄介
バリトン・・・原田勇雄、宮本史利
バス・・・・・・山田大智
ピアノ・・・辻田祐希

 演奏曲

第1部
1.地球にのってどこまでも 作詞=東 龍男、作曲=平吉穀州
     ~全員
2.アメイジング・グレイス(アメリカ民謡)編曲=ジョン・ラター
     ~全員
3.エーデルワイス(編曲=北野實)~高原、小泉、藤井、原田

4.ホームオングメドレー~イギリス編 編曲=源田俊一郎
 (1)アニーローリー~(スコットランド民謡)~藤谷、布施、
                           宮本、山田
 (2)グリーンスリーブス~高原、首藤、小泉、藤井、原田
 (3)ロンドンデリーの歌~メイン=布施+全員

5.フニクリ・フリクラ 作曲=L.デンツァ 編曲=名田綾子

6.一週間 (ロシア民謡) 編曲=信長貴富(無伴奏)
     ~全員 指揮=布施奈緒子

7.蘇州夜話 作詞=西條八十、作曲=服部良一
    編曲=アベタカヒロ ~メイン=藤谷+全員

8.ふるさと 作詞=高野辰之、作曲=岡野貞一
    編曲=岩河智子~全員

 (休憩)

第2部
1.ビゼー「カルメン」より「うまい話がある」
   フラスキータ=高原、メルセデス=布施、カルメン=小泉
   レメンダード=藤井、ダンカイロ=宮本

2.ドニゼッティ「愛の妙薬」より「なんという愛情でしょう」
   アディーナ=藤谷、ドゥルカマーラ=山田

3.マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より
   「神様があなたをよこして下さった」
   サントゥッツァ=小泉、アルフィオ=原田

4.プッチーニ「蝶々夫人」より「桜の枝をゆさぶって」
   蝶々夫人=首藤、スズキ=布施

5.ドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」より「そっと今すぐ庭に出て」
   ドン・パスクワーレ=山田、マラテスタ=宮本

6.ラフマニノフ「アレコ」よりアレコのカヴァティーナ
      ~独唱=原田

7.ヴェルディ「椿姫」より「なんて青白い顔」
   ヴィオレッタ=藤谷、アルフレード=藤井

8.R・シュトラウス「ばらの騎士」より
   「マリー・テレーズ!~私が誓ったことは」
   元帥夫人=首藤、オクタヴィアン=布施、ゾフィー=高原

7.プッチーニ「トゥーランドット」より
   「我が君に一万年の栄光を」~全員

アンコール「最愛」 作詞=本田武久 作曲=アベタカヒロ

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 感想
前半で面白かったのは、編曲の妙次第で心象が随分と異なる
ことをあらためて感じた、ということかもしれない。
「フニクリ・フリクラ」の名田綾子さんによる編曲が一番楽しかった。

ロシア民謡「一週間」をこの日唯一ピアノ伴奏を伴わない
ア・カペラで編曲したのは信長貴富さんだが、
私には懲りすぎの感がして、頭では面白いと受け止めながらも
感情としては楽しめなかった。
リズムの複雑さと音程の難しさで、さしもの優秀な皆さんも大変
だったようで、直後にMCを受け持った首藤さんが、
しばし「蘇州夜話」に関するトーク内容をド忘れしてしまうのほどの
内容だったが、ではそれ程に聴衆の胸に響いたかと言えば疑問
である。なお前半MCのは各人が交替で間合いごとに担当された。

前半で一番印象的だったのがその「蘇州夜話」で、
メインとして藤谷佳奈枝さんが歌った。
フーコさん(藤谷さんの愛称)の強靭でブレの無い力強い歌声は
後半のアリアでもちろん聴けたのだが、「蘇州夜話」では、
編曲したアベタカヒロさんの巧さもあって、ポルタメントを含む
柔らかでしなやかなフレージングと表情の歌声で、
これまでのフーコさんのイメーシとは違う、新しい一面を知り、
新たな魅力を感じた次第で印象的だった。

なおこの曲は、中国にちなむ曲としての「LA VOCE」の選曲
ながら作詞は西條八十、作曲は服部良一。
さすが服部良一というべき、曲自体の不思議な魅力をも、
あらためて実感した次第だった。

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休憩後の後半では、山田さんが進行(執事)を受け持ちながら、
それぞれが本領発揮でどの歌唱も素晴らしかった。
迫力満点の「カルメン」で開始され、早くも「愛の妙薬」や
「椿姫」での藤谷さんの力強さが圧巻。

なお、藤谷さんは来年1月にはベルリン・フィルによる
ラヴェルの「子供と魔法」に出演する。
これは当初、小澤征爾さんの指揮で予定されていたが、
小澤さんの体調が良くないそうで、ミッコ・フランク指揮で行われる。

私は2013年のサイトウキネンフェスティバルで小澤さん指揮の
同曲を聴いており、その折りも、唯一の日本人歌手として
藤谷さんか出演された。
いかに小澤さんから信任が厚いかがうかがわれるし、実際、
スーパー級の実力の持ち主。

蝶々夫人では首藤さんと布施さんがソプラノとメゾとの
違いより、むしろ似た質感が印象的で、極めて透明感ある
デュオで印象的だったし、

曲自体が素晴らしい「ばらの騎士」から三重唱から二重唱に
かけては本当に素晴らしく、胸熱くなる思いだった。
首藤さんの元帥夫人は哀愁感よりも若さを感じさせる歌唱。
布施さんの充実した声のオクアヴィアン、
伸びやかで品の良さを感じさせる高原さんのゾフィー、と、
素敵なアンサンブルだった。

なお二重唱は前半は省略され、後半のG-dur、
ゾフィーのHとオクタヴィアンのGによる三度ハーモニーの
ロングトーンでまとめるという上手いカッティングだった。

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実はこの日、「発見」と思ったのは、サントゥッツァの役を歌った
小泉さんで、圧巻の迫力でとても感動した。
小泉さんを聴くのはこれで3回目かと思うが、以前は短い歌曲
だったこともあり、この日こそ、彼女の力量を十分感じた次第。
それと外見で言うなら、小泉さんは小柄ながらクッキリとした
濃い顔立ちなので、舞台映えがしてとても目立つ、いわば
得なお顔立ちだと思うし、とにかく「カッコイイ人」。
以前から注目はしていたが、
この日、完全に小泉さんのファンになった次第。

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そしてアンコールは当然と言うべき「最愛」。
本田武久さんによる詞にアベタカヒロさんが作曲した
素晴らしい曲で、全音から出版もされている。

ユーチューブでも見、聴けるのでぜひ知って欲しい曲。
私は椎名町混声合唱団で歌ったこともある。
練習段階からワクワクしていたのを思い出す。

素敵なコンサートでした。今後もぜひ継続してください。

なお、会場には東京芸大教授の寺谷千枝子先生が来場
されていて、先月のサントリーホールでの
明治学院バッハ・アカデミーによる「マタイ受難曲」終演後、
ご挨拶させていただいたこともあるので、私もロビーで
少しだけご挨拶した。

今日の出演者について、「ほとんど全員(直接)知っている」
(当然指導された歌手も含むだろう)とニコやかに話されていて、
生徒思いの先生なのだなあ、と、私は部外者ながら
あらためて寺谷さんのお人柄に感心した次第だった。

追記;
藤谷さんは2007年日本音楽コンクール声楽部門第2位。
首藤さんも2009年の同コンクール第2位。

https://www.yokosuka-ymsa.org/concert/la-voce-vol-4/

最愛~最初にアップされた演奏(映像)
https://www.youtube.com/watch?v=oZasLVNN4CM

最愛~2014年11月23日 LA VOCE vol.3 con amicizia
~本田 武久さんを偲んで~(やなか音楽ホール)
https://www.youtube.com/watch?v=_5g6l6j0xNM

本田武久:小さな空(武満徹)
https://www.youtube.com/watch?v=iW-Bevix9zk

2017年11月16日 (木)

