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2015年6月25日 (木)

映画 海街diary

観終わって、熱く高揚するわけでも号泣するわけでもないのに、
ごく日常を描いた作品にもかかわらず、
たぶん観終わった誰もが「観て良かった。良い映画だった」
と思える作品だ。

登場する各人はそれぞれの事情を抱えているのだが、
鎌倉の海や空と極楽寺周辺の美しいたたずまいと
旧家での4姉妹の日常が全編POEMのような静的な進行で
うつろうのが素敵だ。

この穏やかで温かなテイストが良い。
東京物語を想い浮かべるようなテイストは、
久しく邦画に無かったように思う。

劇中に音楽がほとんど使われていないことで
全体に落ち着きがもたらされ、
それは春の桜、夏の花火などとともに、
作品にPOEMのような質感をもらさせている。

そういえば、近年の映画は洋画はむろん、邦画においても
音楽過多の作品が多いように想えるが、
吉田秋生の原作を、是枝裕和監督は
音楽を最少限に抑え、
全てが自然な抒情的な作品を創りだした。


3姉妹にいわゆる腹違いの妹が加わる。
この「異母」兄弟姉妹の設定で思いだすのは
 「夜のピクニック」だ。
あの作品では兄と妹との複雑な心情、拮抗する
当事者間の感情、それを打開して進みたい思いとの
自己の葛藤が初々しく描かれて良かったが、

この作品では3+1が4に、すなわち、
4人目の妹といっしょに生活し始め、
その後の移ろう季節の1年の中で、
わだかまりのない思いやりをもった4姉妹になっていく
のが素敵だ。

身勝手な大人と、その環境下にあっても健やかに
成長していく子どもたちとの対比。

親子の問題が中心に在る作品。

下重暁子さんの「家族という病」が賛否両論で話題に
なっている。
確かに家族の話が第三者にされるときは自慢か愚痴で、
第三者にとってそれは全く関心の無いものだが、
話したがる人は少なくない。

けれど、この物語で登場する、あるいは故人として
設定されている人物らは、他者に自慢するどころか、
子を置いて(捨てて)家を出た大人たちであり、
その困惑を抜けて生きて来た、生きて行く子供たちを想うと、
他者に話したがる親のほうがまだ可愛らしいとも言える。

ただ、いずれにしても、親が思うほど 「子は弱くない」。

 「親が無くても子は育つ」

もちろん、子供たちは親への思いをそれぞれの感情の中で
持つ。それは過去にいっしょに食べた食べ物であったり、
いっしょに行った場所であったり、
そうしたシーンでの感情の機微も巧く、
けれど自然に描かれている。

劇中、何気に黒衣装のシーンが複数出る。
祖母の七回忌だったり、良くしてくれた食堂のおかみの病死
だったり。

なにより、冒頭が4姉妹の実父の葬儀から開始される。
そうした、人間の生命のどうしようもないことや、
不倫などの人間の感情のどうしようもないことが、
年月の移ろいと死という現実に遭う中で、
それでも健やかに生きていく姉妹の心の
 「しっかり」が気持ち良く描かれている。
とても良い作品。自然も心も美しく描かれた秀作。

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