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2014年11月23日 (日)

第九~藤岡幸夫指揮 日本フィル&武蔵野合唱団

第九拝聴記~藤岡幸夫指揮 日本フィル 武蔵野合唱団

11月23日 府中の森芸術劇場どりーむホール

Sop.鷲尾麻衣
カウンターテナー藤木大地
Ten.望月哲也
Bar.福島明也

以下、おべっかを書いてもしかたないので、忌憚なく記載。


1.オケと演奏について

コンサートミストレスの千葉清加という人がとても良い感じ
だった。とても魅力的。
あ、顔とか(もいいが)ではなく、身ぶり、
コンマスとしての弾き方が。
いつごろこんなに良い奏者が入ったのだろう?

昨今は魅力的なコンマスがほとんどいなくなったので、
今後に期待。

読響のゲストコンマス日下紗矢子さんと人気を2分する
くらいになると面白いけど、日下さんはソロ活動が第1、
第2がベルリン・コンツェルトハウス管のコンマスで、
読響は第3の活動範囲だろうから、
そうした比較自体が難しいことだろう。

演奏は、第2楽章のトリオでのホルンの響きが
とても良かった。
このホールのステージは金管と打楽器が
よく聞こえて来る感じだ。

第1楽章から第3楽章にかけて、
私の嫌いな速めのテンポでフォルテを強調した
ガサガサ進む進行で、全く楽しめなかった。

大好きな第3楽章も昨今ありがちな速めのテンポで、
何の感動も無かった。

一番好きな楽章は第3楽章だが、それでも
終楽章はやはり面白い。
今でも色々な発見~肯定、賛成、否定、疑問等を
含めて~がある。

それについては、以下、
オケの演奏、合唱とソリストのところで書いてみる。


 終楽章におけるオケの演奏

終楽章に入り、低弦によるレスタティーヴォをまるで
「女性的に?」弾かせていたのはユニークだったが、
そういう奏法は私は間違いだと思う。
しかもここでは、ベートーヴェン自身がスコアに
 「イン・テンポで」と書いている。

もっともそれを忠実に実施しているのは、ともすれば
「最も恣意的な指揮者」と言われるフルトヴェングラーが
ほとんど唯一イン・テンポでやっているという点は興味深い。

「歓喜のテーマ」だが、管楽器群で歌われる直前での
弦の漸増、強奏が弱い。
名演と言われる幾つかの録音は、たいていどれも
156小節からのクレッシェンド、
特に159小節4拍目からのファーストヴァイオリンに
思いっきりアクセルを踏ませているが、
この日の藤岡氏はそれを全くせず、
164小節からの管によるテーマからフォルテを
引き立たせていて、音量に関する唐突感があった。

というより、段階的な漸増(クレッシェンド)による
音のドラマを作ることをしていなかった。

434小節からのオケによる部分でエネルギッシュに
もっていこうとしたのは判ったが、オケがそれに
ついていっていない。ここでアンサンブルが乱れたのは
指揮者とコンマスの間で、完全にコミュニケーションが
行き届いていなかったのだろう。
ということは、千葉さんは未だオケを完全には把握しきれて
いないのかもしれない。


 2.合唱について

年初からお世話になってきた合唱団だが、
今回はせっかく客席から拝聴したので、
敢えて心を鬼にして、というより、あくまでも1人の
一般聴衆として感じたことを記載したい。
そのほうが好ましいと想える。

冒頭に記載のとおり、おべっかを書いても意味が無い
 (だけでなく、今後のためによくない)ので。

直載的に言うなら、
 「男声がこの2倍いたらなあ」ということ。
男女比率がやはり悪い。見た目だけでなく、声の点でも。

この点は後述するとして、まず良かったところから。

男声の出だしはとても良かった。
タイミングも発音も「Freude!」の切り具合も。
バリトンソロに続く合唱による最初のテーマ歌唱では
 「Menschen」の発音がキレイだった。

全体として一番良かったところは、543小節から590小節の
全員で歓喜のテーマを歌う部分。
ここではソプラノの主旋律を他の3パートが
 (まるで温かく抱きしめるかのように)上手く音で
くるむように、ハーモニーと音の柔らかさと品のある
厚みをまとって歌われたのだ。ここはとても良かった。


一番問題を残したのはその直後の箇所から。
595小節から626小節のAndante maestosoと、
627小節から654小節の
 Adagio ma non troppo,ma divoto 。
この2分の3拍子の音楽は、合唱の各パートを丸裸にし、
欠点が一番見えてしまう箇所だ。

ここでは男声の頑張りはよく判る分、
それはムリが出てしまっているということと等しい。
すなわち、それはそれで面白いとも言える半面、
やはり「合唱」としてはどうか?という疑問は残る。

「個々の頑張りが見えないほどの全体の統一感」
がもっと欲しい。

美しくムリなく自然に響いてくる男声の声がもっと欲しい。

ここで、2の冒頭に書いた男女比のバランスの問題が
見えてくる。すなわち、
人数の豊富な女声が全体の総和としての大合唱団の
合唱として聞こえてくる(特にソプラノが良かった)のに
対して、
男声は室内合唱団の声のように聞こえてくる。

それも不要な力みを伴って。

まるで男声と女声が別々の合唱団であるかの様に
聞こえてしまうのだ。

やはり男声の増員が急務なのは明らかだと思う。

団員における個々の感動体験や思い出は、
もちろんそれはそれで大切で結構なことだが、
聴衆の感想がそれと一致するとは限らない。
むろん一致することもあり、それが最高に好ましいこと
だが、出演者だけが満足して終わる場合もあれば、
逆に出演者はそれほどウマクいかなかったと感じて
いる演奏でも聴衆にとっては立派な演奏と感じた、
そういうこともある。
それが音楽の演奏における難しい点だろう。


 3.ソリストについて

福島明也さん

冒頭から「お、いいな」と思ったら、歌いだしてほどなく
パワーが普通になってしまい、オケに埋没した感がした
のは残念。理由は解らない。


望月哲也さん

見た目と違いリリックな軽やかな声の望月さんは、
曲や役がハマルと独特の存在感があるが、逆に言うなら、
ハマリ損ねると彼の声が死んでしまう。
過去数回、そういうシーンに出くわしている。
この日も、8分の6行進曲風のAllegro assai vivace では、
出だしから声が客席に届いてこない。
思わず、プログラムをカバンからとって、
 「出演者変わった?」と確認したくらいだ。

あくまでも私の趣味嗜好での感想に過ぎないと断った上で
言えば、望月さんはこの曲に向いていないと思う。
別にそれは不名誉な事ではない。
この曲らしいテナー自体の確認が難しい曲だからだ。
でもとりわけ、
彼の軽やかな声はこの曲に向いていないと思う。


藤木大地さん

メゾやアルトでなく、カウンターテナーの起用は面白い試み
だったが、「やはりメゾかアルトの人がいいな」
というのが私の結論。

清水華澄だったらよかったなあ、と最初は思ったが、
いや、同じメゾばかり、というのもどうかと思い直した。

例えば、小林由佳さんだったら、河村典子さんだったら、
長谷川忍さんだったら、池田香織さんだったら、
それぞれどうだろう?と想像してみると、
きっとそれぞれの色を出して歌われるに違いないと
想像できる。

言い換えれば、そうした色々なメゾ、アルトのかたを
起用しようとしないのは、プロオケの怠慢であり、
何より指揮者の怠慢だと思う。

メゾ(アルト)に限らず、プロオケが特定の人ばかり
ソロで起用するのは芸が無いなと思う。


鷲尾麻衣さん

鷲尾さんは確かに変わった。
4年くらい前、美貌なのにどこかハニカンダ様な
自信なさげの表情で歌っていることや声量の点で気になり、
特に声量のことをブログに書いたことで、
鷲尾さんをひどく悲しませてしまったことがある。

私には過去にそういう失礼をしてしまったという「前科」が
あったのだが、逆にというか、それゆえ、
その後は当然、人一倍注目してきた。

私が知る限り、彼女が大きく変化したのは
2012年10月30日、東京文化会館(小)での、
穴見めぐみさんのピアノでのモーニングコンサートだ。

あれは本当に素晴らしいリサイタルで、
今でも鮮やかな感動を思い出すことができる。
自信に満ちた歌声に圧倒された。

その後、ほどなくしてご結婚、そしてご出産されたので、
婚約状態ということで、精神的に強くなったのだろうと
想像している。
そうした慶事が彼女にとってプラスに働いていていたのだと想う。

逆に~こういう事を書いてよいかは迷うが~そういう
 「慶事が、全ての女性歌手の声に良い結果を
  与えるかどうかは別問題」
かもしれないと思うフシはある。

ご出産後、「アレ、どうされたのだろう?」と感じる
女声歌手を数人知っている。
もちろん私の主観に過ぎないし、失礼だから
名前は伏せるが、
特に40前後のアルトのAさんについては、
私だけでなく友人で音楽関係会社に勤めるB君も
同じことを言っていた、という事は付記しておきたい。

それと、歌手ではないが、宇野功芳さんが、
韓国の有名ヴァイオリニトCさんと、
日本の有名ヴァイオリニストDさんについて、
 「出産後、なぜか普通のヴァイオリニストになっちゃった」
と言っていたのも思いだす。

歌手の場合、出産後の相当の期間は育児で
本当に大変だとは思う。

けれど、プロ歌手として人前で歌う以上、
 「魅力が落ちたね」と言われるのは
やはり好ましい事ではないだろう。

これは聴く側の主観と、演奏者の最もプライヴェートな事に
関することなので、微妙な感想となるわけだが、
そういうことを聴衆に感じさせることもあるのかもしれない、
という位は言及してもよいだろう。

しかし、鷲尾さんの場合は、
間違いなく慶事がプラスに働いた、良い状態をもたらした
ケースであり、歌手だと思う。
本人が意識しようとしまいと、
それは間違いのない事だと確信している。

お子さんはまだ1歳くらいのはずだが、
 「そんなに仕事を入れて大丈夫ですか?」
と心配になるくらい、積極的にステージをこなしている。

その姿勢自体にもむろん感動するが、何よりも、
声そのものが、歌そのものが、4年前とは別人
のように力強く美しく自信に満ちていて素晴らしい。

 楽屋に挨拶に

私は終演後、楽屋に挨拶に行くのが苦手なので滅多にしないが、
10月の新国立劇場の「ドン・ジョヴンニ」での
ツェルリーナが素晴らしかったとお伝えしたかったことや、
今回の演奏会については当初、
 「私ももしかしたら合唱団員の1人として出演するかも
  しれないので、その場合はご一緒できますね」、
と伝えていたにもかかわらず、
幾つかの事情でそうできなかった事のお詫びもあるので
楽屋近くに行き、通路にいらっしゃった鷲尾さんに
ご挨拶させていただいたのだった。


 4.その他

(1)私の周辺の話。60代の女性と20代の女性2人が、
  第2楽章に至っている段階で、スヤスヤと眠っていたのが
  可笑しかった。
  きっと、「喜びの歌はいつ出てくるの?」という類いの
  人達だろう。
  第九の演奏会にはたいていこの種の人達はいる。

(2)終演後に合唱団の指導者として紹介されたK先生が
  出てきたとき、「だれ?」と思うほどに可愛らしかった。

 以上。

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