シン・ゴジラTV初放映~伊福部昭の音楽

12日夜「シン・ゴジラ」がテレビ朝日で地上波初放送され、
視聴率も15%超えとのことだが、既に劇場等で観た人、
それも複数回、という人は多いだろう。
私も劇場で2回、レンタルDVDで1回観た。

連続したゴジラ・シリーズと決定的に違うのは
「初めて人類の前の巨大生物が出現した」と原点回帰
した点と、夫婦や恋人等の恋愛的な要素が皆無で、あくまでも
「政府、特に権威者ではなくアウトローの研究者たち
 VSかつてない破壊力を持つゴジラ」
とシンプルに設定した点だ。

後者では速いテンポでの会話や形式的議論でムダな時間を
費やす役人問答も印象的だった。
「首相はじめ政府要人らがフッ飛ぶ設定」も前代未聞で傑作
だった。

ヤシオリ作戦成功で動かなくなったゴジラは
まるで福島の原発そのものを印象付ける。

その「ヤシオリ作戦」開始のときに奏されるのが
「宇宙大戦争」(1959年)と「怪獣大戦争」(1965年)で
使われ、その後のゴジラ・シリーズの幾つかにも部分転用
されたテーマ曲。

もっとも「シン・ゴジラ」では伊福部昭さんのオリジナル音楽は
ほとんど使われていない。
TVではカットされた最後の出演者関係者らの字幕が
映し出されるときに、複数の伊福部作品が繋がれて演奏される
ときくらいだが、それでもこの「シン・ゴジラ」では庵野秀明の
「エヴァンゲリオン」の基調とともに、絶えず伊福部作品の
基調が底辺に存在する感じがする。

そう、ゴジライコール伊福部は絶対的な継続性、
圧倒的な関係性が存在しているのだ。
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思えば、北海道の大平原、原野をよく知る生い立ちの
伊福部がゴジラと出会ったのはもはや偶然ではなく必然
だったのだろう。
伊福部作品の多くに見られるオスティナート(ある種の
音楽的なパターンを続けて何度も繰り返す事)と
オルゲルプンクト(持続低音)を基盤とした土俗的エネルギーと
バーバリズムこそ、ゴジラに相応しかった。
むろん「聖なる泉」に代表される抒情的な音楽も含めて。

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個人的な思い出を加えるなら、1996年、OBオケが
「交響譚詩」を演奏した際、当時、東京音大学長だった
伊福部さんが来場してくださり、終演後のレセプションで
私は、「ゴジラ・シリーズを子供のころから観てきました」と
挨拶すると、「じゃ、ゴジラと書きましょう」と
プログラムの余白に “Godzilla” Akira Ifukube と
サインしてくださった。

また、その折ではないが、OBオケでは
「SF交響ファンタジー第1番」を2回演奏したことがある。
最初は1999年に福田一雄先生の指揮で。次いで
2010年に金山隆夫先生の指揮で。
いずれも弾いていて感動したのは言うまでもない。
https://www.youtube.com/watch?v=-Qep0es_pUU

怪獣大戦争
https://www.youtube.com/watch?v=Mbc1305dHxs

日立のTVCM黒澤監督の映像とともに
https://www.youtube.com/watch?v=T1OGmyebdF8
https://www.youtube.com/watch?v=DMckva1jXRw

2017年11月15日 (水)

横田めぐみさん拉致から40年

40年前の1977年11月15日。
横田めぐみさんが拉致されてた日。
未だに解決されず。長すぎる。

2017年11月 7日 (火)

LAWSON STORE 100 の衝撃的安さに驚く

LAWSON STORE 100は驚き~コンビニ版100均
~衝撃的なまでの徹底した統一感が素晴らしい

近所の徒歩3分圏内にファミマ、セブン、ローソンがあり、
5分圏内はデイリーヤマザキだけだったが、最近、
もう1店のセブンとファミマが開店した。

その中の3分圏にあったローソンだけが逆に2か月前位に
閉店したのだが、数日前に同じ場所にオープンしたのが
ローソンストア100。
当初は野菜を店頭(外部=路面)に陳列するなどの
八百屋的イメージが売りなだけかと思ったが
 ~石焼きイモも置かれているのはユニークだが~
それはいわば呼び寄せに過ぎず、最もユニークな点は
他にあった。

