« 2017年8月 | トップページ | 2017年10月 »

2017年9月16日 (土)

SAWAKAMI OPERA クラシックコンサート

16日午後、さわかみオペラ芸術振興財団主催のコンサートを
イタリア文化会館アニェッリホールで聴いた。

最初に財団の理事長が挨拶し、イタリアに若い優秀な歌手を
留学させている活動を紹介された後、2010年にマントヴァ歌劇場
にて日本人としては初のイタリアの歌劇場音楽監督になられた
吉田裕史さん~現、ボローニャ歌劇場フィル芸術監督で、
さわかみ財団の芸術監督~も挨拶され、
①イタリアではいかに歌手が尊敬されている職業か
 (神から選ばれた人)、
②歌劇場はセリアA以下ランク別にどのくらいのオペラハウスが
  あり、歌手たちは下のランクから上のランクの歌劇場をめざし、
  役もマイナーなオペラの脇役から有名なオペラの主役までの
  間において昇っていくべく勉強していること。
  イタリアで日本人がイタリアのオペラに出演するのは、
  外人が日本で歌舞伎に出演するようなもので、
  いかに大変なことか、そうした厳しい競争の中で
  彼ら彼女たちは頑張っている、ということを述べられた。

・・・・・・・・・・・
出演歌手は、ソプラノの岸七美子さん、梨谷桃子さん、
原璃菜子さん、バリトンの加藤史幸さん、バスの松中哲平さん、
賛助出演のテノール後田翔平さんの6人。

前半はソロで2曲ずつ。後半はソロおよび重唱を揃えた演目。
ピアノは篠宮久徳さん。

第2部からヴァイオリンの尼崎有実子さんと
チェロの黒川実咲さんが加わった(下記19を除く)。
演目については感想の後に記載する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このコンサートを知ったきっかけと、聴きに行った理由は
一致する。
7月の「OPERAMANIA2~ベルカントからR・シュトラウスまで」
で初めて聴いて、その実力に驚いた岸七美子さんが出演
されるから。

そのときのコメントも下記に記すが、その中で
「遠からず日本で人気歌手になる」は良い意味で訂正したい。
すなわち、この日も第1曲から圧倒的な声量で、
完成度の高い歌声を聴いてこう思ったのだ。

「岸さんは、日本のステージ(物理的なことだけでなく)に
 収まる人ではなく、世界の舞台で十分通用する歌手に
 なるに違いない、少なくともそのくらいの才能を有している」

と。控え目にいっても「世界で勝負して欲しいレベル」。

例えば、「常に気品のある声」と言うと、細めの声を連想しがち
だが、岸さんにはそれに「強さと、ほどよい肉厚の太さ」も
加わり、トーンもベルベットのような独特の色合いを伴う。
こうして書くと「後は何があるの?
(足りないものはもう無いのでは?)」と言うくらい、
多くの美質を持っている。
岸さんについてはこの日の個別ごとの感想よりも
そうした全体の印象を記し強調しておきたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先日もフェイスブック内のやりとりで、Oさんが
「岸さんの進化、成長」を口にしていたし、
本日初めてご挨拶した「ぐらっぱ亭」さんも
「どんどん良くなっている。成長している」
と彼女の進化に言及されていた。

私は岸さんを知ってまだ2カ月足らずだが、
数年前から聴いてきた「ぐらっぱ亭」さんとOんが揃って
「岸さんのスケールアップ、成長、進化」に言及されて
いる点は、私のコメントより何倍重要で、意味があることだ。

・・・・・・・・・
なお、7月の「OPERAMANIA2」における私の感想は
以下のとおりだが、これに関しては
岸さんのお母様もとても喜んでくれたとのことで、
それは私にとっても思いがけない喜びでもある。

~7月に聴いた「OPERAMANIA2」の私の感想~

「この日、私にとって最大の「発見」、すなわち初めて聴いた
 歌手でまず言及しなければならない人が、
 ソプラノの岸 七美子(なみこ)さんだ。
 まだ若いと想うがその実力に驚いた。コントロールの巧みさ、
 声量、表現力、加えて個性的なトーンを持つ。
 現在、トリエステ国立歌劇場に所属というから、
 日本で歌う機会は今のところ少ないのだろうが、
 外見的にも可愛いらしく、遠からず日本で人気歌手になる
 に違いないと想像する。(中略)
 稀なほどの逸材だと強く感じ入った。今後が本当に楽しみだ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
他の出演者の皆さんにもそれぞれ魅せられた。

梨谷桃子さんの声は確かに紛れもないソプラノの声だし、
凛とした伸びの良い見事な声だが、ベクトルというと
奇妙な言い方かもしれないが、内在する質感が、
メゾに求められるような哀愁感のある劇的であると同時に
内面的に深い意味合いを持つ曲と役が似合いそうな個性を
感じた。特に「神よ、平和を与えたまえ」が印象的。

