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2016年3月21日 (月)

都民響 第121回 定期演奏会

都民響の第121回 定期演奏会を東京文化会館で聴いた。
指揮は末廣 誠 氏。

曲は、

1.シベリウス 交響詩「トゥネラの白鳥」

2.シベリウス 交響曲第5番

 (休憩)

3.ストラビンスキー「春の祭典」


感想

トゥネラの白鳥は、しっとり感があって良かった。

2曲目の、美しく雄大な交響曲第5番はただ立派にキチンと流れていくが、それだけ、という感もある。もう少し部分的にデフォルメであってもよいから「仕掛け」が欲しい。
自然体といえばそうだが、あまりにも工夫が無さ過ぎるように思う。

1例を挙げると、終楽章の終わり近く、Largamente assai. に入って、練習記号Pの手前の6小節前からPの2小節までの、ヴァイオリンとヴィオラのオブリガートは、もっと流麗にして強弱のダイナミックスが欲しい。
ここは実質、エスプレッシーヴォの要素を持った、とても感動的な成句なのだから。


 春の祭典

都民響くらい巧いオケで聴いていると、プロにとってはもちろん、アマオケにとってさえ「春の祭典」はもはや「古典」と言える。
不協和音といっても、ゲンダイ音楽の多くに慣れると、随分美しい響きにさえ聞こえる。
複雑なリズムといっても、その展開に慣れ把握しさえすれば、特別難しくも複雑でもない。

それに「解釈を拒否し、一定の枠に収めたこの音楽」には、例えば、ベートーヴェンやモーツァルトのような演奏の中で生じる思いもしない相乗効果とか奇跡的瞬間というものは、ストラビンスキーには生じない。それはストラビンスキーの限界とも言えるものだ。


 雑感~東京文化会館

今更だが、東京文化会館の4階、5階の最前列はちょっと怖い。
通路側でなく内側に入ったり出たりする際など、万一、フワッとめまいなんぞしようものなら、階下に落ちてしまう感じがする。
足元の空間が狭い。
2階や3階は高さ的に4階5階ほどの心理的圧迫感が無いというだけでなく、若干広めに、もう少し余裕をもって設計されているように想える。

都民響の定期に往復ハガキで応募し、自由席かと思ったら、4階をあてがわれ不満。向かいの3階の一列目が10席ほど空いているのが見えたので、休憩後、3階最前列に座って拝聴した。
上記はそのときの同じ最前列でも4階と3階では心理的に全然違うことにあらためて気付いた次第。

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