« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »

2016年9月28日 (水)

澤江衣里さん&渚 智佳さんジョイント・リサイタル~シューマン「溢れる詩情と幻想」

ソプラノ歌手 澤江衣里さんが
ピアニスト 渚 智佳(なぎさ ちか)さんと
「シューマン 溢れる詩情(ポエジー)と幻想(ファンタジー)」
と題して、オール・シューマンのプログラムによる
ジョイント・リサイタルを大泉学園ゆめりあホールで
開催された。

後半に通常は男声により歌われる「詩人の恋」を
女声歌手が歌ったこともあるかもしれないが、
いつも書いている澤江さんの「温かな声」に、
今回はある種「客観性」ということを感じた。

といってもそれは「クール」という意味ではなく、
万人に対してというより文字通りサロン風な
コンサートとしての個対個というような「語り」が
ベースにある丁寧な、しかしいつもながらの
温かで気品のある声によるアプローチ、
という意味で用いたい。

初めて聴いたピアノの渚さんはとても素敵な奏者。
タッチが柔らかく1つ1つの響きを常に大事にして、
1音1音を温めて弾いていくような、
音を常に慈しんで弾いているようだった。

派手でも地味でもなく、上質な布や羽毛を想わせる
ような和音をつねに創ってゆく。
久しぶりに「この人のピアノのレッスンを受けてみたい」
と想わせてくれる素敵なピアニスト。

よって、澤ちゃんの慈愛ある声にとてもよく合っている
と思った。
今後何度でもこの2人でのコンサートを聴いてみたい。

曲目
1「ミルテの花」Op.25より「献呈」「蓮の花」「ズライカの歌」

2「リーダークライス」Op.39より「森の対話」「月の夜」

3「ウィルヘルム・マイスターからの歌曲と歌」Op.98aより
   「あの国をご存知ですか?」

4ピアノ独奏で 幻想小曲集 Op.12 全曲(8曲)

後半
5「詩人の恋」Op.48 全曲(16曲)

アンコール
1ピアノ独奏「トロイメライ」
2「君は花のよう」

2016年9月27日 (火)

青い風~砂川ご夫妻によるフォークデュオの魅力

青い風フォーク喫茶 第9回~久喜市ライブカフェ「ヴィオロン」
9月24日開催

まだ9月だが、私にとってここ数年これを聴かないと年を越せない感があるのが、砂川ご夫妻のフォークデュオ「青い風」だ。

今回も第1部は「ヴィオロン」に来場した60人ほどの客といっしょに歌うコーナーで開始。
曲は「あの素晴らしい愛をもう一度」、「さらば青春」、
「ふれあい」、「サボテンの花」、「小さな日記」、
「知床旅情」、「五番街のマリーへ」、「神田川」、
「乾杯」、「遠い世界に」

ほぼ全員は私より年上と思われる男女で、
全員「普通に」歌い慣れているように自然に合唱として
歌うのが素敵だ。
合唱団による合唱も素敵な音楽。
こうした集いでの「合唱」も素敵な音楽。

第2部は「青い風」のステージで、学生時代から(社会人時代は奥さんが教員だったこともあって中断していた時期が長かったが)ギターだけで歌ってこられた2人が、初めてキーボードを用いての「思い出のグリーングラス」ほか、素敵な歌声を聴かせてくれた。

オリジナルの強さ熱さ
砂川ご夫妻によるフォークデュオ「青い風」はいろいろな曲を歌うが、2人が学生時代から作詞作曲されてきている多くの作品を歌うとき、やはりそれは「人の作品」とは違った趣を呈し、来場者は更に一層聴き入ることになる。
この日歌った「ロンリーナイト」、静香御前を歌った「静かなる」、「珊瑚の島」にも独特の色合いが加わった。
それは、奥様の音域に必然的にピッタリの調性で書かれていることや、何より作詞の段階において、ご主人の、そしてお2人の熱い思い入れが直に伝わってくる曲想であることが「オリジナル作品」に内在する「強さ」であり、オリジナル作品を歌うときの充実感が、聴く者の感情に心に直に入ってくることに他ならないからであろう。
「青い風」が他のフォークデュオと大きく違う点は、この「オリジナル作品」を持っていることにあると思う。

2016年9月26日 (月)

学習院OB合唱団 演奏会

自分が出演した演奏会はオケでも合唱でも極力書かないようにしている。
ともすれば自画自賛的、自己満足的な感情の表明で終わりがちになる「危険」を伴うから。

それでも23日夜の学習院OB合唱団の演奏会は終演後の評判は良かった。
とはいえ、私はやはり川口リリア音楽ホールの豊かな残響の音響に助けられた点が大きいと思う。

これは自己否定でも自己批判でもない。
もちろん個々団員の少しずつの成長は土台に在る。
そしてそれは杉村(永澤)麻衣子先生という稀代の名ボイストレーナーの指導の成果に他ならない。

学習院大卒で音大は出ていないが、長年、多数の合唱団で愛され認められてきた斎藤令(つかさ)氏のユーモアある、しかし史実やラテン語への造詣に基づき加えて自身大変良い声で熱意を持っての指導の成果でも当然ある。

そして今回は、若くして欧州で評価の高いオルガニスト石丸由佳さん、トロンボーンで長年活躍してきている細貝潤さん、箱山芳樹さん、山道明広さん。そして、いつまでも若々しく麗しい声と外見のソプラノ山田英津子さん、アルトで温かい声の杉村先生、ピュアで凛々しい声のテナー神林紘一さん、前回のフォーレに続く出演で重厚で貫録あるイケメンバリトンの森雅史さんといった、揃いも揃った各名人の皆さんに共演していただいた結果としての大評判だったことは言うまでもない。

賛助の現役学生の皆さんを含め、ご出演、ご協力いただいた皆様に深く感謝します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ホールも楽器、は真実~川口リリア音楽ホール
ウィーン・フィルはそれ自体かけがえのないオケだが、楽友協会ホールの響きの素晴らしさが輪をかけてオケの音を一層グレイドアップしているだろうことは想像に難くない。
演奏会前日である22日夜、川口リリアの音楽ホールで合唱の練習に参加したが、まるで「別の合唱団?」かと思うほど、純然たる美しい合唱の歌声がホール内に響いた。杉村先生も「うまい合唱団に聞こえる」と団員を笑わせた。
確かに、小(中)ホールの中では、おそらく国内屈指の音響に想える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

学習院OB合唱団 演奏会~パイプオルガンの調べにのせて
日時&会場 9月23日(金)19時開演 川口リリア 音楽ホール
指揮=斎藤 令 オルガン=石丸由佳

第1ステージ ブルックナー「モテット」より(トロンボーン付の演奏)

第2ステージ パイプオルガン ソロステージ
 (1)バッハ 小フーガ
 (2)バッハ 最愛のイエスよ 我らここに集いて
 (3)ワーグナー ニュールンベルクのマイスタジンガー前奏曲

第3ステージ ブルックナー「テ・デウム」(オルガン伴奏版)
 ソプラノ=山田英津子、アルト=杉村麻衣子
 テノール=神林紘一 バス=森 雅史

2016年9月25日 (日)