原璃菜子さんは、前半だけ聴くと、明るいキャラの曲が
似合う印象を受けたが、第2部での「ドン・ジョヴァンニ」
での二重唱ではメゾに近いトーンによる劇的な歌唱も
十分できる人と判った。
この二重唱は特に素晴らしかった。

バリトンの加藤史幸さんは、ときにバリトンのような
重心のある声も持った人で、
有名な「私は町のなんでも屋」やトロバトーレの二重唱も
とても印象的だった。

バスの松中哲平さんは、今年(これから)イタリアに渡る
そうだが、力感あるバスで、特に「悲しい胸の思いは」が
良かった。

テノール後田翔平さんは既にだいぶ活躍されているだけに、
余裕のある歌声で、テナーだけれど中音域でも
「聴かせる」ことができる人。素敵なテナー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この日、全体を通して良い意味で混乱したのは、
テノールとバリトンとか、ソプラノとメゾとかの分類は、
ファンはそうしたことをいったん忘れて聴いたほうが
面白いのではないか、という事だ。

どういうことかと言うと、梨谷さんのところで書いた
「メゾに通じるベクトル」や、加藤さんのところで書いた
「バリトンを連想する色合い」など、個々の歌手には
当然ながら固有の独特の声の質感があるから、
テノールとかソプラノという「類型」は忘れて聴いたほうが
色々なことを感じ取れるのではないか、ということだ。
そうした面白い発見をしたコンサートだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本演奏会は、財団主催の
「ジャパン・オペラ・フェスティバル2017」に出演のため、
留学先から一時帰国しているのだから、と、
急きょ開催が決まったようで、イタリア文化会館の
ホームページの演奏会情報にもアップされていないことも
あるのか、来場者数は少ないのが惜しい気がした。
これだけの充実した内容なのに。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第1部
1.アルディーティ「口づけ」・・・岸 七美子
2.ガスタルドン「禁じられた音楽」・・・後田翔平
3.ドニゼッティ「永遠の愛と誠」・・・原 璃菜子
4.ビキシオ「マンマ」・・・加藤史幸
5.トスティ「最後の歌」・・・梨谷桃子
6.クルティス「泣かないお前」・・・松中哲平
7.プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」より
   「私のお父さん」・・・原 璃菜子
8.ヴェルディ 歌劇「運命の力」より
   「神よ、平和を与えたまえ」・・・梨谷桃子
9.ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」より
   「私は町のなんでも屋」・・・加藤史幸
10.ヴェルディ 歌劇「海賊」より
   「初恋の頃には」・・・後田翔平
11.プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」より
   「ある晴れた日に」・・・岸 七美子

 (休憩)

第2部
12.モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」より
  「行って、無慈悲な人、行って」~原 璃菜子&後田翔平
13.ヴェルディ 歌劇「シモン・ボッカネグラ」より
   「悲しい胸の思いは」・・・松中哲平
14.ヴェルディ歌劇「仮面舞踏会」より
   「ここがあの恐ろしい場所」・・・梨谷桃子
15.プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」より
   「私の坊や」・・・岸 七美子
16.マスカーニ 歌劇「友人フリッツ」より
   「わずかな花を」・・・原 璃菜子
17.プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」より
  「私のラウレッタ」~梨谷桃子&後田翔平
18.ヴェルディ歌劇「イル・トロヴァトーレ」より
  「聞いているな、夜が明けたなら」~岸 七美子&加藤史幸
19.ロッシーニ 「猫の二重唱」~梨谷桃子&松中哲平
アンコール
 ヴェルディ歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」~全員

イタリア文化会館は初めて行った。
地下2階のアニェッリホールは、ほどよい小ホールで、
音響も悪くないが、座席表がロビーに無いだけでなく、
座席の番号表示も見え難いので戸惑いを覚えた。

2017年9月15日 (金)

クラキコよりも、「クラシック音楽をのんびりと」をお薦めします

クラキコよりも、「クラシック音楽をのんびりと」をお薦めします
下記(1つ前)の後段で書きましたKawakamiさんの
「Freely, classical music〜クラシック音楽をのんびりと〜」
に入会させていただき、驚いたのは、
クラキコ内でも良識ある人が既に多く入会されていていることした。

「やるじゃん、Kawakamiさん」。そして、
「なんだ、そうと知っていたら、最初からこちらに入会すれば
 よかった(早い段階でクラキコから移れば良かった)」

と心底そう思います。
穏やかで洗練された、落ち着きある雰囲気を感じるサイトです。
何よりクラキコのときから「このかたのコメントいいな」と
何度も感じた人がたくさんいらっしゃる。
しかも紳士的な投稿。

