« 衆議院の解散と民進党の変化のいずれも批判する | トップページ | NHK女性記者も過労死~なぜ報道しないのか? »

2017年10月 4日 (水)

短気で器の小さな九州男児と団塊の世代

以下に該当しない立派な九州男児も当然たくさんいらっしゃる
でしょうから、その人には先に謝っておきます。

私のフェイスブック友人には色々異なる政治的立場
(意見、支持政党の違い)の人がいて、全然考えが違う人の
アップも含めて、私はそれぞれのアップを面白がって眺めて
いますが、数日前、九州の男性Aさんから
「政治的意見が違い過ぎる」と絶縁のメッセをいただきました。

また、1年くらい前には、ある芸能人の事件での意見相違で、
突然私にブロックをかけてきた男性Bさんがいて、
その人も九州男児でした。

2人ともクラシック音楽が好きなことからFB友人になり、
後者Bさんとは東京のサロンコンサートでお会いしたこともある
ので残念に思っています。
九州男児って、案外、「短気で、器が小さい」ですね?

とまあ、書いたところ、Cさんという九州生まれのかたから
「血液型で言うのと似ている」との意見をいただき、
なるほどと思い、この文自体はFBから削除したのですが、
Cさんの他に、
もう1人、Dさんという70歳台のかたで、声楽のコンサートで
よく会う、ご自身も合唱とソロ歌唱の勉強をされっているかたから
「自分も多少、九州人の血が入っているから、器が小さい
 とは聞き捨てならない。異議を感じたらいろいろ言うのが
 九州男児。そもそもFBで政治話しすること自体おかしい」
と書いてきました。

それに対して、私は
「FBで政治ネタを書くのは別に悪いこととは思わない。
 音楽に興味の無い人には音楽ネタはスルー対象のはず。
 それと同じ。食事食材ネタも家族ネタも同様。
 興味ない人には興味ない。
 例えば、ご家族の写真をアップされる人は割りと多いが、
 私はそれについて、こういう世の中なのでセキュリティの
 観点から好ましくは思わないが、アップは投稿者の自由。
 他者がとやかく言うことではない。
 関心のある事をアップする自由はある。
 スルーする自由、良いと思う自由、良くないと思う自由」
という主旨のことをアップしました。

これについて、Dさんより、
「今後も政治ネタを書くとのこと。伊藤さんの音楽投稿は
 興味があったが、政治ネタは不要なので、
 FB友人は解消したい。今までありがとう」
と丁寧なメッセをいただいた。

私からは
「同じ事を考えていました。ありがとうございました。
 今後もコンサート会場でお会いしたときは
 よろしくお願いします」と返信しようとしたら、
既にブロック状態だったので、返礼はできなかったが、
そのうちコンサート会場で会うことはあるだろうから、
その際、キチンと挨拶したいと思っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このほか、音楽ネタだけで関わっていたほうが良い関係
もある、という政治ネタの難しさのもう1例をご紹介すると、

以前「クラシックを聴こう!」サイトで知り合ったTさんは、
音楽に関して楽譜をアップしながら学術的な見解を披露する人
で、私とも頻繁にやりとりし、互いに注目していた中、
FB友人にもなっていただいたが、私の政治ネタに対しては、
Tさんは保守的立場からとても同じ人とは想えない様な
辛辣なコメントが再三投じられ、
私も倍返しの様に辛辣に言い返すことがあったので、
「これではいけない」と思い、Tさんにメッセし、
「政治関係では互いに気まずくなるだけなので友人を解消し、
 クラキコ内で音楽のやりとりだけしませんか?」と提案し、
Tさんも「そうですね。そうしましょうか」と落ち着いた。
先の「クラキコ主宰者の暴挙」に際しても早々Tさんに
メッセし、「こういうことがあり、今後クラキコでTさんの投稿は
拝読できなくなりましたが、Tさんのタイムラインを
たまにのぞきに行きますので、よろしくお願いします」
と伝え、Tさんも「そうでしたか。今後もよろしく」として
良い関係は続いている。
音楽面における互いの尊敬は変わっていない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このTさんも先述のDさん同様、私より10歳くらい年上の
かたなので、いわゆる全共闘世代=団塊の世代。

政治には複雑な思いを持っている世代ということは
理解できるが、DさんもTさんも
「政府に批判的な投稿を極端に嫌う人」だったわけで、
Tさんは学生運動盛んな時期に「ノンポリ(政治に関心なし)
だった」と自ら述べていたことがあったので、
やりとりの中で、私は
「Tさんはよほどノンポリであったことの後ろめたさから、
 (当時の学生運動を思い出すような)政府に批判的見解を
 忌み嫌うのではないですか?」とまで失礼なことを
書いたこともあった。

Tさんはとても「できた人」なので、
それについては何も応えなかったし、私もそうした彼の
人間性を信頼していたので、そこまで言ったのかもしれない。

一方、Dさんは残念ながら、そういう自由を許容できない
性格だったようで、良くも悪くも自分の価値観でのみ
他者の投稿の好き嫌いを判断する人だったと思う。
Dさんには「スルーする力」で対応して欲しかった、と
残念に思う。

前後し、更にDさんについて付け加えるが、Dさんの様な、
「自分の意見が正当だ。解らんのか?」という性格の人が
団塊の世代には多い気がする。

数年前、Dさんが、
「女優の吉高由里子は映画で裸になったから
 朝ドラの主役にふさわしくない」と書いたので、
私は呆れて反論したら、
Dさんから、「説教は不要。不愉快」とはっきり言われた。
要するに「年下の分際で年上に意見するな」というスタンス。
そういう人とは議論は不可能ですね。
入口の段階でシャットアウトですから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
結局のところやはり「個人の器の問題」、という気がする。
Dさんも「九州の血が少し入っている」とされ、
「器が小さいとはけしからん」とコメントして来ましたが、
結果的に、いみじくも、Dさんの「器の小ささ」を感じた次第。

« 衆議院の解散と民進党の変化のいずれも批判する | トップページ | NHK女性記者も過労死~なぜ報道しないのか? »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック