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2014年12月26日 (金)

第九考~欧州ではありえないほど盛んな理由~日本人と曲想と平和(人類愛)希求から考える

第九の季節が到来中だ。
曲の完成は1824年2月、初演が同年5月だから、
今年で190年を迎えており、191年目に入ろうとしている。

日本初演は徳島県の捕虜収容所にいたドイツ軍捕虜らに
よる1918年6月1日によるとされるが、
日本人による初演はちょうど90年前の1924年11月29日、
東京音楽学校(現・東京藝大)の教授と学生による。

毎年、某音楽雑誌が国内で12月にどれほど演奏されるか
調べて記載している。
プロオケだけでなくアマオケも少なからず演奏するので、
12月だけでも国内で200回近い第九のコンサートが開催
されているようだ。

もちろんこんな国は世界に2つとない。
異常と言えば異常な状況だ。

「起源」にはいろいろな説があるが、当時今よりもっと
賃金(報酬)事情が悪かったオーケストラの団員の
「ボーナス」「餅代」とし臨時収入を得ようと開始した
という説は、相当実態に近いものだと思う。

決して皮肉で言うのではなく、
裕福に生活したとはいえないベートーヴェンの畢生の名曲から、
多くの日本人が色々な意味で恩恵を受けているのは
それ自体は結構なことである。

ワインガルトナーの言う

 「第九を毎年何度も、よくない演奏で聴くより、
  10年に1度、良い演奏を聴くほうがはるかに有意義である」

という言葉は理解できるし、大いに同意したいが、けれど、
西洋音楽が入ってせいぜい100年と少しほどの歴史しか
ない日本においては、たくさん演奏経験をするなかで、
プロアマ問わず、もしオケも合唱も「進化」があるとしたなら
有意義だろうし、それを期待したいとした場合、
決して下げ済ますことでもないだろう。

それはともかく、欧米では特別なイベントでしか まず演奏
されない曲~典型がベルリンの壁崩壊を記念しての
バーンスタインによる演奏~逆に言えば普段からは決して
演奏回数が多いとは言えない曲である第九が、
なぜ日本ではこれほど頻繁に~特に12月に演奏されるのだろう?

プロだけでなくアマオケの活動がどの国よりも頻繁という
土壌があるだろうが、それ以上に日本は世界有数の
 「合唱大国」であることが大きいように想える。

単体としてのプロ合唱団は東京混声合唱団が唯一だが、
アマチュア合唱団は国内にそれこそ数えきれないほど
在るし、今後も新たに生まれてくるに違いない。

この点はまず絶対に外せない要素だと思う。
そして、全てとは言わないが、その中の多くの合唱団が
一度は第九を歌いたいと考えているに違いない。

他の点で、敢えて抽象的、感情的あるいは感覚的な
側面になることを承知で考えてみるなら、
年末に大掃除とか忘年会とか、とにかく「区切りをつけよう」
ということが好きな国民には、
あの厳粛で祝祭的な曲想がマッチするのかもしれない。

すなわち、前半はニ短調という単に暗い調性でない
格調高い調性による音の世界に襟を正すが、
終楽章では一転してソリストと合唱を交えた祝祭的な
ムードに一変するという愉悦に深い感慨と感銘を受けるのだ。

曲構造のデキ自体で言えば、第1~3楽章の
優れた内容に比べ、終楽章はあまり評価が高くないのは
多くの人が知るところだ。

終楽章の序の部分で、第1~3楽章の断片が出ては
打ち消されることから、これらを否定し、
「もっと歓喜の歌を」と有名な主部に入り展開されていく
ことは周知のことだが、しかし、
そういう哲学的意味合いは別として、
前3つの楽章の音楽的価値はむしろ終楽章より高い
と言っても間違いではないと思う。

要するに終楽章はあまりにもユニークな「別物」の音楽と
とらえると、この偉大で空前絶後の傑作が理解し易い
ように想える。

故・岩城宏之さんは「終楽章は、いわばお祭り」という主旨の
発言をしていたが、正にそういう楽想であり
位置付けの音楽と言えるだろう。


それでも、あるいはそれゆえ、単純さと声、
言葉(たとえドイツ語であっても)という、
より直截的に心に訴えて来る要素に加え、
シラーによる詩に、日本人は惹かれるのではないか?
とも想像できる。

すなわち、特別、政治的な意図は無いことを底辺と
しながら、「Alle Menschen werden Brüder」
     =「全ての人は皆兄弟になる」 という、
いわば人類愛にグサッと来るのではないか?

悲惨な戦争体験はなにも日本だけに起きたことでは
むろんないし、今だって世界の幾つかの地域では
悲惨な紛争や争いが絶えない。

そういう中において、賛成反対いろいろあるにしても、
戦後、日本がいわゆる平和憲法を
 「特別強い意思で賛成を表明しない人々においてさえ」
結果として「受け入れてきているという厳然とした事実、
状態がある日本」、およびその日本人の精神
 (反省も含めてもいいが)と、

第九のこの「全ての人は皆兄弟になる」という
シラーの詩の単純にして偉大な人類愛思想と、
戦後の日本にもたらされ根付いた平和主義思想を
受け入れてきた土壌とは、
私には決して無縁とは思えないのだ。


さて、抽象的、感覚的把握は以上として、中川右介氏が
「第九」という新書(幻冬舎新書)の中で、
メンデルスゾーン、ワーグナー、リスト、マーラーらが
どう演奏に関わったかについて書いている。

もちろんその後のフルトヴェングラー、トスカニーニ、
カラヤンらの演奏記録についても書いているので
興味あるかたは参考とされたい。

また、その書の冒頭(序文)では、「3.11」からわずか
約1ヶ月後の4月10日に、ズービン・メータがN響と行った
 「第九」について、その侠気(おとこぎ)に感銘を受けて
聴きにいく中、他方で「追悼演奏なのになぜ第九なのか?」
と事前に疑問に感じたことも記し、そして終演後、
 「外の満開の桜が鎮魂の花であるように、
 第九が鎮魂の曲でもあると理解した」
と書いている。

また、過去の政治がらみで行われた演奏会を挙げた後、
「追悼の音楽にも、国家の音楽にも、権力者の音楽にも、
 労働者の音楽にも、年越しの音楽にもなる。それが第九。
 日本人による年忘れ大感謝祭的な位置付けもある
 特別な曲だが、正体は実はよく分からない」とし、
「宗教も国家も言語も、そして音楽すら超越した「何か」
  なのかもしれない」と記している。

なお最後に、日本の戦時下において、
1943年11月に奏楽堂において学徒出陣の壮行会として
東京音楽学校の生徒たちにより第4楽章が演奏され、
また、1944年8月6日には、尾高尚忠(忠明氏の父)により、
出陣する学生たちの
 「最後に至高の名曲「第九」を聴いて
  悔いなく出陣したい」
という強い希望に応え、壮行会で演奏されたことは
付記しておきたい。

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