OPERAMANIA 詩人たちの愛と死~5人の詩人たちの肖像~杉並リリカ主催

杉並リリカ主催による
「OPERAMANIA 詩人たちの愛と死~5人の詩人たちの肖像~」
と題した豪華で充実した長時間な公演を楽しんだ。

とにかく第1部の3組8人が終わった段階で既に1時間45分が経過しており、全ての終演は15分の休憩を挟んで3時間40分におよぶもので、その分とても充実した圧巻の内容で、新しい発見であるところの初めて聴いた歌手も含めて力演の連続だった。

杉並リリカの代表者のフランコ酒井氏が進行役を務め、
ピアノ伴奏は藤原藍子さんが行った。

まず、演目は以下のとおり記し、感想を後述したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 第1部

Ⅰ(1).チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」より
 1.私は死んでもいいの~大隅智佳子
 2.青春は過ぎ去り~及川尚志

Ⅰ(2).チャコフスキー 歌劇「スペードの女王」より
 3.時計がもうすぐ12時を告げるわ~大隅智佳子+及川尚志

Ⅱ.マスネの歌劇「ウェルテル」より
 1.お別れしなければ~もう1人!夫か
   ~鳥木弥生+岡田尚之
 2.遠く離れていた子供が予定より早く旅から帰れば
   ~岡田尚之

 3.手紙の歌~鳥木弥生

 4.オシアンの歌~鳥木弥生、岡田尚之

Ⅲ.プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」より
 1.(1)冷たい手を  ~小笠原一規
  (2)私の名はミミ ~安藤赴美子
  (3)愛らしい乙女よ~小笠原一規+安藤赴美子

 2.私が街を歩くと~佐藤亜紀子
 3.それでは本当に終わりなんだね
  ~安藤赴美子+佐藤亜紀子+小笠原一規+山口邦明

 (休憩)

 第2部

Ⅰ.ジョルダーニョの歌劇「アンドレア・シェニエ」より
 1.ある日、青空を眺めて~笛田博昭
 2.胸像はそこね ~笛田博昭+野田ヒロ子
 3.祖国の敵~山口邦明
 4.母が死んで~野田ヒロ子
 5.愛の勝利~笛田博昭+野田ヒロ子

Ⅱ.ヴェルディの歌劇「イル・トロヴァトーレ」より
 1.穏やかな夜~山口安紀子
 2.炎は燃えて~小林由佳
 3.それでは、私は貴女の息子ではないのか?
    ~城宏憲+小林由佳
 4.貴女こそ私の恋人~城宏憲
  恐ろしい焚火を見れば~小笠原一規(城宏憲の代役として)

 5.聴いておるな?~山口安紀子+山口邦明

アンコール
オー・ソレ・ミオ
5人のテナー=及川尚志、岡田尚之、小笠原一規、
         笛田博昭、城宏憲

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
感想

第1部
この日の演目の最初はチャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」から
1曲目は、ソプラノの大隅智佳子さんによる「私は死んでもいいの」
大隅さんは高音での強さと、中音域での濃さの両方を併せ持ち、とても凄みのある、メゾに近い声質だと思う。
聴いていて「黒色」がイメージされ、「トスカが似合いそうだなあ」と
想像した。
素晴らしい歌手。

2曲目は、テノールの及川尚志さんによる「青春は過ぎ去り」は、
品の良い歌唱だった。

3曲目は同じチャイコフスキーの歌劇「スペードの女王」より、
大隅さんと及川さんによるデュオは迫力あるもので、見事。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次いで、出演者が変わってのマスネの「ウェルテル」から
1曲目の、テノールの岡田尚之さんとメゾ・ソプラノの鳥木弥生さんによるデュオは、哀しさとエロスさえ感じさせてくれる「大人なデュオ」で、素敵だった。

2曲目の岡田さんのソロは、1でも感じたことだが、声に若さと強さとナイーヴさがある「青銅のテナー」とでも言う様な独特の色合いがある歌声で、印象的だった。

3.次いで、鳥木さんのソロ「手紙の歌」は、迫力と繊細さと、いずれも在る大人な歌唱で、さすがの感がした。素晴らしかった。

4.二重唱「オシアンの歌」も、1同様、迫力ある大人なデュオで楽しませてくれた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前半の最後は、プッチーニの「ラ・ボエーム」からで、
1.最初はテノールの小笠原一規さんと、ソプラノの安藤赴美子さんによる歌。

「冷たい手を」での小笠原さんは初めて聴いた歌手で、とても「健康的なロドルフォ」という感じで個性的だった。
役的にとかく繊細にイメージされがちな役だし、そうした演出も多々あると思うが、それを払拭してくれたという点でも興味深く拝聴した。

「私の名はミミ」での安藤さんは、体格といい、声といい、もともとドラマティックな歌唱や役柄を得意とされている歌手なので、ここでもそうした、「弱々しいミミ」とは違う大きな歌唱、それでいて、繊細さもしっかり感じさせてくれる歌唱で素敵だった。

「愛らしい乙よ」での、最後の「アモール!」のハイトーンでは、
2人とも力強い声で歌い上げて、とても見事で素敵だった。

この場面では、ともすれば、どちらか1人の声は輝かしいが、もう1人は控えめに歌われる、あるいは1人の声量がやや足りないというシーンも過去に幾つか見てきたが、やはりこの場面は2人が「負けない」くらい、「競い合うかのように」歌うデュオこそ聴きたいので、この2人のデュオはそうしたイメージにピッタリの歌唱だった。

2.次いで、ムゼッタの「私が街を歩くと」をソプラノの佐藤亜紀子さんが歌った。
佐藤さんは「声そのものに色気がある」と思う。魅力的な声。
顔立ちも容姿も美しいので、ムゼッタがよく似合う。

そして、バリトンの山口邦明さんが加わっての四重唱「それでは本当に終わりなんだね」。
後述するが、山口さんは初めて聴いたが、「とても良いバリトン」。
私が好きなタイプのバリトンの声。

この前半終了まで、なんと1時間と45分が経過していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後半
休憩を挟んでの最初は、ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」より
1のテノール笛田博昭さんは初めて聴いた歌手だが、
凄い声量で驚いた。
少し粗かった面もあったけど、迫力満点で見事だった。
逸材だと思う。

2曲目は、ソプラノの野田ヒロ子さんと笛田さんのデュオ。
野田さんは初めてではないが、久しぶりに拝聴した。抒情的な歌声で、印象としてはメゾに近い感じの声。

3曲目「祖国の敵」での山口さんは、先述のとおり素敵な声のバリトンで、初めて聴いた歌手だが、こんなに良いバリトンがいたんだな、という「嬉しい発見」。

4での野田さんのソロは、2で書いたとおりの印象。

5は圧巻のデュオ。とにかく笛田さんの声量が凄い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この日、最後の演目はヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」より
1「穏やかな夜」を歌ったソプラノの山口安紀子さんは初めて聴いた歌手だが、とても個性的な声で、もしや好き嫌いがはっきり分かれるかも、と想った。

