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2016年11月27日 (日)

合唱団 響~Kyo~合唱オペラ 中也!     演奏会2016

合唱団 響の「中也!」の公演を観、聴いた。
会場はすみだトリフォニーホール。

いわゆる「合唱オペラ」の新作委嘱公演で、
佐々木幹郎さんの台本と演出。作曲者は西村 朗さん。

指揮はもちろん栗山文昭さん。

ピアノは浅井道子さん。

演奏自体は練習の成果が十分感じられる、充実の内容だった
と思うが、少し違う観点から感想を書いてみたい。

<運営について>
1.指定席と自由席の2種、今回設定されており、
 私は自由席だったが、すみだトリフォニーは2階のバルコニー席が
 気に入っているので、そこは指定席ではなく、
 自由席でよいのか?という点が判り難かった。
 結果、2人~係員と既にバルコニー席にいた他の客~に
 確認して着席したが、こんなことは、
 例えば、入口に入ってすぐのロビーに、
  「座席表を色分けする」とか、
  「1階以外は全て自由席です」等の、何らかの掲示を
 しておけば済むことで、こうした「ちょっとしたこと」は
 開催主催者においては重要な事だ。

 団員の中で、そうしたことに気づく人が誰もいないのだろうか?
 演奏会慣れしていないならともかく、「響」としても、あるいは
 団員の中には学生時代も含めて他の団等でステージ経験が
 ある人は多々いると想像するが、そうした個々の経験を
 含めて、何も活かされていないと言わざるを得ない。

2.開場時間も5分遅れて16:35のドア開けだった。
  「たった5分」かもしれないが、寒空の下、既に200人以上
 と思われる人がならんでいるのだから、
 早めて入場させていいくらいを、遅れるのはマズイ。
 これも「ほんのちょっと気をつければよいこと」で、
 これでは有名な団の演奏会とは言えない。


<作品について>
1.時代背景と登場者について

「5.15」、「2.26」の起きた時代(への進行)とはいえ、
作品中で、文士の他は軍人と娼婦に重点を置いたことに
大いに違和感を覚えた。

あの時代(と想像するだけだが)、もっと明るい、
ごく普通の日常はあったはずで、国民が深刻な戦争感受に
至るのはやはり真珠湾攻撃以降ではないか?
という思いが拭えない。

文士の中でも、戦争批判者はむしろ少数だった、
という事などを考えて場合からも、
設定に「時代の決め付け的要素」を強く感じた。

いみじくも、映画「この世界の片隅に」が話題になっていて、
あの作品では正に「戦争、原爆という迫りくる悲劇の直前
においても、庶民の普通の生活があった」ことが
描かれていて印象的で、それゆえ、
戦争への強い憤りを覚えるわけだが、
それと対照的な内容だった。

2.セリフと登場人物の個性について
コーロ・カロスの「そして旅にでた」でも感じたことだが、
「うた」の場面が素敵な反面、セリフに音程や抑揚が付く
ことで、かえって日本語が「画一化」してしまい、
その結果、個性~中原中也の、小林秀雄の、
大岡昇平の、太宰治の等~の表出が
かえって弱まる気がした。

演劇のように「音の色づけ」なしの、ストレートなセリフに
したほうが、キャラが際立つ感じがした。

3.主役級以外の人の活躍=合唱の量について
コーロ・カロスと比べるは、それぞれに失礼とは思いつつ
比べてしまうが、全体が少人数で、重唱を多用した
カロスの寺嶋作品の公演に対して、「中也!」では
もっと「全員が活躍する場面」を多くして欲しかった、
という感想を抱く。

合唱の場面は作品としても演奏としても素晴らしかったが、
それだけに、中也ら数名に限定された「主役」に
比重が置かれる(ざるを得ない)ことが、
「合唱オペラ公演」とはいえ、
合唱団としての公演であることを考えた場合、
疑問が強く残る。

<まとめ>
以上のように、セリフの点と、合唱比重の点で、
「合唱オペラ」における問題点のようなものを私なりに
感じたが、それでも、さすが西村作品というアグレッシブな
印象的な作品とその上演であったことは間違いない。
お疲れ様でした。

2016年11月24日 (木)

映画 オケ老人! ~面白いです

面白かったです。物語がとても良く練られた良い映画。
最初はどう展開していくのだろう?と、とても心もとなく
不安にさえ思うが、2人の人物
~男子高校生と指揮者ロンバール~の登場で
物語にはずみが付き、分岐し、進みだす。

前者は具体的に音楽のフレーズを、後者はもっと全体からの
組織の雰囲気の大事さ(「人が辞めていくようなオケではダメだ」
~これは実は老人オケ梅響のことではなく、
  エリート側の梅フィルのことを指すのだが
~や、ラジカセの逸話から古いものを尊ぶ精神を
オケ老人たちに伝えていくことになる。

この撮影から少し後に産休に入ったという杏さんだが、
このときのスタイルはスラッとしていて、ユーモラスなキャラ設定
ながら、ラストでの指揮台上の杏さんはカッコ良かった。

そしてこの映画が老人を主役にしていながら生き生きと
している原動力は、笹野高史(68歳)、左とん平(79歳)、
小松政夫(74歳)、石倉三郎、喜多道枝(81歳)らの名人芸
に他ならない。

杏さんは「撮影の休憩時でも大先輩らが冗談を言い合う
 シーンは舞台を観ているようだった」と語っている。

杏さんの次の言葉は、この映画のテーマの1つといえるだろう。

「新しいことを始めるのに年齢は関係ない。
 始めようと思った時がベストタイミング」

上映館が少ないようで残念だが、ぜひ観賞をお薦めしたい作品。

2016年11月23日 (水)

ナクソス島のアリアドネ

東京二期会とライプツィヒ歌劇場との提携公演として、
R・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」が上演された。
会場は日生劇場。

指揮は、海外の歌劇場で活躍する女性指揮者 シモーネ・ヤング

演出は、カロリーネ・グルーバー

管弦楽 東京交響楽団

ダブルキャストだが、林 正子さんを聴きたいので、23日の公演を観た。

    23日(水・祝)26日(土)  24日(木)27日(日)
プリマドンナ/アリアドネ
          林 正子        田崎尚美
ツェルビネッタ  高橋 維        清野友香莉
執事長      多田羅迪夫       多田羅迪夫
音楽教師    小森輝彦        山下浩司
作曲家      白𡈽理香        杉山由紀
テノール歌手/バッカス
          片寄純也        菅野 敦
士官       渡邉公威        伊藤 潤
舞踏教師    升島唯博        大川信之
かつら師     野村光洋        原田 圭
召使い      佐藤 望        湯澤直幹
ハルレキン   加耒 徹        近藤 圭
スカラムッチョ  安冨泰一郎       吉田 連
トゥルファルデン 倉本晋児        松井永太郎
ブリゲッラ    伊藤達人        加藤太朗
ナヤーデ     冨平安希子       廣森 彩
ドゥリヤーデ   小泉詠子        田村由貴絵
エコー      上田純子        北村さゆり
天使       小島幸士        小島幸士


「ナクソス島~」では特に後半のオーケストレーションの凄さ、
歌手の皆さんの~お世辞でなく~全員素晴らしい歌唱が
見事だった。

最近活躍が著しい高橋維さんによるツェルビネッタの
有名な超絶技巧アリアも完璧に決め、長く熱い拍手を受けた。

アリアドネ役の林正子さんはもちろん、
ニンフ役の3人のアンサンブルも素晴らしく、
R・シュトラウスは特に後半の幕においては、
登場人物全員に第一級の歌を書いていると
あらためて強く実感した。