STORE 100の100の意味は看板だけだと解らないが、
入店してほどなく解った。
ほとんどの商品が100円(+消費税)均一なのだ。
まるでコンビニのヒャッキンだが、それは徹底していて、
例外としてはお弁当とお酒類やバター等、数種類が数百円単位
だが、他、

おにぎりやスナック菓子だけでなく、多くの惣菜、文房具、
はては瓶入りのキムチやドレッシングなども100円なので
驚く。
小さいながら3つ入りのミカンも100円。
4つ入りの黒糖饅頭も100円。
焼き割栗(80g)も、きなこ飴(100g)も100円。
都こんぶ3つ入り1パック、日清シスコのココナッツサブレも
それぞれ100円。
カップメンもほとんど100円。
魚類やフルーツ等各種の缶詰も。

300グラムの白ごはんや玄米、5個入りのチョコパイ、
4本スティック入りのココア、
10個のティーパック入りの煎茶や玄米茶も100円。

外のスペースで野菜類といっしょに置いてある石焼きイモも
1つ100円。

値段だけでなく、コンビニではほとんど見かけない認印や
スリッパ、カーペットクリーナ、男性用ベルトも置いてあり、
それらも100円。
カレンダー、手袋、マスク、歯ブラシ、マウスウォッシュ、
ティッシュ(1箱)、除菌アルコールウェットティッシュ、カイロ
ポリ袋、フェイスタオル、リバテープ(指絆創膏)、
クラフトテープも100円。なんと靴下も100円。

アイスクリームまでも、だ。むろんいわゆる高級アイスは
置いてないし、種類は限られるが、
それでも他のコンビニでは150円前後のアイスも
ここでは100円だ。

また、レジ近くに必ずある揚げ物系もなんと一律100円。
他店に無い大きいトンカツも100円なので益々驚く。

安いのでついつい多めに買ってしまうこともあるが、
それでもぜいぜい600円前後。
他店で買えば2倍の値段はするだろう。
どういう仕入れ(物流)構造なのか不思議だし、
大いに興味が湧く。
これでは他のコンビニはとても太刀打ちできないのでは?
と思ってしまう。

いずれにしても、一気にこのLAWSON STORE 100のファンに
なってしまった。

2017年11月 5日 (日)

俊友会管弦楽団 札幌第九特別演奏会に参加して

俊友会管弦楽団 札幌第九特別公演に参加して~その1私の側から
普段活動しているオケではない、俊友会管弦楽団の特別演奏会
札幌公演に同行、4日Kitaraホールでの第九演奏会出演させて
いただいた。

この企画を私が知ったのは俊友会が正式に公表する以前のことで、
いわば偶然だった。
昨年3月の学習院OB管弦楽団のシーズンオフ会である
「アンサンブル交流会」で、いつもながら臨時室内オケを編成し、
そのときは「運命」の第1楽章と「新日本紀行」のテーマを指揮
させていただいたのだが、事前にファゴットだけが決まらず難儀
する中、俊友会のファゴット奏者で、学生時代は学習院オケで
吹いていたYさんに出演(賛助協力)を打診したところ快諾
いただいただけでなく、もう1人も同オケから誘って俊友会から
2名出ていただいて、とても助かった。

このとき未だ公表前の情報としてYさんから今回の企画を聞き、
エキストラの返礼(バーター)の意味合いもあったし、何より、
以前からKitaraホールには行ってみたいとずっと思っていた
ので~しかも客席側ではなくステージ出演という想像外の事だ~
そのときから「絶対に参加させていただきます」と約束していた。

7月のOBオケ定演後、9月のOB合唱団によるモーツァルトの
「レクイエム」の賛助出演演奏の練習も8月前後から
ほぼ毎週1回のペースで練習があったし、そのモツレクの練習
と並行して今回の俊友会の第九の練習も開始していたので、
この3カ月の土日はどれかの練習が(日によっては
午前がモツレク、午後が第九と続いて)入るなど、
相当キツイ期間だった。

加えて、OBオケの練習合宿が11月3~5日と第九公演に
完全に重なる決定がなされたので困った。
ヴァイオリンのパトリの1人という立場上、悩んだが、
Kitaraで演奏できる機会など今後限りなく無いに近い
だろうから、第九終演後は宿泊せず、打ち上げを半ばで退席
して夜の飛行機で東京に戻り、合宿は5日のみ出席する
ということで、OBオケには申し訳ないが、当初の予定どおり
我がままを通させていただいた次第。

などなど、私個人においても色々大変だったが、
Kitaraでの関係者皆さんとの新しい繋がり、
絆による演奏会は素晴らしく、参加して本当に良かったと思う。

なお、これだけの企画だから、それこそ俊友会の実行担当
メンバーは大変であったことを、終演後の「感謝の会」での
数人のスピーチの中で知ったので、それは別途(下記のとおり)
書きたい。
私のことより、そちらの、この企画自体がいかに
 (ある意味無謀で)大変だったか、を
ご理解いただけると思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

俊友会管弦楽団 札幌第九特別公演に参加して
 ~その2俊友会の側から~1つの奇跡
 ~アマチュア活動でも新たに人と人との繋がりを作り得る、
  それが音楽~
別途書いたように、俊友会管弦楽団の札幌特別公演に同行し、
4日午後、Kitaraホールでベートーヴェンの第九の演奏に出演
させていただいた。
私はいちエキストラとして参加させていただいたに過ぎないが、
この企画が成功裏に終わった経緯を知るにつけ、
最終的には最下段に記載の公的私的協賛者、協力者を得るに
至ったことも含めて、決して大げさでなく
「多くの偶然が繋がりを創り出して結び付けた奇跡」と想える。

東京と北海道はもちろん遠い。控え目に言っても近くはない。
東京のアマチュアオーケストラと北海道の合唱団
(複数の合唱団や個人有志参加者から成る、この会の
 ための臨時編成)との間には
個人的な面識はいっさい無い。
縁もゆかりも無い人達がいっしょに第九を演奏した瞬間が
Kitaraで起きたのだ。

終演後のビール園での打ち上げに先立つ「感謝の会」での
俊友会管弦楽団団長や関係者のスピーチ、および
プログラムの記載から以下ご紹介したいが、
その前にまず、オケの紹介から。

俊友会管弦楽団は、2013年9月1日に逝去された堤俊作さんが
「音楽にプロもアマもない」の信条のもと、全国各地の
アマオケを指導していたことから、各地で指導を受け、
就職して東京で働き出した人も含めて1983年に結成
されたオケで、私は入団こそしないながらも、
演奏会は5回以上は聴いている。

確か第1回の演奏会では今の皇太子殿下(当時は即位前)
のヴィオラ、堤さんのコントラバスでその2つの楽器による
珍しい協奏曲を演奏したし、堤さん亡き後は、
今回の御法川(みのりかわ)さん他、いろいろな指揮者を
迎えて団が継続されている。

私自身と堤さんも少しだけ接点があり、大学時代3年までは
私は合唱団を続け、4年次にオケに移ったのだが、
その最初の演奏会の指揮者が堤さんで、
シューベルトの「未完成」とマーラーの交響曲第1番を
堤さんの指揮で演奏した。つい昨日の事のように思い出す。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<幾つかの偶然>
堤さんが1988年から1992年まで札幌交響楽団の専任指揮者
だったが、このころ小学生だった御法川さんが
「将来、指揮者になりたい」と堤さんに相談に出向いたときから、
御法川さんの音楽人生だけでなく、おそらく今回の企画さえも
ここをスタート地点としている、と言える。