2のメゾ・ソプラノの小林由佳さんはオペラなどで何度も拝聴している歌手で、スケール感と内省的な両面のある素敵な歌手。この日もとても充実した歌声を聴かせてくれた。

3での、テノールの城 宏憲さんとのデュオも然り。

4での城さんのソロの先立ち、進行役のフランコ酒井さんが「今じつは城さん、カゼをひいていまして、1曲目のデキしだいで、2曲目を歌うかどうか判断する」との前振りがあった。

その1曲目「貴女こそ私の恋人」では、とても「カゼをひいている声」とは思えない見事な歌声だったので、2曲目も歌うだろうな、と思った。

城さんを初めて聴いたのは比較的最近で、この日は2回目だが、とても凛々しく豪快で「スター性」を感じさせてくれる人。

そして2曲目の「恐ろしい焚火を見れば」だが、再びフランコさんが登場して、「慎重を期したい」とのことで、急きょ、前半で朗々としたロドルフォを歌われた小笠原さんが「代役」として登場し、披露した。

小笠原さんは、たくましく明るいトーンの朗々とした高音が素晴らしく、歌い終わるやいなや、会場からはこの日一番ではないか?と想えるほどの大喝采を浴びた。
もちろん「急な代役なのに凄い」とう点はあるが、それとは関係なく、小笠原さんの実力をあらためて知ることができた、という聴衆の歓喜からの大喝采だったと想う。

もちろん、城さんが調子の良い状態のとき歌われても、きっと素晴らしい内容だったろうけれど、結果としてこの「代役」は「大成功」で終わった。

5.この日の最後は、山口安紀子さんと山口邦明さんの
「ダブル山口」による情感あふれるデュオで締めくくられた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アンコールは、5人のテナーによる「オー・ソレ・ミオ」。
1人1人が部分的に歌ってつなげていくわけだが、途中、小笠原さんや城さんが「オー・ソオ~オオ~オオ~オオ~」など伸ばして笑いをとりながら(城さん、歌えるじゃん!)、最後は輝かしいユニゾンで締め、大喝采のうちに終了した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

全体として

まずは、これだけの長大なプログラムを、たった1人でピアノ伴奏を務めた藤原藍子さんに心からの拍手を送りたい。
さすが、藤原歌劇団の正団員コレペティトールだ。

それにしても、ユニークな企画で、出演者も豪華だったが、あれほど長時間とは思わなかった。
その分、たっぷり堪能できたが、ご年配者にはちょっとキツイ長さかもしれない。
もっとも後半の途中で帰る人は少なかったが、入場者数自体が~こんなに素敵な内容にもかかわらず~意外と少なく、今後もっと知られて欲しい活動、企画ではあるが、これが超満員の状況となった場合、逆にこの長さにおける「妥当性」は意見が分かれるかもしれない。

これは余談というか、書いてよいか迷うが、一応書くと、最後の全員のカーテンコールの際、大隅智佳子さんが、生後まもない赤ちゃんを抱いてステージに登場されたのには少し驚いた。
もちろん可愛らしかったが、こうした行為が好ましいかどうかは意見が分かれるような気がする。
すなわち、「たいへんな家庭の状況なのに、ステージ活動を継続されて凄いな」、と思う反面、そうしたプライヴェートに関する事は、多くの聴衆にとっては「知らなくてもいいこと」であるのも事実だ。
否定はしないが、しかし、最もプライヴェートに関する事である赤ちゃんのお披露目を、自分だけのリサイタルならまだしも、ガラ・コンサートで行うことは控えたほうがよかったように想える。
大好きな歌手だけに、悪く言いたくないが、気になったシーンだった。

出演者の皆様、長い素敵なコンサート、お疲れ様でした。
ありがとございました。

2016年9月17日 (土)

東京コールフェライン 第31回定期演奏会

荒谷俊治さん指揮の東京コールフェライン
第31回定期演奏会を紀尾井ホールで聴いた。

直接的なきっかけは、ソリストの1人、
メゾソプラノの長谷川忍さんと懇意にさせていただいて
いるので、彼女からの情報によるが、
バリトンソロの加耒 徹さんとも最近直接面識を得たし、
テノールソロの望月哲也さんは「イル・デーヴ」のコンサート後の
サイン会で2回サインをいただいている、など、
ご縁のあるソリストが3名出演される、という事もあって
出かけた。

もちろん、曲も素敵な曲、ということもある。

曲と演奏者は次のとおり

1.ブラームス「ジプシーの歌」

  ピアノ=佐藤規子

(休憩)

2.ドボルザーク「スタバート・マーテル」

  ソプラノ=村元彩夏、メゾソプラノ=長谷川忍、
  テノール=望月哲也 バリトン=加耒 徹
  ピアノ=佐藤規子 エレクトーン=小倉里恵


初めて聴いた合唱団だが、ソプラノが14人、
アルトが15人、テノールが9人、バスが19人と、
テナーがやや少ないながら、各パートの人数バランスが
比較的良いし、雰囲気もアットホーム的な感じが
よく伝わってくるコーラスだった。

テナーが人数的にやや少ないと言っても音量的に十分
だっただけでなく、明るく柔らかいソフトなトーンという
一番魅力的なトーンを聴かせてくれていたのがテナーパート
だったことはぜひ言及しておきたい。
例えば、「ジプシーの歌」の第7曲や、第8曲。

ソリストは4人とも格調高い歌唱を聴かせてくれた。
特に長谷川さんによる第2曲や第9曲は印象的だった。
また、村元さんは初めて聴いたが、
常に微笑みを絶やさない人のようで、それはステージにおいても
そうだったのが印象的。
そういうソリストは珍しいかもしれないし、
曲によってはどうか、ということもあるかもしれないが、
とても好感が持てた。
声は直截的で、清潔感のある歌声。

リリックな望月さん、格調高い加耒も素敵だった。

なお、最近のエレクトーンはオケのような音が出るが、
この日もそれが有効に活かされていた。
当初は、エレクトーンは清水のりこさんが予定されていたが、
体調の関係か、小倉さんに代わっていたが、
小倉さんも抜群の名手で、
例えば第1曲や第10曲=終曲での、ティンパニの音による
クレッシェンドとディミヌエンド効果などを含めて素晴らしく、
本公演の成功に大変大きく貢献されたと思う。

アンコールとして、ブラームスの子守唄が、
ソリスト4人もいっしょに演奏された。

全体として良い曲による良い演奏会。
演奏が凄いとかなんとかではなく、
聴衆の誰もが聴いた後、楽しく嬉しく感じ、心が温まる、
そういう演奏会だった。

合唱団 るふらん~委嘱初演2曲を含む2016演奏会

1985年に栗山文昭さんの元で結成されたという
女声合唱団「るふらん」を紀尾井ホールで初めて聴いた。

栗山文昭さん指揮、同団委嘱による新作2曲の初演を
含む演奏会。

ピアノは浅井道子さん

後述するが、4曲目はクァルテット・エクセルシオが共演した。

曲目
1.三善晃 女声合唱のための「朝の羽ばたき」
     (1990年作品)

2.南 聡  女声合唱とピアノのための「春のマドリガル集」
          (2009年)

3.中村ありす An Episode from Taketori Monogatari
for Women’s Chorus (委嘱初演)

(休憩)

4.寺島陸也 女声合唱とピアノのための4つの歌
   「きれいな神様」(2009-2014)

5.信長貴富 女声合唱と弦楽四重奏のための
          「あたしとあなた」 (委嘱初演)


先に5は、今や合唱界でその名を知らない人はいない
信長貴富さんさが、2015年に出版されたばかりの
谷川俊太郎さんの新詩集「あたしとあなた」から8つの詩に
作曲したその名も「あたしとあなた」。

ユニークなのは無伴奏でもピアノ伴奏でもなく、
弦楽四重奏による伴奏という形態をとった。
演奏は有名なクァルテット・エクセルシオ。
でも、私は満足できなかった。

弦楽部分は1960年代から70年代にかけて見られた語法
を使用しているに過ぎず、弦楽四重奏が女声合唱を活かしたり
対決したり牽引したりフォローしたか? と言えば疑問で、
「るふらん」という極めてハイレベルな女声合唱団だから
音楽として様になっていたが、デキ自体は全く感心しなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3は、もう1つの新作、中村ありすさんが竹取物語を題材
とした「An Episode from Taketori Monogatari」は
高度でユニークな作曲技法を用いて面白かったが、
肝心の自身による詩としての語句語法がムダに
散りばめられている感がして、もったいないというか
統一性に欠き、何を訴えたいのか不明に想えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

他の演奏曲としては、三善晃さんの
「朝の羽ばたき」(1990年作)、
南聡さんの女声合唱とピアノのための「春のマドリガル集」
 (2009年作)、
寺嶋陸也さんの女声合唱とピアノのための4つの歌
「きれいな神様」(2009、2014年)が演奏された。

南さんと寺嶋さんの作品もあまりパッとしない感じがした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても、栗友会を構成する各合唱団は
1人1人のクオリティが高く、この女声合唱団「るふらん」も、
どんなに半音が重層にクラスターのようにぶつかるところでも、
1人1人が完璧に音程をとり、美しい響きで歌える力量に感服
した。

2016年9月12日 (月)

田中彩子さんソプラノ・リサイタル 紀尾井ホール

田中彩子さんソプラノ・リサイタル紀尾井
 ~守ってあげたい本能をくすぐる繊細な個性

昨年に続き、ウィーン在住のソプラノ歌手 田中彩子さんが
紀尾井ホールでリサイタルを行った。
ピアノ伴奏は作曲家 加藤昌則さんが担ったが、
後述するように、日本語が「たどたどしい?」田中さんにとって、
加藤さんがMC担当も兼ねての秀逸なフォローしたので、
この人選は最適だったと思う。

終演後のサイン会では昨年以上の聴衆がならんだ。
目算だが200人はならんだと思う。
ウィーン在住で主に欧州で歌っているが、
CDだけでなくフォトエッセイを出版、
TBS「情熱大陸」出演もあってか、確実に国内のファンを
増やしている。

それは典型的美人いや稀に見る美形なのに、
話す地声幼い声なので驚かされたり、
もはやドイツ語が母国語に近い状態ゆえ、
日本でのステージ上でのトークの覚束(おぼつか)なさ、
危うさに聴衆は一瞬戸惑いを覚えるが、
結局ステージでの歌声と流麗さとのギャップに魅了され、
「守ってあげたい」感を老若男女問わず
聴衆に抱かすためなのかもしれない。


華麗なるコロラトゥーラとウィーンの調べ

1.モーツァルト 鳥たちよ、毎年 K.307

2.アーン クロリスへ

3.フランス民謡 キラキラ星変奏曲

4.ピアノソロ ドビュッシー アラベスク第1番

5.モーツァルト ラウダーテ・ドミヌム

6.フロトー 歌劇「マルタ」より「夏の名残の薔薇」

7.モーツァルト 歌劇「魔笛」より夜の女王のアリア

 (休憩)

8.J・シュトラウスⅡ 皇帝円舞曲

9.レオポルド・モーツァルト 貧しいなりの満足

10.フリース モーツァルトの子守唄

11.フランク・クサーヴァー・モーツァルト ため息

12.シューベルト アヴェ・マリア

13.ピアノソロ 加藤昌則 NHK-FM「鍵盤のつばさ」テーマ曲

14. J・シュトラウスⅡ ウィーンの森の物語

15.サウンド・オブ・ミュージック

16. J・シュトラウスⅡ 春の声

アンコール
エーデルワイス
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一定の音域以上での自在で軽やかな声、
美しく繊細なガラス工芸品のようなある種の危うささえ
孕むかのような個性的な質感の声。

美点秀逸な点とともに、現時点の弱点も隠さず
素直に楽しみながらステージから客席に声を投じる。

10数年間のドイツ語圏での生活から丁寧語での
舞台挨拶の幼さ、ぎこちなさを、国内7カ所でのツァーで
ピアノ伴奏を受け持った作曲家 加藤昌則さんが
MC担当も兼ねての秀逸なフォローをしてくれたことで、
聴衆を一層楽しませた。

なお、7公演中、4公演は事前にソウルドアウト
状態(だった)という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後の「春の声」はおそらく彼女が最も得意としている曲
の1つで、正に独壇場。本当に上手く素敵。
「サウンド・オブ・ミュージック」からテーマ曲や
アンコールでの「エーデルワイス」も美しく魅力的。

シューベルトの「アヴェ・マリア」は
情感や艶を出すことよりも、ひたすら誠実に歌うことで
独特の哀愁感、孤独感さえ出ていて個性的だった。

「魔笛」からの「復讐」のアリアは、軽々と声が出てしまう
ことがかえって迫真さと緊迫感を削いでいる感じがした。
課題と言えると思う。

個性的な「守ってあげたい系の美形歌手」の
今後の成長が楽しみだ。

終演後のサイン会では、「フェイスブックでお世話になっている~」
と挨拶する前に、「お疲れ様でした」とサインしていただく
最新フォトエッセイを差し出した瞬間、
彼女のほうから「あっ」としてすぐ気付いてくれた。
もちろんちゃんと
「フェイスブックで友人になっていただいている伊藤です」
と挨拶したが。

2016年9月11日 (日)

トリスタンとイゾルデ 二期会公演

トリスタンとイゾルデ~偉大な作品だが第3幕に問題有り

11日午後、「トリスタンとイゾルデ」の二期会公演を
東京文化会館で観、聴いた。

歌手の皆さん、特にイゾルデを歌った池田香織さんは
本当に素晴らしかったし、演出も含めて第2幕までは充実した内容
だったが、第3幕自体が乱雑に書かれているので、
私はこの作品を聴くたびに第3幕でガッカリし心が折れてしまう。
まるで第3幕は別の人が書いたように感じる。
むろん、「愛の死」は素晴らしく、唯一別格だが。

もし、目の前にワーグナーさんがいたら、
恐れ多く恐縮しながらも、正直にこう直言するだろう。

 「第3幕は、「愛の死」を残して他の部分は
  全て書き直したほうがいいですね」、と。

世の中には、ドボルザークやチャイコフスキー、プッチーニ
などによる素敵な曲が多々在るが、
音楽史的に記念碑的な、エポックメイキングな曲というと、
限定的に言及はできると思う。