宮谷理香さんデビュー20周年記念ピアノリサイタル

23日は14時から宮谷理香さんのデビュー
20周年記念リサイタルを聴き、その後、
17時から日生劇場で二期会公演
 「ナクソス島のアリアドネ」を観賞。

どちらも「本物の音楽と演奏」を堪能した。

まずは宮谷さん。

記念すべきコンサーとで選んだ曲は

1.モーツァルト ピアノ・ソナタ第10番 ハ長調 K.330

2.シューマン 謝肉祭~4つの音符による面白い情景
    (全21曲) 作品9

 (休憩)

3.ショパン バラード全4曲
  第1番 ト短調  作品23
  第2番 へ長調  作品38
  第3番 変イ長調 作品47
  第4番 へ短調  作品52

アンコール
 1.ショパン 華麗なる円舞曲
 2.リスト 愛の夢 第3番
 3.マグダウェル 野バラに寄す


いつもニコニコの宮谷さんは、自身でもさすがに感慨深い
公演であることが何回かのトークに感じられ、
「皆様に、多くの人に支えられてここまで来ました。
 深く感謝しています」と、
何度も「感謝」という言葉を使われていた。

「今日の皆様の温かなお気持ちを胸に、
 これからも練習し、精進していきたい」

アンコールの3曲目を弾く前には、
涙をハンカチで拭いてから演奏に入ったのも印象的だった。

2016年11月21日 (月)

議員による税金の不正利用を許すな

税金の不正利用を許すな
経費等をめぐる不正は国会議員の間で昔から枚挙に暇がないが、
富山市議会の市議の「政務活動費」をめぐる不正のように
都道府県や市区町村の議員の間にも、
そうした不正は多々あるのではと想像する。

国会議員に毎月100万円支給される「文書通信交通滞在費」
や、地方議会議員に毎月数10万円(東京都は60万円)
支給される「政務活動費」のように、事前にザックリ支給され、
後から使用分の領収書添付で精算するも一方では
「使い切りが許される」という性質の経費は、
領収書偽造等の不正利用や、ムダな買い物等が可能だし、
実際にそうした事実が露見してきた。

民間企業では急な出張等に対応する「仮払い」という
事前に受け取れる経費があるが、それは後日、
領収書を(会社によっては報告書も)添えて明瞭に精算する
もので、「使い切りが許される経費などいっさい無い」。

また、東京都議会の議員は、議会に出席するたびに
1万円強の手当てが支給されるという。
127人が年間90回の議会に「出席するだけで」
約1億3千万円の税金が議員報酬として使われているのだ。

どこの民間企業で、営業会議に出る社員や取締役会に
出る役員に、出席のたびに手当てを支給する会社あるか。
議会出席は議員の義務であり仕事である。

民間企業はムダな経費削減は当たり前の行為で、
どこの企業でも実践されているのに、国や地方自治体の
議会では税金のムダ使いがまかり通っている。
改革の余地が多々ある。

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財務、監査体制が不備、欠陥があるということ
豊洲問題で一番呆れるのは、市場長という立場の役人が
「現場」を詳しく見聞、検証しなかったことであり、
しかも都には「監査委員」という企業でいうところの
監査役あるいは内部監査部門の組織と人間がいるのに、
そうした監査を仕事とする人たちは何をやってきたのか?
 (何もしてなかったんですね?)という点だ。

また、都議会では「都の市場局が事実を隠したことは、
議会軽視もはなはだしい」と批判した議員もいたが、
自分たち都議自身はなぜ誰一人として豊洲の状況を
詳しく事前見聞してこなかったのだろうか?
都議たちの怠慢もはなはだしいではないか。

加えて今回、東京五輪・パラリンピックの推進体制や費用を
チェックする東京都の「都政改革本部」
(本部長・小池百合子知事)の調査チームは
9月29日、大会の総費用が3兆円超となる可能性があると
明らかにし、五輪の推進体制の現状について
「あたかも社長と財務部長がいない会社と同じ」と
指摘したが、この点も、
「監査委員は何を監査してきたんだろうか?」と思う。

このような「不作為」によるミスは一般企業では厳しく責任が
問われるが、役所ではお茶を濁す程度の処分(あるいは、
それさえも無し)で終わるのだろうか。

2016年11月19日 (土)

ゴルトベルク フィルハーモニカー 第6回演奏会

11月19日の午後、杉並公会堂で、
ゴルトベルク フィルハーモニカーの第6回演奏会を聴いた。
指揮は金山隆夫さん

初めて聴いたオケで、上智大学管弦楽団の出身者を中心に
構成されていて、ドイツ語のゴルトベルク=金山、のとおり、
当団指揮者の金山隆夫さんを思慕する気持ちが団の名前
となっているくらいだから、それぞれ学生時代に金山さんの
指揮を経験された人が主と想われる。

私も所属するオケでたびたび指導を受け、本番演奏も経験
しているが、今回は特にドヴォルザークのチェロ協奏曲を
コントラバスで演奏するというプログラムに注目して出かけた。

昔、ゲーリー・カーが録音もしたが、めったにない試みである
ことには変わりないと想う。

コントラバスのソロを演奏したのは読売日本交響楽団の
ソロ・コントラバス奏者 石川 滋さん。

その他の演奏曲は、チャイコフスキーの序曲「1812年」と
ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」だが、
なんと曲順は、
1「新世界」→2チェロ協奏曲→「1812年」の順で演奏された。

理由は2つあっと想う。

1つは、ご存知のように「新世界」のエンディングが管だけの
ディミヌエンドで終わる、という変わったかたちをとっている
こと。
もう1つは後述のとおり、金管に大勢のバンダを加えて
派手に豪華に演奏するという趣向だったので、
確かにこれだと、消え入るように終わる「新世界」より
この「1812」を最後演奏するのが好ましいに違いない。

初めて聴いたオケだが、平均年齢は若く、
大学卒業後3年あるいは5年以内の人が多いのでは、
と想える。
弦楽器が特に優秀で、弦だけだと数多(あまた)在る都内の
オケの中でも上位に位置すると想う。

1曲目の「新世界」での金山先生の指揮はいつもながらの
堅実で安心感を覚えるものだったが、
曲想やテンポが変わる際の少し細やかな設定が
あったほうがいいな、という点はあった。

休憩を挟んで2曲目のコントラバスによるチェロ協奏曲だが、
石川さんの技術は完璧で実に見事だったが、
大きな楽器とはいえ、その分低い音が中心となる楽器
なので、音量はさすがにチェロほどではなく、
想ったほどの迫力は無かった点で少しガッカリもしたが、
それでも滅多に聴けない演奏ゆえ、
とても興味深く拝聴した。

