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2017年2月23日 (木)

池田晶子さん逝去から10年

2017年2月17日 (金)

新倉瞳さんCDリリース記念+朝倉侑子さん   黛敏郎の作品に力量を発揮

17日、チェロの新倉瞳さんが、新譜CDリリース記念の
リサイタルをCDと同じ「祈り」という副題で
HAKUJUホールで行った。

伴奏はピアノではなく、CDと同じハープの朝永侑子さん
との共演で、彼女と新倉さんは桐朋学園時代からの「心友」
という。

新倉さんは2010年からチューリッヒを拠点としているが、
朝永さんは桐朋学園大学卒業後はロンドンの英国国立音楽院で
学び、同時にロンドン大学で学位を取得。
その後、モスクワのグネーシン音楽院で学び、
昨年からはメルボルンに住んでいるとのことで、本人いわく
「長崎の田舎の、特に音楽環境は無かった家庭で育ち」
のわりには、小学生時代に既にハープのレッスンで
度々東京に通ったというから、大変アクティブな人だ。

見た目は失礼ながら日焼けしたヤンキー風?
(オーストラリアは夏で、出て来る直前も36℃の
 気温だったということもある)の気さくな感じだが、
ハープおよびその努力家の姿勢に驚く。

前置きが長くなったが、新倉さんは、昨年デビュー10周年を
迎えた。今回のCDは久々の小品集ということで、
この日も1曲目を演奏後、マイクを手にし語った中で、
「小品集というのは個々短い曲が多くても作曲家が
 異なることもあり、リサイタルではソナタを軸に置いた
 構成とすることが多いが、
 それは小品集でのプログラムは結構組み難いこともある
 から」、という主旨の発言があり、
なるほどなと思った次第。
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演奏曲は以下のとおりだが、CDから選ばれた前半では、
知らない曲が特に面白かった。
1曲目はベルギーのハープ奏者による曲で、
数少ないチェロとハープのための作品。
素朴な旋律ながらハープとのからみが美しい曲。

「黒鳥の歌」は哀愁のある美しい曲で、黒というより
色彩も感じられる素敵な曲だったし、
ベルトミューの3曲も、どれも優雅で抒情的な美しい曲だった。

なお、「白鳥」は速めのテンポということもあって、
優雅なプリンセスというより、凛としたプリンスの舞を連想
する演奏だった。
そのアプローチはカッシーニや前半最後の「ラルゴ」にも
感じた。

そのカッシーニは、アヴェ・マリアの中では
新倉さんが一番好きな曲とのことだが、本当の作曲者は、
旧ソ連の音楽家ウラディーミル・ヴァヴィロフ作曲の歌曲
という(CD解説より)。

シューベルトの「アヴェ・マリア」について、
新倉さんがプログラムに寄せた文の中で
「冬の旅に通じるものを感じている」
と述べているのが興味深い。
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前半は技巧的に難易度の高い作品は少なかったことや、
敢えてラフに弾こうとされたせいか、
部分的にはスッキリし過ぎ感も感じたのに対し、
後半こそ聴きものだった。

思うに、プロレベルの優秀なアマチュア奏者は器楽には
多々いるし、オケだってあるけれど、
それでもプロとアマで大きく違いを感じるのは
現代作品を演奏したときだ。

奏者であってもオケであっても、現代曲の演奏レベル、
完成度こそ、プロ奏者のプロたる力量の証明となると想う。

この日の新倉さん単独による黛敏郎の「BUNRAKU」、
朝永さん単独による同「ROKUDAN」のいずれも
技巧的にも大変難しく、黛敏郎の優れた作曲技法を
あらためて思い知らされたし、
演奏も「これぞプロの演奏」というものだった。
お2人ともお見事。

なお、会場にはこの2曲それぞれの初演者で、
かつそれぞれ2人の師匠でもあるチェロの堤剛さんと
ハープの篠﨑史子さんも来場されていた。
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アンコール1曲目のピアソラの曲は以前は「アヴェ・マリア」
とされていたが、映画「エンリコ四世」に起用される際、
この「昔々」を意味するタイトルに変えられたとのことで
 (CD解説より)、抒情的な美しい曲。
2曲目もヴィブラートを抑えて淡々と素朴に弾く事で、
曲線の美しさを出していた。
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今回リリースされたCDは前半とアンコールの曲の他にも、
あまり演奏されないパルムグレンの「白鳥」や、
ペルトの「鏡に中の鏡」といういかにもペルトらしい静けさを
基調とした珍しい作品などを含め、
合計18曲も収められた充実の内容だ。

小品集はついつい聴く側も軽く受け止めてしまいがちだが、
選曲においてもこれほど充実した内容は決して多くない
という点からも、お薦めしたい。
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終演後のCDサイン会はたくさんの人が列を作った。
HUKUJUのロビーは狭いので、サイン会が行われる場合、
満杯になり易いが、それでも出入り口を出て上階に行く階段
にまでならんでいたので、とても驚いた。

私は朝永さんには
 「ROKUDAN、良かったです。これからもどんどん弾かれると
  いいと思います』と言うと、
とても喜ばれたようで
 「(曲を)広めていきます」と応えてくれた。

新倉さんにも
 「BUNRAKU、良かったです」というと
 「良かったぁ」とホッとされたような表情で応じてくれたのが
印象的だった。

(前半)
1.アッセルマン「チェロとハープのためのコンフィデンス」
2.サン=サーンス「白鳥」
3.ヴィラ=ロボス「黒鳥の歌」
4.カッチーニ「アヴェ・マリア」
5.シューベルト「アヴェ・マリア」
6.ベルトミュー「5つのニュアンス」より1哀愁、3のどか、5甘く
7.ヘンデル「ラルゴ」(オンブラ・マイ・フ)

(休憩後の後半)

8.黛 敏郎「BUNRAKU」~無伴奏チェロ曲
9.黛 敏郎「ROKUDAN」~ハープソロ曲
10.ピアソラ「タンゴの歴史」より
1.Bordel 1900 2.Cafe 1930 3.Night-Club 1960

アンコール
1.ピアソラ「マリア=タンティ・アンニ・プリマ」(アヴェ・マリア)
2.バッハ「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」
https://spice.eplus.jp/articles/102717

CD
https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E5%80%89%E7%9E%B3-%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%80%9C%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%81%A8%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%97%E7%8F%A0%E7%8E%89%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%9B%B2%E9%9B%86/dp/B01N33FGC6

2017年2月12日 (日)

追分節考

昨年11月7日に、山田和樹さんが日本フィルと
柴田南雄さんの特集コンサートを開くことは知っていたが、
交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」はCDで持っていて、
一度聴いたときあまり感心しなかった記憶があったので、
演奏会には行かなかったが、
12日夜Eテレでの放送を見、聴いて、
やはり行けばよかったと思った。

それは「追分節考」の大規模な演奏を見ての感想からだ。

東京混声合唱団による「追分節考」は、
2014年7月26日に第一生命ホールで行われた
八尋和美さん指揮活動50年記念特別演奏会で聴いている。

あのときも、シアターピーススタイルにより
東混の団員と尺八奏者が客席通路を行き来しつつ演奏され、
東混がプロ合唱団の力量を存分に示してくれたこともあり、
とても感動したものだ。

今日テレビ放送された11月7日の演奏会では、
東混だけでなく、更に武蔵野音楽大学合唱団を加えて、
サントリーホールの客席通路を全面に使っての大規模な演奏
だったので、会場で聴いた人の感動はいかばかりだったろう、と
羨ましく想った。

 交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」
この日のメインでもある「ゆく河~」をCDではなく、
このように映像で見、聴くと、とても面白かったが、
ただ、私はやはり楽章が進むにつれて次第に退屈にもなった。
第2楽章のバロック曲想がむしろ面白く、
第4楽章の終わりに少し出る合唱は、
 林光さんの「原爆小景」の第2楽章に似た印象的なもの
だったが、第4楽章のロマン派、第5楽章の現代曲想部分は
それほどでもなかったし、第6楽章以降の合唱も、
「追分節考」の延長線上にあるだけの感じがして、
題材としては鴨長明の「方丈記」という面白いものを
使いながら、「追分節考」以上の成功を収めているようには
想えなかった。

2017年2月11日 (土)

鷲尾麻衣さん&穴見めぐみさんinカフェマメヒコ

11日、ソプラノの鷲尾麻衣さんが、縁のある渋谷の
「カフェマメヒコ」宇田川店に招かれて
「日本の歌曲、日本語歌詞の歌曲」と題した
ミニコンサート&トークイベントに出演された。

