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2015年12月23日 (水)

都民響の第九~ベーレンライター版に関する疑問

①バリトンソロの「Töne」をG→Fと歌わせるのは
  おかしいと思う

②ティンパニはフォルティッシモのままか?ディミヌエンドか?

③最後は4人のソリストも合唱団といっしょに歌って終わった
  ことに大賛成


都民響は言うまでもなく、新交響楽団などともに国内アマオケの
トップを争う優秀なオケだ。

ところで、プロオケもアマオケも昨今、いわゆる「対抗配置」が
流行っているが、今回も指揮者の末廣誠さんはそう配置した。
この配置、私は全然良いと思わないが、
そのことは今回触れない。


1曲目はワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」序曲

冒頭から、目の覚めるような輝かしい音。
こんな音が出せるアマオケが国内に幾つあるだろうか?
ただ、最初の嵐がいったん収まっての、ホルンと木管の
掛け合いが上手くいっているとは言えない
 (練習記号A~B)
それぞれが独自に吹き、溶け合わせようとしているようには
聞こえてこない。
こういうところはプロオケはもっとキチンとやれると想う。

それと練習記号Lに入る手前の第1Violinと第2Violinでの
トゥッテイのキザミが、この優秀なオケにしては
迫力が足りなかった。


1曲短い曲が終わってすぐの休憩は、「復活」等の大曲を
交えた演奏会の場合、やむを得ない。

休憩後はベートーヴェンの第九。

第1楽章をこのように速いテンポでザハッリッヒな演奏で
進むと、単なる古典曲の合奏で終始し、
ベートーヴェンが書き、注ぎ込んだであろうドラマが
生じて来ない。

このオケの優秀さ、意識の高さを1例で挙げると、
第1楽章240小節からの第2Violinの充実したキザミが
そうだ。
何のこともなさそうでいて、こういう部分を真剣に良い音で
パートとして十分弾き込んでいくかどうかが良いオケか、
そうでもないかの違いが生じるのだが、
その1例と言えるだろう。


第2楽章は、全ての繰り返し記号を(通常省略する部分も
カットせず)全て繰り返していた。

また、トリオに入る前での中間部というか、ホ短調に転じて
 「Ritmo di tre battute=(1小節を1拍として)3拍子で」
とする部分から進んで、すぐヘ長調に転じてからの
ティンパニがFの音のオクターヴで叩き、
2小節休んで叩き、とフォルテで4回叩いたあと、
2ではなく3小節あけてもう一度叩く部分は
ディミヌエンド表記があることから、
多くの指揮者はメゾフォルテというよりメゾピアノくらいに
音量を落として叩かせるのだが、
末廣さんはその5回目の部分も前4回と同じくフォルテのままで
叩かせていた。

そういう演奏=指揮者の指示による演奏はたまにだがある。


第3楽章は遅からず速からずのテンポで進んだ。
4分の3、ニ長調に転じての第2ViorinとViolaによる
旋律の演奏はとても良かった。
ホルンソロのCes(H)durの音階旋律は気張りすぎで、
あんなにブラバン演奏の如く吹かなくてもいいのに、
と思う。もっとレガートで柔らかく吹いて欲しい。


第4楽章
このオケの低弦の優秀さ思い知らされる素晴らしい
レスタティーヴォ演奏。
対抗配置での~指揮者左方向からの13人のチェロと
9人のコントラバスによる音の充実さといったら見事の一言に
尽きる。
このような音でこの部分を弾いていけるアマオケが
他にあるだろうか?というレベル。

チェロによる歓喜のテーマが出る直前の和音の後、
間髪入れずそのチェロに主題を弾かせて入ったのは、
 「フルトヴェングラーの演奏に対するアンチ的主張」
なのかどうかは知らないが、
フルヴェンほど間をとらないまでも、
ワン呼吸置いてから入らないと、音楽的に不自然だと思う。

