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2016年6月12日 (日)

宇野功芳さん逝去

自分の思い通りに生きた方が去った。
音楽評論において、私は吉田秀和さんと宇野功芳さんの文章に特に魅了され、影響を受けた。

吉田さんはまずその広く深い学識と教養に基づき、普遍的な理念や演奏スタイルについてだけでなく個性的な存在や演奏についても真の意味で極めて公正で客観的で、それでいて心情を隠すことの無い、率直にして知・情・理のバランスのとれた優れた評論をした。

そして抽象性を避け、具体的にも書いた。
例えば、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「悲愴」の第二楽章の低音進行と、第九の第3楽章の弦による第一主題における低音進行は同じ構造をしている、と指摘した点はその一例だった。


そして、この「具体的な指摘」を更に徹底させたのが宇野さんだったと言える。
宇野さんは対談相手が抽象的な事を言うと、「それはどの部分ですか?」と問いかけたものだ。

実際、宇野さんは、例えば、「○○の指揮による演奏で、ベートーヴェンの第○交響曲の第○楽章の○○小節から○○小節にかけて、○○というアプローチをとっていたが、良かった」とか「納得できなかった」等々、具体的な場所を指定して論じたものだ。

確かに、褒められた場合はともかく、批判的に言われた場合、抽象的に漠然とただ「ダメだった。良くなかった」などと言われるより、具体的に「○○の部分は馴染めなかった」と言われたほうが~当該演奏者が納得するか否かは別として~少しはスッキリするに違いない。

この姿勢の影響を受け、私も論じるとき感想を他者に言うときは、極力具体的な事に言及するようにしている。

宇野さんはカラヤンを批判することも多かったので、カラヤンの熱狂的なファンからコンサート会場で殴られたこともあったといいうが、しかし、カラヤンの指揮でも良い演奏については~例えば、ベートーヴェンの三重協奏曲の録音~ちゃんと褒めるという公平性はしっかり持っていた立派な人だった。

ただ、彼の指揮した演奏は、例えば「フィガロ」の序曲のように極端に遅いテンポとか、評論ほどは立派でない演奏も散見されたので、私は「買わない」が。

いずれにしても、とても個性的な評論家が去って、また日本の音楽界は寂しさが1つ加わった。
心から感謝しつつ、ご冥福をお祈りしたい。

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