« 日野氏の中学生ビンタ事件は指導力の無さの証明 | トップページ | 武井咲さんのケースを「男」側から感じた点 »

2017年9月 5日 (火)

田部京子さんの演奏について~私の田部京子(小)論

田部京子さんのファンクラブ会報に私の文を掲載していただいた
ので、アップさせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

田部さんの新譜に関する私の感想が「レコード芸術」2月号に
掲載されましたが、字数制限ゆえ短く抽象的な表現となって
います。
今回、光栄にも会報への寄稿のお誘いをいただきましたので、
他の曲も含めた田部さんの創り出す音楽について
僭越ながら書かせていただきます。


1.モーツァルトのピアノソナタ第11番と協奏曲第23番の新譜
  について

モーツァルトのピアノソナタ11番の第1楽章から既に
田部さんの「個性」は出ている。
フレーズを収めるその瞬間に、田部さんはほんの0.01秒
くらいの「溜め」を創る。これにより独特の気品と余裕が生じる。
あるいは第1テーマが繰り返されるその間合いにも、
0.05秒位の微妙な絶妙な間合いを取る(溜めを置く)のだ。

有名な第3楽章の最初の長調の主題が終り、
次の短調のフレーズに移る部分や、そこが終り、
最初のテーマが再び戻ってくる場面等々、多くの場面で
田部さんはそういう設定をして行く。

第2楽章の3小節目に入る所でも早々に溜めを創るが、
それにより「大人の気品」が生じる。

しかし、そうした「工夫」が機械的だったり、
いたずらに恣意的なものとはならず、常に「音楽的」なのだ。

「空間のアゴーギク」と勝手に名付けたいような、
無音であってもそこに音楽が在る間合いは、次の音楽を準備する
余韻として創られた間合いと呼べるかもれない。

間合いだけでなく、フレーズにおいても、協奏曲も含めて、
例えば「符点8分音符+16分音符」という跳ねるフレーズでは、
田部さんは最初の符点8分に柔らかなふくらみ(微妙なテヌート)
を置く。
これが快活感と独特のニュアンスを醸し出して素敵だ。
もちろん、こうしたフレージングの工夫、配慮に留まらず、
協奏曲での哀愁ある第2楽章から一転しての第3楽章での愉悦
は、音楽そのものとして清々しく素敵だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2. これまでの録音やライブを含めた全般的な心象

1で書いた特徴は他の作曲家の作品演奏にも多く共通している。
最近ではなんと言ってもベートーヴェンの第30番から
32番の3曲が圧倒的だ。
30番における彩り、31番における変幻自在、
32番における高貴なまでの質感と構成感。

ベートーヴェンに限らず、全ての作曲家の作品において
田部さんはまず1音1音を大事にして演奏する。
1つの音そのものに厚みが在り、それを積み重ねて行く。
強靭な技術を基盤とした音には常に「コク」が在るが、
それは重いとか軽いではなく、熟成した果実のような濃厚な音
であり、それがムラなく持続して行く。

細部は全て丁寧に「練られる」が、それは合理的理知的な計算に
基づくというより、繊細でしなやかな感性で縫いあげて行く工程を
想像させるものであり、その結果、上質な絹織物だったり、
温かな毛織物のぬくもりのような温かさ、
気品を常に感じさせてくれる。

そして、どっしりとした、全体を見据えた構成感が在る。
常に絶対安定を基盤として、そこに激情や繊細や哀しみを
創って行くので、例えばベートーヴェンでは、
もっとデモーニッシュに身を委ねた「踏み外す」までの激昂を
伴う演奏もアプローチとしてはあり得るが、
それは田部さんの特質とは違うかもしれない。

田部さんは即興的な激昂や、感覚的なフレージングを
滅多に選択しない。
田部さんは次の(新しい)フレーズに移るときに決して
先を急がない。
常に足元を見据え、大地に根ざして行くが如く、歩んで行く。
「たたみ込む所」でも駆け出さず、常に一定の厚みと熱さを
内在したベクトルとして直進する。

その安定した音の粒立ちゆえ、技巧的な部分でも
決して仰々しくならないし、静謐な部分でも不透明にもならず、
常に明晰で格調高い音楽となる。
それも理知が先行するのではなく、まず感情、情感があって、
それをいかに表現するかという考察が常に在る。
そのバランスの素晴らしさ。理知と情感の絶妙な配分と交差。

田部さんは物語を音で描くというより、
1つ1つの音を積み重ねていくことで物語を紡ぎ出し創り出す。

ベートーヴェンの協奏曲第4番での内面との対話と抒情性。
ブラームスでの格調と内面の熱さ。
吉松、ラヴェル、メンデルスゾーンなどでの清楚にして
夢溢れる美観。
ショパンも「らしさ」ではなく自分の感じるままを一定の
フォルムの中で表現する。
リストでも技巧よりも詩や抒情や物語をまず感じさせてくれる。

抒情と言えば、吉松隆さんは田部さんの特質を活かした作品を
世に提供されてきたことに、あらためて感謝したい。


モーツァルトはむろんベートーヴェンでも古典という要素に配慮
した田部さんは、シューベルトにおいては、
瑞々しさ清々しさを増加することで、古典的フォルムの堅持よりも
ロマン派の息吹を節度を保ちながらも喜々として歌うことに
踏み込む。

そしてそれはシューマンにおいて決定的となり、
シューマンにおけるヴィルトゥジティと同時に熱いロマンと
パッションがほとばしる演奏に圧倒され、深い感銘を受ける。
田部さんの情感が直接的に音のドラマとして立体的に歌われる
シューマンは素晴らしい。

他方では、カッチーニの「アヴェ・マリア」のように、
徹底的に抒情性に満ちた、情感を全面に提示したかのような
祈りと愛に満ちた世界を創り出すなど、
田部さんの持つ「振り幅」の大きさに驚かされもする。


田部さんの演奏は、常に至高のレベルにおける模範的な演奏
なようでいて、誰よりも「大人な音楽」を醸し出している。
温かさと代え難いまでの気品。

しかし結局、どのような言葉をならべても所詮、田部さんの
演奏を語り尽くせはしない。
それは田部さんの演奏が過去の録音が色あせないだけでなく、
常に今在る心情の表現として演奏され、今後も深化しながら
生みだされていくに違いないからでもある。

« 日野氏の中学生ビンタ事件は指導力の無さの証明 | トップページ | 武井咲さんのケースを「男」側から感じた点 »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック