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2017年2月 8日 (水)

トスカ~デジリカリリカ~劇性の凝縮    プッチーニ~♭(フラット)調性に宿る愛

2月8日(水)は、電子楽器とオペラのコラボとしての造語
 「Digitalyrica」の「トスカ」を東京文化会館(小)で楽しんだ
 (監修=三枝成彰さん)。

高田正人さんによる純な感情が出たカヴァラドッシ、
クールなゆえ凄みが出た与那城敬さん演じるスカルピア、
小川里美さんによる熱い情念がほとばしるトスカ。
しかも3人とも背が高いので、見た目的にもステージ上での
美男美女によるやりとりがこの上なくカッコイイのだ。

演出を担当した彌勒忠史(みろく ただし)さんによる
要所ごとの語りと補助も効果的だった。

そしてなんといっても、今回も、清水のりこさんによる、
高性能なエレクトーンを駆使してオケにも負けない各楽器の
音色の妙やダイナミクスを踏まえた見事な演奏が
公演の成功を支えた。

第3幕での静かみ遠くで響く鐘の音も静寂なたたずまい
にして実にリアル感があった。

「トスカ」はプッチーニの作品の中でもとりわけ劇的に
内容を凝縮した作品に想える。
物語の進行が速く、終始緊張感に包まれている点でも、
彼の作品群の中でも異色な作品に想える。
いずれにしても今後も、こうした公演を楽しみにしたい。

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さて、プッチーニの音楽について感じるままに書いてみよう。

プッチーニが愛を醸し出すとき、その場面にはさながら
媚薬が立ち込めるかのような、あまりにも甘味な、
夢幻に満ちた世界が充満して行く。
それは無垢なまでの一途な想いと、愛おしさと憧れと希望と、
「せつせつと」した優しさ切なさに満ちた感情、
希望と同時に不安が混じる感情の拡がりであり、
歌手がそれを歌い出すことで、舞台も客席の聴衆も
その彷彿とした夢の世界で溺れるほどに酔いしれる
ことになる。

繊細な感情を表すオーケストレーションとアリアは一体となり、
世界には愛しか存在しないかのような楽観をベースとした
けな気でひた向きな情感による高揚感が包み込むその世界は
プッチーニ以外の何者でもない。

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こうした内面に向かう、あるいは愛する人への一対一の
感情を表出するアリアは、変ホ、変ト、変イなど、
ほぼ例外なくフラット(♭)調性で書かれている。

トスカの「歌に生き、愛に生き」、
蝶々夫人の「ある晴れた日に」、
トゥーランドットのリューの歌、
ジャンニスキッキの「私のお父さん」等々。

フラット調性が内在する温かな質感、ぬくもりが、
愛を表現する心情に合うのだろう。

これらはたいていソプラノによって歌われるが、面白いことに
「ラ・ボエーム」ではロドルフォによって
「なんと冷たく可愛い手」がフラット調性で歌われる。
これは実質的な求愛の歌だからだ。

これに対して、例外であるかのように「私の名はミミ」や、
ムゼッタが歌う「私が街を歩けば」はシャープ(♯)調性で
歌われるが、例外とするのは適切ではない。
なぜなら、「私の名はミミ」は自己紹介の段階の歌であって、
ロドルフォの感情を受け入れたり、
共感を持って迎え入れる段階での歌ではないからだ。

自分の状況や希望等を外に向かって表明する歌。
ムゼッタの「私が街を歩けば」も、自分の誇らしげな想いを
主張し、自らを鼓舞する歌であって、
男性に愛を語る歌ではない。
シャープ調性たるゆえんかもしれない。

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フラット調性が内に向かう心情や内面の吐露、
愛の表明として用いられるのに対し、シャープ調性は
外へ向かう自己PRの歌としてプッチーニは「ラ・ボエーム」
を含め、多くのオペラの中で使い分けして用いているように
想える。

「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」がト長調で
書かれているのはシャープ調性のアリアとしても
その一例かもしれない。

「ラ・ボエーム」の第1幕の終わりで、ロドルフォとミミが
「Amor!」と歌うが、少なくともミミは恋に恋した段階で、
ロドルフォに対する愛とは言い切れない。
それゆえハ長調という堂々としてはいるが特別な色合いが
あるとは言えない調性で書かれ終わっていると
言えなくはない。

そして第3幕でのミミとロドルフォによる愛の二重唱は
フラット調性で書かれており、ミミがシャープ調性ではなく、
ここに来てフラット調性で愛を歌ったことに大いに納得し、
感動を新たにする場面でもあるのだ。

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むろん例外はある。「トスカ」の「星は光りぬ」は
闇夜の空気の冴える中での歌ということもあり
シャープ調性で書かれているが、
男性によるその切なる愛の感情、
真心に感動しない人はいないだろう。

それでも総じて、シャープ調性の持つ凛とした、
しかしどこか繊細である歌と、フラット調性が内在する
温かさ温もりと、しかしある種の「強さ」を宿す歌とを、
プッチーニほど巧みに使い分けている作曲家も
珍しいように想える。

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ヴェルディのような堂々と毅然と語る愛でもなければ、
ワーグナーのような熱い気流の中で悩み苦しむ愛でもない。
ひたすら甘過ぎるほど強過ぎるほどの憧憬に満ちた夢と
真摯で無垢な感情しての愛をプッチーニはアリア、
それも多くをフラット調性で表出した。

また、調性とかでなく、交響文献との奇妙な接触を
図るなら、
ヴェルディとブルックナーは愚直なまでのスタイルで
骨組を作りながら、いわば男性的な質感で進行する作風
なのに対し、
ワーグナーとマーラーとプッチーニは、女性的なるものを
常に底辺に置いて物語を書いた、と言えるように想える。

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こうした私の独断的理屈はともかく、
私はプッチーニのアリア、とりわけフラット調性で書かれた
アリアが大好きだ。
自分がどんなに愛が希薄で冷徹な人間と負い目を
感じようとも、プッチーニのアリアを聴いていると、
私にも、想像もつかないほどの熱い感情があるような
嬉しい錯覚に陥る、
そう夢想させてくれるプッチーニのアリアが大好きだ。

http://jp.yamaha.com/products/musical-instruments/keyboards/el-organs/electone_city_shibuya/information/images/pdf_2017020801.pdf

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