例 えば、バッハの「マタイ受難曲」、
モーツァルトの「魔笛」、
ベートーヴェンの第九交響曲、
ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、
ストラビンスキーの 「春の祭典」、
マーラーの第九交響曲、
ベルクの「ヴォツェック」等。

そしてその中に加えなければならいのが、
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」だ。

いわゆる「トリスタン和音」は初演当初からしばらくは
専門家も聴衆も困惑させたというが、現代の耳からは、
少なくとも技術的な面からは、特別斬新なものとは
思えなくなっている。

しかしそれでもなお、こんにちにおいても確かに魅力的なのは、
あのいつ終わるとも知れない流れ、和音進行が、
とてもエロティックであり、退廃的なためだろう。

物語にナンクセを付けることは無論 容易(たやす)い。
例えば、
「媚薬で恋に堕ちる、そういう恋って、どうなんですかねえ?」と。
しかしこれには、
「その不道徳さ、不健全さこそが、この作品を魅力的にしている
 のだ」と反論することはできるだろう。
あるいは、ワーグナーが嫌いな人からは、
男女の愛が希望へ向かうのではなく、なぜすぐ「死」とか言って、
そっちに行きたがるか相当に不可解だろうし、
それはそれで まっとうな疑問には違いない。

「魔笛」はもちろん、「フィガロ」でさえ、明るい希望に向かって
物語りは開かれて行くのに、
なぜワーグナーはすぐ「死」と言 うのか?

困難から逃げてでも「希望」に向かえよ、とは全く健康な志向だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この作品に限らず、「タンホイザー」は典型だが、
男の女性に対するナルシスト的な男性本位的な
「崇(あが)め立てる」思いが充満している。

それをロマンティストと呼んでもいいが、
むしろ夢想的願望的空想、と言ったほうが近いように想える。

「タンホイザー」では二律背反に悩む、誰もが持ち合わせて
いるであろう単純な男の心理がそれでもうまく盛り込まれ、
描かれ、作品として成功していると思うが、
「トリスタン」ではその感情が中途半端に描かれている
ように想える。

前者でのヴォルフレムの問いかけ、説得に対して
抗い悩むタンホイザーは弱さを率直に表している分、
正直さが出ているが、「トリスタン」ではマルケ王の問いに
トリスタンが「その問いには答えられない」とする場面は
単純な「逃げ」であり、人間的魅力を感じさせないだけでなく、
作品(物語の進行)として中途半端に想える。

それでも、作曲のうまさは、例えば、
第2幕での明るい開始や、二重唱を遮るように、
マルケ王が登場するときとか、2幕のエンディングとかに
凄く感じるし、第二幕の有名な二重唱はむろん、
後述するマルケ王の嘆きの場面における、男の悲しみ、
哀愁はよく出てくるよう書かれている点はさすがだとは思うが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌手について
ワーグナーを歌える人は、たぶん日本ではまだまだ少ないか
と想像する。「あらかわバイロイト」では知る人ぞ知る、
こんなに歌える人がいるんだ、と驚くものの、それでも
イタリアオペラほど、歌手が豊富な状況とはとても言えない
だろう。

特に、歌う分量の多いイゾルデとなると、
そうとう限られるのではないか?

今回の池田香織さんは、
第2幕の有名な二重唱「夜のとばりを」は、繊細に始まり、
迫力をもって歌いきったし、全体的に敢然として際立っていて、
とても素晴らしかった。

池田さんを初めて聴いたのは2012年12月の
ル・スコアール管弦楽団が「大地の歌」を演奏した際で、
その後、2013年9月、
新交響楽団、東京アカデミッシュカペレ、ザ・シンフォニカの
3団体の合同臨時編成オケを飯森泰次郎さんが指揮した
プログラムの中で、「ブリュンヒルデの自己犠牲」を聴き、
立派なワーグナー歌唱を知っていたので、期待していたが、
期待に違わぬ、というより、期待を大きく上回る見事なデキ
だった。

他の歌手で、トリスタンの福井 敬さんは貫録ある歌と演技
だったが、第3幕でやや疲労を感じた。

マルケ王の小鉄和広さんが素晴らしかった。
終始、声と演技に風格があり、納得できる見事な内容。

ブランゲーネの山下牧子さんも充実のデキで、とても良かった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

演出はシンプを基盤としていたのは好ましい。
ひし形に突き出た形の舞台に一艘の小舟を置き、
幕により青だったり、緑だったりと色の変化を付けていた。
ヴィーラント様式を研究しつつ、独創性を出そうとしたのだろう。
なお、第3幕の演出については、下記別途とした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第3幕に関する批判~曲想と演出について
もし第3幕に「愛の死」が無かったら、
ひどく平凡な幕となったばかりか、
第1幕と第2幕の充実感を台無しにしたことだろう。

第1幕と第2幕で、せっかくあれだけ見事な展開を創って
おきながら、第3幕の稚拙さはそれらをぶち壊しにしている。

もし、目の前にワーグナーさんがいたなら、恐れ多く
恐縮しながらも、しかし正直にこう言うだろう。
「第3幕は、愛の死を残し、
 他の部分は全て書き直したほうがいいですね」、と。

「できそこないのプッチーニ作品」のように開始し、
「できそこないのマイスタジンガー」、
「できそこないのローマ語り」のような曲想が続く。

だいたい、コールアングレをあんなに長くだらだらと
使う必要がどこにあるのか?

イゾルデとブランゲーネがほとんど唯一登場しない
第3幕の前半は、男たちのジメジメした悔恨やら嘆き、
独りよがりや自己陶酔が続く。

イゾルデが登場するまで、ひどく退屈な時間が続くので、
我慢を強いられる時間帯だ。
この部分は要らない。
カットしても作品に影響が無いばかりか、
カットしたほうが作品を更に充実したものなる。

せめて、その後、トリスタンの死の直後に
イゾルデの愛の死が続くのならばまだ救い様があるが、
その間におけるマルケ王とクルヴェナールのやりとりは、
まるでドタバタ西部劇のようでお話にならない。全く不要だ。

大作曲家といえど、いったん途中の幕で一大クライマックスを
創ってしまった後だと、もう一度仕切りなおして
有機的な展開の幕を続けることは困難を伴う作業のようだ。

愛すべきプッチーニやリヒャルト・シュトラウスにさえ、
それを感じる瞬間がある。

演出は変わった要素が多々あったが、
敢えてその是非を問わない。
なぜなら台本自体が稚拙であるのだから、
演出すること自体に最初から難しさが存在すると
容易に想像できるからだ。

それでも、男性の衣服は不満だった。
幕を追うごとに「現代っぽく」なっていった。
マルケ王やトリスタン、クルヴェナールが
ジャケットを着る必要がどこにあるのか?

