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2017年8月31日 (木)

コンクールの限界~最高の「賞」は聴衆からの温かい拍手だ

雑感「コンクールの限界」
~最高の「賞」は聴衆からの熱い拍手

フェイスブックの「クラシックを聴こう!」サイトに、
1つ前のブログ記事でも紹介した青柳いづみこさんの
「ピアノとスポーツ」と題した日経新聞朝刊に寄稿された文を
紹介したところ、反響が大きかった。

私が前文で、
「私自身はコンクール自体にあまり興味はありません~」
としたわけでが、その前文をもう少し自分なりに掘り下げて、
私なりの素朴な所感を以下書いてみたい。
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青柳氏自身の「日本からもショパン・コンクール優勝者を」
とする、いわば「コンクール至上主義的発想」自体が、
既に新時代とはややズレているかもしれないが、
むしろ氏は、そこ(なぜ出ていないか)から日本の音楽教育
にあると思われるある種のゆがみ、歪(いびつ)さ等を指摘
したかったのだと読むべきだろう。

あるいは結果的に、国内には「コンクール信仰」が根強く、
コンクールとは無縁の個性的才能が未だ少ない状況も
浮き彫りにしているとも言えるかもしれない。

もっとも、ご存知のとおり、チャイコフスキー以外の曲を
演奏できるチャイコフスキー国際コンクールでは
日本人1位はピアノ、ヴァオリン、声楽で既に出ている。

歴史的土壌から、これまでの日本人にとってコンクールの
重みは欧州人以上のものがあっただろうし、
言うまでもないことだが、ピアノに限らす、指揮、
ヴァイオリン、声楽等で、個々個人の考え(スタンス)として
大小各種のコンクールに挑む人(の姿勢)を、
否定する気はまったく無い。

むしろ、ラン・ランやユジャ・ワンのような大コンクール歴など
なくても個性的な世界で通用する音楽家があまり出ていない
(としたら、その)事のほうが考慮に値するのだろう。

国籍や男女を問わず(あるいは音楽家に限らず)コンクール
のような「一時的な激しい競争」に不向きな人は当然いる。
大コンクールの入賞歴が無くとも国際的な活躍をされている
音楽家の多くには、そうした面(要素)もあると推測できる。
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それらはともかく、有名な国際コンクールでも「事件」は
有りがちで、そのときの奏者のコンディションだけでなく、
青柳さんが書いているとおり、
審査員によっても評価は変わる。

第1回のショパン・コンクールでアシュケナージが2位に
なったのは「政治的」と醜聞が立ち、実際、
1位になったポーランド人のハラシェビッチの名を知る人は
今ではほとんどいないだろう。

ポゴレリッチが有名になったのは、本選に残れないことに
審査員の1人だったアルゲリッチが激怒して審査員を辞任して
帰国した、ということが話題となったことが大きかったのは
事実だ。
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総じて日本人は(コンプレックスからか?)マスメディア報道に
「弱い」。
1985年の「ブーニン・ブーム」は明らかにNHKが初めて
大々的にショパン・コンクールを放送したことがキッカケだったし、
不遇な状況にあったフジ子・ヘミングさんを一躍スターにしたのも
NHKが取り上げた放送がきっかけだった。
特に後者はご本人にとっては幸いなことだったので、
とやかく言う気はないが、逆にあの放送がなかったら、
と考えると、日本人が聴く側(の情報源や行動の元として)の
置かれた状況が、相当「TV等の大報道だより」の面もある
と言える。

昨今の事例では、反田恭平さんだが、
私も彼の個性と才能に関心があるし、応援している一人
ではあるが、TBS「情熱大陸」の放送
 ~そこでは反田さんがごく普通のサラリーマン家庭に
育っただけでなく、現在もピアニストを職業に選んだ息子に
反対している父親との生々しい葛藤も含めて放送された~
がなかったら、人気が増大するにはもう少し時間がかかった
と思う。

ブーニン氏は来日のたびに日本が気に入り、
日本人女性と結婚して日本で暮らしているのは嬉しいことでも
あるが、あの「ブーム」で期待されたほどの活躍をされているか?
と考えると、また別(の問題)となるだろう。
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指揮者で考えると、小澤征爾さんを筆頭に、日本人は
ブザンソンのコンクールで何人も1位になっている他、
コンドラシン・コンクールでの広上淳一さん、
トスカーニーニ・コンクールでの大野和士さんなど、
歌劇場でのたたき上げで育ってくる欧米とは事情が違う
のは、良し悪しでなく、歴史的土壌的な点からやむを得ない
というか、世に出る上で必然化されたコースだったと言える。

これは指揮者のコンクールなど無かった時代、というより、
歌劇場での下積みが当たり前の欧州とは決定的に異なる。

フルトヴェングラー、ワルター、ベーム、カラヤン、ショルティ、
最近でもティーレマン等々、ほとんどの指揮者は歌劇場育ちだ。

コンクールでは、どの楽器が音を間違えたとか、
新曲を短時間で読み込んで指揮する等の「器用さ、即戦力」に
比重が置かれるから、「斉藤式指揮法」の取得の有無に限らず、
器用にこなせる人が有利となる。
それまでの歌劇場での様々な現場での苦労や経験則
などからの個性あるアプローチなどは直接的には問われない。

「もし、フルトヴェングラーが現代にいて、
 どの指揮者コンクールを受けたとしても、
 予選で落とされるだろう」とか、
「画家のゴッホは東京藝大美術部には合格しないだろう」
という仮説は、「そうだろうな」と思うほど説得力を有する仮説だ。

歌劇場等、欧州の土壌で培われた個性や経験則や
アプローチの術等は、「コンクール」で求められるものとは
根本的に異なるのだろう。
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諏訪内晶子さんが1990年の
チャイコフスキー国際コンクールで優勝してから、
まだ1年か2年くらいしか経っていない時期だったと思うが、
雑誌かテレビのインタビューで、

「有名なコンクールで優勝すると、いろいろな所から
 声がかかる、すなわち仕事が入ってくるキッカケには
 なるが、いわば「大きなキッカケ、チャンス」をいただいたのに
 過ぎない。その程度。 大事なのは「その後」だ。
 それに少なくとも欧州では、ソリストとして外国のオケで客演に
 行っても、現場だけでなく聴衆の多くも、
 「ああ、そういう(有名コンクールでの優勝者という)経歴を
  持っている人なのですね」という程度に思われるだけで、
 少なくとも日本人が示すような強い反応は、
 聴衆にも音楽関係者にも無い(生じない)」

という主旨のことを述べていた。

要するに「これから(優勝後)の進化、成長等が大事」であり、
聴衆は「過去の優勝経験(の演奏)を聴くのではなく、
今のあなたの演奏を聴きたい」と来場したりCDで
聴いたりするわけだ。
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コンクールでの入賞はむろんその演奏家の名誉であり、
素晴らしいこと、賞賛されることだが、醒めて考えるなら、
その結果は、そのコンクールに関係した審査員と、
その場にいた聴衆に限定される評価の結果に過ぎない
とも言える。
そのときの1位と10位の人が、その後もずっと活躍の場や
評価において同じ比例で推移していくというようなことは
たぶんない。

コンクールで高評価を得た人も、残念ながら
そうでなかった人も、のその後の活躍は、
そのときの経験を糧に、その後をいかに精進していけるか、
ということに等しくかかっている、と言えるだろう。

もっと大事なことは、聴衆には受賞歴は関係ない
ということだ。
そのとき、良い音楽、素晴らしい音楽を聴かせてくれる
演奏家に惜しみない拍手を送る。
立派な録音に熱い賛辞を送る。

「音楽家にとって、聴衆の拍手や称賛以上の「賞」は無い」
と想像する。

青柳いづみこさん 「ピアノとスポーツ」

以下は日経新聞に青柳いづみこさんが寄稿した文。
私自身はコンクール自体にあまり興味はありません。
実際、そうしたコンペティション向きでない人もいますし、
幼少期に小さな(地域的な)コンクールに出ても、
後年はショパンやチャイコフスキーなどの
国際的コンクールには特別に関心すら持たずに
今や売れっ子、大活躍しているピアニストはたくさんいます。

ラン・ランもユジャ・ワンもエレーヌ・グリモーもそう。
今では、
「中国出身で国際的な活躍しているピアニストは?」と問うと
多くの人はショパン・コンクールの優勝者ユンディ・リよりも、
まずラン・ランやユジャの名を挙げるのではないでしょうか?
むろんユンディも素敵ですが。

それでも青柳さんがむしろ日本における従来のピアノ
 (に限らないでしょうけれど)教育現場における問題点
を指摘している点は興味深いです。
では以下、青柳さんの文、全文です。

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青柳いづみこ
「ピアノとスポーツ」8月27日の日本経済新聞朝刊 文化欄

2020年には東京オリンピックが開催される。
すでに成果を挙げているティーンエージャーたちの活躍が
楽しみだし、もっと下の世代から急成長する逸材が出るかも
しれない。
同じ年に、ピアノのオリンピックというべきショパン・コンクール
がワルシャワで開かれる。
マルタ・アルゲリッチやマウリツィオ・ポリーニが巣立ち、
一色まこと「ピアノの森」にも登場するからご存知の方も
多いに違いない。

4年に一度のオリンピックと違ってこちらは5年に一度。
16歳から30歳まで、世界中の腕達者の若者が集ってくる。
オリンピックにも参加標準記録や国内選考会があり、
出場するだけでも大変だが、ショパン・コンクールも同じだ。

書類審査とDVD審査、予備予選を経て出場を許される
のはたった80人。
第3次予選で10人のファイナリストを選び、3人の入賞者
が決まる。
コンクールの権威を守るために優勝者が空位の年もある。
それで5年に1度。嗚呼(ああ)。

日本は、内田光子の1970年第2位が最高で、
まだ優勝者を出していない。アジアでも、
ヴェトナムのダン・タイソンは1980年、
中国のユンディ・リは2000年に優勝し、
2015年の優勝は韓国のチェ・ソンジンだった。
日本だけ取り残されている。
いったいどこを改善すればよいのだろう。
指導者は思い悩む。

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参考になると思うのは水泳のケースだ。
1996年のアトランタ五輪では前評判が高く、
金1つを含む5個のメダル獲得を宣言したのにゼロで
終わった。これをきっかけに大改革が行われた。

それまでの水泳界競技は各選手が所属する
スイミング・スクールごとにトレーニングし、
対抗意識から情報交換もなかった。
1人のコーチが長期間同じ選手を指導するため、
客観的な視点をもちにくい。

シドニー・オリンピックの競泳日本代表のヘッドコーチ
に就任した上野広治は、これではいけないと思い、
コーチ、クラブ間の垣根を取り払い、他のコーチの
指導も受けられるようにした。
さらにコーチのミーティングを開き、互いの経験を語る場
を設けた。成果は確実に上がり、
最近では金を含む複数のメダルを獲得している。

日本には複数のピアノ教育団体があり、オーディションや
コンクールを実施しているが、指導そのものは
個々のレスナーに任されている。
「門下」の意識が強く、先生を変えると破門扱いされた
のは昔のことだが、今も複数の指導者に師事するのは
簡単ではないときく。
公開講座で海外の教授に指導を受ける機会もあるが、
根本的な改革はしにくいシステムだ。

奏法も解釈も日進月歩だ。
欧米に追いつき追い越せとがんばっていた昭和30年代
には指をしっかり上げて弾く奏法が主流だった。
解釈も、楽譜に書いてあるとおりに弾くように厳しく指導
された。
しかし現在では、もう少し鍵盤に力を伝えていく弾き方が奨励
されるし、個性的な演奏も認められるようになっている。

テキストの研究も進み、作品の成り立ちや作曲家の意図
について踏み込んだ解釈も可能になっている。
このあたりの対応が個別の指導体制では遅れる可能性が
ある。

ピアニストにはつきものの腱鞘炎など、身体面のトラブルも、
症状に見合った治療方法もわからないまま、
1人でかかえこみ、悪化させてしまうことも多い。
伝統的な練習に加えて、スポーツ・トレーニングなどを
通して必要な筋肉を鍛え、柔軟性を養うことによって
故障を防ぎ、よりよい演奏ができるようになるだろう。

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もちろん、ピアノ演奏はスポーツではなく芸術だから、
すべてが同じというわけではない。
審査によって優劣が決まるあたりは、採点競技である
フィギュア・スケートや体操に似ている。
しかし、両競技の場合は技の難易度によって細かくポイントが
分かれ、減点方法も定められている。

これをピアノに当てはめるなら、たとえばショパンの
最も難しい練習曲はH難度で基礎点が高く、
ひとつ音をミスするたびにそこから0.1点減点していくなど。

当然のことながら、ピアノのコンクールではこんな審査方法は
ありえない。
ミスは多少あっても音楽的内容が素晴らしければ、
当然そちらが優位になる。最高難度の作品を演奏しなくても
美しく感動的に弾けばそちらのほうが評価が高くなる。
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いっぽうで、「すばらしい」「美しい」は審査員の主観によるもの
だから、ことはややこしい。
ショパン・コンクールはショパンのピアノ曲のみで競うので、
ショパンにふさわしい演奏をする必要がある。(しかし)
この「ショパンらしい演奏」がまた曲者(くせもの)で、
筆者がコンクールの現場で取材した経験からいくと、
審査員それぞれのいだくイメージがかなり違うのだ。

年度ごとの違いもある。
従来のショパン・コンクールは比較的保守的で、
あまり逸脱した表現をすると実力があっても落ちてしまう
ケースも見受けられた。
しかし、2015年のコンクールは自由なスタイルが主流で、
オーソドックスな演奏は点数が出にくかったような気がする。

こんなふうに、演奏のコンクールでは審査員の顔ぶれ次第
で結果もがらりと変わる。
それでも飛び抜けた実力者は必ず上に行くが、
受験生としては傾向と対策も練らなければならない。
そのとき、グローバル化をめざした水泳競技方式が
モノを言うと思うのだ。

門下生や学舎にとらわれえず、すべての垣根を取り払って
自由に情報交換ができる場があればどんなによいだろう。

 (以上)

あおやぎ いづみこ
ピアニスト・文筆家。1950年生まれ。
東京芸術大学大学院博士課程修了。
著書に「翼のはえた指」「ショパン・コンクール」など。

2017年8月27日 (日)

菊地美奈さん「涙そうそうコンサート」

菊地美奈さん「涙そうそうコンサート」
 ~銀座ビアプラザライオン

27日午後からは菊地美奈さんによる毎夏恒例の
「涙そうそうコンサート」イン銀座ビアプラザライオンだ。
本来は、ソプラノ歌手の菊地美奈さんの誕生日を祝う会のはず
だが、実態は、美奈さんの細やかな企画と準備による
ファンのためのファンとの交流会、懇親会、
「美奈さんとファンとの歌う会」だ。

毎年150人前後だろうか、とにかく多数
 ~美奈さんが学生時代から応援しているという
  ご年配のファンも含めて~が集う。

最初は美奈さんのミニコンサートとしての歌唱はあるが、
あとの大半は、食事を交えての談笑、そして、
みんで歌ったり、美奈さんとデュオ、あるいはファンが単独で
歌わせていただける機会も与えていただける。

8月生まれや、古希、米寿等、おめでたい年齢の方を
祝うコーナーもある。

今回は、全員で歌った「ムーン・リバー」にグッと来た。
もちろん歌詞は用意されているが、ほとんどの来場者が
大きな声で歌ったのには、オードリー・ヘップバーンの
ファンでもある私には感涙ものだった。

また85歳の男性が美奈さんと「椿姫」の中のデュエットを
毎年したり、84歳の男性も毎年シャンソンを歌い、
92歳の男性は少人数の歌仲間といっしょに
ステージで歌った。

ファンの歌のトリは75歳の、
複数のアマチュア歌唱コンクールで優勝した経験のある男性
によるカンツォーネで閉める。
下記のとおり、私も美奈さんと「魔笛」から
 「恋を感じるほどの男には」を今年もデュエットさせて
いただいた。

アーティストなら誰もがファンを大切に思うのは同じだと思うが、
酒豪にして銀座ビアプラ活動の指導的立場ということはあるに
しても、このように毎年ファンと直接的な交流の場を持つほどに
ファンを大切にしている歌手はまだそれほど多くはいないだろう。
毎年、感謝の思いで帰途に着く。

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菊地美奈さんとデュエットさせていただきました。
 「魔笛」から「恋を感じるほどの男には」

美奈さんとの毎年恒例の「涙そうそうコンサート」では、
ファンとのデュエットやファンがソロで歌わせていただける
コーナーがあり、私は今回で同曲を3年連続歌わせて
いただいた。
3回目なので、完璧に歌えると過信したためか、
事前に酒類を結構飲んでしまい、挙句、出だしを間違えて、
冒頭をやり直させていただくという失態をやらかして
しまった。前回はそんなことは無かったので悔しく、
これはまた来年リベンジするしかない。

2017年8月26日 (土)

河添恵子氏による皇室侮辱発言は許せない~なんと「側室」容認論~「朝まで生テレビ」

女性パネリストが「側室」に言及
~皇室への侮蔑発言~TV「朝まで生テレビ」

25日(金)深夜(26日AM1:25~4:25)の「朝まで生テレビ」
は女性だけのパネリスト。 これまでも何回かあった。

女性だけの討論は、普段のような罵声、罵倒や怒鳴り合いは
無いので、その点では好ましい。
今回のテーマは「激論!女が考える“戦争と平和”」として、
北朝鮮をはじめ、複数のテーマで行われた。

討論の最後に、皇室問題を取り上げ、田原総一朗さんが、
「愛子様が天皇になったっていいじゃないか。
  そう思わない?」とパネリストに振ると、
女性にも意外と男系男子にこだわる人が多いのが判った。
愛子様はむろん男系女子で、女系ではないが。

「いいと思います」と明言したのは三浦氏くらいだが、
福島みずほさん無論そう思っているだろう。

もう1人の福島さん=福島香織氏が、
「今は現実には男子=悠仁(ひさしと)親王がいるから
 (愛子様に流れなくても)よいとは思うが、
皇室に男子がゼロになるかもしれない、としての議論は
必要」、との発言を受けて進むと、

河添恵子氏はなんと、
「その場合は側室制度など、色々検討して」と発言した。

これにはさすがにパネリストたちは「ええ~っ?!」と
声を上げて驚き、
倉田真由美は 「そんな国になって欲しくないです」
三浦瑠麗氏は 「意見は自由だけど、全くマイナー(な意見)」
福島みずほ氏は 「それって、いわば「貸し腹」を皇室に持ち込む
 ってことよ。そんなのでいいの?」と、
呆れ顔や、苦笑ぎみで応じた。

今どき、男性だって「側室」云々と口に出す人はいないだろう。
 (右翼は別として)

一夫多妻制がほとんどの国で否定されている現代。
日本では芸能人の不倫さえ、一大スキャンダルのように
マスコミが騒ぐ社会なのに、よくもまあ、平然と
 「側室」という時代錯誤の言葉を軽々と言えたものだ。
非現実的な軽口というだけでなく、
これは皇室に対する侮蔑発言、侮辱発言だ。

そもそも、そういう制度から生まれてきた男子を国民が
歓迎すると想う感性の貧しさ、乏しさ、愚かさに呆れる。

以前も書いたが、右翼や右派保守系の人にとっては、
「天皇制という制度が大事」なのであって、
「皇室に生きる人々には関心が無い」のだ。
生前譲位に反対したのはそうした連中。

そういう輩にとっては「天皇制という歴史的制度が重要」
なだけで、明仁陛下の健康など興味も関心も全く無い
のだろう。
今回の河添恵子氏の発言も、正にそうした同類の輩の発言だ。

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今回の出席パネリスト

片山さつき(自民党・参議院議員)
福島みずほ(社民党・参議院議員)
河添恵子(ノンフィクション作家)
倉田真由美(漫画家)
呉軍華((株)日本総研理事)
桜林美佐(防衛問題研究家)
堤未果(国際ジャーナリスト)
福島香織(ジャーナリスト)
三浦瑠麗(国際政治学者、東京大学政策ビジョン
       研究センター講師)
南美希子(エッセイスト、東京女学館大学客員教授)
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/contents/theme/0115/

2017年8月24日 (木)

Chants du Japon フランスの薫り、日本の心

「Chants du Japon~フランスの薫り、日本の心」
 ~ユニークな試み、新しい才能~
24日夜、渋谷の「l’atelier」by apcで、
「Chants du Japon~フランスの薫り、日本の心」と題した
コンサートを聴いた。
ソプラノの金持亜実(かなじ あみ)さん、
メゾソプラノの長谷川忍さん、バリトンの加耒徹さん、
ピアノの星野紗月さんによる演奏で、
「日本歌曲をフランス語で歌う」というユニークな試み。
外国語の歌曲やアリアを日本語で歌うというのはよくあるが、
日本語による歌曲をフランス語でというのは滅多にないか
皆無だったか、だろう。

想いのほか違和感が無かったのは、加耒さんが言及された
ように、日本の歌曲と言っても、明治以降のものがほとんど
だから、旋律や和音は西洋のもの(外来)を基盤としている
わけで、その点で「収まり感」を感じるのはむしろ自然なこと
かもしれない。

逆に外国語の歌やアリアを日本語で歌うときこそ、
語感や旋律への収まり感の薄さ等から違和感を覚える
ことを、歌手に皆さんが普段(たぶん過去から何度も)実感
されてきていることだろう。

また、フランス語での「柔らかさ」は長谷川忍さんが言及した
日本語に似た部分の1つかもしれない。
これがドイツ語による試みだと、また違った感覚、
感想を抱くと想像する。

以下のプログラムのとおり、ソロや重唱という構成だが、
私は仕事の関係で少し到着が遅れ、
前半の6曲目からの拝聴となった。

それぞれ、全てフランス語というわけでは実はなく、
曲により冒頭のワンフレーズや途中の一節、
あるいは2番歌詞の部分は日本語を交えて、
という工夫がされた。
この点はもしかしたら意見(賛否)が分かれるかも
しれないが(特に中間部のフレーズだけ部分的に
日本語に変わると一瞬ビックリする)、
フランス語と日本語を常に対比して聴かせる、という試みは
私は面白く拝聴した。

重唱はどれも素敵だったし、ソロもそうだが、
特にソロで1人1曲を特に挙げるなら、
金持さんは「宵待草」、長谷川さんは「中国地方の子守唄」、
加耒さんは「平城山」が特に印象的だった。

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そしてもう1人、ピアノの星野さんは今回初めて知ったが、
プロフィールを見ると学習院女子高等科から東京音大を卒業
しているが、在学中に名門、パリ国立高等音楽院の
「ピアノ即興科」に「首席で合格」されている。

「即興科」というものがあること自体、さすが
パリ国立高等音楽院だが、この日も16曲目(後半の6番目)
に弾いたピアノソロは、その場で会場に、
本プログラムにはない日本歌曲名をリクエストし
 ~若い彼女が知らない曲も数曲挙がったが~
「紅葉(もみじ)」、「ふるさと(故郷)」、「月の砂漠」に
絞られ、特に「もみじ」と「故郷」の2曲の旋律を
様々なかたち(テンポ、ニュアンス等)にイメージから変化
させての即興演奏は度肝を抜かれると言っても大袈裟ではない
くらい驚く演奏だった。
冒頭開始の和音からして既に斬新で個性的で、
文字通り最初の一撃たる和音から惹き込まれ、魅せられた。

終演後、
「その入試のときも、今日のように、その場で曲(旋律)
 を与えられて(指示されて)、それをその場でアレンジ
 するやり方ですか?」と問うと、正にそう、とのこと。

「もみじ」と「故郷」の2つの旋律を絶妙に様々な要素を
盛り込んで次々とアレンジして進行させた演奏は見事。

また、長谷川忍さんが
「リハーサルのとき、曲の間奏でも、毎回違うアレンジを
 してくるので、戸惑うほど」多彩な演奏でサポートしていた
という。
実際、「夏の思い出」の数小節のエンディングには「海」
(海は広いな 大きいな)のメロディを何気に入れて
終わらせるという粋な演奏をされた。

昔ではベートーヴェンは即興でも有名だったし、戦前は
そうした演奏も交えてリサイタルを行うピアニストも
少なくなかったと想うが、戦後は、作曲家(他人)の
作品を自分なりにしっかり弾くということを主流とした演奏が
ずっと演奏歴史のトレンドとして形成(継続)され続いてきた。

しかし、最近は、ユジャ・ワンをはじめ、徐々に即興を重視して
演奏する奏者が増えつつあるように感じている。
その点からも、星野紗月さんの今後の活動は注目に値する
と思う。
今後、こうした即興演奏を主体とした演奏活動を日本でも、
どんどんされることを期待したい。

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演奏曲目
1.岡野貞一 「朧月夜」Lune voilée~全員
2.山田耕筰 「鐘が鳴ります」La cloche sonne~金持さん
3.山田耕筰「からたちの花」Les fleurs de mandarinier
                    ~金持さん
4.杉山長谷夫 「出船」Le bateau qui part~加耒さん
5.越谷達之助 「初恋」Premier amour~加耒さん
6.滝 廉太郎 「荒城の月」La lune sur les ruines de château
                    ~金持さん&加耒さん
7.中田 章 「早春賦」Prémices de printemps
    ~金持さん&長谷川さん
8.山田耕筰 「砂山」La dune~長谷川さん
9.山田耕筰 「中国地方の子守唄」Berceuse
(Chant populaire de la region de Chúgoku)~長谷川さん
10.山田耕筰 「待ちぼうけ」Attente vaine~全員

 (休憩)

11.大中寅二 「椰子の実」Noix de coco~全員
12.多 忠亮 「宵待草」Fleur d’une nuit~金持さん
13.成田為三 「浜辺の歌」Chant de rivage
                ~長谷川さん&金持さん
14.平井康三郎 「平城山」Narayama~加耒さん
15.中田喜直 「さくら横ちょう」La venelle aux cerisiers
               ~加耒さん
16.ピアノ即興 Improvisation ~星野さん
17.平井康三郎 「ゆりかご」Le berceau~長谷川さん
18.中田喜直「霧と話した」Ce que j’ai dit au brouillard
                  ~長谷川さん
19.中田喜直 「夏の思い出」Souvenir d’été
                  ~金持さん&長谷川さん
20.山田耕筰 「赤とんぼ」Libellule rouge~全員
アンコール 山田耕筰 「この道」~全員

2017年8月22日 (火)

NHKオンデマンド利用料金徴収方法~自動更新という悪質さ

NHKオンデマンド利用料金徴収方法~自動更新という悪質さ
 ~あまりにも悪質なのでシェア拡散を希望します~
7月は一度も利用していない、と意識的に覚えていた。
これまで毎月のように(実際毎月だったのだが)見放題料金の1,944円が利用料としてカード会社から請求書(引落し予定明細)が来るので、ヘンだな?と思いつつも「1回は何か見たか(も?)~」とウロ覚え状態が続いていたので、7月は意識して記憶していた。

ところが今日やはり同額の請求明細が届いたので驚き、NHKオンデマンドコールセンター(0570-08-3333)に問い合わせ、「これはカード会社に問い合わせたほうがいいですか?」と一応問うと、当該センターでよいとのことで説明を受けて愕然とした。

NHKオンデマンドはそれほど多くは利用していない。
リアルや録画含めて見逃した見たかった番組で、再放送が無いものや(結構多い)、あってもそれも見逃した場合に限るので、せいぜい年に3回とか多くても5回位と想う(その年にもよるが)。

利用された方はご存知だが、利用方法は2つあり、そのときだけ1作の料金(単品)108円で見るか、2週間見放題972円を選ぶ。私は単品のときもあったが、以前確かに見放題を選択しこともあった。
しかし、普通、常識的には見放題を選択しても、2週間後は観れないのだから、その時点でそれに関する料金発生(契約)は終了と誰しも思うはずだ。

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ところが、なんと、見放題は期間終了前に「解約」しないと、自動更新されるというのだ。しかも、私の場合、通常の見逃し番組の視聴ができる「見逃し見放題パック」972円と、過去の名作が見られる「特選見放題パック」の2つ申し込んだままになっていて計1,944円が毎月徴収されて来たわけだ。

さっそく解約するためマイページにログインして確認すると前者は2014年8月21日から、後者は2015年5月6日から「入会(した覚えは無い)」になっていたことになるから、8ヶ月間は972円を毎月払いっ放し後、2年以上毎月1,944円を払いっ放しで来たわけだ。
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家賃等、民事の契約では「自動更新(延長)」はむろん有るし、会計監査人の選任など会社法絡みでも有るが、いくらなんでも個々のTV番組においてそれを適用するなど、悪質極まりない。

これでは、映画館が「観ようと観まいと月額1,944円を支払ってください」と言っている様なもので、そんな映画館は通常あり得ない(会員制等の特別なシステムがある映画館~そんな映画館があるかどうかは知らないが~を除く)。

控え目に言っても「非常に不親切」「不親切極まりない」としか言い様が無い。
しかしこれを弁護士に相談しても、「オンデマンドの規約を読まなかったあなたの落ち度」と言われるだけだし、確かにそのとおりだから、ブログ等、SNSで発信し、新聞投書もしてみることにする。

おんな城主 直虎~衝撃的だった小野政次の最期シーン

小野政次の最期~家の存続と幼少期の友情を掛け合わせた
出色の脚本

それにしても
20日放送の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の小野政次の
最期のシーンは衝撃的だった。
ヒロイン=柴咲コウさんが、あのように「心を鬼にして」
ある種の「恨まれ役」を演じるのは大河史上初めてではないか?

それだけに、よく書けた脚本だと思う。

同番組の応援FBサイトへは多くの人も衝撃として
書きこんでいる。

Aさん「風林火山の勘助討死以来、泣いた」。

Bさん「泣いたと言うより、大河ドラマ史上初めて驚きの
  あまり「フリーズ」しました。家族一同。
  皆しばらく喋れませんでした」。

Cさん「直虎の本当の気持ちが可愛そう過ぎて、
  再放送が観られません」。

Dさん「大河で直虎をやってなければ、但馬(小野政次)の
  事を知ることもなかったろう」。

Eさん「今回、高橋一生さんによって、政次が再評価され、
    光を当てられたのは、良かったと思います」等々。

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井伊家の家老だった小野親子には確かに昔から
「奸臣(邪悪な、悪だくみをする)家来」という説があった。
以下、カッコ内はNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で
演じた俳優名とするが、父、小野政直(吹越満)は、
井伊直虎(柴咲コウ。幼少名は おとわ)の伯父で、
直虎のいいなづけ(許嫁)井伊直親(三浦春馬。幼少名は
亀乃丞)の父=井伊直満(宇梶剛士)を「今川に売った」
 =今川家からの離反の動きを密告した
(結果、直満は処刑された)のは史実とされるし、

小野政直(吹越満)がドラマの中のセリフで、息子である
小野政次(道好とも呼ばれる。高橋一生。幼少名は鶴丸)に、
「おまえも、いつか俺と同じことをする」と言ったように、
井伊直親(三浦春馬)が徳川に接触した事を今川に伝えた
結果、直親が謀殺されたとも伝えられる。

もっとも、この点に関して今回の大河ドラマでは、
直親の殺害はあくまでも今川家の謀(はかり事)であり、
駿府に来ていた政次は井伊家以上に(以前に)
今川家に忠義であることを示さざるを得なかった、
として描いていた。

このように「おんな城主直虎」の原作と脚本は、
政次は「奸臣」なようでいて、それを外部に装うことで
井伊家を守ったという、近年では有力となっている説に
立っている。
それを見抜いたかのように、徳川の今川家討伐出陣に
際して、井伊谷三人衆の一人、近藤家用(橋本じゅん)が
謀って井伊家に入り込み、政次を処刑した、というのも
史実とされているが、この「処刑」の部分に、
予想も付かない変化球を加えたのが、20日放送だった。
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「今川のために徳川(近藤)に仕掛けたのは自分であり、
 井伊家は関係ない」として逃げず、
  「俺はこのために生きてきた」とする政次の言葉を
 受け止めた直虎が、自身で政次を成敗するという挙を
 演じた。
 「家の存亡と友情という2つの面からの究極の大芝居」だ。

しかもドラマでは、直虎が政次を奸臣ではないと信じたのは
比較的最近であり、直前まで、幼馴染にも関わらず、
直親(亀)の死に対する複雑な思いが常に底辺に在るように
進行して伏線を敷いて来ていた。

だから、あの「処刑」のシーンは「直虎による直親(亀)のための
仇討ち(敵討ち)」とも取れないこともない要素を
感じさせながらも、しかし、そうではなく、
事前に政次が主君である直虎に「俺を信じろ、おとわ」と
幼少期の名で友達会話で告げたように、
「井伊家のために大芝居をするから、それに応えろ」
としたことに対する回答として、
「直虎が政次を自ら罰するシーン」を演じることとする
脚本が書かれ、演出され、視聴者を驚愕させたのだった。
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大河ドラマは小学生以来、50年近く観てきたが、
先述のとおり、ある人が同番組応援サイト(FB)に
「大河史上、初めてフリーズした(固まった)」と
書いたように、これほどの残酷なまでの意外性を
ヒロイン(女性)に求めたのは、
ほとんど記憶にないくらい衝撃的なシーンだった。
森下佳子氏による出色の脚本の成果だ。

2017年8月21日 (月)

大音絵莉さん&中本椋子さん&渡邉智美さんジョイントリサイタル

「大音絵莉さん&中本椋子さん&渡邉智美さん
 ジョイントリサイタル」
 ~知る人ぞ知るコンサートに声楽オペラ常連ファンが
  多数来場~

20日は午後3時から、日本声楽家協会の主催による
研究員リサイタルシリーズ vol.22を谷中会館初音ホールで
聴いた。
これは若い歌手によるソロ試験優秀者に与えられる
ジョイントコンサートで、今回の出演は、
ソプラノの大音絵莉さんと中本椋子さん、メゾの渡邉智美さん
の3人。
3人にはそれぞれピアニストの伊坪淑子さん、
巻島佐絵子さん、松山あさひさん(男性、作曲家)が伴奏された。

3部構成だが、感想=記述は歌手別とし、最後に参考として
実際の演目順を記載する。
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大音絵莉(おおと えり)さんはこのシリーズ2回目の出演
とのことだが、私はこの日、初めて大音さんを聴いた。
とても優秀。とても感心した。
声自体にドラマ生を宿しているという印象だが、この日、
彼女が選んだ曲は抒情的な曲が多かった。
彼女はプログラムにこう書いている。
「今日は私が愛してやまない日本歌曲やイタリア近代歌曲
 をお聴きいただきたい。耳馴染みのない曲も多くなって
 いますが」。
第2部の最初に登場して歌ったのは日本の歌曲を主とし、
イタリア歌曲も1曲。
いずれも非常に情緒的で情感溢れる歌唱で素晴らしい。

