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2014年11月21日 (金)

高倉健さんを悼む~フィルムの外での人々との交流~そして母親との絆

「200本以上の映画のうち、ほとんどが前科者の役でした。
 そんな男がこのような勲章をいただいていいのでしょうか?
  一生懸命やっていれば、人は見ていてくれるのだな、
 と思います。ありがたいことです」

    ~文化勲章受賞時のコメント

高倉健さんは、中国でも愛された数少ない日本の俳優の1人
だった。
 「君よ憤怒の河を渉れ」、「単騎、千里を走る」が
中国でヒットしたことによる。
文化の担い手は国の壁をスルリと越え得る。

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被災地で水を運ぶ少年の写真を「あなたへ」の台本に
貼っていた健さん

 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」~健さん

 「実るほど威張りちらかす凡人かな」~その程度の権力者

 「実るほど人を差別し蹴散らす愚人かな」~その程度の成功者

私は高倉健さんが出ている映画は6本くらいしか観ていない
ので、氏について詳しくないから、
以下はニワカ勉強で知ったことだが、知れば知るほど
 「人格者」という印象を受ける。

千葉真一さん
 「撮影所でスタッフとケンカして、俳優を辞めようと思ったとき、
  私といっしょにスタッフに謝りながら所内を歩いて
  くださいました」

八代亜紀さん
 「デュエット曲を録音する、その初対面のとき、
  まだ無名に近かった私に対して、深々とお辞儀をされました」

横尾忠則さん
 「初めてお会いしたとき、私を見るなり、
  直立不動で深々とお辞儀をされました。
  このとき受けた誠実な印象は、後々もずっと
  変わりませんでした。
  展覧会の案内状を出すと、必ずお礼状をくださいました」

山田洋次監督
 「幸福の黄色いハンカチのシーンで、刑務所から出て
  食堂でラーメンとカツ丼を食べるシーンがあるんですが、
  そのために2日間絶食されました。
  真面目で、とても繊細で、人の気持ちが分かる人でした」

荻野目慶子さん
 「南極物語の撮影の初対面のとき、
  当時18歳だった私に、深々と「よろしくお願いします」と
  お辞儀されたので、とても驚きました」

張芸謀監督
 「単騎、千里を走る」の撮影のとき、待ち時間でも
  座らないんですね。なぜ?と訊くと、
  「気持ちを高ぶったままに保持しておきたいんです」と。
  凄い人だなと思いました」


映画監督の井筒和幸さんが、
 「1960年代、全共闘の学生が健さんの映画を観てから
  角棒を振りに出かけた」と言っていたのが面白い。
実際、義理人情の映画や、健さん自身が刑務所慰問を
繰り返し、
 「(警察などの)制服は好きではない。(刑務所にいる)皆さん
  に気持ちが行く」とした反権力的な姿勢が
  ~別に左翼とかにかかわらず~当時の多くの若者から
  支持されていた、という。

その一方で、任侠者など1つのイメージだけがまとわりつくことに
対しては寂しさもあったようだ。

 「ローマの休日のグレゴリー・ペックのような役が
  やりたいですね。映画は「夢」ですから」

ある記者が、「また、(1975年の)「新幹線大爆破」のような
カッコイイ悪役をやってください」と言うと、
 「いいねえ、お客さんが拍手をくれる悪役はぜひやってみたい」
とも。

2012年、NHKのインタビューで「夢は?」と尋ねられ、
しばらく考えた後、
 「いろいろな国の人と映画を撮ってみたいね」

そういう映画をぜひ観たかった。
いや、内容は問わず、せめて、もう1作、観たかった。

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意外な事実もある。

映画会社の専属を辞めてから、特に「八甲田山」の撮影では
丸3年間も撮影が続いていたが、その間、
他の仕事は一切入れなかった。
そのため、やがて生活は楽ではなくなった。

 「初めて買ったマンションやベンツも売ったんですよ」

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そして感動する事実はたくさんある。

 例えば「3.11」~水を運ぶ少年の写真

19日の東京新聞に紹介されていた記事がある。
2011年3月14日に気仙沼で撮影された、
少年が大きなペットボトルに水を入れて運ぶ写真。

当時11歳(現・14歳、中学2年の)
 松本魁翔(かいと)君。
自宅が全壊し、近くの親類の家に身を寄せていた彼は、
 「みんなの役にたちたい」と水を運んでいる写真だ。

のち、健さんと魁翔君は文通もしている。
健さんが映画「あなたへ」の台本にこの写真を貼った理由
について、

 「毎朝、写真を見るとぎゅっと気合いが入る。
  常に被災地を忘れないことを心に刻もうと
  この写真を貼って映画にのぞんでいました」

と語っている。

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  語録

 「愛の反対を無関心とした場合、
  愛とは、人に関心を持ちことだと思います」

 「どういう人に出会うかで人生は決まる。
  いい人と出会うと、いろいろと考えるようになる」


健さんは刑務所を何度も慰問していた。受刑者を前に
涙ぐみながらこう述べた。

 「人を想うことの大切さ、せつなさを考えて。
  1日も早く大切な人のところに帰ってあげてください」


特攻の映画を撮ったときの試写会終了後、
客席の若い女性が、

 「健さん自身が特攻に行き、生還していたとしたら、
  国を許せるか?」と問うたのに対しては、

 「それは判りません。
  しかし、私は国に誇りをもっています」

と返答した。

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健さんといえば、ロケ地での街の人々との交流、だ。

出会ったたくさんの人と、後々も手紙でやりとりを
されていたことは有名だ。

そして、交流は国内に留まらなかった。
中国でも同じ。共演した地元の人々との交流。きづかい。

地元の住民(シロウト)が、映画の台本にある別れた親族を
思い泣くシーンで、自分の本当の悲しい事情を思って泣く姿に
感動し、「役者とは何だ?」と。

 「テクニックではない。生き様だと。
  その人が生きてきたもの」

 「僕は短気で乱暴者の血があるから、
  よく犯罪者にならかなったな、と。
  きっと、映画で良い生き方をしている役を得た場合、
  これが良い生き様なんだよと、(演じているというより逆に)
  お金をもらって、ずっと教えてもらってきたのかもしれない」

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健さんといえば、おふくろ だ。

健さんと母親~キレイなお母さん

Q よく手紙を書かれますね?

健さん…「それはね、おふくろの教育だと思います。
      ちゃんとした人間はちゃんとした手紙を書ける
      でしょ。それをね、母から学んだと思います」

また、あるとき健さんは語った。

  「任侠映画に出て刺青を入れたことで、
   おふくろはとても悲しみ泣かれました」

Q TBSの連続TVドラマに出たことがありましたね?

健さん…「九州にいるおふくろからね、映画なかりで、
      なぜテレビには出ない?と訊かれたことも、
      出た理由の1つ」


健さんとお見合いの話

 「40歳で離婚したけど、その後、おふくろは
  自分が亡くなるまで僕に毎年お見合い写真を送って
  きていて、まいったよ。
  「俺はモテルんだよ」と言うと、
  「バカ!と言われた。

 (お見合いはしたんですか?) しないよ~ハハハッ」

さよなら、健さん

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