・・・・・・・・・・・・・
クラキコは会員が1万人を超えているので、当然いろいろな人が
います。
もちろん専門分野のコミュニティサイトは決して詳しい人だけの
ものではなく、むしろ「初心者」こそウェルカムとするのが好ましい
と思いますし、その点ではクラキコもそうでしたが、
その次元とは違う「知ったかぶった軽薄な意見を言う人」、
「運営者に媚を売るかの様に安易に賛同するゴマ刷りの人」、
中には稀ですが「どう読んでも「ネトウヨ」としか想えない人」もいて
閉口したこともありました。

1万人もいたら、「音楽には興味なしの、単に思想チェック?が
目的な輩」がいても不思議ではないでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Kawakamiさんはそうした「低レベルな喧騒」に嫌気がさして
自主退会されたのだと思いますし
 ~この点、訂正。やはり強制退会させられたとのことです。
  唖然とします。F氏は何人「切って」きているのでしょう?
 ~その彼女(と数名)が立ち上げて運営しているので、
「荒れようがない」と想像できます。

今クラキコに入会されている皆さんには、ぜひ一度
「Freely, classical music〜クラシック音楽をのんびりと〜」
をじっくり眺めてみる(そして何らかの判断をされる)ことを
お薦めします。

https://www.facebook.com/groups/1851808001698416/?pnref=story

それでも魅力的な人をたくさん知ってよかった

下記(1つ前)の件はあったものの、
クラキコではクラシック音楽に詳しく優れた見解を投稿される人は
もちろん多々いて、そうした人々(以外も含めて)とは
楽しくやりとりしたし、勉強にもなりました。

特に①全般において優れた魅力的な見解を有する人、
②感性が私と似ているなと思う人~例えば好きな曲や指揮者等で
共通するなど、
③感性は違う(似てない)かもしれないがユニークで面白い見解を
披露する人、など、魅力的な人は当然多々いらっしゃったので、
「退会」で一番残念に思ったのは、そうした人々のアップを
読めなくなったことでした。

しかし実はこうした3つの観点からの魅力的な人の名前はメモ
してあり、少なくとも20人以上はいて、その内の数名様とは
既に個別に友人となっていただいていたのですが、
今回の急な事態で、未だ友人になっていない人に、
昨夜から順次メッセで事情を伝えて友人申請しており、
まだ途中の段階ですが、現状、100%ご承認いただいて
います。
ありがたいことです。

優れた見解や豊富な情報を持つ人々との交流は率直に嬉しく、
貴重なことだと感じています。

・・・・・・・・・・・・
更に加えてKawakami様のサイトを知って
このように個々のアプローチの他、意外な嬉しいお誘いが
加わりました。
やはり以前クラキコで知ったKaoru Kawakamiさん
(やはりクラキコは強制退会させられた、とのことです)から
ご案内いただき、彼女が複数名で運営する
「Freely, classical music〜クラシック音楽をのんびりと〜」
を知り、入会させていただきました。

入会して驚いたのは、クラキコでも良識ある見解や情報を
投じていて注目していた人の多くが入会されたことで、
こうした人々とまた変わりなく今後もコミュニケートできることを
嬉しく思った次第です。

というわけで、14日は予想外の「拒絶」と「受け入れ」が
同日内で生じるというあわただしい日となりました。

このKawakamiさんの
「Freely, classical music〜クラシック音楽をのんびりと〜」
については、別途後でご紹介します。

「クラシックを聴こう!」主宰者による「強制退会処分」は愚の骨頂~~私以外にも相次ぐゆえ、圧倒的にクラキコを批判する

以下は当初、関係者とフェイスブックのおメッセでのやりとり
だけに収めていましたが、数名より質問をいただいたのと、
私以外にも相次いでいる状況と知りましたので、
ブログでも書かせていただきます。
以下はフェイスブックにより既に500人前後が知っていることです。

 「クラシックを聴こう!」(以下「クラキコ」)サイトでは入会者同士の
やりとりが主ですが、主宰者が投稿をチェックしている他、ときおり
主宰者(元々は複数のはず)の中心人物自身=F氏自身も
話題を投じてきます。

先日もその代表者F氏が、三善晃作曲の「オデコのこいつ」を
取り上げ、
「学生がコンクールで高得点狙いのため、ニグロなどの差別用語が
 出てくる難曲を選曲する学校が多いと聞いて、めまいがした」
コメントとしました。