その後、桐朋学園音大に進んだ御法川さんは堤さんに指揮法を
師事した。師弟関係だ。この点が全ての基本となる偶然だ。

そしてときが経ち、2015年12月の俊友会の忘年会という
「飲み会の席」で、北海道留萌市出身の団長と、
同じく北海道出身で既に俊友会を何度か振っていた御法川さんらが
「札幌で演奏会を開こう」と言い出し、翌年3月に団として
正式に決定事項とした。 やがて「Kitaraも確保した」。

しかし「曲はどうする?」。個人的に数人、北海道に縁がある
とはいえ、俊友会管弦楽団としては縁もゆかりも無い。
札幌や北海道のほとんどの人々だって東京のいちアマチュア
に過ぎないオケのことなど知るはずもない。「どうする?」。
 「集客できるのか?」。
係る問題も含め「どうせやるなら、地元の人々との繋がりも作りたい」
とのことから「第九」が演奏曲として決まった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<そこから動き出す>
まず、御法川さんが中学時代の恩師に相談を持ちかける。
今どき、といっては何だが、係る個別的事案を中学時代の先生に
相談できる御法川さんの人間関係を大事にする人柄が
ここに見てとれるが、その恩師Yさんは最初は軽く考えながらも
引き受け、引き受けた以上はと
 「俊友会管弦楽団札幌公演を応援する会」を立ち上げる。
Yさんは自分だけではどうにもならないとしてその会の中に
北大名誉教授Nさん、札幌合唱連盟理事Yさん、紋別市教育長Sさん、
北海道新聞Kさんらを応援する会に加えるなど
「多くの人を巻き込んでいく」。

合唱の指導者として上田哲(あきら)氏を巻き込み、
上田氏は合唱参加者を人数的にもレベル的(練習)においても
固めていく。来るべくオケ団員の宿泊所や合唱団の練習会場確保
も含めて協力者を得て行く。他にも企業からの協賛を得るべく
複数の人が動き出し、中でも合唱団の一員でもある
(株)メディカルシステムネットワークの会長のFさんが
東京出張時に俊友会団長と親しくなって、
企業応援を含めてより強力関係を深めていく。

また、御法川さんはソプラノで北海道出身の中江早希さんに
連絡をとり、中江さんは北海道在住のアルト松田久美ンさんに
連絡をとりなど、連携が徐々に広がって行く。

そしてまた、御法川さんはN響の同僚(先輩)で北海道出身の
ヴァイオリニスト森田昌弘さんに
「今度Kitaraで第九を演奏するんですが、もう1曲、
 モーツァルトのコンチェルタンテ(協奏交響曲)を
 いっしょにやりませんか?」と持ちかけ、快諾を得る。

こうしてオケ以外、合唱団が札幌を中心とした地元の人々
であることに加え、ソリストも全て北海道出身が揃うことに
なった(下段、出演者記載のとおり)。

ティンパニはなんと札幌交響楽団の首席奏者が参加してくれる
ことになり、他のパーカッションには北海道大学交響楽団から
3名参加してくれることになった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当初は何人集まるかさえ不明だった合唱団も、最終的には
ソプラノ40名、アルト49名、テノール21名、バス33名の計143名
の合唱団となり、無謀とも想えた企画が本当に実現したのだ。

偶然が幾つか重なったとき、それはもはや「必然」と呼んでも
よいのかもしれない。 俊友会団長が、
「札幌にご縁のあった堤さんが札幌に行け、札幌に来い、
 とでも言ってくれたかのように来た」と、
「感謝の会」で述べたように。

