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2016年8月31日 (水)

ベラ・チャスラフスカさんを悼む

ベラ・チャスラフスカさんを悼む
驚いた。本当に悲しい。
歴代女子体操選手の中で最も有名な、コマネチ以降のアクロバット時代に移る前、女子体操がまだ優雅さを競った時代の最後の大選手だった。

メキシコ五輪直前に起きたソ連のプラハ進行、結婚後は家族に起きた悲劇やそれに起因するだろう自己の体調不調等、政府との対決を含めて激動の人生だったと拝察する。

世界中のファンがあなたに哀悼を捧げるでしょう。
永遠の名花、さよなら
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160831-00000068-jij-spo


ベラ・チャスラフスカさんに捧ぐ~クチンスカヤの気持ちに寄せて
私は2007年2月11日付けでブログに「君はクチンスカヤを覚えているか? ナターシャに恋して」という文を書いた。
クチンスカヤの今でも忘れ難い可憐さに子供心をも揺さぶられたゆえ、懐かしんで書いたのだが、文の後段は彼女がライバルにして友人だったチャスラフスカさんについての思いを記したのだった。
後述のとおり、文の最後にこう書いた。

「ベラ・チャスラフスカとナタリア・クチンスカヤ。1960年代後半の女子体操界を、人気実力ともに文字通り2分した2人の「メキシコ後」の人生は、ある意味では対照的ではある。2人に間違いなく存在する友情と、国家を挟んでの微妙な感情は、東欧の歴史をそのまま表出させもする。ナターシャとベラは、再び会える日が来るのだろうか?それを心から祈りたい」

ナターシャは生前のベラに会えたのだろうか?

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以下はブログ文の抜粋;URL全文参照
メキシコ五輪大会の直前に、プラハの春の封じ込め策としてソ連軍がチェコに軍事介入。女子体操選手らはライバルとはいえ、五輪前までは仲良く話せる状況だったが、一変。
メキシコではチャスラフスカをはじめ、チェコチームの誰1人としてソ連チームに話かける人はいなかったという。

ナタリア・クチンスカヤ(以下、ナターシャ)は言う。
「私はベラをライバルと思ったことは一度もありません。尊敬すべき選手としてずっと敬意を払ってきました。テクニックもパワーも表現力も何もかも優れていた。私は彼女のことが好きなのに、メキシコのときは(ソ連のチェコ侵攻のことがあり)口をきいてくれなくて・・・」。
「どうしていいか判らなかった。彼女は政治にかかわる人で、私は違う人間なんだと思いました。でも、当時も私が嫌われたのだとは思いませんでしたし、今は彼女のあのときの気持ちが理解できます」。

メキシコ後、1986年にモスクワで開催された選手権で2人はともに審判員として再会し、短い立ち話しではあったが、やっと近況を語り合えたのだった。そして、その後、ベラに「事件」が起こる。

日本のテレビの特集ではあったが、ナターシャは単身プラハに行き、ベラに会おうと試みている。事件の判決直後ということもあったためか、ベラは誰とも会いたくないという心境にあり、このときは会えなかった。
「ベラ・チャスラフスカ~最も美しく」の著者、後藤正治氏が今はアメリカで暮らしているナターシャを訪ねた際、ナターシャは後藤氏に「ベラに会ったら渡して欲しい」として、夫と写る自分の写真を託し、コメントを添えた。
「愛するベラ。すっかりご無沙汰しています。私は今、アメリカに住んでいます。顔はこんな感じ。横にいるのが夫です。後藤さんと今、あなたのことなど、いろいろなお話をしました。お元気で。いつか会えることを楽しみにしています。 ナターシャより」
ベラ・チャスラフスカとナタリア・クチンスカヤ。1960年代後半の女子体操界を、人気実力ともに
文字通り2分した2人の「メキシコ後」の人生は、ある意味では対照的ではある。2人に間違いなく存在する友情と、国家を挟んでの微妙な感情は、東欧の歴史をそのまま表出させもする。
ナターシャとベラは、再び会える日が来るのだろうか?それを心から祈りたい。
http://susumuito.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/__f758.html

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「2020年は雲の上から手を振ります」~チャスラフスカさん~朝日新聞からの要約

うつ病から治り、東日本大震災の被災地も訪れた。
プラハの街を歩けば今でもサインを求められる人だったが、講演やイベントでも出演料は受け取らす、国から与えられた1軒家を人に貸し、その収入と年金で、6畳ほどのアパートの部屋に暮らした。数々のメダルはベッドの下の箱の中だった。

2020 年の東京五輪が決まった際は自国の事のように喜んだ。昨年、10時間に及ぶすい臓ガン手術。その後、肝臓ガンも見つかり、医師から余命宣告を受けていた。
2ヶ月前に会った朝日の記者には、20kg痩せた体ながら笑顔で「東京五輪は雲の上から日本の皆さんに手を振ります」と語ったという。

彼女のメルアドは「sakura1964@~~」。
1964年の東京五輪での来日以来、日本を愛し続け、また日本人を含む世界中のファンから愛された名花は逝った。

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