それについて、会員の多くが作詩者や作曲者の本来の意図も
知らずに、「ヒドイ詩だ」とか「教育的にありえない」等の批判を
開始したので、私には「ここは道徳教育(ごっこ)の論議の場か?」
と呆れるほどの異様な展開が始まりましたが、
私にはそれらのほとんどがF氏に「おもねる」表層的な意見、
不勉強で不見識極まりない軽薄な意見の陳列に映りました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこで私は、そうした批判的意見全般に対し、
「作詩作曲者の本来の意図を知らずに否定するのはおかしい。
 それに昨今、学生の合唱コンクールでそれほど頻繁には
 取り上げられてなどいない。また、高得点狙いというなら、
 他にも難曲はたくさんある」と反論しました。
 幸いこれに対して「いいね!」も20名ほどからいただいたので
 共感者は多くいたと想いますが、そうでない人々の間で
 「こんな曲を歌うなんて」調の低レベルな糾弾が長々と
 続いていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だいたい、「ニグロ」という単語が使われた詩だろうと、
それを歌った中高生が将来、人種差別主義者になるかのような
批難は「アホくさい」の一言に尽きます。
「子供はそんなにヤワじゃありません」し、むしろ詩が意図する
ように、「悲惨で理不尽な状況下にある人間へ、思いが行く様な
人間になる」そうしたキッカケになり得るのだ、という事に
考えが行かないことが不思議でした。
「想像力の貧困さ」を感じた次第です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、係るやりとりの中で、とりわけ私が
「Fさんの情報源自体がそもそも怪しいのでは?」と書いた
ことにF氏は相当怒ったようで、
私は「強制退会処分」となりました。
今では同サイトをのぞき込むこともできません。
事実上のブロックですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
普段からF氏は、「決めつけない、否定しない、が、
クラキコのモットー」と公言し、しかも運営ルール上
「運営は複数体制で、独断で強制退去判断はしない」とも
明言していたのに、
「三善作品の本質も理解せず安易に否定し」、
その自分が投じた内容に疑義が挟まれたことに不快感を
抱いて(たぶん独断で)「強制退会処分」するとは呆れました。
論外です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の反論は「F氏の見解への批判というより、事実誤認に対
する指摘」に力点を置いたものです。合唱事情に詳しい人なら
「オデコのこいつ」が「高得点狙いで学生がコンクールで
 多くとりあげる」など「そんな状況にはありません」ことは
誰でも認識できるはずです。

実際、オケ合唱を問わず音楽全般に詳しく、過去の演奏にも
昨今の音楽界状況にも造詣の深いHayakawaさんも
同様の指摘をされました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

F氏は合唱経験はありません。あったら、
そんな的外れなアップなどするわけはありません。
F氏は私に対し、
「撤回しないなら退会措置をとる」としてきたので、
一応非礼は詫びたものの、当然、撤回する理由はないので
そのままにしたところ、突然「強制退会」。

しかも、強制退会に関しては以前、同サイトでQ&Aがなされた
ことがあり、「独断ではしない。運営者間で協議する」と
F氏は明言していたのですが、今回のスピーディさからして
協議がなされたとはとても想えません。
明らかに独断だと思う。 というか、
どうやら「1人しかいない=他のメンバーは去った」らしいです。
即断できるわけだ。「裸の王様」状態なのでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

F氏は半年くらい前に企画したサロンコンサートで出演者とモメ、
反省していったん代表から降りたのに、舞い戻ったのは
いいとして、以前にも増して「独裁化」しているのは明らかです。
会員が1万人を超えたことで「浮かれている」のでしょうが、
こうしたコミュニティサイトで重要なのは入会者数ではなく
 「質」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして先ほど、私以外にも「最近、投稿を見ないな?」と
気になっていた女性がやはり強制退去されたのを知りました。
また、1カ月くらい前から頻繁に積極的な投稿をされていた
男性もごく最近、同様の扱いをされたと知りました。

今クラキコに入会されている方々は、係る「劣化状況」
であること、
「そういう主宰者、その程度の人間が運営しているサイト」
であることを十分認識されておいたほうがよろしいかと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記
昨日までに知った「クラシックを聴こう!」主宰者Fによる
強制退会処分という暴挙を受けた人は私の他、
K上さん、SY野さん、S田さん、澤Dさん、H井さん。

皆さん、見識の高い人やプロの音楽家だ。ということは、
他にも数倍いると想像できる。
H井さんはFも一時は関心を持ったというソプラノ歌手。
退会直前には嫌がらせも受けたという。
これはウワサではなく、ご本人からの情報。
明らかに異常事態だ。

2017年9月 9日 (土)

9月9日に9.98秒~祝 桐生祥秀選手

男子100メートルは子供だった1964年の東京五輪から注目
してきたし、1968年のメキシコ大会のハインズは、
私を含め小学校同級生の友人らの間でヒーローだった。
あれから50年近くかかったが、
それでも日本人が10秒を切る時代が来ることに関して、
正直懐疑的だった。
若い人の進化を信じてあげられずゴメンナサイ。