第3部の一人目として登場した2回目は、いずれもイタリアもの
だが、トスティやチマーラで優しく、あるいは切なく歌い、
レスピーギではドラマ性を出し、その流れで
「ある晴れた日に」で締めくくった。
アンコールでの有名な「ドレッタの美しい夢」も
レガートの美しさと安定感で見事。
今後が楽しみな素敵な歌手。
今後、何度でも聴きたいと思わせてくれた歌手。
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中本椋子さんは、このシリーズなんと4回目の出演と、
それだけでも優秀で高く評価されているのが判るし、
私も数年前から何度も聴かせていただいているので、
実力はよく知っていても、あらためてステージで聴くと、
その力量にあらためて驚く。以前も書いたが、
「もっと知られてよい(はずの)歌手」だ。
良い表現ではないことを承知で敢えて言えば、
「知名度のある歌手でも、中本さんほど歌えてはいない人も、
 もしやいるのでは?」と想うほど、
それほど優秀だ、と言いたい人。

この日、彼女はプログラムに、
「今回は、ザ・コロラトゥーラ、として、全曲コロラトゥーラ
 の曲に初挑戦します」としている。
もっとも、元々コロラトゥーラの歌手と言ってもよい人
だから、得意分野を集中させたと言える。

しかし、こうも彼女は書く。
「歌うことが好きで、持ち声のまま、好きなだけ歌い
 表現していた時代は卒業しました。
 息長く良い声で歌い続けていく為に必要なことを
  (自分を)一から見直し、基礎的なことから改めて
 研鑽しつつ、大好きな歌と向きあっています」、と。
そして、
「新たなステップを歩み出した(自分の)今の歌を
 お届けしたい」と書いている。

私見では基礎力は十分ある人だと想うが、その謙虚さと、
初心に帰って新鮮な気持ちで取り組んで歌う姿勢と成果は、
この日も十分に出ていたと思う。

第1部の2人目として登場した第1曲は有名な曲で、
カスタネットを使用しながらの歌唱。
もっともこれは多くの歌手もこの曲ではそうする。

2曲目の「ドン・パスクワーレ」からのアリアが秀逸で
下降する歌声が粒立ち良く美しくレガート(グリッサンド的)
に流れる技術は見事だったし、
「ハムレット」からの長いアリアも同様に立派だった。

そして、第3部の2人目=トリとして歌った3曲が申し分なく見事。
「アモール」での抒情性と、ベッリーニのドラマ性、
それらを合わせ得ての長大なアリアを歌いきる実力に
改めて感心し、感動した。

アンコールではプーランクの珍しい曲「ティレジアスの乳房」
を2つの風船を用いてユーモラスに演じ歌った。
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渡邉智美(さとみ)さんは今回がこのシリーズ初出演で、
私が拝聴するのも初めて。メゾだが、明るめのトーンで
むしろソプラノに近い印象。
それでも第1部トップバッターのその1曲目「非難」では
独特のトーンで歌わえていて、この曲では個性を出した。
「ウェルテル」ではパワーのある充実した歌声を披露し、
第2部2人目で登場した際も、「君知るや南の国」で
情緒あふれる、抒情性をたっぷりと出して歌い、
「セビリアの理髪師」からのアリアではパワー全開に
歌われたので、第1部と第2部もきっちりと曲の性格と構成を
考えたプログラミングで、彼がプログラムに書いた
「(数種の言語の)オペラの曲を中心に選曲」の
コンセプトに沿った流れが作れたという意味でも成功した
プログラミングだったと思う。
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3人のピアニストはお世辞抜きに素晴らしく、申し分ない。
いわゆるコンサートピアニストだけでなく、今の日本には
器楽奏者や歌手を見事にサポートし、あるいは対等に
奏して協和して演奏できる若いピアニストが
本当にたくさんいる。
この点も絶対に書き忘れてはいけない、
敬意を込めて書くべき重要な事実だと思う。
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~歌手の皆さんにもよく知られた声楽オペラ常連ファンが
  多数来場~

なお、お世辞にも立派なホールというわけではないホールでも、
こうした若い歌手を育成して紹介する日本声楽家協会の
主旨をよく知り、共感し、応援するファンは多く、
この日もほぼ満席だったし、私が知る限りの、
私がここ数年で知り合った声楽やオペラでの常連
(私より年長の先輩衆)がほとんど一同に会する
くらい来場されていて、それ自体も楽しかった。

姓だけをアイウエオ順で書かせていただくと、
天野様、川口様、蔵田様、鈴木様、中村様、廣瀬様、と
6人を一度に同じ会場で拝見したのは初めて。

これにもし、フランコ酒井さんや、未だ直接は
存じ上げない「ぐらっぱ亭」さんが来場されていたら、
「声楽オペラ界でよく知られたベテランファンが大集結」
というところだった。
これは凄いことだ。
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実際の演目順

第1部
渡邉智美さん  ピアノ=松山あさひさん
1.ロッシーニ 「非難」
2.ブラームス 「君の青い瞳」
3.シューベルト 「トゥーレの王」
4.グノー 歌劇「ファウスト」より「あの人に告げて」(花の歌)
5.マスネ 歌劇「ウェルテル」より
   「ウェルテル、誰が言えましょう」(手紙の歌)

中本椋子さん  ピアノ=巻島佐絵子さん
1.ドリーブ 「カディスの娘たち」
2.ドニゼッティ 歌劇「ドン・パスクワーレ」より
   「あの眼差しに騎士は」
3.トマ 歌劇「ハムレット」より
「私も遊びの仲間に入れてください」(狂乱の場)

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第2部
大音絵莉さん  ピアノ=伊坪淑子さん
1.團伊玖麿 「ひぐらし」 詩=北山冬一郎
2.山田耕筰 「風に寄せてうたへる春の歌」 詩=三木露風
 (1)青き臥所をわれ飾る
 (2)君がため織る綾錦
 (3)光に顫(ふる)ひ日に舞へる
 (4)たたへよ、しらべよ、歌ひつれよ
3.プッチーニ 歌劇「エドガール」より「どんな苦しみよりも」

渡邉智美さん  ピアノ=松山あさひさん
1.トマ 歌劇「ミニョン」より「僕は彼女の部屋にいる」
2.ビゼー 歌劇「カルメン」より「セビリアの城壁近くに」
3.トマ 歌劇「ミニョン」より「君よ知るや南の国」
4.ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」より「今の声は」
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第3部
大音絵莉さん  ピアノ=伊坪淑子さん
1.トスティ「アマランタの4つの歌」より
 (1)虚しく祈り
 (2)何を語っているのか、賢者の言葉は?
2.チマーラ 「郷愁」
3.レスピーギ 「昔の歌に寄せて」
4.プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」より「ある晴れた日に」

中本椋子さん  ピアノ=巻島佐絵子さん
1.R・シュトラウス 「アモール」
2.ベッリーニ 歌劇「夢遊病の娘」より「愛しい仲間の皆さん」
3.ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」より
「あなたの優しい声が」(狂乱の場)

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アンコール~ピアノは3人による連弾
1.渡邉智美さん
ビゼー 歌劇「カルメン」より「ハバネラ」
2.大音絵莉さん
プッチーニ 歌劇「つばめ」より「ドレッタの美しい夢」
3.中本椋子さん
 プーランク 「ティレジアスの乳房」

4.3人いっしょに「埴生の宿」 編曲=真島圭
なお、この最後に3人で歌い、ピアノも3人で連弾した演奏も
楽しかったが、編曲(特に和音)がやや凝り過ぎていた感が
あった。もっとシンプルな編曲のほうが良いように想えた。

嘉目真木子さん~シャネル・ピグマリオン・デイズ コンサート

嘉目真木子さん「シャネル・ピグマリオン・デイズ」
 コンサート
19日の午後1時からは、今年4月に天国に召された
大学合唱団時代の2年先輩Aさんを偲んで、
私を含む12名の男性で~楽しいと言ったら不謹慎かも
しれないが、敢えてAさんのお導きによる再会という
意味では~楽しい会食形式による「偲ぶ会」に出席した。
卒業以来初めてお会いした岐阜在住の先輩を含め、
各人の近況報告で皆さん(苦労話も含めて)個性的な
人生を送られてこられたのを知った。

同日午後5時からは、三重県在住の熱烈な声楽ファンの
鈴木様のご厚意で、銀座にあるシャネル本社内
シャネル・ネクサス・ホールにて
「シャネル・ピグマリオン・デイズ」というコンサートに出演
された嘉目真木子さんの歌を楽しんだ。
終演後は久々にお話もし、写真も撮らせていただき、
持参したCDにもサインをいただいた。

「シャネル・ピグマリオン・デイズ」というのは、
年ごとに選ばれた器楽奏者や声楽家に、年間を通して
数回のソロリサイタルを開催する機会を提供して支援する、
というもので、今年は5名選出されており、
嘉目さんは6回のステージを与えられ、今回は5回目という。
いわゆるサロンコンサートなので、1時間程度のものだが、
嘉目さんの場合、過去4回においては日本歌曲の回としたり
等、毎回自身で内容(選曲)を企画できるという点は、
選ばれて出演する演奏者には魅力ある企画に違いない。

目算で300名位の入場者は毎回抽選で選ばれ、
無料だが、例えば「嘉目さんを6回聴きたい」という希望予約は
できない。
聴く側としては抽選に当たらないと行けない、という難点はある。
当選すると当人の他、家族や友人等ほかに1名同行できる
という点は嬉しく、今回も鈴木様にお誘いいただき、聴けた次第。
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鈴木様は、だいぶ以前から私のブログでの演奏会記述を
~私が知らないまま~ずっと読んでいてくださった方で、
直接的に初めてお声をかけていただき知り合ったのは、
鷲尾麻衣さんが今年2月に渋谷の喫茶「マメヒコ」で
2回目のミニコンサートされた際だった。
その後、フェイスブックでも繋がりこんにちに至るが、
2015年10月の麻衣さんinマメヒコ第1回目のときも、
2人とも来場し、そのときも鈴木様は私が来ていることに
気づかれていたとのことだった。
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さて、前置きが長くなった。嘉目さんのシリーズ第5回目は
「ドイツ語の歌曲やアリア」という設定で、
以下の全ての曲に解説(MC)を交えて演奏された。

ピアノは高田恵子さん

演目
1.シューベルト 野ばら
2.シューベルト 君こそやすらい
3.モーツァルト クローエに
4.モーツァルト ルイーゼが不実な恋人の手紙を書くとき
5.R・シュトラウス 明日には
 (休憩)
6.レハール オペレッタ「フリーデリーケ」より
      「なぜ口づけで目覚めさせたの?」
7.レハール オペレッタ「ジュディエッタ」より
      「熱き口づけ」
8.ウェーバー 歌劇「魔弾の射手」より
     「まどろみが近寄るよう」
アンコール シューマン 「献呈」
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私と嘉目さんとのご縁は、2008年、私が活動する
オマオケが無謀にも?「ラ・ボエーム」全曲の
演奏会形式の定期演奏会を行った際、
ミミを歌ってくださったのが嘉目さんで、それ以来、
いろいろなコンサートや「魔笛」、「フィガロの結婚」、
「ドン・ジョヴァンニ」というモーツァルト3大オペラ出演の
際も全て拝聴させていただくなどしてきた。

その才能は、特に演出家の宮本亜門氏に認められて、
彼のプロデュースものの多くに出演し飛躍され、
知名度を上げてこられた。
フィレンツェへの留学でも多くの収穫があったようで、
私なりに彼女の声質の変遷、成長(などと言ったら
偉そうで僭越だが)を、この約10年間に感じて聴いてる。
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初めて聴いたころは「凛」とした清潔で伸びやかな声
という印象で、その後、オペラではある種の「強さ」を
感じさせる「芯」の魅力に気づいたり、ある時期は、
ディティールのまとまりよりも情熱的に歌うことに注力
されているかもしれない、と感じることがあったりしたが、
先日、別途、初リリースさせれたCDでの印象でも
触れたが、詩そのものに誠実に寄り添い、
小細工せず、明瞭な発音で丁寧に歌うことで、
曲そのものの魅力を弾き出す歌唱をこの日も感じた次第。