ひし形上に突き出したかたちでの小舟を置く舞台は
そのままだが、色が白地に墨をかけた様は
ユニークではあるが、殺風景な病室をイメージしてしまう。

以上です。

2016年9月 9日 (金)

映画 イングリット・バーグマン~愛に生きた女優

感想が難しいドキュメンタリーフィルムだ。
彼女の人生に興味がある人には「ぜひ観るといいよ」と薦めるが、彼女が出演した映画を詳しく知りたいと思う人には「観なくてもいいと思うよ」と答える。

私は後者だったので相当ガッカリした。

ドキュメンタリーだから、プライヴェートな部分が多いだろうことは想像はついたものの、想像を超えていた。彼女が残した膨大なホームムーヴィーを中心に構成され、それには 3人の夫とのことや、特に4人の子供たちへのインタビューが中心となる。

私は彼女に限らず、スター、アーティストのプライヴェートには全くと言ってよいほど興味が無い人間なので、進行していくうち退屈になってしまったほどだった。

それでも終わり近くの、同郷のベルインマン監督との意見のぶつかり合いに関する逸話はとても興味深かった。

思うままに生きた人生。1915年生まれでも幼いころの写真やフィルムがあることや、スウェーデン生まれという欧州といっても戦争の惨禍はほとんど影響の 無い環境で育った幸運さはあるが、洗練された欧州文化の中で育まれた人である事を強く感じる。
それでも3歳で母親が、13歳で父親が他界したので、孤独な生い立ちではある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼女が20代で成功し、若くして結婚し、プール付きの家を購入して夫と長女との3人で幸福な人生を開始したころの日本といえば、国民全体が貧しい状況にもかかわらず戦争に突き進もうとしていた時代だ。

映像や写真を撮られる側の仕事である女優だが、彼女は自分でも撮ることが好きで、先述のとおり、膨大な量のホームムーヴィーがカラーで残されており、それは最初の夫と長女ピアともそうだし、不倫、大スキャンダルとしてパパラッチだけでなく、ハリウッドを含む欧州のファンや映画、芸能関係者から袋叩きにあってもロッセリーニ監督と結婚し、一男二女を設けてからも、その家族との映像も変わらず多々残されている。

ロッセリーニと知り合う前には、有名な写真家ロバート・キャパとも恋仲となった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「10年ごとに私の人生は変わる。新しく始まる」と言い、
娘も「常にエネルギッシュ。でも謙虚でシャイだった」と言う。

「追憶」でアカデミー賞を得て、アメリカ映画界に復帰できたとき、「聖女から娼婦になり、また聖女に戻った」と自分を皮肉った。

女優としての仕事への飽くなき挑戦。それはときに子供たちを犠牲にしたが、残された手紙には仕事の事はほとんど書かれてなく、ほとんどが子供たちのことだったという。

再婚を繰り返しても、ずっと写真や家族フィルムを大切にして「残して」きた。それは自身の孤独な生い立ちの裏返しからの強い家族願望からのものだったのだろう。

「老い」に対しても「女優はいつまでも若くなければならない。しかし、舞台は客席が遠いからまだいいが、映画、映像は皮膚の衰え、シワまで映る」と繊細な思いを持つ人だった。
終わり近く、若いころの最も美しい頃の映像に続いて、老いて不安な眼差しでじっと正面(カメラ)を見る顔が映し出されたシーンは印象的だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

などと、ここまで書いても、私には「興味深く見たものの、彼女のこうしたプライヴェートのことは特に知りたいとは思わない」というのが私の結論だ。

それゆえ、冒頭に書いたとおり、感想が難しい映像記録であり、「彼女の出演、主演した映画よりも、彼女が歩んだ人生と家族の物語に興味がある人は、どうぞご覧になったら」、という域を出ない。
http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/16_bergman.html

2016年9月 8日 (木)

蓮舫さんに対する二重国籍問題はナンセンス~全く問題ない

蓮舫氏~「疑惑」って何ですか?
民主党のトップに誰がなろうとさほど関心はないが、蓮舫さんなら面白いと思う。

「二重国籍疑惑」とか書いている一部のバカメディアがあるが、仮に二重でも、国会議員にはなれないという定めは如何なる国内法にも存在しない。
マスコミはちゃんと勉強してから報じなさい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160907-00000557-san-pol

蓮舫さんが日本国籍を持たないなら別ですが、有していて、税金を納めて、選挙権も被選挙権もこれまで行使してきた事実は重い。
ここへきて二重とか、私に言わせたら「何を今更」です。最初に立候補した時点で問題にしなさい、というところ。

特にファンではないが、偏狭な排除なナシヨナリズム的攻撃が許せないので一応フォローする

蓮舫さんの国籍に関するNNN(日テレ系)のアンケート結果

1そもそも最初から問題にするようなことではない・・・31.7%
2日本国籍を持っているのだから、問題無い・・・・・・30.4%
3最初の説明と違っていた点は問題・・・・・・・・・・15.5%
4二重国籍が問題である・・・・・・・・・・・・・・・14.6%

なぜ、14.6%程度というマイナーな見解がマスメディアを騒がせたのか?
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160918-00000031-nnn-pol

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

国籍法
昭和60年1月1日前(改正国籍法の施行前)から重国籍となっている日本国民
昭和60年1月1日
現在20歳未満の場合
→ 22歳に達するまで
なお,期限までに国籍の選択をしないときは、
その期限が到来した時に日本の国籍の選択の宣言をしたものとみなされます。

余談
「玉木、泣くな」と一喝した蓮舫さんは正しい
そのとおり。男が政治ごときで泣くな、みっともない。芸術や恋愛で泣くなら許すが。
逆に言えば、芸術や恋愛で泣けない人には芸術は不要だ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201609/CK2016090802000122.html

2016年9月 4日 (日)

ユジャ・ワンが弾くハンマークラヴィーア     ピアノ・リサイタル~神奈川県立音楽堂

ユジャ・ワンが弾くハンマークラヴィーア~アンコールは5曲~握手もしました

世界中のどこのホールでも満杯にできるピアニストはある程度限られているが、1987年に北京で生まれたユジャ・ワンはその1人だ。

4日、神奈川県立音楽堂でリサイタルを聴いた。
会場では「本日の公演は、出演者の強い意向により、曲目が一部変更になる場合がございます。予めご了承くださいますようお願い申し上げます」という紙が用意されていて、彼女の個性、演奏会での特性は既に周知されている。

そして実際、演奏会前のホールからの諸注意事項のアナウンスに続き、前半に予定されていた曲が全て変更される旨のアナウンスがあり、場内はザワついたが、その「ザワつき」は、やっぱシューマンだよね、と変更された曲を喜ぶ人や、予定されていたスクリャービン、ショパン、グラナドスを聴きたかった人たちの軽い失望とが混じったものだったかもしれないが、いずれにしても、「やっぱ変更(があった)か。ユジャらしいね」、と主に好意的な感情が強いものだったと想像する。

青澤隆明氏がプログラムに、
「何を弾くかだけでなく、どう弾くか、作品と演奏の一体となった成果がコンサートの醍醐味だから、本当はピアニストがそのとき弾きたい作品を届けてくれればよいのだと思う。特にユジャ・ワンの場合は、たった今、舞台に立つその時点で一番彼女の情熱が向かう作品であるほうがいい」
と書いているが、全面的に同意賛同する。

そして黒系統でいつもの軽量でファッショナブルな衣装と高いハイヒールで登場したユジャ・ワンが前半に弾いた曲は、シューマンの「クライスレリアーナ」全曲と、カプースチンという人の変奏曲op.41だった。

ユジャのタッチは鋭いものというイメージがあるが、「クラスレリアーナ」の第1曲の数小節間などは、例えばホロビッツのような鋭利さではなく、とても柔らかで滑らかなもので、良い意味で意表を突かれた感がある。リズミックな曲での躍動感、抒情的な曲での冷静な運びなど、常に愉悦感があって素敵だが、特別 煌(きら)びやかなトーンがあるというのではなく、案外オーソドックスな音色と運びだ。

休憩後、銀色系統の衣装に着替えたユジャが演奏した曲は、ベートーヴェンの画期的で巨大で偉大な曲、第29番「ハンマークラヴィーア」だ。

第1楽章など、フレーズごとを確かめながら慎重に弾いていく様な感じがして、ユジャでも緊張しているのか、とても丁寧に弾いた。

第2楽章の諧謔的に揺れ動くリズムや即興風な曲想は彼女にぴったりで、水を得た魚の如く素敵だった。

長大な第3楽章は、深遠な哲学性とか、ベートーヴェンにしては赤裸々なほどの感傷的旋律とか、第32番の第2楽章に通じるような静けさと祈り、などの様々な要素が含まれていて、技術というより、そうした場面ごとの弾き分けがとても大変な曲だと思うが、ユジャはじっくりと作品の中に入り込むような、それでいて場面での曲想の異なる性格をキチンと描き出していて見事だった。

第4楽章は特にアレグロのフーガでの果敢な推進力に、彼女の個性が漲(みなぎ)っていて聴き応え十分の力演だった。

アンコールが聴きもの
ユジャ・ワンのリサイタルに行く人の中では、本演奏もさることながら、アンコールで何をどういう風に弾くかが楽しみで足を運ぶ人も多いかと想像する。
1曲目はプロコフィエフのソナタ第7番から第3楽章。
2曲目はラフマニノフの「悲歌」op.3-1。
3曲目はカプースチンの「トッカティーナ」。
4曲目はなんとショパンのバラード第1番。
 アンコールの4曲目に9分前後を要する曲を弾くなんて
 ユジャ以外にいないだろう。
 サービス精神が強いというだけでなく、弾いていて
 自身どんどん乗ってきて、次々と弾いてみたくなるかの様
 でもあった。

そして最後は、ユーチューブでも見れるモーツァルトのトルコマーチをヴィドスとファジル・サイがアレンジした版で弾き、大喝采によりコンサートを終えた。
その5曲目を弾いてソデに下がるとき、アイパッドを持って下がることで、これで終わりです、というのが判るから、聴衆から笑いが起き、ユジャ自身もニコやかにさがった。

なお、前後するが、前半の2曲目とアンコールの1から3はアイパッド楽譜をピアノの上に置き、しかしほとんど見ないで弾いていたので、置く意味はあまり無い様にも見えたが、彼女は律義に左手で瞬時にスイッチを押す(ページをめくる)ことをしながら弾いた。

演奏会開始前や休憩時間では、ロビーで販売されているCDに関して、「サイン会は行うかどうか未定です」としていたのだが、終演後、実施することになり、目算だが、300人くらいの人がならんだと思う。
私もサインしていただき、握手を求めると、ニコッとして応じてくれた。

アンコールでのポップで即興的な演奏を聴いていると、まるで「クラシックも弾くジャズ風即興エンタテナー」とか「古典も弾くポップな現代奏者」とか表現したくなる瞬間がある。むろんこれは批判ではなく、絶賛として言っている。こんにちにおいて、いや、古今東西、これまでいなかった全く個性的な奏者であると感じる。

ユジャ・ワンの演奏会のように満員の聴衆が「今、ここで生まれた演奏を楽しんでいる」とい共生感をこれほど感じさせてくれるピアニストは稀有だ。彼女を聴く事は、たんにその場での思い出では終わらない、圧倒的なまでの満足感を覚えさせてくれる。これからが益々楽しみなピアニストだ。

ランランとユジャ・ワン
2人とも特別大きな有名なコンクールなどには出ていない。
そんなものに興味を持つ以前に、現場である世界中のステージで弾き出し、多くの賛辞とファンを獲得してきた。こんにち最も個性的なピアニストである2人が、文化大革命で西洋音楽吸収は相当遅れたはずの中国から生まれてきたことはとても興味深い。恵まれたエリート環境からも天才は生まれてくるが、特別伝統的な土壌とか背景とかがなくとも突然変異の様に登場してくる天才もいる。2人は正にそうだと思う。

なお、当初予定されていた前半のプログラムを一応書いておく。
1.スクリャービン ピアノソナタ第4番 嬰へ長調 op.30
2.ショパン 即興曲第3番 嬰へ長調 op.36
3.ショパン 即興曲第4番 変ト長調 op.51
4.グラナドス「ゴイェスカス」op.11から
 (1)燈火(ともしび)のファンタンゴ
 (2)わら人形
1から3は嬰へ=変トで統一されているのが面白い。

さんまのまんまに辻井伸行さん登場      さんまが合コンを約束

9月3日放送の「さんまのまんま」に辻井伸行さん登場
 ~さんま合コンを約束

さんまが変に気をつかうことなく、
 「君、歌ヘタやな」 「カラオケ行けばうまいですけど」
 「そこはヘタでいいんや」、などのやりとりとか、

「風を感じるというと、かっこええと思って言ったんちゃう、おまえ」
「頑固やな、おまえ」みたいに、
いつもどおりベラんめえ調で突っ込んでいるのが、かえって良かった。

なお、辻井さんは音声ケイタイで友人と普通にメールしている、とのこと。

また、場の広さとか雰囲気で判る、との点は
 「ここはどう?」 「お客さんが30人くらい入ってまして」
 「ホウ。30人の中で美人は何人くらいいると想う?」
 「結構いると思います」
 「優しいなあ~、そういないよ」なども。

面白かったのは、浅田真央さんが好きとのことで、
さんまに「紹介してください」と頼んでいたことや、

特に傑作が、彼女が欲しい、ということで、
さんまが合コンの設定を約束したこと。

「合コンまでもっと痩せとけよ。女子アナ(とかは?)」
 「いいですね」と、辻井さんは本心から喜んでいた。

それでも、さんまが
「日本の宝、スターだから、やっぱ合コン設定は止めとくは。
 変な女紹介したら世間に何と言われるか」、というと、

「そんなこと言わないでくださいよ。
 せっかくさっきまで張り切っていたのですから」
 と焦っていたのが面白かった。

終わり近くでは、さんまをイメージした陽気な即興曲を披露。
続いてさんまが、「俺でバラードはイメージできへんか?」
とリクェストすると、じゃやってみましょう、と
弾いたその短めながらバラード風な曲が特に良かった。