とにかく日本陸上界の新しい時代がスタートした。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170909-00000077-mai-spo

男子100メートル歴代記録~世界と日本それぞれ
https://www.nikkansports.com/sports/athletics/kiryu-yoshihide/record/

2017年9月 8日 (金)

山尾志桜里議員~意外な人のワキの甘さ~議員の不倫ネタが多すぎる

最初は 「また民進党の内紛か。解党してしまえ」と思ったが、
これは前原氏に同情の余地はある。

実情は知らないが、いずれにしても、
山尾氏は「ワキが甘すぎる」。
公共性、公僕、知名度という点で国会議員は会社員とは異なる。

子供のいる既婚女性が「仕事で」は高級ホテルの部屋で
異性と2人だけは会わない。まして一泊はしない。
いかなる弁明も信用されないだろう。
しかも、高学歴の、国会でも論客として名を挙げてきた
勢いのある女性なので、こうした
「不倫ネタが一番似合わない、その点で意外性十分過ぎるネタ」
だ。

既婚者でも恋をすることはむろんあり得るだろう。だが、
今、国会議員が自由恋愛で浮かれている状況か?

男女差別的ではあっても、まだまだ係るネタは女性には
一層不利で、ほとんど致命的とさえ言えるまでの問題を彼女は
抱えてしまった。
「国会議員としての彼女は終わった」という人もいるくらいだ。

言うまでもないが、国会議員の報酬は税金を原資としている。
国民をナメるのもいいかげんにして欲しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追伸;
山尾志桜里議員 「議員辞職を検討」
豊田真由子議員 「議員を続けます」

 ~逆なら了解ですが。

2人とも東大法学部卒、同じ年齢。 どうした?エリート女性

「ありえない行為」~斎藤美奈子さん(東京新聞6日朝刊)

政権に批判的なサイトだけでなく、フェイスブックの
「クラシックを聴こう!」サイト内においてさえ、
日野皓正氏による中学生ビンタ事件への批判が多く出ている。
「暴力を許容する風潮はダメだ」と。

斎藤美奈子さんによる、以下の論調もとても良い。
・・・・・・・・・・・・

「先日たまたま、NHKアーカイブで山田太一脚本の連続ドラマ
 「男たちの旅路」(1976年~1977年)を見た。
民間の警備会社を舞台に上司と部下の濃密な関係を描いた
物語である。ドラマ自体はおもしろく見たものの、ひとつ驚いた
のは、特攻隊の生き残りだという50代の上司(鶴田浩二)が
20代の新米警備員(水谷豊)を張り倒しまくることだった。
新人研修でいきなりビンタ。こんにちではあり得ない行動だろう。

ジャズミュージシャンの日野皓正氏が中学生をビンタした
というニュースから、体罰許容論が復活しつつある。
熱が出そうだ。
軍隊式の指導がまかり通っていた40年前に戻りたいの?

体罰を苦に命を絶った大阪の女子柔道選手によるパワハラの
告発を機に、スポーツ界にはびこる体罰(暴力)が問題に
なったのは2013年である。
暴力は連鎖する。
あのとき私たちは何によらず体罰(暴力)は許されないと
確認したのではなかったか。

「体罰に愛を感じたことは一度もありません」と語ったのは
桑田真澄氏だ。
「絶対に仕返しされないという上下関係の構図で起きるのが
体罰。スポーツで最も恥ずべき卑怯な行為です」

音楽や他の分野でも同じだろう。
時と場合で許される体罰などあるわけがない。
時と場合で許される虐待やDVがないのと同じだ」

2017年9月 7日 (木)

武井咲さんのケースを「男」側から感じた点

既婚の女優なら、妊娠は想定内の事としてTV番組制作サイドや
CMスポンサー企業は企画や起用を考えるだろうが、
いわゆる「デキ婚」はそうした関係者にとって「裏切り行為」と
言える面はやはり有ると思う。
とはいえ、企業がCMスポンサーから降りたり、違約金を請求
する挙に出るとしたら、
それは「一種のマタニティ・ハラスメントと言える」とも思う。

そもそも係る違約金にどれほどの正当性があるのか?は
もっと検証されてよい。

そうした企業の対応の是非(賛否)はともかくとして、
「忠臣蔵の恋」(NHK)、「貴族探偵」(フジTV)、
「黒革の手帳」(テレビ朝日)と、3タテでヒロインの座を獲得
して来ていた、正に「今一番乗っている女優さん」なのに、
「彼氏」は彼女のそうした「出世=今が一番大事なとき」という
ことを考えないのだろうか?と、
これは本当に素朴な疑問としてそう思う。