言語自体にとかく「硬い」イメージのあるドイツ語だが、
嘉目さんによる端正で瑞々しい歌唱では、
そうしたイメージは薄らぎ後退し、
蒸留水のような爽やかな言葉として歌われている印象を
受けた。

それはプログラム最初のシューベルトの2曲から明確
であり、R・シュトラウスでは曲の美しさをそのまま
抒情的に表現されていて秀逸だった。
エスプレッシーヴォの効いた有名な曲「熱き口づけ」では
特に大喝采を受けた。
他の4回も聴きたかったし、残る1回も機会が得られたら
ぜひ拝聴したいものだ。
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この日の終演後は、先述のとおり、来場者を見送る
嘉目さんにご挨拶した後、鈴木さんと有楽町駅近くの
居酒屋で、オペラ歌手談義等々で楽しく長い時間を
過ごし、帰宅したときは日付が変わっていた。

2017年8月17日 (木)

再度 映画「君の名は」の魅力について考える

映画「シン・ゴジラ」は劇場で2回、レンタルDVDでも1回観た。
昨年のアニメ「君の名は」は劇場で1回観ただけだったので、
最後の「混乱」をもう一度確かめ整理したかったので、
最近DVD化されレンタルもされたので、さっそく観た。

「時空を越える」いわゆるタイムスリップものは洋画邦画を
問わずたくさんあり、特に邦画ではウンザリするほどある。
「人の入れ替わり」モノも複数ある。
「君の名は」はその2つを取り入れているが陳腐な作品とは
なっていない、独特の不思議な魅力がある。

最初は、呑気な「入れ替わり」のファンタジーだけの印象で
開始し、しかしほどなく、シリアスな、ある悲劇に関した内容
だと解り、まずここで驚く。
ティアマト彗星の到来と落下した荒廃のシーンは、
否が応でも「3.11」を連想させる。

タキ君(立花瀧)と、みつは(宮水三葉)の交信は途絶える。

ネタバレを承知で書けば、ここから、糸守町では
地理的物理的な損害だけでなく、住民の500人以上の生命に
関する悲劇が生じたという「事実」で物語りは進行する。
それはほとんど終わり近くまで続くのだが、
最後の10分前に「大ドンデン返し」が来る。

それは「良かった」と思える大逆転ではあるが、では、
それまでの事、例えばあの「名簿(死亡者リスト)」は
何だったのか?「あれも夢だったのか?」と、
観客には混乱が生じることになる。
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この物語の大きな特徴は、この時間軸のズレだけでなく、
起きた事と起きなかった事のズレ、いわば
「夢と現実の境目をボカす」点にある。
どこまでが現実でどこまでが「夢」だったのか?
そのボカシによる物語りの進行はユニークだ。

映画「ぼくは明日、昨日の君とデートする」も類似した
霍乱手法を用いているが、あの作品はあくまでも
個人対個人の範囲で、社会(悲劇)現象までは
落とし込んでいない。

タキ君がみつはをはじめ、あの町を救いたかったと
思っても、映画「僕だけがいない街」のように、
時空を遡って、過去を変えるべく1つ1つの事件を解消して
いったわけでもない。

TBS「仁-JIN」のように、過去を変えてしまうことで、
さっきまでいたはずの現実社会での幸福がう失われて
しまうかもしれない、という不安と葛藤するわけでもない。

しかしもちろん、最終的には「夢の中で」タキ君は
糸守町を守るべく奔走する。
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あの大ドンデン返しは、悲劇に対して「こうあって欲しかった」
という希望としての逆転物語と言ってもよいかもしれないが、
1つの事象だけでなく、人間の普遍的な思いと常に係わって
いる点が良い。

「結び」は糸、人、時間の流れを表し、すなわち、ねじれ、
からまり、ときに戻り、途切れ、また繋がる、
という祖母の言葉や、
水は体内に入り魂と係わるという言葉。
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「ずっと何かを探しているように想う。それは「誰」なのか
 「何」なのか、「単に就職先」なのかは解らないが」。
でも、
「大事な人、忘れたくない(なかった)人、忘れちゃダメな人」
が必ずどこかにいるはずだ、記憶は曖昧だけれども。

この曖昧化していく大事な記憶という設定は「仁-JIN」での
綾瀬はるかが「先生(という人がいたはずだ、という人)」に
手紙を書くシーンをも連想させる。似た設定ではある。
それでも、この映画においても、人間の普遍的な「出会い」
の不思議さと大切さを基盤としている点こそが、この作品が
単なるありがちな「不思議なタイムスリップ&入れ替わりモノ」
の陳腐さを払拭し排除し、新たな希望の物語としている点が良い。

ラストの階段シーン。
大人になったタキとみつはが「君の名は?」ではなく
「君の名前は?」としっかりとした丁寧な言葉で交わす点も
何気だが良い。
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奥寺先輩が良い。
音楽も、みつは(実はタキ君)が祖母を背負い、
山上にある宮水神社の御神体まで歩いていくシーンで
流れるチェロのソロの旋律が美しい。

RADWIMPSによる音楽も良い。
冒頭で流れる「夢灯籠」、主人公の2人が
「入れ替わっている?!」と叫ぶ際の「前前前世」、
火口での再開シーンで流れる「スパークル」、
ラストシーンとエンディングで流れる「なんでもないや」、
それぞれがこの作品のために創られただけに、
作品の性格によく合っていると思う。

黄昏=誰そ彼(たそがれ)=彼は誰(かわたれどき)も
作品中、不思議な力が湧く際の1つのキーワードでもある。
不思議な魅力を持った映画作品である。

https://www.youtube.com/watch?v=3KR8_igDs1Y
https://www.youtube.com/watch?v=k4xGqY5IDBE

2017年8月16日 (水)

嘉目真木子さんの初CD「My favorite songs」

嘉目真木子さんの初CD「My favorite songs」を聴いて
~誠実な歌唱のアルバム~特に「さとうきび畑」に感動

丁寧で誠実な嘉目さんの特性が良く出たステキなアルバムだ。
3曲目までのカッチーニ(ヴァヴィロフ)、グノー、シューベルトは
丁寧さに注力したためか、フレージングが短めにまとまり、
スケール感がやや抑制された感じがするので、
もう少し大きな円を描くような長いレガートのフレージングが
欲しい気がした。

しかし、嘉目さんの自然体のアプローチで成功しているのは
例えば 「カロ・ミオ・ベン」で、これはプロ歌手なら誰もが
歌う曲だし、歌手固有の「色」を付けて歌うともできる曲だが、
嘉目さんはあくまでも詩と旋律の良さをそのまま丁寧に
歌うことで、この聴き慣れた曲の魅力を改めて引き出すことに
成功している。

それと同じ事は「ソルヴェイグの歌」や日本の歌曲
 ~例えば「くちなし」、あるいは後述する英語の歌曲にも
総じて言える。

イタリア語やドイツ語の歌曲の発音が素晴らしくても、
なぜか英語の歌だと発音が不明瞭に感じてしまう歌手は
案外(意外なくらい)多い気がするのだが、
このアルバムでの嘉目さんの英語の曲の単語の発音は
とてもクリアで、特に「ダニー・ボーイ」の爽やかさと
「グリーン・スリーヴス」での抒情性は素敵だ。

嘉目さんは、オペラでは、場面や曲によっては「強さ」を
感じさせる声で歌われることがしばしばある。
それは声の質感だけでなく、情感、すなわちエスプレシーヴォ
の効いた心の奥に響く声なのだが、このアルバムでは
選曲的に抒情的な曲が多いため、そうしたアプローチは
控え目な感もあるが、それでも、
「我が母の教え給いし歌」、「霧と話した」、
「月に寄せる歌」での切々とした歌唱は見事で素晴らしいし、
特に「月に寄せる歌」は丁寧なフォルムと感情移入が
バランスを保ちつつ、エスプレッシーヴォもたっぷりの名唱
だと思う。

そして先述の丁寧で誠実な、自然体の歌唱が最高に
生かされた歌唱が「さとうきび畑」だと言える。
長い歌詞を省略せず11連全ての歌詞を、丁寧に誠実に、
過度な感情移入は避けて自然体で歌うことで、かえって
曲の詩の哀しみが伝わって来る。
思わず感涙を禁じえなくなるほど素敵だ。
この曲も「色」を付けようと思えばいくらでもできるだろう
けれど嘉目さんはそれをしない。
「泣かせてやろう」とか「巧く歌ってみせよう」などという
余計な野心も全く感じさせることは無く、
ひたすら詩の内容に寄り添い、誠実な思いのみで
歌った「さとうきび畑」は、このアルバムの白眉と言えるだろう。

ピアノは、嘉目さんと言えば武田朋子さん、というくらいの
コンビで、この演奏も当然そう。
嘉目さんの特質をよく知る武田さんは、ソフトに自然に
丁寧にサポートしているし、「アメイジング・グレイス」での
ゴスペル風な編曲も素敵だ。
アレンジといえば「グリーン・スリーヴス」もロマンティックな
ピアノ編曲が施されているのだが、
編曲者は記載されていない。

http://www.octavia.co.jp/shop/exton/006096.html

https://www.amazon.co.jp/My-favorite-songs-%E2%80%95%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%8A%E6%B0%97%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8A%E2%80%95-%E5%98%89%E7%9B%AE%E7%9C%9F%E6%9C%A8%E5%AD%90/dp/B01MTAU0SA

充実していたNHKスペシャル

今月に入ってのNHKスペシャルは時期的に戦争関連が多いが、
以下の私が見たものだけでも、内容が充実していた。
外国からの資料(映像を含む)提供がなされた点が大きい。

12日に関してはアメリカ(いわゆる「ガン(gun)カメラ」と言われる
戦闘機が機銃すると同時に撮影されるカメラ)からの、
13日と14日はロシアからの提供。特に最近ロシアがなぜか
こういう取材に応じる傾向が出てきたのは興味深い事だ。

6日は、いわゆるビッグデータ(戦災ビッグデータ)から
広島市民がどこでどういう状態(体内に侵入した放射能により
日々変化していった微妙に異なった死因等)を克明に検証した。
1945年8月6日から今に至るまで、広島市が蓄積してきた
約56万人に及ぶ被爆者たちの記録『原爆被爆者動態調査』。
被爆直後、警察が医師とともに作成した検視調書や、
救護所などがまとめた死没者名簿の上に、戦後、
市が集めた戦災調査や個人データも加えられ、今も更新が
続けられているデータ。

NHKはこの元データを市から入手し、最新の解析技術を
駆使し、時系列に並べて地図に落とし込んだところ、
特定の被爆地や、死没日、死因に極端な死者数の偏りが
ある“原爆死ホットスポット”が存在していたことがわかった
という。
なぜ“ホットスポット”は生まれたのか。
そして人々はそこでどのようにして亡くなっていったのか、
を検証した。

12日の放送での日本焦土化計画(無差別爆撃)
実行者カーチス・ルメイについてはブログ等で
私は何度も書き、2011年3月11日、そうあの日の朝刊、
朝日新聞に掲載していただいた。
日本政府~正確には一部の売国的自民党政治家~により
「戦後自衛隊の創設に貢献した」としてルメイに勲章を授けて
いるのだ。東京(他)大空襲の総責任者に。
これこそ右翼が言う自虐思想以外の何だというのか。
しかも当時の佐藤総理も反対し、昭和天皇も難色を示したのも
かかわらず、よって一部の大臣衆から実質「こっそり」ルメイに
授けた。

13日放送の「731部隊」のことは史実としては昔から知られて
いるのに、放送直後から、ネトウヨらバカ右翼らが
「NHK売国放送」とかノタマわっているようだ。
とんだお笑い草だ。
あの放送でも、ロシアが当時の裁判証言肉声テープらを出して
きたのが印象的でした。
最後に放送(再生)された医師の涙ながらの懺悔は印象的で
「この医師は(ソ連法定判決後の)服役後、
 帰国直前に自殺したと言われる」
とのテロップも印象的だった。

