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2016年6月19日 (日)

舛添イジメ論を排す~叩き足りないくらいだ

東京新聞の連載「ネットで何が」の18日の記事で、舛添さんが辞職表明をするやいなや、今度は「あれはやり過ぎだった」とか「集団リンチだ」などの声がネットに飛び交い出したという。

前任の猪瀬さんが辞任した直後もそういう「現象」が起きたらしい。
17日の朝日新聞「声」欄にも、「一種の集団イジメの面も」として投稿した人がいた。
また、18日の朝日では、ある映画監督の「水に落ちた犬を叩け、という現象が強まっている」という発言を紹介している。

そういう「叩きありき」だけの放送、報道も一部あるのだろうが、それは本道本質的な事から外れており、大事なことを見落としてはいけない。

人間の心理として、批判したり追い込んだ対象が地位剥奪等の一定の責めを負う姿に接すると、「優しい人ら」は「良心の痛み」に似たものを感じるのかもしれない。

しかし、これらは全く間違っている。
イジメではなく、叩いたモン勝ちとかいう問題でもない。
むしろ、辞職表明とともに、これまで散々問いただしてきた点が不問にさえされかねない忌々しき状況を考えれば、まだまだ叩き足りないくらいだ。

良心の呵責など感じる必要は全くない。地位にあるまじき不正を行い、有権者を裏切ったのは批判の対象となった当の本人である。

イジメなどという情緒的で安易な感情論は論外だ。

当人が身を処す決断をしようが何だろうが、不正を追及し、本当はどうだったのか?とか、政治資金規正法のザル度を修正改正する必要性とか、都道府県知事に外国視察など本当に要るのか?という問いかけと、実際の法改正がなされなければ、それこそ、今回、追求した意味が無い。

良心の痛みなど「感じるフリ」をして「良い子ぶっている」ヒマなど無いはずである。

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