ちょうど1月25日に鷲尾さんがかねてより切望された
CD「MAI WORLD」がリリースされたばかりだが、
カフェの運営者からしたら嬉しい偶然であり、
当初からその宣伝を意図した記念イベントということでは
なかったとのこと。
もちろん結果としては、そのCDのお披露目、宣伝の場
ともなった。
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2015年10月19日に同店で行われたイベントでも
自身が言う「エリートではない道のり」を興味深く拝聴したが、
この日は歌がメインではあったものの、オーナーであり
司会を務めた井川啓央さんによるユーモラスな口調による
軽妙にして含蓄ある進行で前回にも増して楽しいひととき
となった。
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前半は、タイトルの中の「日本語歌詞の歌曲」がメインで、
特に明治生まれで数多くの訳詞を残した、
私(以上)の世代では知らない人は少ないと想える堀内敬三さん
による、外国の曲を和訳した曲を歌う際の難しさについて
鷲尾さんが歌い語り、また後半では、
穴見めぐみさんにより金子みすゞの詩との出会いと
作曲に際しての思いや工夫等も直接語られたので、
曲数は少ないながらとても充実したイベント、
ミニコンサートだった。
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鷲尾さんの歌声は何年も前から度々聴いているが、
情感が直截的な表現となって届いて行く歌声は、
中低音域でのメゾに似た声質と、高音域での輝かしさとの
対比が魅力的だし、
特に2012年10月30日の東京文化会館(小)での
マチネーのリサイタル(モーニングコンサート)から
彼女は一層大きく飛躍したと私は勝手に思っているし、
それはブログでも書いたが、
あのときのピアニストも穴見さんだった。
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東京芸大作曲科卒の穴見さんのピアノは緻密で
冷静な分析と客観性が常にありながら、
冷たいどころか、何よりも抒情的で繊細でしっとりと
音を紡ぎだす柔らかなタッチとしなやかさに満ちた演奏を
される。
カフェ内の特に状態が良いとは想えない小型の電子ピアノでも、
実に柔らかでしなやかなタッチの抒情的な見事な演奏をする。
作曲と編曲で活躍するだけでなく、有数の名伴奏者、
名ピアニストだと思う。
今回で拝聴するのは3回目だと思うが、
あらためてそれを実感した。
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鷲尾さんは先述の2015年のトークでも明言し、
また今回のCDに寄せた文の冒頭にも書いているが、
自身決して平たんな道やエリートコースなどで
来たのではないと語る道のりの中で、
彼女を助ける良い出会いが都度あって「救われてきた」
とする言葉は決して謙遜でも悲運の強調?とかでもなく、
本心からのものなのだろう。

その重要な出会い、人間関係の中に、
穴見めぐみさんとの学生時代の出会いと、
ずっと続く友情関係がとりわけ大きな位置を占めるに違いない。

鷲尾さんと穴見さんが東京芸大同期として入学したのは
決して偶然ではなく必然だったのだ、と、
そう想わせるほど、2人の関係性は緊密で強い信頼関係に
あることを客席側にいても強く感じる。
今回のイベントは2人の演奏内容だけでなく、
幸福な関係性を聴衆にも実感させてくれた素敵な機会でもあった。
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なお、麻衣さんは数カ月後に第2子を出産されるが、
会場には3歳の可愛らしい長女も来場されていて
微笑ましかった。
鷲尾さんは第一子出産後ほどなく活動を開始したことに
驚かされたが、
今回も第2子出産予定日からさほど経たない時期に
出演予定を入れているようで驚く。

ご主人などご家族の理解と協力がないと、とてもムリ
なことだろうし、それが在り、鷲尾さん自身の積極果敢な
仕事に対する意欲は、かつて難しい場面を何度も経験
されてきたことに基づくプロフェッショナルとしての
責任感と執念に他ならないのだろう。素晴らしい。
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この日、歌われた曲は以下のとおりで、
このイベントは明日12日も19時から同店で開催された。

(前半)
カロミオベン
アヴェマリア(グノー)
庭の千草

(後半)
星とたんぽぽ

落葉松
浜辺の歌
アンコールして「糸」

CD「MAI WORLD」
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89-Mai-World-%E9%B7%B2%E5%B0%BE%E9%BA%BB%E8%A1%A3/dp/B01N5FCESR

2017年2月 8日 (水)