巻き込む側の思いが熱く真剣なものであるならば、
巻き込まれる側もそれに応えることにいつしか喜びを
見出してくれるのかもしれない。

私にとってもこの企画は偶然の出合いだったが、
北海道の合唱団員にしたらなおさらそうだし、
札響と北大交響楽団にしても驚きのオファーだっただろう。
私以外のいずれもが「俊友会?知らないな?」から
始まった出会いだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<今後もつながりをたいせつにして>
「感謝の会」で複数の人が、
「せっかくこうした機会ができたのだから、またいつの日か
 いっしょに」、あるいは、
「今度は合唱団が東京に出向いて共演するのも案だ」
と語るなど、今回だけで終わるのは惜しい、もったいない、
寂しい、と語っていたので、何らかの形で継続するといいな、
と心から思い、願う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<個人的な偶然>
テノールの小笠原一規さんを知ったのは昨年の
「OPERAMANIA」のコンサートで、今年に入って東京で
生声を聴かせていただくなど、急速に親しくなったのと
今回の企画が重なったし、
ソプラノの中江早希さんは毎年3月恒例の前田幸康さん指揮
のチャリティ・コンサートでヴァルディのレクイエムを歌われた
のを聴いたのが初めてで、まさか今回、札幌の地で共演
いただくことになるとは想わなかった。

おっと、まだあった。
御法川さんに指導を受けたのは私は初めてではなく、
みなとみらい21交響楽団で4回の演奏会に出演した際も、
そのほとんどにおいて、弦トレーナーとして数回ずつ指導
していただいていた。 御法川さんも、
「どうりで、どこかでお見かけしたと思ってました」
とおっしゃっていた。
また、氏の指揮もFAF管弦楽団演奏会などで2回ほど見、聴いて
いた。

御法川さんといい、小笠原さんといい、加えて中江さんといい、
出演者に関しても私には偶然の嬉しい共演となったのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なお、私とソリストに関する偶然はこの3人様だけだが、
それは別として、他もソリストも素晴らしく、
特にバスの大野浩司さんはまだ若いのに、
もう何十年も第九を歌っているかのような堂々としたソロ
だった。 大野さんにとっても
「Kitaraで第九をのソロを歌うのが夢だった」と語ったように、
たぶん予想外の早さでそれが実現できたのは、
俊友会の無謀な企画がもたらせた幸運だったと言っても、
決して失礼にはならないだろう。

<最後に>
個人的には第九演奏は久しぶりだったが、
総じて速めのテンポで(おそらく団員の多くも)最初は困惑もあった
と想像するが、弦奏法においてとても勉強になったし、
オケの正団員や私と同様、エキストラとして参加された奏者を
含めて、練習期間も本番も実に楽しいひとときだったし、
本番当日は北海道在住の合唱団員の皆さんとの共演、
北海道出身のソリストが揃うという全く稀な、極めて貴重で、
いくら感謝してもしきれない充実した札幌でのゲネと本番だった。

「感謝の会」で、バスの大野さんはオケの演奏について
「魂のある演奏。プロの演奏」と褒め、
合唱指導の上田さんも
「充実した演奏。曲そのものと、自分達のオケに対する「愛」を
 とても強く感じる演奏だった」と絶賛されたが、

私やたぶん俊友会からしても、御法川さん、合唱団はむろん、
ヴァイオリン・ソロの森田さんと4人の歌手の皆さん、
合唱トレーナーの上田さん、賛助出演していただいた
札響ティンパニの入川さん、北大交響楽団の皆さんなど、
それこそ郷土である北海道に対する「愛」を強く感じた出会い
でもあったと思う。

このように、今回の企画と参加は幸せな時間であり、
これを企画運営された俊友会の全ての皆さんに
心から感謝したい。ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

俊友会管弦楽団 特別演奏会 札幌公演
指揮=御法川雄矢(みのりかわ ゆうや)
     (NHK交響楽団ヴィオラ奏者)
演奏曲
1.モーツァルト
  ヴァイオリンとヴィオラと管弦楽のための協奏交響曲
    変ホ長調 K.364
  ヴァイオリン・ソロ=森田昌弘
   (N響次席、北海道紋別市生まれ、札幌育ち)
  ヴィオラと指揮=御法川雄矢(北海道岩見沢市出身)