23歳の女性なら子供は後にいくらでも望めるだろうから、
今は芸能界関係者との更に強い絆を作り上げることに
「男として」協力するのが恋人ではないか?などと
勝手に想うのだが。

ここに「男性の女性に対する嫉妬」を私は感じる。

とにかくこれで彼女は今後しばらくの間、TVや映画、
ファンの前から離れることになる。

音楽家なら身重でも演奏活動はできるが、
女優さんが身重で独身女性役は演じられない。
音楽家と女優の決定的な違いだ。

今回の「本来はおめでたい件」が今後、
彼女のキャリアにおいて大きなマイナスにならねばよいが、
と思うのだが。

2017年9月 5日 (火)

田部京子さんの演奏について~私の田部京子(小)論

田部京子さんのファンクラブ会報に私の文を掲載していただいた
ので、アップさせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

田部さんの新譜に関する私の感想が「レコード芸術」2月号に
掲載されましたが、字数制限ゆえ短く抽象的な表現となって
います。
今回、光栄にも会報への寄稿のお誘いをいただきましたので、
他の曲も含めた田部さんの創り出す音楽について
僭越ながら書かせていただきます。


1.モーツァルトのピアノソナタ第11番と協奏曲第23番の新譜
  について

モーツァルトのピアノソナタ11番の第1楽章から既に
田部さんの「個性」は出ている。
フレーズを収めるその瞬間に、田部さんはほんの0.01秒
くらいの「溜め」を創る。これにより独特の気品と余裕が生じる。
あるいは第1テーマが繰り返されるその間合いにも、
0.05秒位の微妙な絶妙な間合いを取る(溜めを置く)のだ。

有名な第3楽章の最初の長調の主題が終り、
次の短調のフレーズに移る部分や、そこが終り、
最初のテーマが再び戻ってくる場面等々、多くの場面で
田部さんはそういう設定をして行く。

第2楽章の3小節目に入る所でも早々に溜めを創るが、
それにより「大人の気品」が生じる。

しかし、そうした「工夫」が機械的だったり、
いたずらに恣意的なものとはならず、常に「音楽的」なのだ。

「空間のアゴーギク」と勝手に名付けたいような、
無音であってもそこに音楽が在る間合いは、次の音楽を準備する
余韻として創られた間合いと呼べるかもれない。

間合いだけでなく、フレーズにおいても、協奏曲も含めて、
例えば「符点8分音符+16分音符」という跳ねるフレーズでは、
田部さんは最初の符点8分に柔らかなふくらみ(微妙なテヌート)
を置く。
これが快活感と独特のニュアンスを醸し出して素敵だ。
もちろん、こうしたフレージングの工夫、配慮に留まらず、
協奏曲での哀愁ある第2楽章から一転しての第3楽章での愉悦
は、音楽そのものとして清々しく素敵だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2. これまでの録音やライブを含めた全般的な心象

1で書いた特徴は他の作曲家の作品演奏にも多く共通している。
最近ではなんと言ってもベートーヴェンの第30番から
32番の3曲が圧倒的だ。
30番における彩り、31番における変幻自在、
32番における高貴なまでの質感と構成感。

ベートーヴェンに限らず、全ての作曲家の作品において
田部さんはまず1音1音を大事にして演奏する。
1つの音そのものに厚みが在り、それを積み重ねて行く。
強靭な技術を基盤とした音には常に「コク」が在るが、
それは重いとか軽いではなく、熟成した果実のような濃厚な音
であり、それがムラなく持続して行く。

細部は全て丁寧に「練られる」が、それは合理的理知的な計算に
基づくというより、繊細でしなやかな感性で縫いあげて行く工程を
想像させるものであり、その結果、上質な絹織物だったり、
温かな毛織物のぬくもりのような温かさ、
気品を常に感じさせてくれる。

そして、どっしりとした、全体を見据えた構成感が在る。
常に絶対安定を基盤として、そこに激情や繊細や哀しみを
創って行くので、例えばベートーヴェンでは、
もっとデモーニッシュに身を委ねた「踏み外す」までの激昂を
伴う演奏もアプローチとしてはあり得るが、
それは田部さんの特質とは違うかもしれない。

田部さんは即興的な激昂や、感覚的なフレージングを
滅多に選択しない。
田部さんは次の(新しい)フレーズに移るときに決して
先を急がない。
常に足元を見据え、大地に根ざして行くが如く、歩んで行く。
「たたみ込む所」でも駆け出さず、常に一定の厚みと熱さを
内在したベクトルとして直進する。