トスカ~デジリカリリカ~劇性の凝縮    プッチーニ~♭(フラット)調性に宿る愛

2月8日(水)は、電子楽器とオペラのコラボとしての造語
 「Digitalyrica」の「トスカ」を東京文化会館(小)で楽しんだ
 (監修=三枝成彰さん)。

高田正人さんによる純な感情が出たカヴァラドッシ、
クールなゆえ凄みが出た与那城敬さん演じるスカルピア、
小川里美さんによる熱い情念がほとばしるトスカ。
しかも3人とも背が高いので、見た目的にもステージ上での
美男美女によるやりとりがこの上なくカッコイイのだ。

演出を担当した彌勒忠史(みろく ただし)さんによる
要所ごとの語りと補助も効果的だった。

そしてなんといっても、今回も、清水のりこさんによる、
高性能なエレクトーンを駆使してオケにも負けない各楽器の
音色の妙やダイナミクスを踏まえた見事な演奏が
公演の成功を支えた。

第3幕での静かみ遠くで響く鐘の音も静寂なたたずまい
にして実にリアル感があった。

「トスカ」はプッチーニの作品の中でもとりわけ劇的に
内容を凝縮した作品に想える。
物語の進行が速く、終始緊張感に包まれている点でも、
彼の作品群の中でも異色な作品に想える。
いずれにしても今後も、こうした公演を楽しみにしたい。

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さて、プッチーニの音楽について感じるままに書いてみよう。

プッチーニが愛を醸し出すとき、その場面にはさながら
媚薬が立ち込めるかのような、あまりにも甘味な、
夢幻に満ちた世界が充満して行く。
それは無垢なまでの一途な想いと、愛おしさと憧れと希望と、
「せつせつと」した優しさ切なさに満ちた感情、
希望と同時に不安が混じる感情の拡がりであり、
歌手がそれを歌い出すことで、舞台も客席の聴衆も
その彷彿とした夢の世界で溺れるほどに酔いしれる
ことになる。

繊細な感情を表すオーケストレーションとアリアは一体となり、
世界には愛しか存在しないかのような楽観をベースとした
けな気でひた向きな情感による高揚感が包み込むその世界は
プッチーニ以外の何者でもない。

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こうした内面に向かう、あるいは愛する人への一対一の
感情を表出するアリアは、変ホ、変ト、変イなど、
ほぼ例外なくフラット(♭)調性で書かれている。

トスカの「歌に生き、愛に生き」、
蝶々夫人の「ある晴れた日に」、
トゥーランドットのリューの歌、
ジャンニスキッキの「私のお父さん」等々。

フラット調性が内在する温かな質感、ぬくもりが、
愛を表現する心情に合うのだろう。

これらはたいていソプラノによって歌われるが、面白いことに
「ラ・ボエーム」ではロドルフォによって
「なんと冷たく可愛い手」がフラット調性で歌われる。
これは実質的な求愛の歌だからだ。

これに対して、例外であるかのように「私の名はミミ」や、
ムゼッタが歌う「私が街を歩けば」はシャープ(♯)調性で
歌われるが、例外とするのは適切ではない。
なぜなら、「私の名はミミ」は自己紹介の段階の歌であって、
ロドルフォの感情を受け入れたり、
共感を持って迎え入れる段階での歌ではないからだ。

自分の状況や希望等を外に向かって表明する歌。
ムゼッタの「私が街を歩けば」も、自分の誇らしげな想いを
主張し、自らを鼓舞する歌であって、
男性に愛を語る歌ではない。
シャープ調性たるゆえんかもしれない。

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フラット調性が内に向かう心情や内面の吐露、
愛の表明として用いられるのに対し、シャープ調性は
外へ向かう自己PRの歌としてプッチーニは「ラ・ボエーム」
を含め、多くのオペラの中で使い分けして用いているように
想える。

「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」がト長調で
書かれているのはシャープ調性のアリアとしても
その一例かもしれない。

「ラ・ボエーム」の第1幕の終わりで、ロドルフォとミミが
「Amor!」と歌うが、少なくともミミは恋に恋した段階で、
ロドルフォに対する愛とは言い切れない。
それゆえハ長調という堂々としてはいるが特別な色合いが
あるとは言えない調性で書かれ終わっていると
言えなくはない。

そして第3幕でのミミとロドルフォによる愛の二重唱は
フラット調性で書かれており、ミミがシャープ調性ではなく、
ここに来てフラット調性で愛を歌ったことに大いに納得し、
感動を新たにする場面でもあるのだ。