アンコールとしてバッハ無伴奏チェロ組曲第3番から
有名なブーレを演奏したが、これまた完璧な演奏で品があり、
実に見事だった。

最後の「1812年」は、演奏の終わり近くに、
バンダが入場してきたが、その位置(演奏場所)は、
指揮者や聴衆と向き合うかたちで2階客席、すなわち
杉並公会堂はオルガンは無いが、サントリーホールや
東京芸術劇場のようにオルガンがある場合の、
そのオルガン前の客席にて、
その中央部にチューブラーベル、
客席から見て右に、トランペット4人(内、外人1人)、
ホルン3人、トロンボーン3人(内、外人1人)、
ベルの左側に、トランペット3人(内、外人2人)、
ホルン2人(内、外人1人)、トロンボーン2人(内、外人1人)、
チューバ1人、の計18人がならんで終結部を豪華で
派手な大音響による演奏を行い、聴衆を楽しませた。
バンダの中には白人黒人等の外国人演奏者も含めての
もので、こうした企画はとても楽しく好ましいものと、
心から拍手を送りたい。

小林由佳さんリサイタル

メゾソプラノの小林由佳さんが
赤坂のグローバルユースビューローでリサイタルを開いた。
1時間ほどのサロンコンサートスタイルではあったが、
小林由佳さんオンリーのステージは初めて拝聴したので、
十分堪能した。

由佳さんの歌声は、メゾソプラノでも常にポジティブな明るさを
感じさてくれるトーンがあり、元気を与えてくれる歌声
と言える。ぜひ毎年、ソロリサイタルを開催して欲しい。

来年7月には二期会公演「ばらの騎士」でオクタヴィアン役に
決定している。
その組の元帥夫人が林正子さん、ゾフィーに幸田浩子さん、
オックス男爵に妻屋秀和さんという素晴らしい顔ぶれで、
今から待ち遠しい。

なお、この日の演目は以下のとおり。
ピアノは塩塚美和子さん。

1.ララ 「グラダナ」

2.ロッシーニ「セビリアの理髪師」より「令の歌声は」

3.チレア「アドリアーナルクヴルール」より
    「若い喜び、甘い責め苦を」

4.ビゼー「カルメン」より「ハバネラ」

5.サン・サーンス「サムソンとデリラ」より
    「私の心はあなたの声に開いていく」

6.マスネ「ウェルテル」より「手紙のアリア」

7.サティ 「あなたが欲しい」

8.プーランク 「愛の小径」

9.デュモン「水に流して」(私は何も後悔していない)

アンコール クルティス「忘れな草」

2016年11月17日 (木)

高齢者の運転には厳しい規制をかけよ

高齢ドライバーの事故が多発~80歳等、
一定の年齢で運転免許交付に制限を

10月、横浜市内で87歳の男が軽トラックが集団登校
していた小学生の列に突っ込み、男児1人を死亡させた。

11月10日には、栃木県下野市薬師寺の自治医科大学
付属病院玄関近くのバス停とベンチに、
84歳の男性が運転する乗用車が突っ込み、
89歳の女性が死亡。

11月12日、立川市の病院敷地内で、83歳の女性が運転
する車が男女をはね、2人とも死亡した。

80歳を超えて運転をし、
人を轢き殺してどうするのだろう?
晩節を汚すどころではないではないか。

趣味がプロ野球観戦と運転くらいの85歳の私の父親も、
80歳になっても まだまだ運転する気でいたが、
3年前に吐血して倒れたので、家族全員の猛反対で
運転させないことにした。
もう実家には車はなく、当然運転していない。

自分がケガをすることよりも、他人をケガさせたり死亡させたり
したら話にならない。
被害者ご一家はむろん、運転者の家族も困窮することになる。

70歳以上は毎年更新させるとか、
80歳に達した時点で免許の強制返納させる等、
何らかの制度の見直しは必至だと思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161113-00000518-san-soci

2016年11月15日 (火)

生前退位に反対するとは何事か?反対はあり得ない

生前退位に反対する人たち~反対とは何か?
そもそも「反対」は、あり得るのか?

今上天皇が控えめながら、しかし決然と生前退位したい旨を
表明されたことに対して、
「反対する」とはどういうことだろうか?

畏れ多いとかは別として、そもそも「反対する」という事が
あり得るのか?許されることなのか?

不謹慎な言葉を敢えて使えば、

「反対するということは、「死ぬまで働け!」と
 言っているに等しい」

天皇陛下に対して、である。

メディアの世論調査では、朝日91%、日経89%、
日テレ94%、産経ですら90%、の国民が賛成(容認)している
にもかかわらず、だ。

百歩譲っても
「では、あなたたち自身は死ぬまで働くんですか?」
と問いたい。

おそらく反対する人達にとっては、
天皇という機関、制度、歴史に関心があるだけで、
明仁陛下ご本人には関心が無いのだろう。

明仁陛下のご体調がどうなろうと「知ったことか」として、
「それよりも天皇制自体が大事だ」と思っているのだろう。

そうした考えの人々には、論理はともかく、
「それって、日本人(の心)として、どうよ?」と問いたい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161114-00000076-mai-pol


 朝日新聞投書用

天皇陛下の生前退位のご意向に対して、
安倍総理の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に
関する有識者会議」において、いわゆる保守派論客は
退位に明確に反対したという。

どこのマスメディアによる世論調査でも9割前後が
生前退位に賛成や容認としている中、
それぞれの専門や立場があるとはいえ、
「生前退位に反対すること自体」、私にはトント理解できない。

反対とは何か?そもそも「反対」は「あり得るのか?」と。

不謹慎な言葉を敢えて使えば、反対するということは、
畏れ多くも、天皇陛下に対して死ぬまで働け!
と言っているに等しい。
反対している人達には「では、あなたたち自身は死ぬまで
働くんですか?」と問うてみたい。
 すると答えるだろう。「私(たち)とは立場が違う」と。
しかし、生身の人間という点では同じであり、
社会人として任務を有するという点では同じだ。

おそらく反対する人達にとっては、
天皇という機関、制度、歴史に関心があるだけで、
明仁陛下ご本人には関心が無いのではないか。
明仁陛下のご体調よりも、天皇制自体が大事だと
思っているのだろう。

そうした考えの人々には、論理的是非よりも、
「それって、日本人(の心)として、どうなんですかね?」
と問いたい。

オペラ 白狐~東京初演公演を聴いて

菊地美奈さんが出演されるので、興味を持った上演。
岡倉天心が1913年にボストンで執筆した英語の
オペラ台本“The White FoX”に、
没後100年&生誕150年を記念し、
「妙高市文化ホール30周年記念事業」
 ~公益財団法人 妙高文化振興事業団の委嘱作品
として、平井秀明氏が翻訳・台本・作曲し、
2013年12月1日に同ホールで初演された作品。

妙高市でハイライト版により2014年、2015年に継続上演
され、今年9月の茨城でのハイライト版に続く、
東京初演(全幕・演奏会形式)となる上演を、
豊洲文化センターで聴いた。

父がチェロの平井丈一朗さん、
祖父が作曲家の平井庸三郎という平井秀明さんは
近年、ウィーン国立歌劇場や、アメリカ等での指揮活動も
めざましいようだ。

原作=岡倉覚三(天心)

翻訳・台本・作曲・指揮=平井秀明

コノハ;葛=菊地美奈(ソプラノ)

保名=猪村浩之(テノール)

悪右衛門=豊島雄一(バリトン)

乙女;狐の妖精;巡礼の女=村元彩夏(ソプラノ)

狩人;巡礼の男=大塚康祐(テノール)

踊り=東 由希子(ダンサー)

白狐室内アンサンブル
ヴァイオリン(コンサートマスター)=小山啓久
フルート=斎藤 碧
オーボエ=船津美雪
クラリネット=倉内理恵
ピアノ=木村裕平

合唱=平井秀明オペラ合唱団、妙高白狐倶楽部合唱団

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歌手の皆さんは素晴らしかったが、
作品は拍子抜けするほど、歌謡調のメロディと単純な和音の
連続で、いわゆる「ゲンダイオンガク」的な響きは皆無だった。

気恥ずかしいくらい、単純な旋律と和音の連続なので、
私は退屈してしまったが、
ご年配者の多いお客さんは楽しんでいたようなので、
それはそれで良かった。

新国立劇場での村松禎三さんの「沈黙」という難しい
ゲンダイ作品も立派で、それをキチンと聴く聴衆も貴重だし、
こうした単純な作品を楽しむ聴衆もまた大事だと思う。

それにしても、この時代にここまで単純に100分くらいの
作品を創るということ自体に、
ある種の大胆さと時代の変化を感じる。

専門の作曲教育を受けた千住明さんや、沼尻竜典さん
なども、ここ数年書いている作品はとても単純明瞭な
和音とメロディのものなので、時代は完全に
無機質な作品ではなく、そうした単純和音の作品を求め、
作曲家もそうした路線に定着した感がある。

合唱団は平均年齢が高く、合唱経験が豊富な人は
少ないかもしれない、という印象を受けた。
平井氏や作品を慕う気持ちは感じられたので、
あとは合唱技術としての精度を高めていく必要が
あるだろう。

少数の演奏は力演で見事。
ピアノの木村裕平さんは、
7月の加耒徹さんと長谷川忍さんのデュオコンサートで
知り、聴いたし、来年1月の千駄ヶ谷スタイルの公演でも
聴くことになるなど、今年縁があった奏者。

もう1人、ソプラノの村元彩夏さんも、
長谷川忍さんの関係で聴きに行った東京コールフェライン
の演奏会で初めて聴き、また彼女は
今年の日本音楽コンクール声楽部門で1位になるなど、
活躍が目覚しく、私もこの日、
菊地美奈さんの縁続きというかたちで連続して
歌声を聴かせていただき、
偶然だが2回拝聴することになり、
村元さんも今年、縁を感じたアーティストとなった。

2016年11月13日 (日)

練馬交響楽団 第64回定期演奏会

練馬交響楽団の第64回定演を聴いた。指揮は小森康弘さん。
会場は、同オケの本拠地でもある練馬文化センター。

練馬響は、入団条件として練馬区の在住か勤務者に限定し、
オーディションも行っているので、その点では「色」を持っている
団体と言える。オーディションをするくらいだから当然、
レベルは高い。
控えめに言っても「安定している」と言える。

しかも今回は下記のとおり、演奏曲にバルトークの
管弦楽のための協奏曲(以下、便宜的に俗称の
「オケコン」と言う)がある。

アマオケのプログラムに、「英雄の生涯」、マーラーの6番、
そしてこの「オケコン」がある場合、そのオケはハイレベル
であることが想像できる。
高い合奏力が無いと演奏できないからだ。
ちなみに私が所属するオケは残念ながら未だこの3曲は
演奏したことがない。

この3曲に「春の祭典」を加えてもよいが、
ハルサイは案外「勢い」でできるとも言える。
私が所属するオケでは岩城宏之さん指揮で「春の祭典」を
演奏した。
確かに「途中で止まってしまうかもしれない恐怖を初めて
感じた曲」で、とても怖い曲だと思ったが、
1つ1つの音や流れなどはむしろ「火の鳥」のほうが難しい
ように想える。

余談は以上として、演目は以下。

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1.ヴェルディ 歌劇「運命の力」序曲
2.グリーグ ピアノ協奏曲 イ短調 Op.16 ピアノ=中桐 望さん
3.バルトーク 管弦楽のための協奏曲 Op.116

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1曲目は良い演奏だったが、弦で出る運命の動機
「タララリィ(e-fis-g-h)」のHの長さがちょっと長い気が
した。そのため緊迫感の無いテーマ演奏となっていた。

終わり近くに出てくるヴァイオリンの3連符は難しい箇所
だが、とても巧かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2曲目のグリーグ。あらためて名曲であることを実感する。
コンサートに協奏曲があると、
それだけも特別な時間と機会である、とも強く感じる。

最近活躍著しい中桐望さんのピアノ演奏は、
叙情性に重点を置いたもの。全ての楽章の全てのフレーズ
において、レガートやエレガントさを感じさせるもので、
滑らかでソフトなタッチでの演奏に徹していたし、
落ち着いた間合い、堂々とした弾きっぷり等、
この曲を十分に引き込み、
自信を持っていることがよく伝わってくる演奏だった。

なお、この曲でホルンの1番を吹いた若い男性奏者が
とても上手かった。美しい演奏だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アンコールとして、
中桐さんはショパンの「英雄ポロネーズ」を弾いた。
7分を要する曲なので、アンコール曲としては長いが、
有名曲であっても生で聴く機会はそうそうあるわけでも
ないので、とても楽しめた。
この曲でもレガート、優雅さ、エレガントが常に在った。

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休憩後のバルトーク。
第1曲と第3曲の冒頭では、ほんのわずかだが、
コントラバスの音程で気になった部分もあった。
全曲において木管のブレンドがとても良い

第3楽章の62小節からのヴィオラのパートソロ、
第5(終)楽章の265小節からのセカンドヴァイオリンの
ハーフパートソロ演奏が良かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、この曲で気に入らないところが1つある。
第4楽章で、ショスタコーヴィッチの「レニングラード」を引用
して、そのテーマに対してトランペットや木管楽器などで
笑い飛ばす、例の有名なパロディの部分だ。
確かにオーケストレーション的にも目立つ、
ユニークな面白い部分ではあるが、
バルトークともあろうものが、あのような皮肉、揶揄という遊び
を入れるのは邪道で、ナンセンスな行為だと思う。
私はこの曲の中で唯一、あの有名な部分が大嫌いだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

終演後、何回かのカーテンコールの後、小森氏が、
ハンガリー(マジャール文化)と日本(人)との共通性
 ~姓名で姓が先に来る点~を挙げて言及した後、
アンコールとしてバルトークの「ハンガリーの風景」から
「トランシルヴェニアの夕べ」も
「日本的な部分もある」として演奏した。
初めて聴いた小品だが、とても美しい曲だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小森さんの指揮は、最初の2曲は「普通」に感じたが、
バルトークは余裕のある落ち着いた指揮で、
基礎力が高いこと想像できた。
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なお、コンマスのイスは黒イスだったが、チェロも全員そうで、
しかも位置がアメリカ型というか、指揮者の右、
客席側での演奏だったので、そういう点では
違和感はなかった。

また、コンマスの入場も、最近流行りの
「後から単独入場し、指揮者に先んじて拍手を受ける」
というようなナンセンスなスタイルはとらず、
他の団員といっしょに入場して、
チューニングに入っていったので、感じが良かった。

2016年11月12日 (土)