14日の放送では終戦の情報が隠されたまま、1人の幹部の
独断で「樺太進行阻止」命令が出たため簡単な降伏が
できなかったことや、特に女性の電話交換手らが
「自分たちがここにいなくては本土のとの情報のやりとりが
 できなくなる」として北海道行きの船に乗らず、
 数日後に自決用の青酸カリで自殺した」という
逸話が痛ましかった。
姉であったその中の1人の妹さんが「港でいつまでも手を振って
見送ってくれた。それが最後。どんな気持ちだったか」との言葉と、
最近その港を70年以上経って訪れたシーンは印象的。

なお、スターリンの北海道分割希望に対しては、
トルーマンが明確に拒否したことは紹介されていたから、
実際にはそこまでの実力行使はできなかっただろうけれど、
それは今となって判ることで、当時の特に現地にいた人々は
正に命がけの逃避行だったわけだ。
現地の軍隊も戦車など何もなく、援軍は「終戦後」なので
来る分けない状況だった。
沖縄戦とともに忘れてはいけない「地上戦」。

15日では、今では多くの国民が知る、史上最悪の愚行と
いわれた「インパール作戦」での大本営やその下部組織での
司令官の身勝手な主張と命令を暴いた。
師団長の牟田口廉也中将は
 「2万人殺せば、敵地は落とせる」と言い、
それを聞いた部下は
 「敵を2万人、と思ったら、日本兵がそのくらい死ねば
  取れる、という意味だった」には呆れ返った。

8月6日~ヒロシマ72年目の真実
8月12日~「本土空襲~全記録~日本はこうして焼き尽くされた」
8月13日~「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」
8月14日~「知られざる地上戦」~終戦後7日間の悲劇
    ~樺太・5000人の犠牲者 なぜ?終戦後も戦闘が
8月15日~「戦慄の記録 インパール」

2017年8月15日 (火)

三善晃のレクイエム~8月15日に寄せて

三善晃の「レクイエム」
~日本人作曲家による最高傑作~8月15日に寄せて

既にブログ等で何度も書いてきたが、日本人が書き得た
最も偉大な音楽が三善晃の「レクイエム」だと信じて疑わない。
初演は1972年。戦地に散った若者の手記や中野重治、
石垣りん、金子光晴、宗左近氏などの詩を基に、
それらを断片的に織り込みながら、完全無調にして
壮絶な音のドラマを創り得た。

1979年の「詩篇」、1984年の「響紋」とともに「戦争三部作」
と言われている、その第一作。

「誰がドブ鼠のようにかくれたいか」のシュプレッヒコールで
始まり、「シカシ、ヤッパリ殺シテイル」、
「甚太郎オジサン、殺サンゴトシナサイ」、
「ああ、あなたでしたね。あなたも死んだのでしたね。
 西脇さん、水町さん、みんなここへ戻ってください。
 どのように死なねばならなかったか、語って下さい」。

被害者、加害者にいずれの側にも立つ、というより、
戦争そのものの理不尽さと惨さ、犠牲になる人間そのものの
苦痛と叫びをオーケストラと合唱による音と声で描いた傑作だ。

岩城宏之指揮、NHK交響楽団、日本プロ合唱連合による
初演に際しては、既に練習段階からすこぶる高い評価が
関係者の間で出ていたという。
初演を聴いた畑中良輔さんや遠山一行さんらは「衝撃」として
感想を書いている。

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三善は1933年生まれなので、終戦の年は12歳。
彼は文でも書いている。
「無数の理不尽な死が身近にあった。川遊びのとき、
 すぐそばで機銃掃射によって殺された友人。
 自分がそうであっても不思議ではない状況。
 気まぐれとしか思えないただ1個の投弾で爆死した恩師を
 今も思うことがある。
 若かった彼女の生よりも長い年月が過ぎ去ってしまった
 ので、今の私には死者としての彼女のほうが身近なものと
 なっている」等々。

三善氏にとって、創らねばならなかった必然としての作品
だったに違いない。
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評論家の船山隆氏はこう書く。
「鋼鉄のように強靭で虹のようにはかない凄絶なドラマの
 世界。
 現代音楽のシーンで新しい普遍性を獲得したこの傑作を
 耳にできることは、同国の同時代人として最大の誇りである」
と。全く同感である。
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私は市販された全てのCDとスコアも持っている。
ライブも複数聴いている(オケも合唱も最高難度の曲なので
滅多に演奏されない)が、とりわけ印象的だったのが、
1985年7月の三善さんの「個展」演奏会で、
尾高忠明指揮のN響により、先述の「戦争三部作」を
一度に演奏した演奏会だ。
そのときのライブCDも持っているが今は廃盤のようだ。
  (レコード会社の怠慢だと思う)

このとき客席には、作曲者夫妻とともに現在の天皇皇后両陛下
 (当時は皇太子殿下、妃殿下)もならんで座り、
その近くに遠山一行さんもいた。

私はそうした御仁から5メートル位しか離れていないところで
聴けたのは幸いだった。

また、終演後ロビーに出ると、一足先に出ていた武満徹さんが
ギターの荘村清志さんと立話しされていた。

なお、武満さんはその個展コンサートのプログラムに寄稿して
いて、三善さんの特性を「絶対抒情」という言葉で書いていた
ことも、とても印象的だった。
正に私にとって忘れらないコンサートの1つだ。
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複数あるCDは先述のとおり現廃盤も含めて全て持っているが、
現存では外山雄三指揮、日本フィル&日本プロ合唱団連合
によるライブ盤をお薦めする。
ユーチューブでも聴けるが、現状、三善さんの顔写真が
出ている音源のほうが音は鮮明だが、
ニコ動のスレのような画面への書き込みがわずらわしいので、
それではない、中心が赤いLPレコードの写真の音源は
音がやや小さいながら、係るわずらわしさは無い。
それが気にならなければ、三善さんの顔写真のURLは
歌詞も画面下に出るので、
その音源で聴かれるのをお薦めします。

2017年8月13日 (日)

蝶々夫人~荒川区民オペラ第18回公演

荒川区民オペラ第18回公演「蝶々夫人」
 ~引き締まった好演

「オペラの素晴らしさ・楽しさを、より多くの人達に
 お伝えしたい!」というコンセプトの下、
アマオケである荒川区民交響楽団が中心になり
毎年公演を行っている「荒川区民オペラ」の第18回目の
公演である「蝶々夫人」を13日、サンパール荒川で聴いた。

今回も12日と13日は別メンバーというダブルキャストだが、
スズキ役の杣友惠子(そまとも けいこ)さんと面識があり、
12日は所用で観れなかったので、当然以下は
13日組に関しての感想となる。

ひと言で言えば、演奏も演出もシンプルに徹した引き締まった
良い上演だったと思う。

歌手の前にまず、オケを褒めよう。
何度もオペラを演奏してきた歴史があるオケだけに、
私が過去に聴いたこのオケの演奏の中でもとりわけ立派な演奏
だったように想う。

弦の精度は総じてとても良かったし、トランペットやホルン
という、とかく割れがちな金管群も大きな破綻はほぼ皆無
と言ってよく、集中力有る演奏だった。
むろん色彩の乏しさは、ホールの決して良いとはいえない音響
も含めて一定限度に留まるが、それはやむを得ない。
とにかく、アマオケがこれだけの内容で、
プロ歌手陣を支えたオペラ公演は称賛に値いする。

昨今、アマオケでもオペラに積極的に取り組むオケは
江東区民オペラほか、愛知県等を含めて徐々に増加して
きていると思うが、関東ではまず先駆的な活動をしているオケ
だし、荒川区そのものも、何年も続いた「荒川バイロイト」
という土壌ができている土地柄での成果とも言えるだろう。

今回は特にオケの練習の成果が見てとれたし、
もちろんそれを指導(指揮)した小﨑雅弘(おざき まさひろ)氏
の成果でもある。

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蝶々夫人を歌った西本真子(まこ)さんは、
2012年にフィリピン国立歌劇場でこの役でデビューし、
翌年もシンガポールのリリック・オペラで歌うなど、
完全にこの役を得意とした自信を持った、しかし自然体と
新鮮さを失わない感情移入による歌唱で立派だった。

スズキ役の杣友さんは、メゾと言っても陰りの少ない、
ヴィブラートも過多でなく控え目な凛とした声なので、
体格の良さも含めて安定感と存在感のある立派な歌唱と
演技だった。

男声陣の中では私は特にシャープレス(領事)演じた
福山出(いずる)さんが良かったと思うし、
ヤマドリ役の星田裕治さんも良かった。
ピンカートンの田代誠さんは高音の伸びにやや弱さは
感じたが、なかなか良かった。
ケート役の杉山由紀さんはとても可愛らしかった。

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澤田康子氏により演出は冒頭書いたように非常にシンプルで、
良い意味で余計な遊びを排したもの。
むろん役によってはユーモラスな演技もあったが、
セットも含めて落ち着いた安心感を感じさせる自然体な演出で
好感が持てた。
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主なキャスト

指揮 小﨑雅弘
演出 澤田康子
管弦楽 荒川区民交響楽団
合唱  荒川区民オペラ合唱団 合唱指導(副指揮)新井義輝

            12日     13日
蝶々夫人     吉田恭子   西本真子

ピンカートン   川久保博史   田代 誠

スズキ      河野めぐみ   杣友惠子

シャープレス   秋本 健    福山 出

ゴロー      園山正孝    横山慎吾

ヤマドリ   (両日)  星田裕治

ケート      長勢ゆかり   杉山由紀

ボンゾ    (両日)  志村文彦

神官     (両日)  笹倉直也

公証人    (両日)  金井龍彦

30代オペラ歌手の飛躍~音楽への真摯な思い~12日の日本経済新聞より

12日の日経新聞より
「30代オペラ歌手の飛躍~音楽への真摯な思い」

8月12日の日本経済新聞朝刊の文化欄(最終ページ
=裏表紙)に、「30代オペラ歌手の飛躍」、副題としては
「声種変更や下積み経て~試練 表現の糧に」として
同社文化部の岩崎貴行氏が、
カウンタテナーの藤木大地さん、ソプラノの小川里美さん、
同じく中村恵美さん、テナーの西村悟さんを取り上げている。

藤木さんについてはデビュー後声帯を痛めたことから
カウンターテナーを選択し、成功していること。

小川さんはメゾとして勉強していたが、イタリア留学時に
先生からソプラノ転向を勧められ、
「メゾのレパートリが好きだっただけに戸惑った」ながら、
「転向すればレパートリーが増える、と前向きに考え」
その後の成功に通じたこと。

中村さんについては、オランダや英国の歌劇場で下積み中、
英国ロイヤル・オペラでアンナ・ネトレプコの代役として
歌って評価されたことから今に至ること。

西村さんはイタリア留学時、「歌唱法を180度変え、
体全体を楽器のように響かせるようにした」結果、
国内外のコンクールで良い成績を収めたことから
活躍の場が広がったこと、などが紹介されていた。

その4人のこと以外についても、記事の中で、記者が
「制作資金がかかるオペラの上演回数は以前より減っている」
と書いていることや、今やオペラ界の大御所、
テナーの福井敬さんが、「僕らの頃より今は感興が厳しい。
20代で主要キャストを演じる機会は少ない」とコメントを
寄せているが、
ファンからすると、公演自体の数は昔に比べて増えている
ように感じるので、少なくとも公演数自体に関しては
やや意外に思った。

「厳しい」のはそれだけ昔に比べて優秀な歌手が増大
しているからだと私は想像する。それだけ競争が厳しい、と。

それでも福井さんの次の言葉はとても素敵だ。

「20代でオペラの主要キャストを演じる機会は少ないが、
 その分、30代は自分の声で何がしたいかを理解している。
 活躍する30代の日本人歌手で共通しているのは、
 国境や人種の垣根を感じず、音楽への
 真摯な思いを持っていること」

