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2016年1月30日 (土)

武満 徹 「系図」~山田和樹

武満徹「系図」(Family tree)とマーラー4番
 山田和樹指揮日本フィル

山田和樹氏による日本フィルとのマーラーチクルスは、
昨年1番から3番までの交響曲を「第1期 創生」として
開始し、今年は「第2期 深化」として4番から6番までの
交響曲が3月までに演奏される。
その第2期最初の演奏会をシリーズの会場である
オーチャードホールで聴いた。

マーラーチクルス自体、注目に値するものだが、
毎回、プログラムの前半に武満徹の作品を置き、
セットとして演奏されるという企画のユニークさにおいても
画 期的とさえ言えると思う。

岩城宏之さん亡き後、20代より三善晃や武満など
積極的に現代音楽に取り組んできている山田氏ならではの
企画と言えるだろう。

「うた」は別として、精密で繊細で複雑な楽器配分による
拍のズレや不協和音を重ねた独特の「武満トーン」による、
プロオケも決して楽ではない楽曲を世に出 してきた武満が、
「系図」は晩年、谷川俊太郎さんの詩集「はだか」から
作曲者が順不同に選んだ6編を、調性それも美しい長調和音を
主体そして楽曲を創り、
10代半ばの少女とされた語り手を交えて進行する曲
というものだ。

いきなり余談だが、以前、池辺晋一郎さんは
 「それが重大」ダジャレを飛ばした。
また、岩城宏之さんは後年、なぜかご年配の吉行和子さんを
起用した。


この日は、上白石 萌歌(かもしらいし もえか)さんという
高校1年生が語りを務めた。
2011年、第7回東宝シンデレラオーディションに10歳という
史上最年少でグランプリを獲得し、既に芸能活動を開始
されている人だ。

「むかしむかし」、「おじいちゃん」、「おばあちゃん」、
「おとうさん」、「おかあさん」、「とおく」からの6編は、
総量として決して短くはないし、しか も、音楽の合間等に
語っていく難しさがあるが、明るいというよりは落ち着いた、
ややハスキーさも微量にある、それでも無垢さを感じさせる声で
暗唱で語ら れ、とても立派だった。


なお、初演以来、小澤征爾さん、岩城宏之さん、
シャルル・デュトワ氏らは、
後年「男好き」というイメージギャップに驚かされることになる
遠野凪子さんを起用していて、あのころの清純でひたむきで
感情移入も巧かった遠野さんによる個性的な語りが
思い出されるが、
上白石さんは、もう少し抑制の効いた声と表現で、
淡々と進めているようで、要所はキチンと力点を置く、
というものだった。


武満が調性に回帰したということのみが重要なのではない。
「系図」は、武満の言う「現代の困難さに対して重要なものは」、
「結局、愛の問題。家族の問題」という点に思いを馳せ、
長和音と、ややシュールでシニカルとも言える
谷川さんの詩を交えた点で画期的だったと言える。

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以下は個人的な思い出になるが、「系図」は、生前、
岩城宏之さんの指揮でOBオケで演奏する計画が
あったが、実現しないまま氏が逝去されたのは本当に残念
だった。

2000年のOBオケの演奏会後の二次会の席で
私は岩城さんに「今度は武満をやりたいんですが」として、
最初に「グリーン」と言うと、氏は 「難しいね」と予想どおりの
応えが返ってきたので、「では、ファミリー・トゥリーは?」
と言うと、岩城さんは沈黙された後、
「あれは柔らかな音が必要だな」と微笑みながら言われた。

実は岩城さんは「系図」がとても好きで、
手兵アンサンブル金沢で演奏できるよう、
自ら室内オケ版に編曲するほど力を入れていた、
ということはもう少し後になって知った。

そして、私が岩城さんに打診したころは、
日本ショット社から未だ「系図」のスコアは発行されて
いなかった。

武満のオーケストラ作品には、
弦のハーモニクス(フラジオレット)が多用されてることは
よく知られているが、TVでのデュトワ氏や小澤さんのCD
で何度も聴いた演奏では、美しい旋律線の相当量が
まさかハーモニクスで書かれているとは知らなかった。

だから、実際、岩城さんとの話がスタートし、
ヴァイオリンのパート譜面を見たときの驚愕は大きかった。
結局、今の段階ではムリが大きいとし、
でも「後年やろうね」、とされたが、
実現せぬまま岩城さんは他界されたのだった。

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さて、この日のプログラムの後半はマーラーの交響曲第4番。
山田氏は終始、穏やかで柔らかで美しく、
しなやかな音楽を創ることを主とされたようで、
時折り生じる(はずの)鋭角的な力点とか、
マーラー特有のシニカルな響きの場面でも、
それを感じさせない音楽を創っていた。
だから、良く言えば、正に天国的に美しい響きが溢れた演奏
と言 えるが、逆に言えば、もう少し
 「暴れてもよい、やや静的に過ぎる音楽」
とも言えるだろう。

終楽章を歌った小林沙羅さんは何度もこの曲を歌っている
だけに、発音のメリハリ等を完全に自分のコントロール下に
おきながら、なよなよとしない、ある種強 い、
芯のある声で歌われたので、この曲が単純に
「天国的なもの」に対する憧れの歌ではなく、
「かわいい仔羊を死へと追いやる」、
「ルカ様は少しも躊躇わず雄 牛を屠(ほう)る」という
現実と天国との間の想像の間に立つ音楽であることを
あらためて感じさせてくれるもの、
という彼女らしい存在感のある真面目で真摯な歌であった。

欲を言えば、「Kein Musik ist」~からのエンディング
では、もっと軽やかで明るく伸びやかで透明なトーンに
変化させて歌ったほうが、
ここからはもっと違う境地に入った音楽なのだ、
という事をアピールでき、更に印象的なものとなったかも
しれない。

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