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2016年2月26日 (金)

2.26から80年

80年前=1936年のこの日、陸軍内で「皇道派」と呼ばれた
一部の青年将校らが、天皇親政による国家改造という「昭和維新」
を唱え、歩兵第1および第3連隊、近衛歩兵第3連隊の
約1,500人を率いてクーデター(未遂)を起こした。

高橋是清蔵相、斎藤実(まこと)内大臣、
渡辺錠太郎陸軍教育総監、松尾伝蔵退役陸軍大佐らを
官邸や私邸に襲い、殺害した。

岡田啓介首相もあわやの状況だったが、
義弟である松尾大佐が「わしが岡田だ」と総理の身代わりに
なるかたちでそれを信じた将校らの銃弾に倒れ、
岡田首相は助かった。

後に(終戦時の)総理となる鈴木貫太郎侍従長も
重傷を負った。警察官が計5名殉職した。

天皇は今の時代はむろん、大元帥陛下たる戦前でも、
個人的感情を露わにして言及することは極めれ稀だった。
「神」だった戦前こそよりそうだったかもしれない。

その中の例外の一つが、この「2.26」で、昭和天皇は激怒し、
弁護しようとした本庄武官長に対し、

「朕が股肱の老臣を殺戮す、此の如き凶暴の将校ら、
 その精神に於ても何の恕すべきものありや」と言い、

当日の午後に謁見した川島陸相に対しても、

「朕が最も信頼せる老臣を悉く倒すは、
 真綿にて朕が首を締むるに等しき行為なり」、

「朕自ら近衛師団を率いて、此れが鎮定に当たらん」

と激昂して述べたとされる。

陛下の感情が側近、周辺に知れ渡ったことから
一気に沈静化し、終息した。

決起部隊は「賊軍」、「反乱部隊」となり、
憂国の志士たちは「逆賊」になった。

青年将校の1人に、本庄繁侍従武官長の娘婿がいたことも
あり、憂国からの「天皇親政」を掲げた青年将校らは、
天皇が自分たちの側についてくれることを願っての行動
とされるが、閣僚を複数、テロというかたちで殺害して、
正義を通すにはムリがあるとは、思わなかったのだろうか?

彼らは、対外戦争には反対の意思を持っていたとされるが、
皮肉なことに、これを抑えた軍部はこの若者の怒りを利用し、
この後、内閣に口出しをするようになっていく。

そして結果として、日中戦争の拡大、
真珠湾攻撃~太平洋戦争への道に突き進んで行く。
歴史は常に策略と裏切りと皮肉に満ちている。

なお、反乱軍の首謀者17人中15人は、
約5カ月後の7月12日、陸軍刑務所(渋谷区)の
刑場で銃殺刑に処された。

理論的指導者と言われた北一輝も
翌年の8月に処刑されている。


全くの余談だが、1976年の2月、故・吉田秀和さんは
朝日新聞に恒例の音楽批評を書いたとき、最後の部分で
「40年前の2月26日、大雪が降り、若い将校らが
 軍事クーデターを起こした。(中略)
 私は大学を急いで出る必要はなくなった」
というように書いていた。

後段の部分は、東京帝大仏文科の卒業を控えていながら
進路に迷っていたのか、いや、卒業試験が中心になったから
なのか、理由も少し書いてあったかもしれないが、
その部分は私の記憶が定かでない。
史実としてはこの年の3月に卒業はしているようだ。

「2.26」から40年後に吉田秀和さんが感慨を込めて
しかしクールに書いていた文を読んだ日から、
これまた40年が経った。
そう考えると、これまたなんとも感慨深い。

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