パーヴォ・ヤルヴィ氏の素晴らしい指揮レッスン

パーヴォ・ヤルヴィによるベートーヴェンの4番の指揮レッスン

EテレのN響の演奏は世界陸上を見てたので、聴かなかったが、
何気にチャンネルを合わせると(N響演奏は終わっていて)
広上淳一さんが毎年開催している指揮講座が放送されていて、
ゲスト講師で招かれたパーヴォ・ヤルヴィが、3人の学生に
ベートーヴェンの交響曲第4番の第1楽章から第3楽章の
指揮レッスンをしていた。

アマチュアとはいえ私もオケで演奏する身なので、
とても良い指導だと思う。
オケの指揮も私は数回、経験あるので、余計、
さすがだなあ、と思った。

4番は美しく、ロマン派音楽の先駆け的内容だと思うが、
それぞれ3つの楽章は全くキャラクターの違う音楽だから、
指揮するのは結構難しい曲と想像できる。

とても勉強になった。

次回も、残る1人に第4楽章のレッスンの様子が放送される
とのこと(時間の関係で3人までだったようだ)。

その13日
パーヴォ・ヤルヴィ氏の指揮レッスン(教え)
先週に引き続き、残る1人の学生にベートーヴェンの4番の
第4楽章のレッスン。これまた良かった。
そして最後に4人の若者に向けたメッセージが
とても印象的で良かった。

 「指揮は仕事ではない。信念であり、生き方だ。
  職業としての指揮者を選ぶことを考える事よりもまず、
  音楽を愛し、その喜びを伝えることを考えなさい」

2017年8月 5日 (土)

練馬区民による第九

「第九」は祝祭イベント曲要素もある曲
 ~練馬区独立70周年記念コンサート
 ~なんと千人を超す区民による合唱
 ~「これも第九」なのだ~

昭和22年(1947年)8月1日に板橋区から分離独立して
70周年ということで、練馬区(民)挙げてのプロジェクトである
練馬区独立70周年記念コンサート「真夏の第九」を
5日午後、練馬文化センターで聴いた。

大ホール席が早々に完売していたが、小ホールで
映像ライブ中継があるというので、そちらで拝聴した。
なぜ早々に大ホールが完売したのか、
ホールでプログラムを手にして直ぐ判った。

なんと、参加合唱団員数がべらぼうに多く、
ステージだけでなく、客席の相当数を占めてのコンサート
だったのだ。
あの墨田区の5千人の第九や、大阪での1万人の第九のように。

その2つほどではないが、驚くべき合唱人数の内訳は、
ソプラノ=346名、アルト=457名、テノール=154名、
バス=155名の、総勢1,212名。

それを見たとき一瞬、
「今日は第九じゃなく、マーラーの「千人」の交響曲か?」
と思ったくらいだ(笑)。

祝賀イベントで第九を演奏するのはむしろ欧米。
逆に欧米では第九はそれほど演奏されず、
毎年12月にプロアマ問わず数百単位の第九の演奏会が
全国各地で演奏される国など、日本以外、
世界のどこにも他に無い。
日本の状況が異様なだけで、そういう意味では、
「祝賀行事としての第九演奏」は決して奇異なものでも
なんでもない。

指揮は曽我大介氏。
ソリストが素晴らしく、ソプラノが佐々木典子さん、
メゾが鳥木弥生さん、テノールが西村悟さん、
バリトンが大西宇宙(たかおき)さん。
佐々木さん、鳥木さん、大西さんが武蔵野音大卒で、
西村さんは日大芸術学部から東京芸大大学院に
進んだということで、4人とも少なくとも学生時代
(最初の大学等が)練馬に所縁(ゆかり)のある
ソリスト選出ということだろうが、声楽の好きな人なら、
それは関係なくとも素晴らしいメンバーだと直ぐ判るだろう。
なお、佐々木さんと大西さんは練馬区演奏家協会会員でもある。

森中慎也氏の司会挨拶後、第1部は日大芸術学部の
学生によるファンファーレ、
次いで練馬児童合唱団による合唱があり、休憩後、
第2部として第九が演奏された。

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第1部
1.「緑の大地」
  ~日本大学藝術学部音楽学科による(共同)作曲
  金管17名、打楽器4名の計21位名により、
  1分ほどのファンファーレが演奏された。

2.練馬児童合唱団(指揮=三輪裕子、ピアノ=八谷惠子)
  (1)Sing~カーペンターズの曲(ラボス作曲)
       日本語歌詞=星加ルミ子、編曲=源田俊一郎
  (2)Ave Maria コダーイ作曲
  (3)Joyful Joyful(「天使にラブソング2」より)
       原曲=ベートーヴェン、編曲=ウォーレン
  (4)Hail Holy Queen(「天使にラブソング2」より)
       作曲=Traditional 編曲=シャイマン

30人の少年少女(内1人は車イスの少女)による歌声は
可愛らしく、児童合唱を聴いてしまうと、もう何モノにも
太刀打ちできないくらいの純真さを感じて「やられて」しまう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 第2部~第九

まず第1楽章から第3楽章までについて
指揮とソリストは先述のとおり。
1,212名の「練馬70th記念第九合唱団」は、
下は6歳から上は80代の四世代に及ぶ。
「練馬70th記念第九オーケストラ」は練馬交響楽団に
武蔵野音大生が加わった合同オケ。

第1楽章開始すぐ判ったが、私が嫌いなベーレンライター版
による演奏。なぜ直ぐ判るかは省略する。
第1楽章から第3楽章まで、私か嫌いな速いテンポ。
熱量は感じるから無機質とは言わないが、
部分部分のフレーズに特にニュアンスは置かずに
グイグイ進めて行くだけの演奏をするのか理解できない。
これは昨今とても多く聴かれる「ごく普通の演奏」だった。

工夫を感じたのは第1楽章と第2楽章の一番最後の
Dの音をフォルテで叩くというより、メゾフォルテくらいで
柔らかく置くように閉じたことと、
第3楽章の中で3拍子に変わり、セカンド・ヴァイオリンと
ヴィオラで歌う旋律を、ロマンティックというより
「元気ハツラツ」という感じで演奏したのが目立ったくらい。

その第3楽章は特に速いテンポでシラケルほどウンザリした。
トスカニーニより速いくらいで、12分台くらいで終わったのでは
ないか?

ちなみにオーソドックスにやると第3楽章は15分前後で、
大好きな遅いテンポでの演奏のフルトヴェングラーや
ショルティは19分以上かけて演奏している。
この第3楽章の意味不明なまでの速いテンポには特に閉口し、
興ざめした。

ベーレンライターで嫌いな部分はたくさんあるが、
例えば第2楽章でホ短調コードに転じて大きな3拍子で
執れるところに入ってイ短調コードに転じた直後、
ティンパニがFの音をオクターブ連打が4打続き、
1小節多く休みを置いてもう1回叩くところは、
ブライトコプフでは5回目はディミヌエンドの記載があり、
実際はそれは難しいので、4回のフォルテに対してその5回目は
メゾフォルテくらいで演奏するのが一般的だが、
ベーレンライターは5回ともフォルテで叩く。
これは私はやはり正しくないと感じる。
 (詳細はここでは書かない)

オケのデキは悪くはないが、ホルンや木管などの
第2楽章トリオや終楽章では幾分つんのめったり、
遅れがちだったり等、不完全なアンサンブルは散見された。
・・・・・・・・・・・・・・・・

第4楽章
さて、前後するが、小ホールでの映像は、テレビ放送の
ように各奏者のアップが映し出されるので、
面白さはあるが、やはり音はどうしても機械を通した音、
というTVやDVDと同じ様になってしまうのはしかたがない。
しかしそれでも、ステージにはたぶん100人前後、
客席に陣取った残る1,000人余の全体の合唱の
臨場感を味わうには、やはり、この終楽章だけでも
大ホールで、すなわち直接の空気感の中で聴きたかった。

大ホールで直接聴いたら、臨場感と、圧倒的な人数による
第九の歌声自体に、もっと大きく感動しただろうに。
その点は非常に残念だ。

この第4楽章だけは曽我氏は比較的オーソドックスな
テンポ設定を採った。そりゃ、これだけの人数のコーラスで
歌うことになるのだから、速いテンポは危険だろう。

シカゴ・リリック・オペラに所属するバリトンの大西さん
だけは私は初めて聴いたが、意欲的表現と充実した声で、
とても良かった。
他の3人が素晴らしいことは、聴いたことがある人なら
想像つくだろうし、実際とても素敵だった。

合唱だが、通常からすると常識外の人数でやるわけだから、
ドイツ語の発音や、いわゆる「縦線」の多少の不揃い等、
言おうとしたら色々あるのは当然だが、映し出される
みなさんの楽しそうな、嬉しそうな、幸せそうな顔で、
精一杯歌う姿を見たら、そして区を、区民を挙げての
こうした特別な祝賀イベントの第九の合唱で、
細々としたことを指摘するのはとても野暮に想える。
他の楽章はともかく、終楽章だけは純粋に楽しめた。
別途書いたように、「こういう第九合唱もまた第九の合唱なのだ」。

お疲れ様でした。素晴らしかったですよ、と心から祝いたい。
なお、最後に、ソリストも含めて会場全員で「故郷」を歌い、
このイベントは終了した。

合唱のうまさとは?~あるいは参加する団員に寄り添って考えてみる

本文は、表題どおりの 「合唱のうまさとは?~
あるいは参加する団員に寄り添って考えてみる」なのだが、
その前に、これを書くキッツカケとなった事を記す。

参考1;事前話題
クラキコで第九合唱の話題が
「クラシックを聴こう!」サイトに、ある人が「ボクは、実は、
第九の合唱が嫌いなんです」と投じたことで話題になっている。
反発すなわち好きな人はほとんどコメントを寄せておらず、
同意とか、何らかの疑問なり意見を持った人が
 (無論レベルはまちまちだ)書きこんで、
「いいね」の数やコメントの数が賑わっている。

私は真面目に付き合う気はないが、幾つか「ジョブ」を
入れた。例えば、
「この程度の独り言のような投稿に対して、これだけの
 反応が出る事自体、第九が偉大な作品であることを
 証明してますね」とか、

第九=合唱部分と思っている人の有名な逸話として
次のものを紹介した。
 ~「第1楽章、2楽章と進む中、その女性は隣の友人に
 そっと尋ねた。~あの、第九はいつ始まるのですか?」

~これはけっこう受けて「いいね」をたくさんいただいた。

また、普段から互いに「詳しいね」と認め合う、私より
10歳くらい年長の男性が、
「僕は特別ベートーヴェンが好きなわけではないが」として、
それでも如何に「第九が好き嫌いを超えて偉大な作品か」を
真摯に述べている(投稿者に対する事実上の最大の反論)
を読んで、ちょっと感動した。
そのことは、その人にも伝えた。彼はテレていたが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考2;もう1つ続きを~上には上が?
1つ前に披露した冗談話(逸話)の、
「あの、第九はいつ始まるんですか?」をクラキコに投じて
「受けた」が、上には上がいて、これは「実話です」として
紹介していた人がいた。その内容はこうだ。

~あるママさんコーラスの人が第九を初めてステージで
歌い、終わってから楽屋で同僚にこう尋ねたそうだ。
 「私たちが歌う前に演奏されていた、ゆったりとした曲、
  キレイな曲だったわね。あなた、あれ、
  何の曲だか知っている?」~

この信じ難いほどのユーモラスな話には「負けた」と思った(笑)。

それはともかく、クラキコに投じられた
 「僕は第九の合唱が嫌いです」をきっかけに、
第九に限らず、合唱に関して今回真面目にいろいろ
考えたことを、以下、書いてみたい。

相当長くなると思いますので、事前に謝っておきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ここからが本文

