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2014年10月 2日 (木)

御嶽山噴火での被災者を悼む~追記を含む

「医師として平常心を保つことだけを考えた」
  by ご遺体を確認した医師の言葉


最初の段階でフェイスブックに書いたこと

 「活火山~火山と地震の国 日本」

今回の木曽御嶽山の噴火はマグマ噴火でなく水蒸気噴火なので、
前兆が確認し難いもの、とのこと。
日本には活火山が110あり、うち47は気象庁が24時間体制で
データ監視しているが、御嶽山は含まれていなかった。

また、いわゆるシェルター(退避壕)は、阿蘇山、桜島、浅間山
などに限定されて設置されているだけで、活火山の多くは未設置。

実際、今回残念ながら死亡が確認されたかたの中には、
噴石の直撃が原因とされるかたもいるようだ。
石というより、場合によっては「岩」が時速数百キロという
ほとんど飛行機並みのスピードで降ってくるという。

私が子供のころ習った休火山という概念は今は使用されて
いない、という。だから、あのとき習った
 「富士山は死火山ではなく休火山」
という表現はできず、富士山はれっきとした活火山
ということになる。1707年の噴火以降は噴火していないが。

なお、世界の火山の分布は、環太平洋地震帯および
地中海地震帯に一致している。


  ここからがブログ記載内容

歴史に「たら」「れば」は無い。
けれど、噴火のタイミングは最悪だった。
あと12時間早いか、遅かったなら、夜中ゆえ山小屋に
いた人はどうなったかという懸念はあるが、少なくとも
山頂付近を歩いている人は皆無だったろうから、
これほどの犠牲者は出ずに済んだのに。

日本航空ボーイング123便が、群馬県多野郡上野村の
高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した事故でも、
尾翼付近の圧力隔壁が破損するのが、離陸直後か、
着陸寸前だったら、あれほどの惨事にはならなかった
のに~たら、れば、のに、のに、と、個人の人生にも、
多くの人を巻き込む事故にも
 「もし、~だったら、~だったのに」
の連続だ。


今回の御嶽山噴火事故が経過する中、外出していて
見ていなかったNHKの関連番組3つをNHKオンデマンドで見た。
 ①4日(土)夜放送された NHKスペシャル
   緊急報告 御嶽山噴火~戦後最悪の火山災害~
 ②3日(金)19:30に放送された
   特報首都圏 御嶽山噴火の衝撃
    ~登山者50人の証言・映像記録
 ③それらより前、4月29日(月)19:32放送の
   クローズアップ現代 緊急報告 御嶽山噴火


紅葉の季節の土曜の昼時の突然の噴火により、
犠牲者多数で痛ましい。

あの衝撃的だった1991年の雲仙普賢岳の死亡人数を超えて
最後最悪の火山噴火災害となった。

御嶽山に登ったことはないが、親族のルーツが長野県であり、
皆さんご存じの木曽節とは違う「正調 木曽節」を
代々伝え聞いてきた者としても心苦しく重たい現実だ。

先述で、「中には噴石の直撃が原因で~」と書いたが、
中には~ではなく、現状死亡が確認されたかたの
相当多くのかたがそのようだ。
最初に確認された12人は全て噴石の直撃が直接的死因という。


 経過する中、TV番組や新聞などで知ったことを幾つか

あるご遺族は苦笑して語った。
 「見つからない間は、泣いてばかりいました。
  なぜ1人で行ったのか、なぜあの日だったのか、
  なぜ雨が降らなかったのか、と。
  けれど、(遺体が戻り)今はたくさんの人が弔問に来て
  泣いてくれました。ああ、主人は人に愛されていたのだな、
  とあらためて解りました」

ある人は、
 「最後まで2人(息子とフィアンセ)はいっしょにいて、
  戻ってきました。皆さん、ありがとうございました。
  これから息子を叱ってやりたいと思います。
  なぜ親が看取らなきゃいけないんだ。順番が逆だろう、と」


5人で登り3人が死んだグループのリーダーだった
長野県松本市の鈴木康夫さんは、
 「3人は私が殺したようなものだ」と苦しむ。
御嶽山は初めてだったが、山小屋で働いた経験から、
火山性地震活動が増えていたことを知っていて、
けれど気象庁の噴火警戒レベルは1「平常」だったので、
大丈夫だと判断したという。

愛知県豊田市の11歳の小学生、長山照利(あかり)さんは
今年3月、
 「将来はお医者さんになって、医者にかかれない人達が
  いる外国に行って看病したい」と語っている。

当日の登山では、仲の良い高校3年生 伊藤琴美さんを
含む地元のアウトドアグループ17人といっしょに登り、
琴美さんとはスマホで写真を撮ったり、
直前は2人で山頂に座り、おにぎりを食べていた。


 照利さんにジャケットを着せてくれた男性

噴火後、横浜市から来た近江屋 洋さん(26歳)は、
近くにいて「寒い」と言った照利さんにジャンパーをかけた。
近江屋さんは薄着のまま遺体で発見された。

照利さんのお父さんは
 「あのような状況で照利のためにジャンパーを着せて
  いただいて感謝の言葉しかない。
  生きていらっしゃればお礼を言い、状況を聞きたかった。
  照利は人一倍臆病な子だったので、
  さぞ怖かっただろうけれど、そういうときにも、
  1人でなはなく、気にかけてくれた人がいたのだ、
  人と人が助け合うことがあったのだ、救われる思いがした」


 愛知県知立市の高校3年生の伊藤琴美さんの父は
 こう語った。

 「誘った際、行かないと言われるかと思ったが、行くと言い、
  久しぶりに娘とデートできるようで嬉しかった。
  しかし、誘わなければよかった。
  あのときは、私が休み休み登るのにシビレを切らし、
   「先に行くよ」と言い、長山照利さんといっしょに
  先に登っていった。
  あのときの言葉が娘と交わした最後の言葉に
  なってしまった」


降雪が始まったこともあり、10月16日、
年内の捜索の打ち切りが決定された。
この時点で、死者56人、行方不明者7人。


追記

1ヶ月後の10月27日の朝日新聞、東京新聞は
当日の状況を山の見取り図で記載
その後、1人発見され、

 死者=57名
 行方不明=6名
 負傷者=69名
 捜索隊員延べ=1万4705人
 
 噴石の速度=秒速100m(時速360km)
 噴石の飛散=火口から1kmまで直径10cm以上の噴石

57人中、55人は頭蓋内損傷ないし、
多発外傷により即死状態

即死でない2人は気道熱傷死と詳細不明
 (外傷によるショック死と推測)
 (有毒ガスが原因の人はいなかった)

高速で飛散した大きな石が頭や首に当たったり、
小さな噴石が背中などに多数当たったことによる。
頭を手で守ったと想われる手の甲の傷がある人も多かった。
あらためて、ご冥福をお祈りしたい。

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