バリトンソロの寺田功治さんは明るめの声量のある人で、
響きが豊か。その分、威厳はあまり感じられないソロ。

それにしても、いつ頃からか、日本ではなく欧州が
最初だろうが、バリトンソロの
 「おお、友よ。このような調べではなく」だが、
 「nicht diese Töne」の「Töne」をスコアではFFと同
 じFの音で歌う(語る)のだが、
それをG→Fと、Gから下ろして来る歌わせ方をバリトンに
させる指揮者が増えてきている。

もう30年くらい前から少しずつ聞かれる演奏で、
ソリストが独断でするわけないだろうから、
指揮者の指示だと思うが、いかがなものか?
このときもそうしていた。

なるほど、ある種、常識的な楽典的な音の移行だと、
その前の「diese」の「se」の音がEなので、
EからFFと行くよりも、Gに上がってFに着地した方が
 「音楽的」ではある。
いわゆる納まりが良いというか「座りが良い」ということ
だろう。

だが、そんな「常識的楽典的」なことをベートーヴェンが
書く人でもあるまい。
それに、レスタティーヴォは今始まったばかりなのだ。
「仮終止」の音型(E→G→F)を
この段階で置いてどうするのだ?と言いたい。
あくまでもスコアにはF→Fとあるのだから、
そう歌わせるべきだと思う。


アルトの菅有実子さんは大好きなアルトだが、
他の3人の声量が凄いこともあり、
ちょっとかすんでしまった感があった。
でも内省的な声は魅力。

菊地美奈さんの第九ソロは初めて聴いた。
個性的というか、多くのソプラノ歌手はこの曲でも
ヴィブラートを結構効かせてイタリアオペラっぽく歌う人が
多い中、歌曲的にフレーズ毎に丹念に歌っていたのが
印象的。
ハデなソロで聞き慣れている人にはやや異質に
感じられたかもしれないが、私にはこうしたアプローチで
かえって歌詞のセンテンスが明瞭に客席に届いて来る
のだ、という発見があって、とても興味深く聴いた。

テノールソロの「alla Marcia」に入る手前、
オケ合奏にのって「vor Gott」が四部合唱で歌われて
D-durから一気にF-dur和音で終わるフェルマータの部分
だが、ティンパニはトレモロでフォルティッシモで入り、
ディミヌエンドが書かれていて、
ピアノに落とすよう書かれている。

この部分、昔、岩城宏之さんが異を唱え、
ディミヌエンドではなく、アクセントの書き間違えだろう、
とした(欧州でシューベルトの「未完成交響曲」が
部分的に同様に指摘されたように)。

よって、岩城さんや確か井上道義さんとか、
少数ではあるが、ここをフォルテティッシモのまま叩かせて
終わらせる指揮者がいる。この日の末廣さんもそうだった。

この部分、朝比奈隆さんとインタビュアーが対談した際も
とりあげ、たしか、2種の演奏について、
 「フォルティッシモで終わる場合は迫力あるし、
  スコアどおりディミヌエンドしてもそれがそれで
  大きな空間のような拡がりを感じさせますよね」
と、一長一短であるようなやりとりがあったことを
覚えている。

さて、その和音の後、有名な行進曲風のテノールのソロに入る。

高橋淳さんは、オハコの「カルミナ・ブラーナ」だけでなく、
最近は各地各団での第九でもひっぱりダコの活躍だ。
マーチ風のソロだけでなく、全体的に朗々と歌い上げ、
客席によく声が届いて来て素晴らしい。

4人のソロによるH-durの見事な重唱後は、多くの場合、
4人が座り(座らせて)、スコアに書いてあるとおり、
オケと合唱だけのコーダに入るのだが、
ここで4人が「はい、私たちの出番は終わりました」
とばかりに座って黙って聴いているのはいかにも惜しいし、
なんか一体感的に良いとは思えない。

この日は、4人を立たせたまま、合唱団といっしょに
4人がそれぞれのパートを歌って終わったのは実に良かった。
これまで末廣さんに厳しいことを書いてきたが、
この点は大賛成である。

合唱は新都民合唱団。東京文化会館と
関係の深い合唱団。
悪くはないが特別良いとも思わなかった。
アマチュア合唱団にありがちなドイツ語がカタカナ過ぎて平坦。

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