合唱のうまさとは?
 ~あるいは参加する団員に寄り添って考えてみる

 1.「いろいろな第九合唱」があってよい

第九の合唱が嫌いとか好きとかは個人の自由。
何度か書かせていただいたが、

 「歌い慣れていない人も、どの国の、何歳の人でも
  歌うことが許されている曲、クラシックの合唱曲の中で
  ほとんど唯一例外的に誰もが参加してよい曲が、
  第九の合唱」

というのが私の見解、私見だ。

先日もある人が
「ベートーヴェンは一人でも多くの人に歌って欲しかった、
 欲しいと思っている曲ではないか?」とコメントされて
いたが、本質を突いたステキなコメントだと思う。

日本には外国に例を見ないほど数多(あまた)の
アマチュアのオーケストラがあり、それを上回る数え切れない
ほどの合唱団が全国各地にある。
合唱団のプロは東京混声合唱団などごくわずか。

アマチュアもコアな団体だけでなく、いわゆる
「第九を歌おう」と市民行事として臨時に企画され編成される
団も少なくないから、レベルは当然マチマチだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私見では、少なくとも関東圏では東京交響楽団併設の
東響コーラスが上手い。何しろ東響がとりあげる曲
(当然、近現代曲もある)の
「その都度、オーディションでメンバーを決める」というくらい
徹底している。そこには当然「甘え」が入る余地は無い。

栗山文昭さん指導の複数の合唱団が、プロオケ等が
大曲をやるとき各団から選抜編成される「栗友会」も巧い。
プロ合唱団にしか歌えないだろうと想っていた
三善晃の「レクイエム」をやってのけたのには驚嘆した。
驚くべきレベル、実力だ。

この2つは、「まず特定の曲ありき」で編成されるため、
必然的に男女等各パートの人数バランスも良いことになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「上手い(巧い)」合唱のポイントや特徴は色々言えるだろう。

音程の正確さ、パートに相応しい一定の厚みを保った音質と
均一性(もっとも曲によっては均一感が無いほうが良い場合も
ある)、その言語の正確で明瞭な発音、
子音や母音の強弱バランス、声量(音量)における
各パートの安定した質感と全体のバランス配分、
音の立ち上がりが遅れないこと、指揮者やオケ、ピアノ等の
反応の俊敏さ、何よりその曲に対する「ひたむきさ」等々、
一般論でももっとあるだろうし、

個別の各団の事情や状態でも異なる様々な点の修正(改善)
から目指す演奏に足りない点を修正していく力量等、
挙げたらキリが無いだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
むろん、そうした「うまい合唱団」だけが存在意義が
あるわけでなない。
各団にそれぞれ色々な要素、個性、レベル等があってよいし、
あって当然だ。
オーケストラとの共演とかではなく、純然とした合唱曲に
取り組む合唱団もあり、むしろそちらが一般的で圧倒的に多い。

そもそも、プロはむろんアマオケとでも第九で共演できる機会は
全ての合唱団にあるわけでもない。

また、レベルに関して言えば、
「完璧な演奏だけに感動するわけではないのが
 音楽の面白いところ」でもある。

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第九に関しては、ここ数年の中で私は、埼玉県の3つの市民団体
による第九を聴いている。
昨年12月に聴いた飯能市民による第九合唱、
2年前に聴いたふじみ野市民による第九合唱、
4年前に聴いた所沢市民による第九合唱。

この3団体に限ったことではないが、いずれも、
「ご年配衆が多く、女声が多く男声が少ない」のは
共通した要素だし、レベルも音程が完璧とは言い難い
だけでなく、ドイツ語というより「カタカナ語による第九」
というレベルではある。

それでも、終演後のロビーで、出演した合唱団員が
友人や家族らと「本当に幸せそうに語り合っている」姿、
様子を見ると、
「これも第九だ。こういう第九も絶対あってよい。
 全ての人は皆兄弟となる、とするシラーの詩を用いた
 ベートーヴェンが否定するわけはないだろう」
と思うのだ。

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音楽に自ら取り組み、整えて完成させていく楽しみ。
皆と音程だけでなく声の質感等を合せることの難しさと楽しさ。
何よりも自身が主体的に楽しむこと。その喜び。
それを聴きに来てくれる人々との心の、音楽の交流。
そうした喜びは参加側に入らないとなかなか感じ取れないと想う。

そしてそうした「アットホーム」な団には、例えば最近
「栗友会」の一部の合唱団がやり始めた
「50歳以上お断り」などというバカげた、
ほとんど意味の無い年齢制限など有り様が無い。
そのような「差別」や「排除」とは無縁だからこそ
生まれて来る音楽をやっている人達だからだ。

短い(あるいは長い?)人生において、オーケストラと
ステージで、お客さんの前で第九を歌える機会など、
一般的には「そうそうない」(都会の有名合唱団は別だが)。
正に人生の一大イベントでもある人も少なくないのだ。

それを世界中の市民に提供したベートーヴェンは凄い。
正に好きとか嫌いとかさえ超えた曲だ。

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 2. 私が注目する第九の合唱の中のポイント例

第九の合唱では、655小節から開始する4分の6拍子の
アレグロのフーガが難所の1つだろうが、私が指揮者や
合唱団がどれほど言葉やフレージングを大事にして
取り組んでいるか、を判断するポイントはそれより少し前に
在る。

595小節から3分の2拍子のAndante maestosoが
荘厳に進んで行き、いったん静まる627小節の
Adagio ma non troppo,ma divotoに入って間もないところ、
631小節から632小節にかけての「Ihr stürzt nieder」と
歌うところだ。

この特に「stürzt」は四部音符の長さだが、その前に
「Ihr」で2拍半(5拍)伸ばしてからの四部音符なので、
6拍の中の最後の1拍ということからか、案外「さくっ」と
安易に過ぎ去るように歌われてしまうことが多い。

私はそれではダメだと思う。

「Ihr」で伸ばして(しかもクレッシェンドとディミヌエンドを
して)「nieder」に入る直前のこの四分音符の「stürzt」は、
時間をかけて、すなわちテヌートでゆったりとはっきりと
「stürzt」を発声させるべきだと思う。

もちろんそのように指示して歌わせる本番での指揮者、
あるいは合唱指揮者はいるが、必ずしも誰しもそうする、
ということでもない。

この部分の練習シーンに立ち会うだけでも、
この曲の言葉と音楽への思い入れ、研究度合いが
判ってしまうと想われるほどの、重要で「恐い」部分
だと想う。

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 3. 暗譜について考える~合唱全般について

日本国内の優秀な合唱団は暗譜で本番に臨むケースが多い。
第九はもちろん「復活」も多々あるし、中には
「カルミナ・ブラーナ」のような言葉の難しい曲を暗譜で歌える
合唱団も複数ある。

欧米はどうかというと、第九はともかく、歌うところが30分を
超す様な曲ではまずほとんど楽譜を手にする。
けれど優秀な合唱団は譜面をめくりながらだろうと何だろうと、
発音、音程、表現、アンサンブル、活力の全てに立派な演奏を
やってのける場合が多い。

むろん、欧米の言語は、極論すれば、わずかでも兄弟姉妹言語
に近い、あるいはルーツを共にしたものとも言えるし、
欧州の教育自体からして、2つ前後の外国語を話す
一般市民はどの国にも一定数いるという状況が土台にある、
ということはある。
・・・・・・・・・・・・・・
さて、日本のケースに戻って考えると、暗譜したほうが
指揮者を見続けられるので、利点は当然多い。
譜面を落とすリスクもなければ、めくる際に生じがちな雑音も
生じない等々、効率的で有効的だ。

問題は(あるとすれば)、
「暗譜したことで曲が完全に把握できたと思い込んで
 しまうこと」ではないか?と私は思う。

日本人は真面目だし、西洋文化に対する敬意と
「吸収力」それを活かした「応用力」も含めて、昔から、
機械産業も含めて様々な場面でその「長所」は有効に作用
してきた。

しかし、私は、
「ちゃんと暗譜していますよ。凄いでしょう。
 この難しい曲を楽に歌えてますでしょう」という自信、
というより自慢げに合唱団が歌っている姿、それを
「感じてしまったこと」は一度や二度ではない。

そうした演奏に接した場合、感想は
「巧かったですね。凄いですね」で終わってしまい、
「心から感動しました」とは言い難い、
純粋な感動とは少し次元が異なってしまうもの、いわば
「悪しき教養主義」を感じて残念に思った記憶が過去、
複数の合唱団で何回かあった。

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言うまでもないことだが、アンサンブル演奏は、
まず奏者らが共感して精度に注力しつつ、それぞれが
「思い」を込めて演奏し、それによって素敵な合唱や合奏となる
ことで聴衆に喜んでいただくことに大きな意義と目標、目的が
ある。
演奏者が完璧を目指して、完成度を高めるのは当然で、
それは団内の当然の目標であって、それ自体を他者である
聴衆にPRする必要はもとより無い。

「生みの痛みや努力」をお客さんに伝える必要はなく、
 結果を披露することが本番演奏なのだから、
  「暗譜(していること)自体」がどうとかではない。
 それ自体は聴衆には関係ない。

お客さんは良い音楽と良い演奏を聴きに来るのであって、
「暗譜するまでに頑張りましたという姿」を
見に来るわけではない。

もちろん、暗譜で「音楽的に」、「指揮者に不満を感じさせる
ことなく反応できる」なら、それに越したことはない。

重要な事は、先述の
「暗譜しました、凄いでしょ、というムダな教養主義に
 陥らないこと」。

優秀な合唱団ほど、一つ間違えると、
この「勘違い」に陥り易い危険があるように想える。

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 4. 「思いが入る演奏」とは何か~極端な例の紹介

最後に例外的で極端なケースだが紹介したい逸話がある。
林光さんの偉大な名曲「原爆小景」は今でこそ「古典」と
言えるほど知られるようになっているが、まだそれほど周知
されていない時期に、女子高生合唱団が演奏したとき、
曲の詩の内容の、あまりの凄絶さに、第2楽章、第3楽章と
進む中、生徒(団員)らは一人二人とシクシク涙声になっていき、
最後まで行かない段階で止まってしまった、ということが
あったそうだ。

会場は静まり返り、その場にいた畑中良輔さんも
呆然としてしまったという。
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しかし、畑中良輔さんはそのときの思い出を~あるいは感動
と言ってもよいだろうが~こう書いた。

「演奏としてはむろん失敗である。しかし彼女たちが歌った
 あの「原爆小景」は、私には一生忘れられない演奏となった」

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むろんこれは稀なケースだし、少なくともプロの場合は、
器楽であれ歌手であれ合唱でも、聴衆に感動を与える
ことができる演奏が最高最終目的だし、むろんそのために、
まず自分が感動をもって演奏することが無いと
他者には伝わらないだろうが、とはいえ、
自分の感情が制御されなくなり、演奏に支障がきたすのは
プロとしては、あってはいけないことだろう。

俗な言い方をするなら、
「お客さんを泣かすのがプロ(に限らず演奏者)の仕事
 であって、自分が先に泣いてはいけない。

いや、「いけない」は言い過ぎかもしれない。
美空ひばりさんが「悲しい酒」を涙ぐんで歌う姿に
感動したように、「ラ・ボエーム」でミミが泣いてもかまわない。

要は「それでも演奏に支障をきたさないこと」だ。
美空ひばりさんがそうであってように。

ここでの「原爆小景」は、10代の少女による演奏
とはいえ、それでも例外中の例外のエピソードだ。

それでも、アマチュアとしてオーケストラや合唱で
ステージに立つことが多い私は、
何かを演奏しているとき、フッと思うことがある。

「あの原爆小景を涙ながらに歌った少女たちに
 負けないほどの思い、感情移入で、
 今、この曲に臨んでいるだろうか?」と。

少なくとも「そうした気持ち」が皆無の演奏だけは
したくない、と思う。

以上です。長文をお読みいただき、ありがとうございました。

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