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むろん例外はある。「トスカ」の「星は光りぬ」は
闇夜の空気の冴える中での歌ということもあり
シャープ調性で書かれているが、
男性によるその切なる愛の感情、
真心に感動しない人はいないだろう。

それでも総じて、シャープ調性の持つ凛とした、
しかしどこか繊細である歌と、フラット調性が内在する
温かさ温もりと、しかしある種の「強さ」を宿す歌とを、
プッチーニほど巧みに使い分けている作曲家も
珍しいように想える。

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ヴェルディのような堂々と毅然と語る愛でもなければ、
ワーグナーのような熱い気流の中で悩み苦しむ愛でもない。
ひたすら甘過ぎるほど強過ぎるほどの憧憬に満ちた夢と
真摯で無垢な感情しての愛をプッチーニはアリア、
それも多くをフラット調性で表出した。

また、調性とかでなく、交響文献との奇妙な接触を
図るなら、
ヴェルディとブルックナーは愚直なまでのスタイルで
骨組を作りながら、いわば男性的な質感で進行する作風
なのに対し、
ワーグナーとマーラーとプッチーニは、女性的なるものを
常に底辺に置いて物語を書いた、と言えるように想える。

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こうした私の独断的理屈はともかく、
私はプッチーニのアリア、とりわけフラット調性で書かれた
アリアが大好きだ。
自分がどんなに愛が希薄で冷徹な人間と負い目を
感じようとも、プッチーニのアリアを聴いていると、
私にも、想像もつかないほどの熱い感情があるような
嬉しい錯覚に陥る、
そう夢想させてくれるプッチーニのアリアが大好きだ。

http://jp.yamaha.com/products/musical-instruments/keyboards/el-organs/electone_city_shibuya/information/images/pdf_2017020801.pdf

2017年2月 5日 (日)

アメリカ大統領令の愚かさ~試される司法

JASRACの愚かな考え

JASRACの愚かな考え JASRACの横暴
今、フェイスブックのウォールの多くの人や、
同 「クラシックを聴こう!」サイトの運営者もこの呆れた件を
アップしている。

日本音楽著作権協会(JASRAC)は、よほど経営が危うい
のか、あろうことか、ヤマハやカワイなどが運営する
音楽教室での「演奏」について、
著作権料を徴収する方針を固めたという。

7月に文化庁に使用料規定を提出し、
来年1月から徴収を始めたい考えだという。

JASRACいわく(徴収の根拠として)、
「生徒も不特定の「公衆」にあたるとして、その際の
 演奏にも演奏権が及ぶと判断した」という。

音楽教室での教材が、作曲家の死後50年が過ぎて
著作権が切れたクラシック曲だけでなく、
歌謡曲や映画音楽などJASRACが管理する楽曲を
使っている講座も多いとみて、
著作権料を年間受講料収入の2.5%とする案で
徴収することを検討している、という。

これは、まったくもっておかしい。

著作権法は、
「公衆に聞かせることを目的に楽曲を演奏したり歌ったり
 する「演奏権」を、作曲家や作詞家が専有する」
と定めているが、
JASRACの言う「生徒も不特定の「公衆」にあたる」
というのは、まったく間違っている。

 「生徒は不特定の「公衆」には当たらない」

 「生徒は不特定ではなく、希望して通う受講者
   という特定者」だし、

 「そこでの演奏はいわば試演に過ぎない」

レッスンの段階では「聴衆などは未だ想定していない」。
こんなことは楽器や声楽等のレッスンを受けた人なら
皆理解できる、誰でも判ることだ。

ヤマハの音楽教室でのレッスンは私自身経験しているが、
基本的にはマンツーマンだし、グループレッスンの場合
でも、あくまでも「レッスン」、指導、受講であって
「人前で聴いていただく演奏ではない」。
誰でも判る明白な事実だ。

むろん、教室では年に1回等の発表会として
公の場で演奏する機会もあるにはあるが、
さすがにその際は、法規に則って必要に応じて
著作権料を支払っていると思うが、
あくまでもそうした特別な機会に限定した話だ。

一般(私)企業が運営するレッスンで著作権云々が
発生するなら、音大はむろん、
小中高での音楽の授業さえ対象とならなければ、
逆にヘンだし、それこそ「有り得ない事」だ。

企業が運営しようがどうだろうが、レッスンでの
「生徒は不特定の公衆ではない」し、その場での
「格闘」は聴衆の前での演奏ではもちろんない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170202-00000014-asahi-musi

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