オペラ 後宮からの逃走

モーツァルトの歌劇「後宮からの逃走」を日生劇場で観た。
NISSAY OPERA 2016の公演で、私が観たのは12日の組。

指揮  川瀬賢太郎

演出  田尾下 哲

管弦楽 読売日本交響楽団

合唱  C.ヴィレッジシンガース

       11日(金)、13日(日)   12日(土)
太守セリム    宍戸 開        宍戸 開

コンスタンツェ  森谷真理       佐藤優子

ベルモンテ    鈴木 准        金山京介

ブロンデ     鈴木玲奈       湯浅ももこ

ペドリッロ    大槻孝志       村上公太

オスミン     志村文彦       加藤宏隆

なんといっても、コンスタンツェ役の佐藤優子さんが、
歌唱、セリフ、表情とも、囚われた女性の悲しみ、
困惑等がよく出ていて、とても良かった。
第2幕での有名なアリアの直後では、この日一番の
盛大で長い拍手と歓声を受けた。
やはりこの人はとても力量があると思う。

金山京介さんと村上公太さんは、似た系統のテナーで、
安定した歌声を披露。

しとやかで品の良いイメージのある湯浅桃子さんが
可愛らしく、コケティッシュな役柄を上手く演じ歌っていた。

オスミン役の加藤宏隆さんがとてもユーモラスな演技が巧く、
度々笑いを誘っていたし、歌声も充実していた。

歌わない役の太守セリムを演じた俳優の宍戸開さんは
堂々として立派。

演出は合理的でシンプルでなかなか良かった。

最近評判の森谷さんも聴いてみたかったが、
都合つかなかったのは残念。

トルコ人の太守に係る物語ゆえ、序曲からして
パーカスによる、いわゆるトルコ音楽の要素が盛り込まれて
いることでも知られている。

物語の内容も、「憎しみには憎しみを」とか、
「復讐には復讐を」ではなく、「許し」がテーマとなっている点、
こんにち的とも言える。

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11月30日日経夕刊~江藤光紀さんの批評で
佐藤さんに関する部分を記しておきたい。

「まず、コンスタンツェの佐藤優子が収穫だ。動きは硬いが、
 力のある中低音域から抜けるようなハイトーンまで
 ムラなく安定感があり、技術もしっかりしている。
 第2幕の「悲しみが私の宿命となった」から
 「どんな拷問がまっていようと」にかけての技巧的な
 アリアも迫力をもって聴かせ、ドラマを牽引した」

川久保賜紀さん&村治奏一さん~夜クラシック 文京シビックシリーズに登場Vol.10

文京シビックホールでは、2014年から
「本格クラシックホールで、一日の終わりに気軽に味わう
 極上の音楽。充実のアフターワークを提案する新シリーズ」
として“夜クラシック”というシリーズがスタートしている。

開演が19:30か20時とゆったりし、よって演奏時間は
90分から60分と短めで、料金も低く設定されているので、
勤め人には都合がよい。
しかも、小ホールではなく、大ホールなので、ゴージャス感もある。

2014年4月14日、仲道郁代さんのコンサートを第1回として
開始し、11月11日は、Vol.10=第10回目として、
ヴァイオリニストの川久保賜紀さんと、
ギタリストの村治奏一さんによるデュオ・コンサートだった。

演奏曲は以下のとおり

1.ドビュッシー 月の光

2.モリコーネ 映画「ニュー・シネマ・パラダイス」より

3.パガニーニ カンタービレ Op.17

4.パガニーニ 協奏的ソナタ イ長調 Op.61

 (休憩)

5.ギターのソロで、タレガ アルハンブル宮殿の思い出

6.バルトーク ルーマニア民俗舞曲 全6曲

7.ピアソラ オブリビアン(忘却)

8.ピアソラ タンゴの歴史 全4曲

アンコール ファリア スペイン舞曲

1は、ステージ上も暗くし、ギター周辺のみを明るくしての演奏。

2は大好きな映画のテーマ集で楽しかったが、
有名な短調旋律の歌の部分はもっと長く(演奏するアレンジ)
演奏して欲しかったと思う。

3と4だが、パガニーニがギターについても詳しく、
曲をたくさん残している、とは今回初めて知った。

3はヴァイオリンとギターまたはピアノによるものだが、
4は完全にギターとヴァイオリンのためのソナタで、
実に興味深かった。

後半は、5はプログラムにはなく、急きょ盛り込まれたもの
だが、言うまでもない有名な名曲で、とても嬉しい追加だ。

6も個性的な面白い曲
そしてピアソラのこれまたユニークな曲が演奏されたことが、
今回、一層実り在るコンサートたらしめたのだった。

2016年11月 9日 (水)

トランプまさかの勝利~保守化傾向の決定的現象

資本主義社会の牙城に、バーニー・サンダースさんが登場して
若者に支持された事が象徴していたように、
米国内の「格差」は「アメリカンドリームはもう無い。信じない」
という絶望を社会にもたらした。

1%の富裕層の総所得が、90%の人々の総所得の30倍。
学生ローンの総額は130兆円(1人あたり360万円)。
公立大学の学費が15年で2倍。

「中間層がいなくなり、富裕層と貧困層だけの社会となった」
と言われるアメリカ(日本だってヒトゴトではないが)。

資本主義に夢が無くなった米国社会。
グローバリズムはまかやかしで不幸をもたらす強引な現象だった
にせよ、またヒラリー・クリントンがウォーレン・ヴァフェットを
決起大会に呼んだ事に象徴される「特権階級の資本主義」
を具現化する既存体制と看做されたにせよ、
「移民は出て行け! メキシコとの間に国境を造る。
 強いアメリカを取り戻せ!」
というトランプ氏の主張と今回の勝利は、
日本を含めた多くの国に見られる保守主義、国粋主義の
台頭を決定する現象だ。

現実問題として、今後、トランプ氏は選挙戦で主張したことを
ことごとく裏切り、修正していかねばならない現実に
否応なく直面していくことだろう。

今回の彼の勝利が、米国内の人々の経済的不満の爆発現象
によるものとはいえ、「強いアメリカを取り戻す」を信じて
期待した人々が、いつか「トランプに対する失望」に
変わっていくときのほうが、よほど「怖い」感じがする。

2016年11月 8日 (火)

コンサートマスターの黒イス使用と後からの単独入場はナンセンス

フェイスブックの「クラシックを聴こう!」(通称「クラキコ」)
に、まず下記1を投じたところ、多くの賛同のほか、
実際に実施しているアマオケの人3人から
特に黒イスについて反論があった。

まずは、その基本たる1を述べる。

コンサートマスターの黒イスと個別入場の流行について


1.コンマスの後からの「個別単独入場について」

私のフェイスブックのウォールで、多くの演奏会を聴き、
親しい演奏家も多い75歳の男性が、
「いつからコンサートマスターが(団員がステージに揃った)
 後から1人で入場し、(指揮者より前に)拍手を受ける
 風潮になったんだ?!」

と怒りコメントを書き、私もそれに同調して、
「私もあれは批判的立場なので、そうした場合、
 拍手はしません。指揮者が登場したときだけに
 しています」と応じた。数年前のこと。

ここ10年位、プロオケだけでなく、アマオケまでそうした傾向
が顕著だ。むろん、そんなことはしないアマオケはある。
私が活動しているオケもその1つ。

プロもベルリン・フィルやウィーン・フィルなどの一流どころは
していなはず。シカゴ響など、お客さんが来場する中、
既にめいめいステージに出てさらっているから驚く。
格式張っていない。

ところが、日本のプロオケの多くが上記
「コンマス1人後から入場」が主流となり、
アマオケが偉そうに真似ている。

コンマスはむろん確かに重要な特別な存在である。
しかし、それはあくまでも団内の問題であって、
聴衆に示すことではない。
オケにとってはまずコンマスが重要だが、聴衆にとっては
指揮者が全てで、拍手を受ける栄誉も含めて、
指揮者が代表すればよいことだ。


2.コンマスの「黒イス=アップライトピアノ用イスの使用」
  について

時期を同じくしてかは不明だが、コンマス1人が
アップライトピアノ用の黒いイスを使用するオケが
プロアマ問わず増えてきた。
アマオケでさえ主流となっている感がある。

昔、私が活動するオケでも当時いた女性コンマス
(今は退団)が、それをやろうして、
客演された故・岩城宏之さんがリハ中に、
「偉そうだから止めなさい=皆と同じイスにしなさい」
と注意し、私は内心快哉を叫んだものだ。

黒イスの流行は、理屈では「座高が高くなるから、
団員全体からコンマスが見え易くなって良い」、だそうだが、
笑止だ。

実際オケの中で経験している者から言わせれば、
「大して(ほとんど)変わりないよ」、ということ。

最近聴きにいったアマオケもほとんど全てコンマスのみ
黒イスが置かれてあり、使用していたので、
見るたびにウンザリした。

なお、最近はチェロパート全員が黒イスで弾くオケも
プロアマ問わず増えてきた。
これは「カッコ付け」ではなく、利便性からなので、
理解できるし特に批判はしないが、
ただ見栄え的にはあまりよくない。
だいいち、そうせず、皆と同じイスで弾いているオケは多々ある。

というように、ここ数年、コンマスが「何か勘違いしている」
傾向を、私は嫌な思いで見ている。

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これに対して、いろいろ意見をいただいた事に対する
再度の私のコメントは以下のとおりだ。

皆様、多数のご意見ありがとうございます。
「クラキコ」には「音楽通」が多く、ご自身で演奏活動を
されているかたも多いので、
普段から疑問に感じていた事を問題提起させていただいた
次第です。

同じく感じていらっしゃるかたも多いことが判りましたが、
実際に黒イスや個別入場スタイルをとっているオケのかた
3名の方からの「反発」も興味深い反応でした。


  【黒イスについて】

聴衆として会場に行き、団員が入場する前のステージで
コンマス席のみに黒イスが置いてあると私は
「見ため的にも、みっともない」と感じます。
これには「カッコイイ」、「何も感じない」、
「別にどうでもいいじゃない?」とする意見があることは
承知しています。

また、アマオケでヴァイオリンを弾いている者としては、
私が活動するオケはコンマスも他の団員と同じイスを
使用していますが、角度で見え難いことはあっても、
高さとして見え難いと感じたことは一度もありません。

実際、海外国内の有名なプロオケでも、
全員同じイスで演奏しているオケはたくさん在ります。

演奏者は楽譜を見るので、指揮者やコンマスを四六時中
見ているわけではなく、要所々々を瞬時に見るだけですし、
それで十分なわけです。

「体格で小柄な人など、必要な状況もある」との
ご指摘は、なるほどな、と思うもので、
一概に全てを批判はできないな、と理解しました。

団員の中でちゃんとその意義を議論した上で決めた
スタイルなら、それでいいと思います。
ただ、コンマスが独断で使用している場合は、
その人の「勘違い」や思い上がりを否定できないかも
しれません。

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 【コンマスの個別入場=演奏開始前にお客様に
  2回も拍手をいただく是非について】

「反発」の中に、「音楽が大事だから、そんなこと気にしなくて
いい」との意見がありました。確かに音楽が大事、
それが全てでしょう。ならば逆に、

「なぜ黒イスを使ったり、いわんやコンマスが指揮者のように
 単独で入場して拍手をもらうのですか?
 そんな必要無いでですよね。
 本当に音楽だけのことを考えているなら」、

とも反論できるわけです。

本文にも書きましたが、コンマスは無論重要な存在で、
ある意味、指揮者より重要です。それはプロアマ問わず、
合奏経験者に共通した認識だと思います。

しかし、それはオケ内のことであり、聴衆にそれを
特別にPRする必要はないわけです。

本文冒頭に書いた、ご年配者は、
「なぜ指揮者に先んじてコンマスが単独入場する?
 (そうすることにより)なぜ2回も拍手しなければ
 いけないのか!」、
と怒り口調で書いていました。

私もそう思います。
少なくとも、そう感じている聴衆もいる、という点は重要です。
これは「狭量な意見」とは思いません。
音楽を聴きに来たお客様に、演奏開始前に2回拍手を
いただく必要があるのでしょうか?

指揮者への拍手1回で代表すればいいとは思いませんか?

「指揮者じゃない人が、なぜ指揮者に先んじてお客様
 から拍手をもらう必要があるのか?
 他の団員といっしょに入場すればいいだけのこと
 ですよね」、と思うのです。

「演奏開始前にお客様に2回も拍手をいただく是非」
について、演奏者側にいる人間としては、
再度考えてみる意義はあると思います。
「クラシックは敷居が高い」という声を考慮した観点からも。

先述のとおり、黒イスは「体格の問題」等での例外は
あり得るかもしれないと理解しましたが、少なくとも、
コンマスの単独入場は、どう説明しても、
「論理的で実利的な必要性は全く無い」と思います。

プロオケならまだ許せますが、
「アマオケがそれをマネする必要はないでしょう」
と思うわけです。

とはいえこれも、単に「流行だから」ではなく、
団内できちんとその「必要性や意義や理念」を相談して
確認したうえなら、まだよしとしますが、
「本当にそこまで考えてしていることですか?」
という観点からの問題提起と受け止めていただけたら
と思います。

いずれにしましても、ここまでの多くのご意見、
書き込みをいただきましたことに深く感謝します。

2016年11月 6日 (日)

白金フィルハーモニー管弦楽団 第25回定期演奏会~幻想交響曲

6日午後、白金フィルハーモニー管弦楽団の
第25回定期演奏会を東京芸術劇場で聴いた。
指揮は、同団の音楽総監督常任指揮者の汐澤安彦さん

演奏曲

1.ヴェルディ 歌劇「運命の力」序曲

2.ドリーヴ バレエ音楽「コッペリア」より
 (1)前奏曲とマズルカ (2)ワルツ (3)チャルダッシュ

 (休憩)

3.ベルリオーズ 幻想交響曲 Op.14

アンコール
アンダーソン 舞踏会の美女

今回初めて聴いた白金(しろがね)フィルは、
明治学院大学管弦楽団のOBOGによるオケとして
1992年に発足し、第1回演奏会を1993年2月に
行ったとのこと。

この日、所用で前半は間に合わなかったので、
以下は後半の幻想交響曲に関する感想のみとなる。

私が活動しているオケも大学OBによる団だが、
平均年齢は結構高いのに比べ、この団は
特に金管や木管では若い奏者が多い。
金管、木管のたぶん7割か8割は20代から30代と想われる。
そして後述するが、女性奏者もとても多いオケだ。


 幻想交響曲の演奏について

この曲はとても人気のある曲で、確かに第2楽章が
よく書けていると思うし、第3楽章と第5楽章はユニーク
だが、私は曲全体をあまり高く買ってはいない。
それでも、「ローマの謝肉祭」のようなショーモナイ曲に
比べれば、よくデキているとは思うが。

汐澤さんは第1楽章の主部のメリハリの良さ等、各所で、
振り慣れた曲であることが見てとれ、安心して聴ける内容
だったし、オケもとても優秀。

ヴァイオリンはとてもキレイで音程的には前から後ろまで
よく揃ってはいるが、人数~ファーストもセカンドも17人ずつ
 ~の割りには音量が弱いのが残念だ。
あまりよく聴こえてこない。

「幻想」ではティンパニは2人を要し、
第3楽章では4人が奏する場面もあるが、その2名は女性で、
とても上手く、特に第1ティンパニ奏者は優秀で、
例えば第3楽章の後半での強音では単に音量だけでなく、
鋭さ(と言っても決して鋭過ぎず)だけでなく、
音に色が在る、そういう音で叩いたのだ。素晴らしい。

そしてその第3楽章後半でのティンパニが4人で叩く場面も
全て女性。見た目的にも「圧巻」だった。
プログラムで見ると、パーカッションは6人中5人が女性だ。


この他にも先述のとおり、女性の活躍が目立つオケで、
ヴァイオリンは計34人中26人が女性、
ヴィオラは12人中11人が女性。オーボエが4人中3人。
トランペットも6人中4人、トロンボーンさえ7人中4人が女性で、
特にこのトロンボーンの女性占有率には
「時代は変わった」、という感慨を覚える。

私が学生のころから既に、弦だけでなく木管も女性が
多かったが、金管も少しずつ女性奏者が増えてきていた。

ホルンがまず目立ち始め、次いでトレンペットが続いたが、
徐々にトロンボーンも増えてきつつある、という感じだった。
弦でも女性コントラバス奏者が少しずつ増え出していた。
しかし、それでも、7人中4人のトロンボーン奏者、
というのは、これまたある種「圧巻」だ。

もっとも、以前、木管全員が女性というオケの演奏会を
聴いたことがあったけれど。

第3楽章でのコールアングレを吹いた女性奏者は
安定した落ち着いた演奏で、なかなか良かった。

なお、コンマスの男性はややキザな弾き方ではあったが、
しっかりとリードできる体の動きでなかなか良かった。

冒頭、曲自体の評価について厳しく書いたが、
それにしても、ベートーヴェンの第九の初演からわずか
6年ほどしか経っていない時期に書かれ初演された
ことに改めて驚く。
それも、ドイツやイタリアではなくフランスで、
という点も含めて。

第3楽章でのコールアングレの長いソロ、
4人の奏者が必要なティンパニ。
テューバが2人。ハープも2台。
終楽章でのあの圧倒的な印象を与える鐘の使用。
弦でもコル レーニョという特殊奏法の使用、等々、
用いられた楽器や奏法もとても斬新で革新的なものだった。


ところで、このオーケストラは年1回の定演とのことで、
最近は年2回のオケが主流だから、珍しいと言える。
他にも1つ、埼玉県にあるアマオケで年1回の定演の
オケを知っているが、そこを2回聴いた印象では、
集中力の点でマイナス面があるように想え、
親しい団員に「大変だろうけど、年2回にしたほうが
 レベルアップはすると思うよ」と話したことがある。

しかし、このオケはむしろ年1回に入念な練習と
圧倒的な集中をかけてくるオケに想え、
この1回1曲を聴いただけの心象ではあるが、
「年1回だけの定演」が良い結果をもたらしている
と想える。
逆に言えば、これだけのレベルで演奏できるのだから、
年2回行っても十分やっていけると思うのだが。

なお、アンコールはアンダーソンの「舞踏会の美女」
という柔らかな短い曲だが、パーカスも金管も
そのまま全員が参加できて、
手持無沙汰の人がいないアンコール曲、という点で、
好ましい雰囲気で終わった。

なお、私はコンマスが黒イスを使うこと、および
団員の後から単独で入場して来る事に反対です。
コンマスは特権意識を排しましょう。

2016年11月 5日 (土)

世界津波の日~あの日の音楽家たち

ウィーン・フィルのメンバーが来日の都度、東北被災地で演奏
していることをフェイスブックの「クラシックを聴こう!」サイトに
アップしたところ、わずか1日の間で、500を超える「いいね!」
をいただいた。
彼らは現地の子供らと交流などもしている。

今日11月5日は、日本をはじめ142カ国が共同提案し、
昨年12月に国際連合で制定した「世界津波の日」の初回の日
とのことなので、以下は、ごく一部だが、「3.11」と音楽家
について、思い起こしてみたい。

欧米では地震、津波というより原発事故を懸念して訪日に
待ったをかける政府が多かった。
特にチェルノブイリを経験しているドイツなどは危機感が顕著
だった。

 「ズービン・メータさん」
思えば「3.11」直後、来日中のメータとフィレンツェ歌劇場関係者は
フィレンツェ市からの帰国命令で帰国せざるを得ず、しかし、
留まりたかったメータさん自身は単身すぐ再来日し、4月、
N響とチャリティ第九公演をした。
ソリストの1人、メゾの藤村実穂子さんは、
「何かしたいと思っていたが、1人では(感情が高ぶって)
 歌えないのではないか?と迷っていたところ、
 ズービンが声をかけてくれたので嬉しかった」
と語った。


 「プラシド・ドミンゴさん」
マネージャー等周辺の猛反対を押し切って来日。
4月、私も聴きに行った満員のNHKホールで、
全員で起立して歌った「ふるさと」は忘れられない。

 「アンネ・ゾフィー・ムターさん」
来日を控えていたムターさんは、
「私は日本に行きたいが、ドイツ政府からストップが
 出ている。申し訳ないです」というコメントが
ジャパン・アーツのホームページに掲載された。
気持ちだけ十分。嬉しいコメントだった。

 「小川典子さん」
イギリス在住のピアニスト小川典子さんは、直後から
ロンドンのメディアに積極的に働きかけ、
チャリティ・コンサートを含め、支援を呼びかけた。

 「ベルリン・フィル、樫本大進さん、日下紗矢子さん」
ベルリン・フィル、そのコンマスの樫本大進さん、
ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団コンマスの
日下紗矢子さんら在ベルリンの音楽家たちも、
現地で早々にチャリティ演奏会を開催。

 「シンディ・ローパーさん」
3.11その日に来日。「私は歌うことしかできない」と、
キャンセルすることなく公演を続けた。
等々、もちろん他にも多々逸話があると思う。

  A氏
逆に、当時、新日本フィルの音楽監督だったA氏は
早々母国に帰国したので、オケメンバーとファンから失望
されたのだった。まあ、帰国命令が出ていたようだが。

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 「継続している音楽家たち」~プロアマ問わず
当時だけでなく、ウィーン・フィルの人々だけでなく、
日本人のクラシック演奏家でも仲道郁代さん、
小山実稚恵さんら定期的に今でもチャリティ・コンサートを
開催している人は結構いるし、ポップスでも八神純子さんら
多々いる。
むしろポップスや演歌歌手のほうが多いかもしれないが。

私が知っている合唱団(むろんアマ)は、毎年の
チャリティ・コンサートで集まったお金で「再生ピアノ」を届け、
現地で歌うなどの交流をしている。
これまで宮古市、釜石市、仙台市、名取市、大槌町、
岩泉町、田野畑村の老人ホームや託児施設等に寄付され、
「電子ピアノ」を石巻市の保育園等に寄付している。

これは、指揮者の前田幸康先生が、
「支援演奏会は1回だけで終わらしてはダメだ。
 少なくとも5年(5回)はやらないといけない」
という思いからももので、今年3月でその5回目は過ぎた
けれど、来年以降も継続される。

このように、当時はむろん、こんにちに至るまで、
プロアマ問わず、支援活動をされている人たちがいることを
忘れないでいたいものだ。

2016年11月 3日 (木)

ル スコアール管弦楽団 マーラー交響曲第6番 第41回演奏会

3日午後、ル スコアール管弦楽団の第41回演奏会を
すみだトリフォニーで聴いた。
指揮は冨平恭平さん

曲は

1.ラヴェル スペイン狂詩曲
  (休憩)
2.マーラー 交響曲第6番 イ短調

1996年8月発足の ル スコアール管弦楽団を私は
過去2回聴いている。
団名はフランス語「Le Square」とは
「(オープンな)広場」という意味で、音楽を演奏する者と
 聴衆が共に楽しめる場でありたい、という希望が
 込められた団名」、とのこと。

指揮者の冨平恭平さんは、二期会や新国立劇場のスタッフ
として副指揮、合唱指揮者、コレペティトゥア、等々を
長く務めてきた中堅で、関わったオペラはワーグナー、
ヴェルディ、モーツァルトら、邦人作品も含めて60作品
を超えるという活躍ぶりだ。
服部容子さんとのピアノデュオや歌手リサイタル伴奏も
含めてピアニストとしての活動も精力的にされている。

私自身は以前、冨平さんの指揮、
オーケストラ ハモンによるマーラーの交響曲第3番
を聴いたことがある。


今回のオーケストラの配置は今流行りの対抗配置で、
以前も書いたが、私はこの配置には賛成しない。
特にそうする効果を感じないのだ。それはさておき、

1曲目のラヴェルは、第1曲「夜への前奏曲」の開始ほどなく
のトゥッティや、第4曲(終曲)祭りの中に、
「ダフニスとクロエ」を連想するラヴェル独特の
ラヴェル・トーンが出てくるが、全体としては
ラヴェルにしては地味な曲で、
あまり面白みの無い曲。
オーケストレーションはともかく、エンタ性という点では、
彼にしてはあまり成功していない曲だと思う。

 休憩後のマーラー。

オケの演奏能力としては、先日のザッツ管弦楽団を
1回り上回る見事なデキだった。
私は過去2回、ルスコアールの演奏を聴いているが、
弦だけでなく、金管、木管も巧いので、
マーラーがとても様になる。

この日の第1トランペッターも第1ホルン奏者も
とても上手かった。

演奏全体では、冨平さんが全体的にゆったりとした
堂々としたテンポを設定したのがとても良かった。

第2楽章と第3楽章の順番の問題は私はこれまで
何度も書いているとおり、第2楽章がスケルツォ、
第3楽章がアンダンテのようが良いと思うが、
冨平さんは第2楽章にアンダンテ、
第3楽章をスケルツォとした。

アンダンテに入る前の長い沈黙も印象的だったし、
しなやかな演奏だが、「溜め」が少なく、
部分的には不満はあったものの、しっかりとした演奏。

遅めのテンポをとったスケルツォが特にユニークで、
そのことにより、この楽章の新しいイメージを創り上げて
いた感じはする。
興味深いアプローチだったし、演奏も良かった。

終楽章に至るまでオケもパワフルを維持していた。
ただ、一番最後のピッツィカートがやや強過ぎて
現世的な音がしたのは残念。
もっと「死んだ音」で奏したほうが良かったと思う。
この最後の場面はザッツ管弦楽団のほうが良かった。

終演後の拍手が起きるまでの間合いは、
ザッツ管弦楽団のときほど長くはなかったものの、
一定の間合いで拍手が起きた
 (フライングブラヴォーは無かった)点は良かった。
立派な6番の演奏でした。お疲れ様でした。

なお、私はコンマスが黒イスを使うこと、および
団員の後から単独で入場して来る事に反対です。
コンマスは特権意識を排しましょう。

2016年11月 1日 (火)

虚しい控訴~悲しい争い~大川小学校問題

東日本大震災の津波で死亡・行方不明となった
石巻市立大川小学校の児童74人のうち23人の遺族が
市と県に計約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、
10月26日、仙台地裁は、学校が裏山に生徒を
退避させなかった過失を認め、計約14億3千万円の
支払いを市と県に命じた。

これに対して、石巻市議会は控訴する議案を賛成16、
反対10で可決し、控訴される見通しとなり、
また宮城県も仙台高裁への控訴を決めたという。

  教師責任を問うことは酷なことか?
  「酷(むご)い」とは何か?

亀山紘石巻市長は控訴の理由を
「現場にいた先生に思い責任を負わせるのは酷だ」と述べ、
市議会議員からも、「地裁判決は亡くなった教職員に
責任を負わせる酷(むご)い判決だ」という声もあるという。

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だが、待ってほしい。それは「本当の理由か?」。
単に14億円の支払いに不満があるだけのことではないか?
それを安易に「死亡した教職員を擁護するかたちを装うことで、
自分たちの盾としていないか?」

なるほど教職員も10名亡くなっている。
それ自体は「津波の犠牲者」という点では同じだろう。
しかし、違う判断がなされていたら、そもそも死亡などの悲劇は
皆無もしくはもっと少数(嫌な表現だが)に抑えられていたかも
しれない、という点は看過できない。

そして、それを判断し、行動させたのは幼い小学生たちではなく、
大人たる教職員である。
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控訴側は「海岸から4キロもある学校への大津波と
その甚大な被害の予見は難しかった」という。
だが、それは幾つかの点で疑問を抱く。

①地震発生後、生徒を50分も校庭に待機させたままだった。

②「裏山に登りましょう」という声は一部の教員や
  駆けつけた父兄から上がっていた(にもかかわらず、
  教頭らは明確な判断をせず沈黙した)。
  その裏山には2分ほどで行けたのに、
  川辺に向かって生徒を移動させた。

③教員は10メートル近い津波が来ることをラジオで情報を
  得ていたし、午後3時30分ころ市の広報車が
  「津波が北上川の河口の松林を越えた」と学校に対し、
  高台への避難を呼び掛けていた。等々。

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学校=教職員の判断ミスは明らかで、
 「教職員も犠牲になったんだから、可哀そうでしょ。
  酷なこと言うなよ」で済むのか?
生徒を守ることは教職員の義務ではないのか?
「そんなこと」は任務外、指導外、義務外のことなのか?

確かに犠牲者は生徒、児童だけでなく教職員もそうだ。
だが、結果がどんなに惨たらしい事実として厳然と在っても、
生徒と教員は立場が違うという点を忘れてはいけない。

守る側と守られる側を一緒くたにしては、この世で、
義務とか責任とか使命とかが無意味になってしまう。
その点を忘れたり勘違いしてはいけない。

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これは「死者=教職員に鞭打つこと」では決してない。
そういう情緒的な問題ではない。
子供たちを守れなかった事を、
その無作為を含む原因や責任を、
「亡くなった教職員だって可哀そう」という言葉でもって
覆い隠し、曖昧にしては今後においても
何の教訓にもならないし、
児童の遺族は到底納得できないはずだ。

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仮に~万が一にも、と言ってもよいが~今後、
二審=仙台高裁で逆転判決が出た場合、
市や県は「良かったね」などと胸をなで下ろすのだろうか?
「虚しい勝利」を目指そうとするのはなぜだろう?
その真の理由は何だろうか?

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