その安定した音の粒立ちゆえ、技巧的な部分でも
決して仰々しくならないし、静謐な部分でも不透明にもならず、
常に明晰で格調高い音楽となる。
それも理知が先行するのではなく、まず感情、情感があって、
それをいかに表現するかという考察が常に在る。
そのバランスの素晴らしさ。理知と情感の絶妙な配分と交差。

田部さんは物語を音で描くというより、
1つ1つの音を積み重ねていくことで物語を紡ぎ出し創り出す。

ベートーヴェンの協奏曲第4番での内面との対話と抒情性。
ブラームスでの格調と内面の熱さ。
吉松、ラヴェル、メンデルスゾーンなどでの清楚にして
夢溢れる美観。
ショパンも「らしさ」ではなく自分の感じるままを一定の
フォルムの中で表現する。
リストでも技巧よりも詩や抒情や物語をまず感じさせてくれる。

抒情と言えば、吉松隆さんは田部さんの特質を活かした作品を
世に提供されてきたことに、あらためて感謝したい。


モーツァルトはむろんベートーヴェンでも古典という要素に配慮
した田部さんは、シューベルトにおいては、
瑞々しさ清々しさを増加することで、古典的フォルムの堅持よりも
ロマン派の息吹を節度を保ちながらも喜々として歌うことに
踏み込む。

そしてそれはシューマンにおいて決定的となり、
シューマンにおけるヴィルトゥジティと同時に熱いロマンと
パッションがほとばしる演奏に圧倒され、深い感銘を受ける。
田部さんの情感が直接的に音のドラマとして立体的に歌われる
シューマンは素晴らしい。

他方では、カッチーニの「アヴェ・マリア」のように、
徹底的に抒情性に満ちた、情感を全面に提示したかのような
祈りと愛に満ちた世界を創り出すなど、
田部さんの持つ「振り幅」の大きさに驚かされもする。


田部さんの演奏は、常に至高のレベルにおける模範的な演奏
なようでいて、誰よりも「大人な音楽」を醸し出している。
温かさと代え難いまでの気品。

しかし結局、どのような言葉をならべても所詮、田部さんの
演奏を語り尽くせはしない。
それは田部さんの演奏が過去の録音が色あせないだけでなく、
常に今在る心情の表現として演奏され、今後も深化しながら
生みだされていくに違いないからでもある。

2017年9月 2日 (土)

日野氏の中学生ビンタ事件は指導力の無さの証明

あの中学生ドラマーだけが叩き続けた理由がどうあれ、
あの中学生を責めるのはおかしい。
有名人の指導イベントであっても「主役は演奏する中学生」だ。
有名指導者じゃない。
いずれにしても、日野氏のあのような暴力は論外。
あのような行為でしか指導できないというのは、
有名無名を問わず、大人として「指導力ゼロ」ということを立証
している。

止める方法はいくらでもあったはず。
ピンタというのはある意味「誰でもできる安易な手段」だ。
要するにプロとしての指導力が欠如しているということ。

これをもしオーケストラでやったら、どうなるか?
彼はそのオケはむろん、ほとんどのオケから二度と
呼ばれなくなる。
天才なら何をしてよいという時代ではない。
「トップアーティストほど、常識があって然るべし」という時代だ。
小澤征爾さんほか、人間的にも尊敬されている人は現実に多数
いる。

日野氏の実力は知らないが、他に優秀なトランペッターなど
世界にゴマンといる時代だ。
彼に驕りがあったとしか想えない。

中学生らは
「今度はもっと優秀で素晴らしい指導者を迎えればよい」
これに尽きる。

追伸;
フェイスブックの「クラシックを寄稿!」サイトで、
「トランペットでガンガン吹き返すことで止めたら
 カッコよかっただろうに」
という主旨のことを書いていた人が、あれはステキな意見だ。
もし、そうしてたなら、大人な対応だし、
アーティストならではの対応、と、かえって称賛されたことだろう。

2017年9月 1日 (金)

青山 貴さん 独演コンサート

青山 貴さん~独演コンサート~ユニークなプログラム
9月1日の夜は、人気バリトン歌手青山 貴(たかし)さんが
日本声楽家協会主催のシリーズ企画「独演コンサート」
に初登場されたので拝聴した。
ピアノは高田絢子(あやこ)さん。
会場はいつもの日暮里サニーホール(コンサートサロン)。

プログラムを見て直ぐに気付くのは「海」をテーマ、あるいは
それに関係する歌をメインとしていることと、
言語だけだと日本語、フランス語、イタリア語、ドイツ語に加え、
なんと韓国語の歌も交えたユニークな構成によるものだった。

青山さんも(後述のとおり)プログラム曲終了後
(アンコール前)の短めなトークの中で、
「最後のワーグナー以外は、初めて歌う曲を揃えました」
とのとおり、チャレンジングな選曲が素敵だった。