2.ベートーヴェン 交響曲第九番 二短調「合唱付き」作品125
  ソプラノ=中江早希(北海道上川郡鷹鷹栖町出身)
  アルト =松田久美(北海道室蘭市出身)
  テノール=小笠原一規(北海道帯広市出身)
  バス  =大野浩司(北海道札幌市出身)
合唱=俊友会特別合唱団
合唱指揮=上田哲(あきら)(北海道札幌市出身)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後援…札幌市、札幌市教育委員会、岩見沢市教育委員会、
    北海道新聞社
協賛…(株)メディカルシステムネットワーク、
     (株)エイチアイエス、(株)札幌第一ホテルなど計13社。
     個人協賛…62名
協力…俊友会管弦楽団札幌公演を応援する会、
     公益社団法人 日本アマチュアオーケストラ連盟、
     テレビ北海道、FMカロス札幌、
     東京海上日動火災保険(株)札幌中央支店、
     札幌交響楽団、北海道交響楽団、
     北海道大学交響楽団など計17団体。個人協力…計11名。
https://shun-yu-kai.sakura.ne.jp/concerts


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
余談1
コンサートホール内の座席から座席を歩いてみると
4日午前、リハ開始前にKitaraホール内を散策。
1Fと2Fのロビーは控え目ながら整然としていて、
トイレも広くキレイ。そして内部すなわち客席も未だリハが
始まる前、東西南北、全て歩いてみた。

一番感心したのは、2階から3階の段差左右2点の境だけが
閉鎖されているのを例外として、なんと他の座席面は、
通路に出ることなく全て歩いて他の面(スペース)に移動ができる
ことだ。むろん正面パイプオルガンのあるフロア席も含めて。

この点ではミューザ川崎に似ているが、ミューザの客席は
螺旋状のユニークな構造となっているのに対して、
Kitaraはサントリーホールと同じ、いわゆるワインヤード型
なので、ワインヤードで1~2階を客席の中で全て行き来できる
ホールはほとんど無いのではないか?

ワインヤードではないがオーソドックスにして客席の広い
東京文化会館など、各階すべていったんドアを開けて
通路側に出ないと他の階のフロアに行けない。
この点でもKitaraのユニークにして効率的な設計構造に感心する。

以下は余談だし、個人的な見解だが、オーチャードホールの
ようなシューボックス型のホールは近年においては
もうほとんど前時代的で陳腐な形態だと思うし、ましてや、
例えばマーラーの「復活」やとりわけ「千人」には
まったく不向きな型だと思う。
ワインヤードやミューザ型こそ今日的で美しく、
聴衆配慮だけでなく合唱配備の点でも好ましい型と思うし、
好きな型のホールだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
余談2
札幌のラーメン店で~味よりお客さん?
前後するが、本番を明日に控えた3日の夜、
札幌Kitara大リハ室で第九の練習が終わり、
ホテルで小休憩後、札幌に来てラーメンを食べない手は無いと
南北線ですすき駅で降りて新ラーメン街へ。
ラーメン街といってもたいして店数はない。

20数年前、札幌駅近くの路地を入ったところで見つけた
数店のラーメン店の中で食べた内容のほうが数段
「これぞ北海道の、札幌のラーメン」という感じがした。
具(の大きさや味)が全然違う。東京ではまず見かけない
盛りだくさんの具のラーメンだった。

それに比べて、今回のすすきの新ラーメン街はさほどの
感じもしなかったが、それでも私が入った
7席しかない狭い店のラーメンの味はなかなか良かった。

それよりも、すぐ前に先客でいた女性客2人が
とても美人なので驚いた。
落ち着いた感じの30歳前後と想われる。

その2人が帰った後に同じ席についたのは20歳前後の男女。
女性が前田敦子に似て可愛らしかった。青春だなあ。

その2人の向こう側に少し後から来たのは女性1人。
小柄なやはり20歳前後と想われる可愛らしい女性。

札幌は美人が多い。
しかも、気取った高級店でみかけたのではなく、
ごく小さな普通のラーメン店だったのが良い。

カップルで食べるのも青春。女性2人で食べるのも友情。
女性一人で食べるのも青春。
店を出ると、天気予報どおり雨が強くなり始めていたので、
急ぎホテルに戻った。

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