さんまも喜んで、「これは武器、武器。合コン行こう」
とノリノリで終わった。
http://www.asahi.com/and_w/interest/entertainment/CORI2077477.html


9月3日放送の「さんまのまんま」に辻井伸行さん登場
見逃したかたに~もう映像で見れます
https://www.youtube.com/watch?v=2V9vwbORdZk


好意的な良い文ですね
http://www.soumushou.com/entry/2016/09/03/145159
http://www.oricon.co.jp/news/2077477/full/

トルーマンと軍部~衝撃的な原爆投下決定に関する真実

バリバラVS24時間テレビ

バリバラVS24時間テレビ

バリバラが24時間テレビにバトルを仕掛けた

障害者を感動ものとして描く放送について、嫌いだ、する人の比率
健常者…55%
障害者…90%

障害者を「勇敢なヒーロー」や「憐れむべき犠牲者」と描く事は侮辱的行為とも言える。

以下は、難しい問題なので、私の意見というより、いろいろなところから集約した記事の紹介としてのアップとさせていただきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
少し前の話になるが、8月27~28日に日テレで放送された毎年恒例の24時間テレビに対し、28日19時定時にEテレで放送された障害者の為の情報バラエティー番組「バリバラ」が、同じく障害者や難病患者にスポットを当てたチャリティー番組である『24時間テレビ』に挑戦状を叩きつけたと話題になってい る。
 (バリバラ自体は、最近も書いたので、そちらを参考にして欲しい)

24時間テレビでは、障害や難病を持つ人が、さまざまな難題に挑戦 する、などの「感動的」な企画を中心とており、今年も、下半身不随の少年の富士登山や、目や耳の不自由な生徒たちのよさこいなど、こうした企画が多数放送されたが、その2日目=最終日のエンド近くである29日(日)の19時が定時放送開始時間であるバリバラは、「検証!『障害者×感動』の方程式」と題し、「なぜ世の中には、感動・頑張る障害者像があふれているのか?」として、障害者が努力する姿で健常者に感動や勇気を与えようとする番組は、むしろ障害者のイメージを固定化してしまっていると問題提起する内容で24時間テレビの放送終了近くの時間帯にぶつけてきたのだ。

NHK広報局は「他局の放送とは関係ない」と事前のJ-CASTニュースの取材に応えていたが、
ゲスト出演した鈴木おさむさんやカンニング竹山さんなど健常者や、レギュラー出演者で障害をもつ玉木幸則さん(脳性まひ)や大橋グレースさん(多発性硬化 症)ら登壇者は、「愛は地球を~」ならぬ「笑いは地球を救う」と書かれた黄色いTシャツを着て(大橋さんは今年の24時間テレビにも出演しているので、そのTシャツを着て)、「なぜ世の中には、感動・頑張る障害者像があふれるのか?」、「メディアはどうやって障害者を伝えていくべきか?」を討論し、徹底検 証するとともに、「障害者を描くのに感動は必須か」「チャリティー以外の番組に障害者が出演する方法」などについて、視聴者もTwitterで参加した。

出演者のひとり、先天性四肢欠損症のある岡本真希さんは、「普通に生きているだけなので「感動の材料」にされたくない」とコメントしたが、これが核となっている。

感動的な障害者像」を再現したコーナーで、上記の大橋さんが出演するこのドキュメンタリー風映像では、立ち直ったきっかけを聞かれて「まあ時間が解決したみたいな」と、24時間テレビではありえない「普通なやりとり」や、BGMも24時間TVと似せるなどなど、そして放送最後に「サライ」を口ずさむなど、パ ロディ的要素による痛烈な皮肉で対抗的な放送をした。

また、車椅子のコメディアン・ジャーナリストで障害者問題を訴えてきた故・ステラ・ ヤングさん(享年32)のTEDでの生前のスピーチを取り上げ、「障害者は障害という悪に打ち勝ったヒーローではない、感動ポルノは障害についての考えを ゆがめてしまう」というヤングさんの主張を紹介した。

テラさんは、感動や勇気をかき立てるための道具として障害者が使われ、描かれることを、「感動ポルノ」と表現。「障害者が乗り越えなければならないのは自分たちの体や病気ではなく、障害者を特別視し、モノとして扱う社会であり、社会が私たちを特別視することは身体や病状よりひどい」と指摘した。
また、ステラさんは、「障害は悪いことではないのに、障害がある人を美談化する現実」を指摘し、それよってトクする人がいる、とも言っている。

いかにも「お涙頂戴」だったり、普通のことをしただけで褒めまくるような感動シーンで、障害者を持ち上げてみせる番組は、障害を持つ当事者の9割を不快にし ていたことを、同番組でアンケート結果として紹介し、感動ポルノに対して、当事者ではない健常者は鈍感だが、障害者の多くは嫌いだったと伝え、「バリバラ」は、はっきりと「24時間テレビ」を感動ポルノだと批判した。

反響
SNSなどでは放送前から「バリバラが24時間テレビにけんかを売る」と話題になっていたが、放送後も「最高に皮肉が効いている」、「単なる24時間テレビのパロディでも敵対でもなく、立派なメタ分析でありメディア批評」、「Eテレが本気出している」、「バリバラ攻めすぎでしょ」、「NHKやるなー。共感できた」、「ずっと考えていきたいテーマをもらった感 じ」と反響が続き、番組の報道姿勢を評価する声が相次いだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
24時間テレビで、これまでもあった批判としては、
「チャリティー番組なのに出演者にギャランティが発生するのは偽善だ」、「感動の押し売りのような内容に疑問を感じる」、「マラソンの意味がわからない」といった批判。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
24時間での意義や好意的な意見としては、
24時間テレビみたいなチャリティー番組があるからこそ、障害者や重い病気にかかっている人にも注目が集まるのでは?

募金を集めるパワーはあなどれない。昨年(2015年)は8億5672万8209円、一昨年(2014年)は9億3695万5640円、そして2011年の 第34回は東日本大震災緊急募金が含まれているものの、過去最高の19億8641万4252円もの募金が集まっている。

使い道は主に「地球環境保護支援」「福祉車両贈呈」「災害援助」「障害者情報保障支援・身体障害者補助犬普及支援」「東日本大震災被災地復興支援」。今年は熊本地震の復興支援も加わるのではないだろうか。
福祉車両贈呈は第1回放送より継続して行なわれ、これまで1万台を超えたという。

フェスティバルと称し「楽しくなければテレビじゃない」と27時間もぶっ通しでどうでもいい内容の番組を垂れ流す局とは、比較にならない社会貢献をしているといえるだろう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また「24時間テレビ的な障害者像を作ってきたのも我々大衆であるという視点は常に持つ必要がある」など、「感動ポルノ」を定着させたのはメディアだけの責任ではないという意見もある。

あるいは「障害者を特別扱いするな、という側面ばかりが強調されると健常者で作る社会の側は、じゃあ自分(たち)は何もしなくていいんだ、って開き直りに免罪符与えちゃう」と、障害者をどう取り上げていくべきかさまざまな意見がある。

« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »

ブログ HomePage

Amazon DVD

Amazon 本

最近のコメント

最近のトラックバック