第1部
1.別宮貞雄作曲「海四章」(詩=三好達治)
 (1)馬車 (2)蟬 (3)沙上 (4)わが耳は

2.フォーレ 「幻想の水平線」
 (1)海は果てしなく(2)私は乗った(3)ディアーヌよ、セレネよ
 (4)船たちよ、我々はお前たちを

3.ヒョン・ジェミョン作曲「希望の国へ」(ヒマンエ ナラロ)

4.韓国民謡「舟歌」(ベンノレ)

  (休憩)

第2部
5.チマーラ作曲 (1)海のストルネッロ (2)海辺の光景

6.ポンキエルリ作曲「歌劇ジョコンダ」より
     「漁師よ、お前の餌をう沈めるが良い」

7.ワーグナー作曲「歌劇さまよえるオランダ人」より
     「期限は切れた」~オランダ人のモノローグ

アンコール
中山晋平作曲「鉾をおさめよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1曲目の別宮さんの曲は、1947年作ということも関係
してか、全体に沈鬱な孤独感、哀愁感を漂わせた曲で、
ピアノは特別変わった音(和音等)はあまりないのだが、
歌の旋律はまるでピアノの流れ、音型とは独立しているかの
ような別の音楽の世界を歩む感じがして、
「歌うのには難しい曲(集)だろうな」と想像した。
むろん青山さんは丁寧で端正な誠実な歌唱で抒情的な
世界を示した。

2曲目のフォーレも全体としては抒情的な詩的な歌で、
フランス語特有の柔らかさがそれを特に印象づけた。

そしてこの日、最初に客席を大いに沸かせたのが韓国語による
「希望の国」で、軽快なテンポによる愉快な歌で面白かったし、
続く「舟歌」は雄大な曲想で、素敵な曲だった。

「北」だけでなく、政治的には日韓はまだまだ前途多難な
問題を抱えたままだが、また、青山さんはそのような状況を
考慮して選んだわけではないだろうが、結果的に、
言葉が解らなくとも(歌詞の大意は用意されていた)
音楽だけの力で、民族や国家間の問題を越えて
心が容易に結びつくことをあらためて如実に証明する
幸福な提示だったと思う。

考えてみれば、韓国ではつい最近まで国民が
「日本語の歌を聴くことを禁じられていた」わけだし、
日本でも「冬のソナタ」放送以前は、「アリラン」他
ごくわずかの韓国(朝鮮民族)の歌しか知らないできたわけ
だから、こうした今回の青山さんの試みは、
本人の意思を越えて、とても素晴らしいことをしてくれたのだ、
とも言えると思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

声量の全開という点では正に後半第2部が冒頭から
そうだった。声量の豊かさだけでなく、
青山さんの声はまるで体躯のように、丸みがあって
温かな柔和さがある声だ。
鋭角的ではなく、もたれるほどの重々しさもない。
ダンディで優しい声。しかも声量も素晴らしい。

チマーラの2曲でそれを示し、ポンキエルリの曲では
愉快なドラマ性も提示して聴衆を楽しませた。

そして最後は、「オランダ人」。
あの堂々たるヴォータンを彷彿とさせる威厳ある低音
により、実力を如何なく発揮された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここまで、「もう1つの期待、楽しみ?」である、
青山さんのユーモラスなMCはとうとう封印されたまま
だった。
笑顔全開のユーモラスなトークは、全プログラムが終わって
アンコールに入る前の少しだけだったことからも、
それだけ歌に集中したい、という思いが伝わってきた。

それでも、
「9月1日はまだ暑いだろうと思い、海にちなむ歌で
 涼しくなっていただけたら、と思ったら、
 今日はとても涼しく~」
と笑わせてから、アンコールの「鉾をおさめよ」では
聴衆の手拍子も交えながら、勢いの良いお祭り風の
メロディとリズムに乗って、
いわば「やんちゃ」な気取らない笑顔を歌唱という、
青山さんの持つ真骨頂(かもしれない)の面を示したし、
これは4の曲とも相通じる曲想でもあって面白かった。

アンコール曲終了後も聴衆の大きな拍手は手拍子に
変わってまで継続されたが、2回目のカーテンコールで、
「すみません、アンコールは1曲しか用意しておらず
 (会場、爆笑)」と「告白」され、楽しいコンサートが
終了した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ピアノの高田絢子さんは申し分ない演奏で見事。
以前も書いたが、優秀な歌手の増加に伴うかのように、
歌手たちに負けじと、いわゆるコンサートピアニストだけでなく、
優れたコレペティトゥールの資質を持つ優秀な奏者が
どんどん増えていようで、
これは日本の音楽界全体の底上げを象徴している事でもある
と思う。

« 2017年8月 | トップページ | 2017年10月 »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック