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2016年8月 9日 (火)

田中彩子さん~東京新聞 「家族」

田中彩子さんに関する東京新聞の記事
 「ウィーンで2千円しかない日もありました」

8月7日の東京新聞の「家族」というコーナーで、
ウィーン在住のソプラノ歌手 田中彩子さんが家族について
語っているのを興味深く読み、ちょっと感動しました。

 以下ご紹介します。

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父(67)は京都市内で三代続く材木問屋の次男、母(67)は主婦。年の離れた兄が二人います。
京都府の自然の残る地域で育ちました。
外国語大学で出会った両親は「一度は外に出て、生きるすべを学びなさい」という考え。兄たちは十八歳から外国の大学へ行きました。

小さなころの私は、洞窟のような場所に入ったり、木の上で昼寝をしたり。鳥の声など自然の音が大好きで、小学校では授業中でも外から聞こえてくる音に集中する-という遊びをして、先生の話を聞かずに叱られていました。

でも勉強ができなくても、両親は怒りませんでした。
幼稚園の近くに偶然、音楽教室があったため、三歳からピアノを始めました。
自分も近所の子たちに英会話を教えていた母は「何かあっても力強く生きていけるよう、手に職を」と考えていたようですが、練習を強要されることはありませんでした。

ピアノは大好きで毎日、何時間でも弾いていましたが、高校二年で進路を考えるころには、思うように弾けないことも多く、プロにはなれないと思って いました。
でも音楽は、ご飯を食べるように日常生活の中にあり、何とか音楽で生きていきたいとピアノの先生に相談したところ、歌の道を提案されました。

そこで私の歌を声楽の先生に聴いてもらうと、「ここまで高い声が出る人は、世界的にも珍しい」と、ウィーンへの研修旅行に誘われました。
現地の宮廷 オペラ歌手だった先生の前で歌うと「絶対にすぐ来た方がいい」。
両親は「チャンスがあるなら行った方がいい」と、高校卒業後に送り出してくれました。

四年間はお金を出してくれる約束でしたが、デビューが決まる二十二歳までは長くて大変な日々でした。
「プロになれるのか」と悩み、一度だけ先生に 「才能がないと思ったら、そう告げてください」と言うと「そんなことは誰にも分からない」ときっぱり。
人の言葉に逃げようとしていた自分に気づきました。

デビュー後もしばらくは金銭的に厳しい時期が続き、本当に「あと二千円しかない」という日もありました。
それでも両親からは、援助なし。
でもこれも「逃げ道をつくらない」という覚悟につながったと思います。

今、いろいろな場所で歌う機会をいただき、大切にしているのは楽しく歌うこと。
鳥の声を「あぁ、きれいだな」と感じるように、純粋に音楽の素晴ら しさを伝えたい。
もう一つは、一つ一つの機会に「ありがとう」の思いを込めること。
小さな気持ちが、声には表れると思うんです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201608/CK2016080702000158.html

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