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2016年2月21日 (日)

イル・トロヴァトーレ~二期会公演~ヴェルディは男性的な作品を多く書いた~それ自体「ヤワ」な演出を拒否するもの

東京二期会公演のイル・トロヴァトゥーレを東京文化会館で
聴いた。 ダブルキャストなので、両組聴きたいのは、
いつもながらのことなのだが、都合で21日の公演を聴いた。

指揮   アンドレア・バッティストーニ

管弦楽  東京都交響楽団

合唱   二期会合唱団

演出   ロレンツォ・マリアーニ

          2月17日、20日   18日、21日

レオノーラ      並河寿美       松井敦子

マンリーコ   エクトール・サンドバル  小原啓桜

ルーナ伯爵     上江隼人       成田博之

アズチェーナ     清水華澄       中島郁子

フェルランド      伊藤 純        清水那由太

イネス         富岡明子       杣友惠子

ルイス         今尾 滋        大野光彦

老ジプシー      三戸大久        杉浦隆大

使者          吉田 連         前川健生


ヴェルディ~アホな演出自体を拒否する
男性的オペラ作品群

プッチーニ作品における女性の一途なあるいは献身的な
心情に注力された作品はもちろん、ワーグナー作品に
おいてさえも、どんなに男性が主役として舞台の中心に
立とうと、結局その多くは女性の心や愛による男性の
魂の救済をベースとするものが多い、という、
いわば「女性的なるもの」が基盤として在る作品に
単純に私は惹かれる。

よって、高貴なまでの男性的な質感、力動性と直截的な
推進性を内包する作品の多いヴェルディの作品は、
女々しい私には実はやや苦手である。
嫌いなのではない。ただただ圧倒されるのだ。

プッチーニならセンティメントとしても感じ易いし、
ワーグナーの移ろうエロティックな和声には本能的に
心を掴まれる気がするが、
ヴェルディにはそんな「甘さ」は無い。

常に作品そのものが端然として存在し、
いかなる感傷的な空想さえ拒否されるような「強さ」が在る。
それはときに圧倒的なまでに「男性的である」とさえ想う。

ワーグナーやプッチーニやモーツァルトのオペラで、
ちょっとでもヘンな演出を見た瞬間から、私は少なくとも
演出に対しては「アホ」と思い、軽蔑して見続けることになる。

しかし想うに、決して多いわけでないながらも、これまで
ライブやDVD等で観たヴェルディのオペラ作品では、
まず「アホな演出」には出会わない事に以前から
不思議な思いを抱いていた。

ヴェルディ作品の多くには、そもそもそうした
「アホな演出自体を拒否する力が在る」
としか思えないのだ。

くねくねと長いトンネルを抜けていくドラマをワーグナーは
書いたが、1つ1つの独立した部屋を有機的に連続させて
置いたのがヴェルディ作品と言えるように想う。
単純な旋律と和音とリズムの愚直なまでの徹底した
開放的な構成の連続。
およそワーグナーやプッチーニにはあり得ない曲想だ。

ワーグナーがどんなに女性の愛や心を重く大事に描き、
それが男性を救うといっても、やや意地悪く言うなら、
それは「男性目線からの(勝手な)女性設定」なのだ。

だから、「男性の勝手な女性美化による偶像崇拝を設定
して、ひとりでナルシズムに浸ってるんじゃないわよ」
と怒る女性がいても全くおかしくないし、
そう言われたら、反論は極めて難しいとさえ想える。

しかしながら、たとえそうであっても、
「女性の気高さに救いを求める」という設定に見ることが
できる理念においても、オーケストレーションにおいても、
ねっとりと自己陶酔し続ける音楽は、男性的な威厳や格調
よりも、憧れを基盤としたロマン性が支配する音楽という
点で、「女性的なるもの」を常に感じさせ る、そういう音楽に
想える。

また、プッチーニはワーグナー以上に女性に独立した思い
や存在そのものを確かに置いていて、それは完結する
ほどに豊かで圧倒的な存在として描かれるが、
そうしたワーグナーにおける女性崇拝設定や、
プッチーニにおける自立した女性の愛そのものの美しさ
による際立たせ方と違い、ヴェルディ作品においては、
女性がどんなに悲劇的で勇敢に描かれようと、
男性(陣)に取り囲まれた存在の域を出ないように想える。

その意味で私にはヴェルディ作品は
「圧倒的に男性的な作品」と想えるのだ。

オーケストレーションで見れば、シンバルによる
強烈なスフォルツァンドフォルテに特徴がある。
ヴェルディの多くのオペラに何度も出てくる。
この「イル・トロヴァトーレ」においても然りだ。

この直截的な用い方はヴェルディ作品の特徴を象徴
しているように想える。
プッチーニはもちろんワーグナーだってこういう使い方は
ほとんどしていない。

勇壮で劇的で、どんなに悲劇的であっても、
根は極めて単純な物語として設定された流れを、
こうしたシンプルで直截的で男性的な力強さに満ちた
オーケストレーションで飾った作品群。
それがヴェルディのオペラ群に強く見ることができる特色、
特徴に想える。

もっとも、この組のキャストでは、
圧倒的に充実した声と存在感でアズチェーナ役を演じた
中島郁子さんが素晴らしく、
出場場面は少ないながら深く豊かに響く声が素敵だった
イネス役の杣友惠子さん、

そして急な代役ながら、瑞々しく透き通った声で
(特に後半が)素晴らしく歌い演じたレオノーラ役の
松井敦子さんが、あまりにも男性男性する物語ゆえか、
かえって強く印象深く感じられたのだった。

男声陣も、マンリーコ役の小原啓楼の若々しい声、
ルーナ伯爵役の成田博之さんの格調ある声などが
素敵だった。
二期会の合唱は普通の印象。オケの都響は立派な演奏
だった。

演出は上記のとおり
 「アホさ加減がそもそも拒否されるヴェルディ」だから
悪くはなかったが、格別良いとも想えなかった。
「アンヴィルコーラス」の場面も悪くはないが、
なんだかちょっと中途半端な設定に感じられた。
照明も、いくら悲劇的である意味地味な作品であっても
全体的に暗い感じがした。もう少し明るい場面が多くあっても
よかったように想う。

オケピット内のバッティストーニがよく見える席で聴いたが、
シャープな指揮はいつもながら、写真や終演後の舞台姿を
見ると、未だ若いのにやや中年太り的に見えたのが
気になった。

なお、当初、2月18日(木)と21日(日)にレオノーラ役での
出演が予定されていた石原妙子さんは、体調不良
のため出演できなくなったとのこと。
せっかくのチャンスなので、察して余りある。

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